19話:迷いの森
中天に昇った夏の太陽が濃く短い影を作り、湿気と木々のにおいを多分に含んだ風が肌を撫でる。
微かに聞こえる虫の音に暑さを思い出し、クルスは流れるままに任せていた額の汗を拭った。
一行は今、緑国の辺境に来ていた。
国軍だけでは手の足りない辺境の魔物討伐。緑国のギルド連盟支部長クィーニィ・ハーヴェストより齎された依頼のためだ。
四大国最大の国土に比して緑国の保有戦力は多くはなく、街道や宿場町の発達していない辺境に大規模な戦力を送ることもできない。
そのため、一部の騎士や冒険者を定期的に送り込み、辺境の村々を巡回して魔物を討伐させているのだ。
アルカンシェルもここ半月ほど各地の村を回り、一行にとっては容易く下せるが、村人にとっては犠牲を覚悟せねばならない、そんな魔物の集団をいくつか壊滅させた。
そうして、全体の行程も半ばを消化し、辺境の長閑な風景にも慣れてきた矢先に、一行は異変に出くわした。
クルスの目の前には小さな村がある。辺境に点在するこれといって特徴のない村だ。
しかし――
「……イリス、どうだ?」
「駄目ね。誰もいないわ。田畑も空っぽよ」
偵察から帰ってきたイリスが肩を竦める。
普通の村人がイリスの気配探知を躱すことはできない。
周囲一里には誰もいないのはたしかだろう。
無論、死体でなければ、であるが。
「カイ、ソフィア」
「火が放たれた跡や抵抗した様子はない。財貨、家財道具等もすべてそのままだ」
「微かに魔力の気配はしますが、生命反応はありません。念のため地中も索敵しましたが同様です」
「そうか……」
村の中を探索したカイとソフィアの報告を聞いて、クルスは喉の奥で唸った。
クルス達が来た時点で、村には誰ひとりとしていなかった。
普通の小村が一切の痕跡なく廃墟となった。明らかな変事だ。
野盗や魔物に襲われたのなら抵抗や損壊した痕がないのはおかしいし、逃げたとしても最低限のものは持ち出すだろう。
である以上、村人は連れ去られたと見るべきだ。
「魔物か? たとえば亜竜のように空から襲いかかれば痕跡を残さず村人を誘拐できる」
「住民が逃げる間もなくひとり残らずか?」
クルスの問いに慣れない眼帯の位置を直していたカイが答える。
たしかに、オークなどの収集癖を持つ魔物は存在する。空を飛べる種の中に同様の性癖を持つ者がいてもおかしくはない。
しかし、短時間で村人全てを浚うことが可能かと言われると首を傾げざるを得ない。
「現実的とは言えんな」
「なら、先日の“アルベド・ディミスト”のように住民を洗脳して連れ出すことは?」
「……不可能ではないと思います。仕込みに時間はかかると思いますが」
続けて発せられた問いに、ソフィアは頤に指を添えて少し考えてから肯定を返した。
村の状況からして、何かしらの魔法が使われた可能性は高いだろうと少女の経験が告げていた。
「イリス、どう思う?」
「可能か不可能かなら、可能だと思うわ。それだけの手間をかけて辺境の寒村ひとつ潰すっていうのは非効率的だと思うけど」
これ以上なく渋い顔をするイリスも条件付きの肯定を返す。
元より戦乱の導の狙いが分からない現状では推論でしかないのだ。
「カイはどうだ?」
「只人の集まりなら、連れ去るよりも他の村を襲わせる方が効率的だ」
「……効率的、か。ともかく情報が少なすぎる。次の村に移動しよう」
「そうね。ここで悩んでも埒があかないわ。これ以上は何も見つからないだろうし」
半日かけて村中を徹底的に探したのだ。これ以上時間をかけてもクルス達では何も発見できない公算が高い。
それよりは次の村に行って情報を集めるなり、警戒を促すなりした方がいいだろう。クルスはそう判断した。
心の片隅にどことなく嫌な感じが残るが、結局、その原因には思い至らなかった。
その日はそのまま移動を再開し、日暮れを待って野営に移った。
遠く、ソフィアの感知も届かぬ遠くで、ぞわりと何かが蠢いていた。
◇
「――ルス」
まどろむ意識の中で、声が聞こえた。
小さな、鈴の音が鳴るような声だ。
ここ数カ月ですっかり慣れ親しんだその声はクルスの心を落ち着かせる。
「――おきて、クルス」
声に応じておぼろげに目を開ければ、すぐ目の前にシオンの顔があった。
大喰らいとの戦闘で消耗したことで、ここ暫くは現界していなかったために随分と久しぶりに見た気がする。
クルス、と妖精はもう一度透き通るような声をかけた。
静かな光を湛える碧眼には僅かに困ったような雰囲気がある。
少し髪が伸びたかと、クルスは未だはっきりとしない頭で思考した。
寝惚けることなど学園に入ってからはとんとなかったために少し新鮮な気持ちもする。
「――カイたち、いない」
しかし、次に発せられた言葉にクルスは跳ね起きた。
腹の上に乗っていたシオンが転げ落ちて若干恨めしそうな顔で見上げているが、それどころではない。
慌てて周囲を見回せば、シオンの言った通り、この場には二人以外には誰もいない。
更に――
「ここは、どこだ?」
周囲はいつの間にか深い霧の漂う鬱蒼とした森に覆われていた。
「――状況を整理しよう」
自身を落ち着かせる為、クルスは昨晩の記憶を思い起こす。
野営は見晴らしのいい草原で行った。
周囲の探索は念入りに行ったし、交代で寝ずの番もたてていた。
深夜遅くにカイと交代した所まではクルスの記憶に残っている。
その後、床に就いて、次に目が覚めた時は森の中だった。
「カイたちが連れ去られた? いや、連れ去られたのは俺たちか?」
肉体の実感はある。精神世界ということはない。
靴裏を確認すれば覚えのない土くれも付着している。移動したのは確かだろう。
現状わかることはひとつ。自分達が分断されたということだけだ。
「しかし、多少分断されたとしても、カイ達ならすぐ合流できそうなものだが……」
「――霧のせい」
クルスの呟きにシオンが答える。
妖精の微かに輝く碧眼は宙空に漂う霧を見据えている。
騎士もまた眼に魔力を集中させて霧を検分する。
(微かな酩酊感。術式ではないが微かに魔力を感じる。連れ込まれたか?)
「シオン、気配探知はできるか?」
「――むずかしい。遠くにはとどかない」
「霧に籠る魔力のせいか」
ならば、ひとまず周囲の状況を把握すべきだろうと考え、クルスは比較的拓けた道を選んで歩き出そうとした。
その時、がさりと背後の草むらから音が聞こえた。
クルスは反射的に振り返って盾を構え、併せて体内から霧を追い出すように魔力を発し、戦意を高める。
草むらを乱雑に踏みしめる音は少しずつ近づいている。
霧の奥を見通さんとクルスが目を細めた、次の瞬間、音の主が飛び出した。
◇
「どう、ソフィア?」
日中にも関わらず薄暗い森の中、イリスは蒼い輝きを纏うソフィアに問いかけた。
少女は魔力を解放して周囲に感応力の糸を飛ばし探知網を拡げているのだが――。
「駄目です、届く範囲にはいません」
暫くして、魔力の放出を停止したソフィアが力なくかぶりを振った。
森中に漂う霧のせいで魔力探知も遠くまでは届かないのだ。
(風声も届かない、か)
イリスの持つ加護『森の番人』も十全な効果を発揮しない。
おそらくは周囲に漂う霧が場の属性を上書きしているのだ。
加えて、無作為に生える木々と霧に方向感覚は乱され、注意して進まなければまっすぐ歩くことすら困難だった。
朝、先に目が覚めたのはイリスだった。
気付かぬうちに周囲が森になっていた事には驚いたものの、幸い、すぐ近くで寝こけているソフィアを発見することができたため、二人は合流することができた。
「気配探知もダメ、魔力探知もダメとなると地道に行くしかないわねー」
「そのようですね」
これまでに木の上から周囲を見渡してみたり、雷撃魔法を落として周囲の反応を窺ったりと思いつく限りのことはしたが、どれも成果は上がらなかった。
肩を竦めるイリスの隣でソフィアが大きく息を吐く。
類稀な感応力のために周囲の魔力の影響を受けやすいソフィアにとって、この森中に漂う霧の魔力は「いやな感じ」のするものであった。
そのため、息をするたびに僅かずつ精神力が削れていくが、かといって森中で一定の濃さを保つ霧を払うことは不可能に近い。
「とにかく、何か二人の手掛かりでもあればいいんだけど」
「――――」
「どうしたの、ソフィア?」
「イリス、みてください」
周囲を見渡してイリスに対して、ソフィアが地上に露出した木の根を指さす。
いくつものアーチを描いてうねる根の形状は周囲の薄暗さと相まって非常に不気味だ。
しかし、ソフィアが気付いたのはそこではない。
(植生が浅い。それに根も一部が腐ってるわね)
森の薄暗さも手伝って気付かなかったが、それは違和感を覚えさせる光景だ。
陽光を遮る木々はイリスの身長の倍以上ある。その巨体を支えるには根もまた相応に太く、深いものになるのが常道であろう。
だが、イリスは気付いた。ある種の植物はその例外に当たるのだ。
「もしかして、コレ“自走樹”なの?」
「やはりイリスもそう思いますか?」
「他に心当たりがないもの。やられたわね」
イリスは思わず顔を顰めた。
自走樹というのは主に大陸南部でみかける樹木の一種だ。
その名の通り、自走樹は樹木でありながら自ら移動する。
根の成長の早い自走樹は一定の方向に向けて根を伸ばし、その分だけ後ろにあたる根を腐らせることで僅かずつ幹を移動させるのだ。
実の所、イリスやソフィアでも樹木の気配を捉えるのは困難だ。
植物の気配は動物ほど強くない。それを捉えられるほどに感知の精度を上げると、あっという間に精神が摩耗してしまう。
風が吹いただけで起きる冒険者がいないように、いつもはある程度の濃さのある気配だけを捉えるようにしているのだ。
「地面ごと運ばれたのかしら。それに気付けないほど深く眠ってた覚えはないんだけど……この霧のせいか。迂闊だったわ」
「人か魔物だろうと、対象を定めて警戒していましたからね」
「うん。……いや、待って」
考察を重ねたイリスはそこで違和感に気付いた。
自分の知る自走樹は不思議な性質こそ持つものの、あくまで普通の範疇に入る植物だ。
たしかに、赤国の西部に広がる“大砂漠”ではオアシスで野営していた冒険者が自走樹の根に運ばれてしまうということがある。
高い生命力と保水性を持つ自走樹は砂漠地帯ではその周辺にオアシスを形成するため、自走樹の特性を知らない冒険者がそうと知らず天然の罠にかかるのだ。
「けど、自走樹って一日に動くのはほんの数歩分の筈よね。この森のは明らかに動くのが早すぎる。寝る前に確認した限り、周囲に森なんてなかったもの」
「それに、この霧の説明もつきません。自走樹には魔力の籠った霧を発する機能はありません」
ソフィアが眉根を寄せて困ったように告げる。
悪影響こそあるものの霧自体に悪意は感じられない。あるいは、悪意の源がソフィアの感知範囲外にいるのか、だ。
そうして、気付かぬうちに感覚を欺瞞され、分断されてしまったのだ。
「有り得ない早さで動く自走樹に、探知を妨害する霧。……狙われた?」
「いえ、ここに来るまでにわたしたちに向けた悪意は感じられませんでした。それに、この規模の自走樹を揃えるにはかなりの時間が必要です。罠であるなら、数か月以上前から張られていたのでしょう」
「となると、無差別的に襲いかかるようにしたのかしらね」
この時期に辺境に冒険者が派遣されること自体は毎年恒例のものだ。
とすれば、そこに罠を張ること自体は可能だろう。
「まあ、ひとまずはカイとクルスを探さなきゃね」
「はい。この霧、カイはご無事でしょうか」
ソフィアやイリスにとっては方向感覚が狂う程度の霧でも、魔法全般に抵抗力のないカイには強力に作用するだろう。
下手をすれば命に関わる。ひどく心配だった。
その時、背後の草むらから、がさりと草擦れの音がした。
音は一度してからは急速に離れていっている。
思わず、二人は顔を見合わせた。
「罠かしら?」
「悪い感じはしませんでした。この霧の中ではどこまで信頼できるかわかりませんが」
「闇雲に進むよりはマシね」
頷き合った二人は即座に追跡を開始した。
◇
「ッ!!」
草むらから音がしたと同時に飛び出してきた影はそのまま一直線にクルスの間合いに入り込んだ。
反射的にクルスが突き出した盾に片腕を引っ掛けながらも、残る片手に持つ一刀を振り抜く――直前、切っ先がクルスの喉もとでぴたりと止まった。
「――――」
かき乱された大気の震えが収まるのを待って、クルスは緊張を解すように大きく息を吐いた。
「……脅かすな、カイ」
飛び出してきたのはカイだったのだ。
「カイ?」
その段に至ってクルスは異和感に気付いた。
見れば、カイは微かに息が荒く、全身から玉のような汗が流れている。
よくよく考えてみれば、森の中であろうとカイが足音を立てるなど常ならば有り得ないことだ。歩の一つ一つが侍にとっては鍛錬なのだ。
異和感に従ってクルスが近づけば、何故かカイは目を閉じていた。
眼帯が透けている訳もなし、問うまでもなく前は見えていないだろう。
「……この気配はクルスか」
「カイ、どうした? 何故目を閉じている?」
クルスの問いには答えず、カイはただ騎士から僅かにずれた方向に顔を向けた。
「すまない。そちらの声は聞こえていない。状況を説明する」
「……なに?」
「現在、視覚と聴覚は正常に機能していない。嗅覚もあやしい。かろうじて触覚は判別可能だ」
「なんだと!? ……まさか」
驚くクルスは同時に原因に思い当たった。
周囲に漂うこの霧――のような不自然な白い気体の所為だ。
霧に含まれる希薄な毒性が抵抗力のないカイに“直撃”し、五感を狂わせたのだ。
「しかし、それなら、どうやってここまで来たのだ?」
「どうやって、と訊くだろうから答えておくが、肌に当たる風の流れと足裏の感触に任せてきた」
「……」
何も見えず、何も聞こえない中でそれでもカイはここまで来たというのだ。
驚くべき精神力と身体運用であろう。
(……治療は難しいか)
クルスはいくつかの治癒術式が使えるが、霧という元凶を排除しない限り意味をなさない。治した端から霧に犯されるからだ。
その事実を知ってか知らずか、手を伸ばしたシオンが励ますようにぺたぺたとカイの頬に触れる。その柔らかな感触に気付いてカイも視線を下げる。
侍は微かに口角を歪ませ、過たず妖精の頭を軽く撫でた。
「このままでも付いて行くことはできる。すまないが、先行してくれ」
「了解した。……こんな形でお前の前を歩く日が来るとはな。約束には数えないぞ」
「何か言ったか? そんな気配がするが」
何でもないと伝えるようにカイの肩を叩き、クルスは先を歩きだした。
息を吸うたびに脳内に微かに不快な感じが走る。
霧に触れることで消耗するのか、シオンも光の粒になってクルスの裡に戻った。
それでも、妖精憑きであるクルスであるからこの程度で済んでいるのだ。抵抗力のないカイにしてみればひと吸いごとに毒薬を嗅がされているようなものだろう。
(しかし、状況が読めないな)
カイが通りやすいように剣先で木枝を払いつつ、クルスは心中で呟く。
これが攻撃であるならまだ対処が出来るが、明確な敵意は感じられない。
まるで、其処にいたから取り込んだだけ。そのような感じがするのだ。
それでも、この期に及んでこれが自然的に発生したものとは思えない。
速やかにソフィア、イリスと合流しなければならないが、この霧の中では二人もこちらの位置を把握するには時間がかかるだろう。
(せめて、おおまかな方向さえ分かれば方針も立つのだが)
(――クルス、なにかいる)
(敵か?)
脳内に届いたシオンの声にクルスは剣を抜く。
見れば、木々の向こうに人影らしきものが見える。
薄暗くて顔は判別できないが、纏っているのは平服で村人か何かのように見える。
「そこにいる者、聞こえるか? こちらは――」
クルスが声をかけるのと前後して、その背後からカイが飛び出した。
侍は体の左右を木にかすらせながらも一直線に人影の元に走り、疾走の勢いのままに腰から抜き放った一刀で相手の首を刎ねた。
「カイ!?」
「魔物だ、クルス」
残心をとるカイが端的に告げる。
近付いてみれば、カイが斬り捨てたのは平服を着せた人型の木だった。暫くして残骸が四散し、襤褸の服と魔力結晶だけが残る。
案山子のようにもみえたそれは森の中で人や木のフリをして近づいた者を襲う魔物だ。
位階こそ低いものの、森の中では接近に気付くのが難しいために命を奪われる冒険者も多い。状況によって危険度の跳ね上がる魔物の代表例だ。
「擬態樹“ウッドスケア”か」
「感触からして木属の魔物だった」
「……よくわかるものだな」
目と耳が使えない中で、侍が信じるのは己の直感だ。
何も見えず、何も聞こえない闇の中で研ぎ澄まされたその感覚だけが魔物を感知した。
カイにとって擬態するだけの木偶は悪意のない霧と森よりも遥かに与しやすい相手であったのだろう。
「……先にこいつ等で出て来ていれば、不覚をとることもなかった」
昨夜、夜番をしていたのはカイだ。そして、真っ先に霧の影響を受けたのもカイだった。
目と耳を潰され、気付けば仲間とはぐれていた。
自然を利用した罠などいくらでもあるというのに、その発想に思い至らなかった自分に怒りすら湧いてくる。
「……先を急ごう」
再度肩を叩いて出発を伝えると、クルスは森の奥へと歩を進めた。
惑わしの霧は徐々にその濃さを増していっていた。




