017「15 森の宴」
「15 森の宴」
階段の方向を凝視する勇気が気になり
林が、勇気の視線を追って見付けたのは・・・
ウエディングドレスに身を包んだ1人の女性の姿だった
林は、その若い女性に見覚えが少なからずある様な気がする
林は自分の記憶を探り
古い記憶と、それに関連する比較的最近の記憶の中に
彼女らしき人物、彼女に似た女性に関する事柄を
幾つか思い出したが…
一人は・・・
事件現場の状態から、高い確率で死んでいると思われ
生体反応がある状態で、引き千切られた形状の腕が
現場に落ちていたのだから、5体満足な状態で
この場所に現れるなんて事は、絶対にアリエナイ
でも、もう一人は?
林の思考が終わる前に彼女が、聞き覚えの無い名を呼び
花井が彼女の名前を呟いて、彼女の元へ走って行ってしまった。
花井の呟いた名前で、林の中で思考が纏まる
彼女は行方不明で、その犯行の容疑者の一人として目下捜索中
そしてここには、生きた物を引き千切って食べる
蜘蛛と言う種類であろう、喋る生き物が存在する
『アレは…本当に本人か?』
林の囁きを聴き付けた池田が、同じく視線を辿って
月光に照らされる彼女のドレスの裾、足元を見て
一瞬、眉間に皺を寄せ・・・
『えぇ~っとぉ…アレが花井の…婚約者…で、良いのかな?』
山中と勇気に訊ね確認を取った
『うん、そうか…ありがとう』2人に御礼を言いながら
池田は視線で林に連絡を取り
『不味いかもしれないな』と、囁いて
右手で顎の無精髭を触りながら黙り込んだ…
不自然に、森のざわめきが近く聞こえて来る
扉から吹いてくる風は明らかに、自然な森の香りで
消毒液臭く、漂白剤臭い病院の物とは異なっていた。
森のざわめきに混じって
カシャ、カシャ、カシャと複数の耳憶えのある音がして
段々と、近付いてくる
何処からしてくるのか、見当もつかない
しかも、それを…花井に伝える事は難しく
勇気と山中に言っても、直ぐに信じさせる事は難しいかもしれない
その上…若い二人に伝え、2人が変に騒げば
花井が危ないであろう事は・・・
人生経験がそれなりに長い2人には、容易に想像できる事であった。
池田と林は、誰にも気づかれない様に身構える
すると突然…先程、林が閉めた扉が大きな音を立てて開き
その場所に勇気を一人残して
3人は何かに全身を絡め取られ、全身を宙に浮かせた状態で
一瞬の内に、開いた扉の中に引き摺りこまれてしまった
一瞬の事で、山中は何があったか理解していない様子で
連れ込まれた先で立ち尽くす
花井と花井に寄り添う彼女が、そんな場所にゆっくり入ってくる
彼女のドレスが揺れ
後で這う、光沢のある長い足をベールの下で引き摺る
何か理由があるのか、勇気だけは・・・
花井の腕に自分の腕を絡ませ寄り添って歩く彼女に手招きされ
自ら入って来た。
5人はそれぞれ、夕食を食べた時との変化に違和感を感じる
池田と林は・・・
自分達を密かに取り囲む、着飾った女性達に勘付かれない様に
違和感から「自分達の居る場所が何処なのか?」を調べる
白っぽかった食堂で、一番変化したのは
「茶色い色をした柔かい絨毯が敷き詰められている」と、言う事
開け放たれた窓からは「森の空気が吹き込んできている」
と、言うよりも…
『此処はもしかして、森の中じゃないのか?』
池田と林の言葉が重なり・・・
2人は大きな衝撃を受け、柔かい腐葉土の上に投げ出された。
比較的近くに居た、山中に叫ぶ様に声を掛けたが
池田の声にも、林の声掛けにも反応しない
同じ様に・・・
花井と勇気の耳にも2人の声は聞こえていない様子だった
此処は月光に照らされ、鈍色に輝く蜘蛛の巣が張り巡らされた
薄暗く湿り気が多くて足場が悪い森の中・・・
踏締める柔かい足元の腐葉土の下には
凸凹と硬い木の根が見え隠れし、その硬さと柔らかさの御蔭で
とても滑りやすくなっている
『分が悪いな…
この状態じゃ銃が自由に仕えねぇ』林が渋い顔をする
林と背中合わせになる様に移動してきた池田も…
『お前に銃以外の武器を持たせておけばよかったよ』
と、軽く眉間に皺を寄せる
2人が使える武器は、林の持つ散弾銃と
池田が持つ、赤くて重みのある柄の長い懐中電灯と
ゴキブリ用の殺虫剤1本だけだった。
林は銃を邪魔にならない様に背負い直し
殺虫剤を池田から受け取る
『俺は、あの中じゃ
山中が一番戦力になるんじゃないかと思うんだが…どう思う?』
『異存無い』
池田は懐中電灯を振り翳し
大人の人間の半分の大きさの蜘蛛の頭上に振り下ろした
硬く鈍い音が響き、蜘蛛が悶える様に暴れ出す
でも、単純な作りだからなのだろうか・・・
動物とは違い頭が取れてしまっても、暫く元気に動いている
『あぁ~…俺さ
もう、虫なんて見たくないくらい大っ嫌いになったわ!』
『池田よ…俺、それを昔からお前が繰り返し言ってるの
耳にしている気がするんだが、気のせいかな?
そんなに嫌い嫌いって言わなくても知ってるよ!っと』
林は殺虫剤を噴射し、蜘蛛を怯ませ
肩に掛けた銃をくるりと上手に回転させて
怯んで動きの鈍った蜘蛛に銃口を合わせ、至近距離で撃つ
蜘蛛を貫通した散弾銃の弾の小さな鉛の粒が
木々に幾つかの小さな穴を開けた。
『うぅ~わっ…思いの外、散弾銃も使えねぇ…』
簡単に死なない、動かなくならない蜘蛛に辟易しながら
林は、趣味で習ったキックボクシングで鍛えた蹴りで
蜘蛛を蹴り飛ばし何んとか、身を護る
『「柔道・剣道・逮捕術以外」に使えるモノがあって良かったな』
池田はその間、バットでボールを打つかの如く
上手に懐中電灯で、蜘蛛を殴り打ち上げた
『今現在、役に立ってるのがキックボクシングだけだけどな!
蜘蛛相手に「柔道・剣道・逮捕術」って使い道ねぇ~ぞ』
そう言いながら林は、人の居ない方向に居る
蜘蛛達に対し数発、散弾銃を撃ち放つ
『それにしても、ライフルで無く
殺す目的だけにしか使えない散弾銃をあのレンタル屋に
誰かが、預けてくれてた事に感謝しなきゃな』
止め処なく現れる無数の大蜘蛛に絶望しない為
2人は自分達の息が切れるの承知で無駄に会話を続ける
『何で、散弾銃だと殺す目的って事になるんだ?』
『そもそも、鉛の粒が入り込んだ肉を食ったら鉛中毒になるだろ?
沢山食べなきゃ大丈夫だからって、気にしない奴は食うらしいがな
でも、散弾銃で撃たれたら…
動物はその時に生き延びても、体内に入った鉛の為に
傷口が膿んで、時が経てばその為に必ず鉛中毒で死ぬ
鉛中毒で死んだ動物を食べた肉食の動物も鉛を食べる事になって
鉛中毒で死ぬんだ・・・それが殺す目的以外の何になるんだよ』
池田は笑みを浮かべた
『林は、変わらないな…昔から
もし、俺が居なくなっても…そのままのお前でいてくれよ』
夜色の空・・・
墨汁を綺麗な水に垂らした様な黒い何かで蓋われる森
動かない月と、時が止まった様に動かない雲
『馬鹿な事、言ってんじゃねぇ~ぞ
俺の前から勝手に居なくなる事は許さねぇ~…』
林は出なくなったスプレー缶を蜘蛛に向かって投げ捨て
怒りを露わにする…
それとは裏腹に・・・
2人の手足に着いた蜘蛛の体液と蜘蛛の糸が…
2人の体力の限界と眠気が…
2人の動きを鈍くし
閉じた世界で2人の心を少しづつ少しづつ蝕んでいく
何時間も経っている筈なのに・・・
アナログ時計も、デジタル時計もどちらも
月が昇り、大きくなり始めた丑三つ時で時刻を止めていた。




