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習作:徒然なるままに

作者: 綾葉咲

春風は仄かな花の香りを湛え、柔らかな日差しは土手の桜を鮮やかに照らし出す。華やかに散りゆく花びらは無常の理を映し、ゆさゆさと頼りなく揺れる大枝は時の儚さを囁く。

「──懐かしいなぁ」

桜の幹に背を預ける少女は、誰に語る訳でもなくそう呟いた。

「あれからもう二年も経つのか……時の流れって早いなぁ……」

風にあおられるスカートの端と一つに纏められた癖の無い茶髪を弄りながら、少女はぽつりぽつりと言葉を吐く。視線は空を覆う薄紅の中を彷徨い、心もまた、記憶の海を漂っていた。

「あいつ、元気にしてるかなぁ……」

過去への懐かしさや愛しさが綯交ぜになり、思わず微笑みが零れる。

気付けば、彼女の意識は深い記憶の内へと潜っていた。



「無い……無い……!どうしよう……っ!」

三年前、少女が中二だった頃の話だ。当時、少女の祖母は末期の癌であった。既に「幼い」という領域は脱していた少女だったが、苦痛に歪む祖母の顔はとても直視に堪えるものではなかった。そんな祖母を少しでも励ましたい、という思いから考え付いたのが──千羽鶴である。

折り方を教えてくれた祖母に成果を見せるため、折り紙が好きだった祖母を喜ばせるため、少女は昼夜を問わずに折り鶴を作り続けた。

そして今朝、千羽鶴は完成した。

完成したのだが。

「何処なのよ、私の鞄……っ!」

鞄の紛失に気付いたのはつい先ほど。千羽鶴は学校帰りに渡そうと考えていた少女は、学校に千羽鶴を入れた鞄を持っていっていた。放課後は病院の近くに住む友人と駄弁りながら帰っていたのだが、病院のエントランスに入った所で鞄が無いことに気付いたのだ。校門を出る段階ではしっかりと鞄は持っていた記憶があるので道中で紛失したことは間違い無い。その筈なのだが……

「……見付からない」

悄気返った様子でへたり込む少女。かれこれ数時間道路脇の側溝からちょっとした茂みまで探し回っているのだが、一向に見付からないのだ。

数週間に及ぶ努力が水泡と帰したショックと体力的・精神的な疲労で、少女は既にボロボロになっていた。

しかし何より彼女を苦しめていたのは、満足に祖母を喜ばせることさえ出来なかったという自責と自己嫌悪である。

涙腺のタガが外れ、止めどなく涙が溢れてくる。

「ごめんね、おばあちゃん……」

手の中で、握りしめた草がくしゃりと潰れる。

既に時は夕暮れ。視界も悪くなり、散々探して回った鞄も更に見付けにくくなる。

「……ぐすっ……もう、無理だよね……」

自分に言い訳するようにひとり呟き、遠く響く烏の鳴き声につられるようにのろのろと立ち上がる。

数時間前はキレイだ何だと友人と騒いでいた桜も、涙でぼやけたモノクロの世界では何の美しさも無い。

酷使した足は棒のようだったが、何とか土手を這い上がる。

千羽鶴作りなど、元より誰にも話さずに進めてきたボランティアみたいなモノだ、他の人にとってはこの一件は鞄を無くしたという程度の認識だろう。このまま帰ったところで誰も責めまい。

家に向いてくれない意識を切り替えるべく踵を返そうとした、その時。

「──おいっ!!」

立ち去ろうとする少女の背後から、若い男の声が響いた。

こんな私に何の用だろうか──沈んだ心のまま緩慢に振り向く。そこには、心做しかムスッとした表情の少年がいた。

先ず目に入ったのは、第一ボタンの外された学ラン。校章を見れば、少女と同じ学校のようだ。

視線は襟元を辿り、何故か突き出された右手へ向かう。

一体何を持っているのか──そんな意識に引っ張られ、少女は彼の腕の先へと視線を滑らす。

すると目に入ったのは、


無くした筈の、少女の鞄。


「え──、!?」

理解が追い付かず、言葉にならない音がパクパクと口から漏れ出る。

少女が呆然としているのに気付いたのか、少年は言葉を続ける。

「これ、アンタのだろ?鞄がぁ、とか言いながらうろうろしてたっぽいし」

「そ、そうだけど……どこにあったの?」

「そのへんで拾った。確か、この先のベンチのとこ。近く通った人に話を聞いてみたら鞄を探してる子がいた、って話だったから、持ってきた」

「そっかあ……」

ベンチといえば、少女が友人と座りながら駄弁っていた所だ。何故見付けられなかったのか……

少年の手から受け取ると、少し汚れた鞄は少女に微かな重さを伝えた。

「にしてもその鞄、膨らんでる割には軽いよな。何入ってるんだ?」

少女が大事そうに抱える鞄を見て、少年が問う。

素直に折り鶴だと伝えるのもそこはかとなく恥ずかしく、思わずぼかしてしまう。

「大したものじゃないんだけど……すごく大切なものが入ってるの」

「大したものじゃないけど大切なもの?……何だそりゃ」

「きっとわからないよ。わかったら驚きだもん」

「そりゃそうか。……ま、詮索はしないさ。気にはなるがな」

そこまで言うと、少年は背を向けて歩き出す。

「それじゃあ、もう無くすなよ。大切なものなんだからな」

「うん……ありがとうね」

背中越しにヒラヒラと手を振る少年。

ふと視線を下ろすと、スラックスやスニーカーに付いた緑色のシミと土の跡が目に入った。肩や袖に千切れた草が付いていた段階でもしや、とは思っていたが……

「『そのへんで拾った』……か」

あんなものを見た後で、本当に少年は鞄を拾っただけだと能天気には考えられない。きっと彼は青い顔をしてあちこちを歩き回る私を見ていたのだろう。そして彼も鞄を探し、見付けて届けてくれた。

──不器用な人だなぁ……

そこまで考えた少女は、少年の背中に向かって無意識のうちに叫びかけていた。

「──また明日、学校でねー!!」

少年はぴくりと肩を揺らし、少女の方へ顔を向ける。

驚きを滲ませる少年に、少女は今まで見せたことのないような笑顔を浮かべながら大きく手を振った。

手を振り返す少年。少女の眼は、少年の照れくさそうな、しかし弾けるような笑顔を捉えて離さなかった。



「──思えば、あいつと出会えたのもおばあちゃんのお蔭なんだよね……帰ったらお礼言っておこうかな」

急に覚えの無いお礼を言われ、何だかわからないまま微妙な表情を浮かべるしかない祖母の姿を想像し、クスッと笑いが漏れる。

「ここの桜も少し様変わりしたなぁ……三年って、早いなぁ……」

思わず零れたジジくさい、もといババくさい感想に苦笑を浮かべる。

ふと時計を見れば、針は昼近くを指していた。随分と長居をしたようだ。

「お腹も空いてきたし……そろそろ戻ろうかな」

咲き盛りの桜を一しきり眺めた後、少女は小さく息を吐いて幹から体を離す。

「さーて、お昼は何かな。……またカレーかなぁ?立て続けに来ると飽きるんだけどなぁ……」

相変わらず独り言を呟きながら土手の家路を辿る。

ふと、少女のすぐ側を雀が通過した。

雀とは可愛い生き物だ。丸っこい体をぴょこぴょこと跳ねさせながらチュンチュンとさえずる。各種鳥類と比べても図抜けた癒しパワーを持つ存在なのだ。

と、件の可愛らしい雀の動きに釣られて視線を巡らせると、幹の隙間から見知った姿が見えた。

相変わらずの学ランの着崩し方に、相変わらずの仏頂面。かつてと変わったところと言えば、顔のパーツ一つ一つに大人っぽさが増している点だろう。

「あいつも、来てたんだ……」

別にレアな存在ではない。学校こそ違うが個人的に親交もあり、割と頻繁にメール等のやりとりもしている。

しかし、まさか此処で見かけるとは思わなかった。

こういうところで直接会話をするのも悪くは無いが、生憎と話のネタに持ち合わせが無い。今日のところは顔を見るだけに留めておこう。

暫く少年の顔を眺める少女。

ふと、少年の視線がズレる。

「──あ」

ばっちりと目が合った。

先程までの仏頂面に喜びが混ざる。弾けるような、とまではいかないが、この笑みも少女を惹き付けるに足る代物だった。

てっきり駆け寄ってくると思っていたが、予想に反して少年はただ手を振るだけだった。向こうも話のストックが無いのだろうか。そう考えた少女は手を振り返すに留め、大人しく踵を返す。

(いつも通り、みたいね)

普段通りの──かつての彼からは成長した少年であることに安心する少女。どうせあいつも暇なんだからたまにはデートにでも誘うか、などと考えると、思わず口端が綻ぶ。

付き合い始めて二年が経つが、よく考えればまともなデートに行ったことが無い。

止まらないにやけ顔を手で押さえ、足早に立ち去る。

何故か、穏やかな気持ちが更に明るくなった。それに釣られるように、少女の視界に映る景色が一層鮮やかになったように感じられた。

「今度は何しようかなぁ……楽しみだな」

楽しい未来を想像する少女の視界には、暖かな春風さえ鮮やかに色付いて見えていた。

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