究極の速度
「ふむ……」
空中に飛び出して、屋根伝いに移動する。人の視線を避け、カザネは通り過ぎる町並みと人々の顔を見ていた。笑顔で過ごしている人もいれば、不安に顔を曇らせて怯えている人もいる。その様子を、カザネは屋根の上で見ていた。
「まぁ、こんなところか……。地形の把握と、人口密集地はだいたい把握できたな。後は、敵が分かれば申し分ないが。流石に、それは無理か」
カザネは、街で一番高い場所。サイフェルム城の屋根の一番上に乗ると、その場で目を閉じて風の音に耳を澄ませた。そうすると、カザネの元へと風が自然と街の音を伝えてくる。本来なら小さくなっているその音達を、カザネは風魔法で増幅して聞いていた。物騒だと、呟く街角のおばさん。家に結界をはろうと言い出す魔法使い。謎の黒い戦士にはしゃぐ子供たち。色んな音が、カザネの耳に入っては消えていく。
「平和だな……」
そう、カザネは呟いた。カザネの脳裏には、昔の記憶が蘇っていた。食べるものを取るのもままならなかった自分。そんな中でいつ、同種族の魔物に攻撃されるのか、食べ物を奪われるかも予測できずに常に身構えていた自分。その情景と重ねると、カザネには少しの不安な状況さえも、平和な町並みに見えた。
「帰るか」
サイフェルム城から、カザネは飛び立つ。帰り道でも、誰にも目撃されることのないスピードで、カザネは走り抜けた。
「ん?」
アルフェルト家の家の前には、まだ人だかりが出来ている。だが、もうすぐいなくなりそうな雰囲気をカザネは感じった。そこでカザネは、今すぐに家に帰るのをやめ、少し近くの森で暇をつぶすことにした。さっと近場の森へと入っていき、カザネは開けた場所に出ると目を閉じる。そこでしばらく、カザネは森の音を聞くことにした。風に揺れる枝の音、葉の揺らめき。それらが、カザネの耳に入っては消えていく。
「ああ、懐かしいな」
また、カザネの脳裏には昔の記憶が蘇っていた。風の音を頼りに、常に周りを伺っていたときに聞いた音と森の音は似ている。思い起こされる激闘と、苦悩の日々。空を飛んでいるのに、地べたを這いずったかのように汚れていた自分。常に周りから攻撃を受けても、躱し生き残っていた自分。血と、汗と、辛さの記憶であった。だが、それもはるかに遠いことであったかのように、カザネには思えた。
「何故だろうな。あんなにも苦労した記憶だが、今は他人事のようだ。まぁ、それもそうか」
カザネは、それは今が満たされているからだと感じていた。それは心がだ。自分の身を守るだけの状況に、カザネは今はいない。それどころか、人生の生きる意味も見出し。信じられる仲間もできたのだ。あの頃から随分変わったものだと、カザネは1人思った。周りが全て敵だったあの頃とはまるで違う。それに……。
「この私が、恋をするなど、前の私に言っても信じやしなかっただろう」
そう言いながら、カザネは自分の胸へとそっと手を当てた。自分に生きる目標をくれた人、自分をここまで強くしてくれた人。その人のことを考えると、カザネは胸が暖かくなっていくのを感じた。だが、それと同時に脳に映像が蘇る。その人が、死んでしまった時の映像だ。実際には、死ぬ手前だったのかもしれない。だが、確かに死んでしまったと他の仲間の誰もが思ったことだろう。しかし、それを皆認めていなかった。あの場で、カザネ自身さえも、嘘だと現実を受け入れていなかった。愛する人を信じていたとも言える。だが、認められないほどあの人が自分の心の中で大きくなっているのだと、カザネは再認識した。
「速さだけでは、守れなかった……。大切な、一番大切な人を……」
カザネは、苦悶の表情を浮かべて自身の胸ぐらを掴んでいる。どうすれば、あの時あの人を守れただろう。どれだけ自分が強ければ、あの人を救えたのだろう。そう思い、カザネは自分を心の中で責めた。
(やはり、速いだけでは限界があるのだろうか……)
すべての仲間の中で、カザネはスピードだけなら誰にも負けない自信がある。しかし、それさえも封じるようなやつが相手であった場合。その状況を、カザネではどうにも出来ない。
「別の何か……。いや、違う。それは私らしくない。あの時も、もっと速ければ。主人が腕を絡め取られるよりも、もっと早く動けたのなら……」
カザネの思考は、横にそれるのを自分らしくないと否定した。そう、速さだ。速さこそが、カザネが仲間に誇れるものだ。だから、全てを見定めて動けるほどの速さ。圧倒的な捕まらない、防ぎようのない速さ。それを、カザネは考え始めた。
ガサッ。
何かが近づいてくる音がする。だが、それが誰かはカザネには分かっていた。何故なら、カザネはその人と繋がっているからだ。契約という魔法の線で。
「ここに居たのか、カザネ。もう、家の前に人はいないから帰ろう。皆が、晩御飯作るってさ」
「そうですか、主人」
カザネは、笑顔でベイ・アルフェルトを出迎えた。自身の胸を押さえたまま。
「……何か、悩み事か?」
「……主人には、隠せませんね。主人、速いってなんでしょう?」
「?」
大雑把な質問に、ベイは、はてなマークを頭に浮かべた。
「例えば、戦う相手がいるとしますよね。その相手を、いつ倒すのが速いのでしょうか?敵とわかった瞬間でしょうか?それとも、戦う相手が攻撃をしてきたときでしょうか?それとも、敵と分かる前からでしょうか?」
「敵と、分かる前?」
「はい。究極的には、それが一番早いのだと思います。相手にもこちらが敵と認識されていない状態で倒す。一番、楽な倒し方です。ですが、それは実際に不可能に近い。アリーさんが用いた、時空魔法でしょうか。あれを使えば出来るかもしれませんが、やはり、これは私の通りに反する考え方ですね。とすると、正々堂々でなおかつ速いとすると、やはり相手が攻撃してきたときでしょうか。その瞬間に、一瞬で勝負をつける。それが、最速なのでしょうかね?」
「正々堂々だとすると、確かにそれが最速なんだろうな。争いが発生する前ではなく、後になるから」
「そうですよね。……だとすると、どれぐらいでとどめを刺すのが最速なのでしょうか?」
「ど、どれぐらい?」
「はい」
カザネは、両腕で幅を作ってベイに見せる。
「例えば、これが一秒だとします。だとすると、最速とは何処でしょうか?」
「そりゃあ、ここだろう」
ベイが、始まりと思しき前の方のギリギリを指差した。
「では、今度はそこをこの大きさに拡大しましょう。では、最速は何処ですか?」
「……ここだな。つまり、カザネが言う最速っていうのは、止まった時間に一番近い間に行動できる速度ってことだよな?」
「そうですね。それが、やはり究極……」
「止まった時間を、動きたいとでも言うのか?」
「いえ、真に止まった時間とは、何者にも干渉できない空間であるとアリーさんの魔法で学びました。やはり、私が目指すのはそれに一番近い何かですね。人間の認識外にあるような、名付けることすら出来ないような、そんな速さの到達点……」
「そんな速度で動いたら、周りごとこの世界を消し飛ばしてしまうよ、カザネ」
「……なるほど。そう言う配慮もいるのですね……」
「……」
カザネの目は、真剣にその到達点を考えている目をしていた。ゼロという時間に一番近い攻撃。それを可能にする速度。カザネは、真剣にその到達点と向き合おうとしていた。




