表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

第三話


「買っちゃおっか?再会の記念に。お互い旦那さんと奥さんに内緒で。一緒にしようよ?」

 おいっ!ここからかよ!本当にあいつ、容赦ねえな。本当にあいつ、俺なのか?頭の中がぐちゃぐちゃで、何にも考えてない。とはいえ、ここで、妙な返答をするわけにはいかない。だから…考えろ俺。


「え?いくらなんでもそれは、まずいだろ。旦那さんにも悪いしさ」

「ええ~そう?だって、総ちゃん、腕時計、好きだったじゃない?あれ、でも総ちゃんの好きなのって、もっとうんと高いやつだったけ?」

「いや、若い頃は背伸びしてただけだよ。ほら」と言って左腕を見せ、

「今なんて、何にもつけてないよ」

 あっ、しまった…墓穴を掘ってしまった…

「じゃ、尚更いいじゃん!ねっ、買っちゃおうよ。ちょうど私も一つ欲しいなって思ってた所だからさ。ね?ね?」

「でも…いいのかよ?旦那さん」

「だって、二人で一緒につけてる所、見られなければ、ペア時計なんてわからないでしょ?それにどうせ、うちの旦那さんは、ほとんど、家に帰ってこないしね…総ちゃんの奥さんが羨ましいな。いつも一緒にいてもらえてさ」少しさみしげな表情をする木綿子の横顔。そう、木綿子の旦那は、転勤族で、常に単身赴任の身の上だと聞いていた。

「ごめん。変なこと言わせて」

「いーやーだ。罰としてこの時計は買うことに決定しました!」俺の袖を引っ張り、店の扉を押す木綿子。


 お店の中もなかなかの雰囲気でゆったりとしたジャズ音楽が静かに流れている。店内には背広姿の白髪の店主がカウンター越しに座っている。俺たちが店に入ると、穏やかな笑顔で迎えてくれた。


 カウンターに近づいた木綿子は老店主に「外のショーウインドウに飾られているペア時計を見せて頂きたいのですが?」と声をかける。

「はい、かしこまりました。少々、お待ちくださいね」と言いカウンターから出て来た店主は内側からショーウインドウの鍵を開けて、先程ほどまで木綿子が食い入るように見つめていた時計を取り出して、布張りのケースの上に置いて、俺たちの所まで持ってきてくれた。

「すごく気に入っているので、サイズを見ていただけますか?」と木綿子。

「かしこまりました。では、旦那様からどうぞ」と店主が言って、俺の左腕をとり時計を装着してくれた。その時、ちらりと木綿子の方を見ると、舌を出しつつ、笑みを浮かべながら目配せをしていた。俺まで笑ってしまいそうになる。

「旦那様はぴったりのご様子で」と店主。どうせ俺の腕は太いよ!

「では、奥様も」

「はい」と言って左手を出す木綿子。俺の時と同じように手馴れた手つきで木綿子にも時計を装着する。

「奥様は二つ程コマを詰めましょうか。すぐにできますので少々お待ちください」と店主。

「では宜しくお願いします」と言い、時計を外してもらい一歩下がるが、木綿子は何かを思い出したかのように店主に歩み寄り、何やら、耳打ちをする。

「はい、かしこまりました」と店主は頭を下げた。


 俺の所に戻ってきて「楽しみだね」と笑う木綿子。

「うん」と返事をする。


 コマ詰めと梱包と済ませると、振り返る店主。すぐさま、財布を用意して、支払いをしようとすると、木綿子も、財布を抱えて待ち構えていた。口パクで『とりあえず』と伝えると、口をとんがらせて、抗議する木綿子であったが、店主から、商品の入った紙の手提げ袋を受け取ると嬉しそうな表情に戻り、大切そうに胸に抱えた。

 

 お辞儀をして、店を後にすると、木綿子が「私が買うって言ったんだから、私に払わせて!」とやはり抗議が…

「大丈夫だよ。気にすんなよ」というが、やはり変に強情な所は変わっているわけなく、「私が買わないと意味ないじゃん」と言ったりして、引くことはなかったが、俺としてもカッコがつかないだろと説得して、結局は二人がお互いの時計を買い合う形で決着した。でもそのすぐあとには、機嫌もなおって(ここも木綿子の好きな所だった)「あのおじいさん。私達のこと夫婦だと思ってたね」と嬉しそうに笑う。

 俺も「他人から見るとそう見えるんだな」と答えた。

「うわぁ、大変だ!総ちゃんの奥さんに怒られるう」身を縮めるふりをする木綿子。

「よく言うよ。内緒で時計まで買っておいてさ」

「へへっ」今度は、舌を出して頭に手を乗せて反省する素振りをみせる。


 そのあとも、ウインドウショッピングは続き、雑貨店の店先では、目つきが悪い猫のヌイグルミを抱き上げて、「総ちゃん。男の子のくせにこういうの好きだったよね。買ってあげよっか?」と猫の腕を動かしながら、猫の真似ごとをしながら、からかってくる。

「よく、一緒に出かけて、急に姿が見えなくなると、こういうのじっと見つめたりしてたよね」本当によく覚えている。

「ったく、もう。木綿は、よく、そんなことまで、覚えてるよな?」

「結構、覚えているよ。楽しかった思い出は、なかなか忘れないものなんだよ。だってさ…絶対的に楽しいことのほうが少ないでしょ?だから、私は、楽しかった思い出は覚えてるんだ。あっ、やっと、木綿って呼んでくれたね」とはにかむ木綿子だったが、木綿子の言葉にはっとさせられた。生きていると辛いと感じることのほうが多いような気がする。だから普通は、辛いことを覚えていることのほうが多いんじゃないかと思っていた。というよりも俺の心の中の大半が辛い思い出が占めているかもしれないと、反省しきりで笑いそうになってしまう。それでも、いい思い出をたくさん覚えてる木綿子のような生き方のほうが幸せなんだろうなと…そうか…木綿子の言葉とあいつの言葉を思い出す。

『総ちゃんさ?幸せになれた?』『どこにお前の幸せがあるんだよ。人のことよりも前にてめえのことを考えろって言うんだ!』

 そもそも、その時点で、俺は、幸せってやつに置いてきぼりにされてしまったのかもしれないな…


 そんなことを考えながら、木綿子の後ろを歩いていると木綿子は急に立ち止まり、振り返る。

「到ちゃくう!本日のディナーはこちらです!」と先程の手提げ袋を持った手を上げて、お店の看板を示す木綿子。イタリアンレストランのようだ。外観はモダンな作りをしていて、今の俺には少し場違いな感じもしたが、木綿子の決めたお店に文句などあるわけもなく、綺麗な細工が施された門をくぐり、店へと入る。


 店に入ると木綿子が、「七時に予約をしております平野ですが、もう大丈夫ですか?」と俺の苗字で、ウエイターに確認している。

 ウエイターも予約表のようなものを確認して、お辞儀をして、「平野様、お待ちしておりました。上着をお預かり致します」と対応をしてくれた。

「では、ご案内致します」と言われ、促されながら歩きだすと、「そういえばさ、私達って若い頃、ガキンチョのくせに、こういう大人びたお店好きだったよね?」と木綿子が顔を俺に寄せながら小さい声で囁いてきた。さすがに、びっくりしたが、「そういえば、そうだな。あの頃はほんと背伸びばっかりしてたかもな」

「総ちゃんは、早く大人になりたがってたよね」

「うん。そうかもね…」

「で、総ちゃん。大人になった今はどう?」

「たいして大人になれた気してないかも…未だに場違いな気がするよ」素直に答えた。

「木綿もそうかも…」と言って笑った。


 ウエイターに通されたのは窓側の席で、窓の外にはテラス席があるようだった。

 丁寧にエスコートされて席についた木綿子は、「本当は、他のお店を探してたんだけどね…二十年って時間は自分が思っているより、長い時間が経ってるみたいでさ。お目当てのお店はもう、なくなっちゃってたんだよね…ごめんね。でも何か思い出さない?こんなイメージ。これでも一番私の記憶に一番近いお店なのよ?ここ。一応だけど…」

「あっ…もしかして、木綿と俺が二人きりで最後に食事をしたお店?」

 窓側の席、そしてその外には、テラス席。もう寒い季節なのに、無理して外で食べようとして、すぐにめげてしまい結局、中の窓側に戻ってきた…思い出してきた。

「思い出した?そうそう。でも、あのお店、今はもうなくなっちゃったの」さみしそうにする木綿子。

「そっか、木綿ありがとう。思い出したよ」とは言いつつも、もうこれは、また悪い癖と言ってもいいだろう…懐かしい思い出と共に一緒にまた、嫌な思い出も蘇ってくる。そう、最後に木綿子と食事をしたレストラン。それは、俺たちの運命の最後通告を聞かされた場所でもあるのだ。俺はその日、木綿子の口から、一番、聞きたくない言葉を聞いたのだった。そう、それは、木綿子が旦那さんと婚約したという報告だったのだ。その日を境に急激に木綿子と俺の距離は離れたのだった。でも、今はそのことは忘れるべきなのだろう。楽しい時間を無駄にしてはいけないと自分に言い聞かせて前を向く。


 木綿子は、テーブルの上においた先程の時計屋の手提げ袋に手を入れて中の時計を取り出したそうにしながら、「本当はもうちょっと、あとにしようと計画してたんだけどさ。やっぱり、一緒につけていられる時間が少なくなっちゃうから、ここで着けちゃおうよ?」と少し上目使いで俺を見てくる。

「せっかく、だから、そうするか」と俺も同意する。

 手提げ袋をゴソゴソとしながら、時計の入ったケースを一つずつ、テーブルにことっ、ことっと置いていく木綿子。テーブルに置かれた二つの時計のケースは、なぜか綺麗にラッピングが施されていた。木綿子は先程、店主にこれを頼んでいたのか…

「ほんのちょっと、何時間か早いけど…誕生日、おめでとう!総ちゃん」

「え?」思わず声を出してしまった。

「え?」木綿子が一瞬、気まずそうに表情を曇らせて「えええぇ?総ちゃん?もしかして、私、やっちゃった?」

 違う。木綿子は間違ってなんていない。おかしいのは、俺だ…なぜだ?なぜ、自分の誕生日を忘れていたんだ?俺は?携帯の待ち受けを確認すると、日付が変わって明日は、自分の四十歳の誕生日が訪れる。が、本当に…自分の誕生日を忘れていた。

「木綿、ごめん。木綿は間違ってないよ。やっぱり馬鹿だな俺は…自分の誕生日を忘れるなんて…でも、ありがとう。とても嬉しいよ」

「やっぱり、総ちゃん。変。でも、総ちゃんならありえるかもね…さーさ。早く手出して、木綿が着けてあげるから」

「うん、ありがとう」と言って左腕を木綿子の方に差し出す。左手でそっと俺の真ん中の三本の指を支えながら、カチッとロックをかけて装着してくれた。それが、二十数年ぶりに木綿子の肌に触れた瞬間だった。

「こっちは、来月の木綿の誕生日プレゼントね?はい」と言って木綿も左手をすうっと前に出す。

「うん」俺も優しく木綿子の左手をとって腕時計を着けてあげた。木綿子の手の感触は、やはり昔と変わりなく、柔らかくて、暖かい手だった。


 自分の誕生日を覚えていなかった理由は少し考えれば、すぐにわかった。俺は、ここ数年。自分の誕生日すら認識せずに暮らしていたのだ。簡単にいえばそういうことになる。ただ、時間だけが流れる生活だったのだと思う。確かに何もなかったわけではない。食卓にカットケーキが並ぶといった事はあったと思う。しかし、いつからだろうか…誕生日に限らず、俺は世の中のイベント事になんの興味も抱くこともなくなっていた。イベントに向けて心を踊らすことなど全くなくなっていた。


 テーブルには、食前酒が用意された。二人共、それをすーと飲み干すと、木綿子が話始める。

「ねえ、総ちゃん。覚えてる?ずっと前、私たちがまだ、お付き合いをしてた頃、夜中に総ちゃんが、うちの実家に攻めてきた時のこと。私は当たり前けどさ、家族もみんなびっくりしてたんだから」

「そりゃ、覚えてるけどさ。でも、あれは木綿が悪いんだぞ。夜中にいきなりメールしてきて、わけのわからない理由で別れようなんて送ってくるから」

「もちろん、木綿が悪いのは認めるけどさ。いくら、電車がない時間だからって自転車で三時間もかけて彼女の実家まで来る?普通?」

「あんときは、あんときで、俺だって必死だったんだよ。別に自転車で走るのなんてなんともないし、今、すぐにでも木綿子に会いたいって思って、気づいたら猛スピードで陸橋、駆け上がってた…でも俺、地元の仲間と遊んでるときにそんなメールもらったからさ、咄嗟に仲間のチャリ借りちゃってさ。途中で何回も警官に職質されて、ほんともう大変だったんだから」と笑う俺。

「それにしても、ないでしょ?木綿、ほんとに信じられなかったもん。雨降ってったし、メールに気付いて、下見たら、びしょびしょになった総ちゃんいるし…言っておくけど…未だにうちの家族の中では、あの事件が一番の総ちゃんの武勇伝になってるんだから」

「おいおい、武勇伝なんてやめくれよ。ただの馬鹿だったんだから」

「総ちゃんを裏切ったのは、木綿なのに…あんなに大変な思いしてさ」


 この話は、木綿子と俺が交際当時、いや、別れた時のむちゃくちゃ馬鹿な俺の話。しかも、仲直りできなくて結局、二人の交際はここで終了してしまった。俺の残念な人生の始まり始まりである。これが、木綿子と俺の歯車がずれ始めた最初の出来事ということもできる。でも、俺と木綿子の本当の物語はこの別れから始まったと言っていい。ってそんな感傷に浸っていると窓の方から、嫌な気配を感じてくる。おいそこのお前!、ガラスの向こうで見ているんじゃなかったのかよ?キッと窓の方を向き、睨みつける。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ