第1話 旅立ちの日
1
チャコ・唐草はとっても速い。速いも速い、地球より速い一級魔女だ。その一級の称号はダテじゃあない。チャコの予報は、ほぼ一〇〇%の確かさなのだ。
さて、四月九日土曜日午前十一時。ザパーン国、キキン地方のヘイゴ県内、タクラカツ村の村外れ、古くてデカい魔女屋敷の前庭に、村長と六人の区長が集まっている。雪こそ降らぬが空気は冷え、七人のオヤジら、輪になって赤い焚き火を囲んでる。黒熊のオーバーを羽織ったり、山犬のチョッキを着込んだり、まるで彼らが獣のようだ。それぞれポケットサイズの平ビンを、一口、二口やっている。だらしなくも、すでに顔に朱がさしていた。
玄関の戸がキイッと開き、チャコが出てきた。バルコニーの柵に手を置く。庭の地面の男らの、おしゃべりが、ぴたりと止んだ。視線が集中する。
背中にそよぐ、青がかかった黒い髪の毛。瞳の色は月夜黒。凛とした、それでいて柔らかな顔かたち――
真っ黒い、裏は緋色の、正マント。ふぅわり細身の身体を包んでる。歳は、あと一月たらずで、花も恥じらい、雪も赤らむ十と五になるはず。
チャコは一つ咳払い。春の小川のせせらぎの、弾むがごとし奇麗な声音で告げたるは、いにしえの秘術秘法により得られたる、母なる地球の回転予報――!
「あす日曜日。南西から南東へ転がるもよう。……雪が降るかもね」
嗚呼! この予報の解説はひどくムズかしい。南西から南東へ、一体なにが転がるのであろうや!? あっさり答を言うなれば、それは、太陽なのである。南西から南東へ――空を――移動するのは太陽なのだ。太陽運行を「転がる」と表現しているのである。
なんとなれば、その見かけの軌道が一定でないからだ。
幸いにして地球公転軌道は太古の昔のそのまんま。が――
おお! イレギュラーローテーション、おぶ、アース! ヘンテコなるかな地球のその回転よ!
地軸の位置がぐいぐい変わる――!
東西南北あらゆる向きへ、絶え間なく変化する。したがって自転は不規則極まりなし! 真東から昇った太陽が、いきなり真北に方向転換することだってあるのだ。
ここで注意。東西南北、これはかつての方位を絶対方位としての、方位だ。かつての北極点を極北と固定して、求まる方位である。
チャコの回転予報――
この大地から見て――このタクラカツ村から見て――明日の太陽は南西から昇り、南東に沈むと言っている。
さらに解説すれば、南西から南東ということは、その軌跡は相当浅いということだ。太陽が顔を出すだけまだマシというものだが、つまり冬なのだ。そりゃ、雪も降るだろう……。
「月曜日。西南西から南東へ転がります。
火曜日。西南から東南東へ転がります。
水曜日。西南西から南東へ転がります。
木曜日。西南西から東南東へ転がります。
金曜日。西南西から東東南東へ転がります。
土曜日。かわらず。――このまましばらく安定です」
チャコは静かに語り終えた。
どうやら来週は、前半は冬のまま、後半は夏に、なるようだ。四季の順番から言って、冬の次は春なのだが、うれしい春の暖かさから冬へと逆転する場合もある。だので、安定した夏の期間の、最初の二、三日を春と呼ぶ習わしになっている。ついでに秋も、同様の考え方だ。
今日は冬の土曜日。それもまだ午前中。チャコの予報は区長が持ち帰り、村人はそれぞれ、季節にあわせた支度をするのだ。
「誠にもって、毎度どうもありがとうございます……」
ちょび髭の壮年の、腹が見苦しくでっぱった村長が一同を代表して礼を述べ、男たちはばらばらに低頭する。村長のその服のボタンが首を絞められて、今にもちぎれて弾けそう。ちょび髭は素早くチャコにウインクした。好きモノのオヤジの顔に、さらに一層の皺が寄る。
村長としてはチャコになんの不満もないだろう。タクラカツ村、現、回転予報官・チャコの、予報官としての才能は申し分なく、先代に比べてもよほど正確で、だいいち、チャコは可愛い少女なのだ。
ゆくゆくは孫の嫁に――あるいはおのれの愛人にしたいと、けしからぬ思いを抱いている。残り六人の区長にしても、同じようなものに違いない。七人の男ども、それぞれが歯を見せ笑顔をつくり、顔をしわくちゃにしてウインクしたり、ふとい唇をキスの形にしたり――
チャコは、こころの中で、ベーをした。
※
地球は、想像すらかなわぬ遠い昔から、でたらめに回転していた。
不規則な自転の理由として、ある学者は、各方位の神々が、その主座の奪いあいをしているのだと声高に主張した。その一方で、太古の人類の、最終戦争の影響だと語る学者もいた。
チャコのような魔女、回転予報官の歴史もまた、同様に長い。その誕生は、地球が乱脈回転をはじめたのとほぼ同時期だと、一般には認識されている。科学者も数学者も匙を投げた回転を予知・予報できるのは、彼女ら魔女しかいなかった。
チャコは、捨て子だった。それを先代、カオル・唐草特一級(特級)魔女が保護し、そのまま名付け親、養い親となったのだ。
チャコが正確に三歳になったとき――拾いあげたとき、いっしょに生年月日が記された守り札が見つかっている――はじめて、カオルは魔法を教えた。ほどなく、彼女はチャコの天性の才能に気づく。彼女は狂喜した。全霊をあげて、おのれの業を叩き込んだのだ。
だが。
おそろしや天才児への教育――!
それは弟子以上に師匠の生命を殺ぐものだった。長年の無理が積もり、彼女は倒れた。昨年のことだ。師から弟子へ、連綿と受け継がれてきた業と魂を、すべてチャコに伝授し終えた直後のことだ。
さすがのチャコの看病も及ばず、三日後、彼女は転がる地球を見守る彼方――天の国へと旅立った。
「(魔女宮の)さいこう(魔女)さまにもひってきするか(もしれない)……」
カオル・唐草の、最期の言葉だ。
※
魔女屋敷は、許可がないかぎり立ち入り禁止だ。不法侵入者は、容赦なく豚やトカゲに変身させられる、と言われている。実際はどうか知れぬ。が、試そうとする村人は、これまで一人もいなかった。
チャコは、未練たらしくしきりにひきとめるオヤジたちを無視すると、さっさと屋敷に引っ込んだ。
ダイニングに行き、ヤカンを火にかけた。正装のマントを脱ぎ、黒のミニスカワンピだけになると、ぐったりと椅子に腰かける。疲労だ。怠惰だ。村役人の男たちの相手をする、気苦労だ。平服に着替えるのがめんどうで、そのままのかっこうでしばらくじっとしていると、ヤカンが笛を吹きはじめた。
チャコはお茶を淹れる。行商人が運んでくる、高価な紅茶だった。
「ふう……」
じんわりと、気持ちが和らいでいく。安らぎのひとときだ。
2
学名、カメリア・シネンシス――
太古の昔、お茶は種としては、この一種類しかなかった。ただその茶葉の加工のマジックで、緑茶や紅茶をはじめとする、さまざまな種類が誕生したのだ。
今は違う。
乱脈回転の影響で全滅しかけた茶木は、各地のバイオ技術によって改良され、それぞれ蘇った。つまり、文字通り産地ごとに品種ができたのだ。
さらに、全品種に完全な摘採期ができた。狂った一年の――なぜかは知らぬ、太古のリズムをその身の内に脈打たせていたのだろうか、茶木は――まず四月に一斉に芽を吹く。これが一番茶――ファースト・フラッシュ――になるのだ。
※
紅茶の香り――
チャコは目をつむる。心は遠く、異郷の空を羽ばたく。
異なる風習、異なる言語。珍しい物品、異文化の薫り――
「ああ……」
(そこはどんな所なんだろう……!)
紅茶は香る。それは誘惑の匂い。
かなうならば、地位も名誉も、財産も、何もかも投げ出して、流浪の旅人となりたかった!
このままこの村一か所に縛りつけられ、老いていくのは耐えられなかった。
(流浪! なんというあやしい響き……!)
その言葉を思い浮かべるだけで、血が熱く、ざわめくのをどうすることもできない。
――しかし。
(わたしには、後を継いでくれる人がいない!)
この事だ。
チャコ――というより、予報官がいなくなれば、村は困る。天候、季節がわからないと、生活がなりたたない。村はたちまちのうちに疲弊し、衰退するのはまちがいないところだ。
それを知っていながら、後継者を残さず勝手に出て行くのは、いかにチャコといえど気が引けた。無責任だと素直に思う。なんといっても、チャコはこの村で生きてきたのだ。
また、一級魔女などという高レベルの魔女は、なかなかいるものではない。代わりは――いないのだ。
無理やり出て行こうとすれば、村人は、豚やトカゲを覚悟でひきとめにかかるはずだ。
チャコはまた一口すすり、ため息をつく。
3
翌日曜日、一団の隊商が村を訪れた。総勢二十数人の小さいグループで、村にははじめての顔ぶれだった。
彼らは、荒っぽい行商人にありがちながさつなようすを見せることなく、穏やかな態度で村長に挨拶した。そのあと、口を極めて村長をほめ倒し、ダメ押しに、初の取引ゆえ、今回に限り、出血覚悟でお安くすると申したてた。
彼らが持ち込んだ商品は、マッチや油など日常の必需品だったので、それこそ村長以下、村人たちは諸手をあげて歓迎したのだった。
村が招待した客人には、村の魔女がじかに回転予報を伝えて、旅の出発日のアドバイスをするのが習わしだ。いつの間にか、今回はそれに当たると、村役人は判断してしまっていた。
そんなわけで、隊長が魔女屋敷を表敬訪問した。
迎えるチャコは、黒いミニスカワンピ。黒いニーソックス。略式だがちゃんと礼にかなった服装だ。そんなことより、年頃の少女の黒は、その魅力を存分に際立たせる。案の定、隊長は大っぴらに顔をほころばさせた。
チャコがはじめて見るその顔は、日に真っ黒に焼け、細かな皺に覆われて、耳の形はぎざぎざで、鼻の頭に傷痕があるのが隊商らしいと言えば言える。太り気味の中年男で、商人特有の品定めするような眼差しがたえず見え隠れし、なんとなくチャコは好きになれない。
「唐草一級魔女様。噂を聞くにつれ、一度拝謁の栄に浴したいと夢見ておりました。今日、縁あってその願いがかない、恐悦至極でございます」
(さよけ……)
チャコは知らん顔だ。
「お近づきのしるしに、贈り物をさせていただきたく思います」
「……気を使わなくてもいいのに」
「お茶でございます」
男が顔を上げ、にっこりと――にっこりと、であろう――笑った。――笑ったのであろう。
「お茶がお好みと聞いております。すべての種類にお通じになられておるとか? しかしながら、これなる茶葉はまだ試されたことはございますまい。珍品中の珍品、茶葉を芽吹かせるのに、まず三十年はかかるという幻の茶木、至高の一品にてございます……」
「!」
「ガスフィルターという特殊保存器具をもちまして、鮮度は良好。なによりこの茶木の特質であるところの――うんぬんかんぬん」
「うんうん、うんうん――!」
さすがかけ引きはうまいものだ。チャコは隊長の話術が紡ぎ出す、あやしの見知らぬ世界のその中に、逆に招き入れられてしまった。
お湯が沸き上がる。
その隊長の柔らかな表情に、チャコはなんの警戒心も働かなかった。なによりも、いまだかつてかいだことのないふくよかな香りに、チャコは抗しきれなかった。
一口、すする。――香りに想像された以上の味わいだった!
チャコは夢中で飲み干し――
4
目が覚めたとき、チャコは上半身を縄でぐるぐる巻きにされ、幌の荷車の中にいた。
「……!」
「気づいたか?」
あの隊長の顔があった。
「……ここは?」
馬車の荷台の中。そして馬車は動いている。ナベやら靴やら、シャベルやらカゴやら、雑々とした荷物と一緒に、チャコは転がされていた。
金庫の前で金勘定している手をとめ、その男は嗤った。
「お味はどうだったい? 麻薬茶のよう! たまんなかったろうよ!」
口調がまるで変わっている。再び金貨、銀貨を数えるのに夢中になった男は、むこうを向きながら、
「うまくいったもんだわい……」
と、嬉しげにつぶやいたものだ!
「あんたがた、……!」
「ようやく気づいたか? 嬢ちゃん。最近ご近辺をお騒がせする、緋狼組てぇちんけな強盗団が、なにを隠そう、わしらってわけだ。緋狼組……なんだ知らんのか? 不勉強だぜ。だからそんなメぇに遭うんだ」
その男、強盗団の頭領は、いきなりチャコのあごをつかんだ。
「噂通りマレに見る上玉じゃい! たまにゃ薬浸けにする前に、かわいがってみるかの?」
チャコは噛みつこうとし、逆に横っ面をひっぱたかれてしまった。口の中が切れ、血の味が広がる。
「――この、けだもの!」
頭に血が上った。チャコは自分の愚かさかげんに、骨がばらばらになりそうなほどの怒りを覚えた。恥辱で目がくらくらくらむ。
「けだもの! けだもの! けだ――」
「元気でけっこうだがな、嬢ちゃん……。自分がどんな姿になっているのか、まだわかってねえようだな?」
チャコはぐるぐる巻き――後ろ手に縛られていた。
頭領は金庫に尻をおろし、余裕をもってチャコを見おろす。
「小便はしたかぁねえか?」
「――」
チャコは顔が真っ赤になった。その一瞬後、弾けるように後ずさった。荷物が押しやられ、芋やらカップやらがごろごろガラガラと崩れ落ちる。
頭領がげらげら嗤った。
「したくなったら、いつでも言いな。おじさんが、させてやるぜ」
「いや! この、この……ひとでなし!」
頭領は余裕の態度で立ち上がると、上機嫌に酒ビンを手に取り、荷台から前の座席に移った。
「さて、金貨何枚で売れるやろうか――」
「村の人たちが黙っちゃいないわ!」
「殺したよ。全部……」
背中から、そう、こたえがあった。
「うそ……?」
チャコは目を丸くする。
頭領は一口ラッパ飲みすると、振り返って顎をしゃくった。チャコがその先を見ると、ぼろぼろの布に包まれた荷物が転がっている。布から、黒鉄の筒先がはみ出ていた。
「嬢ちゃんは知らねえだろうが……機関銃てぇやつだ。太古の武器だわさ。敵が何百人いたって、こいつ一丁にゃあかなわねえ……」
チャコは絶句。
「お前んとこの村長、自分の命と引き換えに、お前を差し出したんだぜ。ひでえ奴だよな?」
と顔をしかめて見せる。
「あんなクサレ野郎、わしデエっきれえだからよ、嬢ちゃんをもらったあと、ちゃんと殺してやったんさ。嬲り殺しよ。けっさくだったぜ!」
これで観念しただろうと思ったのか、頭領は顔を戻した。
チャコは――
一人荷台に転がされながら、チャコは――
――チャコは、嗤っていたのだった!
不意に、大声を張り上げた。
「おいっ、ゲス!」
頭領がまた、振り向く。うるさげな表情をしている。
「ゲスたあ、わしのことかい?」
「ほかに誰がいるかよッ!」
チャコの口調がガラッと変わった。このときよく目をこらしてみれば、チャコの瞳の奥に、妖しくほのめく光に気づいたであろう。が――
「けっ……。小娘、あとで後悔させてやらあ……」
どんな凶悪な犯罪者でも、魔女には絶対手を出さない。なぜなら、半分、魔人だから。これが、この世の常識であった。そもそもそれすら知らぬ、このローカルな強盗団頭領に、気づけというほうが無理だった。
「全員集めろ」
「んああ?」
「あんたの耳は吹きヌケか? 脳ナシ! てめえのちんけなカス連中を、全員集めろと言ったんだよ!」
「……なんで?」
「小便!」
「……?」
チャコは真っ赤な顔で叫ぶ。
「小便がしてえんだよ! 殺された村人の恨み晴らしてやる! てめえら全員に、小便ひっかけてやるんだ!」
「――」
頭領が目を剥いた。一呼吸おいて、奇声を発した。
世の中には、いろンな風習があるもンだ!? そう信じ込んだ、ローカルなオヤジの顔だった。頭領は酒ビンを投げ捨てると、幌から出て、
「止めろ! おいっ! おおいッ! 野郎ども――ッ!」
塩涸れた声を張り上げたのだった。
5
ずらりと集まった男たち。そいつら一人一人が、罵声を上げ、笑い声を上げ、口笛を吹き、手を叩き足を打ち、血走った目で食い入るように荷台上のチャコを見つめている。
仲間が十分興奮したころを見計らい、頭領がゆっくりと立ち上がった。
チャコに近づく。なぜか? 小便を手伝うためだ。
裾をたくしあげ、パンツをむしり取り、幼児にやるように後ろから抱きかかえ、股を開かせ、やらせるつもりだ。躊躇はまったくない。
荷台でぐるぐる巻きのままあぐらをかいているチャコの前で、地上の頭領は腰に両手を置き、立ち止まった。
「コホン。……さて、偉大なる魔女様。うんだらば、やって、頂きまっしゃろか? ここに居並ぶ野郎ども、わし以下ココロから反省し、貴殿の恨みの小水に、従順にこの身を打たせる所存でございますたい!」
いったいどこの出身なんだろう。
「これで全員か?」
とチャコ。
「ほいな」
と、頭領はこたえた。
「ならば――」
やおらチャコは声を張り上げた。
「――おのれら豚――いや、トカゲになれ!」
その瞬間――
――男どもの肉体が消えた!
ばさ、という布の音……。
あとに残った、男どもの服。
……その服の中から、貧弱なトカゲがちょろちょろと現れ、あっという間に岩陰に走り去って行った。
豚ならば冬を無事に越してしまうかもしれない。ならばこその爬虫類だった。
(そういえば)
村の客人には、アドバイスしてやるのが習わしだ。
「よい旅路でありますように……」
マニュアル通りのせりふを口にする。
6
風が吹いて、ふと気づくと、チャコの縄がほどけている。
いつの間にか、目の前に、一人の老いた女性が立っていた。
紫色のマントを羽織り、紅玉、青玉の飾りを身にまとっている。髪飾り、指輪、錫杖もまた、夢のように美しいものだった。
が、なによりもチャコを圧倒したのは、その女性の気品だ。ユリの花のような高貴さ、清らかさ、厳しさが、まるで波紋のように伝わり、チャコの全身を容赦なく透き通って行く。
ようやく我に返ると、チャコはあわてて荷台から降り、低頭した。
「お見事でした」
と、その女性の涼やかな声。
「恐れ入ります。――して、貴方様は?」
「嘉納苑子。最高位魔女様の使者です」
「!」
一瞬にして鳥肌が立つ。嘉納苑子――!
ひどく高名な魔女だ。そのうえ、最高位魔女様からの使者だという!?
「唐草チャコ殿」
「ははっ!」
腰をかがめる。
「最高位魔女、AAAの名において、そなたを特一級魔女と認める。以上」
「!」
「さらばじゃ」
嘉納魔女は立ち去ろうとした。チャコはあわててひきとめる。いきなりのことで、なにがなんだか理解できない!
「……そなたの先代から、そなたの昇格の申請がなされていたのです。そして、それが認められた。わたしはそれを伝えに来た。……ただ、それだけのこと」
と、嘉納は説明する。
「しっかり魔女道に励むがよい。それと……」
一拍の間ののち、彼女は続けた。
「…… そなたの村は、全滅などしてはおらぬ。野盗の言い分は、そなたを脅すための虚言でした。事実は、村人数名に怪我人が出た程度です。機関銃も壊れていて、こけおどしの役にも立っていません。……今頃、村人たちはそなたを救出するため、総力あげて追いかけているところでしょう」
今度こそお別れだった。伝え終わると、嘉納はチャコの目の前で、静かに、空中に消えて行ったのだった。
「……」
呆然と立ち尽くす、チャコ特級(特一級)魔女だ。
7
リュックを背負い、狼の毛皮のマントにくるまれ、雪原を歩く少女がいた。
弱々しい太陽が南東に沈みかけたころ、少女は林を見つけた。立ち止まって林の奥を覗きこむ。少女の口元から、白く、息が流れている。それが途切れる。そこで野営する決心をしたようだ。
少女は澄んだ声で何かを命じた。と、辺りに転がっている倒木が雪を撒き散らし、飛んで集まってくる。空中でバキバキと豪快に割れ、薪になる。
「燃えよ!」
瞬間、木の表面が赤く発光し、やがて、勇ましく炎が踊りはじめた。
焚き火が赤々と照らすその顔は、チャコ・唐草その人だった。
※
地球上の全ての国々は、太古の最終戦争によって、ゆるやかに統一された。
魔女の世界もまた、同様であった。魔女宮という組織によって、全世界の魔女たちは律しられているのである。各人には認められた権利があり、共通の価値観があり、そしてルールがあった。たとえば、階級である。
魔女の階級は、上から、
「最高位魔女(最高魔女、魔女王)」
「超級魔女(超魔女)」
「准超級魔女(准超魔女)」
「特一級魔女(特級魔女)」
「一級魔女」
「二級魔女」
「三級魔女」
「四級魔女」
「見習い」
と並んでいる。
「最高」を別格とすると、「超」と「准」はSクラス。「特級」がA+クラスで、「一級」はAクラスになる。
「二級」がBクラス。
「三級」以下は、推して知るべし、である……。
「最高」は女王のことで、世襲制である。当然一人しかいない。
一般の魔女にとっては「超」が最高ランクだ。「超」となった者は自動的に、魔女宮の最高意志決定機関・超魔女会議のメンバーとなり、それは十三名の定員制なのである。嘉納苑子は、そのうちの一人なのだ。終身制であり、というわけで、「准超」は、その順番待ち、といったところ。
そして「特級」。
このクラスも、極めて人数が少ない。やがては「超」へと成長する才能の持ち主か、または「一級」の中で、長年の功績が認められた人物がなる「名誉位」だった。例をあげれば先代・カオルがそうである。いずれにせよ、この位に就く人物は、相当な年代である。ふつうの才能の持ち主は、事実上、ここまでが限界であった。
したがって、チャコほどの幼さで「特級」とは、まず前代未聞だ。
「二級」で、はじめて独立が許される。その実力は、地球の自転とほぼ同速度。明日の回転を確実に予測する実力を認められた者が、与えられる位である。
独立後研鑽を積み、実力を高め、数週間以上先の予測を立てられるようになってはじめて、「一級」位が許される。
だから、チャコは地球よりも速いのである。
※
翌朝。
チャコのテントが黄色に染まった。顔を出すと、痛いくらいの眩しい朝日。
一日がはじまる――
西南西からの太陽だ。昨日までと違い、上昇の角度が大きいのが一目でわかる。
これからおよそ二週間は、安定した夏を迎えるのだ。
「うーむ……」
今いる場所、このままだと、雪が解かされ、巨大な泥地となってしまう。
そうなる前に、堅い乾いた大地に登らなければならない。
チャコは伸びをし、荷物に、リュックに収まるよう、命令する。
彼女が持つ装備のすべては、強盗団のものだった。今、チャコが手のひらにのせている物は、ジャイロコンパス。つねに絶対南北を指し示す方位計だ。これがなかったら、荒野の旅は、事実上不可能だったろう。なんらかのメカニズムによって半永久的に働く、太古からの掘り出し物、貴重品だった。
そのコンパスが指し示し、彼女が向かおうとしている方角に、彼女の村はない。
そう――
――チャコは、故郷を捨てた。
(村の人たちは、強盗団の手によって、自分は死んだものと、諦めてくれるのではないかしら?)
(だとすれば、あれほど望んでいた流浪の生活が、ここに実現する!)
このチャンスを、チャコは見逃すことが――とうとうできなかった。
辺りは、立ち昇る水蒸気によって、霧のような状況になってきている。ただの霧ではなかった。雪原が、夏の太陽に炙られているのだ。地面から吹き上がる雨といってよかった。
(早いとこ脱出しなきゃ、ずぶ濡れになってしまう……)
チャコは足を速めた。
春――
少女の、あてのない旅のはじまりだった。