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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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4話:初依頼・前編

 その屋敷は学園の中心にありながら異様なまでに静かだった。


 四つの塔を中心に下手な町よりも発展している学園内では日中そこかしこに学生が溢れ、どこにいても彼らの声や剣戟の音が聞こえてくる筈だ。

 だが、屋敷の中に一歩踏み出した途端に外の音は届かなくなった。

 内外を分ける結界が張ってあるからなのだろうが、屋敷内を歩くキリエ・ノーステンには術式はおろか魔力の残滓すら感知できない。背筋を走る怖気だけがその存在を確信させる。

 理解できないモノの腹の中にいるというのは想像以上の負担だ。キリエは用事をさっさと済ましてしまおうと決意し、足早に目的地へと向かう。

 そうして辿り着いた最奥の扉の前、無意識に腰に佩いた刀を確かめ、意を決してノックする。


「……キリエ・ノーステン、入ります」


 扉を開けた先は書斎になっている。

 踵の埋まる深い絨毯と一目で高級と分かる調度品が嫌味にならないよう控えめに配置され、左右を本棚で埋め尽くされながらも圧迫感を感じないよう建築段階から計算されている非常に品の良い部屋だ。

 その奥、窓を背にして安楽椅子に座っているのはこの屋敷の主だ。

 ゆったりとしたドレスと床まで垂らされた銀の長髪、胸には白薔薇を象ったブローチを嵌めている。

 齢百歳を超える純粋な人間だというのに その憂いを秘めた美貌は三十代半ばにしか見えない。


 ローザ・B・ルベリア。このルベリア学園のトップ、自分の雇い主だ。

 

「自分が呼ばれたのは何故ですか、“学長”?」


 挨拶もなくいきなり切り込む。

 目の前にいるのは学園長である前に、古今東西の魔法を極めた“聖賢の杖”と呼ばれる英霊級に至ったウィザード。

 余計な言葉は墓穴にしかならず、最大限の警戒を払うに足る相手だ。


「あの子がギルドを組んだそうね」

「……肯定です」

 

 何を考えているか推し量れない不思議な声音に首肯をもって返す。

 二人の間で話題に上る学生はいま一人しかいない。カイ・イズルハ。図らずも自分がギルド結成の助けになった相手だ。


「アルカンシェル、なんて名前だったわね。貴女からみてどうかしら?」

「自分が勧められる範囲で最善の組み合わせであったと考えます。どちらにとっても」

「たしかに……“F”の兄妹、彼らの導き手としてはこれ以上はないでしょうね。折れなければ、だけど」

「そんなヤワな鍛え方はしておりません」

 

 そこだけは自信を持って言える。

 彼らはまだ自分と比して強いとは言えないが決して弱くもない。正確に言うならば、強くなる、というのが正しいだろう。

 数々の戦場を駆けてきたキリエの確信だ。


「それなら期待させて貰おうかしら。預りものとはいえ、教皇直属の“十二使徒”。実力くらいは見せて貰わないと……それに、他の子たちも個性的ですものね。どこまで昇ってくるかしら」

「まだまだひよっこです。どうか壊されぬよう……では」


 言うべきことは言った。キリエは一礼して部屋を出て行く。


 長く生きている筈なのに、ローザは時に生き急いでいる。“焦っている”といってもいい。

 手段を選ばず各国の英雄級を引き抜いて学園を大幅に強化したこともそうだ。魔女にしか分からない何かが、徐々に迫っているのかもしれない。

 廊下を歩きつつ、キリエは件の教え子たちの顔を思い浮かべた。


(厄介な御人に目を付けられたな、アルカンシェル)



 ◇



 その頃、渦中のギルドのリーダーであるクルスは武術の塔内にある訓練空間で講義を受けていた。

 魔法で拡張された内部にいくつもの防護や障壁を張り巡らせて形成されたその空間は主として英雄級が暴れてもいいように外のアリーナとは段違いの堅牢さを持つ。

 その中で他の学生と共に総勢二十人でひとりの教官――訓練空間がここまで厳重になった原因の一人である――と実技演習を行っていた。



「――ハアッ!!」


 気合いとともに放たれた拳の一撃が鉄壁を誇るナイトの障壁をまとめて叩き割った。

 学生側は咄嗟に陣形を立て直すが、その時には楔のように奥深くまで踏み込んだ相手が片足を振り上げていた。

 次の瞬間、極大の震脚が地面を打ち抜いた。人の足裏から発したとは思えない轟音が響き、あまりの揺れにまだ倒れていなかった学生は残らずたたらを踏んだ。


 そうして、自ら生み出したその隙を逃す教官ではない。


「――力を貸しなさい、牙の聖獣」


 恐ろしく簡潔な祝詞に合わせ、引き絞る右拳の背後に巨大な四足獣の影が現れる。


 クルスは慌てて気絶している学生の前に出て物理障壁を展開した。意識のある他の学生も最低限自分の身を守る体勢は取った。

 教官はそれだけの時間は待った。


「――破拳・巨門」


 次の瞬間、巨獣の顎を憑依させた一撃が学生たちを容赦なく呑み込んだ。




「カハッ!? く、限界か……」


 空間を覆い尽くすような巨大な打撃に障壁を割られ、壁際まで吹き飛ばされながらもクルスはなんとか意識を保った。

 体内の魔力は既に空になり、全身打撲だらけで剣を支えにしていなければ立っていることすら覚束ない。

 クルスだけではない。周囲に無事に立っている学生は一人としていない。多くが膝をつき、少なくない者が気を失っている。

 久しぶりの教官対学生形式の実技演習だったが、結果は惨憺たるものだ。


「情けないな、ひよっこ共。雁首並べてもう腰が立たないのか!!」


 そんなボロボロの学生達に一喝するのは深紅の道衣に身を包んだ女傑。

 ライカ・パウウェル武術担当教官。“豪拳”の二つ名で呼ばれるモンクである。

 たった一人で学生達を一蹴したにも関わらず、残心を取るその身は息ひとつ乱していない。


「じ、実力が違い過ぎる……」

「何を言っているの? 前衛クラス二十人、囲んで叩ければ勝てない実力差じゃないわ。詰め切れなかったのは其方の怠慢よ」

「くっ……」


 たしかに、ライカと彼らは位階の面では覆せない差ではなかった。連携を取って戦えれば勝利も見えただろう。

 しかし、学生達は初っ端から突っ込んできたライカに足並みを乱され、そのまま各個撃破されてしまったのだ。敗因は連携を回復できなかった自分達のミスにある。


「畜生……」

「泣き言言いたいならせめて“心技”の撃ち合いまで持ち込んでみせなさい」

(そんな簡単な話ではないのだろうな……)


 心技とは武を極めたり、己の魂に合致する武器を得たりといったきっかけを得て目覚める固有技能である。魂の形とも言い換えられる。

 類似の技であっても必ず己に最も適した形となる為、使いこなせれば本人の全力を余すところなく使い切る強力無比な切り札となり得る。


 ライカがチャクラで体力を回復できる以上、学生側は削るだけでは勝てない。どこかで攻勢をかけなければならない。

 同様に二十人を一度に相手している以上、ライカも窮地に立たされれば、必ず心技を発動したであろう。


「そうだ。心技勝負に持ち込めていれば人数の多いこちらが有利だったのに……」

「いやいや……教官の心技って“城崩し”じゃないですか……撃たれたら、俺ら……死んじゃいますよ……」


 倒れている学生が息も絶え絶えに抗議する。

 ライカの心技は学園でも有名だ。その名の通り、一撃で以って城を割る。


「そうね。もしも発動を阻止できなかったら半分は持っていくわ」

「……」


 ただ、心技にも当然、欠点はある。

 多くの心技は使用時に強制的に文字通り全力を出し、本人の全能力を使い切ってしまう。心技の種類にも依るが、大抵は魔力あるいは気力を使い尽くす。また、使用後に能力低下を伴う場合もある。

 強力な半面、使い所が限られるのだ。

 学生達の中にも保有している者はいるが、多大な精神集中が必要だったり、魔力を全消費したりする為においそれとは使えない。


(成程、心技を当てなければ、そう思考を誘導されている時点で相手の術中だった訳か)


 クルスは先程までの戦いを思い返す。

 連携を崩された後、焦って動いた学生は機先を取られ、捌かれ、遂には極大のカウンターを食らって撃沈した。

 ただ暴力に優れるだけではない。自らの実力を効果的に運用する。英雄級たる彼女との実力の差を見せつけられた。


「でも、今年は殴り甲斐がある子が多くていいわね。腹筋の感触が好みよ。もう少し味わっておきたいわ」

「勘弁して下さい……」

 

 腹を殴られて伏していた学生の顔が青ざめる。

 軍隊出身であり若くして英雄に並ぶ実力がありながら、各国の軍や騎士団から放逐されたというのには相応の理由があるということだろう。


「まあ、それは来週に取っておきましょうか。それじゃ、座学を始めるわよ。気絶してる子は起こしてあげて」


 何事もなかったかのように講義を再開する教官を見て何人かの学生が絶句する。半年前に入学した者たちだ。学園にも慣れて、自信がついてきたので上の学年が推奨される講義に参加してみたのだろう。

 そうしてプライドを叩き折られるのは学園ではよくある光景だ。


「バ、バケモノ……」

「いい着眼点ね。覚えておきなさい。位階を上げると言うのは人間を辞めるということよ」


 英雄級がそういった文句に動じることもない。言われ慣れているからだ。

 特に気分を害した様子もなく、ライカは全員が起きたのを確認して講義を再開した。


「私達が魔物と戦えるのは神との契約で得られるクラスと加護のおかげ。勿論、一般的な職業とはまったく別物。


 ――クラスとは突き詰めれば成長性の拡大と言えるわ。


 加護を頂くことで人間は長所を伸ばし、クラスを賜ることで成長速度は格段に上がる。逆に何も得ていない者が十年修行したとしてもそれほどの成長は見込めないわ」


 学生達はその場で知識を咀嚼し、血肉にしていく。

 内容的に難しいことはない。今必要なのは瞬間的な理解力と記憶力だ。それらを磨かなければ魔物が跋扈し、常に素早い判断を求められる危険地帯から帰って来られない。


「各クラスには独自の特色があるわ。例えば、同じ前衛でも騎士とサムライは能力は正反対でしょう? はい、そこの子」


 ライカが指差した先にいた学生が慌てて立ち上がり、多少ふらつきながらもはっきりと答える。


「白神と契約するナイトは防御に、黒神と契約するサムライは攻撃に優れます!!」

「そゆこと。これは組み合わせによっては競合して問題になる所だからよく覚えておきなさい。クラスは一度契約したら変更は効かないわ。長期的な視野を持ちなさい。技能欲しさに欲張っちゃ駄目よ。だって――」


 ライカが拝むように勢いよく両手を合わせると、それに応じて宙に魔力によって文字が描かれていく。


 クラス外技能と呼ばれるものの一例だ。自己の鍛錬によって神の加護の範囲外の技能を獲得することもできるのだ。むしろそれこそが人間本来の能力、“可能性”の一端と言えるだろう。


「ある程度以上は本人の努力次第よ。それはどのクラスを得ようと変わらないわ」


 神の加護が、などと言っている側から正反対の事を言っている自覚はライカ本人にもある。無論、学生達を煙に巻いている訳ではない。

 現実を教えているのだ。あくまで加護は成長性の拡大、元からある物を伸ばすだけだ。結局、それ以上を得るには自らの努力しかない。心技とて自ら探求しなければ身に付くことはない。

 無から有を生み出すのは人間の役目。意志持つ者にしかできないことだ。


「とまあ、クラスについては以上。次は五色神の説明よ。耳ダコの子もいるだろうけど我慢しなさい」


 ライカが手を振ると、空中に魔力の光跡がいくつも走る。描かれるのはこの大陸で信仰されている神についてだ。


「五色神がいつからこのパルセルト大陸で信仰されているかは分からないわ。少なくとも二千年以上は前よ。その起こりとかについての資料も大半は戦乱で失われたわ。分かっているのはその色を受け継いだ五大国――黒国が滅んでからは四大国だけど、その王家は各神の血を継いでおり、それ故に神の色を国の名としたということ」


 ライカがもう一度手を振ると、大陸の地図が五色に色分けされる。

 西の赤、東の青、南の緑、北の黒、中央の白だ。


「まず、赤国の神ザーレスト。軍神とも呼ばれる神ね」


 大陸の西、大砂漠と峻厳な山脈を擁する産鉄の国が拡大される。

 ザーレストはファイターやア-チャー、鍛冶士が奉じる神で、破壊と創造の両面を持つ。

 また、亜人の一種であるドワーフにはその祖は赤神と同胞であったという伝承があり、彼らが鍛冶士になることが多いのもあって広く信仰されている。


「次に青国の神ディルムス。芸術と学問の神よ」


 東の幾つもの島と入り組んだ海岸を持つ国が映される。

 知識や芸術、航海や商業などを幅広く司るディルムスはアルケミスト、バード、そして商人や船乗りが奉じる神だ。

 また、ディルムスに声を与えられた存在だと言われている、体の一部に魚の形質を持つ水人(メロウ)の神でもある。


「そして白国の神イヴリス。単純な信者の数では一番多いわね」


 大陸の中央の国が映される。

 白神はナイト、クレリック、ロードが奉じる医療と慈愛の神だ。

 加護を与えることに特化していると言われる白神は名前などの概念を縁に複数人へ加護を与えたり、ロードのように加護を与える加護さえも可能とするところだ。

 また、獣人(セリアン)と呼ばれる亜人は白神の眷族を祖に持ち、その慈愛を受けて人に進化したと言う。


「あと緑国の神ネルニア。農業の神でもあるわ」


 大陸の南が映る。国土の半分が森に覆われている。そしてもう半分は畑だとも言われる農業国家だ。

 緑神はエルフの祖であり、モンク、レンジャーが奉じる樹と豊穣を司る神でもある。

 緑国は大陸の食糧庫でもあることから他の三国とは友好的、中立的だ。


「……そして、元・黒国の神ケリオス」


 最後に大陸の北が映される。

 そこは一年中曇り続ける空と、何もない荒野がひたすら続く不毛の土地。唯一生まれるのは魔物という徹底っぷり。

 ウィザードとサムライが奉じ、死と戦いを司る神が黒神ケリオスである。

 他の神を考えるとケリオスにも眷族か子孫が居る筈だが、黒国が滅んだことで王家と共に伝承は失われている。


「とまあ、これらがパルセルト大陸で主に信仰されている五色神。で、ここからが今日の本題ね」


 一度大陸全体に広がった地図が、再び暗黒地帯を拡大する。


「五柱の神の内、混じり気ない戦闘神のケリオスだけど――その加護の下にあった黒国は現在の暦になる前に滅んでいるわ。そのせいで現代まで伝わっていないことも多い。では、黒神に関する疑問点を……フォレス、答えてみて」

「ええと……分がりませんだ」


 当てられた人の良さそうな大男は決まり悪そうに頭を掻いた。

 ライカは無言で距離を詰めて指弾を叩き込んだ。


「アイタッ!?」

「復習しときなさい。みんなもいい? 黒神には二つの謎があるわ。ひとつ目はサムライに見られる身体能力への加護と、ウィザードに対する精神力への加護が両立していることよ」

「教官、それはおかしいことなんですか? 別に物理と魔法両方に優れた神だったというだけではないんですか?」


 挙げられた質問にライカは頷きを返す。


「違うと考えられているわ。なぜならこの二つの加護は一柱の神からのものでありながら“完全に分離している”の。だから、サムライに精神力への強化はないでしょう?」

「あ……そうでした」

「専門家の中には元は二柱だった神が纏められて伝わっているのではと考えている人も居るわね。でもそう考えると何故五色の神なのか矛盾が……ま、仮説は置いておくわ」


 ライカが再び手を叩くと魔力の表示が切り替わった。どうやら黒国に関する年表のようだ。


「二つ目ね。こっちは黒国が滅んだことに関するものよ。戦乱でかなりの資料がなくなったけど、各地に散逸した情報をキリエに纏めて貰ったわ」


 キリエ教官は相変わらず面倒見がいいなあ、と学生の心がひとつになった。

 逆に、こうして資料まで魔力で描写して手間を省こうとする怠け者がどうして教官を続けられるのか不思議でならない。


「それによると千二百年前、魔物の増加し始めた時期を境に黒神は急激に力を落とした。その影響からか黒国も滅び、魔物の発生地である暗黒地帯の一部となってしまったわ」


 別窓に開かれた過去の地図には、五国の中で最大の版図を誇っていた黒国が縮小していき、それと共に北の暗黒地帯から荒野が浸食していく推移が描かれている。


「けれど、その原因が何かは記録されていない。現在では五色神として束ねられたことで黒神も加護を付与できるまで回復しているけど、過去に確かに何かあったのは確か。それこそ神の地位から零落しかねない程の消耗を強いた何かが。あなた達が冒険者を続けるなら魔物を生む暗黒地帯の問題は避けては通れないわ。常に情報を収集し、最善を尽くすように」


 ライカがそこまで言い切った時、タイミング良く鐘の音が聞こえてきた。


「時間ね、今日はここまで。質問があったら各自で調べなさい」


 教官がさっさと出て行き、学生達はその後を追うように体を引きずって訓練空間から出て行く。

 その流れに加わりつつ、クルスはこれからの予定を考える。


(加護と心技。カイに訊かなければならないこともまだまだ多いな)


 まずはそれを遺恨なく聞くことのできる信頼関係を構築しなければ、と決意を新たにする。

 ギルドを結成してから既に一週間が経った。だが、思った以上に手続きに時間が取られ、四人で集まって活動ができていなかった。

 だから、これからの活動が肝要だ。

 このあと、教務課にギルドの証明書を貰い、そのままギルドとして初めての依頼に出る予定だ。

 

「何事も堅実に一歩ずつ、だ」


 湧き上がる期待を抑え、そう自分に言い聞かせるが、カイへの問いはそのうち話の流れで答えられてしまう気がするクルスだった。

 窓の外からは南中へと昇っていく太陽の光が振り注いでいる。


「……今日はイリスがカイの所へ行っているのだったな」


 塔の窓からでは闘技場のどこに仲間がいるのかは分からない。だが、きっと今も戦っている。そんな気配がした。



 ◇



「――散れ!!」


 アリーナに魔弾の嵐が吹き荒れた。

 魔力で生成された多数の矢が行く手を塞ぐように降り注ぐ。


 だが、侍はその中を真っ直ぐ、最短距離を疾走する。速度は緩まず、直撃する矢だけを正確に切り払い愚直なまでにイリスへと迫る。

 これは、ここ数日で何度も繰り返された光景だ。

 イリスは近づこうとするカイを多数の矢で阻み、カイはその包囲を突き破って近接戦に持ち込み、叩き切って撃破判定を出す。


「くっ!? このっ!!」


 不利なのはイリスだ。

 通常ならば剣兵に対して弓兵は長射程と言う非常に大きな利点を有しており、剣の届かない間合いを保つ限り負けることはない。

 が、この侍にそんな常識は通用しない。直接狙って射れば即座に切り払われ、進路を塞ごうとしても見切られ避けられてしまう。

 イリスは未だにカイに矢を直撃させた事が無かった。

 接近すればそれだけ矢を処理するまでの時間が短くなるというのに、侍の動きには一切の迷いがない。


(やっぱり読まれてるよね、これ)


 カイとの距離が中距離を割り、すぐにでも近距離になりそうな中、表情に出さずに心中で思考を重ねる。

 イリスのクラスは野伏(レンジャー)、薬学や罠回避などにも通じた生存能力の高い職だが、間接攻撃専門のアーチャーと比べればどうしても戦闘能力で劣る。

 それでも魔力で矢を生成する固有技能の魔弾生成による物量は並みのアーチャーなど歯牙にもかけない戦闘力を持っていると自負している。


 クルス相手でも足止めに徹すれば接近を許すことはない。

 ただ、この相手は今まで相手してきた学生たちとはまったくの別物だ。

 その機動力と突破力は既に歩兵と言うよりも騎兵の域だ。なるほど脅威だろう。弓兵の天敵と言っても過言ではない。


 ――しかし、真に恐ろしい所はそこではない。


 この男は恐ろしいまでに戦い慣れているのだ。

 剣林弾雨の中を駆け抜けながら汗一つかかない。此処こそが日常であるかのように小揺るぎもしない精神。そこから導かれるひとつのミスもない正確な迎撃行動。

 存在自体が戦う、あるいは“斬る”という機能に特化しているのだ。


(怖いね、まったく――)

「――けど!!」


 気合いと共にこちらからカイの間合いへと飛び込む。

 カイは驚きもせず即座に斬りかかる。

 同時に、イリスは袖に隠していた一矢を引き出す。戦闘が始まってから今の今まで魔力を溜めこんで形成した渾身の一撃。


「――貫け!!」

「ッ!!」


 矢は避けようのないほぼ零距離から最も回避の難しいカイの胴体中心部を狙い、放たれた。

 イリスはこの一撃だけは本気で殺すつもりで射った。

 侍は既に攻撃態勢に入っている。回避も切り払いも間に合わない――筈だった。


 刹那、侍の複数の動きが連続した。手首のスナップで斬りかかる途上の刀を宙に放りつつ、膝を抜いて腰を落とし、逆の手を拳に握り込む。

 不可解な動きにイリスは困惑し、ついで自らの目論見が外れたことを理解した。カイはモンクでもある。ならばこの状況で打てる手は――


 次の瞬間、気を纏い鋼に迫る硬度を得た拳が上半身の捻りで射出され、轟音を響かせて風を斬って迫る矢をかち上げるようにして弾き飛ばした。


(凌がれた。反応が速すぎる。けど――)

「その位はやると信じてたよ!!」


 その一瞬で自身の最高速を引き出してイリスはカイの背後に回り込んだ。弓を背に担ぐと同時に懐から短剣を引き抜く。刀身に神経性の毒をしみ込ませたダガーだ。僅かでも傷を与えれば五分は動けなくなる麻痺毒をもつ暗器の一種だ。

 カイはまだ拳を打ち出した姿勢のままだ。完全に死角をついたこの一撃を防ぐ手立てはない。


 イリスは踏み込みからそのまま逆手に持ったダガーを一閃し――


 瞬間、本人の意図に反して体から力が抜けた。


(……え?)


 違和感に遅れて顎に微かな痛みを知覚。

 まさか、という気持ちで視線を下げれば、カイの左手が刀の鞘をかち上げ、イリスの顎を視界外から強かに打ち据えていた。

 しまったと思った時にはもう遅く、カイが振り向く動作に合わせて落下中の刀を掴み、そのまま放たれた一閃がイリスのダガーを弾き飛ばした。

 からんと地面に転がるダガーが戦闘の決着を告げていた。



 ◇



「また負けたー!!」


 闘技場横の芝生で大の字になりながらイリスは叫んだ。

 一週間、十五戦十五敗。彼女の今まで積み上げてきた戦績とは間逆の結果だ。

 幼少の頃にソフィアに拾われてから護衛として仕込まれ、従者筆頭たる『ナハト』として貴族の兄妹の護衛を任される至った程度には彼女の実力はあるのだ。事実、ヴェルジオンの私兵の中では単独戦闘能力なら五指に入る。

 それでも目の前のサムライに勝てないのだ。位階の差を考慮しても十回に一回は勝ててもいい筈なのだ。


「奥の手のダガーまで出したのにー」

「……残念だったな」


 まるで他人事のように告げながらカイは懐から取り出した水筒に口をつける。


「むう、えい!!」


 少女は一瞬にして水筒を奪い、上を向いて盛大に飲む。零れた一筋が顎を伝って胸当てに落ちて弾けた。


「ねえ、カイは何で私が暗器使うのわかったの? 一応隠してたんだけど?」


 口元を拭いつつイリスは問うた。クルス、ソフィアにすら秘密にしている一手だ。

 出会って一週間しか経っていないこの男が知っているとは思えない。


「足捌きから近接もやれるのは自明。あとは、ここまで追い詰める能力はお前にはあるとみた」

「あ……うん」


 予想外の真っ直ぐな答えにイリスは思わずそっぽを向いて白髪を結ったリボンを弄った。何かしてもクルスやソフィアの影に隠れることが多く、面と向かって誉められることに慣れてないのだ。


「でもどうしよう? これで出せる札は全部切っちゃった」


 勝ち筋が見えないな、とイリスは心中で呟く。

 自己の研鑽やカイへの興味と同時に“もしも”の事態を想定して実力を解析し、攻略の糸口くらいは見つけておこうと思っていたのだ。


 結論は既に出た。――現状では基礎的な実力差があり過ぎる。

 差を縮めることも大事だが、正直、問題が起こらないよう信頼関係を築く方が確実だろう。


「お前達はこれからだ。差が縮まれば別のやり方も生まれてくる」

「そうだといいけどねー。あ、水ありがとう」

「ん。この後はどうすればいい? 依頼に出るのだろう?」


 受け取った水筒を懐に戻しつつカイが問う。

 互いの戦術のすり合わせの為に毎日ギルドの誰かとは会っているが、全員が一堂に集まることはなかったのだ。


「クルスはギルドの申請が受理されたから馬車借りるついでに教務課行くって。私らとは正門前の教会で合流。カイは準備できてるの?」

「問題ない」

「ふーん? ま、丁度良くオーク退治の依頼があったからね。ギルドの慣らしにはいいんじゃない?」

「そうだな」


 横になったままのイリスの隣にカイも腰を下ろす。

 その横顔をイリスはじっと見つめる。


「ん、何だ?」

「不安になったりしないの? オーク程度ならともかく、防衛戦争は魔法使う敵もいるかもしれないでしょ?」

「そんなことを気にするなら冒険者の看板などとうに下ろしている。……それに戦いが怖くなかったことなど無い」

「……ふーん?」


 意外だった。ここまで完成したサムライから戦いが怖いなどと聞くとは思わなかった。

 だが、おそらく自分の想像する恐怖と、この男の感じる恐怖は別なのだろうとイリスは漠然と感じた。世の中には己の死よりも恐ろしいことがあることを少女はまだ実感していない。


「……それで?」


 滔々と思考を巡らしているとカイが脈絡なく問いかけてきた。


「あれ、私何か言ってた?」

「いいや。だが、話があるのだろう? そういう顔をしている」


 イリスの顔から笑みが消えた。こういう所はソフィアと一緒だねと小声でぼやく。


「敵わないなぁ。うん……私がクルスとソフィアの護衛って話はしたよね?」

「……俺の経歴が分からないのが不安か? 身分の保証は学長に依頼したが」

「ん、学園じゃなくて学長本人なんだ?」


 学園に入る際に市井の者でギルドなどに属していない場合は学園自体や研究機関、あるいは貴族や信用ある商家などに金銭を預けて身分を保証してもらうのが常だ。

 クルス達はカイが貴族の出ではないと言っていたので、てっきり普通に学園か商人に保証してもらっていると思ったのだ。


「白国の……近衛騎士団等に在籍していた時の伝手だ」


 白国は軍を持たないが、教皇および各貴族が私兵として騎士団を持ち、戦時はそれらを合併して戦力とする。近衛騎士団と言った場合は通常、教皇麾下、白国最大の騎士団を指す。


(学長って二等級家の大貴族サマよね。騎士団ではけっこう上の方だったのかな?)


 従者は心中での予想から訊き出すべき情報を選択する。


「へー、元騎士団なんだ。所属は?」

「直属」

「………教皇直属? ホントに?」

「ああ。騎士位は既に剥奪されているが」

「……ま、一応あの兄妹の実家に報告しないといけないから、機会見つけて照会はするね」

「構わん。それだけか?」

「うーん。もう一つあるんだけど答えて貰えるか微妙なんだよね」


 カイは無言で先を促した。そう前置きするということは既にイリスの中で訊くことは確定しているのだから。


「んじゃ訊くけど……カイは何で冒険者を続けてるの?」


 イリスの表情は戦闘中もかくやという真剣な表情だ。

 だからこそカイも偽らずに答える。


「呪いを解く為だ」


 即答だった。イリスもその答えは予想していた。

 だが、それだけではおかしいのだ。呪いを受けたのは英雄級になった後だからだ。カイの年齢は二十代半ばだろう。その年齢で英雄級に達するには生半可な覚悟では足りない。

 その大道を貫くだけの何かがあった筈なのだ。


「ホントにそれだけ?」

「それだけ、ではないな。学園に在籍する条件として依頼はこなさないといけないし、腕を磨く為に実戦を欲しているというのもある」

「うん。カイが嘘言ってないのは私にも分かるんだ。けどね、こうやって相対してもカイの“本質”が見えてこないんだ。カイが欲しいのは何? お金、名誉、満足感?」

「……」


 侍は沈黙した。

 イリスは尚も言い募る。言葉のナイフで相手を殺そうとするかのような剣呑な気配を発する。この答え如何によってはイリスはカイと対立する可能性もあるのだ。

 いつものように笑っている余裕もない。


「クルスは“誇り”、ソフィアは“感動”の為に戦っている。貴方は何のために命を賭けるの?」


 そこまで聞いて成程、と男は納得した。

 目の前の少女が問うているのは目先の目標ではなく、目的だ。それは詰まる所、何のために生きるのかを問うているに等しい。

 ソフィアの居ない時に尋ねたのは彼女なりの誠意だろう。


(……困った)


 改まって自分が何のために生きているかなど考えたこともなかった。

 イズルハは戦士の家系である。父以外の顔も知らない血族も戦える者全てが戦士であったと聞いている。

 カイは生まれた時から剣を取ることが決まっていたし、それを疑問に感じたことはなかった。


 戦いを手段と考えているクルス達には理解しがたいかもしれないと思ったが、偽るわけにもいかないので正直に答えた。


「俺は剣だ。ただ斬る為に生きている。だから、この道を進むだけだ」


 己の気と心を飾らず、ただ想うままを言葉に変換した。

 イリスは笑わず、ただ、頷いた。


「……そう。別の生き方を探さないの?」

「戦えなくなった時に考える」

「魔力が無いっていうのは立派に戦えなくなった理由だと思うわよ」

「そうか?」


 その段になってようやくイリスは緊張を解いて朗らかに笑った。

 ソフィアの儚げな笑みとは対照的な太陽の下で輝く大輪の笑みだ。


「ま、そういうことなら大丈夫そうね」

「いいのか? 言い分だけ聞けば狂戦士のそれだ」

「ヴェルジオン家に迷惑かかる訳じゃないから私の管轄外でーす。カイの人生はカイのものだから。私がどうこう言うもんじゃないでしょ」

「……そうか」


 殊更ふざけて見せるイリスにカイは小さく苦笑を返す。お互い相手がそう答えると察していたのだ。少々わざとらしかったかもしれない。


「あー久しぶりに真面目な顔したら疲れたー」


 顔の筋肉をほぐすように少女が頬をこする。猫の様な仕草が愛らしい。


「……私、ちゃんといつも通り笑えてる?」

「“いつも通り”なのはさっきまでだろう?」

「うぐ……」


 イリスの笑みの多くは護衛対象の為に己に課しているに過ぎない。勿論本心から楽しんでいることもあるが、笑みを絶やさぬよう意識しているのは兄妹の為だ。

 本性というものを定義するならカイに触発されて表出した刃の様な気配こそ少女の本性だろう。


「……うん、だから訊いてるの。私ちゃんと笑えてる?」

「ふむ……」


 男はじっとイリスの顔を見つめる。

 ソフィアの妖精めいた美貌ほどではないが、整った顔立ちと珍しい白一色の髪に紅玉の瞳は十分に美しい部類だろう。

 微かに滲む猫の様な稚気が怜悧な相貌のとっつき辛さを緩和して多くの人を惹きつける要因となっている。……尤もそれは一皮剥けば豹か何かの気配なのだろうが。


「あの、カイ?」


 カイの黒瞳に覗かれたイリスが思わずといった調子で声を上げる。正面から見つめられると落ち着かないのだろう。

 手が微かに震えている。反射的に弓を射ろうとしているのを抑えているのだ。


「……」


 達観した風な所もあれば、年齢よりも妙に幼い部分もある。覚えのある不安定さだ。それは小さな頃から命のやり取りをしていた兵士にまま見られる状態だ。

 自分の領域内へ他者を受け入れられない精神構造。かつて、自分もそうだった。


「カ、カイ?」

「どうした?」

「いや、それはこっちが訊きたいんだけど?」

「……多少剣呑な気配が漏れている。もう一戦して解消してから行くか?」

「うん。それもいいかな――」


 その時、カイとイリスが同時に顔をあげた。複数人の気配が近づくのを察知したのだ。


「誰か来るね。クルス達じゃない。アリーナの貸し時間はまだ残っている筈なんだけどね」

「知らん気配だ。邪魔になるか」

「こだわっても仕方ないし、ついでに二人と合流しよう」

「承知した」


 そのままイリスの手を引いて立ち上がり、二人がアリーナを去ろうとしたその時、その眼前に複数の武装した男たちが立ちはだかった。


「ヴェルジオンの私兵よ……」


 その中から歩み出てきたのは、不快気に呟くのは金髪を撫でつけた神経質そうな顔立ちの青年だ。

 イリスはその顔に覚えがあった。スカウトの際に顔を合わせた一人だ。

 この男はロードの――


「……パトリック、だっけ?」

「お前のような下賤な身分に名を呼ばれる筋合いはない」


 貴族特有の蔑んだ目がイリスを見下す。

 従者は特に気にする風もなく手をひらひらと振った。


「あっそ。で、なんか用?」

「ギルドは組めたのか? あの二人と釣り合う人物などそうそういないだろう。私も私兵を集めてギルドを組んだ所だ。頭を下げるなら加えてやってもよいが?」

「ギルドは組めたから気にしなくていいよ。それじゃ」

「なに!? ま、待て。ソフィア嬢と、いやヴェルジオン家が認めたのは誰だ?」

「この人。キリエ教官の推薦」


 素っ気ない答えと共に指さす。その先には腕を組んだまま無表情に成り行きを見守っていたカイがいる。


「……こんな小汚い男が?」


 パトリックが心底馬鹿にしたように鼻を鳴らす。どこの貴族や英雄が仲間になったかと思えば、みすぼらしい道衣姿の男だ。感じる気配は自分にも劣っている。


 カイは何も言わない。気配も抑えている現状ではその反応は当然だ。そうなるよう仕向けているのだから。戦闘に入れば気付かれるだろうが、相手方の錬度では隠蔽が抜かれることはない。


「やれやれ。あの二人も貴族ならば自覚を持つべきだ。こんな男をギルドに加えたとあってはヴェルジオンの名を汚しかねないだろうに。

 ――彼女達は君主(ロード)たる私の指揮下に入るべきだ」


 パトリックがそう宣言する。


 “君主(ロード)


 号令――簡易的な加護によって味方全体、それこそ軍団規模に対しても即座に強化をかけることができる支援特化クラスだ。

 扇動者として使われるとあまりに危険なので、白国による認可が必要とされ、クラス自体が秘匿技術とされる、実質的に貴族専用のクラスだ。


 パトリック家はイニシャルこそHと教皇からは遠縁だが、高利貸しで財を築き、国と教会も無視できない程の寄付を積んでロードのクラスを息子に与えたのだ。現在、彼は学生の中で唯一のロードである。


 パトリックが手を上げるのに応じて背後に控えていた男たちが武器を抜きつつ前に出る。


「あら、やる気?」

「ドブ臭い貴様らが高貴なる彼女達と居るのは貴族全体の恥だ」


 見れば、全員が真新しい不朽銀(ミスリル)の装備に身を包んだ戦士、騎士だ。手に剣や槍を持つ姿から自分と同じ程度の位階であるとイリスは予想した。


「随分手の早いお貴族サマね」

(傭兵? ううん、練度が高すぎる。どっかの国の騎士を雇い入れたのかな)


 自分がクルス達の護衛で学園に来ているように学園に入ること自体は容易だ。金さえあればパトリックのように私兵でギルドを組むこともできる。

 そうやって組んだギルドでは家から離れる意味がないと分かっていたのでクルスは採らなかったのだが、短期間で戦力を増強できるのは確かだろう。


「――白神の眷族たる吾が威令を発す、“攻撃せよ”!!」


 声が物理的な効果を以て響き渡る。

 号令を受けた戦士たちから戦意が迸る。号令自体が簡易的な加護であり、僅か一節で集団全体を強化することができるのだ。その速攻性と効果範囲こそロードの真骨頂である。


 己の配下の戦士達が相手を半包囲するように前進するのを見ながら、パトリックは己の一声で為した状況に笑みを浮かべた。

 国が制限するのも頷ける話である。

 私は強い、と確かに感じる。その全能感は心身を狂わせかねない程だ。


(これはちょっと面倒かな……)


 イリスは心中で彼我の戦力差を計算する。

 位階は同じくらいでも、人数、状態共にこちらが不利だ。

 何より、号令さえなければカイと二人ずつ相手取ることも可能だったろうが、この場ではロードの存在が危険すぎる。

 ロードは攻撃、防御、追撃、隊列の入れ替えなどにおける戦術的優位をただ一言で為してしまう。ロードに率いられた者達を相手にするなら二倍の人員を用意するのが定石とされるほどだ。


「とにかく足を止めないと――」


 弓を展開しつつ一度距離を取ろうと構えるイリス。

 だが、それを遮るようにカイが刀に手をかけ滑るように跳び出した。


「カイ!?」

「一人で何ができる!?」


 パトリックの声にカイは答えない。

 戦士たちが各々の武器を振りかぶり、雄叫びと共に突進し向かってくる侍を迎撃する。

 パトリックは気付いていないが、刀に手をかけたカイと対峙した戦士達はその立ち居振る舞いから相手の方が位階が高いことに気付いていた。

 だが、油断からか魔力すら発していないようでは、号令によって強化された戦士四人を相手にすることはできないだろう。彼らは現実的な観点からそう判断した。


 ――だが彼らは知らない。


 目の前に居るのはかつて英雄と肩を並べるまでに至ったマスタークラスだということを。

 見抜けなかったのだ。目に見える実力こそ優劣の証と信じる彼らには目の前の存在がどれ程の脅威かを。

 彼らはそのツケを一瞬後に自分達の体で支払うことになる。


 次の瞬間、閃光が走り、多重の金属音が鳴り響いた。


 周囲を取り囲まれながらもカイが放つのはただ一閃。戦士達が攻撃に移る直前の虚を正確に捉えて刀を抜き放つ。

 その一度でカイを取り囲んでいた戦士たちが皆一様に倒れ伏した。見れば、全員の篭手が砕かれ折れた骨が突き出ている。


 腕砕きと呼ばれる技だ。

 名前の通り相手の腕を篭手ごと砕き、場合によっては切断して行動を封じる技だ。

 カイの技量ならば両腕を切り飛ばすこともできただろう。だが、それをして相手が間違って死にでもしたら殺人を禁じている学園から放逐されてしまう。

 よって、加減はした。それでも両腕を折り割られた激痛は彼らを苛み、立ち上がることすら出来なくなっていた。


「……カイ、今の何?」

「腕砕きだ。知らないか?」

「私の知ってるのと違う」


 腕砕きはサムライの技能であり、イリスも勿論知っている。

 だが、それを一撃で四人に当てるなど通常はあり得ない。

 対するパトリックもまた突然の事態に狼狽してしまった。勝利を確信していた所からの急転直下だ。動揺はイリスの比ではないだろう。


「馬鹿な、この一瞬で!? ええい、クレリックを連れてこなかったのが――」

「――狂い咲け、“菊一文字”」


 それ故に、逃走できる最後の機会を見逃してしまった。

 刀から迸る魔力が風刃を成し、離れた位置にいたパトリックの頬を浅く斬り裂いた。


「あ……」

「直掩を一人は残しておくべきだったな。ロードも単独では口煩い木偶に過ぎん」

「あ、わ、私を殺せば家が黙ってないぞ!?」


 冷静に考えれば殺人がご法度の学園内で殺されることなど無い。しかし、既にパトリックの精神は混乱から均衡を失っていた。


「その家格とやらはこの場でお前の命を守ってくれるのか?」


 その声は嘲りさえ含まない無垢な声だが、同時に先程までイリスにかけていた気安さの欠片もない渇いた声だ。

 風の刃が頬を撫でる中、青年はようやく自分が死地に居ることを理解した。


「あ、あああああ……」

「それとも、そこで両腕を打たれた仲間が身を呈してお前を守ってくれるのか?」


 正常な判断ができるならば、痛覚を和らげる号令を使い戦士たちを起こすこともできたのだが、今のパトリックには出来ない相談だろう。


「如何する? 油断して剣を抜くことすら忘れた未熟が、誰と組むべきだと?」


 カイの体から濃密な殺気が走る。戦士としては甚だ未熟なパトリックにも感じ取れるほどの死の気配が辺りを包む。

 後ろで見ているイリスにしてみれば少々演技過剰だろうと思えるほどだ。


「答えろ」

「あ、が……」


 殺気に中てられて声が出ない。これではロードとしての権能も欠片も発揮できない。

 返答はないとみてカイは嘆息して刀を動かす。

 青年の頬に触れる魔刃がそれ以上皮膚を傷つけない絶妙な力加減で押し込まれていく。その感触にパトリックはついに失禁し、次いで意味不明な声を上げて気絶した。

 さすがに倒れるとは思わなかったのか、カイは即座に刀を外す。一瞬遅ければギロチンよろしく青年の首が飛んでいただろう。


「……後始末はそちらが受け持て」


 残心もそこそこに納刀し、蹲って痙攣する戦士達に告げてカイは踵を返した。

 その隣をイリスが小走りでついてくる。目を伏せ、申し訳なさそうな表情だ。


「あれ位で良かったか?」

「あ、うん、大丈夫だと思う。……ごめんって言うべきかな? 私達(ヴェルジオン)と組むって言うことはこういうこともあるんだけど……」

「気にするな。お前達ほどの実力者が何故ギルドを組むことに消極的だったのか得心がいった」

「でも、たぶんこれからもトラブルが有ると思う」

「そうか」


 イリスは素っ気なく告げるカイの横顔を窺うが、その顔に不満の色は見られない。平常心と言った風だ。

 出会ってまだ一週間だが、知れば知るほど謎多い人物だと思う。

 剣は英雄級の腕前、魔力を失う未知の呪い、加えて近衛騎士団出身で大貴族である学長の伝手もあるという。


 正直に言って怪しすぎる。二人の護衛であるイリスとしては常なら照会もせずにギルドに加えるなど有り得ない話だ。

 だが、同時にこの男を逃せば二人の成長の機会が遠のくことも理解していた。

 学園の教官の指導力が足りていない訳ではない。だが、教官はあくまで実戦に直結することを教えるのが仕事だ。


 今の二人に必要なのはもっと異なる、語弊を恐れず言うならば低次元のものだ。

 たとえば物の見方、他者との接し方。心を通わせた者と話し、感じ、理解する。そんな子供が習うような事こそ必要なのだ。

 だが、それを教えるのは困難だ。

 二人の魂は既に英雄の道を登り始めている。同じ領域に居る者はそういない。

 故に、共感がないのだ。特にそれはソフィアが顕著だ。余人では他者の心が読める彼女を受け入れることはできない。実兄のクルスですら食い違いが目立つようになってきた。


 それではいつか全てが破綻する。

 英雄が得てして孤独死するように、二人も他者の理解を得られずに死んでいくだろう。


 無論、イリスはそんな未来にする気はない。

 だが、自分だけでは足りない。二人を導くには明らかに実力不足だ。今のままでは、孤独な三人が寄り集まっただけのパーティになってしまう。

 だからこそ、多少の危険を呑んでもこの男が必要なのだ。二人と――もしかしたら自分とも――共感できる存在が。


 今はまだ自分達が登っている途中だ。だが、いつかカイと同じ目線に立った時、自分達は孤独でなくなるのだろう。


(それに……)


 それは仄かな期待。カイに対してソフィアが感じている共感、クルスが置こうとしている信頼のどちらとも違う。

 イリスが感じているのはまるで兄妹であるかのような“相似性”。微かに感じる自分と同じ不安定さ、染み付いた血の匂い。

 あるいは自分と同じように出生からして問題があったのかもしれない。

 ……そんな風に相手の過去に期待してしまう自分がイリスは嫌いだった。


 暫くの間、会話もなく歩いていると、「そういえば」とカイがイリスに向き直る。


「お前は何の為に戦っている?」

「き、気軽に聞いてくれるわね……」


 まるで明日の天気を聞く様な気軽さで問う男にイリスは本気で苦笑する。


「聞かない方が良かったか?」

「……まあいっか。私はね“愛”の為に戦ってるの。どう?」

「そうか」

「疑わないの?」

「本人がそう言うならそうなのだろう」

「――――」


 イリスはじっとカイの顔を見つめる。カイの言に嘘もからかいの色もない。

 冗談だとあしらわれると思ったし、そうされるように言ったつもりだった。

 だが、本心であると見抜かれた。おそらく、それが歪であるとわかっていても受け入れられた。


(ソフィアが気に入るのも分かるなぁ……)

「……どうした?」


 呆けて随分と長く見つめていたようで、さすがにカイも不審に思ったらしい。


「ううん。アリガト。少しはアンタのこと信じられそう」

「そうか」

「その反応はちょっと傷つくなー。ま、いっか。それよりさっきの技どうやったの? 一撃で全員に当てたよね」

「皆へ一度に説明した方が楽だから後でな」

「えー、気になるじゃない!!」


 軽口を言い合っていた二人だが合流場所の教会が近づくにつれ口数が減る。

 二人とも信心深いという訳ではないが、さすがに神の直接支配下にある場所で騒ぐ気にはなれなかった。

 教会の傍には既に馬を繋いである小型馬車が停まっていた。おそらくクルスが借りてきたものだろう。


 そのまま入口の両開きの扉を押し開ける。

 昼過ぎの礼拝堂は掃き清められ、左右対称に長椅子が並べられている。

 やや照明を落とした堂内では黄色の修道衣を着た男女が働いている。彼らは神官(クイント)と呼ばれる専門家だ。黄色の衣装が五色神のどれをも差別していないことを示している。


 長椅子にはまばらに学生が座っており、めいめい祈りを捧げている。

 中には必死に、それこそ鬼気迫る雰囲気で祈る者もいる。信仰心と神から与えられる加護に関係はないとされている。

 だが、いつの世も神に縋ってでも強くなりたい者は絶えることはないだろう。


 さらに奥を仰ぎ見れば、五色の神を表象した色鮮やかなステンドグラスが日光を透かして輝いている。

 国教会などには一神特化の場所もあるが、大陸内の多くの街の教会は五柱ひっくるめて祀っている。学園の教会も例外ではない。

 これは、元々は黒神が零落しかけた時に白神と併せて祀ることで補っていたのを、神より賜る加護を失うことを恐れた四大国が五色神という形に昇華させた為だ。

 そうして生まれた五色教会という制度は四大国で争い合った戦乱の時代を経ても変わることなく、現代まで続いている。



「さーて、二人はっと……」


 気配を探るまでもなく、すぐに二人は見つかった。

 クルスは跪き祈りを捧げ、ソフィアは長椅子に腰かけて目を閉じている。二人ともはっとするほどの美形な上に人を惹きつける雰囲気がある。兄妹並んでいれば尚更であろう。

 教会の厳かな雰囲気と合致した二人の姿は明らかに周囲の視線を集めていた。


 カイとイリスは静かに二人に近づく。

 ソフィアはいつか見た蓮杖とローブ姿。クルスは修理の完了した全身鎧、傍に剣と盾を置いた完全装備だ。

 気配に気付いたソフィアが目を開け、クルスが立ち上がる。


「ごめん、待った?」

「いいえ。こちらも今来たところです」

「わざわざすまない。依頼の前にクラスを確かめておきたかったのだ」


 クラスの確認を受けるには相応に金がかかり、順番待ちもある。

 クルスにとっては現状の確認と共に勝利と安全を祈願する為でもあるのだろう。特に今回はカイが参加して初めてのパーティだ。念を入れるのも当然だろう。


「疑うようで申し訳ない」

「当然の判断だ。気にするな。それに、実際に見た方が早い」

「……どういうことだ?」


 カイが詳細を話す前に、クイントが近づいてきた。自分達の番らしい。

 礼を言い、四人連れ立って教会の奥へ向かう。


 通された『祈りの間』には巨大な鏡が捧げられている。“真実の鏡”と呼ばれる神との契約を結ぶ為の魔法具だ。

 他には何もなく、誰もいない。情報の漏洩を避ける為だ。


「カイ、頼む。見れば、何かが分かるのだな?」

「ああ」


 カイが言葉少なく鏡の前に立ち、静かに鏡面に触れる。同時にぼんやりとした光が鏡から溢れだし、その上部に魔力の文字が躍った。

 だが――


「これは……どういうことだ?」


 クルスが疑問の声を上げる。

 本来ならば各神の色を宿した文字でクラスが表示されるところ、カイが鏡に触れると無意味な文字列が乱雑に躍っているのだ。


「んー? カイ、代わって貰っていい?」


 イリスが入れ代わりに鏡に触れる。再び光が集まり、上部に文字が書かれる。

 クラスは『レンジャー』。文字の色は緑。

 先日確認した時と同じ、つまり真実の鏡に問題がある訳ではないことが分かる。


 次にクルスが触れる。クラスは『ナイト』。文字の色は白。

 最後にソフィアが触れる。クラスは『ウィザード/クレリック』。文字の色は前者が黒、後者が白だ。

 カイを除く三人とも適切な表示がなされている。


「やはり呪術の所為か?」

「おそらくは」

「……分かった。カイの実力ならば、ギルドとして動くに問題はないだろう」


 クルスはそれ以上は問わず、カイと真実の鏡を見比べて何事か思案しているソフィアを引っ張って、祈りの間を出た。

 クイントに礼を言って寄付という名目で代金を払い、そのまま教会を後にする。

 繋いであった馬車はやはりクルスが借りたものだった。暇そうに水を飲んでいる馬の背をイリスが撫でてやる。

 積みこんだ食料の確認をしたクルスが馬車から下りてきた。


「こちらは準備完了だ。皆もいけるか?」

「問題ない」

「いつでもいけるよー」

「大丈夫です」

「よし、では行こう。今から出れば明日の昼には着くだろう」


 各々応えを返し、馬車に乗り込む四人。

 後に大陸の今後を左右するギルド『アルカンシェル」』がここに始動した。

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