暗殺指令
昇山の社長をかたっていた横嶋が性懲りもなく伊刈に電話をかけてきた。年度末になって次々と懐かしい声を聞くことになって複雑な心境だった。何かが動き出そうとしているのだと薄々感じた。何が動くのかはわからなかった。
「伊刈さんを信用してお聞きするんです。宮越主幹という方をご存知でしょうか」横嶋が単刀直入に言った。
「チームゼロのリーダーですよ」
「そうでしたか」
「宮越がどうかしましたか」
「ご忠告願えますか。これ以上やると殺されますよ」
「穏やかじゃないですね。それは脅迫ですか」
「あの方が許可を取消そうとしている会社があるでしょう」
「レーベルのことですか」
「伊刈さんと違ってあの方は加減というのを知らない。あれでは恨みを買いますよ」
「それはこういう仕事をやる以上しょうがないことですよ」
「殺されるってのは脅かしじゃないんです」
「どうして教えてくれるんですか」
「私もいろいろ悪さをしました。ちょっと反省するところもございましてね」
「どのくらい切迫した話なんですか」
「既にある筋から暗殺指令が出たと聞きましたよ」
「ある筋とは」
「それは申せません」
「わかりました。あんまり追いすぎないようにさせます」
「それがいいですね」
直感的に伊刈は嘘だろうと思った。横嶋から真実など一度も聞いたことがないのだ。レーベルを金蔓にする方法をまた思いついたのだろう。天才詐欺師の考えることは常人には及びもつかない。それでも念のため元レーベル工場長の万年に電話してみた。
「宮越のその後の動きはどうですか」
「私の手を離れましたのでね、社長が一人で動いておりますよ」
「ほんとに辞められたということですか」
「二度も首になるとは思わなかった。こんな年になっていい恥さらしですな。でも伊刈さん、できることならうちの社長を守ってやってください。お坊ちゃまでね、根はいい社長なんですよ」
「妨害工作に右翼とか使ってないですよね」
「うちの社長は自分からそういう筋にはかかわりません。向こうから来るのはしょっちゅうでしたけどね」
「大蓮社長にお会いしてご様子を聞くことはできますか」
「伊刈さんが会いたいとおっしゃっているという話はお伝えします。でもどうして急に」
「宮越がはめられそうだといううわさを聞きましてね」
「なるほどそういうことですか」
「ありえる話ですか」
「うちの社長は関係ないですよ。勝手にレーベルの名前を使って脅かそうというのじゃないでしょうか」
「ありえる話なんですね」
「噂があるんなら調べてみましょう」
「お願いします。宮越に何かあったら大変ですから」
「それより伊刈さんこそ大丈夫ですか」
「事務所には許可取消しの権限がありませんから」
「大したものですね。あれだけの仕事をされて恨みを買うどころか慕われてるんだから」
「何があってもしょうがないと僕自身覚悟はできてるんです。だけど仲間を危ない目に合わすわけにはいきませんから」
「宮越さんも仲間ということですね」
「もちろんです。一番頼もしい仲間です」
「でもほんとうにお気をつけくださいよ」万年は何度も念を押して電話を切った。
それから一時間としないで万年から折り返しの電話があった。
「うちの社長の件ですが今度の土曜日でも大丈夫ですか」
「むしろ好都合ですよ」
「それならよかった。本牧工場で土曜日にお会いしたいということです」
「わかりました」
「場所はお分かりですか」
「実は近くまで行ってみたことがあります」
「そうだと思いました。私はご案内できません。社長によろしくお伝えください」首都圏最大の不法投棄センターの一つだったレーベルの元番頭とは思えないくらい万年の態度はあくまで慇懃だった。
土曜日、伊刈はチームの仲間には内緒で、わざとレーベル東京工場に愛車のパジェロで向かった。首都高速の高架から高い塀に囲まれたレーベルのヤードが見えてきた。塀に囲まれた処分場はサッカー場くらいの規模があった。付近は似たり寄ったりの産廃業者が集積する産廃団地のようになっていた。少し先のインターチェンジから高速を降りて一般道を逆走しながらレーベルに向かった。車を乗り入れずにカメラを片手に周辺をうろうろしてみた。見上げる高さの塀が続くばかりで場内の様子は伺えなかった。大小のダンプがひっきりなしに出入りしていた。万年が半減したと言っていたダンプの多さはなお驚くばかりだった。
「おいおまえ」ダンプを誘導していた男が伊刈を見咎めた。「勝手に写真撮るんじゃねえよ」
「社長はいますか」伊刈は平然と言った。
「あ? あんた誰だ」
「大蓮社長はいらっしゃいますか」
「ちょっと待てよ」誘導員は背中を丸めて場内に走っていった。
伊刈は案内を請わずに正面ゲートから場内に入った。高い塀の中には莫大な量の産廃が積まれていた。大半が解体業者の持ち込み廃棄物だった。廃家電や廃書類など雑多な廃棄物が混在していた。廃屋を潰した時に混ざったにしては多すぎた。解体業者が集めた家財を再び混ぜたのだ。足元を見ると百均ショップで売られている安物の目覚まし時計が無数に散らばっていた。
誘導員が慌てた顔で戻ってきた。「あのう伊刈さんでしょうか」
「そうです」
「それでしたら社長は本牧でお待ちしているそうです」
「え、ここじゃないの」
「ここは工場だけです。社長は来たことないです」
「ああそうか、本社が新工場にあるって聞いたの忘れてた」伊刈はわざとらしく言った。「せっかく来たからちょっと工場を見せてよ」
「はあ」伊刈の素性を知らない誘導員は返答に窮した。
「工場長はいるの?」
「今ちょっと外出してます」
「誰もいないんだね。じゃ勝手に見るよ」伊刈はずかずかと工場の奥に入っていった。
処理ラインは土曜日にもかかわらずフル稼働の状態だった。粗選別した廃棄物を二十メートルの大型のベルトコンベヤで最上部まで持ち上げ、クラッシャーで破砕してからトロンメル(ふるい)選別を行い、水平のベルコンに流して手選別で金属とプラスチックをよりわけるラインだった。ベルコンの長さが半端じゃなく、鉄製の階段を登って最上部に立つとまるでスキーのジャンプ台を見下ろすような感じがした。クラッシャーは掃除をしたことがないのか粉塵が分厚くこびりついていた。その先の選別ラインも意外なほど長かった。高度な処理施設は何もなかった。それがかえって設計者の思想を感じられる現実的な建設系廃棄物処理ラインだった。設計のよい施設ほど実際に使うと効率が悪い。残念ながらベルコンに乗って選別ラインに流れてくる廃棄物よりもブルドーザで踏み潰しただけで出て行ってしまう廃棄物が何十倍も多いようだった。
伊刈は本牧の埋立地にパジェロで移動した。レーベルは資金力に物を言わせて臨海の工専(工業専用地域)を取得し、別法人のCRSを創業していた。レーベル本牧工場というのはCRSの通称だった。設計者の万年がレーベルの経験を生かして手選別をさらに充実させた施設はまだオープン間もなく場内はピカピカだった。さらにレーベルの大蓮社長は住民の反対運動により建設が中止れていた秋田の最終処分場計画地を買収し、住民の懐柔に成功して能代クリーンステーションとしてオープンにこぎつけ、グループ三社体制を整えていた。万年は産廃の素人と評したが経営感覚は優れているようだった。
CRSの社長室で伊刈は大蓮に面会した。ここで執務する気はないのか産廃業者の社長室には似つかわしくない安っぽい書斎のような部屋だった。
「今日は非公式ですから安心してください。しかし問題点は改善すると約束してください」
「東京工場に行ったそうですね。お人が悪いなあ。わざと間違えたふりをされたそうじゃないですか」大きな地声で大蓮社長が言った。
「ほんとにうっかりしたんですよ」
「それで向こうの様子はどうでした」
「ちょっと荷が多すぎるでしょうね。売上高はどれくらいですか」
「グループで百億円まであとちょっとです。目標は二百億円です」
「一日四十トンという処理能力から計算すると東京工場の適正な営業規模はせいぜい五億円ですよ」
「それはいくらなんでも少なすぎやしませんか。昨年は四十億円ですから」
「収集運搬を加えてもせいぜい十億円ですよ」
「受注を減らせということですか」
「グループ三社の決算書をご用意いただけましたか」
「わかっております」大蓮社長はまるで銀行員にでも提出するように法人税申告書をそのまま伊刈に渡した。伊刈はざっと決算書を点検した。
「本牧工場の土地と設備はレーベルの資産として計上してからコンテンポラリーに賃貸借する形にしているわけですね」伊刈の口ぶりはまるで監査法人の公認会計士のようだった。
「実績のない新会社では銀行からの借り入れがムリでしたからね」
「グループ三社の有利子負債が百億円を超えてますね。ちょっと借りすぎじゃないですか。連結売上高よりも負債が二倍も大きいというのは無謀ですね。別会社にしている本牧工場は固定資産が全くないし、秋田も自己資本比率は十%以下です。財務内容が三社でかなり偏っていますよ」
「税理士からも同じ指摘を受けております。持ち株会社を作って財務を整理しようかと思っているところです」
「三社とも社長は同じで株式もすべて社長お一人がお持ちのようですね」
「さようです」
「これですとグループの中の一つの会社の許可がどこかの一つの都県で取消されるとグループ全体に取消が連鎖して全滅になります。せっかくグループ会社に分けているのにリスクが分散されていません」
「神奈川も秋田も銀行がどうしてもレーベルでないと融資しないということでしたのでこうなりました。それはそうと今回の犬咬の処分はどうなるでしょうか」
「正直なところこのまま手を打ちませんと本課は許可を取消すでしょうね」
「伊刈さん、ざっくばらんに申し上げます。先生を使ってはどうでしょうか。うちの社員に元首相クラスの先生の縁者がおりまして頼もうかと思っているんです」
「産廃に政治力は効きません。発覚したら政治生命を絶たれますから不法投棄のもみ消しに動いてくれる先生はいません。金だけもらって動かない捨て金になりますよ」
「そうですか先生はだめですか。それじゃどうすればいいでしょうか」
「右翼の動きはどうですか。まさか右翼に相談などしていないでしょうね」
「逆ですよ。毎日ゆすられてます」大蓮は万年と同じ事を言った。
「産対課で行政処分を担当している宮越についてなにか聞いていますか」
「はったりだとは思いますが、あいつを殺してやるから一億円よこせなんて言われてます。とんでもない連中でして」
噂が大蓮まで届いていることを知って伊刈は一呼吸置いた。「大蓮さん、これからまじめに業務改善に取り組んでいただけると約束していただけるなら一つだけ妙案があります」
「なんですか」
「犬咬の収運の許可を自主返上してください。うかうかして犬咬の許可が取消されますと他都県の許可も連座します」
「工場がない犬咬の許可がなくなるくらいならたいしたことはないですね」
「行政処分逃れの自主返上というやり方は実は問題になっていて早晩禁じ手になります。今のうちならまだできます」
「どうしてそんなこと教えていただけるのですか」
「工業団地裏の現場を撤去してくれたお礼ですよ」
「わかりました。恩に着ます。私もお礼をしないといけませんね。いかほどご用意すればよろしいですか」
「とんでもない。お礼なんて千円でもいただいたら首が飛びます。今までの経験を生かしていい会社になってください。ほとぼりがさめたからといってまた犬咬で許可を取りなおそうなんて思わないでください。レーベルが犬咬で犯した罪は百年たっても消えません。だってレーベルが持ってきたゴミは百年後にも犬咬にあるんです。決して犬咬に戻らないと肝に銘じてください」伊刈は話を打ち切って立ち上がった。
「わかりました。孫子の代まで犬咬には行かないと約束します」大蓮社長は安心したような顔に戻って伊刈を見送った。
翌日再び横嶋から電話があった。「伊刈さんどうですか。宮越さんはレーベルを諦めましたか」
「どうでしょうねえ」
「はぐらかさないでくださいよ。私の知るところ聴聞の期日が決まったようですよ」横嶋にはどんな情報源があるのか宮越の動きをよく知っていた。
聴聞が決まったというのは伊刈には寝耳に水だった。宮越は伊刈に対して徹底して情報を遮断するつもりらしかった。聴聞は軍法会議と同じで主催者が判事と検事を兼ねるから結果が覆ることはない。聴聞通知が出されてしまえば許可取消の最終意思決定があったのと同じだった。宮越の動きを封じ込める術はもうほとんど残っていないと伊刈は悟った。
「Xデーも決まりましたよ」
「どういう意味ですか」
「聴聞の前日、つまり三月二十一日に暗殺指令が実行されますよ」
「ほんとですか」
「私が嘘を言ったことがありますか」よく言うものだと思った。横嶋から嘘以外の言葉を聞いたことがない。
「もっと具体的にわかりますか」
「手口は私にもわかりません。殺さずに拉致するだけかもしれない。とにかく聴聞の前日に何か起こりますよ。その前に手を打っていただかないととんでもないことになります」
「この間も聞きましたが、どうしてそれを教えてくれるんですか」
「宮越さんもかわいそうだし私たちも困りますよ。お役人様の殺しなんか起こったら警察だって本気になるでしょう」
「なるほど」どうせもう犬咬では仕事ができない横嶋に言われてもあまり説得力のある説明ではなかった。それでも伊刈は一応納得したふりをした。
「ご本人に伝えるのはなしですよ」
「どうして」
「かえって意地になるでしょう。お二人はお仲がよろしいようだから」横嶋は宮越が伊刈に敵対心を持っていることまで承知の上でわざと伊刈に宮越の暗殺指令があるとほのめかしているようだった。
横嶋の狙いは何か必死に考えたがわからなかった。
伊刈に許可の自主返上を約束したレーベルの動きは鈍かった。伊刈が否定した政治力に頼ろうとしている節も伺われた。たまりかねた伊刈は大蓮社長のマンションを訪ねることにした。大蓮は年齢に似合わないBMWアルピナB6カブリオを自ら運転して地下鉄神谷町駅の出口で伊刈を出迎えた。都心とは思われないこんもりとした林の中にアルピナが消え、バブルの絶頂期に開発された都心に数ある億ションの中でも最高峰の一つに数えられる比良緒ガーデンの贅沢な部屋に案内された。
「許可の自主返上はどうされたんですか。もう時間がないですよ」伊刈は改めて大蓮に促した。
「お願いしていた先生が心臓で入院しちゃいましてね、献金がムダになりましたよ」大蓮は鷹揚に笑った。やはり政治力を使おうとしていたのだ。
「先生を使ったらだめだって言ったじゃないですか」
「でもねえ大丈夫だって言う人がいたから」どこまで他力本願なんだと伊刈は呆れた。不法投棄もこの調子で社員まかせにしていたに違いない。
「先生って呼ばれる人はね、仕事とお金が別腹なんです。お金をもらって仕事をしたら収賄罪ですからね。まして不法投棄のもみ消しなんてどんなにお金を積まれたってやりませんよ。表に出たら大変なスキャンダルですから」
「そんなものですか」
大蓮社長はようやく伊刈の説得に納得し、目の前で弁護士に電話をかけ始めた。「ああ先生、例の件ですがね、明日にも廃業届けを犬咬市庁に提出してもらえますか。ええいいんですよ、もう覚悟を決めましたよ」
伊刈はきわどい仕事に胸をなでおろした。
「ステーキでも食べていきませんか。このあたりは大使館が多いのでね、肉のうまい店がいろいろありますよ」
「とんでもない。これで失礼します」
「そうですか」大蓮は残念そうだった。「伊刈さん、いっそ市をお辞めになってうちの会社に専務で来ませんか」
「許可がなくなるかもしれない会社の専務ですか。社長を任せると言われてもお断りします」
「それはそうですよねえ」許可返上を決意したばかりの社長とは思えない鷹揚ぶりだった。
翌日、レーベル顧問の斗浦弁護士が産対課に収集運搬業の廃業届けを提出した。窓口に出た宮越は受理を拒否しようとした。しかし斗浦は行政手続法を持ち出して粘り渋々受け付けさせた。犬咬市の許可返上が認められてレーベルは危機を脱した。目前で大魚を釣り逃がした宮越は自身の暗殺計画があったことなどつゆ知らなかった。レーベルが許可を自主返上したという知らせは環境事務所にはなかった。伊刈は珍しく自ら本課に出向いてそれとなく事情を確認した。宮越は眉間にしわを寄せていた。
本課からの帰りがけ伊刈は市庁舎近くの老舗の喫茶店に寄った。看板の水出し熟成珈琲は沸かし直しのえぐい味でせっかくの古豆の風味が台無しだった。冷ましたコーヒーをウィスキーのようにちびちび飲みながら、これまでの経過を一人で振り返った。結果的にこれは横嶋の思惑通りの結果なのではないかと疑った。横嶋がどこから金を引き出そうとしていたのか、あるいはまんまと引き出せたのかは見当もつかなかった。まさか何度も横嶋に騙されている大蓮が懲りずにまた横嶋に仲介を頼んだとも思われなかった。金にならないおせっかいなど焼く玉ではない。今回もきっと一儲けしたんだろう。宮越暗殺計画なんてほんとうは根も葉もない捏造だったのかもしれない。騙されても騙されてもまた騙されてしまう、そんな本物の詐欺師に出会ったことを伊刈は悔やんでなかった。




