第二章 第3部 身ごもったからこそ
「そういう事だったのね。」
1990年秋、間もなく東京コレクションが始まる時期であった。
ユキ社長は頷きながら、病院のベッドで横たわっているワタシに対し鋭い眼差しを向けてきいた。
「契約違反になりますか?」
「妊娠だけでは契約違反にはならないわよ。スケジュール通りに仕事をして貰えれば問題ないけどさ。出来る?」
当たり前の話だ。でも・・・。
「私もかなり迂闊だったわ。去年の暮れ、ヨーロッパで仕事が入ったから一度向こうへ戻らせて欲しいってアンタが言って来た時、将来のことを考えて私は其の儘信じたの。それにね、今年の春の東京コレクションの前に、アンタが『ヨーロッパで凄い男性モデルを見つけた』って言って、アクセルを私とKATEさんに紹介したわよね。何食わぬ顔で・・・。確かに彼は素晴らしいモデルだからKATEさんも採用したけど・・・。まさかね。」
「すみません・・・」としか言えない。
「あのさ、ハルカ。ずっと前から言いたかったんだけど・・・」、突然、改まってユキ社長が切り出した。
「なんで、私のこと信用してくれないの?」
「えっ?そんなことは無いです!ずっと、信用、信頼してきました!いつだって!」
「じゃあ、どうして大事なことで嘘つくの?」
「嘘?まさか・・・、ワタシはそんなつもりでは・・・。」
「何かに悩んだり、私に対して都合が悪いことは嘘をついて逃げる。ずっとそうだった。」
ユキ社長から思ってもいなかった思いを聞き、ワタシは唯々呆然とするだけだった。
「ハルカ、私はね。事務所の社長だけど、アンタの第一マネージャーでもあることは分かっているよね。鈴木優華が去った後、私は私の全てをハルカに掛けてきたよ。それは、公私を関係なくね。そしてハルカ自身の努力もあってトップモデルにまでハルカは成長した。でも・・・。」
ユキ社長の目からは涙が溢れていた。
「ハルカは私に心を開くことをしてこなかったよね。だから、大事な局面で後戻りが出来ないことが起こるの。分かる?」
ワタシの目も潤みだしていた。そして・・・ユキ社長の話を唯々聞いていた。
そして、
「あの・・・。ワタシ・・・。社長から言われた仕事は今まで通り必ずやります。」
「そう、体調が一番キツイ時期だけど大丈夫なの?」
「あの・・・。中絶が出来るなら・・・。未だ、アクセルも知らないし・・・。」
その瞬間だった。ワタシの頬が今まで感じた事も無い痛さに見舞われた。
”バチッ”
その音だけが病室内に流れた。
「大村遥さん。本日今を持って『オフィス・ヴィヴァーチェ』は貴方との契約を破棄します。6年半の間ご苦労様でした。」
「社長、何でですか?何でもしますから、仕事出来る様にしますから・・・、社長!」
ワタシは起き上がり、ユキ社長の服を掴み叫んだ。
「そうじゃない、ハルカ!」
ユキ社長は、後ろを向いた儘、涙声で怒りを含めてワタシにぶつけてきた。
「ハルカ、私は所属モデル、タレントの幸せを守ることも大切な仕事なの。特に命に関わることについてはね。今まで貴女はある意味好き勝手にこの世界で生きてきた。そして、私もそれを許していたわ、その個性が世の中に受けたしね。でもね、そろそろ、精神的に大人にならないと拙くない?今この状況を安易に考えて欲しくないの!貴女のお腹に宿っている子も大切な命なの。それを粗末にするような考えのモデルとは、どんなにトップモデルでも、私は仕事が出来ないから!」
何も言えない。涙しかない。
「取り敢えず世間には、『病気の為、長期休養』として其の儘、契約終了とするわ。今回の東京コレクションは、出来るだけウチの若い子に代役を貰える様に各プレス担当にお願いする。」
ユキ社長は、顔一切ワタシと合わせず、病室のドアの所まで行き泣き声でワタシに言った。
「ハルカ、さよなら。長い事ホントにありがとう!」
其の儘、病室を出て行った。そしてそれが、『ショーモデルと社長』との関係の終わりでもあった。
泣いた・・・、 唯々、泣くしかなかった。そして、お腹に手をやり、宿んだ子を思い大事に擦っていた。
そして、この世界に憧れを持った中学時代から、今日までの自分が走馬灯の様に頭ので中で蘇っていた。
大好きになったモデルがいた・・・。
その人を追いかけた・・・。
その人が死んだ・・・。
その人の代わりに生きて行くことを決めた・・・。
いつの間にか世間に認められていた・・・。
気が付いたら世界を目指していた・・・。
愛おしい人が出来た、そして愛おしい存在が宿った・・・。
そして、今日・・・。
少し自分の生き方にも疑問を感じだしていた。
**一週間後**
「オレの東京での仕事が終わったら、一緒にスウエーデンに帰ろう!結婚するんだ。」
来日したばかりのアクセルとホテル一室で、将来について話し合った。アクセルは子供事を物凄く喜んでくれた。彼は今回の東京コレクションで4つのショーに出演が決まっている。大体、10日余りの日程である。
最後のショーが終わった後、アクセルを連れてワタシの木更津に実家にも行くことにもなった。
ワタシの体調も少し回復しだしていた。
「暫くは休めばいいの。ずっと走り続けてきたじゃない。」と、アクセルが日本で所属するKATE & WORKSの社長KATEさんがそう言ってくれた。
今相談できるのは、KATEさん以外無いと思い、KATEさんの事務所を訪問した。
「でも・・・。」
「ユキちゃんのこと?」
「勿論です。」
「ハルカちゃんにはそういう言い方が一番いいと思ったんじゃないの?」
「えっ、そうですか?」
「いつかこういう日が来るのは、分かっていたはずだからね。ただ、」
「ただ?」
「チョットだけ早すぎたかな?」と言った後、KATEさんは微笑んでワタシの顔を見た。
ワタシは俯くしかなかった。ユキ社長からクビと言われた以上、日本でのショーモデルとしての場は無くなったに等しい。義理を欠き、他の事務所にお世話になったとしても、モデル・ハルカとしてのイメージを今まで通り保つことは不可能だ。
KATEさんは優しく言ってはくれているが、この世界の厳しさを目で伝えてきていた。
「今アナタが考えるべきことはね。」
「はい。」
「アクセルとお腹の赤ちゃんと3人で、どうやってスウエーデンで生活するかってこと。」
「・・・」
「子育てが落ち着くまで、モデルの事は忘れなさい!ユキちゃん代わって命令するわ。」
KATEさんは少し笑いながらワタシにそう言った。
「はい。」と、ワタシ自身、言葉に力は無かったがそう答えることがこの時の全てだった。
1990年晩秋、東京コレクション春夏のステージは全ては終わった。
ワタシはランウェイに立つことはなかった。ワタシに入っていたブッキングの殆どを、高校時代からの後輩『来栖香奈』が引き継ぎ、香奈の人気が上がり、色々なメディアに彼女が出るようになる。
”もうワタシの時代は終わった”と、ワタシ自身が感じた時だった。
「ハルカ、いい街に生まれたな。オレもこの街気に入ったよ。」
ワタシが運転する車で、アクセルを木更津の実家に連れて行った時のことだ。
両親は今まで見たことも無い、大柄でしかも白人男性に対して、驚くかと思いきや、言葉も通じないのに”何十年もの知り合い”みたいな感じで接していた。それは、アクセルが漁港生まれであることもあるが、両親の営む食堂の料理を、出されるだけ全て食べきったアクセルに親近感を持ったからだと思う。
天気の良い昼下がり、漁港の岸壁を2人で歩いた。
内房の向こう側、三浦半島の辺りも見えていた。
立ち止まった際、ワタシは独り言のようにアクセルに呟いた。
「子供の頃、まさかこの街を出て、ショーモデルで世界を回るなんて思ってもいなかったわ。」
「そうだろうな、この街に居たら。オレも同じだったよ。まさかね。モデルになって、東洋のしかも、日本の女性と結婚するなんて全くだよ。」とアクセルは微笑む。
「また、新たな旅立ちだよね?」
「そうだよ。オレと一緒に。な!」
二人の視線は内房の海にあった。会話だけが海風に乗り穏やかに進んでいた。
それから数日後、ワタシとアクセルはスウエーデンのストックホルムに向かう。
成田空港の北ウイング、出国手続きを終え免税店の並ぶエリアで立ち止まる。
吹き抜けの上を見上げれば、送迎客がこちらに手を振っている。
とは言え、ワタシ達を送りに来た人は誰もいない。
それは、ワタシにとっては今までと同じ。
そして今回も上を見上げながら呟いた。
「マ・ケ・ナ・イ!」
幸せを北の国へ求めて旅立った日であった。