腐る海
「男が目指した目的地は海だった。正確には、元はそこに別の都市があったんだけど、そこには今、何もなくなっていて穏やかな海が広がっている」
「海、ですか」
「そう。海」
「海で、何をするっていうんだ?」
「それはね……」
*****
一面に広がる大海原。潮風が心地よく肌をなで、絶望に沈んでいた心に、少しの安らぎを与えてくれる。男は、しばし浜辺を眺めると、ある方向に向かって歩き始めた。
「さて、ルートリアはこっちの方に中心地があったはずだが……」
男は、歩みを進めながら横目に海を眺める。波は立っておらず、穏やかな海だ。
「平和だな。ここわ」
男はそう呟いた。迷宮となった、自分の故郷とこの海の風景を重ねる。どうやら、ルートリアは迷宮化しなかったようだ。羨ましいと、男は思った。
「……はて?」
そう言えばと、男は辺りを見回す。ルートリアに向かった生き残りの人々は、何処にいるのだろうか? 都市に帰って、自分たちと同じように都市を立て直すと言っていたが。見渡せど、近くに人影は見えない。
「……」
男は、表情を変える。
(本当に、ルートリアは迷宮化しなかったのか?)
男は、そう疑問に思った。ルートリアは、創生級を管理できるほどの1大都市である。その都市の崩壊時に、辺りに溢れた魔力は計り知れなかったはずだ。それこそ、迷宮が出来ていいほどの。
「……何だ、この臭いわ」
何かが、男の鼻をかすめていった。それは、臭いだ。僅かでありながら、一瞬にしてその臭いは、男の顔を歪める。
「まるで、何かが腐っているかのような臭いだ」
あたりの景色に変化はない。だが、その臭いを確かに男は感じた。
「!?」
男は、海に目を凝らす。一瞬、海の中で何かが光っていた気がした。それは、2つの目のような何かであった。だが、再度目を凝らしても、その正体を目にすることは出来なかった。
「行くべきか、行かざるべきか」
男は、一歩交代する。だが、戻っても何も解決策はない。意を決して、男はルートリアの中心地であった場所を目指して歩き始めた。
「……あれは、漁村だろうか」
暫く歩くと、不思議な事に、その村が見えてきた。それは、男が歩みを進め、空がいきなり曇ってきた瞬間に見ることが出来た。まるで、最初からそこにあったかのように、少し大きな村が存在している。だが、あんな村、男は歩いてきている間に見たことがなかった。
「……」
木で作られた、簡素な家が立ち並ぶ漁村だ。男は、辺りに目を配りながら漁村を観察する。家の影に隠れ、男は暫く漁村を観察することにした。
「……人の気配がしないが」
ゆっくりと、漁村の中を進んでいく。その間、どの家にも人の影はなかった。物音一つ、男は聞いていない。誰一人目撃することのないまま、男は漁村の船着き場までやって来た。
「……」
すると、そこには船が停泊している。そして、その周りに5人ほどの人影が見えた。ただ、おかしいことにその人間たちは、まるで顔を隠すかのように顔に布を巻いている。全身の肌という肌をその人々は隠し、何処かゆっくりとした動きで船に乗り込もうとしていた。
「やけに猫背な住民だな……」
自然と感想が口から漏れる。船に乗り込み、辺りをキョロキョロとそいつらは見回すと、船を漕ぎ始めた。そして、海に出てたった数秒。突然現れた霧に包まれ、そいつらの船は、突如として消えてしまった。
「……少し、調べるか」
男は、漁村の家々に入っていく。そして、その中から男は気になるものを見つけた。
「これは、ルートリアの住民だった者の日記か」
そこには、こう書かれていた。ルートリア再建を願ってこの村を作った。だが、それは間違いであったと。既に、得体の知れない何かがルートリアには生息しており、自分たちではそれらに対抗できない。ルートリアの再建を諦め、残ったものたちはこの場所から逃げたようだ。
「それは見入る。我々を、海の果てから。気をつけろ。腐臭が漂う所に、奴らはいる」
日記は、そこで終わっていた。男は、日記を閉じる。すると、その本の背表紙に絵がかかれていた。それは、頭が魚になった人間のように見えた。
「これが、ルートリアに存在している魔物か」
男は目を瞑る。ウインガルでは、鳥の特徴をもつ人型の魔物に、男たちは苦しめられていた。そして、ルートリアでは、魚の特徴を持つ人型の魔物がルートリアの人々を苦しめていた。この共通点は、偶然だろうか。男は、頭を悩ませる。だが、男は空気が変わったことに気づいた。腐臭が、辺りに立ち込め始めたのだ。
「……」
男は、家の入口に目を向ける。すると、何かの影が、迫ってきているのが見えた。
*****
「死んだな」
「死にましたね」
「いや、死んでないから」
「今の死ぬ流れでしょ。普通」
「話からして、そいつらは神魔級でしょう、アリーさん。とても、一般人が勝てる相手ではない」
「そうね」
「となると……」
「生存は絶望的でしょう」
「そうね。普通ならね」
「ほう。では、その男は普通ではなかったと?」
「ええ、そうよ。簡単に言うけど、その後男は捕まり、船で運ばれていってしまった。そして、浜辺に帰ってきた。泳いでね」
その言葉に、ミルクは用意されたお菓子を摘んで食べ。お茶をすする。そして、腕組みをした。ミルクの腕組みは、ミルクのおっぱいで腕が隠れてしまう。やはり、あれはすごい。
「いや、なんで生きてたんですか?」
「そうです。ミルクの言う通り、生き残れる勝算など無かったはず。まして、迷宮にまで連れて行かれたのなら尚更」
「ミズキが、そういう気持ちも分かるわ。でも、その男は細い運命の糸を掴んだ。そして、力を持ち帰ったのよ。そして、その男がサイフェルムを作った」
「まぁ、そういう流れでしょうね」
「しかし、一体どうやって……」
「それが、サイフェルム王家の秘密。子孫にまで受け継げれている邪法の効果。魔物より魔力を奪い、己の身体でその魔力を行使する邪法。確か、ダブルマジックとか言ってたかしら。言葉は普通よね」
「魔物の、魔力を奪う?」
「普通の、人間がですか?」
アリーの言葉に、ミルクとミズキは息を呑む。その2人に、アリーは無言で頷いた。