キミを守る、この血で染まった手で
~暗闇の中で~
―俺も、ここまでか。男は何の装飾も施されていない短い階段を、よたよたと昇っていく。その背中からは、生きたい、死にたくない、というような生への強い意思は感じられない。階段を、昇りきった男は、その暗く小さい部屋の中を、ゆっくりと見渡す。なにもない寂しい部屋である。その中にいるのは、男をこの部屋へと、連れてきた刑務官と、男のただ二人だけである。男は、目の前のロープに目を移す。そして、ゆっくりとロープに首を通す。気づくと刑務官はもうどこかに行ってしまっていた。男は、一人になった部屋で自分の人生について考えていた。
―なんて寂しく、つまらない人生なのだろうか。自分は、国からの使命のために、この身と心を朱色に染め続けてきた。初めては、10の年をかぞえるよりも早かった。そうやって、何人もの罪なき人々を殺し続けた。そんな生活を十年も続けてきた先に待っていたのは、国からの裏切りだった。どうやら、俺は秘密を知りすぎたようだ。
国にとって「厄介な人間」を殺し続けた俺は、いつの間にか国にとって一番「厄介な人間」になっていた。
そんなことを、考えているとブザーが鳴り始めた。そして、男の立っていた床が抜け、男は暗闇に落ちて行った。落ちながら男の頭に、ある少女の顔が思い浮かんだ。漆を塗ったような短い黒髪と、ヒマワリのように明るい笑顔が特徴の少女である。あの子は元気にしているだろうか。
願いがかなうならば、あの子の名前が知りたかった。
そんなことを考えていたとき、男の首を強いロープの衝撃が襲う。
―痛い、苦しい、息が、くそっ、くそっ。まだ死にたくない、あの子に、あの子に会いたいんだ。
だが、そんな男の願いも暗闇の中では行き場を失いむなしく消えていくしかなかった。
―もうだめか・・・
そう男が思った時
おまえはまだ、死んではならない・・・
薄れる意識の中、男はそんな声を聞いた気がした。
~暗闇の出口に~
男の眼は、明るすぎるくらいの光を感じ取ってゆっくりと開いた。
ここは、どこだ?なんで俺は、草原なんかにいるんだ。
周りをだだっ広い草原に囲まれた小さな湖のほとりに、男は、それを見上げながら横になっていた。
俺は、死んだのか?
男が、体を起こそうとすると、首のあたりに強い痛みを感じる。
痛みを感じるということは俺は生きているのか?
でも変だ、俺は確かにロープで首をつって死んだはずだ。
男は、首に気を使いながらゆっくりと体を起こす。
そして、男は周りを見渡して気づく。近くにこれまで見たことのないような巨大な木があることに。そして、地面に、見たことのない果実が落ちていることに。
その時、男の腹の虫が情けなく鳴いた。腹がすいたなー、考えるのはいったん休憩して、腹ごしらえでもするか。
男は近くの赤色の果実に手を伸ばし、一口かじる。
なんだこの、果実は?食べたことないな。
そうやって、男は次から次に果物を口に含んでいく。男が、八つ目の果実に口をつけようとしたとき、ある異変が起こる。彼の目の前で、激しいつむじ風が吹き、その中から、一人の女が現れた。
おやめなさい、人間の子よ。それ以上は、この世界の摂理を知らないとはいえ、見過ごすことができなくなりますよ。
そういうと、女は、長い髪を風になびかせながらゆっくりとこちらを見やった。その姿は、まるで、絵本に出てきた妖精のようなだった。
そんなことはひとまずどうでもいい、こいつ今どこから出てきやがった?
男が、目の前で起きた現象を飲み込むことができず、茫然としていると
「その様子、まあしかたないですね。人の子に理解できる話でないことは勿論分かっています。しかし、あなたは理解しなければならないのです」
女は、男の様子には目もくれず話を続ける。
「おっと失礼。私としたことが、自己紹介をしていなかったでねすね。私の名前は、ルナ・フローラと言いますこの世界を治める神をさせていただいております。以後お見知りおきを」
ルナ・フローラと名乗った女は、一礼をするとにこやかにこちらを向きなおした。
女神?こいつ何を言っているんだ。
「こいつとは、何と失礼な呼び方をするのですか。人の子の分際で」
なんで、こいつ俺の考えていることが分るんだよ。
「神ともなれば、人の子の考えることなど聞かずとも、分かります」
男は、何が何だか分からず困惑していたが、先ほどから考えていたことを尋ねてみることにした。
「俺は、死んでいるのですか?それとも、死んでいるのですか?」
神様は、少し考えるとゆっくりと話し始めた。
「あなたは、死んでいます。しかし、それは元の世界での話」
「元の世界?」
「あなたが、これまで生活してきた世界の事です。あなたは、元の世界で死んだ瞬間に、この世界に誕生したのです。いわば、『異次元転生』と呼ばれる現象です。」
「ちょっと待ってください!!話についていけないのですが、もう少し、簡単に説明できないのですか?」
「この『異次元転生』はとても、レアなケースなのです。この世界の内部で、転生することはそう、まれなケースではないのですが、異次元からの転生となると、話は違ってきます。私もこれまで長いことこの世界を見てきましたが、あなたのようなケースは数回しか見たことがありません」
「つまり、神様もよくわかっていないということですね?」
「そういうことになりますね」
何だ、神様とか名乗っといて大したことないな、と男が考えていると
「そんなこと言われても仕方ないのです。神様にだって知らないことだってあります。それはそうと、私は用があるのでこれで失礼します。」
と、唐突に告げた。
オイオイ待てよ。まだあん・・神様には聞きたいことがあるんだ。
「俺は、これからどうすればいいのですか?」
「この世界に転生した以上は、この世界で生きていくしかありませね。まあ一つ助言を差し上げましょうか。あなたが、先ほど食べた果実は、『神からの贈り物』と呼ばれており、さまざまな力を、手に入れることができます。その力は、あなたがこれから生きていく中で、かなり役に立つと思いますよ。おっと、では本当に私はこれで失礼します。」
「あっ、ちょっとまっ・・・」
男がそう言いかけた時、また、激しいつむじ風が起こり、気がつくと神様はいなくなっていた。
俺は、これからどうすればいいってんだよ。
男は、これからの不安に押しつぶされそうになる。
駄目だ、駄目だこんなところでくじけてたまるか。せっかく、生き延びたんだ。
この世界、生きていこう。
男は、そんな強い意志を持って。どこに向かうでもなく、歩き出した。