ワタシにとっての現実
5月下旬。日差しが眩しいある火曜日の午後。
ワタシは、当時ユキ社長からのお下がりで貰った、黒の”いすゞ・ピアッツァ”を自ら運転し東京山の手にある有名高級住宅地を走っていた。
数か月前、短大を卒業した際、約2年間お世話になった北区王子の叔父の家を出て、吉祥寺の賃貸マンションに引っ越ししたワタシだが、本来この時から一人暮らしをすることにしていた。ところが、高校時代からの後輩、『来栖香奈』の都内での下宿先が、急遽、取り壊しとなり、彼女は移る先がなかったことを聞き、取り敢えず、彼女と一緒に住むことを提案し、吉祥寺でも駅に近いマンションで3LDKを借りることが出来た。
同居する際、香奈は「先輩の為なら、家事でも何でもします!」と言っていたが、彼女は当然学生でもあり、また、モデル業を始めて1年、『東京コレクション』の幾つかのショーもこなし、その上、雑誌関係の仕事も多くなったため、お互いがマンションで会うことも少なく、寧ろ私の方が、家事洗濯等をやっている。
また、ユキ社長から事務所に入った時の命令で「短大を出るまでは運転はダメ!」と言われていた。
ワタシは、短大に入学して直ぐ普通免許取得した。つまり、事務所に入る前から免許は持っていたのだ。
だからこの事についてだけは、ユキ社長と言い争うことが多かった。
ワタシは、自動車免許を早い時期に取った理由は、”他人の運転する車にはタクシー以外絶対乗らない!”と言うポリシーを持っていたからである。これは、尊敬し憧れる亡きモデル『飯島久仁子さん』を反面教師しているからだ。
どんなに素晴らしいセンスを持ったモデルでも、一瞬にして命を奪われる自動車事故。自分にモデルとしてのセンスがあるかではなく、”自分が必死に努力している時に他人の車で大事な人生を終わらせたくない!”と常々思い、ユキ社長にも訴えてきたが、結局、認められなかった。と、言うか、短大時代の移動は全て電車、バス、そしてタクシーに限定されたからだ。駆け出しだったことや、ユキ社長にどれだけ面倒を見て貰ったかを考えるとただの我が儘でしかなかったと今では思う。
だからこそ、短大を卒業したと同時に、ユキ社長からプレゼントとしてこの2年落ちの『黒のピアッツァ』を譲り受けた時は涙が出るほど嬉しかった。
『黒のピアッツァ』を貰ってからは、公私に於いて全て自分で運転し移動している。
今までもそうだが、男性から誘われるデートであっても、絶対に相手の運転の車に乗らない。そしていつも、約束した場所でしか会わないことにしている。
だから、今日もそうだ。
これから、この街の公園で仁兄に会う。待ち合わせ場所は、仁兄が指定している『公園の赤い橋の下』だ。
「オレの車で一緒に移動した方が早いんだよ!面倒くさいだよ、ハルカは!」と、何時も言われるが、ワタシは相手が誰であっても変えることはしない。そう言う訳で今回も、『一番車が止めやすく分かりやすい場所』だけを半ばワタシに対して諦めている仁兄が伝えてきた。
商店街の通りから右に曲がり細い路地をゆっくり走る。目の前に緑に染まる小さな山が見えてきた。そこがこの街の公園だ。山状になっているが公園の規模としてはかなり大きい。そして、この公園は2つに分かれている。分かれている間に小さな赤い橋が架かっており、その真下の通りまで来ると、目の前にハザードランプを点けている見慣れた赤い『アウディ・クワトロ』が止まっていた。
仁兄の車だ。既に仁兄はサングラスを掛け車を降りて、ワタシの車を確認し右手を挙げていた。
「お待たせ、仁兄!」
ワタシもサングラスを掛け、車を降り、仁兄の所へ歩み寄った。
「よっ!ハルカ、ここがどういう所かは解かるよな?」
「ええ。久仁子お姉さんが生まれ育った街でしょ。」
実は、ワタシがこの街に来るのは初めてではない。短大が決まり、高校を卒業する頃に、一度どうしても『飯島久仁子』と言う憧れの人が触れた街を知りたくて来た事がある。
その時はただ来ただけで、何をするわけでも無かった。ただ解ったことは唯一、”久仁子お姉さんのご遺族はもういない”と言うことだけだった。
「まあな。でも、ハルカが一番知りたがっているのは『飯島久仁子の素顔』だろ?」
「勿論よ」
「じゃあ、行こう!」と、仁兄は言い、二人で通りから公園内に入る階段を登り出した。
勾配のある階段で登り切った時には少し息が切れた。登った階段の左手に、車から見えた『小さな赤い橋』がある。仁兄はその橋の真ん中辺りまで行き、欄干に片手を置き、もう片方の手でワタシを手招きし、ワタシも欄干に向かった。
「この橋の名前『虹橋』って言うんだ。久仁ちゃんは子供の頃から一人でここに来て、星を眺めたりすることが好きだったらしい。」
「星?」
「だったみたいだ。オレも人伝なんで。でも、そういう事が好きそうなロマンチストだったのは間違いないよ」
「それはワタシも感じていたわ」
「ただ、久仁ちゃんが中学生になった頃から、『一人で星を眺める』だけの場所じゃなくなったんだよ。」
「それって?」
「そう、彼氏が出来た。彼氏とデートする場がここだったんだよ。」
「その彼氏って、一緒に亡くなった俳優さん?」
「いや、圭ちゃんじゃないよ。皆、誤解しているけど・・・。久仁ちゃんと圭ちゃんは付き合ってはいなかった。」
「えっ。そうなの?」
この仁兄の話しには正直驚いた。ワタシは『飯島久仁子さん』の最後について、色々なマスコミから、本人が亡くなったにも関わらず、彼女に対する激しいバッシングがあったのを覚えている。
当時、高校生になったばかりのワタシはファンとして物凄く心が痛んだ。
車を運転していた、アイドル俳優『高部圭太』との関係で、毎日のようにテレビのワイドショーで取り上げられ、週刊誌にも色々と書かれていた。
”高部圭太、無念の死。裏に、同乗していた女の魂胆”
”売名行為が生んだ高部圭太との死のドライブ!”
”色仕掛けでアイドル俳優を口説き、成り上がった短大生モデルの悲劇”
等々。
今、ワタシも芸能世界に入ったことで解かるようになったが、この時の『飯島久仁子』と言う人の芸能界での立ち位置と、既に長年アイドルでスターだった『高部圭太』との立場の差が生んだ悲劇の事故だったと思う。
モデルとしては抜群に輝き、飛ぶ鳥を落とす勢いでいた彼女だが、老若男女が知っている『高部圭太』とは人気・知名度からすれば彼女は未だ『素人』と変わらなかった。だから、世間では素性の見えない彼女を悪者することで、スターだった『高部圭太』を守ったのではないかと何となく感じている。
「そう言えば、仁兄と久仁子お姉さんが付き合ってたって事も週刊誌に書かれていたよね。」
「書かれたね。彼女が亡くなった後だ。でも全てデタラメ。それを書かれてから、オレは彼女の事を世間に話すを止めたんだ。」
「なんで?そのことはハッキリした方が良かったんじゃないの?友達だったことは間違いないでしょ?」
「友達は間違いない。でも、正確に言うと、元々は、久仁ちゃんの彼氏の友達だったんだよ。」
「じゃあ、その彼氏って誰よ?」
「『水島雄一』。オレの高校時代の大親友。彼と久仁ちゃんは中学から付き合っていたんだよ。」
『水島雄一』。久仁子お姉さんが亡くなって5年。初めて聞いたお姉さんの『彼氏』の名前だった。
ただ、未だ個々の繋がり良く分からない。特に、『水島さん』と言う彼氏がいたにも関わらず、何故、久仁子お姉さんは『俳優・高部圭太』とデートをしていたのか?そこが見えないと、逆にワタシの中では久仁子お姉さんに対する不信感が生まれる。
仁兄はその後、不器用な言い方だったが、久仁子お姉さんとの出会いからを教えてくれた。
「オレが初めて水島とあった時、ヤツに中学2年から純愛している彼女とのことを聞いたんだ。オレはさ、ずっと子役から芸能界にいたから正直、実社会でそんな青春しているヤツがいるなんて、最初は全く思っていなかったよ。で、高校1年の夏、水島と都内のプールへ行った時に久仁ちゃんと初めて会ったんだ。その時は未だ、久仁ちゃんは、モデルも芸能界も全く興味の無い普通の高校生だったんだよ。でも、凄く輝いてる子で、純粋過ぎる位純粋で、水島との関係に納得出来たんだ。ただ『芸能界が絶対ほっとく訳がない!』って直観で思ったよ。」
「その水島さん?っていう人は、どんな男性なの?」
「面白いヤツだよ。でも、久仁ちゃんに対しては凄く真面目だったな。此の侭、2人共純愛して行ければ、何時かはきっと結婚するだろうなと思っていたよ。でも・・・。」
「でも?」
「やっぱりオレの直観が当たったんだよ。高校2年の時、久仁ちゃんがセイント企画にスカウトされて、ハルカも知っての通り彼女はこの世界で伸びて行った。そこから少しずつ、2人の関係がズレて行ったんだ。」
「まあ、どちらかがこの世界の入れば、それまでとは全く変わるからね。でも、ワタシが知っている『久仁子お姉さん』って人は裏表のある人には見えなかった。今、ワタシもこんな感じでこの世界で生きているからだけど、先ず、彼女のような人は他にいないわ。だからこそ、『高部圭太さん』との突然の事が理解出来ないの」
「あのことは・・・」と言い、仁兄は一呼吸置いて水島さんのことを続けた。
「水島と久仁ちゃんとの関係がおかしくなったのは、水島の留学が原因なんだよ。」
「留学?」
「水島は高校を卒業した後、アメリカの映画専門学校へ留学したんだ。それでも2人は付き合う事を誓い合っていた。高校卒業して直ぐ、車で1泊2日の『2人だけの卒業旅行』で今一度確認したって言っていた。あの時、確か行先は、房総半島だったはずだよ。」
ワタシは仁兄の話しの内容だけを気にしていた。だから、自分に関わる大事なところに気が付くまで少し時間が掛かった。
「仁兄、今・・・。なんて言ったの?」
「ん?『2人だけの卒業旅行』か?」
「違うよ、その後。2人は何処へ行ったの?」
「1泊2日の房総半島だけど?」
「ねえ。その時どんな車に乗っていたか聞いている?」
「ああ、確か・・・幌のあるスズキ・ジムニーじゃなかったかな?確か水島が叔母さんから借りた車だったはずだよ。」
「『小型のジープ』・・・。ジムニーなのね?」
「ジムニーは間違いないよ!」
ワタシは本来聞きたい話からは外れていたが、ここでワタシが『飯島久仁子さん』に対して持っていた最初の疑問が解けた瞬間だった。
「仁兄、その『2人だけ卒業旅行』だけど。ワタシね・・・。その時、木更津で2人に会っているよ。」
「えっ?そうなのか?なんで?」
「だって2人でワタシの実家の食堂に来て、昼食取ってたんだもん。その時、久仁子お姉さんと初めて会って、お話ししたの。それが・・・ワタシの・・・この道への原点だよ。」
ワタシは、掛けていたサングラスの下から涙が流れていくことを感じていた。
「ただね」
「うん」
「水島さん?だよね。彼の顔とか全く覚えてないの。確か、あの時、久仁子お姉さんは水島さんの事を『運転手』ってワタシに紹介したはず」
「運転手かあ。はっは。今度会ったらその話をするよ。」と仁兄は笑ったが、直ぐに話を戻した。
「結局、付き合う誓いも、確認も、何れ訪れる『別れ』をお互い感じ取っていたからだ思うよ。」
「そうなの?」
「水島が留学を終えた帰ってきた後、そんなこと言ってたし・・・。それに・・・、久仁ちゃんが最後に水島に送った手紙が別れを前提にした話しだったみたいだし・・・。」
「手紙があるんだ。」
「そう、オレはその手紙を見てないけどね。水島にとっては『遺書』みたいなものだと聞いたよ。それ以上は、いくら親友でも深入りできないだろ。」
水島さんと久仁子お姉さんの関係、それはワタシが2人と木更津で会った時、2人の思いは、複雑だったのかも知れない。それを考えると、あの時、有頂天になっていたワタシに優しく、にこやかに接してくれていた、久仁子お姉さん。あれは、素なのか、それともプロ意識だったのか?気になる。
仁兄とワタシは、橋から南側の公園へゆっくり歩き始めた。
そして、ワタシが一番聞きたかった話しを仁兄が始めた。
「さっきも言った通り、圭ちゃん、高部圭太君と久仁ちゃんは付き合ってはいない。ただ・・・。」
「ただ、何?」
「圭ちゃんは、久仁ちゃんの事を好きになっていたかもしれないなあ。」
仁兄の話しでは、『高部圭太さん』と久仁子お姉さんはCMの仕事で共演したことが出会いだったそうだ。
化粧品のCMで全てが沖縄ロケ。勿論、メインは『高部さん』だった。
「その時の撮影が荒天もあって、2人共、沖縄に10日間位滞在させられたらしいんだ。圭ちゃんが久仁ちゃんにチョッカイ出したらしいんだけど、久仁ちゃんから全く相手にされなかったって聞いたよ」
「それって、高部さんは久仁子お姉さんを好きになっていたって事じゃないの?」
「それは・・・、トップアイドル俳優だった彼からすれば、初め、声を掛ければ、直ぐついてくる『いい女=遊べる女』としか思っていなかったんだよね。でも、久仁ちゃんは本当に純粋だったし、真面目に彼氏の話しや、生き方を圭ちゃんにしたそうだ。それと、芸能界での一番の親友がオレとか言ったらしいんだよな。」
「お姉さんらしいね。」
「圭ちゃんにとって、久仁ちゃんの口からオレの名前が出たことが驚きだったみたいだよ。圭ちゃんはさあ、確かオレより年齢は1つ上だったはずだよ。でも、この世界での芸歴はボクの方が上なんで、共演した時とかは、オレに対して気を使ってくれてからね。だから、その沖縄の撮影が終わった後に、オレに電話してきて『仁ちゃん、凄いモデルと知り合いなんだね!あの子はいいよ、最高!』って何度も言っていたよ。だからと言って、圭ちゃんは久仁ちゃんと遊ぼうとか、付き合うとかその後は少しも考えていなかったよ。どういう女性か分かったから、彼のプライドとしても口説く気にはならなかったんだよ。」
仁兄のこの説明はハッキリ言って良く分からないものであった。ただ分かったことは、『高部圭太さん』は、久仁子お姉さんと付き合ってはいない。これは事実のようだ。
そして、ワタシは確信を聞いた。
「じゃあ、なんで『あの事故』が起こったの?」
「あれは・・・。本当は・・・。圭ちゃんとではなく、オレとのドライブだったんだ。」
「えっ、どういう事?どういう事なの、仁兄!」
「実は・・・。」と話し出した仁兄の口が重い。
それは・・・それは、偶然と偶然が重なり合った結果、生まれた究極の不幸だった。
その当時、久仁子お姉さんは、増えていく仕事とプライベートの問題との間でかなり悩んでいたそうだ。
事故にあう数か月前から、久仁子お姉さんは、この年の夏『水島さん』に会う為、アメリカへ行く計画をしていた。しかしその後、同時期にヨーロッパでの雑誌撮影の仕事を事務所が入れてきた。普段、仕事やプライベートについて文句を一切言わなかった『久仁子お姉さん』だが、この時初めて事務所と揉めたそうだ。そして、久仁子お姉さんは、一時モデル・タレント業を辞めるとまで言ったそうだ。その時、相談に乗ったのが、仁兄と『高部圭太さん』だった。
仁兄も高部さんも、久仁子お姉さんへ感情的にならない様にアドバイスしていたそうだ。しかし、お姉さんにとって『アメリカ旅行』は水島さんとの関係を唯一繋げられる術として捉えていた為、当初は、譲ろうとはしなかった。
ところがある日突然、お姉さんは豹変する。
「あれは、オレ、本当に驚いたよ。突然、『アメリカには行かない。ヨーロッパへ行って仕事をする!』って言いだしたんだ。」
「なんで?」
「それが・・・。久仁ちゃんの短大の友達がロスに行った際、その子のロスに住んでいる友達から『この辺りに住んでいる留学生の中で”水島”って男が、留学し始めた女性を片っ端から口説いて遊び捲っている』って聞いてきたんだよ。その頃、水島と久仁ちゃんとの手紙がかなり減った頃で、久仁ちゃんが何度、国際電話をしても水島が捕まらなかったそうだ。」
「えっ、それって本当の話しなの?」
「いやいや、『水島雄一』はそういう奴じゃない。全て誤解なんだ。オレがそれを分かったのは水島が帰国してからなんだけどね。なんと、もう一人の『水島』がロスに存在していたんだよ。その『水島』は、何処かの社長の息子で留学なんて名目だけで、ロスで遊び捲っていたそうだよ。」
「じゃあ、電話が繋がらなかったことは?」
「それは、水島雄一が通っていた学校が研修、合宿等が多くて、ヤツが下宿先にいる時間が余り無かったからだよ。久仁ちゃん限らず電話自体を取ることが出来なかったことをオレは水島から聞いているよ。」
「そうなの。」
「久仁ちゃんは誤解していたんだけどね。でも彼女自身、モデルやタレントとしての立場も上がって来ていたし、本気で仕事に向き合う覚悟が出来た時だったのかもと今は思うよ。それが言葉として『もう、雄一だけに拘りたくないよ!』なんて言いだしたからね。」
その後の久仁子お姉さんの人柄も変わって行ったそうだ。
仁兄や高部さんへ「ねえ、ドライブ連れってよ!」と自分から言ってくるようになった。
仁兄は、「水島のことは、久仁ちゃんの誤解だと思うよ。ヤツはキミを裏切ることは絶対ないよ。もう少し冷静になりなよ。」と、説得したそうだ。でも、お姉さんは聞く耳を全く持ていなかったという。
そして、久仁子お姉さんが事故で亡くなる3日前、仁兄はお姉さんから、赤坂にあるホテルのラウンジに呼び出され、いきなりの話しに仁兄は戸惑ったそうだ。
「仁ちゃん、テレビの収録が明日、明後日あるんだけど、それが終わったら暫く仕事はお休みなの。学校には1週間後から行けば問題ないんだ。だから、もし仁ちゃんも時間あったら一緒に2-3日旅行しない?」
「旅行?」
「あは、仁ちゃん、変な事考えたでしょ?別にかまわないけどね。」
「いや、それより驚いたよ。久仁ちゃんがそんなこと言うってさ。」
「へへ。色々考えているんだけどね。中々、答えが出なくてさ。ホントは。」
「やっぱり、水島のことか?」
「それだけじゃないよ・・・・。」
「日帰りだったら考えるよ。いくらなんでも、久仁ちゃんとは宿泊は出来ない!」
「分かったわ。じゃあ日帰りでいいわ。房総半島が良いかな? で、明々後日、時間取れる?」
「房総半島?それって。」
「いいの、房総半島で!時間取れる?」
「分かった。取るようにするよ。」
「じゃあ、お願いね。自宅で待っているから。」
仁兄は久仁子お姉さんの態度もそうだが、話の内容がショックで、お姉さんがホテルを出て行った後も、暫くラウンジで呆然としていたそうだ。
とは言え、仁兄はお姉さんと付き合い『日帰り旅行』を決めていた。
しかし、ここで運命の悪戯が起きる。
翌日、仁兄は、その年の夏からの予定だった映画撮影が、他の出演者の急病で急遽前倒しとなり、その夜に京都へ行くことになった。少なくても1週間は東京に戻れない。仁兄は、お姉さんに断りの電話を入れた。
「そう言う訳で申し訳ない。兎に角、オレが東京に戻ってきたら改めて話そう。日帰り旅行ももう一度考えるよ。」
「分かったわ。無理しなくていいよ、仁ちゃん。ありがとうね。」
「だけどさ、久仁ちゃん。」
「うん、いいの。圭太さんにも聞いてみる。もし圭太さんに時間があったら、彼と日帰り旅行してくるよ。」
「そうだな。圭ちゃんだったら、ある程度知っているからな。」
「うん。じゃあね。仁ちゃん。」
これが、久仁子お姉さんとの最後の会話だったそうだ。
そして、その2日後、久仁子お姉さんと高部圭太さんは、この世から去って行った。
今、ワタシは久仁子お姉さんが愛したその公園にいる。
彼女が亡くなって5年。穏やかで美しいこの公園の姿はきっと、生前、お姉さんが来ていた頃と、何も変わっていないんだろう。
ただ、彼女へ強い憧れを持って生きてきたワタシにとって、何故か空しく、悲しく見える。
それは、きっと『飯島久仁子』と言う人の生涯を全て知ったこともあるのかもしれない。
仁兄は、話を終えると南側の公園の階段を通りへ向かって降りだしていた。サングラスをしているが、涙が滲んでいるようにワタシは感じていた。
ワタシも勿論・・・。
そう、感傷的になっていた瞬間だった。
少し離れた森陰から、眩しい光が一瞬目に入った。
「仁兄!ヤバいよ!」
「なに?」
「写真誌だよ!」
どうやら、『マズイ人達』が付いてきてたようだ。
仁兄もワタシも、現実の立場に引き戻される。
それが、『現在の芸能社会』で生きる、2人の宿命でもあった。