第七話
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「ふふっ、ごめん、ごめん…うん。なんかさ、あの日はあまりにも楽しくて、急に恋人の戻ったんじゃないかって、気持ちになっちゃって、すっごく総ちゃんに、甘えたいなぁって思っちゃったの…」
この時計、毎回、本当に正確なポイントに戻ってくるのな…まるで、時間に正確な木綿子のようだ。でも、今回は、ちゃんと言うことを考えてある。
「うん。あの日は本当に楽しかったよ。このまま、ずっと一緒にいられたらって思ってた」
「そんな事、言ってぇ、あの時、気になる子いるって言ってたくせに」
「木綿だって好きな人できたかもって言ってたじゃないか?だから、邪魔しちゃいけないかなって」
「確かに言ったかも…」
「なんで、こういつも、タイミングが悪いって言うか、すれ違ってしまうんだろ」
「もしかして、総ちゃん。この時もまだ、縒りを戻したいって思ってたの?」
「え?うん。変?」
「変って言うか…」木綿子は頭を斜めして困った表情をする。(この表情も俺の心をえぐってくるんだよな…)
「だって、俺には、木綿を嫌いになる理由なんてないから、あの時だけじゃなくても、だいぶ先になるまでそう思ってたよ」
「いやいやぁ、総ちゃんだからこそ、木綿を嫌いになる理由なんて、いくらでもあるでしょ?総ちゃんはさんざん、私に振り回されてるんだから。私が総ちゃんに愛想つかされるのが普通でしょ」
「普通はそうなんだろうね…そりゃ、俺だって何度も考えたよ。こんな気持ちじゃいけない、木綿だって迷惑だ
って…でも、何回、考えても、木綿の嫌いな所を見つけられないんだ。俺。好きな所はいくらでも思い浮かぶのに…」
「へえ~。木綿、聞いてみたいな?木綿のどんなところが好きだったのか」
「なんだよ。いやだよ。それはさすがに恥ずかしいよ…」
「えー。聞きたいよ!だって、総ちゃんがなんでこんな私のことを好きでいてくれたのか、私、ずっと知りたかったんだもん」
「いやー、本人を目の前にして言うのは…ちょっと…」
「お願い。総ちゃん。いいじゃない?昔の事なんだしさ。あー、そうやってあんまり強情だと、総ちゃんだけ、メインのお肉料理なしにしちゃうからね!」完全に木綿子のいつものペースに引き込まれて行っているなこれ…
「あーもー。木綿には、かなわないな…わかったよ。でも笑うなよ。ただでさえ、恥ずかしいんだから」
「うん。絶対笑ったりしないから」
「じゃ、言うよ」
「うん、うん」木綿子は完全に前のめりになって、聞き耳を立てている。と言うか、しっかりと片方だけ出した耳に手まで当ててスタンバっている。
「そうだな…まずは、いつも明るい所とか、いつも前向きな所とか、自分の気持ちにいつも素直な所とか、ちょっと強引な」
「ちょっと待ったーっ。総ちゃん早すぎる!もっとゆっくり話てよ。木綿覚えられないじゃん」
「だって、恥ずかしいから、ばーっと言っちゃおうかなって思って」
「だーめ!ちゃんと木綿がずっと覚えていられるようにゆっくり言って!一つずつ言って、木綿が返事するまで、次言っちゃだめだからね!」
「もう、ほんと木綿は意地悪」
「そうなのだ!へへ。また最初からね」
「えーーー」
「はい、行ってみよう!」
「まずは、いつも明るい所」
「うん。いつも頑張って明るくしてるよ」
「うん。いつも前向きな所とか」
「だって、後ろ向きは嫌だもん」
「自分の気持ちに素直な所とか」
「まぁ、これのせいで、失敗もいっぱいしてるけどね…」
「ちょっと強引な所とか」
「だって、あやふやなままは嫌だもん」
「こっからは新しいのな…我侭でちょっと意地悪な所」
「あれ?これは、両方とも、いいイメージはできないぞ?って言うか普通は嫌いな理由に食い込んでくる内容だよ?」
「ごめん。でもこれ、俺の中だと、かなり上位の理由なんだけど…」
「ありゃ、総ちゃん。それはかわいそうに。もしかしてドMさんなのかしら?」
「そうじゃないとは思うけど…木綿のお願いを叶えることができるのはすごく嬉しいんだ」
「ほんとにいっつも、木綿の我侭を真剣に考えてくれるのよね。ありがと」
「次行くぞ?」
「う、うん」
「でも、ちゃんと甘えさせてくれる所とか、励ましてくれる所とか」
「総ちゃんって、意外と甘えんぼさんだよね?」
「うあ、改めて言うなよ。更に恥ずかしくなる」
「ごめーん」
「あとは、あの頃だけじゃないけど、辛い時はいつも俺を頼ってくれる所とかかな?」
「いつも、ごめんね。だって辛い時とか、追い詰められてる時って必ず、総ちゃんの声が聞きたくなっちゃうし、たまに夢にまで総ちゃんが出てきちゃうんだもん」
「それは、俺も一緒だよ。未だに木綿の夢を見ることあるよ」
「でもさ、総ちゃんは、今までだってたくさん辛いことあったと思うのに、私に頼ってくれたことはないよね?私はいつでも、総ちゃんを頼ってたのに…私だって、総ちゃんの力になりたかったのにさ」
「それは…木綿は俺にいくら頼ってくれてもいいけど、俺は木綿に頼れないよ。だって俺だって男だからさ。振られた彼女に頼れないよ」
「そんなものかな?」
「まぁ、男はそんな生き物なんだよ。こんなヘタレでも、一応は強くありたいんだよ」
「そっか…」
「はい、次行くぞ」
「まだあるの?」
「あるよ!だって木綿を形成しているのは内面だけじゃないだろ?」
「そういうこと?でも私、容姿については自信があるところ皆無だけど?」
「そう?俺はそんな事ないぞ…と言うか容姿についても好きな所いっぱいあるよ?」
「あれ?あれ?なんか、まだなんにも聞いていないのに…すっごく恥ずかしくなってきたんだけど?」
「おっ、少しは俺の気持ちわかってきたかな?」
「総ちゃん。ずるい!」
「まずはー」
「ちょっと待って!なんだろ急に緊張してきた。心の準備させて」
「いやだよー。まずは、木綿のする表情すべてが好きかな?。優しい笑顔、困った顔、怒った顔、泣き顔。ほんとにみんな好き」
「うわうわ。やばい。とりあえず、お酒飲んじゃお」ワイングラスを一気に傾ける木綿子。
「そうそう、そういう表情もね。あと、木綿の何気ない仕草にぐっときてしまう事が多いかな。何をするも心赴くままって感じなんだもん」
「それじゃ、私が動物みたいじゃん。ねえ、総ちゃん。ごめん。木綿が言い出したことだけど、もうやめにしない?」
「ここまできてやめないよ。あと、これは当然といえば当然なことばっかりだけど、木綿の触るととても気持ちいい髪の毛も、柔らかなで耳に心地よく残る声も、さらさらの肌も、手も指も大好き。顔に関しては、好みの問題もあるとは思うけど、俺にとっては木綿の顔は理想通りすぎるくらいかな?笑った時に右側にだけできるえくぼも、可愛い八重歯も…」
木綿子はというと、もう最後にはあまりの恥ずかしさからか、うつむいてしまい。耳を真っ赤にしている。
「これだけ出しても、嫌いな所が全然見つからない…」
「それは、思い出が美化されてるんじゃないの?」微かな声でいう木綿子。
「そうかな?俺は別に昔を思い出して答えてるわけじゃないからなぁ?だから、言ってるじゃん。俺は木綿子のことを嫌いになる理由がないから、今も昔も変わってないよ」
「なんで?」
「え?」
「なんで、そんなに木綿の事好きでいてくれたの?私、総ちゃんになんにもしてあげてない…私、総ちゃんに愛されるようなこと全然してないのに…」
「うーん…そう言われてしまうと…俺にも難しいんだけど…と言うか…俺自身も特にあの頃は若すぎてわからなかったよ。でも木綿子だけが、俺の中では特別で、俺のすべての中心だった。今は、すこしだけ大人になったからわかるけどさ…」
「私、わかってたよ…総ちゃんにすごく愛されてるって、お別れした時だって、病院の時だって、浅草の時だって、そのほかのいろんな時だって…この人は本当に私を愛してくれてるんだって…本当に痛いほど感じてたよ」
「じゃなんで?」ついて出た言葉だった…
「あっ、ごめん。あの頃の私は若すぎて、総ちゃんの愛情は私には大きすぎたんだよ。だから、その愛情を受け止めるだけの器がなかったの…だから逃げてたんだと思う…総ちゃんの愛情は大人っぽくて、まだ子供の私には収まりきらなかった。大人だったら、ちゃんと受け止められたかもしれないけど…」
「えー?大人っぽいって…俺はあまりにも子供じみてて嫌われてるのかなって思ってたよ」
「そんな事ないよ。なんでこの人は私のこと嫌いにならないんだろうって思ったことがあるくらいだもん…だって私にどんな意地悪されたって、いっつも笑ってるんだもん」
「それは、きっと木綿と一緒にいれるだけで俺は楽しかったから。だって俺はそれだけで何もいらなかったんだと思うよ。ただ、一緒に歩くだけ、こうやって話をしてるだけ、一緒に何かをしてるだけで、俺は幸せだったんだよ…」
え?今、俺なんて言った?あーあ…これだもん。幸せになれるわけないわ…自分ではわかっていたんだ…ずっと昔に…自分自身の幸せはこの人と共にあってこそなんだって…
「なんか、すごいよね…そんな風に思えるの…しかもその相手が私なんかっていうのが信じられない…」
「俺、自分でも、多分ちゃんとわかってないよ。なんでこんなにも木綿にこだわっていたのか…実は、その根幹部分は全く分かってない。もう、自分では本能的にこの人しかないと感じてたとしか言えないんだよね?だから木綿が他の男の人と付き合って、結婚することになってから、自分がおかしいなってことだけはわかってた。木綿が幸せになるなら、応援しなくちゃって思っているのに…本心は違ったんだ…きっと」
「総ちゃんは私の前ではいつも元気で、頑張り屋さんだから、お仕事も一生懸命してるのわかってたけど…ある時期からぱったりと私のお誘いに乗ってくれなくなったから…もちろん寂しかったのはあるけど…とうとう嫌われちゃったなって思った。まぁ、私、嫌われることしてたからさ…仕方ないけどさ…」
「それは、違うよ。そんな状態の俺なんかが木綿の周りにいたら、邪魔になるでしょ?」
「だって、時間がたったあと学校のみんなと久しぶり遊ぼってなっても結局一度も来てくれなかった…お仕事忙しい…遠くて行けないって言ってさ。まぁ、奥さんもしっかりしてる人みたいだから、わからなくもないけどさ…」
「ごめん…全部言い訳なんだよね…ここまで話したから暴露するよ…嫁も仕事も距離もぜーんぶ言い訳…俺はただ、君を見るのが苦しかっただけ…みんなと楽しげにしてる木綿の姿を見るのを想像するだけで俺は嫌だった…君の笑顔を生み出しているのが、俺との人生ではないことが自分自身に対して許せなかった…だからどんなに頑張っても行くことができなかった…そんなの関係なく行けば、絶対楽しいの分かってるのにね…実はね…地元の同窓会なんかには…普通に行ってるんだ…」
「えーひどいっ。でも、そこまでだったとは…私も思ってかなった…だから平気でお誘いしてたよ…なんかすごく悪いことしちゃったね…」
「悪くないよ。誘ってくれてるのは嬉しかった。でも、体がいうこときかなかっただけ…」
「あーあ。やっぱり私、いやな奴だね…総ちゃんの気持ちわかってたのに…受け止めることができなかった…総ちゃん。ごめん。私、ちょっとお化粧直してくるね…ほんとにごめんね…」うつむいて席をたつ木綿子。
「う、うん」
今更、木綿子を苦しめてどうするんだよと、自分を問い詰めたくなった。ガラスの向こうで黙って見ているあいつももそう思っているじゃないか?でも俺の今までの気持ちを木綿子に伝えないといけない気がしてた。俺は今、完全に思い出した。俺のとっての木綿子と言う存在は、そう簡単に払拭できるものじゃなかったんだ。どんな人とお付き合いしようと、今の妻と結婚しようとも…俺の中の木綿子の存在は消えることはないんだと…どんなに気持ちを押し殺しても、消せるものではなかったんだ。俺が絶対に木綿子を諦められないことを知っているあいつは、言い切ったんだ。
「正解!さすが俺だよ。お前だよ」
「なんだよ。やっぱり出てきたか?悪党」
「悪党はやめてくれよ!悪役って言ってくれ」
「どっちだっていいだろ」
「珍しく頑張ってるじゃないか?でも木綿子泣かすなよなぁ~俺の大切な人なんだからよお。まっ、とは言っても…少しぐらいはいいか?今まで、お前は散々辛い思いをしてきたんだ。少しくらい木綿子にもその辛さを思い知らせてやるのも悪くないだろ」
「お前が俺以外に毒を吐いたの初めて聞いたわ」
「悪いけどよ。お前の辛さや苦しみは人一倍わかってるつもりだぜ?でも、分かって良かったじゃないか?若いころのお前の気持ちはちゃんと木綿に届いてたみたいで」
「うん。それは、正直びっくりしたよ。俺自身はただのしつこい奴って思われてると思ってたから」
「確かに、お前の気持ちは重いよ。重すぎるよ。お前の体重のように…」
「うるせ!これでもだいぶ痩せたんだよ!」
「そうかい、そうかい。てなわけで、少々難儀なことになってきたぞ?」
「何が?」
「何がじゃねえよ。まっ、俺は最初っから無理だとは思ってたけどな。お前が昔に戻って二人をくっつけるって話だよ」
「それがどうしたんだよ?」
「だってそうだろ?あの当時、お前の気持ちは木綿に届いていたんだろ?」
「そうみたいだな…」
「気づいていたのにお前の気持ちに応えることができなかったってことだろ?ってことは、何しても無理なんじゃね?」
「相変わらず、ストレートに言いやがるな。でもやるしかねえだろ?だってその状況だって、それをなんとか乗り越えている奴がいるじゃないか?ここに」ガラスに向かって指をさす。
「おう、おう。そうきたか?なかなか鋭いじゃねえか?そこに気がついたお前にヒントをやろう。俺がいつどこで、木綿子を射止めたのかを?え?」
「いや、いいよ。だいたいは察しは付いてるし、俺は、この件でこれ以上お前の手を借りるつもりは無い。そんなお情けはいらねえよ」
「おいおいっ、随分最初と違うじゃないか?いよいよ、本来のお前に戻ってきたのかな?普段は超がつくほど冷静なくせに、血が上がってくるとすっごく熱くなるお前の性格は嫌いじゃないぜ」
「ふん。お前だって同じだろ」
「ははっ、それは違いねえわ」と笑うあいつ。
「ははっ、だろ?」と俺も笑う。この時が初めてだった…こいつと笑い合ったのは…
「まっ、今んとこは向こうに行くこともなさそうだしな、俺は戻るぞ?で次はいつだ?」
「そうだな…そういえばさ?向こうに行くのに時系列って関係あんのか?今までは一応時系列で順番通り進んでいるけど…」
「関係ねえわけじゃねえけど…順序無視でいけないことはないと思うぞ…ただし、過去に戻る為にはお前と木綿子の記憶の同期は必要だよな…きっと」
「だったとしたらきっと静岡だな。きっと、静岡の思い出が先だな…」
「あの時か!あれは大変だったよな?」
「あ?お前、あれは体験してるんだな?」
「あのあと、親方にめっちゃくちゃ怒られたな!はっはっはっ。いい思い出だ。あ?なんか言ったか?」
「いや、なんでもねえよ」
「うんじゃ、また、そんときお邪魔することにするぜ!じゃな」と言って勝手にきて勝手に去っていく向こうの俺。やっぱり、長く一緒にいると木綿子に似てくるのかな?…
そう、多分、次に行くのは高校を卒業したあと、部活の後輩の応援にいった静岡だ。そう、心の中での木綿子との本当のお別れの時だ。
俺の思い出をひとつ飛び越えての静岡遠征ってことになるんだろうな…だって恐らく、あの日の記憶は木綿子にはないはずだから…