007「05 花井」
「05 花井」
結婚式の準備より、キャンセルは簡単で
事情を聴いた担当者は、葉書で中止の連絡のする事を勧め
2人だけの結婚式のプランと
祝福してくれる友人達だけで披露宴パーティーができる
少人数対応の小さなレストランを紹介してくれた
花井の中で幸せな夢が広がっていく
「そうだ、引っ越しもしよう…
あんな自分の親の住む町で、彼女を幸せには出来ない
彼女と一緒に新しい場所で暮らそう」
花井は不動産屋にも立ち寄り、彼女に見せる資料を手に入れた。
花井の手元に幸せな未来へのプランが降り積もっていく
ただ、これを彼女の家へ持ち込むには時間的に非常識過ぎる
仕方無しにそれを両手に抱え、柵に夢を汚されたくなくて
親の支配が届く家には帰らず、花井は会社に泊まりにやってきた
仮眠室には、家に帰りたくない病に罹った上司が
思った通り、今夜も泊まり込みの準備を整えている
緩んだ公然の秘密的ルールに初めて救われ
花井は、こんなルールがあるモノ悪くないなと初めて思う
そこで、上司に今回の事の騒動や事情を話したら
気軽に受け入れてくれ
残業していた同僚達と一緒に、花井の事を応援し
上司は家を借りる保証人になる事さえ、申し出てくれた。
現実味を帯びた花井の夢
話の流れで、婚姻届の保証人の一人は「友人代表」として
この同じ会社で働く違う課の「勇気」にサインして貰うって事を
御願いしていると話すと・・・
花井が自分で思っていたより
他人様からは滑稽な状態になっている事を教えられた
結婚を妨害しようと、彼女の周りにだけ伸ばされた
両親からの魔の手は・・・
出来過ぎ設定の…重なり過ぎた不幸なトラブル…
彼女の周りにしか齎されなかった噂の流れから
花井の周りからでは、「故意な嫌がらせ」にしか見えなくて
それに係わる「勇気の噂」ですら
噂の出方がおかし過ぎると、この場所で真実味は失われていた。
花井は、真剣に悩み苦しんでいた自分が嫌になり
親からの妨害を受け始めてから初めて、本気で笑った
同じ課の同僚と上司は…
『馬鹿だな、もっと早く相談して来いよ』と
一緒になって笑ってくれ
『此処で泊まる事前提で、飲みに行こう』って事になり
花井は虫の知らせに気付く事無く、楽しい夜を過ごし・・・
翌朝、会社で勇気にメールして良い返事を貰い
もう一人の婚姻届の保証人を上司にお願いして、市役所に向かった。
少し早く着いた市役所の前、まだ市役所は開いていない
人通りは疎らで、開いている店も無い
花井は暇を持て余し、花壇の縁に腰をおろす
そして「微笑む彼女を思い出し」幸せな夢に浸る
暫くすると、後ろから悲鳴が聞こえた…
振り返ると、自分が指を指されている
動揺してあたふたしていると、首筋に痛みを感じ
その部分を手で押さえると、柔かくわさっとした肌触りの塊が
驚き、掴んで引き剥がすと・・・
それは黒くて大きな蜘蛛だった
勿論、花井も悲鳴を上げて蜘蛛を投げ捨てる
花井の首筋から一筋の赤い筋が流れた
それから突然、誰かにジャケットの襟を掴まれ
行き成りジャケットを脱がされる
脱がされ、投げ捨てられたジャケットを見ると無数の蜘蛛が
花井は呆然として、背筋が凍る思いを初体験していた。
その後、花井は・・・
自分のジャケットを引き剥がした年配の役所の人に拉致られ
病院へ連れて行かれる
何んとか捕獲された
花井を噛んだ蜘蛛より小さな蜘蛛には、毒性は無く
花井の首の傷も出血の量に反して浅いモノだった為
役所の人曰く、事無きを得て自由になった。
花井がその役所の人に愚痴ると、
『もしも、毒蜘蛛だったら命落としてたんだぞ』
と、何故だか諭され…病院代と言う出費が無駄にかかっただけ
溜息を吐いて、役所に戻り
昨日、頼んでいた職員を捕まえて話をすると…書類は出来ておらず
書類を貰う為の書類も、もう一度書かなければ行けない事に
しかも混雑していて、時間が掛かる事掛かる事…
何だか散々な結果に終わってしまった。
そこから気を取り直し・・・
花井は、彼女が一番好きな御店でケーキを購入して
彼女が好きな花の花束を持って機嫌よく歩き出す
『今日は、笑ってくれるかな?』
と、希望に満ちた呟きを嬉しそうに言葉にし、楽しげな足取りで
彼女が住むアパートの部屋へと向かう
花井の首筋を齧った蜘蛛が、背の高い街路樹の上から
花井を見下ろし、そんな様子を静かに見詰めていた。
彼女の住むアパートに向かう道すがら
見えない蜘蛛の糸が肌に触れ
市役所前での事を思い出し鳥肌が立つ
更に、パトカーや白バイに追い越され不安が過ぎる…
アパートの前にそれが停まっているのを見た時・・・
花井は不安感から走りだした
何本もの蜘蛛の糸にかかり、痒い不快な感触で苛立ちが余計に募る
アパートには黄色いシールとブルーシート
アパート玄関側全体をブルーシートで隠しているので
彼女の部屋も見えない
花井は高まった不安を抑えきれず、警官の制止を振り切り
2階にある彼女の部屋の前まで行き、扉をノックして
彼女の名前を大声で呼んだ
そして、返事が無いのでドアノブを回して開いていたので
そのまま部屋に入り彼女を探す…でも、そこには誰もいなかった。
花井は、半狂乱になり
花井の様子を見に来た警官を捕まえ、彼女の居場所を聞く
警察は守秘義務を守る為、何があったか説明できない為に
半泣きで必死に彼女の事を訊いてくる花井に困って
警官は応援を呼び、取敢えず花井を落ち着かせた
その場に居た警察の偉い人が、「内緒」と言う約束で
『近所の噂好きのおばさんが、包丁を持って
同じく噂好きの近所のおばさんを追いかけまわして刺した』
この家に住む花井の彼女には関係ない事件だと伝える
今のアパートの状況の真相を訊いて…花井は、一度落ち付き
改めて彼女の居場所を聞く、警官は知らない
事件があって、目撃者探しに訊ねた時には留守だった事を訊いて
花井は途方に暮れ
それでも『何か知らないか?』と訊いてくる花井に対し
警察も途方に暮れた
臨機応変な警察の誰かが
『鍵を開けたまま、長時間留守にはしないだろう』と、言い
『帰って来るまで部屋の中で待っていたらどうだ?』と
花井が捜査の邪魔にならない様に配慮する。
花井は仕方無しに、彼女の帰りを待ちながら
彼女からの書き置きでもないかと部屋の中を探すが
手掛かりは何も見つからなかった
そして、やっと見付けたのが彼女が書いた最後の日記
その日記は、数日前の日付で…
「少しでも噂を信じ疑われた事がショックだった」って事が
小さく書かれていて、花井はショックを受ける
気付かれていると思わなかった花井は
どうしても彼女と話がしたくて
今の今まで存在を忘れていた自分の携帯に手を伸ばし
彼女の携帯に電話をかけるが…
着信音は、部屋の中から聞こえてきた
花井は一応、携帯の場所を探し出す
携帯はクロゼットの中の鞄の中・・・
財布と家の鍵も一緒になって入っていた。
花井は窓の外を覗き
帰り支度をして帰ろうとしている警察に縋り付き助けを求めた
『財布や携帯、家の鍵を残して家を空けるなんてオカシイ
何かの事件に巻き込まれたのかもしれない、探してくれ』と・・・
ただ、それは受理される事は無かった…
黒色の制服に紛れ、黒い蜘蛛達がほくそ笑む
どんな風に何処の行政機関へ話を持って行っても
恋人であっても、例え婚約者であっても
花井と彼女はまだ、何の権利も無い他人だったのだから
花井はその事実を突き付けられ、勇気に助けを求める
無数の蜘蛛の糸が青空の下、微かに煌めいていた
小さな小さな蜘蛛達が、風に乗り空を舞いクスクス笑いながら
花井の様子と行動を見守っていた。




