ワタシにとっての衝撃
人生輝です。前回、私の処女作「虹橋の向こう側」のスピンオフとして短編「ハーフムーン」を作りました。後で思ったのでが「チョット強引」なスピンオフだったと思います。
今回の作品も「虹橋」のスピンオフ的ですが、これは完全に「虹橋」のストーリーと時空が同期しています。
今回の主役、『大村遥』は「虹橋」での登場の際は、名前も出ない「女子中学生」でした。今回、大村遥を主人公にすることにより、「虹橋」のヒロイン『飯島久仁子』を違う角度で見ることが出来ます。たぶん、これも駄作になると思いますが、もし気に入ってくれる方がいれば嬉しいです。
それでは、スタートの1989年にタイムスリップ!
”やっと、ここまで来れたんだ!”と、目が醒めたときワタシは呟いた。
1989年、未だ寒さが残る3月のパリ市内。ワタシは、短期で借りている古く、小さく、そして狭いアパートの一室に一人で滞在していた。
起きた後、錆びていてなかなか開かない部屋の窓に寄り、朝日を浴びながら、ボロボロになった雑誌の切り抜きに写っている『可憐な女性モデル』へ話しかけていた。
「9年前、お姉さんがワタシにくれた大きな夢。今日、一つ叶います。」
ワタシの名前は、『大村遥』。職業は、ファッションを中心としたモデル。
モデルとしての芸名は、『HARUKA』と名乗っている。
この日、ワタシは初めて『パリコレ』のランウェイに立つ。
ワタシは、1965年つまり、昭和40年の7月20日、千葉県木更津市で食堂を営む両親の元、一人娘として生まれた。
小さな頃から運動神経は良く、身長も中学入学時には165cmはあった。しかし、積極性が無い上、口下手で要領が悪く泣き虫。また、痩せていた為、小学校高学年から『電信柱』とあだ名を付けられ、常にイジメの対象になっていた。
なんとか、そのダメな性格を変えるべく両親からも強く勧められ、中学のバレーボール部に入部することになる。元々の運動神経の良さが生き、1年の時からエースアタッカーとしてレギュラー入りは出来た。そして、それ程強くもなかった女子バレーボール部を、3年間、県大会ベスト8の常連する担い手にもなれた。
しかし、性格は簡単には変えられない。
プレーはどんなに素晴らしくても、周りの女子選手達とのコミニュケーションが上手く出来ない。だから、一匹狼的な異端児に思われ、常にチームメイトからは疎外されていた。中学3年間で盗まれた練習用シューズは合わせて12足、年間平均4足も無くなっていった。だから、中学の思い出は、一人で泣いて帰ったことぐらいしかない。
でも、そんなワタシでも唯一の親友がいた。
『里田智代』、ワタシの実家の食堂から歩いて2,3分の国道沿いにある、ガソリンスタンドを営む家の次女で、幼稚園時代からの付き合いだ。
彼女は、全てに於いてワタシとは正反対だった。いつも明るく誰に対しても優しい子だったが、身長は150cmあるかないか位で、運動神経は余り良くはなかった。でも、『いつもニコニコしている可愛い女の子』で、ワタシは彼女にいつも憧れも持っていた思う。
そんな、『憧れ』の智代の家には良く遊びに行っていた。
あれは・・・確か中学1年の2学期の終わり。そうクリスマスの頃だった思う。
偶々、智代に急用が出来、少しの間外出することになり、ワタシは智代の部屋で待つこととなった。
智代から、「ゴメンね。悪いけど、そこらにある雑誌でも読んでいてね。」と言われ、ワタシは座っていた近くにあったハイティーン向けの雑誌を何気なく見ていた。恐らくだけど、この雑誌は智代のお姉さんが買ったもので、智代が借りているんだな?ぐらいに思い、唯々ワタシはその雑誌のページを雑に捲りながら『眺めて』いた。
”ハイティーン女子のファッションかあ~。ワタシは高校に入ってもこんなお洒落は出来ないだろうな~。”
と、自分の置かれている世界とは、将来に於いても相容れるものでは無いと、未だ殆ど『木更津』から出た事が無いワタシはそう信じ切っていた。
数ページ雑誌を捲ったところだった、何人かのモデルが最新ファッションを着こなしている。ワタシは『ある一人』の女性モデルを見たときに急に手が止まった。
”この人・・・。えっ?”
「違う・・・。何この人。えー!全然違う!この人凄い!」と、一人、智代の部屋で大声を出してしまった。
暫くして智代が戻ってきたとき、ワタシはすぐさま雑誌を持って智代に迫った。
「ねっ!トモちゃん、この人、この人、名前なんて言うの?ねぇートモちゃん!」
「ど、どうしたの、ハルちゃん?急に」
「どうもしないよ。ね、教えてこの人!」
この時のワタシは、長年の親友である智代が見た事が無い程、饒舌で興奮していたようだ。智代はワタシが帰るまで、「ハルちゃん、どっか悪くない?悪いもの食べたんじゃないの?」とひたすら聞いていたそうだが、ワタシはそれどころでは無く、兎に角、その女性モデルの事だけしか考えられなかった。
その後、その女性モデルの名前が『飯島久仁子』と言うことを知る。別に誰に聞いたわけでもない、単にその写真の下に『モデル名』としてクレジットされてただけだった。
お分かりの通り、ワタシはこれより以前にローティーンにしろ、ハイティーンにしろ、少女向け雑誌を買うことは勿論、見ることすら無かった。その無垢な状態のワタシの前に、突然現れた『飯島久仁子』と言うモデルは、ワタシの感性に大きな衝撃を与え、カリスマとなった。
なんと言っても、彼女は他のモデルとは違い全てが『自然』であった。一つ一つのポーズも他のティーンズモデルとは違い、わざとらしさも媚びる感じなんかも一切しない。それでいて、読者に自分を訴える表情、表現力が当時、『ファッションも何にも知らない田舎娘』のワタシでも身体の中まで感じることが出来た。
そしてもう一つ、この時ワタシが見た雑誌が『飯島久仁子』のデビュー作であったこと、これはその後、ワタシ自身がプロのモデルとなり初めての雑誌撮影で、一番心掛けていた『自然体』だった。でも、ワタシは・・・、全く形にもならなかった。
「お姉さんは、本当に凄かった。ワタシは、どんなに頑張っても、お姉さんには敵わない・・・」
ボロボロになった雑誌の切り抜き、その中で可憐に微笑み掛ける『飯島久仁子』に向かって、パリでそう話し掛けた、ワタシ。でも、どんなに彼女へ話しかけても・・・。
その後の中学時代のワタシは、その前とは違い、どんなに練習用シューズを盗まれ泣いて帰っても、”『飯島久仁子』さんだけがワタシの支え!”とし、彼女の出ている雑誌を買いまくり、どんなに彼女の小さな写真や記事であっても、切り抜き、自室の壁に貼り『彼女と二人で戦う』と、自分自身を励ましていた。
未だその時は、ワタシ自身がモデルになるなんて一切考えてなかった。と言うより、とても自分が出来る仕事なんて、思うことなんか出来なかった。
そう、中学2年が終わる春休みの近くまで。
そう、奇跡が起こるまで。