ワタシにとっての試練
ワタシの『初パリコレ』は、自分でも信じられないくらい完璧だった。
終了後、友人であるカルラとジュリーもワタシに向かって親指を建てて祝福してくれた。
それは、ショーの直前になって演出家が急遽、モデルの出演順を変更したことにもある。
ワタシのトップスタートで、ショーは開幕した。これは快挙だ。
いくら日本人デザイナーであっても、このショーの演出はフランス人であり、フランス人の目線で制作されている。東洋系のモデルがスタートを切ることは、このショーでは今まで考えられなかったことだ。
「Bravo!」と飛び交う客席からの声、そしてエンディングにはデザイナーと腕を組みランウェイを歩くワタシは、一切のミスもなくやり遂げた。それは過去のモデル人生を含め、最高の時間であった。
「松山仁さんとのご関係は?」
会場を後にしようと屋外に出た際、大勢の日本のマスコミに囲まれインタビューを受けることになった。一通りショーの感想を聞かれ後、数人の『芸能レポーター』がワタシにこの質問をぶつけてきた。
「この世界の先輩として尊敬している方です。他には御座いません。」と言い残し、少し微笑み、足早にパリで所属するモデルエージェントの車に乗り、その場から立ち去った。
車に乗るまで、外見は明るく振舞っていたワタシだが、心の中でかなりイラついていた。『松山仁』に対して、恋愛感情は全くないのでそのことはどうでもいい。しかし、この最高の気分をぶち壊す『松山仁』の立ち回りのせいで誤解されることがワタシの『怒り』に繋がったのだ。
セカンドバックに入っていた『モデル・飯島久仁子』の雑誌の切り抜きを出し、話しかける。
”お姉さん、また、仁兄だよ。どうにかしてよ!”
ボロボロの雑誌の向こうにいる『久仁子お姉さん』は、困っているワタシに対して笑っているように見えた。
この問題の原因は全てワタシにある。きっと『お姉さん』も判っている。そう、高校1年の時将来に対して、ワタシが決意し計画したこと。
高校1年の夏、ワタシが将来に向けて決意した計画は5つある。
1.バレーボールで全国大会へ行き、どんな形でもいいから目立ちマスコミに取り上げられる存在になる。
2.マスコミに取り上げられたら、必ず「松山仁さんのファンです」と言い続ける。
3.バレーボールは高校3年秋の全国大会で引退した後、一切行わない。
4.出来るだけ早い時期から受験勉強を始め、必ず『久仁子お姉さん』が通ったO女子短大に合格する。
5.O女子短大に入学が決まったら直ぐにモデル・芸能事務所のオーデションを受ける。そして、モデルになって『松山仁』に会いに行き、『飯島久仁子お姉さん』の素顔を教えて貰う。
後から思うとホントに子供じみた発想だ。でも、これを実践したことが今日の『パリコレ』へ繋がったとも言える。
実行した計画で、1.と2.については、それ程難しいものではなかった。
先ず、年に2回ある高校バレーボール全国大会へ出場することが『一番目立つところ』と考えていたワタシにとって、強豪校に入学したことが幸いし1年の秋大会からレギュラーポジションで出場することが出来た。
センスなのか、才能なのか判らないが、必要以上に頑張らなくてもレギュラーを続けられたので、将来を考え、不必要とワタシが思う無理な練習はかなり手を抜いてやっていた。
そして兎に角、1番に気を付けたことは『テレビ中継』だ。
県大会は、準々決勝から地元局の中継が入る。なので、そこまでの予選段階では怪我等を避ける為、思い切ったプレーは一切しない。そして、中継が入る準々決勝からは、実際には簡単なプレーであっても派手に目立った動きをみせる。またユニフォームも一サイズ小さなものタイトに着用し、自信があった身体の線を意識的に露出させ、ジャンプした際、わざと”おへそ”が見えるようにもした。そして仕上げは、テレビカメラへの目線だ。プレー中ではなく、プレー外で撮られた際、少しカメラから視線を外し、下を向きはにかむ様な仕草をするようにし、少しでもテレビで可愛さを見せられるように努めた。
ただ、このような態度でチームとして試合に臨んでいることは周りにとってはとても迷惑なことで、監督、コーチ、そして先輩たちが良く思うわけがなかった。2年生になる前までは、監督や先輩たちに呼び出せれ、強く注意をされたことが何度もあった。でも、ワタシは受け入れることをしなかったし、する必要もなかった。と言うのも、ワタシのバレーボールの実力は他の人を圧倒していたことがすべてで、ワタシの『ワンマンチーム』と言われても過言ではない状態になっていったからである。そのため、2年生以降は、殆ど誰もワタシに注意するものがいなくなってしまった。
卒業まで、”バレーボールは将来への手段”と思うことによりチームメイトから疎外されていた事は否めない。でも、ワタシは試合中のプレーで結果を出し周りを納得させ、この考え方を全うして行っていた。
そしてその『努力』については、1年の秋の全国大会出場時に早々と実った。チームもこの時ベスト4まで行ったことも大きい。
スポーツ新聞や、月間のバレーボール専門誌等にワタシの写真とインタビューが載るようになる。
”美少女アタッカー、千葉に現れる!”
”今大会のフォトジェニックNo.1、大村遥!”
”バレー界の新星!千葉・木更津出身のチョット大人っぽいプリンセス・ハルカ。好きな俳優はズバリ『松山仁』”
こんな文字が並ぶようになった。
実際の所、『松山仁』なんて、好きな俳優でもなんでもなかった。彼の演技に興味を持ったことすらない。でも、『飯島久仁子』という憧れの女性の素顔を知っている『生き証人』は彼しかいないと信じていた。だから、インタビューを受けるたびに、「好きなタイプは、松山仁さんです!」と言い続けていた。
そして、2年の春の全国大会出場時には『アイドル選手』として扱われ、試合会場には大勢のワタシのファンが集まるようになった。
また、常にテレビカメラや、バレーボール誌以外の雑誌カメラマンも、ワタシに群がるようになり、通学中の電車の中でも色々な人から声を掛けれるようになっていた。
「先輩って、どうしてそんなに強いんですか?」
2年の夏休みを迎える少し前、バレーボール部の後輩1年生『来栖香奈』が突然ワタシに質問しに来た。
驚いた。『アイドル選手で一匹狼』のワタシは、その時完全に一人飛び抜けた存在で、同級生は勿論、先輩3年生も余りワタシに声掛けてくる人がいない状態だった。まして1年生にとってはある意味『怖い存在』だったはずで、ワタシに声掛けることは相当勇気が必要だったと思う。
「強い?フフフ・・・。そう思う?」と、少し笑って彼女に返答した。
「はい、とても。でも・・・。」
「でも?」
「疲れませんか?先輩はバレー部以外ではファンとかが来ると、いつもニコニコ接してますよね。なんていうか・・・その、ずっと何かに無理しているというか・・・。」
「ありがとう。そう思ってくれてたんだ。来栖さんだよね。家は何処なの?」
「先輩と同じ内房線の五井です。」
「お、近いね!じゃあ、今日終わったら一緒に帰らない?千葉で何か奢るよ」
これが香奈とその後の長い付き合いになる原点だった。実はこの時、ワタシは高校に入学して直ぐに出来た彼氏『井田祐樹』とは別れていた。ワタシが『アイドル選手』になったことが原因ではない。彼も野球部で1年生の時からエースになっていた。そして当然の如く彼はモテた。周りの状況が短い期間で激変したこともあり、彼とは自然消滅で終わった。それは仕方ないと思っている。でも、本当のことを言えば、香奈が話しかけてくれるまでの間はとても孤独で辛い時期だったと思う。
そしてもう一つ、『来栖香奈』は少しワタシに似ていた。彼女もスポーツ推薦入学でこの高校のバレーボール部に入部してきた一人だ。ワタシより少し身長は低かったが、顔は小さく欧米系の顔立ち、スリムなスタイルで全体の体系もワタシに近く『妹』みたいな感じの女子だ。ただ、彼女のバレーボールの実力はレギュラーになるには少し難しいレベルだった。
「飯島久仁子さんって去年亡くなった?」
「うん、そうなんだ。久仁子お姉さんに会えたことで人生変わったんだよ。」
「でも先輩、一途で凄いですね!」
ワタシは今まで誰にも言っていなかった『5つの計画』を香奈に全て話した。
「ところで、先輩はホントに『松山仁』のファンなんですか?」
「違うの。有名になって彼のファンだって言い続けていれば、何時か会えると思ってね。モデルになるなんて夢の世界だよ。でも、可能性はゼロではないと信じているの。馬鹿でしょ」と、笑った。
「先輩だったら出来ます!だって、もうすでに計画の1.と2.は実行出来たじゃないですか。出来ますよ、応援します、私も!」
香奈の後押しが、ワタシの勇気に繋がりその後、3年生への進級が近づいた時次の『3.と4.の計画』を進めることになる。しかし、1.と2.の時と違い、かなりハードルが高い。
先ず、高校も両親もワタシの進路は、”スポーツ推薦での大学・短大への進学”、もしくは”実業団チームへの入社”以外の選択は無いとしか思っていない。
高校3年の4月、初めての進路面接の際、担任の山下先生と一緒に臨んだ母親の前でハッキリ言った。
「ワタシはO女子短大の英文学科へ進学を希望します。バレーボールは秋の大会の後、部を引退したら一切やりません!」
「大村、お前本気か?」と山下先生。
「遥、本気なの?」と母。
「本気です。」
「じゃあ、はっきり言わせてもらうよ。現状は全く不可能だ。それに、」
「それに?」
「大村、お前自分の置かれている状況が判って言っているのか?」
「どういう意味ですか?」
「まず、元々お前はこの学校に『スポーツ推薦』で入学したことは覚えているよな。それが前提で、バレーボール中心の学校生活を行い高校の単位も取ってきていることは判っていると思う。まあ、部活を最後までやるのであれば、この学校としては問題ないし卒業は出来る。だが進学は、お前がやってきているカリキュラムではスポーツ推薦以外の『大学・短大』への進学は、受験勉強の適応が出来ていないから非常に難しい。つまり、今からやるとなると『いばらの道』を超えた『いばらの道』だぞ!」と、先生は、当然のことを言い、ワタシを説得した。
「その『いばらの道』を選びます。両親はどう思っているか判りませんが、別に浪人してもワタシは構いません。何年掛かってもO女子短大英文科へ必ず合格します!」
「遥、アンタね。じゃあなんでバレーボールをここまでやってきたの?」と母。
「お母さんの言う通りじゃないか?お前だったら、『スポーツ推薦』でO女子短大以上の大学だって行けるぞ。と、言いたいが・・・。」と、山下先生は一度話を切った。
「未だ聞いていなかったが・・・。大村、なんでそこまでO女子短大に拘るんだ?」と、初めてワタシの本心を聞き出そうとしてきた。
「尊敬する方が通っていた短大だからです。」
「遥、アンタまさか?」と母。
「そうよ。ワタシは亡くなった飯島久仁子さんと同じ道に進みたいの」
「飯島久仁子?」と、山下先生は不思議そうな顔してこちらを見てきた。
一応、ワタシの母は『久仁子お姉さんとワタシの関係』を知っているので、山下先生に手短に説明をした。
「モデルになりたいのか。」
「はい!そう思って高校生活を送ってきました。もう変える気はありません!」
「解った。ただ、大村。バレーボールとは全く違う努力が必要になるぞ。しかも、学校としては『部活引退』まではバレーボールも必至やって貰わないと困る。かなり厳しい生活になるが、やれるか?」
「勿論です!厳しいことなんて最初から判っていますから」と、山下先生に微笑んで言った。
「O女子短大の英文科だろ。オレも英語の教師だ。補修とか協力してやる。ただ、ちゃんとご両親に将来の事を相談、説明はすること。いいな!」と、先生は言ってくれた。
「アンタ、いつからこんなに頑固になったの?小学校の頃は、弱くて泣いてばかりいたのにね。私も父さんもアンタしか子供がいないからさ、応援するしかないでしょ。」と、帰りの内房線の中で母に言われた。
ワタシは、母へ無言で少し微笑んだだけだった。夕日の中を走る電車から外眺め、自分の将来を誓った。
そこから翌年の2月位までの事を正直よく覚えていない。
『厳しい』とは思ったが、『辛い、苦しい』とは一度も思わなかった。
『春の全国大会』は準優勝だった。
ワタシの人気も今まで以上となった。
マスコミの取材も、バレーの練習も、休みに通う千葉の予備校も、山下先生がやってくれた補修も・・・。
信じられないくらい無難こなしていく。
勉強の実力もついて行った。
ただ残念だったのは『秋の全国大会』は県大会決勝で敗れたこと。
手を抜いたのではない、県外から1年生のエリート選手を集めた新設の私立高に1セットも取れず負けた。
最後まで本気で戦った。
だから、悔しくて泣いた。
周りのチームメイトも一緒に泣き最後は一体感があった。
恐らく香奈が皆に言っていたのだろう、ワタシの将来を皆が後押ししてくれるようになった。
そしてワタシは・・・。
実力で『O女子短期大学英文科』の進学を決めることが出来た!




