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3/6

第3話 母に抱かれて眠る日

         1


 地球の乱脈な回転が引き起こす海洋の撹拌は、海岸に常時一〇メートル前後の荒波を叩きつけ、たびたび高さ二〇メートル――まれに三〇メートル!――の津波を発生させた。

 そのエネルギは凄まじく、過去、二〇キロの内陸にまで到達したという記録が残されている。

 そのときの死者、行方不明者は、かるく一万人を超え――

 家屋の倒壊、農作物家畜などの被害総額は、為政者の国家運営の気力を吹き消すほどの数字にのぼったという。

 かほどに海は、危険だった。


 そうと知りながら――

 ああ、これが人の(さが)というものなのか――

 ――海を目指す者は後を絶たない!


 海の危険性を徹底して知らしめるため、為政者は法律を制定した。

 海岸線から一〇キロ以内は注意地帯。

 五キロ以内は危険地帯。

 そして、一キロ以内は、立入禁止地帯。

 これがいわゆる、「海岸法」である。

 許可無く立ち入る者は一万エン以下の罰金。もしくは、最高一カ月の禁固刑であった。


         2


 チャコ・唐草は通行申請書に、

「田中ヒトミ・二級魔女」

 と記入した。

 偽名を使ったのは、人の目を誤魔化すためだ。

 チャコには「畑山里子」という偽名がすでにあった。

 ところが十日ほど前、旅先のウジの町で、事件に巻き込まれてしまったのだ。

 チャコは人々の前で、「里子」の名前で、はっきりと災害を予報した。いないとは思うが万一、災害を回避できた者がいたとしたら、「里子」の名前は、ちょっとした騒ぎを引き起こすことになるに違いなかった。

 だから、別の偽名なのだ。

 ついでながら「魔女」という身分を隠さないのは、そうでもなければ、少女の一人旅なんぞ誰も承知してくれないからだ。


 窓口の役人はチャコの差し出した書類を一瞥して、すぐ突っ返してきた。

「住所、抜けてる」

 鉛筆でコンコンと叩き示す欄が、空白になっている。わざと書かなかった欄だ。チャコはこっそりとため息をつく。少しして、正直にタクラカツ村と記入した。チャコの故郷だ。

 別の町の名前を書くわけにはいかない。それはなぜか? 魔女は、目立つから。自分の町の魔女の名前を、知らぬ者は一人もいない。嘘の町の住所を書いたとして、もしこの役人が偶然その町を知ってたら、目も当てられない。面倒この上もない事態になってしまう。

「タクラカツ村……」

 役人が書類から顔を上げる。眼鏡の奥の目が、ぎろりと光る。そのままじっと、チャコを無遠慮に見つめ続ける。

 チャコの鼓動が速くなった。

(もしかして、手が回っていたのかも――!?)

 タクラカツの村人たちがチャコを捜し出すため、諸方に手配をかけることは、十分に考えられることだった。

 と、そこまで思惑が巡ったところで、測ったように役人が不気味に嗤った。席から立ち上がる。

「田中さん、でしたっけ。……ちょっと、こちらに、おいでください」

 丁寧な語り口だ。

「どういう……」

 ギロッ、と向けるまなざしは、それ以上の発言を許さない。

 周りには、ほかの役人たちや、ここに申請に来たたくさんの一般人がいる。

 その全員の注視の中、チャコは、奥の部屋へと導かれたのだった。


         3


「田中さん」

 ソファーに座らされ、役所の薄ーいお茶をふるまわれたチャコだ。その味が気にならないほど、緊張している。

「二級魔女様とか。……修行の旅でしょうか?」

「……はいっ、はい、その通りです!」

 思わず声が大きくなる。役人は苦笑して、

「どうか気楽に」

 と鷹揚に言う。

「どうも、です」

「……」

 それっきり、役人は口をつぐんだ。チャコはいたたまれなくなってしまった。

「あのう……」

「はい」

「どのような、ご用件でしょうか?」

「ああ……」

 役人は笑う。

「いやなに……。田中さん、法律は、ご存じですよね」

「?」

「ほら、『海岸法』です」

「ああ! あの、一キロメートル以内は、立入り禁止、というやつですか?」

「そうです。……で、その」

 役人は続ける。

「つい一週間ほど前、二人、違反者を捕まえまして……。で、この二人、タクラカツ村出身だと名のっているんです……」

 チャコは、もの凄く嫌な予感がした。

「……そこで、御足労ですが、一度顔を見てやってもらえないものでしょうか。お願いできますよね」

 役人はにっこりと笑った。拒否はすまいな、と言いたげな顔つきだ。

 チャコは運命を感じた。流浪の旅もとうとう、ここに終焉を迎えるはめになってしまったようだった。


 カビ臭い牢屋に案内される。

 チャコを見て、歓声をあげる二人の若い男。チャコの方も、知った顔だった。原田伸彦と、ライナス・シャープ。それぞれ、一区、二区の、区長の息子だ。

 チャコは二人の口をふさぐのが、気づかれずにできる精一杯の魔法だった。ここで本名を叫ばれてしまったら、事態はさらにやっかいなことになる。

 当然、残していくわけにもいかない。

 チャコは二人の身元を保証し、罰金を代わりに支払った。――二万エンだ。

 そのあとは極めてスムースに、役所の外に出ることができたのだった。


         4


「へへ……」

 と原田伸彦が照れ隠しに笑った。

「……すんません、唐草様」

「じつにその、めんぼくないことで……」

 とライナス・シャープ。ふだんから仲のいいコンビだ。伸彦はウェーブがかかった黒髪に黒目。ライナスはまっすぐな銀髪に、ブルーアイの持ち主だ。もう少しで成人で、そこそこ背が高い。今は二人とも髭だらけ、垢だらけだった。ちょっと匂う。

「……罰金は、帰ってから、必ずお返しします。倍にしてお返しします!」

 答えずチャコ、二人をグッ、と睨みつけた。

「なんでよ!」

 と、斬るような口調。

「なんで禁止区内に入ったの!?」

 この二人が禁を破らなければ、何事もなかったのだ。

「見たかったんです、海」

「おいらも……」

 返って来たのは実に単純素朴な言葉だった。実はチャコもそうなのだが、二人ともその歳になるまで、一度も海というものを見たことがない。

「じゃ、なんでふつうに申請しなかったのよ!」

「お金がないっス……」

 異口同音の答え。実際、通行手形はなんと千エンもする。千エンもあったら、二人して立派な宿屋に一泊できる。見るからに節約しての旅路の彼らに、そんな余計な金はなかったのだろう。そう、二人は、辛い旅をしていたのだ――

「……へへ……へへ、唐草様……」

 伸彦は鼻をこすった。

「帰りましょうや。みんな、心配してまっせ……」

 グサっときた。ライナスが言葉をつなぐ。

「あのくそったれの強盗団にしてやられてから、みんな唐草様のこと心配して心配して……。ウチのオカンなんか、とうとう寝込んじゃったりして。……そういや、奴ら、どうしました?」

「……」

「なんで……へへ、唐草様はこんなトコに……へへ、いらっしゃるんで?」

 ああ――答えられないチャコ。

「唐草様?」

「唐草様?」

「……」

 チャコは黙したまま、歩きはじめた。二人があわてて後を追う。

「……あのう」

 と伸彦。

「そちらは、村とは、逆方向」

 とライナス。

「どちらへ行かれるんで……」

 そして、ついにその言葉が来た。

「……村を、捨てるんですか」

 チャコの足が止まった。

 物心ついたときから、ずっと生活してきた村だった。先代の慈しみ、村人たちの好意。故郷の村あって、はじめて現在のチャコがあるのだ。

 チャコは泣き出しそうになった。やっぱり旅はここまで。――これが運命だった!

「……湾を渡る」

 と、チャコはついに返答した。

「向こう側に着いたら、湾づたいに引き返す。……そして、帰ります」

 吐き出すように言った。

 最後の旅だった。せめて、それくらいは、わがままを聞いてほしかった。

 意外なことに、

「一緒にお供させてください!」

「お願いします!」

 と二人は逆に申し出て、反対しなかった。

 この場からすぐ引き返すより、チャコの言うことを聞いた方が、より長く彼女とつき合える。そう考えたようだ。

 それに何と言っても、旅だ。

 二人の若者の生涯で、このようなチャンスは、そう何度も巡ってくるとは思われない。

 二人ともチャコに好意を寄せていて、それを隠していなかった。彼らにとって、今以上にチャコと親しくなれるチャンスでもあるのだ。

 そのチャコは、二人の思惑を知ってか知らずか、やがて歩きはじめる。区長の息子コンビが、顔を明るく輝かせながら、その後ろをついてくる。今にもスキップしそうなていたらくだ。

 ふいに、

「あの強盗団……」

 チャコがふり返らずにしゃべった。

「……トカゲにしてやったわ」

「……」

「……」

 いくぶん青ざめる二人。風が吹いてチャコの魔女の髪の毛がかき乱れた。黒色のミニスカワンピの裾がはためく。ここは、港への、連絡街道だった。


         5


 内陸から港への連絡街道は、津波の害を考え、山の稜線に敷設されている。所々に道しるべも立てられていて、まず迷うことはない。このような街道を歩くかぎり、コンパスは必要なかった。

 道は、途中からトンネルに変わる。そのトンネルの入り口、山頂基地の屋上展望台に、三人がいた。

「ここから立坑を垂直に下って、底に到達したら、そこから水平に進めば、ツルガッツの港町なんだそうで……えへへへへ……」

 伸彦、とても楽しそうだ。

 風が強く顔を打つ。

 上空に、白い鳥が浮かんでいた。

「カモメ……というんだそうです」

 ライナスが誰ともなくつぶやく。

 そして―― 

 チャコは手をかざした。

 青空――非現実的な真っ白い雲が、異次元的に狂ったように舞い踊っている。その先――

 遠く――陸地(おか)の尽きる所。

 そう──

 ――

 ――海なのだ!!

 太陽光を反射させ、きらきらと輝いて――

(あの色は――青――青なの?)

(その遠く、さらに遠くに広がって――)

(円い――本当に?)

(この風は――大洋からなの――!?)

 ――

 体中に、鳥肌が立つ――

「……そばで、見たい」

 思わずこぼれてしまった言葉だ。

「でしょう? でしょう!」

 二人の若者が、目をまん丸にして、激しく頷いた。


 トンネルの立坑は、エレベーターだ。底まで三分はかかったろうか。

 初めての機械式移動装置。それもエレベーターの重力感覚。空を飛び慣れているチャコはともかく、連れの二人は、酔って青い顔をしている。むりもなかったが、チャコはおもわず笑ってしまったのだった。

「こんなんでくたばってどうするのよ? これから船に乗んのよ!」

「……へへへえ!」

「大丈夫です!」

 吐き気もなんのその。久しぶりに見るチャコの笑顔で、大喜びの二人だ。

 トンネル内は多少肌寒く、湿り気が感じられる。ライトに照らされた通路を行くと、プラットホームに出た。複線である。鉄道レールが両側にあって、今は右側に、トロッコを改造した列車が止まっている。列車と言っても、先頭がバッテリー駆動車で、あとは車輪ユニットの上に、むき出しの座席を取りつけただけのものだ。

 チャコたちは椅子に座り、振り落とされないように安全ベルトを装着した。慎み深く、お淑やかに両手を裾の上に置く。準備オーケー。ちなみに座席はワンユニット二人がけで、チャコの隣にはジャンケンで勝った伸彦が座った。ライナスはつまらなそうにチャコの真後ろの席に腰を下ろす。

 他の旅人も全員席に着き、ほぼ満席である。ベテランらしき運転士が後方から前方へと歩きながら、乗客の安全を確認する。チャコという若い若い女の子を見て、彼は一度思わせぶりにニヤリとしたのだった。そして、運転席に収まる。さぁ、一気に気持ちがたかぶる。そして出発、進行――!


 ばちん。

 ぶうん……。

 ガチャコン。ガコン!

 ごろん、ごろおん、ごろお、おおおお……。


 動いたぞ?

 動いたぞ!

 走ってる──!

 うははあああ! なんだか鼻血が出ちゃいそう!

 おお、トンネルの空気が顔を打つ!

 がーがーと音が響き渡る!

 ああもう、心臓がどきどきしっぱなし。破れちゃいそうだった!


 走りだして五分もたったころ、左側のレール、港からやってきた列車とすれ違った。

 双方からもの凄い歓声が上がり、チャコらは思いっきり両手を振りあった。

 祝福と激励の大声! あっという間の笑顔笑顔笑顔! 湾の向こうからの旅人たちだ! 彼らが乗って来た船に、今度はチャコたちが乗り込むのだ。

 そして──

「うわっ!? この匂い?」

 初めて嗅ぐこの匂い。直感でわかった。海の匂いだ! これが、海の匂いなのだった!

 その潮の香りがだんだんと強くなってくる。おお!

 心臓が高鳴る! と、唐突にトンネルが終わり、列車はいきなり明るい空に放り出された――!


 チャコたちは驚きの悲鳴を上げる! うわああああ──空中レールだあああ!!!

 それは太古のテクノロジー、まさに浮遊するレールであった!

 トロッコは光の満ちた空を走り、眼下には豆粒のような町が広がっている!

 ツルガッツの港町――!

「!」

 ああここは、こここそは、一つの町を丸々飲み込んだ超巨大なドームの内側だったのだ。トンネル出口のある切り立った山壁から、かなた港まで、大面積、高々度を一気に囲ってしまったウルトラ・ドーム!

 機械(メカニック)だ! これが伝説の「ハイテク」だ――!

 鉄筋が、三角に組まれながら、ドーム内壁を支えているのだが、その壁が――透明素材なのである。

 だから、チャコの360度は、青空と、大海原の、大パノラマなのだ。

 このドーム内上空をスイスイと伸びるレールを、列車は豪快につっ走る――! 

 脚の素肌を流れる風の下は、空中だ!

「きゃーきゃーきゃーきゃー……!!」

「うわーうわーうわーうわー……!!」

「ひゃーひゃーひゃーひゃー……!!」

 チャコたち、いや乗客のみんなが、歓声をあげっぱなしだった!


 レールは徐々に高度を下げ、列車はとうとう港駅に到着した。

 運転士に感謝の会釈をし、ひどく満足して駅舎の外に出ると、ゆったりとした、無限の力が籠もったような、まるで大太鼓を叩くような、そんな音が聞こえる。すぐにわかった。

 ドーム外壁に(・・・・・・)、|海が体当たりしている音だ《・・・・・・・・・・・・》。

「!」

 感動で震えた。歯の根が合わない……。

 チャコたちは港の方へ歩いてみた。

 港――ドーム内部には、海がひかれている。そこの海面は湖のように、さざ波ひとつなく静かにおさまりかえっていた。ずっと向こう、壁を透かして、うねまくり、揺れまくりの外洋が見えるものだから、このギャップには、感覚をおかしくさせられてしまう。まっこと、海とはなんだろう? 地球って、なんだろう? これほどの水をこぼさないとは、いったいどれくらい大きいのか?

 今、目に見える、超、超、量が集まった、大きな水。それは形なく勝手に波打ち動き回る水。その巨大な(かいな)が、中に入れろとドームを叩いている。もはや神としか言いようがない。

 畏怖をおぼえ、目を桟橋から下へ落とすと、それはそれで濁りのない綺麗な水色なのである。

「あれ、ああっ、ホラ!」

 お魚が群れをなして泳いでいた。

「……」

 言葉がない。ともかく、なんとも不思議な光景なのだった。


 ここまで来たんだからと磯に下り、片手で海水をすくって、嘗めてみた。――ウヒョ、生しょっぱいゾ! もう笑ってしまうしかない。海を全部煮詰めたら、いったいどれくらいのお塩が取れるのかしら。そんなことを思ったりした。

 また上に戻り、桟橋を歩いた。その先に――

 そこに、チャコたちが乗り込む船――潜水艦――が、どっしりと浮かんでいたのだった。

 全長九十六メートル。原子力潜水艦。――これも、もう呆れるしかない、太古からの掘り出しモンなんである。あらゆる意味で、ものすごい、老朽艦だった。たった今壊れて沈んでも、おかしくない印象さえ受ける。

「……大丈夫かしら」

 思わずつぶやくと、

「――ったりめえよ! ヘイッ!?」

「まかしときな――!」

「大丈夫! 壊れても沈むだけ! まかりまちがっても浮き上がりゃしねえサ」

「ガハハハ……!」

 ちょうど通りかかった下船船員たちが、それぞれ親指を立て、ウインクし、口笛を吹き、船乗り特有のジョークを言い放ち、あるいはキザっぽいセリフをがなってよこした。チャコらはまたしても気分が高揚して、自分たちも親指を立て、ヤアヤアと海の男らに応えたのだった。


 出港までまだ一時間あった。町中に戻った三人は、食堂で腹ごしらえすることにした。

 伸彦とライナスの二人は、無一文だった。どうやらあの役人に、有り金全部巻き上げられてしまったらしい。

 んん? つまり、罰金を二度払いしたことになる。そうだろう? しかも、取り返せない──

 あっ、と思った。

 そーゆーことか! 今になって、あの役人の不審な態度の理由がわかる。つまり、知ってて、気づかないふりしてたのだ。ちょろまかすために! うーおー、やられた……。

 チャコは腹が立って、魚の頭に八つ当たりしたのだった。

 男二人は無頓着だ。しきりにチャコに恐縮しながら、珍しい料理をむさぼり食う。――チャコは、もう笑うしかない。

「遠慮しないで。そうよ、どうせ」

 強盗団のお金だし……と、チャコはさすがに言葉を濁す。

「どうもどうも……」

「うめえうめえ……」

 彼らはお代わりをした。チャコは吹き出した。かなわんなあ、と思う。


         6


 潜水艦は、ツルガッツ湾の南端と北端約五〇キロを結ぶ連絡船だ。

 南端がこのツルガッツ港。北端は、コベという小さな港町。湾づたいに歩けば、たっぷり二〇〇キロはかかる道のりだ。なるほど、千エンの価値はある。

 時間が来て、チャコたち乗客は階段に並んだ。潜水艦は、太古の戦艦だったとのこと。曲面のデッキの上を歩き、ブリッジの側面ドアから一人ずつ中に入って行くとき、なにかしら、これから戦場へ赴く気分にさせられる。 

 内部は、外観から想像していたよりも広々としていた。見る物手に触る物、何もかもが珍しくてしょうがない。

「――噂っスけど、艦長の機嫌がよかったら、途中で海面に浮上して、デッキを開放してくれるって、話ですぜっ」

「うっひょう!? まじ?」

「沖のただ中で、海、見れるの!?」

 三人とももう興奮しっぱなしだ。

 めいめいが椅子に収まったころ、船内スピーカーで、艦長の簡単な挨拶があった。渋い、いい声だ。惚れてしまいそう。だからタノムぞ艦長!

 そして、出港――!

 一度軽い衝撃が走った。……あとは、静かなものだった。港内所定位置で潜水を開始し、ドームの海中ゲートをくぐって外海へ出て行く。

 船窓はない。荒れる大海原、巨大な潮の塊の中へ……といくら頭で考えても、実のところチャコには実感がどうしてもわかない。なんか、ちょっと揺れる建物の中にいる、という感覚だった。緊張も、徐々に薄れて行く。

 だが、連れは、そうはいかなかった。こういう微妙なのがいけないらしい。三人掛けシート、チャコの両隣で、伸彦とライナスは、早くも青い顔をして縮こまっている。

 ついに伸彦が席を立った。一層青黒い顔になっている。

「トイレ……」

 と一言残し、よろよろと歩いて行く。

「かわいそうに……」

 約三時間の航海だ。到着したころにはどうなっているんだろう。

 チャコの斜め前の座席に、赤ちゃんを抱いた婦人がいた。この女性も、そうとう青い顔をしている。

 ふとした弾みで目が合い、二人は会釈した。チャコは気の毒に思い、

「しばらく、赤ちゃんお預かりしましょうか?」

 と申し出た。

 女性はほっとしたように笑顔を見せた。

「すみませんけど、じゃあ、お願いします……」

 女性はゆっくりと立ちあがり、チャコに赤子を渡した。そのままトイレの方に歩いて行く。

 チャコ、預かった赤子をあやしてみた。

「えべべべ……」

 赤ちゃんがきゃらきゃらと笑った。目が大きくて、きれいで、お口もお手々も小さくて、なんともメチャメチャかわいい。

「んぱー、ぺろぱー、ぱららー……」

 赤ん坊のレベルに合わせて、とろけるほど優しい言葉をかけるチャコだ。ふと見ると、なぜか幸せそうに、ライナスが顔をほころばせていたのだった。

 そのライナスも、ついにトイレに立った。チャコは通りかかった乗務員に、船酔いの薬と、どこか横になれる場所がないか尋ねた。

 薬は、今から飲んでも効かない、とのこと。ベッドは、その先の区画に、乗客分以上そろえてあるとのこと。よくあることだ、遠慮せず好きなだけ使ってくれ、と海の男は頼もしく答えた。

 なんだか体に力が張り巡った。やりがいを感じる。

 旅は道連れ、世は情け……。チャコは自分の連れと、赤ちゃんのお母さんの、めんどうを見る気になった。まかせとき!

 伸彦が戻ってくる。吐ききったのだろう、ずいぶん、顔色がよくなっている。

 声をかけようとしたとき――

 ――艦内に、金属がひん曲がるような音が響いた。

「?」

 次の瞬間、体が浮くほどの衝撃と――爆発音がした。

 ――

 信じられなかった。

 ――

 ――海水が、一気になだれ込んできたのだ!


         7


 ツルガッツ港、沖あい五キロの海上に浮かぶ小島――

「ノぉブヒいコオオオッ! ラあイイナああスッ!」

 チャコは赤子を胸に抱き、声をからした。

 と、足元の船の残骸の陰から、

「チャ、コ……」

「ノブ!? 伸彦! ああ神様! よかった――!!」

 チャコは指差し残骸をふっとばし、伸彦の体に手を回す。

「へへ、なにが……起こったんで……」

「わたしだってわかんないよ! それよりライナスは!?」

「わかんね……」

「――チャコ! ノォブ!」

 小島の浜の向こうから、よろよろとした姿――

「ああ! ライナス!」

「無事か!?」

「ああ、よかった……」

 再会した三人の周りに、死んで動かない者、生きて動かない者、被害者が折り重なっている――

 ──

 ──

 ──!

「おお――!」

 容赦なく荒海の波しぶきのふりかかる、小さな小さな島!

「おおおう――!!」

 膝が崩れ落ちるほどの、目が眩むばかりの、潮のその黒い流れ――!

「――」

 顔を背けると、潜水艦の無惨な姿。浜に横倒れになり、その腹が三分の一以上破壊されている。まるで内臓を抜かれた魚のようだ。

「動力が暴走して、島に乗り上げたようっスね……」

 とライナスが言う。

 チャコは険しい顔で、そのさらに向こうを見ている。小さく、白色に光る、丸い建造物――

 ――ツルガッツのウルトラドーム、おお、我らが頼みの命綱!

 突然、

「うわああチャコ――!」

 伸彦が絶叫した。驚いてふり返ると、彼が外洋はるか沖を指さしていた。

「!」

 伸彦も、ライナスも、そしてチャコも、顔面から血の気が一気に引いた。

「――!」

 チャコがその瞬間気づいた。

「お母さん!? ――この子のお母さん!」

 今まで気がつかなかった! チャコの腕の赤子は、火が点いたかのように泣き叫んでいる――!


         8


 男たちの怒号がとび交う――!

 だれもが目の前の光景を受け入れることができない!


 連絡潜水艦の――破壊事故!


「軍への救援要請!」

「病院の手配!」

「関係役所への緊急連絡!」

 ツルガッツ・ドーム外壁のてっぺん――ドーム屋上に設けられた中央管制室は、慌ただしく動き回る男たちでごったがえしている――


         ※


 ベルが二度、ちん、ちん、と鳴り、電信機が紙テープを吐き出しはじめた。

 ツルガッツ・ドーム最高責任者、ペーター・ブロノフスキーは、その太い指でテープをからめ取ると、食い入るように読みはじめた。

「!」

 軍からの回答――

「……放射性物質による汚染のため、付近の海域、及びツルガッツ港を、半永久封鎖する。即時内陸に退去すべし。二十四時間後に、連絡街道を完全封鎖する。なお――」

 彼は自分の目を疑った。

「――艦の生存者は、一切、諦めるべし!」

 ペーターは電文をくしゃくしゃに握り締め、床に叩きつけた。

「クソッたれがッ!」

 マイクを取り上げ、怒鳴った。

「船を出せ!」

 スピーカーの向こう側、設備班班長の驚いた声があがる。

()、ですか?」

「二度も言わすな! アホんだらッ! それしかねえだろうが!」

「――軍は?」

「こねえッ! オレ達がやるんだ! このオレが出る! さっさと――」

 そのときだった。

 ペーターでさえ体を震わすほどの、大音が鳴り響いた――

 それは、警報機の、サイレン。ペーターの顔面から、みるみると血の気が引いて行く。

 突っ立ったままのペーター……だが、逡巡はわずかな間だった。

 彼はマイクのスイッチを切り替えると、絶叫した!

「全員退避――!」

 言い終わるが早いか、ペーターは緊急シェルターに向かって走り出していた――


 だれもいない基地の中で、ただサイレンだけが鳴り響いている――


 それは、津波警報の、サイレンだった。


         9


「カモメになれ!」

 二人が聞いた、チャコの最期の言葉。そして――


 海水の壁──


 数世紀に、一度、あるか、ないかの――


 高さ、二三〇メートル!


 まるで、自分らが、そっちへ落下しているような――


 その風圧に、伸彦・カモメと、ライナス・カモメが、紙切れのように吹き飛ばされて行く――


 巨大な水塊が、二三〇メートルの水圧が、島を、たあいなく踏み潰して行く――

 

 ――


 ――


 ――


         10


 ツルガッツ湾北端。コベ港の、人里離れた無人の海岸――

 空から、(ほこ)を背負った甲冑武者が、静かに降りてきた。

 腕に、少女を抱いている。

 チャコだ。

 チャコを白い砂浜にそっと座らすと、武者は一礼し、消えかかった。

「待ちなさい……」

「ははッ」

「……名は、なんという」

「それがし、増長鬼(ぞうちょうき)と申します。クララ様。四天鬼(してんき)のうちの、南方の鬼めにて、御座ります……」

「……」

 甲冑武者は、右手に矛を持ち直し、左手を甲冑の腰に当て、ポーズをとると、その姿のまま、すう……、と消えて行った。

「……」

 やがて、のろのろと立ち上がるチャコ。

 海は、穏やかな、美しい光景だった。

 雲が平和に浮かび、青空は水平線で蒸気と解けあう。潮騒は耳に心地よく、打ち寄せる小さな波は透明。砂浜は白く、熱く、どこまでも続いている。

 風は肌をやさしくなぶり……。

 ……巨大なエネルギを解放したばかりの、ふぬけの海だった。

「ああそうだ……」

 チャコはぶっきらぼうに口走る。

「……はやく、内陸に戻んなきゃ。海岸法に違反してる」

 ゆっくりと歩きだす。

 海に背を向けて。

 チャコは強いて明るく考える。

(――ともかく、命が助かったのだ!)

(あの二人だって――!)

(安全を確認できたら、元の姿に戻るように術をかけている)

(そんなの朝飯前よ! なんたって、わたしは特級魔女)

(元の姿に戻ったとき、裸でさぞかし慌てることでしょうね!)

 ここで、くすくす笑う予定だった。……予定は、いつまでたっても実現されなかった。

 そして――


 二人は村に、チャコが、こんどこそ本当に死んだと報告するだろう……。と、思ったそのときだった。


 背骨を貫くようなショックを受け、チャコはがくりと砂浜にひざをついた。

(――わたしは、赤ちゃんを助けず、なぜ、あの二人の方を助けたのか?)

(――)

(まさか?)

(まさか――!)

 風が、柔らかだった。

(わたしは――!?)

 息が詰まった。

 涙があふれた――

(わたしは――! わたしは――?)

 うつ伏せに倒れた。

 こぶしを固めた。

 打った。

 ――何度も、何度も。

(わたしは――)

(わたしは――)

(わたしは――)

 血がにじむのもかまわず、チャコは、砂を、叩き続けている――











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