25話:杖と夕焼け
ルベリア学園の敷地内には各国の首都に匹敵する規模の施設が揃っている。
中でも武器防具の開発に関しては学生からの要望が直接反映され、量産を考慮しない一品物を作る為に高品質を誇っている。
同時に、その質に負けぬ為に学園内商業区では大陸や海の向こうの東方から名品、珍品を集めて来て対抗する良循環が発生している。
商人がそこまでするのは、学生が鴨、もとい金払いの良い商売相手だからだ。学生は国軍に匹敵する実力の高さを活かし依頼をこなし、瞬間的に大金を得て、消費する。その本質は冒険者と同じ刹那的で金使いは荒い。
しかし、学内の寮に住む学生が金を消費できる場は基本、商業区に限られる。必然、彼らが稼いだ金の多くは商業区に落とされることになる。
金がある以上、品が良ければ学生は買う。装備の良さは生存に直結するからだ。
そうして、厳しい競争を経て、学園の商業区は各国の首都に匹敵する品揃えを具えることとなった。今では主要な交易地点として商人ギルドも拠点を置いているほどだ。
「カイ、次はあちらに行きましょう!!」
「ああ」
いつもとは逆に、ソフィアは賑やかな商業区の中央通りをカイの手を引いて先々へと向かって行く。
足取りは軽く、肩の力を抜いた自然体の笑みは常よりも輝いて見える。
出会ってまだ一年も経っていないが、かつてここまで楽しげな少女の様子を見たことがあっただろうか。カイには覚えがなかった。
あるいは、この明るい姿こそ少女本来の気質なのかもしれない。
そして、妖精に並ぶといわれる美しさのソフィアが、ギルド外では滅多に見せない、見せられなかった笑顔を満開にしている光景に、道行く人が足を止め、振り返って視線を投げかけている。
驚き、羨望、嫉妬、恋慕。向けられる感情は様々だ。かつてのソフィアなら卒倒していただろうが、まったく気にすることなく足を進ませている。読心の制御は成功したのだ。
今ではむしろ、カイの方が向けられる視線の多さに戸惑うほどだ。とはいえ、流されているばかりでは目的が果たせない。
「ソフィア、はしゃぐのもいいが、まずは杖を探すぞ」
「あ、すみません」
はたと気付き、恥ずかしげに俯く少女の頭を軽く小突きつつ、二人はウィザードの道具屋を目指して歩きだした。
◇
学園は講義選択の自由度が高いため、商業区ではほぼ全ての時間帯で学生がたむろしている。そんな彼らに合わせて多くの商店が朝早くから、夜は術式ランプの許す限り店を開けている。
しかし、ウィザード自体が希少なクラスの為、その専門店の数は多くなく、二人の店探しは難航していた。
常の買い物を主にイリスがしているので二人は店探しの経験がないため、結局、ソフィアの感応力頼りに掘り出し物を探していくことになった。
カイとしては申し訳ない限りだが、ソフィアがこれ以上ない笑顔であちこちの店先を覗いているのを見ると、何も言えなかった。
「あの店がいい気がします」
表通りの店を一通り巡り、これというのが見つからず困っていた時、突然、ソフィアが露店のひとつを指さした。
その店は一本路地に入った薄暗い場所にあった。しかも、分厚い布のテントで四方が覆われており、一見して商店には見えない。
だが、ソフィアはまるで勝手を知っているかのように躊躇なく中に入った。
「おや、こんな店に何か用かい、嬢ちゃん?」
天幕を抜けた内で、中に居た店主と思しき老人が意外そうな声をあげる。
外観からして店を開けている風に見えないという自覚はあるのだろう。
白髪に巻いたターバンの下から、こちらを見定めるような視線が投げかけられる。
「この子に合う杖を探しているのだが、みてもいいか?」
「ああ、構わんよ。意図してウチの店を探し当てたなら、嬢ちゃんにはその資格がある」
「そうか。かたじけない」
早速集中しているソフィアに代わり、カイは店主に断りを入れた。
テントの中、所狭しと並べられているのは、くすんだ宝石付きの指輪、何かの腕の骨、捻じ曲がった枝木等々、一見して統一感のない品だ。
ウィザードが個人の資質に依拠するクラスの為か、素材との相性も人それぞれ異なる。
加えて、杖は魔法を強化する媒介であるが故に強度や使い勝手以上に魔力との親和性が求められる。
そして、高い親和性を示すのは主に古木や宝石のような長い年月を経たものであるので、魔法用の装備を売る場はさながら骨董品屋の様相を呈する。
この薄暗い店も例外ではない。というより、骨董品屋その物にしか見えない。
カイの感性では転がっている品々にどれほどの価値があるか見当もつかない。
「どうだ、ソフィア?」
一方、雑然とした品々に埋もれかけながら、ソフィアはその蒼眼を魔力で輝かせながら確実に品定めしている。
そして、見るよりも、触れるよりも、尚鋭い意識の糸によってそれを引き当てた。
少女が店に入ってから初めて手に取ったのは埃被った古い枝だった。
削ってもいないのにほぼ真っ直ぐに伸びている以外は普通の古木にしか見えないが、ソフィアの目には内部に膨大な魔力を受け入れる容量が――つまり、それほどの魂の大きさが――視えていた。
「この枝は、なんですか?」
「そいつはかの緑国聖地の神樹の枝らしいんだが、何分、証明しようがなくてな。もし本当だったらと思うと、畏れ多くて術式の刻印もできなくてね」
店主の物言いに、ソフィアは肯定するように頷いた。
実際に神樹を見たときにその魔力の形質を覚えていたのだ。間違えることはない。
「本物か?」
「そのようです」
「……ありえん話ではない、か」
カイの目には百年以上前の古木であることしかわからない。
心中で、数ヶ月前に訪れた、あの天を衝くような大樹の姿を思い浮かべる。
戦乱期には緑国も他国に首都まで攻め込まれたこともあった。神樹にも多少の被害が出ただろう。枝の一本くらい流出していてもおかしくはない。
「もしや嬢ちゃん、戦略級契約者かい?」
「……はい」
何かを思案するようにソフィアを見ていた店主がおもむろに尋ねた問いに、ソフィアは静かに頷いた。今は私服の為、それを示す刻印はない。
「そいつを神樹の枝だって鑑定したのも戦略級契約者だったよ。尤も、そいつは必要ないからって買わなかったけれど。……嬢ちゃんらにはウチらとは違う世界がみえているんだろうな」
「いいえ、そんなに違いはないです。少しだけ多くのモノがみえるだけ、ですよ」
「うむ、そうかい。なら、そういうことにしとこう」
あるいは、店主もかつてはウィザードだったのかもしれない。ソフィアの隣で黙って聞いていたカイはそう感じた。
心眼を開くまでもなく、店主からは微かに戦場のにおいが感じられるのだ。
「それで、刻印する鍛冶士にツテはあるかい? ないなら紹介するが」
「このままでだいじょうぶです」
「……刻印術式を入れなきゃ、どれだけモノが良くても、精々が詠唱補助になるだけじゃないか。術式強化は必要ないのかい? 苦手な魔法を記憶させておくことだってできるだろう?」
「特に苦手な魔法はないので、杖に記憶させる必要はありません。あと、強化刻印はわたしの出力に耐えられないんです」
どれほど精緻な刻印術式であろうと物体に刻まれた術式では、より元素の世界に近い位階にいるソフィアの莫大な出力には耐えられない。
家具程度ならソフィアの側で加減も効くが、戦闘中に出力を加減する余裕はない。だからこそ、物自体が高い聖性を持つものを探していたのだ。
その点、この枝はそれ自体が霊験あらたかな一品だ。集中の助けにもなるし、詠唱の負担も大きく減る。
これ以上のものを探すのは難しいだろうと、予感も結論付けていた。
「そういうものかい。商売人としちゃ、もったいない気もするけどね。値段は他の人が買うとも思えんから銀貨10枚で構わんよ」
「ソフィアの目利きは信用できる。本物なら金貨50枚はつくぞ?」
暗にその程度は出すと告げても、店主の態度は変わらない。
「物の価値ってのは人が決めるんだよ。神様が決める訳じゃない」
「……そうか」
片目を瞑って告げる店主にカイは懐から取りだした銀貨を払った。
受け取る店主の手には剣ダコならぬ杖ダコが見て取れた。何十年と杖を握ってきたのだろう。あるいは、この古木の価値にも気付いていたかもしれない。
しかし、カイがそれを尋ねることはなかった。無粋な問いは相手の気遣いを無駄にするだけだ。
「ああ、その“杖”の名前はどうするんだい?」
「……“ヴェール・ブランシェ”にします。ふるい言葉で“緑の枝”といいます」
杖の表面に堆積した埃を払ったソフィアがその名を舌に乗せる。
ヴェール・ブランシェは古木だが、どこか瑞々しさを感じる。内部の魔力によってまだ“生きている”状態にあるのだろう。緑の枝という名もあながち間違いではない。
「ふむ、嬢ちゃんが気に入ったならそれでいいんじゃないか」
「店主殿、良い買い物だった。礼を言う」
「まいど。これからもどうぞご贔屓に」
そうして、にこりともしない不思議な店主に見送られ、二人は路地裏の店を後にした。
「カイ、あの、お金……」
店を出て暫くして、はたとソフィアが気付いた。
あまりに自然にカイが代金を支払っていて忘れていたが、杖は自分の装備なのだ。
「気にするな。家族の不始末だからな」
「むぅ……」
それはそれで面白くないソフィアが少し拗ねる。
カイの声音には微かにソーニャに対する暖かみが感じられた。心を読まなくても、その位は察せられる。
一方、対応を決めかね、少女の珍しい様子を眺めていたカイは、暫くしてようやく解決案に思い至った。
「折角のハレの日だ。贈り物のひとつくらい贈らせてくれ」
「あ……ありがとうございます。その……」
「気にするな。今日くらいは好きに振舞うといい」
「……はい」
自分の子供じみた態度を省みて恥ずかしさを感じつつも、ソフィアの心中は喜びに溢れていた。
心が読めなくても、気持ちが伝わってきた。
だからこそ、伝えたかった。
言葉ではもどかしい。それでも、伝えたいと思った。
「大事に、します」
少女の万感の想いを込めた一言に、男は小さく笑みを返した。
◇
その後、何をするでもなく、二人は商業区を巡っていた。
気付けば、太陽は南中をやや過ぎた頃、昼食時だ。
通りに立ち並ぶ屋台からも肉の脂の弾ける音や、菓子の甘いにおいが漂って来ている。
「そろそろお昼ごはんにしませんか?」
「任せる」
簡潔すぎる男の返事に苦笑しつつ、ソフィアは並ぶ屋台からクレープ屋を選択した。
前にメリルからオススメだと聞いていたのを覚えていたのだ。
「カイは何にしますか?」
「……どれがどのような味か、わからない」
「では、クリームにしましょう。わたしはラズベリーにします」
返答を予期していたソフィアが、戸惑うことなく注文する。
そんな少女の様子にカイが微かに目を細めた。
一時的とはいえ読心を封じれば、ソフィアは心細くなるのではないかと思っていた。本人にもその危惧はあった。
だが、そうはならなかった。カイが想像するよりソフィアはずっと強かった。
出来たてのクレープを受け取った後、二人は座って食べられる場所を探して、闘技場に辿り着いた。
大会や大規模な式典にも使われる其処には観客席も設置されている。
「どうぞ」
「ああ」
隣り合って座った二人は同時にそれぞれのクレープに齧り付いた。
「……ふむ」
カイは小さく唸った。
まだ仄かに温かい生地の中には口当たりのいいクリームと共に様々な果物が入っていて、一口ごとに味が変わる。
材料や製法にも目新しさはない。しかし、甘さを控えたクリームが逆に果物由来の甘さを引き立てることで単純ながら彩り溢れる味わいを作りだしている。
日頃、イリスの食事に慣れているカイでも素直にうまいと思える味だった。
「カイ、こちらも一口いかがですか?」
「あ、ああ」
言葉と共に差し出されたソフィアのクレープは、クリームと共にラズベリー味のソースがかかったものだ。
甘みと酸味が絶妙に調和したラズベリーソースは、クレープ自体の味にさらなる深みを与え、嚥下するごとに胃が刺激され、次の一口を催促しているかのようだ。
「どうですか?」
「うまい」
「わたしもそう思います。ヤミツキになる子の気持ちが理解できた気がします」
そうして、二人はあっという間に食べ終わってしまった。
ソフィアが空になった手元を若干寂しそうに見ている。
と、その時、辺りにドン、と腹の底に響くような轟音が響き渡った。
「ッ!!」
轟音が聞こえると同時、カイが柄に手をかけつつソフィアを庇える位置に立つ。
「カイ、だいじょうぶですよ」
「……そのようだな」
だが、危険はないと頭ではわかっていても反射的に動くよう条件付けされているカイの体はすぐには戦闘態勢が解けない。カイ本人の意識とは関係ない自動的な反応だ。
困ったように溜息をつくカイの後ろで、ソフィアが闘技場の中央を指さした。
細い指が示す先、すり鉢状の舞台で数人の学生が集まって何やら実験をおこなっている。先程の轟音は彼らが発信源のようだ。
強固な障壁を具え、突発的な事故に対処しやすいこの場所は時に武器の試用や危険物の実験に使用される。
今回もその一環だろう。白衣を着た何人かの学生が長大な筒に何かの粉末や拳大の球を詰め込んだりしている。
見ただけでは、カイ達には何をしているのか分からなかった。
「あれは古代技術でしょうか?」
「――おや、よく知っているね。彼らは先史時代の技術の発掘を生業にしている研究ギルドなんだ」
「……教官?」
図書館で関連文献を見たことのあるソフィアの推測に返答したのは、知識収集用ゴーレムであり、教官でもあるチャーリーだった。
いつからいたのか、二人から少し離れた位置に座って学生たちの実験を眺めている。
今日は講義もないのか、チャーリーは外部装備のない素体に平服を被せた状態だ。二メートルほどの素体はゴーレムにしては小柄で、金属質の頭部さえ隠せば大柄なヒトで通すことが出来る程だ。
「やあ、今日はいい天気だね」
「そうですね。絶好のデート日和です」
「おや? これは邪魔しちゃったね。お詫びに疑問に答えるくらいはしようか」
「いいでしょうか、カイ?」
「ソフィアの好きにするといい」
「ありがとうございます。では、お願いします、教官」
了解、と応える間に、チャーリーは自身の膨大な記憶野から必要な情報を引き出す。
「君たちは古代種という存在をみたことあるかな? 見た目は人間と同じで、心臓とは別に額に青い魔力結晶があるのが特徴なんだけど」
「知識としては知っています」
「……」
頷くソフィアと対照的にむっつりと沈黙するカイ。
他のゴーレムと違い“心”を持つチャーリーは、その沈黙の意味を正確に理解した。
「肯定と受け取るよ、カイ・イズルハ君。しかし、まだ生存している個体が……そうか、『十二使徒』!! 誰がその名称を出したのかと思えば、創設者が古代種なら当然知って――」
「きょ、教官?」
突然ブツブツと呟き始めたゴーレムにソフィアが動揺する。
いつもと違い相手の心が伝わってこないので、突飛な行動に対する心構えがないのだ。
「おっと、すまない。ボクはどうも考え込む悪癖があってね。話を戻すと、古代種というのはその名の通り君たちの前の種族なんだ」
「種族、ですか? 世代ではなくて?」
「うん。構造的には類似しているけど、エルフ以上の、それこそ数千年単位の不老長寿だよ、彼らは。それに能力も違う。生まれついての強者、精霊級だ」
「それは……」
魔物と同じではないか、とは少女は言えなかった。
人間に似た、しかし、表情が動くことのないゴーレムからはその内面は読み取れない。
「うん。ボク達のように神との契約による外付けではなく、彼らは自己の内側に拡張性を持つ。魔物のそれとは一線を画す出力のサードアイはその一例だ。当然、技術体系も随分と違う」
「ふむ……」
思い返してみれば、カイの知る古代種、使徒の第一位は流す血の色まで違った。異なる種だと言われて納得する部分の方が大きい。
「下で試しているのはそのひとつだね。他に例を挙げると、君たちが『秘匿技術』と呼んでいる技能は元は古代種が使っていたものや彼らに対抗すために創られたものだね」
「何故、古代種はヒトに取って代わられた?」
蟻が獅子に勝てないように、生得的な力の差というのは大きい。それが英霊に伍する精霊級だとすれば、十人もいれば国ひとつを灰燼に帰すことも可能だ。
だが、現在、古代種は数えるほどしか残っていない。種としての体裁を保っているとは言い難いだろう。
実力を考えれば、古代種はかつてのように、今も大陸の支配者であってもおかしくはないのだ。
「彼らは、どこまでいっても個でしかなかったからだ」
まるで見てきたように――稼働年数からして、本当に見てきたのかもしれないが――チャーリーははっきりと答えた。
「個々が強すぎたせいで種としての団結力に欠けた。最後の最後まで彼らはひとつになることはなかった。だから、負けた」
「負けた? 何に、ですか?」
「――神に、さ」
その端的な一言はしかし、不思議なほどに重さを感じさせる言葉だった。
「……教官は何故ここに?」
「懐かしい気配を感じたから。ボクでも再現できない創造主の技術、彼らなら再生できるかもしれない」
それは一人、時の果てに取り残された、創造主に置いて行かれた寂しさだろうか。
「下の彼らは秋辺りに、赤国の大砂漠に調査に行く。ヴァネッサさんが旅の途中で見つけた遺跡だとか。よかったら依頼を受けてあげて欲しい」
「……リーダー次第だ」
「なら、依頼が出た時に改めて交渉するとしよう」
一転して明るい声音と共に微かな駆動音を発して、チャーリーは立ち上がった。
「さて、そろそろボクは退散するよ。デートの邪魔して悪かったね」
片手をあげて去る姿はどこか人間臭い。マスターの癖だったのだと、ソフィアは前に聞いたことがあった。
ソフィアは腰を折って一礼を返した。それが憧憬と模倣の産物であっても、本人にとっては真実である筈だからだ。
「興味深いお話でした」
「ああ。……俺達も行くか」
「はい」
去っていくチャーリーの背を見送って、二人は闘技場を後にした。
◇
「あら、デートなんて珍しいわね、斬首の。明日は雨ね」
商業区に戻ってきた二人は酒を買いに来ていたライカに会った。
しかし、三ダースほどの酒瓶を満載した籠を片手で持ち上げている姿は明らかに浮いている。
向こうから声をかけられなければ、他人の振りをしていた所だ。
「今日はよく人に会う日だな」
「いつもはあなたが人のいる所にでてこないだけでしょう」
「……」
図星をつかれて黙るカイの代わりに、ソフィアがぺこりと頭を下げた。
「お久しぶりです、ライカ教官」
「久しぶり。講義が合わないからあんまり見ないけど、元気そうね」
「はい。教官もお元気そうで。それで、あの、それは?」
何が、とは言わずとも伝わっただろう。ああ、とライカが声をあげた。
「贔屓の店に良いお酒が入ったから思わず奮発しちゃったの」
「重くないのですか?」
段々に積まれた酒瓶の総重量は、おそらくライカ自身の体重を超えている。常人ならば片手で支えることはおろか、持ち上げることすら難しいだろう。
「ちょっと嵩張るけど、このくらいは鍛錬の内よ。
いるなら、一本くらいはあげるわよ?」
「いや、遠慮しておく」
「わたしもお酒はちょっと……」
下戸のカイは勿論、下手に酔って魔力を暴走させたら大惨事になるソフィアも嗜む程度にしか酒は飲まない。
匂いからして酒精の強さが伝わって来る一品を渡されても処理に困るだけだ。
「イリスなら料理に使えるかもしれませんが」
「そんな勿体ない使い方は却下よ。これでも一本につき銀貨二枚はするんだから」
「そ、そうですか……」
人の趣味嗜好に口出ししても仕方ないだろうと、二人は口を噤んだ。
一人の酒豪によって三ダースの酒がどれ位で飲み干されるのか、想像に難くない。
「っと、注意事項を伝えるの忘れてたわ」
そのとき、教官の仕事を思い出したライカがピンと指を一本空に向けて伸ばした。
「生誕祭終わったら、ここも新入生の受け入れを始めるけど、あんまりいじめちゃ駄目よ。今年は特に差が激しいんだから」
「差が激しい、ですか?」
「あなた、読心……まあ、いいわ」
首を傾げるソフィアを不思議そうに見つつも、ライカは今朝がた連盟から伝わってきた情報を口にする。
「ギルド連盟に登録された冒険者の質が明らかに上がっているわ、損耗率もね。学園も同じ感じよ」
「……防衛戦争があったにしても異常だな。原因は魔物の増加か」
「たしかに、最近の討伐依頼の増加傾向はおかしいとは思いましたが……」
魔物が増えれば、それだけ戦闘の機会が増える。
戦えば戦うほど強くなるのが神との契約を受けた者の性質だ。位階が上がるのは当然の帰結ではある。
しかし、その上昇傾向があまりに急激すぎるのだ。
「ま、そういうワケだから問題起こさないでね。面倒だから」
「善処する」
「気をつけます」
ライカは、頷く二人に空いている方の手を振って帰ろうとしていたが、ふと、お節介を一つ思いつき、振り向いた。
「この時間だったら南の広場行ってみなさい。夕焼けがきれいよ」
「あ、ありがとうございます」
「ん。それじゃあね」
そうして、片頬に小さく笑みを残して女モンクは去って行った。
◇
ライカの勧めに従って二人は学園正門横に広がる広場に来ていた。
時刻は夕方。石畳が敷き詰められただけの広場に他に人影はない。
彼方を見れば、太陽がまるで燃え尽きるかのように煌々と光を放ち、地平線に沈みかけている。
「……きれい、です」
感動したように空を見上げるソフィア。風にたなびく金の髪が陽光を反射して橙色に輝いている。
そんな一枚の絵画のような光景を見ながら、カイはそっと声をかけた。
「すまない。今日一日、本来なら俺が先導すべきだったというのに」
男にとっては何もかもが初めてのことだった。
他者と店を回ることがこんなに大変で、心躍ることだとは知らなかったのだ。
「いいんですよ、カイ」
わかっている、という風に首を緩やかに振ってソフィアは言う。
「そんなあなただからこそ、わたしたちは出会えたんですから」
太陽を背にして微笑む少女は、宝物を明かすようにそっと告げた。
「……そうか」
「はい」
「……」
「……」
ふと生まれた僅かな沈黙。
その中で、少女が意を決して顔をあげた。
「カイは十二使徒に戻られるおつもりですか?」
太陽が沈み、昼から夜へと変わる黄昏の中で、少女は一歩踏み込んだ。
「いつか魔力が戻った時、あなたはその刃を神にすら届かせられるようになるかもしれない。そのとき、あなたは“何に”なるのですか?」
神にいと近き者の使徒か、忠勇なる騎士か、大陸を縦横無尽に駆ける冒険者か。
なろうと思えば、戻ろうと思えば、手が届く。それだけの力が男にはある。
「そのつもりはない」
それでも、男がそう答えるであろうことを少女は心のどこかで予期していた。
「たしかに使徒としての地位は失っていない。役目を放棄する気もない。だが……」
そっと手を差し出すカイ。
その手が少しだけ震えて見えたのは、少女の気のせいだろうか。
「俺にはお前達が必要だと感じている。それがすべてだ」
いつか全てにケリを付ける日が来る。予感はそう告げている。
だが、その時まではこうしていたい。もっと多くのことを知っていきたい。
それが男の偽らざる本音だった。
「……ごめんなさい」
「なぜ、謝る?」
「ソフィアは悪い娘です。あなたが、いなくならないと聞いて安堵しました。
あなたと離れたくないと願いました。あなたをひとりじめしたいと……」
男の手を取り、自らの胸にかき抱く少女は苦しげに懺悔する。
「ソフィア、俺は……」
「今はなにも言わないでください」
少女は珍しく男の言葉を遮り、拒絶した。
読心などしなくても、続く男の言葉は容易に想像できるからだ。
大事に想っている。共に居て欲しい。
――だが、斬れる
怒りも、憎しみも、慈悲も、愛も、すべては一刀に帰結する。
喜劇のように、悲劇のように、男の心はその一点で完結していた。
少女にとって、そんな男の在り方は誇らしく、しかし、少しだけ悲しかった。
親しい人が増える程に男の心は覚悟を試される。刃を研ぎ澄ます。
何にも囚われない男を縛る唯一絶対の法。
大切な人が道を外れた時、その身を捨てて斬り殺す。
誰をも殺す。例外はなく、必斬の意志で斬り捨てる。
その、たった一つの絶対の法が男を縛るのだ。
共にいたいと、必要だと言うのに、一体どれだけの葛藤があったのか。少女には計り知れなかった。
「カイ、わたしはあなたになら斬られてもいい」
「……」
「でも――」
続く言葉に、男はいつの間にか下げていた視線を上げた。
目に映るのは、母なる海を想起させる眩しいほどに優しい少女の笑顔。
「――でも、それは悲しすぎるから。
だから、わたしは、あなたが斬らなくてもいい人になります」
熱せられ、打ち鍛えられ、研ぎ澄まされてきた代わりに、大切な何かをすり減らしてきた男の心に、少女の言葉がそっと触れる。
「どうすればいいのか、どうなればいいのか、まだわかりません。
でも、わたしは目指します。あなたの隣にいたいから」
「――そうか。それなら、安心できる」
少女の真摯な告白に、男が不器用に笑みを返した。
それは、今はただの言葉遊びに過ぎない。何の救いにもならない。
けれども、男の心は少しだけ軽くなった。そんな気がした。




