ワタシにとっての悲劇
ワタシがコレクション会場に着いた時、既にその周りは熱気に帯びていた。
デザイナーが日本人であるため、日本からのマスコミも大勢来ている。
そしてワタシもこのショーで唯一の日本人モデルである為、裏口から楽屋に向かうワタシを見つけて、日本人インタビュアから盛んに声が掛かった。
ワタシは何も話さず、インタビュア達に少し微笑んだだけで楽屋に入る。
ワタシが楽屋に入って早々「ハイ!ハルカ、元気?」と、金髪ロングヘアーのモデルが声を掛けてきた。
カルラだ。彼女はドイツ人、そしてカルラの後からもう一人、「ハイ!ハルカ、ナーバス?」と褐色のアメリカ美人、ジュリーも悪戯っぽくワタシに声を掛けてくる。
「今日は失敗できないよ!」と、ジュリーが怒った感じで冗談を私に言ってきた。
「ホントだよ!」と、カルラも。
ワタシは「大丈夫よ!」とだけ言い、軽く笑い、2人と共に準備に入った。
カルラとジュリー、この2人がワタシをパリに連れてきてくれたと言っても過言ではない。
ワタシは3年間出続けている『東京コレクション』で、この2人と知り合うことが出来た。
実はこの当時、東京コレクションに出られる日本人モデルは限られていた。時はバブル、殆どのデザイナー達が外国人モデルを使い、ヨーロッパの雰囲気を醸し出していたこともある。
ワタシの場合、先ず高校3年の時、既に身長が175cmに達していた事、モデルウォーキングをかなりマスターしていた事、そして所属事務所の推薦も幸いし『東コレ』のランウェイに立ち続けるが出来た。
ただ、2人と出会う前までは、ワタシはワタシ自身を『日本国内専用モデル』としか思っていなかった。
始まりは前年の4月の『東コレ・秋冬コレクション』、以前の『東コレ』でも顔を合わせ、この時も2,3度、同じショーに出ていたカルラが気になり、拙いながらも多少できた英語で話しかけたことが切っ掛けとなった。
「ハルカは顔も小さく体系も完全なショーモデル。それに切れ長の目は東洋美人の象徴。大丈夫、一緒に4大コレクション出ようよ!」と、カルラ。
「チャレンジ、チャレンジ」と、長年のカルラのモデル友達で、この時初めて『東コレ』に参加した、ジュリーに言われた。
本当に厳しすぎる『チャレンジ』を今やっている。
でも、『チャレンジ』は嫌ではない。どんな厳しくても。
あの『喜びと悲しみ』を味わった日々から、そう思っている。
ワタシの高校進学は、バレーボールでの『スポーツ推薦入学』だった。
千葉市内にある私立高校で、女子バレーボール部は常に全国大会でベスト16に入る強豪校であった。
内定が早いうちに出てたこともあり、同級生達が『受験勉強』をしている間、ワタシは『飯島久仁子』と言う、一人にモデルに時間を費やしていた。
実家の食堂で出会って以来、ワタシは『久仁子お姉さん』へファンレターを送り続け、それに対して彼女は全て返信をしてくれた。当時の彼女は、それ程有名な『芸能人』ではなかったが、ワタシにとっては『女神様』以上の存在であったことは間違いない。
『身近な存在であって、エンターテインメントで生きる人』
そんな人と、一緒に人生を歩んでいる感覚がとても幸せに感じ、彼女が出演する公開放送や、イベントは多少遠くても両親に無理を言って見学に行っていた。
特にクリスマスイブ、彼女が初めてアシスタントで出演した公開生放送のテレビ特番の際は、終了後、ワタシの為に時間を取ってくれ、その時は一緒に写真を撮って貰い、短い時間だったが会話も出来た。
「高校はバレーボールの推薦入学だったよね。凄いね、遥ちゃん!」
と以前、ファンレターで綴ったワタシ自身の事を『久仁子お姉さん』は覚えていてくれた。
「いえ、運動神経と身長があるだけなんです。特に自分がやりたいって思っているわけじゃないんで。」
「何か将来やりたいことあるの?」
「いえ、それも・・・。」
「そっか、そうだよね。私だってこの仕事を短大出た後もやっていけるかなんて解らない。でも、今やっていて楽しいから、もしかすると、ずっとやっていけるかもしれない。そんな程度だよ。」
「え、お姉さん、そんな感じなんですか?」
「うん、そんな感じだよ。」と、微笑みながらワタシに言った。
「でもね、遥ちゃん。『楽しく』なるためには、常に努力し、今以上の自分を作るための挑戦をすることだよ。確かに今の遥ちゃんは、自分自身の才能だけでバレーをやっているかもしれないけど、チャレンジすることで『楽しく』もなると思うよ。ただ・・・」
「ただ?」
「私が言うのも、おこがましいけど・・・。」
「言って、お姉さん。」
「遥ちゃんは、モデルに興味ある?」
「えっ、どういう意味ですか?」
「ゴメンね。何となくなんだけど、遥ちゃんはモデルに向いているような気がする。私の勝手な意見だけど」
「ワタシがですか?それは、ナイナイ」とワタシは大きく手を振って否定した。
「そうかな?モデルってね。スタイルもあるけど身長があるか無いかで大きく違うんだよ。遥ちゃんは顔だちも良いし、身長もあるし、全体のスタイルも良い。私が出来ない『ショーモデル』の可能性なんかも広がるんだけどね。」と、『久仁子お姉さん』は真顔でワタシに言って来た。
その時は、あくまで『久仁子お姉さん』が、ファンであるワタシを単に持ち上げてくれた位にしか思っていなかった。いや、それで良かった。そう『久仁子お姉さん』に言って貰っただけで、ワタシは嬉しかったし、元気が出たし、高校生活でバレーボールを前向きでやろうと考えようとしていた。
ワタシが中学を卒業した直後のことだった、『久仁子お姉さん』が撮影で木更津の近くのゴルフ場に来ることになり、ワタシを見学に誘ってくれた。
撮影が終了後、クラブハウスで待っていたワタシに話しかけてくれた。
「遥ちゃん、もうすぐ高校生だね。私も頑張るよ、2人でチャレンジして行こう!」
「はい!勿論です、お姉さん」
この時のワタシは強い自信を持っていた。
そして高校へ進学しバレーボール部でも早々に頭角を現すことが出来た。
でも、高校生活も大分慣れてきた6月のある日、一生ワタシが忘れることが出来ない『人生で一番悲しい日』を迎える。
この時、既にワタシは1年生ながら、レギュラーを取ることが出来ていた。
その日は雨だった。午後から他校との練習試合があり、移動の前に、学校から近くの駅の前にある古い蕎麦屋で、チームメートと一緒に昼食を食事をとっていた。店内では、点けっぱなしのテレビが流れて、お昼のニュースが丁度始まった。
チームメイトとも話していたし、最初は全くテレビには注目はしていなかった。
暫くして、チームメイトの一人が皆に向かって大声出した。
「高部圭太が死んだよ!」
「えっ?嘘!」と、誰だか分らなかったが騒いだ。
ワタシもテレビに観た。
『高部圭太』、その当時、若手俳優として筆頭格で、映画・ドラマの学園もの、青春ものに必ず出演するアイドル人気俳優だった。
”雨の中、高速道路でスピードを出し、カーブを曲り切れずガードに激突、即死”と、ここまでは他のチームメイトと同じ驚きだった。
その後に発したアナウンサーの言葉が、ワタシの全身の力と思考力を失わさせた。
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本日午前8時50分頃、首都高速2号目黒線、目黒インターチェンジ付近のカーブで、俳優の高部圭太さん(21歳)の運転する乗用車がカーブを曲がり切れずフェンスに激突する事故が起こり、高部さんと『同乗していたモデルの飯島久仁子さん(19歳)は二人とも即死で発見された』・・・。
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この日の練習試合、ワタシがどうプレーしたか全く覚えていない。チームメイトから後で聞く限り、”ボールも見ていなく、ただ立っていただけ”で、試合が始まって数分で交代させれたそうだ。
また、どうやって自宅まで帰ったかも覚えていない。
気が付いた時には、既にその日から数日が経ち、ワタシは自宅の自室で寝込んでいた。
「ハルちゃん、いい加減起きて学校行こうよ!」と、幼馴染の『里田智代』の声が聞こえた。
智代とは高校からは別々になった。だが、ワタシがこの状況になっていることが直ぐに判って飛んできた。
でも、「うん・・・。解ってるよ。」としか言えない。
両親も事情を知っているので、学校には「風邪が長引いている」と言ってくれていた。
そしてもう一人いる。ワタシにはこの時、『人生最初の彼氏』が出来ていた。
『井田祐樹』、同じ高校で同じスポーツ推薦入学。彼は野球部でワタシより身長が10cm高かったが、気がチョット弱かった。
ワタシが毎日乗り降りする木更津から、2つ東京寄りの袖ヶ浦に彼は住んでいた。入学した時から、行き帰りの電車が一緒になり、ゴールデンウイークの辺りから付き合い始めていた。
ワタシにとっては当然だったが、カレと一緒の時、いつも『久仁子お姉さん』の話しばかりしていたと思う。
と言うこともあり、何も言わなくてもワタシが休む理由等、カレに直ぐ分ってしまっていた。
だからと言って電話で、「遥ちゃん、元気出そうよ!」と言われても、カレ以上の存在が急死したため、簡単に元気になるなんて無理だ。
ただ、一週間程たった辺りから、少しずつだけど冷静にことをワタシは考えられるようになって来る。その時、悲しみも強かったが、もう片方のワタシは『裏切られた』と思う気持ちも強くなっていた。
それは、一緒に亡くなった『高部圭太』という人物についてだ。確か人気俳優であるが、女性関係については以前より悪い噂が絶えず、ワタシは良い印象は全く無かった。実際、今回の事故で亡くなったにも関わらず、『高部圭太と二股の片方』みたいな週刊誌記事が出たりして、『お姉さん』への気持ちが揺らぎ、『その程度』しか男を見る目が無かったのかと、ワタシの中でお姉さんに対する『女神像』が崩れ出していた。
そして、一緒に撮った写真も破いたりした。
でも、割り切れない・・・。
「この人はお姉さんの事をよく知っている。この人にはいつか絶対会う!」
ワタシの気持ちが落ち着き、生活が元に戻るまで2週間は掛かったと思う。
その中で、ある人物の発言がワタシの心を少し前に向かせた。
『松山仁』、高部圭太より若干若いが双璧していた俳優だ。この事故で、高部の代役として色々なドラマにも出ていた。
ただ、『松山仁』は高部圭太とは人間性が全く違う。彼は子役から芸能界にいることで、幅広い人脈があり、カレを悪く言うものは芸能マスコミも含め、まずいない。また、高校時代は進学校に通い、一時仕事を休止していた。そして、有名私立大学に入学し『学生インテリ俳優』として活躍している。
「2人共、大事な友達だったので・・・。もうなんて言ったらいいのか・・・。」と、この事故の後、毎日のようにワイドショーで『松山仁』は涙で語っていた。
この発言がワタシに可能性を感じさせた。”松山仁は『2人共、大事な友達』と言った。高部圭太だけではない。『久仁子お姉さん』も大事な友達だ”。
良く考えてみた。確かに『飯島久仁子』と言う人はワタシには身近な『芸能人』だった。しかし、その素顔は殆ど知らない。判っていたことは、『東京山の手出身のお嬢様』、『高校2年の時に大手プロダクションにスカウトされる』、『有名O女子短大に通う女子大生』と言う宣伝されていた情報だけだ。
”お姉さんの短い人生がどういうものだったかを知りたい”、この思いが日に日に強くなっていった。
でも、世の中はこの事故についてあくまで『高部圭太が死んだ事故』としか見なくなっていく。
日が経つに連れ、『お姉さん』の存在自体がこの事故から消えていくようにワタシには見えた。
”『松山仁』に早く会いたい”と思うが、彼の立場を考えれば簡単では無く、なす術は何もなかった。
そしてワタシは、人生を掛けた勝負に出ることを高校1年の夏に決意する。