表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ランウェイへようこそ  作者: 人生輝
10/13

第二章 第1部 生きて来れたからこそ

「今年も終わりかあ・・・。」


オフィスビルの15階、年末の青山界隈の風景をこの『社長室』から見るのは何回目だろう。

大きなガラス窓から振り返ると社長用のデスクがある。そして、デスクの向かい側にある出入り口の近くに写真棚がありそこへ近づく。

棚の一番上、左右に違う女性の写真が、大きめの写真立ての中でどちらも笑顔でこちらを向いている。


左側は、『飯島久仁子』。もう40年近く前に不慮の事故で亡くなったモデル。

右側は、『田淵由紀子』。この会社『オフィス・ヴィヴァーチェ』の創業者で初代社長である。


ワタシは『オフィス・ヴィヴァーチェ』の2代目社長『大村遥』。

現在は、『ヴィヴァーチェ・グループ』として、芸能事務所に80人の俳優/女優・タレント、モデルエイジェンシーとして東京・大阪を合わせ150名のモデル、モデル育成スクールでは全国に1000名強の生徒を抱え、スタッフは総勢600名にもなる企業のトップである。


ワタシにとってこの30年余りはモデルを皮切りに、結婚、出産、離婚、経営者と怒涛の日々を送ってきた。

しかし、ワタシはいつどのような場合でも、この2人との出会いを感謝しなかった日は無かった。

ただ・・・、『飯島久仁子』は勿論、『田淵由紀子』も今はこの世の人ではない。


「お姉さん、社長。2018年なんて年も終わっちゃいますよ。何をやってんでしょうね、ワタシ」と、2人に向かって微笑む。


デスクの電話が鳴る。慌てて戻り、受話器を取る。


「社長、松田仁様がご来社されました。如何いたしましょうか?」

「仁兄?・・・。」、何年経っても一瞬ワタシが不愉快になる名前だ。

とはいえ、一拍置き、

「分かったわ、お通しして。」


50半ばになった仁兄こと『松田仁』は現在、世間的に”渋くダンディーな俳優”として老若男女を問わず人気を博している。最近は殆ど映画出演がメインで、役柄は上品な紳士、厳格な父親とカッコ良いイメージが強い・・・。実際は全く逆だが。


社長室のドアをノックされ、ワタシが「どうぞ!」と言う前に仁兄は部屋に入って来た。


「久しぶりハルカ!元気か?」

「久しぶりでしたかねえ?なんか、先月お会いしたばかりの様な気がしますがねえ?」

「そんなに冷たくするなよ。」

「別に冷たくしてるわけじゃあありませんよ。ウチの所属でも無い俳優さんで、しかも、ウチの『西脇幸太郎』のライバルさんでらっしゃる『松山仁様』が急にいらっしゃっても、何をどうご対応すればいいのでしょうねえ?」


『西脇幸太郎』は、我が事務所のミドルエージのエースだ。ダンディーで渋い人気ある男性俳優である。ただ、キャラクターと年齢が『松山仁』と被る。元々、『西脇幸太郎』は舞台俳優から上がってきた苦労人で実力派だが、知名度が子役からやっている『松山仁』に比べ低い。

だから、キャステイングで2人が競合すると『松山仁』が勝つパターンが多いのだ。

なので尚更、仁兄との距離を公の場では取りたいのだ。


「幸太郎とライバル視されるって、ちょっとなあ」

「そっちはそうかもね。でも、こっちはコウちゃん売るためには、打倒・松山仁なんですよ!」

「そんなことは別の場所で頼むよ。」

「じゃあ、何のご用でしょうかね?またあれですか、女性問題のもみ消しみたいなことですかね?ワタシは一切関わりませんよ!」


仁兄は、苦笑いした後、話を始めようとしたが気になったのか、急に写真立ての棚の前に向かった。


「久仁ちゃんかあ・・・。もう40年近いな。」

「写真の中で生きているって幸せね。いつまでも10代。ワタシはもう、その横に居る『ユキさん』よりも年上になったのよね。」

「そうか、まあオレも久仁ちゃんと同じ歳だからな。若いっていいよな・・・。それより、遥はやり手だと思うよ。」

「えっ、何によ今更。持ち上げても何もしませんからね。」

「ユキさんが亡くなって会社を引き継いでからというもの、経営者としての才能が凄いよ。しかも、芸能界の大物と言われる人達が、遥に一目置くんだぜ。」

「たまたまよ・・・たまたま。ユキさんやKATEさん、セイントの沢渡会長や仁兄の事務所の会長や社長さん等、若い時のダメなワタシを助けてくれた人達の縁だけで、何となく来れただけよ。」

「そんな謙遜するなよ。セイントの沢渡の爺様が言ってたよ。40年近く前に亡くなった、活動期間も短い『無名タレント』を形式上とは言え、自分の事務所へ移籍させる為『移籍料』まで払うなんて、遥ぐらいしかいないって言ってたよ。」

「会長に聞いたの?ハハ。」

「ああ。」


先月、”亡き”モデル・タレント『飯島久仁子』を、所属先であったセイント企画から”円満退社”させ、我が『オフィス・ヴィヴァーチェ』の芸能部所属タレントとして”形式上”契約させたのだ。

このことは、長年、経営者としてのワタシ自身の夢だった。『飯島久仁子』という憧れの人を形式上でも”マネージメント”すること。それは、ワタシの『芸能人生』の集大成として考えていたからだ。

『飯島久仁子』が残した数少ない写真などの版権、遺品を、セイント企画から譲渡して貰うことで『飯島久仁子』と言うモデル・タレントが存在したことを、ワタシが世間への証として持っておきたかったからである。

譲渡の際、セイント企画の沢渡会長は、「遥だったら、金銭なんて必要ないよ。」と言われたが、それはワタシが断り、”正式契約”として金銭にて譲渡をして貰ったのである。


「沢渡の爺様なんてさ。チーフマネージャー時代に、モデル志望で面接に来た遥を一発で落としたんだろ。長年の付き合いも分かるけど、そういう奴をよく取り込めるよなあ。」

「面接の話は、あの時のセイント企画の方針もあったし、ワタシ自身の考えが甘かったこともあるのよ。寧ろ、ワタシとしては逆でね、あの時、沢渡さんに会えたから、今こういうお願いも出来る関係になれたと思っているのよ。」


「そうっか。しかし、昔は周りに色々とガヤガヤ言われたけど・・・。長い付き合いだな。」

「今でも困ることが多いんですけどね。ハハ、ホント、『腐れ縁』としか言えないわ。」

「まあな。ただ・・・。遥は・・・。」

「何よ?」

「ショーモデルとしてもっと長い期間、世界を魅了し続ける逸材と思っていたけど・・・。短かったな。」

「ハハ、そのこと?それも運命よ。まあね、”アノ右側の写真の人”には相当迷惑掛けたけど。」

と、ワタシは微笑みながら前社長である『田淵由紀子』の写真に指を差した。


ユキ前社長は、ワタシを育て、ショーモデルとして世界に出しくれた恩人である。でも、生前の彼女との関係は必ずしも順調だったわけでは無い。特に、ワタシがパリに拠点を移してからは疎遠になることもあった。




1989年夏、ワタシはパリに拠点を移し、春に来た時と同様、モデル仲間のカルラとジュリーと同じ事務所「VALUE PARIS」に所属し海外での本格的な活動を始めた。そして、その秋に開かれた”春夏コレクション”から、パリだけではなく、ミラノ、ロンドン、ニューヨークのコレクションも転戦し、各地で日本人以外のデザイナーのショーオーデションも受け、”ミステリアスな東洋人”として合格することもしばしばで、思っていた以上のランウェイを歩く事が出来た。そして、転戦が最後となる東京コレクションでは”凱旋帰国”となり、日本の数多くのマスコミの取材を受け、コレクション終了後も色々なイベントに呼ばれことも多かった。


このローテーションを半年毎に行い、長く続けていくつもりだった・・・。


しかし、ワタシのローテーションはたった3回で終わってしまった。つまり、パリを拠点してから僅か1年半という当初思っていなかった位短い期間になってしまった。


原因は、ワタシ自身にあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ