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第4話 傘がいらなくなった日

         1


「あなたのお名前、なんて言うの?」

「――チャコ、チャコ・唐草です……!」

 状況が状況だったとはいえ、油断だった! クララ・伊達は、おもわず本名を名乗ってしまっていたのだった。

「わたしシンディ! シンディ・ブライアント。よろしくね!」

 白夜のもと、そう名乗ってその少女はほほ笑んだ。

 柔らかく流れる金色のロングヘアーに、氷のような青い瞳、白い肌。

 くるり、と身を回した。纏いつく白いスカート、白いブラウスの皺の寄り具合で、ばつぐんな体つきだということがわかる。

 少女は、森のさらに奥へと、駆け出して行った。

「――」

 太陽が愛でた勝利の女神! 富と力の女王! あるいは逆に――

 吟遊詩人の美調子の歌声につかの間よみがえる、星と月の世界の物語、蜻蛉のように儚い悲恋の乙女――

(おお!)

 かの少女の望みとあらば、天は億万もの星の雨を降らすのを厭わず――

「――!」

 チャコはようやく我に返った。同性なのに、あやうく彼女のために、詩を紡ぎ出すところだった。

 ため息をつく。

 生まれて初めてお目にかかる、美少女だった。

 チャコが気力なく見守るなか、その少女は活発にあちらこちらと歩き回っている。

 やがて――

「あった!」

 という叫び声。

「!?!」

「はやく来て!」

 あの子だったらもしやひょっとして、という気はしないでもなかったが――それにしても!

 ――!

「はやくはやく!」

 せかされるまでもなくチャコが土を跳ね上げて駆けつけると――まさに、今の今まで探しまくっていたホシノテングタケだった。白い指差すその先に、節くれだった古き巨樹のその根元に、黄金色に輝く手のひら大のキノコが一本、誇らしげに傘を広げている。

「……」

 体中の力が抜けた。相手を見る。まるで、幸運をしょってやって来たような、女の子だった。

「これで、なんとかなるんだよね……?」

 と、美少女――シンディ――がほほ笑んだ。

「うん……おそらく」

 チャコは苦しそうに一息つくと、辺りを見渡した。

 ここは、バンパークの森の中。

 ――現在では珍しい、照葉樹の深い森の中だった。


         2


「ヤン君……」

 少年の母親を診断したあと、栗色の髪の毛を無意識に掻き上げ、若きドクター、ルドルフ・ケルゼンは、リー家の長男を部屋の外に呼んだ。

「……」

 ヤン・リー。十二歳。黒い癖毛、瓜実顔、大きな黒い瞳――

 職業柄何度も経験していることではあった。が、だからといって慣れているわけではない。少年の食い入るような眼差しを受け、ルドルフは、口を切ることができなくなってしまった。

 父親を二年前に亡くし、以来四人兄弟の長兄として、母親と共に家計を支えてきたのが、ヤン少年だった。

 その母親が高熱を発し、倒れたのが先月のこと。

 ルドルフは一度視線を外し――そして、再び視線を捕らえたときには、彼の覚悟は定まっていた。唇の上の髭が動いた。

「気の毒だが、お母さんは助からない……」

 まず、ルドルフはきっちりと引導を渡した。

「……ついては、お金を浪費するようなまねはしないほうがよい。君たちがこれからを生き抜いて行くことのほうが、より重大ごとであろう。お母さんも、そう考えるはずだ」

 そう、続けた――

 ドクター・ケルゼンは仁に篤く、なにより腕が確かだった。暴言とも取られかねない言葉を、一度でも患者となった人々は素直に受け入れていた。

 硬い表情のままじっと聞いていたヤンもまた、一言も抗議しなかった。――いや、一言だけ言った。

「楽に、させてやれないのですか……」

「……」

 ヤンはこのときはじめて泣いた。ルドルフは、言葉がない。


 リー家を去る際、ルドルフは思いついて、ヤンに、ある薬草の存在を教えた。

(このままでは、この少年は言葉を聞かず、家財を薬代に投入してしまうだろう……)

(ならば、幻の薬草の名を教え、それを探すのに気を使わせたほうがよい……)

「ホシノテングタケ」

 ルドルフは鞄から本を取り出し、ページをめくった。

「万病に効く……」

 ヤンを前にし、ルドルフは語り始める――


         3


「俺はニコラ・パンチーニ。で、あんたはなんちゅう名前だい?」

「クララ・伊達。二級位です」

 とチャコは答えた。相変わらずの偽名だ。ただ今回はいつもと違い、唐突に出現する甲冑武者が口にする名前を、使っていた。

 五月五日、月曜日。ここは、オサカの(まち)

 コベの港町から北西の内陸へ五〇キロの位置にある、チャコにとって初めての大都市だ。

 人口、約八万七千人! 思っただけで、もう目眩をおこしてしまいそうな莫大数である。オサカは周辺の町村から人間、物資を吸収し吐き出す、キキン地方最大の商都だった。今、チャコがいる場所は、このオサカ唯一の薬問屋なのだ。

 チャコは採取した薬草を持ち込んでいた。一週間前、ツルガッツ湾を襲った津波で、チャコは全財産をなくしてしまっていた。いろいろと考えさせられることがあったのだが、ともかく、お金を稼がなくてはならない。自分を生かすため、旅を続けるために、食料や必需品を全部買い直さなくてはならなかった。


 カウンター越しに赤毛の髭づらのニコラ親父と値段の交渉をしているときだ。開け放たれた入り口から、一人の少年が入ってきた。

 黒い癖毛、瓜実顔の、ローティーンの男の子だった。

 チャコは問屋の親父と二人して、場違いな少年に目を向けた。

「……ここは問屋だぜ、坊主」

 トビ色の瞳の目をしばたたかせながら、ニコラがやんわりと教えた。

「知ってます。普通のお店にないから、ここに来ました」

 子供のわりには、しっかりとした喋り方をする。と、チャコは思った。

「何を探してんだ?」

 一応職業柄、店主が訊く。返ってきた答は、こちらの予想をはるかにぶっとんだものだった。

「ホシノテングタケ」

「――」

 ホシノテングタケ――!

 薬草の王。なにしろ──

 万病に効く!

 彗星が残した尾に地球が衝突するとき、流星雨が降る。それは、その流星雨の夜にしか生えない、と噂されていた。

 時価で――

「一千万エン」

 無造作に口にする親父のその天文数を聞いたとき、チャコはもう少しで気を失うところだった。

 少年が貧血を起こしていた。気づいたチャコが急いで支えてやらねば、後ろに倒れ、頭を打っていただろう。

「……」

 少年の顔がひきつっている。

「ここに、あるの?」

 チャコがかわりに訊いた。

「あるもんかっ」

 ニコラが、ぶすっ、とした表情で答える。

「王都キョーツの大問屋でも、あるかどうか……。幻、て、言われてんだぜ」

「……」

 少年が動いた。チャコから離れると、まずチャコに頭を下げた。

「僕は、ヤン・リーと申します。どうもありがとうございました」

 おじゃましました、と親父にも丁寧に頭を下げ、そのまま背中を見せる。チャコは呼びとめた。

「どうするつもり?」

「森を探してみます。あの、あの森を……。最初から、そうすべきだったんだ……」

 という返事。そのまま少年は出て行った。

「……」

「おおかた、家族が死病にとり憑かれたんだろ」

 と親父。しんみりと煙草に火をつける。

「……ねえ?」

「やめときな」

 ぴしゃりと言う。ちらりとチャコが採取した品物にトビ色の瞳を向け、

「あんたがいかに優秀な薬草ハンターか、よくわかった。……が、あれは無理だ」

 と断言する。それはこの道何十年。薬草も、人の世も、酸いも甘いもかみ分けた、大ベテランの忠言だった。だが──

「やる!」

 そんなチャコだったのである。

「……ばかな魔女様だぜ」

 煙草をいきなりもみ消すと、腰をあげた。奥の棚から、地図と図鑑を出してくる。カウンターのチャコの前に置き、図鑑のページをめくった。

「これだ」

 ホシノテングタケの図。その神々しき奇跡の御力が、ただの絵からも伝わってくるようだ。

「……やっぱり『バンパーク』か? さっき坊主が言っていた、『あの森』、『最初から探すべきだった森』。『太陽霊』と呼ばれる恐ろしい『魔物』が出るっつって、地元民だって、入りたがらない太古の森だ。でも、可能性がわずかでもあるとしたら、やっぱそこしかない」

「ありがとう!」

 おもわず親父の無骨な頭を抱いたチャコだ。

 ニコラ・パンチーニはしかめっ面をした。――おおいに照れてるようすだった。


         4


 オサカの南、バンパークの森の手前で、チャコは少年を見つけた。問屋から借りた腰掛け(スツール)を、上空から少年の目の前に着地させる。地に着く前に元気よく飛び降りた。

 ヤン少年は目を丸くさせている。そのヤンの前で、チャコは見得を切った。

「わたしは薬草狩りのプロよ。手伝わせなさい!」

 と高飛車なまでに胸を張る。対してヤン、おずおずと、

「……ありがとうございます。でも、よろしいのでしょうか?」

 相変わらず歳のわりに丁寧な口をきくのだった。それは、気が参っている証拠だった。チャコは強いて景気よく答えた。

「任せて! どうせこっちも稼がなきゃならないんだしィ! それに――」


 なんでもいい!!!


 チャコは、なんでもいいから、いいことがしたかった!

 故郷の村を出発してから今まで、いい目を見たことがまったくない。

 つい一週間前も――

 あの、ツルガッツが、壊滅した。

 ハイテクのウルトラ・ドームも、魔神のごとき津波には勝てなかった。津波はトンネルにも突貫し、猛烈な圧力で押し流れ、ついには立孔を昇り、山のてっぺんから海水を噴きあげた。その噴水は、コベの港からも目撃されたという。

 また、その前のウジの町でも――

(ジャクリーヌも、赤ちゃんも、誰一人として助けられなかった!)

 なんとなく、自分が、不幸を撒き散らして歩いているように、見えないこともない。それを思うと、もうめげてしまいそうだ。

「……」

 ヤンが、不安そうに見つめている。チャコは慌てて笑顔を見せた。――こんどこそやってやる!

「むずかしいけど、やってみなきゃ。がんばろ!」

「……はい!」

 少年が頷き、ようやく笑みらしきものを見せたのだった。


 その日は、数種の薬草を採取しただけで終わった。

「ホシノテングタケ、ほんとにあるのかなぁ……」

「ある! ぜったい……」

 訊かれるたびにそう答えるものの、さすがにチャコも、一抹の不安を感じている。

『この森』は、確かに恐ろしく深かった。今日一日で見て回れたのもほんの一部だ。だから、ないとは言い切れない。が、一日歩いて得た感触から、チャコの勘は、存在しない方に傾き始めている。

「とにかく、請けあったからには、全力をだすからね!」

「……ありがとう」

 その日、チャコは少年の家に泊めてもらった。部屋の入り口で、残りの兄弟たちが、その小さな顔をのぞかせている。

 母親を見舞った。

 眼窩がくぼみ、黒ずんでいた。干からびた魚のような肌。呼吸が荒い。そばにいるチャコの存在に気づいていないようすだ。

 ヤンは額の布をかえた。

「……」

 枕元におぼろげに立つ死神の存在を、チャコは感覚した。魔女には、わかってしまうのだった。チャコは気づかれないようにそっと、息をついた。

 ――これは、あきらめるしかなかった。

(このお母さんは、長くない……)

 チャコはつくづく、自分はついてない女だと思う。

「魔女様は、病気を治すことはできないの?」

 部屋を出るとヤンが訊く。チャコは首を振った。

「魔女の力にはね、限界があるの。とくに生病老死の四つにかんしては、魔女の力はおよばないの。人工生命を作れないし、病気を治癒できないし、不老も不可能だし、当然のように死者を蘇らすこともできない。私たち魔女は、これを宇宙の真理とよんでるくらい。魔女宮で日々、能力を拡張する研究がなされているけど、今のところ、毒性とか薬効という現象は、魔力でどう表現したらいいのかさっぱりわからない。結局、わたしたちもお薬に、つまりお医者様に頼るしかないの……」

「……」

「くっつけるだけだったら、例えば切り傷や、単純な骨折くらいだったら、なんとかなるんだけど……。ごめんね」

「……健康な別人に、変身させることはできない?」

 賢い少年だった。チャコは厳しく首を振った。

「同じ病気の別人になるだけだよ」

「……」

 少年が涙目になった。チャコはヤンの肩を、優しく抱いてやるしかなかった。


         5


 翌日からチャコの全力ハントが始まった。木の根本を見て回ったり、うろの中に首を突っ込んだり……。沢を登り、岩陰を覗き込み、藪をかき分け、倒木をひっくり返し……。が、この日は徒労に終わった。

 二日目もまた、無駄に終わった。三日目も見つけ出せなく、四日目には疲労が原因でミスをしてしまった。

 左の手の甲を、毒蛇に咬まれたのだ。チャコは即座に血止めをし、痛みをこらえて毒を絞り出し、冷静に薬を塗布し――そして、いきなり泣き出してしまった。みじめだった。

 翌日は雨が降った。それが数百年ぶりというとんでもない豪雨で、市の人々が川に集まり、堤防の決壊を警戒し始めた。

 ヨドウ川。オサカの上手、森の手前を横切り、コベへと至る大河である。この堤防が決壊したら、いったい八万七千もの人々が住むオサカの市は、どうなってしまうのだろう……。

 だが今はかまってられない。チャコはカッパに身を固めて、滝の中のような外に出た。ついて来ようとするヤンには、水害の警戒のため居残りを命じた。――チャコが戻って来たのは、日が暮れてからだった。ずぶ濡れになっていた。

 翌日。チャコは熱を感じた。肺が苦しい。無理をして出た。その日は晴れていた。しかしそれも三日間のことで、四日目から長雨になると予報した。

 チャコに悪寒が走ったのは、熱のせいばかりではない。川の水位は一向に下がっていない。これで長雨に降られたら……。ともすれば暗うつになる気持ちに鞭を入れ、チャコは腰掛け(スツール)に座り、森へと飛び立った。

 翌日。高熱を出し、起き上がれなかった。ドクターを呼ぼうとするヤンを引き留めた。チャコは彼の目の前で熱冷ましの効果がある薬草を服用して見せ、安心させた。その日、結局一日寝込むことになった。

 翌日。母親の容体が急変した。チャコはヤンの制止を聞かず起き上がった。外に出ると肌に湿り気を感じる。――やはり、明日から雨になる!

 森に入る前に診療所に寄り、ドクター・ケルゼンに往診を依頼した。ドクターに自分の不調を気取られる前にさっさと退散する。

 歯がかちかち言っていた。これは体調のせいばかりではない。気温が下がっているのだ。気がつくと、今日は白夜だった。

「ラッキーね……」

 チャコは無理やり笑った。

「思う存分探せるわ」

 そうつぶやくと、チャコは、腰掛けに乗り上がり、森の奥へと、力を振りしぼる──


         6


 夕刻――

 太陽が沈むことなく森の中を這い回り、樹々とその影が、ざわざわという音を立てるかのごとく重なり合う。陽光の薄い燈色と、大気の白水色が解け合い、暗いと思えば暗い、明るいと思えば明るい、それでいて透明感のある空となっていた。

 白夜。――チャコは小高い丘の上で、とうとう倒れた。

 いくら探してもない――

 体調は絶不調――

 お母さんの容体――

 明日からの雨――

 チャコは、涙だった。

 手の打ちようがなかった。

「くそったれ……くそったれだようっ……」

 バンパーク――魔物が出るという、古き森。


 出ろ、と思った。


 遠慮なく出てきて、そして我が身を喰らうがいい!

 そのかわり、せめて――せめて――


 そして――

 そのときだった。そのときだったのである。


 そのとき、何かの気配がしたのだ──!


 チャコは――

 チャコは――

 顔を上げた。

(……!)

 そこに――


 そこに――

 そこに――

 幾筋もの、光が――

 光が――

 光が――

 ――

 おお――!?

 ――

 不思議な空に――

 見よ!

 奇跡のように流星雨が、光煌めき降り注いでいたのだ!


 幾筋も幾筋も、幾筋も――幾筋も――


 チャコは体を起こした。

「……流星雨!? ……え? ……え? ……え?」

 そして――


 そして、その少女が、現れたのだ――

 ――

 ――

 ――!


         7


「あなたのお名前、なんて言うの?」

「――チャコ、チャコ・唐草です……」

「……それって、本名? クララ・伊達さん?」

「ああっ!」

「やっぱり! やっと見つけたわ!」

 笑顔になる。

「偶然立ち寄った薬問屋の店主さんに、助力を請われました。あなたのお手伝いをさせてください。オーケー?」

 熱でかすみがちなチャコの目に、美少女は、まるで白い妖精のように映った。

「まって……あなたは?」

「――わたしシンディ! シンディ・ブライアント。よろしくね!」

 少女は花のつぼみが膨らむようにほほ笑んだ。


         8


「ヤン! ――ヤン!」

 チャコは大声をあげながら家にとび込んだ。

「やったわ! ヤン! 見て! ヤ……」

 奥の部屋から、ドクター・ケルゼンが現れ、……首を振った。

「ご臨終です……」

「……」

 チャコは気を喪失し、床に崩れ落ちた――


         9


 森の小道を、チャコとシンディ――シンディ・ブライアント二級魔女――が歩いている。

 チャコは、三日間、昏睡した。その間に母親の葬儀も無事に済んでいた。さきほどヤンたちに見送られて、出発したところなのである。

 なんの因果か、母親の式に立ち会い、さらにはチャコの看病まであたったのは、シンディだった。いや、むしろ彼女は、望んで積極的に働いたと言ってよい。

「ありがとう。なにもかも、あなたのお陰。ほんとに助かった!」

「もう! 耳にタコできちゃったよ」

 と、彼女はなんとも雅やかな表現でいらえるのだ。でもとうぶん何度もくり返すであろうチャコだった。

「いいこと? もう言っちゃだめよ。わかった? クララさん」

 チャコは笑った。二人っきりになった瞬間、クララという名前は意味を失っている。

「かんべんして……。本名はみんなには内緒よ」

「どーしよっかなー」

 シンディも笑い声をあげる。

「ああ……」

 小鳥がさえずっている! 空は、すがすがしい青空だ。

 長雨になるというチャコの予報は、外れた! 体調が悪かったせいだろう。チャコは気にもとめてない。それよりも――

 チャコは、ほほ笑んでいる。胸のうちは、充実感でいっぱいなのだ!

(何も起こらなかった。――幸も、不幸も!)

 確かに母の死は、悲しい出来事だろう。が、それは自然の摂理であり、それ自体はけっして不幸ではないのだ。大切なのは、ベストを尽くせたかどうか、だ。

 ヤンを見よ! 精一杯やった彼は、かえって誇らしげだったではないか!

 チャコのそんなようすを眺めながら、

「キノコ、どうする?」

 とシンディが訊いてきた。彼女の手籠の中に、それは入っている。

「シンディ、あなたが見つけたものよ。だからあなたに権利がある」

「ばか。チャコの物だよ、もう……」

 チャコはほほ笑んだ。

「じゃあ、同じ理屈で、ヤンの物! ヤンの家に、置いてきましょうよ!」

「あのね……」

 とシンディ。

「……ひき返すつもり?」

「めんどうなら、わたしがひとっ走り行ってくるから!」

「んもう、おばかさん!」

 シンディはかわいい顔をしかめてみせた。

「あの子、絶対受け取らないわよ。――黙って置いてくる? そんなことしたら、彼、とっても悲しむでしょうよ。なぜって、あと一日早かったら、もしかして助かったかも知れないんだもの。そんなもの目の前にして、幸せになれると思ってんの?」

 チャコはシンディの言葉に、高揚した気分にいきなり冷水を浴びせられた思いだった。ため息をついた。

「そこまで考えなかった……。浮かれてて。ダメね、どうしよう」

「そうね?」

 シンディ、まじまじとキノコを見つめる。

「そうまで思うのなら、かわりに、別の同等品を贈ったらいい。……これ、問屋の親父さんに預けましょ。代金を月払いで坊やたちに渡すよう、親父さんと契約したらいいわ」

 頭のいい少女だった。チャコはこの娘に、ほれてしまいそうな自分を感じた。

「……とってもナイスなアイデア!」

「でしょ? じつは最初から、チャコなんかに渡さないで、そうするつもりだったんだよーーん!」

「ム!」

 ちょっと生意気かな? とチャコは思った。それを察したのか、美少女は華やかに笑った。妖精のように軽やかにスキップする。

「あなただって――」

 シンディはふり返って言った。

「――ハッピーエンドがお好きでしょ!」










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