最後の火災
「えらいことになりました班長」土曜日だというのに長嶋が珍しくあせった声で伊刈に電話してきた。「小磯工業団地裏の現場で火災っす。黒煙がすごいんすよ。仙道技監はもう現場に駆け付けたそうっす」
「大きな火事なんですか」
「今はまだ小火だそうっす。でもでっかい現場っすからね。奥のほうは覆土を全然やっていないすから燃え広がるのは早いんじゃないすか」
「わかった。すぐに行くよ」伊刈は自家用車のパジェロに飛び乗って着の身着のまま現場に急行した。
現場周辺の道路は消防のホースからの漏水で水浸しにもかかわらず火事場見物の野次馬がつめかけていた。伊刈は離れた場所に車を停めて小走りに現場に向かい身分証を見せて封鎖線を越えた。火災現場では犬咬消防署から消防車四台が出動して放水を続けていた。出火場所は不法投棄現場の一番下の南側斜面だった。風が吹き込む方から炎上するかもしれないという大室班長の杞憂が現実になってしまった。放水を呆然と見守っている伊刈を見つけて長嶋が近付いてきた。
「どっちみち火災を止めることはできなかったみたいっす。こうなる前に何か月も中でくすぶってたらしいっす」
「証拠調査をしてる間も燃えていたってことか」
「そおっすね」
火の勢いが弱まるのを待ってその日は引き上げ、週明けに改めて状況を調査することにした。
月曜日、保全班の大室の協力も得て環境事務所総動員で火災現場の環境調査を実施した。
「すごい、出火場所からこんなに離れててもゴミの表面温度が七十度を超えてますね。出火場所の近くでは八十度以上、蒸気が噴出しているホットスポットではなんと95度でした」大室が滅多にできない調査に興奮した声で言った。
「つまりどうなるんですか」伊刈が尋ねた。
「内部で莫大な量の廃棄物が燃えてるんです。西側の谷津から風が吹き込んで風道ができたために火の勢いが増したんですね。西側は覆土が全然ないし、燃えやすい木くずやプラスチックが多いし、いろいろ悪条件が重なっているようです。こうなってしまうと放水だけで消し止めることは不可能だと思います。ゴミの厚さは二十メートルです。消防車の放水は一メートルくらい下までしか届かないんです」大室班長が興奮した表情で説明した。
「消防車じゃ焼け石に水ってことか。一台たった二トンだもんな」
「ダムの水でもないとムリですね」
「水道ダムはあるけどちょっと遠いな」
「どっちみち水道ダムは消防に使えないっすよ」長嶋が言った。
「ガスはどうだったんでしょうか」遠鐘が大室を見た。
「硫化水素と塩化水素の濃度が高いですね。一酸化炭素も出てます。民家が近いから、このまま燃え続けると健康被害が心配なレベルです」
「避難が必要かな」
「それまでの濃度じゃないと思います。火災さえ収まれば温度が下がってガスは下に流れます。住宅のある高台に空気より重い硫化水素は行かないです」
「消す方法は?」
「それは僕の専門じゃないのでなんとも。ただこういう現場でいったん火災になったら長期化します」
放水によって一時的に火の手が収まっても放水をやめればまた翌日には再燃するという繰り返しで鎮圧が難しいことは木くず現場の火災と同じだった。空気の通り道が風上から風下へ抜けてしまい、木くずの山全体が大炎上したキング土木やフジシロ産業とは違い、この現場は風の吹き込みが一方向に限られていたのが幸いしてすぐに大炎上する危険は少なかった代わり火災は長期化しそうだった。
「伊刈、おまえならどうする?」燃え続ける現場を見ながら仙道技監が聞いた。
「撤去しようと思います」
「代執行の予算はすぐにとれないぞ。それに全部撤去するとなると何十億円かかるかわからん。そうなると財政課や議会に諮らんといかん。国の補助金や基金を使えと言われたら何年もかかるぞ」
「予算を組むまで待てません。現場でなんとかしますよ」
「なんとかするってどうする気だ」
「やれるだけのことをやってみます」伊刈は勝算があるようにきっぱりと言った。
監視班四人だけのミーティングが開催された。
「小磯工業団地裏の調査結果を大至急まとめてほしいんだ。これまで撤去を約束させた業者はどれくらいあるかな」伊刈が口火を切った。
「まだ十一社です。楽田ウェイスト、山代商店、くるみ興業、北関東物産、レーベル、以上の五社はこれまでの撤去の常連です。あと初めて名前の出た会社が六社あります。調査が終わってない証拠がまだありますから時間があればもう少し業者は増やせると思います」遠鐘が報告した。
「一社平均十台として百十台、千百トンぽっちか。全然足らないなあ。二十万トンだからな」
「排出者撤去をやってはどうですか。県庁はやってるみたいですし本課もやれと言ってるし」喜多が言った。
「排出者が不法投棄やったんなら撤去させるけど罪のない会社に撤去はさせられないな」伊刈が答えた。
「でも法律で排出者責任が規定されていますし、今度の改正法で原因者撤去が難しい場合は排出者撤去ができるようになりました。環境省も県庁も原因者撤去を強化するって方針です」喜多が正論を述べた。
「法律がどうあろうと許可のある業者に頼んで契約書もマニフェストも作り処理料金もちゃんと払ってるのに不法投棄されたらむしろ被害者じゃないか。国がどういう考えで法律を作ったか知らないが被害者撤去は正義に反するんじゃないか。事態を変えていくのは法律じゃなく正義だよ」
「でも班長、この際そんな正義論を言ってる場合じゃないと思います。法律的には可能になってるんです。排出者なら百社以上特定できてます。大企業も多いですし百台ずつやらせれば一万台になります。深ダンプ一台三十リュウベですから三十万リュウベになるじゃないですか」喜多が反論した。
「法律だって不法投棄をやった会社にまず撤去させるのが原則なんだろう」伊刈は苦渋の表情で答えた。
「事態が事態ですから排出者に対する協力要請ってことでどうでしょうか。喜多さんが言うとおり排出者は百社以上特定できてますし資力のある大企業も多いんです。他県の例ですと一社一千万円から一億円の協力を求めてるそうです。百社なら平均三千万円で三十億円になります。お願いしてみる価値はあると思います」遠鐘も喜多の意見に賛成だった。
「長嶋さんはどう」
「俺には意見はないす。班長に従います」
「法律や他県の指導がどうなってるか知らないけど排出者撤去はやっぱり被害者撤去だと思うよ。いくら背に腹は代えられないといっても僕にはできないな。原因者の十一社になんとかさせよう」
「百台撤去させたって火災は消えないと思います」喜多があくまで伊刈に抗弁した。
「わかってるよ。だけど今できることはそこまでだ。やってみないよりはいい」
「筋を通すってことっすね。俺は班長に賛成します」長嶋が伊刈の気持ちを代弁するように言った。
「どうやって十一社に撤去を命令しますか」遠鐘が頭を切り替えて事務的な質問をした。
「十一社を集めて第三回サミットをやろう。前にやったみたいな説明会だ。今回は排出者には声を掛けない秘密会でやる。撤去に協力すれば行政処分はやらないって説明するよ。それで常連は一社二十台協力してもらう。初回は十台にしよう」
「司法取引ってことですね。本課が納得するでしょうか」喜多は不満そうだった。
「本課には話が決まってから報告すればいい」仙道技監がミーティングに介入してきた。「これだけ騒ぎになってれば住民説明も必要だし、マスコミにも発表する必要がある。どっちみちバレるからプレスには内緒にできない。本課に相談すると時間がかかるからぎりぎりのタイミングで決まった話を上げる」
「鎗田次長にまた睨まれますね」伊刈が皮肉を言った。
「大丈夫、市長の前ではなんでも自分の手柄にしちゃう人だよ」仙道も本音の皮肉を返した。




