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エンドリア物語

「海風の香り」<エンドリア物語外伝55>

作者: あまみつ

 早朝、オレは店を開ける準備で、商品の飾り棚を拭いていた。

 カツカツ。

 扉をたたく音がした。

「どうぞ、開いています」

 カツカツ。

 奇妙な音だ。

 叩かれている位置は、床から1メートルほど。

 子供か、別の何かか。

 窓から扉の前を見た。

「あれ?」

 見慣れた姿があった。

 扉を開けると、柄を下にして、跳ねながら店内に入ってきた。

「トンプスン会長のところに行ったんじゃないのか?」

 ブラッディ・ローズと呼ばれる長さ1メートルほどの金属製の鞭だ。

 有名な魔法道具だが盗難にあって行方不明だった。この間、犯罪者の巣窟プルゲ宮でシュデルの影響下に入り、桃海亭に来た。闇ルートから鞭の持ち主魔法協会会長ガドフリー・トンプスンに桃海亭にあることが伝わり、返還請求がなされた。

 一昨日、トンプスン会長に返したばかりだ。

 ブラッディ・ローズはオレを無視して、食堂に入っていく。

 食堂をのぞくと、すでにシュデルの左腕に巻き付いている。

「寂しかったんだね。後で、倉庫でみんなと一緒に遊ぼうね」

 シュデルが鞭の先端を優しくなぜている。

 店の扉が荒々しく開かれた。

 入ってきたのは、上等なローブを着た魔術師3人。

 店を通り抜け、食堂の入り口にいるオレを押しのけて、シュデルの前に立つと先頭の魔術師が重々しく告げた。

「シュデル・ルシェ・ロラム。ブラッディ・ローズ盗難の罪で逮捕する」

 ローブの懐から羊皮紙の巻物を出すと、開いてシュデルに見せた。シュデルは羊皮紙に素早く目を走らせた。

「わかりました。一緒に参ります」

「待ってくれ。なぜ、シュデルが盗んだことになるんだ?」

 ブラッディ・ローズが自力で戻ってきたのは、魔術師達も自分の目で見ているはずだ。

「魔法協会会長が盗難と判断したのだ。会長の判断に間違いない」

 私怨なのか、それとも政治的な判断なのかわからないが、とにかく、シュデルを捕まえたいらしい。

「わかった。シュデルを捕まえていい。だが、オレ達が帰ってくるまで待ってくれ」

 先頭の魔術師が眉をひそめた。

「実は魔法協会災害対策室のスモールウッドさんから至急の依頼を受けているんだ。オレとムーが出かけて、シュデルまでいなくなると桃海亭が空になる。もし、ムーが作った魔法アイテムを盗まれたら大変なことになる」

 オレは先頭の魔術師の表情を観察した。

 依頼内容によっては、3人で出かけることもある。

 桃海亭を監視している魔法協会関係者なら知っているが、今回来た魔術師は別の部署のようだから知らない可能性が高い。

「……依頼はいつ終わる?」

 やはり、知らなかったようだ。

「ジックラ王国のミチタという漁村がある。そこに現れた大型モンスターの討伐だ。知っていると思うが、ジックラ王国はタンセド公国の隣の小さな国だ。今から出れば馬なら夕方には着く。漁村の人たちの為にも急いで終わらせるつもりだ」

「今日中には終わるのか?」

「夜の戦闘は難しいと思う。でも、早ければ明日の朝には終わると思う。オレ達が戻ってくるまで、シュデルを連れて行くのは待ってくれないか?」

 先頭の魔術師は数秒迷った。

「依頼の話は本当なのか?」

「本当だ。信じられなければ一緒に来ればいい。邪魔さえしなければ、見ていてくれて構わない」

 階段を下りてくる音がした。

「準備、できたしゅ」

 ポシェットをかけたムーが食堂に入ってきた。

 いいタイミングだ。

「ミチタの人々を救うために、オレ達はすぐに出かけなければらならない。どうする?」

 急かされた先頭の魔術師は、振り向いて後ろの2人を見た。小声で相談している。

「店長、これを」

 シュデルが準備してくれていた背嚢をオレの足下に置いた。

「頼んでおいたものは入れてくれたか?」

「はい」

 シュデルがうなずいた。

 先頭の魔術師がオレの方に来た。

「我々も同行する」

「わかった。トラブル回避のためにサインだけして欲しい」

「サイン。何のサインだ?」

「シュデルを捕まえに来たのは、あなた方3人だけなのか?」

 黙った。

 シュデル・ルシェ・ロラム。

 強国ロラムの第5王子。

 詳しい内容は知らなくても、異能があるという噂くらいは聞いているはずだ。

 抵抗されることを考えれば、3人では少なすぎる。

 オレは側にあった紙とペンを引き寄せた。

 手早く書き上げたのは約定書。

 オレとムーが魔法協会の依頼を終えてミチタから帰るまで、シュデルの逮捕は行わないという内容だ。

 約定書は先頭の魔術師に渡した。目を通すと手を出した。ペンを渡すと、ユーリアン・オブライアンと名前の欄にサインをした。

 格好のいい名前だ。

 名前もいいが容姿もいい。ツヤツヤの長い金髪を後ろで縛っている。目は切れ長でスカイブルーだ。顔立ちも整っていて鼻筋が通っている。暴力賢者ダップと同じ金髪碧眼長身美青年だが、ダップが絵に描いたような美青年なのに対してユーリアン・オブライアンは落ち着きがある男らしい美青年だ。

「格好いいなあ」

「店長、声に出ています」

「オレ、この間も女の子に………」

「これをどうぞ」

 背嚢をシュデルに押しつけられた。

「早く行くしゅ」

 ムーに手を引かれて店を出た。

 オレは桃海亭とパン屋との間に置いた自動二輪車を引き出した。

 ムーはすぐにまたがった。

 行く気満々だ。

「ミチタに出発しゅ!」




「何をしている!」

 オブライアンがオレとムーに怒鳴った。

 オレ達は漁村ミチタに夕方に着いた。オレとムーは自動二輪車で、オブライアン達は馬でオレ達についてきた。

 最初にしたのは村長に会うこと。魔法協会の依頼で来たことを告げると困ったような顔をした。

 オレは『空き家を貸して欲しい』と頼んだ。続いて『討伐には時間がかかるかもしれない』と言うと村長は笑顔になって、海辺の廃屋に近い空き家に連れて行ってくれた。

 屋根と壁だけの小屋に近いが、風と雨はしのげる。囲炉裏もある。10メートルほど歩けば真水のでる井戸もある。希望以上の物件だ。

 オレとムーはすぐに海辺に行って、漁の後かたづけをしている漁師の人達から魚を安く売ってもらおうとした。オレ達は魔法協会からモンスター退治にやってきたのだが、討伐に時間がかかりそうだと言うと、小ぶりの魚と巻き貝をタダでくれた。

 小屋に戻って、オレの背嚢からシュデルに頼んで入れてもらった、炭、塩、油、小麦、串、網を出して、囲炉裏の横に並べた。炭を囲炉裏に並べて、木片を乗せ、火種を作って入れて、火を大きくしているところでオブライアンが『何をしている!』と怒鳴ったのだ。

「見てわからないのか?」

 火のついた炭に、紙であおいで空気を送っている。

 炭をおこしている以外には見えないはずだ。

「明日の準備はしなくていいのか!」

 オブライアンがオレに怒鳴った。

「もう、日が沈むからな」

「そうしゅ、明日しゅ」

 浜辺でもらってきた魚をうっとりと眺めているムーが言った。

「そろそろだな」

「そろそろしゅ」

 魚に塩を振って串に刺した。巻き貝は網に乗せた。焼けたら身をほじくり出して食べる予定だ。

「オレは小麦を練るからな、焦げないように見ていろよ」

「わかったしゅ」

 井戸から水をくんできて、板間を洗い、そこで小麦を練って薄くして、油を塗って串に巻いて火にかざした。

「食べるのか?」

 オブライアンが不気味な物を見る目で焼いている食材を見た。

「もちろんです」

「美味しそうしゅ」

「オブライアンさん達の分はないですから、自分の夕食は自分たちでなんとかしてください」

 オブライアンが火にかざされた魚と貝と小麦を見た。

 かなりの量に見えるだろうが、食べ盛りの若者2人。楽勝だ。

「焼けたしゅ」

 ムーがポシェットからフォークを出した。

「よし、食べるぞ」

 オレは背嚢からフォークを出して、貝を刺した。中身を引きずり出してかぶりつく。

「うまい!」

「ほよよしゅ!」

 ムーは貝を網から床に移動させて、ハンカチで貝を押さえて食べている。

 行儀が悪いが、皿がないのだからしかたない。

 オブライアン達は動かない。

 呆然といった感じで、魚と貝を夢中で食べているオレ達を見ている。

「あの、ですね、寝る場所と食べ物は、あっち……自分で確保してください」

 オブライアン達が驚きの表情を浮かべた。

 3人とも上等なローブを着ている。旅に出るときは、誰かに宿の手配から馬の世話までしてもらっている身分だろう。

 当然、オレが宿の手配や食事の世話などやってくれると思いこんでいたのだろう。

「オレは桃海亭。あなた方は魔法協会。わかっていますよね?」

 オレに、彼らを手伝う理由はない。

「こんな小さな村ですけど、探せば宿屋があるかもしれませんよ」

 オブライアン達は何も言わずに出ていった。

 オレとムーは焼き魚と貝に戻った。焼けた小麦をかじりながら、新鮮な魚と貝を食べる。飲める真水も存分にある。

 しこたま魚を食った後、横になった。

 オレのささやかな不満は、隣に寝転がったムーが口にした。

「野菜も欲しかったしゅ」



「何をしている!」

「見てわかりませんか?」

 言ってから、昨日の夜も同じ会話をしたことを思い出した。

 早朝、オレとムーは、夜明け前に漁に出た漁師達が浜に戻ってきたところで魚を売ってもらおうとした。漁師達はすでに事情を知っているらしく、オレとムーに『頑張ってくれ』という言葉と一緒に抱えきれないほどの魚を無料でくれた。

 小屋に戻ってきて、その魚を焼くために火をおこしている最中だ。

 そこにオブライアンがやってきて、オレ達を怒鳴りつけた。

「魚なら昨日も食べただろう。さっさとモンスターを倒しに行け!」

「モンスターを倒すには準備がいります」

「どのような準備だ」

「昨日、魔力を消費する自動二輪車を使いました。あれは魔力を多大に消費します。ムーの魔力を回復させなければなりません。その為にもしっかりとした食事は必要です」

「ウィルしゃん。これ、かけていいしゅ?」

 オレの背嚢からシュデル特製のミックススパイスの瓶を取り出した。

「まだ、長いからな。かけ過ぎるなよ」

「わかってるしゅ」

 ムーが慎重に魚にスパイスを振っている。

「ムー・ペトリの魔力はいつ頃回復する」

「昼頃には大丈夫です」

「その頃にまたくる」

 オブライアン達が小屋を出ていった。

 オレとムーは、魚を串に刺して焼いた。

 余った魚は、食事後、小屋の外でサバいた。塩水につけ込んだ後、風通しのいいところに干した。

「干物、うまくできるといいな」

「はいしゅ」

 潮風が吹き抜けていく。

 空は快晴で、海は凪いでいた。



「何をしている!」

 昼間、小屋を訪れたオブライアンが、小屋の脇に作った手製のカマドの前にいるオレとムーに怒鳴った。

「魚とカブを煮ています」

「もらったしゅ」

 塩を買いたそうと村に行った。1件だけだが雑貨屋があり、オレ達のことをすでに知っていて、塩を大量に安く売ってくれた。更に干物を作っている話をすると、干物用を入れる大きな木箱もくれた。ムーに保冷の魔法を掛けてもらえば、長期間の保存が可能になる。

 塩と木箱を持って小屋に戻ってくると、見知らぬ漁師さんが小屋の前に待っていて、魚とカブをくれた。オレとムーは漁村には貴重なカブをくれたことに心からお礼を言った。『頑張ってくれよ』と言われ、オレもムーも力強くうなずいた。

 それから、オレは小屋にあった鍋で魚とカブを煮込んでいる。ムーは木箱に保冷用の魔法を掛けたが、やりすぎて冷凍庫になってしまった。桃海亭に持って帰るという目的は果たせるので、問題はない。

「モンスターを倒しに行かないのか!」

「行きます」

「行くしゅ」

 オレとムーは、同時にカブの入った鍋を指した。

 食べてから、ということは伝わったはずだ。

「ここで待つ」

 小屋のひさしの下に三人で立った。

 オレとムーは煮えたカブと魚を、ゆっくりと食べた。カブの甘みが魚に染みて、ホッペタが落ちそうなほどうまかった。

「さて、行くか」

「行くしゅ」

 午後の3時を回っていたが、まだ陽は高い。

 オレとムーは、湾の一画にある小さな浜に降りた。

 4、5人乗りの小さな漁船が整然と並べられていた。

「いるかな?」

「いないしゅ」

「帰るか」

「帰るしゅ」

 オレとムーが浜から出ようとすると、オブライアンが立ちはだかった。

「モンスターを倒しに来たのではないのか?」

「来ました。でも、いないんです。だから、また来ます」

「湾にいないなら、外海を探せばいいだろう」

「無理を言わないでくださいよ」

「そうしゅ」

「ムーは船酔いがひどいんです。あんな小さな船で外海に出たら、ゲロゲロになって、しばらく動けません。戦うなんて無理です」

「そうだしゅ。ボクしゃん、船酔いするしゅ」

 ムーがコクコクとうなずいた。

 オブライアンの横を抜けて、浜から出ようとした。

「……私でもいいのか?」

「何か言いましたか?」

「はうしゅ?」

「私がそのモンスターを退治してもいいのかと聞いたのだ?」

 オレとムーは笑顔を浮かべた。

「ぜひ」

「よろしくしゅ」

「わかった。討伐するモンスターの名前を聞いていなかった。教えてもらいたい」

「クラーケン」

「クラーケンしゅ」

 クラーケン。海に住む烏賊のモンスターだ。

 世界中の深海にいて、年に数回ほど人間に目撃される。目撃された場合、その場所を一時的に封鎖して、クラーケンが自分から深海に戻るのを待つのが通常の対応だ。

 船を襲った場合のみ、討伐の対象になる。

 オブライアンが怪訝そうな顔をした。

「本当にクラーケンなのか?船が襲われたという話を聞いた覚えがないのだが」

「本当にクラーケンです」

「クラーケンしゅ」

 オレは外海の方を指した。

「岬の突端に行けば、見ることができるかもしれません」

「いるとわかっていて、なぜ討伐しない」

「外海に船で出るのはムーには無理です」

「無理しゅ」

 岬の方を見ているオブライアンを残して、オレとムーは小屋に向かった。そろそろ干物をとりこまなけばいけない。





「何をしている!」

「スモーク用の箱を作っています」

 小屋を訪ねてきたオブライアンが、いきなり怒鳴った。

 時間は午前8時過ぎ、そろそろ気温があがっていく。

 早朝、オレとムーが湾を見に行くと、モンスターはいなかった。漁から帰ってきた漁師さん達が魚をわけてくれた。ムーが帰ろうとした時、浜に集められた流木に乾いたリンゴの木があるのを見つけた。

 小屋に戻ってきて魚をさばいて、塩水に漬けて、小屋にあった廃材で、スモーク用の箱を作っているときに、オブライアンがやってきた。

「モンスターを倒しに行かないのか!」

「湾には行きました。でも、モンスターはいなかったんです」

「リンゴの木しゅ」

 拾ってきた流木をムーが自慢げに指した。

「それがどうした!」

 ムーがデカい目をさらにデカくした。

「知らないしゅ?」

「リンゴの木のチップは、スモークにいいんですよ」

「魚をスモークするより、モンスターを倒せ!」

「倒すモンスターが見つからないんですから、倒せませんよ」

 オレは再びスモーク用の箱を作ることに専念した。煙が漏れないよう破片を組み合わせて隙間を埋めていく。

「私が倒していいのだな?」

 オブライアンが確認した。

 オレは振り返らずに頼んだ。

「よろしくお願いします」

「よろしくしゅ」

 ムーが浜辺を歩いているカニを見つけた。

「唐揚げにして食べたいしゅ」

「油がないんだ」

「あきらめるしゅ」

 オレは立ち上がって、遠ざかっていくオブライアンの背を見た。

「見たら、あきらめるかなあ」

「わからないしゅ」

 ムーがカニを突っついた。




「あれはなんだ?」

 翌日の昼過ぎ、青い顔をしたオブライアンが小屋を訪ねてきた。

 魚をスモークの最中で、箱の隙間から煙がモクモクと空に立ち上っている。

「クラーケンです」

「クラーケンしゅ」

「嘘を言うな!」

 オレにつかみかかろうとしたのを、後ろにいた魔術師が肩をつかんで止めた。

「本当です。大きいですけど、クラーケンです」

「あれはクラーケンではない。色が黒い」

「異種ですから」

「異種だと?」

「ブラック・クラーケン。名前くらいは知っているんじゃないですか?」

 ブラック・クラーケン。

 名前の通り黒い烏賊だ。通常のクラーケンより大型で体長は50メートルを超えるものもある。放置しておいても深海に戻ることはない。浮かび上がった海域に居着いてしまう。大型の魚が主食だが、船が通りかかると問答無用で襲いかかるので、見つけ次第討伐対象になる。

「岬から見ただけだが、30メートルは越していた。あのモンスターをどのように倒すのだ」

「秘密です」

「秘密しゅ」

 オブライアンの目が揺らいだ。

「もしかして、いや、疑っているわけではないのだが、あのモンスターを倒せないから、湾にいないことを理由に退治しようとしないのか?」

「いえ、湾にいないからです」

「そうしゅ、あんなの簡単しゅ」

 煙がモクモクと広がって、オブライアンが咳込んだ。

「心配ありません。オレ達はブラック・クラーケンを退治できます」

「できるしゅ」

「オブライアンさんが倒したければ、先に倒してくださって構いません」

「倒してしゅ」

 オレとムーはオブライアンを見上げた。

「倒したら教えてください。オレ達もここを引き上げます」

「帰るしゅ」

 オブライアンは複雑な顔でオレを見た。




「頼む。退治してくれ」

 桃海亭に来た時とは別人のようにやつれたオブライアンがオレに言った。

 ミチタ村に来て一週間。真っ白だったローブは汚れが染みついている。ツヤツヤだった金髪は海風でバサバサだ。頬はこけて無精ひげが生えている。

「そう言われましても」

「湾にいないしゅ」

 小屋で朝食の焼き魚を食べていたオレとムーは同じ答えを繰り返す。

 もらった木箱には、スモークした魚と貝、干物がぎっしり詰まっている。オレ達もそろそろ帰りたいのだが、条件が整っていない。

「オブライアンさんが退治されれば、そのことをオレ達はガレス・スモールウッドに報告します」

「報告するしゅ」

「礼金の金貨5枚もオブライアンさんが受け取ってください」

「金貨5枚?」

「ブラック・クラーケンですから、そんなもんです」

「そんなもんしゅ」

 オブライアンの顔が強ばった。

「あれが金貨5枚……」

 オブライアンが扉のところに立ち尽くした。

 そのオブライアンの後ろから、見た顔が現れた。

「今朝で終わったよ」

「終わりましたか?」

 村長さんは全開の笑顔だった。

「ああ、終わった。本当にありがとうな」

「それは良かったです。それでは、始末しますね」

「頼むよ。来月からは外海で漁だ」

「一緒に来ますか?」

「大丈夫なのかい?」

「後のことを考えると、実際に見た方がいいと思います」

「他のやつらも呼んでいいか?」

「いいですよ。昼の12時頃に岬のところに現れることが多いようなので、12時に岬の突端でどうですか?」

「わかった。みんなで見に行くな」

 軽い足取りで村長さんが村に戻っていった。

「………どういうことだ?」

 オブライアンが低い声で聞いた。

「聞いての通りです」

「私にはモンスターを退治すると聞こえたのだが」

「その通りです」

「その通りしゅ」

「湾にいないから倒せないと言っていたではないか!」

「その通りです」

「その通りしゅ」

「私に嘘をついていたのか!」

「オレ、嘘なんてついていません。モンスターが外海にいる、船に乗ったら倒せないと言いましたよね。本当に船酔いがひどいから無理なんです」

「無理だしゅ」

「でも」

 オレとムーは笑顔で続けた。

「船に乗らなければ倒せるんです」

「乗らなければいいんしゅ」

 オブライアンは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。







「助かったよ」

「ありがとうな」

「あんたらのおかげで、今年は大漁だった」

 約束の12時に岬に行くと村人がたくさん集まっていた。

「あんた、知っていたのかい?」

 雑貨屋のおかみさんに聞かれた。

「退治の依頼が来たとき、おかしいなと思ったんです。オレ達がやるような仕事ではなかったので。裏があると思って調べたら、料理好きの店員が知っていました。ミチタは大陸で唯一、アンダエビがとれる場所だそうですね」

「そうなんだ。この時期だけ湾に群でやってくる」

 最初に魚をくれた漁師の人が言った。

 村長がオレの手を握った。

「今年は湾の入口に居座ったクラーケンのおかげで、アンダエビを餌にする大型魚が湾に入ってこなかったんだ。豊漁で喜んでいたところに、クラーケンが退治されると聞いて困っていた。あんた達がアンダエビの漁が終わるまで待ってくれて本当に助かった。ありがとうよ」

「オレ達こそたくさん魚をもらいまして、ありがとうございました」

「魚が欲しかったらいつでも来なよ。あんたたちなら歓迎するよ」

 雑貨屋のおばさんが笑顔で言った。

「ウィルしゃん、ウィルしゃん」

 ムーがオレのシャツの裾を引っ張った。

「出たか?」

「あそこしゅ」

 500メートルほど先の海面に黒い三角のものが見える。

「烏賊かな?」

「烏賊しゅ」

 ムーの言葉が終わる前に、黒い三角が大きくなった。烏賊のエンペラの現れ、続いて円錐状の本体が現れた。

「デカいな」

 漁師の誰かが言ったのが聞こえた。

 30メートルは超えてそうだ。

「いくしゅ!」

「ファイアとかブリザードはやめておけよ」

「わかってるしゅ」

 そう言うと左右の指を使って奇妙な印を結んだ。

「くらえしゅ。ピンクウエーブスリーーーしゅ!」

 小さな光の玉がヨロヨロと烏賊に向かって飛んでいった。

 烏賊の本体が全部に浮かび上がり、長い足が数本海面から突きだした。

 光はゆっくりと烏賊に向かって飛んでいる。

「よっしゅ!!」

 ムーのかけ声とほぼ同時に烏賊に触れた。

「おぉーー!」

「すげーーー!」

 感嘆の声があちこちからした。

 烏賊が内側から爆発したのだ。巨大な体は粉々になって海面に飛び散った。

 オレは野次馬の中にいる村長を見つけた。

「これで、もう大丈夫だと思います」

「ありがとうな。つまらないもんだが、こいつを持っていってくれ」

 アンダエビが入った箱を渡された。

 まだ、食ったことがないが、口の中でとろけるほど柔らかくて、甘みが強くて美味しいらしい。

「ありがとうございます」

「ありがとうしゅ」

 恭しく受け取った。

「もう、行くのかい?」

 自動二輪車が側の木に立てかけてあるの見て、村長が言った。

「はい。家を貸していただきありがとうございました。1週間楽しく過ごさせていただきました」

「あのボロい小屋で楽しく暮らせるのは、あんた達くらいだ」と村長は笑った。

 オレ達はもう一度礼を言い、自動二輪車の荷台にアンダエビの箱と冷凍木箱をくくりつけ、帰路についた。

 オブライアン達は、魂が抜けたような顔で海を見ていたので、ソッとしておくことにした。

 店に着いたのは日が沈んで間もない頃だ。オブライアン達を気にせず、自動二輪車を飛ばしたおかげで早くに帰れた。

 シャワーを浴びて、さっぱりして、留守の間のことをシュデルから聞きながら、シュデル特製のミートボールスパゲッティとアンダエビのサラダを食べた。アンダエビはたくさん貰った。保冷庫にいれておけば、しばらくは美味しく食べられる。

 オレは気分良く眠りについた。




「なんでいるんですか?」

 早朝、アンダエビを食べようと食堂に降りたオレは、予期せぬ来客2人に戸惑っていた。

 ひとりは、魔法協会本部の災害対策室室長のガレス・スモールウッドさん。アイスティーを飲みながら、アンダエビが山盛りになったサラダを食べている。

 もうひとりは、暴力賢者ダップ。サラダからアンダエビだけを選んで食べながら、オレとムーが作った干物や燻製の魚や貝が詰まった箱を漁っている。

「依頼終了の連絡を受けた。ブラック・クラーケンは即時退治が原則だ。エビ漁を理由に退治を遅らせることはできない。だが、ミチタ村のことを考えるとすぐに退治するのは躊躇われた。今回は桃海亭に依頼して本当に良かった」

「良かったと思うなら、そうパクパクとアンダエビを食べないでください」

「私の給料では食べられない高級エビだ」

「わざわざエビを食べに、桃海亭に来たんですか?」

「表向きは礼金の支払いだ。本題は例の件で、エビはおまけだ」

 おまけのはずのエビが急速に消えていく。

「おい、貝はこれだけか?」

 箱を探っていたダップが、顔を上げた。

「それだけです。でも、あげません」

 オレの声が聞こえなかったかのように、貝をつまみ上げた。

「味見しないとな」

 ポイと口に入れる。

「変わった味だがうまいな。もらっていくか」

 ポケットから布袋を出した。

 当然のことのように箱から干物や燻製した魚や貝を詰め始めた。

「おい、どうなっているんだ?」

 シュデルに聞いた。

「店長達がミチタ村に行ったことを魔法協会で聞いたそうで、毎日、店長達のお帰りを確認しにいらしていました」

「それって」

「海産物が好物だそうです」

 オレは袋に詰めているダップに言った。

「ダップ様はお金をたくさんお持ちなんですから、海産物くらい買ってください」

「高級海産物は食い飽きたんだよ。変わった味が食いたいんだ」

「オレとムーが作ったもんですよ」

 ダップがフフッと笑った。

「オレ様が調査してないと思うのか?お前ら、シュデルの調合調味料を持って行っただろう」

 オレはシュデルを見た。シュデルは首を横に振った。

 情報源はシュデルではないらしい。

「うまいな、これ。東の方の味付けかな」

 貝の燻製をポイと口に投げ込んだ。

 苦労の結晶が消えていく。

「そいつはオレだけじゃなくて、ムーも……」

 ダップが指でテーブルの下を指した。

 のぞくとムーがアンダエビを食っていた。アンダエビが入ったボールを床において、右手でせっせと口に運んでいる。左手は【キャンディー・ボン】と書かれた袋をしっかりと握っている。

「ダップ様。エビで鯛をつるようなことはやめてください」

「何をいいやがる。キャンディでエビを釣って何が悪い」

 開き直られた。

 店の扉が開く音がした。オレが店に入るより早く、長身の影が食堂に入ってきた。

「ブハハハッーー!」

 ダップが吹き出した。

「魔法協会一の伊達男が見るざまーねぇな」

 入ってきたのはユーリアン・オブライアン。

 長い髪は綺麗に梳かれ、髭は綺麗にあたられ、真新しい白いローブを着ている。

 だが、髪は痛んで色が抜けてバサバサで、頬はこけて、肌は日に焼けてガサガサ、ローブは麻の安物だ。

 ダップを無視して、オレの前に来た。

「約束だ。シュデル・ルシェ・ロラムを連れて行く」

 オレが返事をする前に、オレとオブライアンの間にスモールウッドさんが割り込んだ。

「その件だが、取り消されることになった」

「何を言われるのです」

「これを持ってきた」

 スモールウッドさんが懐から巻物を出した。

 広げて、オブライアンに見せた。

 読んだオブライアンは、目を大きく開き、口をパッカリと開けた。

「ブラッディ・ローズの所有権はシュデル・ルシェ・ロラムに移った。トンプスン会長は盗難の訴えを取り下げた」

 オブライアンは両手をテーブルについてうつむいた。

「私の……1週間は………」

「事情が事情だ。無断欠勤にはならないことになっている。安心したまえ」

 スモールウッドさんが慰めるように言ったが、オブライアンの耳には届いていないようだ。

「漁村で道具屋とチビと一緒にバカンスか。さぞかし、楽しめただろうさ」

 ダップが嬉しそうに言った。

「君は………人の不幸が楽しいか」

「楽しいに決まっているだろ」

 オブライアンが顔を上げた。ほぼ同時にオブライアンの手から白い光がダップに向かった。

「あっ!」

 声を上げたのはシュデルだった。

 オブライアンが放った光は、何かに遮られてダップには届かなかった。拡散消滅したのだが、散るときにテーブルの端にわずかに傷が付いた。直線で2ミリほどだ。

「ごめん、ユーシナ。痛かったよね」

 シュデルがテーブルを慌ててさすっている。

 オレは急いでアンダエビの入ったサラダボールを持って、店に移動した。オレの後には、ムーとダップとスモールウッドさんがゾロゾロとついてくる。

 ムーの手にはエビのは入ったボールとキャンディ。ダップは干物や燻製の入った箱と袋。

 店に移動してからも、スモールウッドさんとダップはオレが持っているサラダボールから、ムーは自分が持っているボールからアンダエビをせっせと食べている。

 食堂に残っているのは、シュデルとユーリアン・オブライアン。

 悲鳴は聞こえない。

 聞こえるのはボソボソと何かを言っているシュデルの声。

 オレ達がエビを食べ終えても声は続き、ダップは干物と燻製の半分を袋に詰めて帰って行った。スモールウッドさんはオレに今回の仕事の代金金貨5枚を渡して帰って行った。

 シュデルの声は1時間ほどで止まった。その直後、オブライアンは食堂からヨロヨロとよろめきながら出てくると、オレとムーには一瞥もくれず店を出ていった。

 キャンディー・ボンのグルグルキャンディを食べていたムーが言った。

「ゾンビ使いのミルフィーユは甘くないしゅ」

 愚痴と文句のミルフィーユ。

「絶対に食いたくなよな」

 オレが言うとムーは強くうなずいた。




「オブライアンのやつ、配置換えを申し出たそうだ」

 数日後、桃海亭に来たダップが笑顔で言った。

「オブライアンさんは、本部勤務ですよね?」

 本部から出ると、エリートコースから外れてしまう。

「希望した行き先が笑える。ロラムだ」

「ロラム?東に行きたかったんですか?」

「バカ野郎。あれが来ない国に行きたかったんだよ」

「あ、あれですか?」

「トラウマになったみたいだぞ」

 愚痴と文句のミルフィーユ。

 かなりきいたようだ。

「シュデルはロラムには行けませんから、心の傷をゆっくりと癒して欲しいです」

「お前とチビも原因の一端だ」

「え、オレですか?オレは何もしていませんけど」

「オブライアンを手玉に取ったろ?アホの道具屋に手玉にとられりゃ、幹部候補生としては傷つくわ」

「何を言われているのか……」

「チビのやつは、岸から遠距離魔法でブラック・クラーケンを一発で吹っ飛ばしたそうだな」

「はぁ。でも、いつものことです」

「オブライアンの奴、自分の魔法ではブラック・クラーケンには歯が立たないとわかっていた。だから、チビも依頼から逃げているだけと考えていた」

「予想が違ったからといって、傷つく年でもないかと」

「名門魔術師の家系に生まれたエリート様はガラスの心臓なんだよ」

 そういうとダップは立ち上がった。

 帰るのかという予想と違い、食堂に入っていく。

「ダップ様、どうかされましたか?」

 シュデルの怪訝そうな声。

「あ、ダメです。それは」

 必死で止める声。

 店に戻ってきたダップの手には、オレ達が干物を詰めてきた木箱。

「うまかったからな、こいつは貰っていくぜ」

「待ってください、ダップ様」

「やめたほうがいいしゅ」

 オレとムーの制止を無視して、笑いながら店を出ていった。

 シュデルが店に駆け込んできた。

「ダップ様が!」

「わかっている」

「わかってるしゅ」

「追いかけて、止めないと」

「いいじゃないか」

「いいしゅ」

 のんびりと言ったオレとムー。シュデルは、まだ心配そうだ。

 オレもムーも一度は止めたのだ。それなのに持って行ったのはダップだ。

「店長、あの中には……」

 男3人が暮らしているのだ。干物も燻製もとっくになくなっている。

「……ムーさんが作ったオリジナルのマッドスライムが」

 強力な酸性土でできたマッドスライムだ。

 危険なので冷凍して動けなくして、冷凍木箱に入れておいたのだ。

 開ければ、数秒でダップに襲いかかるだろう。ダップのことだ。火傷を負っても即座に直す技量を持っている。明日には桃海亭に怒鳴り込んでくるだろう。

 だが、強酸性の泥に襲われれば、全裸は無理でも半裸になる可能性はある。オレとしては自宅以外で箱を開けることを期待したい。

 エビと干物と燻製を食われた恨みは深海よりも深いのだ。

「婆、天罰しゅ」

 ムーがブッヒョィと笑った。




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