素敵なタイミング
短いセンテンスが全部で5つ。それぞれ男女視点を交互に描いてます。
1.タイミングがあった日①
「ふわあぁ……」
ぽかりと大きな欠伸が浮かんだ。
昨夜は女友達と遅くまで話していたから睡眠不足だ。
話題は仲の良い2人にできた彼氏の話。
女の恋バナは尽きる事を知らないって真理だと思う。眠いのに楽しくて、楽しすぎて眠いのが辛かった。
恋に気付いたきっかけは何だったの、と訊ねたら2人は少し考えて言った。
友達の1人は会った瞬間ビビッときたらしい。所謂一目惚れってやつ。
もう一人は後輩の転寝を発見した瞬間。あまりの可愛さに自分が狩らねばならんと思ったとか。
2人共、もしかしたら運命かもね、なんて言っていた。劇的な出会いとか発見とか、私もちょっと憧れる。
残念ながらそういうものとは縁遠い私だけど、いつか素敵な恋の訪れがあったらいいなあなんて思ってしまう。
ただ、そうはいっても、今の私は家と学校とバイト先を往復してばかり。
決まったローティーションの中じゃ、出会いだってそう簡単には見つからないだろうなあ、なんて。他人事みたいに思った時、バックに仕舞おうとしたコンビニのレシートが春の風に浮かび上がった。
「あ、お、とっ」
大学生にもなってポイ捨ては良くない。
逃げていく紙をキャッチしようと手を伸ばす。動く私の風圧に押されるみたいに紙はふわりと逃げていく。
待って、と呟きながら、紙が落ちる速度に合わせて段々腰を曲げていく。なかなか捕まらなくて、コントみたいな動作になるのが恥ずかしい。
ともあれ、最後にはレシートも観念した。
私の手でもコンクリートの上でもなかったのは、予想の範疇外だったけど。
*
今日は朝からついてない。
目覚めた時アラームを止めた覚えがなくて、すわ寝坊かと飛び起きたら時計が止まってただけだった。
無駄に疲れた気がしてキッチンに向かい、朝食用の食パンが切れていることに気がついた。
色々な意味で力が出なくて早々家を出たのに、暫く歩いてから、家の鍵をきちんとかけたか不安になった。
意識しないまましてしまった行動は、いざ思い出そうとすると出てこないことがある。
結局家まで戻って鍵がかかっていることを確認し、再度駅までの道を歩いた。
今は解けた靴ひもを結び直すためホームでしゃがみこんでいる。なんとなく憂鬱な日になりそうな気がして結ぶ手の動きが遅くなる。
結び終わって立ち上がりかけた時、上からおかしな声が降ってきた。
「あ、お、とっ」
顔をあげると、目の前にふわっと紙が落ちてきた。
咄嗟に伸ばした手に乗った紙を見て、レシートだと気がついた。
しまった、これ単なるゴミか?
些細だけど面倒なものを受け止めてしまった。
この場合自分が捨てるのか?という疑問を抱いて見つめた手の上で再び白い紙が躍る。
またもや舞い上がりそうになった紙を、上から伸ばされた細い指が、トン、と押さえつけた。
驚いて見上げると、同じく驚いた顔がもうひとつ。
「……共同作業?」
ぽつり。落ちた呟きに、ああ、と納得して思わず頷いた。
俺の無意識の反応に、中腰姿勢の知らない女の子が照れたような笑顔になる。
邪気のない笑みになんだかつられて、俺も小さく笑い零した。
やっぱり前言撤回しよう。
今日はきっと、良い日になるに違いない。
2.タイミングがあった日②
「ノートありがとう」
講義終了後、廊下で見かけた男友達の姿を追いかけた。
立ち止まって不思議そうに振り返った彼に、先週借りたノートを出してお礼を言う。
私が休んだ日の講義のノート。同じく選択している中に知り合いは彼しかいなかったから本当に助かった。
ささやかだけど感謝の気持ちに友人が好むチロルチョコを2つつけて手渡すと、彼はほくほくと嬉しそうに破顔した。
「おお、さすが三島、タイミングいいな」
「……ちょうど小腹が空いたとこだった?」
首を傾げた私は、そこで初めて、友人の向こうにもう一人立っている事に気がついた。
私が友達に返したノートが、彼を素通りしてもう一人の相手の手へと渡される。
「こいつにも貸す約束だったんだ」
私から友達へ、友達から彼へ。
移動したノートの行方を目端に捉えながら、私は間抜けにもぽかんと口を開けてしまった。
「あれ?もしかして……」
そんなことってある?
この間地元の駅でレシートを拾ってくれた親切な人が、私を見て眼を見開いた。
*
友達の友達が、先日、憂欝だったはずの1日を良い1日に変えてくれた女の子だった。
地味で目立たない俺を、彼女は覚えていたらしい。俺も驚いたけど、向こうの驚きの方が勝ったようだ。
口を開けて目をぱちくりと何度も瞬く様は子供みたいに素直で、段々おかしくなってきた。
人間、自分の反応より更に大きい反応を目の当たりにすると、逆に落ち着いてきたりする。
ふっと堪え切れない笑みが漏れた時、はっと我に返ったらしい彼女が慌てて頭を下げた。
肩先に届く長さの髪がふわりと揺れた。
「こ、この間はありがとうございました。三島つぐみです」
「あ、丁寧にどうも。伊東健一です」
「ん?2人は知り合い?」
簡単に経緯を説明すると、友人は細い目を更に細めた後、楽しそうに口角をあげた。
って、なんだその意味深な含み笑いは。やめろ、偶然は偶然でどちらの側にも他意はない。
は?顔が赤い?そんなわけないだろ、いいから今すぐやめろって。
無言の攻防を終え軽く睨んだ俺に益々楽しげな様子になる友人に、少し頭が痛くなってきた。
「あ、そうだこれ、お礼にもならないですが良かったら」
お裾分けですみません、と何故かチロルチョコを差し出された。
実は俺は甘いものは得意じゃない。
一瞬迷って、だけど好意を無碍にするのも悪くて受け取った。
直後、俺の嗜好を知ってる隣の友人が、さくっと事情をぶちまけた。
「伊東はしょっぱい方が好きだから塩クッキーとかがいいと思うよ」
いらんこと言った友人に焦り、俺は友人の首根っこを掴んで強引に次の教室へと向かった。
気にしなくていいからと合図したつもりだったけど、何かを思案する風の彼女が少し気になった。
家に帰ってから直前まで彼女が借りていたというノートを開いたら、貼り付けられた蝶の形の付箋に『ありがとう』の文字を見つけた。丸い文字から少しだけ甘い香りがした気がした。
3.タイミングがあわなかった日
毎日通う駅のホームに辿りついた時、なんとなく周囲を見回した。
顔見知りの人がいるわけではないけれど、この中にも同じ駅から同じ学校に通う人がいるんだろうと考えたのは初めてだ。
この間のように彼も今日ここにいるのかな、と思ったけれど、それらしき姿は見当たらなかった。
大学の講義は毎日決まった時間にあるわけじゃないから仕方ないか。
今日はバックの中に小分けにした塩クッキーを入れてきた。
昨日はチョコ、今日はクッキーって、ただレシートを受け止めてくれただけの人に、あまり何度もお礼をするのもどうかと思う。
ただ、昨日の彼と友人のやりとりから、彼は甘いものが苦手だったのではと気づいてしまった。
彼が私に返してくれた挨拶は丁寧で礼儀正しくて、苦手なものなのに喜んで受け取ってくれた。知らなかったとはいえ、恩を仇で返すような真似をしてしまって申し訳ない気持ちになる。優しい人だと思う度に心苦しくて、帰りに美味しい塩クッキーを探していた。渡せる機会があるといいのに。
それにしても、こんな偶然ってあるんだなあ。
あの日、知らない人のちょっとした親切に、世の中には優しい人がいるもんだ、と少しだけ嬉しい気持ちになった。その話はそこで終わりだと思っていたから、予期していなかった再会は無償に面白くて心が弾む。
単調な日常に生まれた変化がなんだか楽しい。今度会った時はゆっくり話せたら良いなと思う。
これは別に、今日新しいスカートをおろしたからって理由だけじゃない気がする。
あ、いや、彼に見せたかったって意味じゃないけれど、うん。……うん?
何だろう、ぐるぐるしだした自分につい端から言い訳を並べてしまう。
耳に電車が近づく音がする。
ああ、電車が来ちゃった。
今日はたぶん会えないな。
ちょっとだけ残念な気がして、無意識に口を尖らせていた。
*
今日は正真正銘寝坊した。
ぎりぎまでかけて悪戦苦闘したレポートのおかげで、1限授業日だとわかっていても動きが鈍い自分がわかる。
目の前にホームに入っていく電車が見える。とはいえ未だ駅から道路を挟んだ場所に立つ自分では十中八九間に合わない。どちらにせよ目の前の信号が変わらない限り動けない。
それとも信号が青になった瞬間飛びだせたら間に合うだろうか?
間に合わず目の前で過ぎていく電車を見つめるのは実に空しい。
頑張ればなんとかなるかも、という気持ちを拭いきれなくて、慎重にタイミングをはかることにした。
結果として。飛び出し自体は悪くなかったけれど、間に合うまではいかなかった。
前にゆっくりとした足取りで改札を抜けようとする人がいて、追い越すことができなかった。
扉が閉まる音が鳴り響くのに気づいた時、ああ、これは無理だと悟っていた。
惰性で走るも、走り出した電車を見送るしかないのが物哀しい。
自分で決めたことなのに、無駄に体力使った気がして尚哀しい。
一応、次の電車でも間に合わないことはない。
駅についてから少し走れば講義にも間に合うことを知っている。
それがいつも自分が乗ってる電車だから間違いない。
ただ、この時間ならもしかしたら、と思ったことを否定できなかった。
閉じていく扉の向こうに、ちらりと赤いスカートを見かけた気がした。
それが彼女のものだとは限らないけど、どうしてか視界の端に焼きついた。
約束なんてしていない。連絡先だってわからない。そもそもそんな必要は一片だってありはしない。
わかっているのに、何故か勿体ないことをしてしまった気持ちが拭えず、その日1日持て余す羽目になった。
4.タイミングがあったらいいなと思った日
「あ、三島さん」
「伊東君、こんにちは」
選択授業が違うせいかあれから駅でも学校でも会えないままだった彼と、漸く教室で二度目の挨拶をした。
頭を下げた私にあわせて頭を下げてくれる、彼は律義な人みたい。友達に言ったら、三島も律義な部類だよ、と言っていたけどそんなことはないと思う。
知り合い繋がりで、私、友人、伊東君、伊東君の友達、という並びで席に座った。挨拶した伊東君の友達も雰囲気が柔らかくて、類は友を呼ぶのかな、と思ったら何だか嬉しくなった。私自身は以前の席と変わらないのに、景色が新しくなったみたいで新鮮だ。
彼らはこれまでも同じ教室にいたはずだけれど、知りあう前のことは思いだせない。
だけどこの部屋のどこかに彼もいたんだ、と思うと不思議な気持ちになった。
友人を挟んだ向こう側にいる伊東君になんとなく目をやっていたら、ふと視線がぶつかった。
慌てて顔を戻した後、なんだか失礼なことをしてしまった気がして、もう一度彼の方を見た。
伊東君はどうやらまだこちらを見ていたらしい。少し驚いたような表情をした彼に小さく頭を下げる。すると彼の表情が少し柔らかくなったので、私の頬も緩んでしまった。
視線を戻してノートをめくる。だけど緩んだ頬は戻らなかった。
……なんだろう、これ。あ、あれ?
我に返ると、何かを予感させる自分の反応に少し戸惑った。
隣に座った友人が、おもむろに、以前私が彼のノートに張り付けた蝶の付箋を戻してきた。
私が書いた『ありがとう』の文字の下、別の誰かによる『便乗してごめん、助かった』の文字を見る。
隣の友人が「女の子らしくて可愛い付箋だとかなんとか言ってたな」とぼそっと呟いたのを聞き、赤くなった自分の顔を自覚した。
あああ、まずい、これはあれだ、その、なんていうかその……っ
顔をあげられなくなった私の隣で何やら音がしてたけど、衝動を押さえるのに必死な私はそれどころじゃなかった。
*
見られてる?
久々に顔を合わせた彼女に友達を紹介し、なんとなく並びの席に座った。
大学の講義というものは誰がどこに座っても構わないものだから、基本的に自分の知り合い以外は把握していない。いきなり視界に現れたように感じる彼女に不思議な感覚で講義を受けていたところ、横から物言わぬ視線を感じた気がした。
視線が飛んでくるのは彼女が座っている方向だ。まさかここで友人が俺を眺めることもないだろうし、そうなると犯人は彼女しかいない。
確信はない。でも、もしかしたら。
そう思ったら、彼女の方を向けなくなってしまった。
いや、他の人間を間に挟んでこの言い分はない。
分かってる、俺が意識しすぎているだけだ。
ただ、一度意識し出したら止まらない。
困ったループに嵌ってしまった。
自分の神経が過敏になる理由が察せられるだけに、こうなると戻れる気がしない。
……彼女が見ていなさそうなタイミングでちらっとみるか。目があわなければ勘違いだったとわかるし。彼女がこちらを向きそうになったら俺が視線を外せばいい。
小さく息を吐いた後、意を決して視線を遣る。と、きょとんとした彼女の瞳とぶつかった。
思わず心臓が小さく跳ねる。きゅ、と手の中のペンを握りしめたが、眼を逸らしたのは彼女の方が先だった。慌てたように戻された横顔に少しだけ物足りなさを感じた。
そのまま眺めていた俺に、再び彼女の視線が注がれたのはそのあとすぐのことだった。
ぺこりと小さく頭を下げる仕草がどことなく稚く、ふと顔が綻ぶ。すると、ゆっくりと彼女の顔に笑みが広がっていくのが見えた。柔らかな表情が眩しくて、気付けば一緒に目を細めていた。
ああ、本格的にまずいことになってるなあ……。
様々な思いが沸いては沈み、浮かんでは巡る、久々の感覚に胸が痛む心地がする。
何を呟いたか知らないが、急に彼女に身を寄せ耳打ちした友人の襟首を咄嗟に引っ張ったのはほぼ無意識だった。そんな自分につい溜息が零れていた。
5.タイミングをあわせた日
自分に訪れた慣れない出来事に狼狽し、女友達に色々聞いてみた。
「ビビッときた後?絶対落とすって決めて頑張ったに決まってるでしょ。運命をモノにするには努力しなきゃね!」
「私は元々狩る側だし。手懐けて落とすことを目標に策を弄して罠張って、ってまあ、過程はどうあれ最終的に傍にいるのが当たり前になるようにすれば勝ちよね」
そうは言っても現実は色々思い通りにいかないことばかりだったらしい。
自分の気持ちに嘘吐くのだけはやめた方がいいよ無駄だから、と今は悟りを開いたみたいな声音で告げた2人が、先手必勝、と声を揃えた。女の幸せは戦って勝ち取れ、と私を鼓舞してくれた。
運命とか奇跡とか、時にそうしたものが突然舞い落ちてくることはある。
だけど、受け身のまま落ちた果実を腐らせるのでは、どんな幸せも実りはしない。
大切だと気付いたその日から、水を遣って肥料をやって、陽にあて育まなければ幸せの果実とは出会えない。
目から鱗の現実を前に、両手を握りしめた私は気持ちを改めた。
私の胸に芽吹いた小さな種は、私自身で守るもの。
欲しいものがあるのなら、自分から先に手を伸ばさなきゃ。
まずは今日、時間ギリギリまで駅で待って。そして、今の気持ちを伝えてみよう。
その日私はいつになく勢い込んで駅のホームに乗りこんだ。
妙に興奮気味な私の前をスッとスーツケースが通り過ぎる。同じタイミングで、私の隣で親との話に夢中になっていた子供が、ふざけた様子でホーム側へと後ろ足を下げた。
両者がぶつかってしまいそうな気配に私は慌てて手を伸ばした。だけど、鈍い私で間に合うだろうか。
「あぶなっ」
思わず声をあげた時、後ろから別の手が伸びた。
一方で子供の背中を支えて止め、もう一方でスーツケースを子供から離す。
両腕の間に挟まれた態勢で支えられた私は、危険を回避した後になって心臓がドキドキした。
その後、気付かなかった親子と驚いたスーツケースの持ち主が、揃って謝罪し、揃ってお礼を述べた。
まるで2人で一緒に助けたみたいな格好になったけど、実際は違う。礼を受け取るべきは私じゃないので、遠慮しつつ後ろを見上げたら、困ったように首を振る伊東君の姿が見えた。彼が恐縮しているようなので、2人で少し離れたところに移動した。
やっぱり彼は優しい人だ。
ついにこにこしてしまう私に気がつき、益々弱った顔をする彼が可愛く見えた。
人一人分、空いた距離を縮めて、私はそっと口を開いていた。
*
咄嗟に伸ばした手がぎりぎりで間に合って、危険な接触を防ぐことができた。
ほっと一息吐いた途端、己の胸で受け止める形になった彼女を意識し心臓が強く脈打った。
これ、もしかしてセクハラ一歩手前じゃないか?
むしろアウトかも、と思ったらかそのまま体が固まった。
慌てて距離を取ったけど、仄かに香った髪の匂いや間近に迫ったつむじを直ぐには忘れられる気がしない。
こちらを見つめてくる彼女に赤くなる頬を誤魔化すために力を入れて、出来るうる限りで何でもない風を装った。
先に危険に気付いたのは彼女だし、自分が助けたかったのは彼女だ。
目的自体が違ったし、実際たいしたことをした気もしないので、何度も謝られると対応に困る。
3人から重ねて向けられるお礼をどう遠慮すればいいかわからなかったので、自分を連れてさりげなく移動してくれた彼女の気遣いが有難かった。
「ありがとう」
「お礼を言うのは私の方だと思います」
安堵の表情で告げると、はにかんだように彼女が笑った。
共同作業その2って感じでしたね、と呟く声に心臓がきゅっと締めつけられる。
風に揺れる髪を手で押さえながら微笑む彼女が酷く綺麗に見えて、気付けばずっと見つめ続けてしまいそうになる。
傍から見れば考える必要もないほど自分の気持ちが向かう方向が解りやすい気がして顔を覆いたい心地になった。
気をつけないと、駄々漏れすぎる。
朝から考えていた色々な悩みを遠く彼方に放り出し、まったく現金なものだ。
動揺に揺れる心臓を押さえて一つ深呼吸をすると、電車が来るとのアナウンスが届いた。
電車に近づくため踏み出した彼女の一歩が、何故か自分の側に近づいた気がして少し焦った。
ごく近くになっていた距離を意識した瞬間、彼女が小さく何かを囁いた。
「―――……え?」
今、遂に幻聴が聞こえた気がする。
虚を突かれ茫然と固まる俺の前、言うだけ言って満足した風の彼女が、入ってきた電車に乗り込んだ。
待て、これ本当に現実なのか?
まずいって、絶対今顔赤いぞ、俺。
なかなか乗りこまない俺の名を、困り顔の彼女が呼ぶ。
ほんのり赤く映る頬が酷く可愛く見えて、衝動的に足を動かした。
差し出された彼女の手を取って扉が締まる直前飛び込んだ俺は、ドサクサ紛れに彼女の体に身を寄せた。
彼女の耳に同意の言葉を囁きかけて、直前ではっとし思い留まった。
さすがに、単に同じだと伝えるだけでは男として格好悪すぎる。
とはいっても、適当な言葉はすぐには思い浮かばないのがまた痛い。
「……後で俺から、改めて仕切り直させてもらっていい?」
続けられたのはなんとも情けない台詞だったけど、一瞬固まった体を解すみたいに笑い零した彼女の声が甘く耳へと響いていた。
―――私って、あなたに会えると、やったっていう気持ちになるみたいです。
(2人の出会いに幸運を祈って)