7
「とりあえず、何はともあれ現状確認だ。君の強さ、特性がわからなければ鍛えようもなーいからねぇ」
そう言うテオノラが差し出してきたのは何かごちゃごちゃとした水晶玉のようなものだった。
これは――あれか?
お約束を気にするのだったらこういうのは冒険者ギルドで見たかったものだが。
水晶玉の下に何か針のようなものがついているところを見ると、きっとこの針が何らかの媒体に情報を記すのだろう。
「これは簡単に言ってしまえば君の――」
「強さを測る、だろう?」
「――ほう? ほうほうほう? 前に使ったことがあったのかな? 君の話によるとこの道具を使うタイミングなどなかったと思うが?」
「予想しただけだ、邪推するな」
「…君は思っていたよりも賢いのかもしれないね?」
「そんなことはどうでもいいから早くしてくれ、どうすればいい?」
そう急かすとテオノラはつまらない、とグチグチ言いながらセッティングを始めた。
と言っても、テオノラが水晶玉に手をかざしただけだったが。
「…それだけでもう使えるのか?」
「魔力を通して起動しただけだーからねえ。後は君がここに手をかざせばそれだけで君の情報はすっぽんぽん、丸見えってわけだ」
本当に一々癪に障る話し方をする。
何か言おうとしていたテオノラが話し出すよりも早く、俺は水晶玉に手をかざした。
「…君は本当になんというか」
「…安心しろ、俺も同じ気持ちだ」
二人して遠い目をしている中、部屋には針がカードに文字を書き出すカリカリという小さな音だけが虚しく響いていた。
□
「陛下、彼のことですが…」
膨大な書類が積み上げられた机に向かって何やら作業しているセラフィーナに、背後に立つ全身を白銀の鎧に包んだ女が話しかける。
しかしセラフィーナから返事はない。
聞こえていないはずはないが…鎧の女は口を噤む。
再び、部屋は書類をいじる音で満たされた。
セラフィーナは一向に顔をあげようとはせず、ひたすら目の前の書類に没頭している。
しかし、鎧の女といえば、所在なさげに手を上げたり下げたりしていた。
話しかけたいが公務の邪魔は出来ない、そういった雰囲気が見え見えである。
そんなことが何分続いただろうか。
唐突にセラフィーナは筆を置くと顔をあげた。
「へ、陛下――」
「先ほどからなんですか。それでは集中もしてられません」
セラフィーナは小さく溜め息を吐くと首を回す。
すると鎧の女はなんの躊躇いも見せずにセラフィーナの肩を揉んだ。きっと普段からこうなのだろう。
王女の首に触ることが許されていることからして、きっと相当信用の置かれている人物であろうことが見て取れる。
「…それで?」
「…はい。彼の者についてですが」
「その話はもうしないと言ってあったと思うのですけれど」
「それは――しかし…」
「…いいわ。オリアナ、話してみなさい」
オリアナと呼ばれた女は少し躊躇う素振りを見せた。
「私は彼の者を無罪とすることまでは確かに受け入れました。しかし、殿下自らが彼の者に名前を授けるのは些か問題があるのでは、と」
「…そのことですか」
この世界において、名付けというのは特別な意味を持っていた。
基本的に名付けとは、生まれたばかりのまだ名を持たぬものに対して行われる行為である。
そして、この世界における名付けとは『名付けた者を自らの庇護下におく』という、一種の愛情の極限のような行為であるのだ。
その為、オリアナは不満を抱いていた。
しかし…。
「はぁ…オリアナ、私がなんの意味もなく名付けを行ったと思いますか?」
「いえ…それは…」
そんな様子のオリアナに、セラフィーナは仕方ないですね、と溜め息をつき、
「洗脳された状態では判断力などの低下から大幅に弱体化する、これは知っていますよね?」
「はい、戦士の中では常識とされることですから」
「では、彼は?」
「彼も洗脳されていたはずですが」
「そこです。彼は洗脳されていてなお、単騎王城へ侵入し王を討った。勿論道中の障害は全て片付けて、です。それだけの強さを誇るものを放置はできません、わかりますね?」
「放置…ですか? ですが、それなら何も殿下が名を与える必要は――」
「私の庇護下にあると明文化することによって他国からの干渉を減らす、そういった狙いもあります。強大な力を持ち、この世界のことについて何も知らない異世界人――他国から見れば喉から手が出るほど欲しいことでしょう」
そこまで言われたオリアナは無言になった。
何も言い返せない。その考えに至らなかった自分が恥ずかしい。
しかし、絶対にセラフィーナは快くは思っていないはずである。
「…殿下は、彼の者が憎くはないのですか?」
それは絞り出すような声だった。
何も言い返せないが、どうしても納得はできない――オリアナの最後の抵抗だった。
しかし、これはもうセラフィーナにとっては済んだ話であり、一番触れたくない話であった。
ゼイルを批判することに必死だったオリアナはうっかり特大の地雷に触れるどことか、地雷の上にジャンプで飛び乗ってしまったのだ。
もしこの場に他に人間がいれば確実に咎められていたことだろう。
だが、オリアナにとっては不幸中の幸いであることにこの場にいるのは2人だけであった。
「憎くないわけが……」
極々小さな声でセラフィーナが呟く。
しかし、その言葉はオリアナには届かなかった。
そして、それに気づかなかったオリアナは言葉を続けてしまう。
「…私は、彼の者が憎いです。捨て子同然の私を拾って育ててくださった陛下…いつでも優しく見守ってくださった王妃殿下…厳しくも優しく剣を教えて下さっ――」
そこまでだった。
唐突にセラフィーナが椅子を蹴って立ち上がり、振り向いてオリアナの胸ぐらを掴む。
「憎くないわけがないでしょう?! 肉親を殺されて恨みを持たない者などいますか?!」
普段では絶対に目にしない王女の姿に、目元に涙を浮かべ必死に歯を食いしばる少女の姿に、オリアナは言葉を失ってただ呆然と立ち尽くした。
「私だって! できることなら奴を、奴を洗脳した者を、あの豚みたいな王を、今すぐこの手で殺してやりたい!」
そこまで一気にまくし立てると、セラフィーナはオリアナの胸に顔を埋めて嗚咽を漏らした。
「でもそれは出来ない…王女としての私はそうすることが出来ない…!」
オリアナは未だに気圧されて何も言うことが出来ない。
かと言って、肩を抱くことも出来ないまま、胸を貸し続けた。
そのまま何分経っただろうか。
先程までは部屋を満たしていたセラフィーナの嗚咽も今は聞こえなくなり、聞こえるのは2人の静かな呼吸音だけになった。
「彼、ゼイルはきっとこの国を変える…いい意味か、悪い意味か――私はそれをいい意味での変化にするために彼を受け入れた。それだけよ」
「陛下…」
ようやくオリアナのもとを離れ、再び椅子に腰掛けるセラフィーナ。
「…もう、疲れてしまったわ。悪いけれど1人にしてちょうだい」
再び書類に目線を落とす彼女に、オリアナは何も言えずに一礼して部屋を後にした。
一部修正しました。