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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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3話:邂逅・後編

 学園の中心に建つ四つの塔を背に山道を歩き通し、日が暮れるのを危惧しなければならない時刻になってやっと目印だと言われた大樹を見つけた。

 クルスは心中で安堵のため息を吐いた。改めてこの学園の広さを思い知った。


(教官はここら辺にいるだろうとおっしゃっていたが……)

「兄さん、あちらに……」


 ソフィアがつと指差す先に大樹に背を預け座禅を組んでいる男がいた。

 後ろで結った黒髪と黒ずんだ僧兵(モンク)の道衣。

 目は閉じられて表情は読み取れない。背はそう高くないが、ゆったりとした道衣の上からでもその肉体が鍛えられているのが容易に窺える。

 聞いていた風貌とも一致する。この男が“カイ・イズルハ”で間違いないだろう。


 だが、クルス達は声をかけることを躊躇った。

 男ははじめから視界内に居た。クルス達が気付けなかっただけだ。

 なぜなら、クルスはソフィアに指摘されるまで男の存在を“ヒト”だと認識できなかった。自然の一部だと感じていた。


 自然と同化、同調し、個の境界を薄め、存在を拡散させるまでに成った完璧な瞑想――“瞑想の完成”は高位魔法などと並び修得していることそれ自体が指標になる高等技術である。

 それを成せるということは既に人間と言う枠を超えた位階――“英雄”の域に男が手を掛けていた可能性を示唆している。


 しかし、感じる気配からして現在の位階はクルスより多少上、程度ではないか。

 年齢は相手の方が幾分上のようだが、同じ学生の身で位階を落として尚、自分達より上というのは小さくない衝撃だ。

 予想を超える相手に対して背後でイリスが静かに警戒を深くし、ソフィアが集中力を高めていく。


(これは聞いていた以上……いやキリエ教官に勝ったということを考えれば……)


 クルスは重要なことを聞いていなかったことに気付いた。教官が負けたのは位階を落とす前だったのか、あるいは後だったのか。

 前者であれば特に疑問はないが、後者であった場合は――


「……何か用か?」


 そんなクルスの懊悩を余所に、こちらの気配に気付いた男が目を開け、次いで口を開いた。

 発せられた声は落ち着いた低音。露わになった瞳は束ねた髪と同様の漆黒。

 黒髪黒目、この大陸では珍しい人種だ。

 同時に先程までの気配が掻き消える。慌てて探り直しても何も感じられない。

 多少上、という推測にも自信が持てなくなってきた。狐に化かされている様な気分をクルスは感じていた。


「……あ、ああ。邪魔をして済まない。俺はクルス・F・ヴェルジオン。後ろの二人は妹のソフィア・F・ヴェルジオンと従者のイリス・ナハトという。少し時間をいただけないだろうか?」

「構わない。カイ・イズルハだ。よろしく」


 それでもクルスが冷静に自分を保てたのは日頃の教官方の心身両面へのしごきの成果だろう。表面的には気を取り直して手を差し出す。

 立ち上がったカイが握り返し、二人は握手を交わした。


「俺達はパーティメンバーを探していて、キリエ教官に貴方を紹介されて来た」

「キリエが? ……そうか。構わない。条件は?」

「…………ん?」


 今、この男は何と言った。


「此方に断る理由はない。そちらの出す条件に合致するなら参加する」

「それは……いや、しかしだな」


 クルスが眉をひそめる。当然の反応だろう。

 パーティとは戦闘において命を預け合う運命共同体だ。

 そんな二つ返事で決めていいようなものではない筈だ。最低限確認しておくことがいくつかあるのではないか。


(瞑想の完成からしてこの男、元は英雄級に達していた可能性がある。ならば、今の俺達は児戯だと舐められても仕方ないのか)

「ねえ、ちょっといい?」


 イリスも同様の危惧を抱いたのだろうか、白髪を揺らして前に歩み出た。顔に浮かんでいるのは虚偽を許さない獰猛な笑みだ。


「私たちはこれでも命懸けてやってるんだけど。そこら辺に誤解はないわよね?」


 イリスの言葉にカイは少し考える素振りを見せた。暫くして得心がいったのかひとつ頷いて返答した。


「当然だ。決してお前たちを馬鹿にしている訳ではないし、力量がどうこうと言う訳でもない。こちらにも問題がある以上、条件を高望みすることができないだけだ」

「ああ、位階を落としたことなら教官から――」

「問題というのは、その心臓にかけられた“呪術”のことでしょうか?」


 妖しく目を光らせるソフィアの問いにカイは微かに目を見開いた。

 慌ててクルスも妹を顧みるが、真剣な表情はそれが冗談の類ではないことを告げていた。


「透視、いや“読心”か。これが視えた奴は初めてだ。話が早くていい」

「い、いや、待ってくれ!! 心臓に呪いがかかっているのか?」


 この男、カイとソフィアの組み合わせはまずいとクルスは直感した。

 普通に読心を受け入れているし、ソフィアもそれが当然のように頷いている。

 放っておくと余人がついていけない速度で話が進み、交渉や過程をすっ飛ばして結論が出てしまうと直感で察した。



「簡潔に言う。俺は心臓に掛けられた呪術によって魔力生成を封じられている。


 ――故に、今この身には“魔力が無い”


 当然魔法は使えないし、抵抗力もない。位階を落としたのはその煽りを受けた故だ」



 今日は短時間に何度も驚かされたがこれは最大級だった。


 魔力とは魂を通じて作られるエネルギーだ。

 生物は血液と同じように魔力を精練して体内で循環させている。

 魔法はその流れから一部を術式内に汲み上げて奇跡を起こす技術に過ぎず、魔力自体は万人が持っているものだ。

 呼吸していない人間がいないように、魔力生成を行っていない人間もいない筈だ。


(ソフィア、何の呪術か分かる?)

「……いえ、構成から呪術だろうとしか」


 思考で問うイリスにソフィアは小声で返答する。

 それを聞きながらクルスは目線をカイから逸らさず、じっと見つめる。


「すまないが、確かめてもよろしいか?」

「構わない」

「ソフィア」

「了解しました。――届け(アクセス)


 魔力探知を、と口を開いた時には既に妹は探知術式を展開していた。

 細い指の先から伸ばされた魔力の糸がカイの体に触れる。


「探知終了……イズルハ様の仰っていることは確かです、兄さん。わたしの“魔力探知”でも魔力は感じられません。本当に魔力をなくしています」

(そんなことが有り得るのか? 仮に……)


 仮に、魔力の生成を封じられた場合、人間は呼吸を阻害された時と同様に各種機能が低下する。大気中の魔力を感じる感応力も無くなるだろう。

 当然、魔法や術式は使えず、加えて、体内魔力の循環によって維持されている魔法への“抵抗力”も失うことになる。一般人でも少量の魔力は常に体内で循環し、抵抗力を発揮しているというのにだ。

 まれに魔力を限界まで使い切った場合に魔法が『直撃』する場合がある。クルスも過去に数度そういった危機的状態に陥ったことがある。

 この男は常にその状態にあるということになる。


「抵抗力は魔除けのアミュレットで補っている。が、気休め程度だろう」

「封じられる前に魔法はどのくらい使えたのですか?」


 一行の中で最も魔法に造詣の深いソフィアが興味深げに尋ねる。

 イリスが踏み込み過ぎだと目線で注意するが、当の本人が気にしていないと手を振るので止め所を見失ってしまった。


「下がる前でも精々早駆けの技能が使えた程度だ。魔法に関して才能はない」

「……苦しくはないのですか?」


 生まれた時から高い感応力を持ち、尽きたことがない程に魔力に恵まれているソフィアにとって、魔力のない世界は空気のない世界に等しい。

 そんな状態になったら気が狂うかもしれない。

 だが、男は短く「慣れた」とだけ告げた。一方でその魂の表層には隠しきれない憎悪と諦観が漂っているのを少女は感じる。


「……否定されないのですね」

「さてな。俺からはそんな所だ」


 はぐらかす様ではあるが、兄に水を向けられたのでソフィアは礼を言ってそれ以上の質問を控えた。

 対するクルスはカイをまっすぐ見て一度頭を下げた。

 カイが意外そうな顔をする。基本的にプライドの塊の様な存在である貴族の男子が容易く頭を下げるのは珍しい光景だ。


「すまない。言い辛いこともあっただろう」

「気にするな。で、どうする?」

「そうだな――」

(この男、実力はあるのかもしれない。だが同時に危険でもある。本人に自覚はないのか? それだけ自信があるのか?)


 クルスは思算する。魔法への抵抗力がないということは、敵にウィザードがいれば、ほぼ確実に押し負ける。

 あまりに脆すぎる。少なくとも対人戦や竜種相手は絶望的だ。

 この男が学園に来てどれ位かは分からないが、今まで無所属だった理由は理解できた。

 

(常道に則るならば断るべきだ。だが……)


 クルスの直感が仲間になって貰うべきだと告げている。

 妹ほどではないが、クルスもこういった場面で勘が外れたことはない。

 だからといって今回はすぐに承諾できる問題ではないのだが。


(よし、ひとまず仮パーティを組んでお互いの相性を見てみる方向で話を纏めよう)

「申し訳ありませんが――」


 兄の考えを読み取りながらも敢えてソフィアは再び口を挟んだ。

 パーティのリーダーとして兄が慎重になるのも分かる。

 だが、この相手に探り合いなど無駄だと魂が告げている。相手は何も隠す気が無いし、こちらも隠しようがない。そういうレベルの相手なのだ。


「一度、試させていただいてもよろしいですか? わたしはウィザードとクレリックを学んでいるので対魔術士戦闘の試金石になるとおもいます」

「ソフィア?」

「ふむ……」


 男は目を瞬かせたが、すぐに首を縦に振った。

 表情は変わらないが、総身から微かに戦意が漏れている。


「いつでも構わない」

「では今から闘技場へ参りましょう」


 男の静かな戦意に少女は満面の笑みで応えた。



 ◇



(妙なことになったな……)


 クルスがあれこれ考えている内に武術の塔の傍に設けられている野外闘技場に着いてしまった。

 夕日は既に半分ほど沈み、各所のランプに火が灯り始めている。

 周囲には訓練を終えて寮へ戻るか、あるいは外泊届を出してこれから街へ繰り出そうとしている学生も散見される。

 目立っても利点がないので複数ある闘技場の内、手早く借りられる均した土の地面と防壁だけがあるシンプルな場所を選択した。


「……それで、どうするつもりなのだ、ソフィア?」


 反対側の出場口へ向かったカイと別れ、控室にやってきたクルスは戦闘準備を始めるソフィアに問うた。

 前触れもなしに、何となくや出来そうだからという理由で突飛なことをする癖が妹にはあるのだ。

 案の定、何か問題があるのかと小首を傾げるので両頬を引っ張った。


「まさか考え無しじゃないだろうな、妹よ?」

「ひょ、ひょういうわけじゃ、ひゃりましぇん……」


 手を放してやると涙目になりながら頬をさすり始めたので待つ。

 イリスが背後でニヤニヤ笑っている気配がするが無視。

 暫くして真面目な顔に戻ったソフィアが人差し指をぴんと立てて自分の考えを述べる。


「問題なのは魔法が常に“直撃”することなのでしょう? ですから、当たるかどうか試せばよいではないですか」

「いやいや、直撃するだろう。魔力が無いんだぞ?」

「そうでしょうか?」


 独自の直感に従って小首を傾げるソフィアに、イリスが笑って助け船を出した。


「んー、私はソフィアに賛成かな。かなり出来るみたいだしねー。実は“極限回避”ができるとか?」

「それは武術担当のリヒャルト教官の固有スキルだ。教官の他に“人間”で持っている者はいない」

「でも英雄級にはそういう規格外があるのは確かよ。キリエ教官が薦めたってことは何かあるんじゃない?」

「それは……確かにそうだが」


 クルスが言い淀んでいる内に、ソフィアは戦闘準備を終えていた。

 詠唱補助効果のあるロータスワンドに、魔法攻撃を軽減させる白神の加護を受けたローブ、精神集中を助ける魔法のリング。クレリックとして基本装備だ。

 ソフィアの適性はウィザードの方が高い。だが、相手が人間の場合はクレリックの装備をしておけば警戒を薄めることができるという利点がある為、こちらを常用させている。


(カイ・イズルハも誤解するだろうか)


 察せられる実力を考えればそんなミスをするとは到底思えない。

 ただ、どうにも相手の心理や性格を読み切れていないのを騎士は感じた。垣間見える実力の高さに反比例して現実感や迫力が薄いのだ。

 瞑想を止めた途端に気配が消えたことといい、おそらくは本人の何らかの技能による隠蔽だろうが、実力を測る場合は厄介なことこの上ない。


「アリーナの広さ的に接近される前に“詠唱できる”魔法は一つが限度ねー。ま、ソフィアの能力で直撃すれば相手は消し飛ぶだろうけど」


 最終確認を手伝っていたイリスがアドバイスする。

 魔法を構築、制御し、その威力を左右する精神力に関してソフィアは既に平均的なウィザードを大きく上回っている。

 黒神の加護“暗黒の渇望”による魔法全般の威力強化と生まれ持った氷結系魔法の高い構築力が相乗しているのだ。

 カイが自己申告の通りなら、低位氷結魔法の一発で確実に消し飛ばせる。


「さて、どうなるでしょう」


 囁くように告げるソフィアはいつになく目が輝いている。

 いつもは呆っとしているが、本質的に好奇心旺盛なこの少女は未知の相手への予感に胸を躍らせている。


「楽しそうだねー、ソフィア。ん、相手が出て来たよ」


 イリスが目を細める。千里眼を持つ彼女がこの中で最も目がいい。

 反対側の出場口からカイが出て来ている。特に気負っているようには見えない。格好は先程までと同じだが腰と背に刀を差しているのが見てとれる。


「二刀流? それに鎧を着けていない? 軽装の具足は着けてるみたいだけど……」

「軽装備なのはおそらくモンクとの併用の為だろう」


 クルスがそう予想する。モンクは緑神加護の中衛で、高い格闘能力と気功術による攻撃と自己強化が行える万能職だ。

 単独でも凡そこなせないことがない代わりに、武器と攻撃技能、金属防具と術技能を併用できないという一風変わったクラスだ。

 先程、カイが行っていた瞑想はモンクの代表的な修行の一つだ。それを完成させている以上、当然にモンク適性はあるとみていいだろう。サムライとモンク、二柱分の契約と加護を受けていても不思議ではない。


「モンクは気を練ることで各種技能を発動する。魔力がなくても使える筈だ。武器と併用するなら自己強化と回復以外は使えないだろうが」

「では、チャクラは使えるとみていいですね」


 チャクラは自身の肉体を活性化させて体力を回復するものだ。

 それならば、直撃しても死ぬまでにこちらから治癒術式をかける猶予くらいはあるだろう。ソフィアは安心して全力を出すことに決めた。


「ま、あとは実際やってみれば分かるんじゃない?

 ただ、悪いけど危なくなったら横槍入れるよ。これでも護衛だからね」


 どちらが、とは告げずイリスが付け足す。従者も既に各防具を装着し、弓を背負っていつでも飛び出せる状態だ。

 ソフィアは頷きで以って返す。自分が確実に勝てる、などとは思っていない。前衛対後衛の勝負において、接近された後衛には死しかないのだ。


「……やるからには気を付けろ。相手の実力は確実に俺達より上だ。油断していい相手ではない」

「はい、兄さん。いってきます」


 控室を出る妹に兄が声を掛ける。妹は楽しげな笑みで応えた。

 一人でアリーナ中央へと進む。ランプの灯が歪な影を地面に投影している。


 そうして、日の沈んだ戦いの場でソフィア・F・ヴェルジオンとカイ・イズルハは対峙した。


「一人か?」


 前衛が付くと予想していたのだろうか。男はやや意外そうな声だ。

 ウィザードもクレリックも詠唱中は無防備になるので、それをカバーする前衛がつくのが定石だ。


「ご不満ですか?」

「いいや。だが、初手は譲ろう」

「……よろしいのですか?」

「魔法攻撃にどう対処するか見るのだろう? 俺は加護で敏捷を強化している。この間合いなら確実に先制できる」


 アリーナの直径は百メートル。互いの開始位置の間は五十メートル程度。その距離から移動、攻撃の二工程を経ても尚、魔法を詠唱するだけのソフィアよりも早いと侍は言う。

 イリスがアリーナの広さを気にしたように、前衛対後衛の勝負になった場合、後衛は接近される前にいかに早く正確に魔法を撃ち込むかで勝負の大部分は決まる。

 ソフィアの詠唱速度は低位、中位魔法どちらでも三秒はかかる。決して遅くはない。同位階ではむしろ速い方だ。だが、分が悪い。戦闘を司る本能が少女にそう告げていた。


(想像以上ですか。少々はしたないですがたのしみです)


 この相手は一体何を見せてくれるのか。一撃で戦闘不能になりかねない魔法を前にどんな対処をする気なのか。

 期待はいや増していく。


「御配慮痛み入ります……はじめましょう」


 二人が開始位置まで距離を取る。

 宣言通り初手を譲るつもりなのだろう。カイは両手をだらりと下げて自然体で構えたまま静止している。

 対するソフィアは沈黙する男へすっと蓮杖の先端を向ける。


「では、遠慮なく」


 同時にソフィアの体から膨大な魔力が溢れ出た。

 感知する手段を持たない侍でさえ空気の変化に気付く程の濃度と量の魔力がアリーナを覆う。


「――大気に溢れる無尽の凍気よ」


 外部へと発せられた魔力が世界の元素と結びつき、詠唱によって高次元への小路(パス)を形成、紡がれた奇跡が変換され、現象として物質界に顕現する。

 わざわざ詠唱する時間をくれたのだから全力を以って答えるのが礼儀だろう。その想いをのせて、ソフィアの詠唱が完成する。


「――氷結せよ、“フリーズバイト”」


 詠唱完成と同時にカイの周囲を冷気が包み込んだかと思うと、一瞬の内に大気が凍りつき巨大な氷塊となって四方から噛み付いた。

 氷結系の中位呪文。威力、精度共に英雄級に比する完成度だ。

 カイの姿が身長に倍する氷塊の群れに掻き消える。


「当たった!?」

「いえ、上よ!!」


 三人が慌てて仰ぎ見る。

 アリーナを跳び越えかねないほどの高度、静止状態から跳んだとは思えないほどの高さに侍はいた。その手は既に腰の一刀の鯉口を切っている。


「カウンター!? 速すぎる!!」


 クルスの驚きを余所にカイの体が落下軌道に入る。

 引き抜かれた刀は『ガーベラストレート』。名刀の誉れに恥じない鋭さを持つ長刀だ。

 詠唱後の隙を晒したソフィアに向けて、落下の勢いを利用してカイの刀が振り下ろされる――


「――連弾(・ ・)、フリーズバイト」

「ッ!? ……道理で」


 瞬間、ソフィアの魔法が再度発動した。

 カイにも誤算があった。自分が現在の位階相当を大きく超える技能の所持者であるように、相手もそうである可能性を軽視していた。


 ――“連続詠唱”

 二度目の魔法を詠唱抜きで放てるウィザードの高位技能、それをソフィアは有していた。


(単独の後衛が前衛へ挑んで尚、勝算があったということか)


 避けようのない空中でカイの周囲を再び凍気が包み込む。

 ソフィアは手加減しない。それが通用する相手ではないと理解している。己の全技能によって通常の倍以上の威力まで強化された中位氷結魔法を容赦なく叩き込む。


 周囲を氷の牙に取り囲まれながら、カイは細く鋭く息を吐いて覚悟を決めた。

 切り札には切り札を以って応える。


「マズい。直撃する!!」

「全力過ぎるわよ、ソフィア!!」


 慌ててクルス達が飛び出す。

 しかし間に合わない。カイの体が氷塊に押し潰され――



「――狂い咲け、“菊一文字”」



 決して大きくない、囁くような声が、しかし離れているクルスらをも震わせる寒気を伴って紡がれた。


 サムライがサムライたる切り札『刀気解放』


 真名を発することで武器の魂を発露させる技能。

 そこには技術も魔力も必要ない。ただ、強固な意志のみを以ってそれは為される。


 主の戦意に応えたガーベラは烈風を伴い、その刀身に倍する長大な風の刃を形成する。


「――ッ!!」


 鋭い呼気と共に風刃を纏うガーベラが振り抜かれる。


 一閃。ただの一閃で氷塊がそれを構成する“術式ごと”縦一文字に切り裂かれた。


 術式の核を破壊された氷結魔法が元素と魔力に戻って消え去る。

 そして、魔法を両断するという常識外の一閃は勢いを保ったまま眼下の少女へと振り下ろされる。


「あ――」


 驚きにソフィアの反応が遅れた。迫る一刀への防御は絶望的に間に合わない。


「伏せてソフィア!! ――来い!!」


 アリーナに飛び込んだイリスが背負っていた弓を展開、半ば反射的に『魔弾生成』によって魔力で矢を生成、番えると同時に一挙動で放つ。

 風を切って矢が飛ぶ。かろうじて急所を外したが、直撃軌道には間違いない。

 視界外から飛んできた矢に対してカイは即座に反応、空中に居ながら刀の軌道を変更して斬り払い、その反動を利用して宙返りから軽やかに着地した。


(『魔弾の射手』か? いや、秘匿技術とは毛色が違う)

(今見る前に反応したわよね。しかも空中で切り払った? なんて錬度よ)


「茶々いれてごめんなさい。これも仕事なの。罰は如何様にもお受けします」


 弓を下ろしたイリスが深々と頭を下げる。

 模擬戦とはいえ真剣勝負に水を指したのだ。何をされても文句はないだろう。


「気にするな。元より、当てるつもりはなかった」


 カイは本当に気にした様子もなく刀を納める。イリスはもう一度頭を下げた。

 その間に、クルスが茫然自失の体の妹に駆け寄る。


「大丈夫か、ソフィア?」

「え、ええ、大丈夫です、兄さん」


 ソフィアは自失から立ち直ってカイに向き直る。


「わたしの負けです、イズルハ様。おみごとでした」

「こちらこそ。それと――」


 元の位置に戻り、軽く握手した少女に変わらぬ口調で侍は言う。


「俺の事はカイでいい。貴族と違って苗字は便宜的に付けたもので意味はない。敬語もいらない。学園では身分や出自、あるいはどんな能力(・ ・)を持っていても関係ないのだろう?」

「あ――」


 少女は思わず息を呑んだ。


 読心ができると知って尚、本心からそう声をかけられたのは生まれて初めてだった。

 心が読めるとなれば誰でも当然に忌避感を持つ。当然の反応だと少女も理解している。

 兄や十年来の従者でさえ、そればかりは消し去ることができなかったのだ。


 だが、この人にはそれがない。


 その時、初めてソフィアはカイをみた。学園に入って初めて――あるいは生まれて初めて――ソフィアは他者を全身全霊で以って視た。


「“よろしいのですか?”」

「ソフィア!?」


 その視線が意味する所に気付いた兄が制止する声も届いていない。

 共感が深くなる。目の前の侍は自分が心に触れようとしているのに気付いているのに身じろぎもしない。

 侍はまるでそれが当然であるかのように「好きにしろ」と、それだけを告げた。


 泣いているかのように微笑むソフィアの視線に一層の魔力が通う。魂の表層を漂う情報ではなく、その奥底まで真っ直ぐに視つめる。

 瞑想と同じように精神を相手に同調させ、透視、読心のさらに上位、互いの魂の“共鳴”を起こす。

 周囲の物音が消える。精神を一つ上の段階に引き上げる。互いの心が触れ合い、幾千の言葉よりも深く対話がなされる。


 そうして少女が感じたその魂を評すならば――“刃金の翼”


 自我が形成されるより早くから鍛え上げられた鏡面の如き鋭利な刃。

 それでいて空を舞う鳥の翼のように自由を得た二面性を持つ魂。

 絶望に打ちのめされ、諦観に心縛られているのに、それでいて芯は折れず曲がらず無疵なまま。


(なんてキレイ――)


 心を覗かれることすら一片の忌憚なく受け入れ、小揺るぎもしない精神。その源泉が確かに此処にはあった。


 暫くしてソフィアの目から魔力の輝きが消えた。そっと目元を拭ったのは涙の為だったのだろうか。


「満足したか?」

「……はい、ありがとうございます、“カイ”。わたしのことはソフィアでかまいません。あなたがそう仰るのなら、わたしもただのソフィアです」

「わかった、ソフィア。改めて良い試合だった。感謝する」

「はい!!」


 ソフィアは杖を下ろし、花が咲き誇るように微笑み、ローブの裾をつまんで一礼した。可憐であると同時に優美。どこか侵しがたい雰囲気を纏っている。


「それで先程のは魔法を“斬った”のですか?」


 が、すぐに顔を上げて男に言い募る。一瞬前の雰囲気は跡形もなく霧散した。見た目の美しさに反して子供の様に無邪気で、まさに興味津々といった様子だ。

 男は少女の様変わりに苦笑しつつ頷いた。


「そうだ。一度見ただけでよく分かったな」

「他に考えようがありませんから」


 理論上は可能である。

 武器に宿る魂――魔力生成機関を駆動させて固有の特殊能力を引き出す“刀気解放”は、武器に認められる意志さえ足りていれば、そこに己の魔力は必要ない。

 そして、魔力を纏った武器ならば同じ魔力の塊である魔法に干渉することもできる。原理自体は障壁が純粋な魔力でありながら剣や矢を弾くのと変わらない。

 しかし、その為には魔法が発生する起点を正確に見切らねばならず、さらに武器が届く距離ならば魔法が“当たっている”距離でもある。猶予は限りなく零に近い。


「この目で見ても信じられないな」

「それって……いや、まさかね……」


 他に言いようがないといった体でクルスとイリスが呟く。同じことを己ができる可能性はいくらだろうか、騎士は考える。百に一つを下回るのは確かだ。

 しかも魔力への感応力のない状態でとなると成功確率は更に大きく下がるだろう。不可能と言ってもいい。

 それ程までにカイの見せたスキルの枠を超えた妙技、武芸とでも呼ぶべき技量は並はずれていた。


「俺は魔法だろうと魔物だろうと、刃に触れさえすれば斬れる」

「言うねー」


 何の衒いもなく、淡々と事実を告げるかのように侍は言う。

 それが誇張でも冗談でもないのは、垣間見せた実力と実際に魔法を斬ってみせた手管が証明している。


「ただ、魔法の起点が複数あったり届かなかったりする――つまり、範囲魔法の類は斬れない。俺の腕は二本しかないし、言うほど便利でもない」

「でも、そういうのは回避できるんでしょ?」


 イリスが若干バツの悪い顔で問いかける。自分が視界外から放った矢に反応し、あまつさえ切り払ったのだ。そのくらいできてもおかしくない。


「状況に依る。魔法は当たる状況に持ち込んで撃つものだ」

(確かにそうだ。だが……)


 カイは一度目の回避から更に魔法を斬り捨て、その途上で軌道を変えてイリスの放った矢を打ち落としてみせた。剣の技量もさることながら、魔法の起点や矢の飛来を見切る感知精度もかなり高いことが窺える。

 少なくとも三連撃、カイは直接魔法を無効化できることになる。

 それが一体どれ程の修練と実戦で培われた技術なのかを考えると、クルスは敬意と畏れから背筋が震える思いがした。


(これが英雄級。武におけるマスタークラスの域に踏み込んだ者か……)

「……切り払いに刀気解放、サムライにモンク、魔力を必要としない技能とクラスで不利を補っているのか」

「モンクにも気付いていたか」

「あれほどの瞑想ができるならば自明の理だ」

「なら、今見せられる物はこれで全部だ。どれも横道に等しいやり口だが、俺はお眼鏡に適ったか?」


 無表情に戻って肩をすくめるカイを前にクルスは隣のふたりに目線で問いかける。

 クルスの中で答えは既に出ているが、ソフィアとイリスの意見も聞いておきたかったからだ。


「私はいいと思うよ。むしろこっちからお願いしたい位」

「ソフィアは?」

「もちろん歓迎します。兄さんもそうでしょう?」

「ああ。無論だ」


 クルスは手を差し出した。先の挨拶ではなく、仲間としてのものだ。それを察したカイも何も言わずその手を掴んだ。


「これからよろしく頼む。俺の事はクルスと呼んでくれ。クラスはナイトだ」


 二人は固く握手を交わした。


「こちらこそ。……“ギルド”ではないのか?」

「あー、うん。今までは組んでなかったの。あ、私もイリスでいいよ。レンジャーやってます。よろしく」

「よろしく。ん、組んでいない? メリットもあっただろう?」

「内輪だったからな。集まるのにも寮で事足りたから必要なかったのだ」


 何といっても兄妹とその従者だ。

 職能ギルドならともかく、冒険者で組んだギルドは大陸のギルド連盟からギルドハウスの斡旋と共用倉庫や馬車の優先貸与などの待遇が受けられる程度で、組まなくても特に不都合はなかったのだ。


(というか、俺はそんなことにも気付いていなかったのか!?)


 クルスは小さく呻いた。ギルドを組まずパーティ編成しかしていないとなると、普通は不審がられるものだ。

 今になって自分が随分と焦っていたことを自覚した。


「迂闊……スカウトどうこうの前にちゃんと体裁を整えておくべきだった……」

「まあまあ。カイが入るんだし折角だから決めちゃおうよ。カイは何か案ある?」


 侍は思案するように顎に指を添える。


「順当にいけばリーダーの名前から付けるのでは?」

「ヴェルジオンの名前を出すのは気が進まないな。というか、いいのか? レベル的にリーダーにふさわしいのはそちらだろう?」

「気にするな。元からリーダーがいるならそれに従うのが道理だ。言うべき事があれば言う」

「じゃ、引き続きクルスがリーダーで。ギルド名は……クルスと愉快な仲間達、とか?」

「それは冗談だよな!?」

「そうでしょうか?」


 それはないと却下するクルス。

 なぜかソフィアが若干乗り気なので慌てて代替案を出す。


「加護を受けている神の名前に因むのはどうだ?」

「そうですね……わたしは白神と黒神、兄さんは白神の一柱ですよね」

「俺は精霊信仰だ。今は神剣“クサナギ”と護法神“イダテン”の加護を受けている」

「よく分かんないけど何でもありってことね、それ。で、私が緑神だからみんなバラバラか。まあ、加護統一なんて各国の騎士団でもなければ全然見ないけど」

「ふむ、となるとこの方向で決めるのは難しいか」



「……では“アルカンシェル”はどうでしょう? 古いことばですが」



 ソフィアの提案した不思議な言葉の響きに皆が顔を上げる。


「いいですか、イリス?」

「古代語だよね? いい響きね。悪くないと思うわ」

「カイはどうですか?」

「異論ない」


 イリスは笑って、カイは無表情に肯定した。

 ソフィアは目線で兄に尋ねる。


「俺も構わない。……決まりだな。では、ギルド“アルカンシェル”結成だ。当面の目的は防衛戦争になる。各々準備を怠らないように」

「りょーかい!」

「がんばります」

「……承知した」


 クルスの宣言に各々が返答する。大仰な儀式はない。ギルドとはただ命を預け合う誓いさえあれば結成される。


「よし、さっそくだけどカイ一戦やろう!! アンタとやりたくてうずうずしてたの!!」

「構わない」


 言葉少なく、ふたりはさっと距離を取って身構えた。性格は違えど二人とも根は戦士なのだ。

 興味深げに見つめるソフィアを引っ張ってクルスは安全圏まで退避する。

 その途上で、ふと兄は妹に問う。


「……さっきカイの魂に触れたな?」

「はい」

「相手がいいと言ったからって乱用するものではない。お前への負担もある」


 透視、読心の上位技能たる“共鳴”

 相手の魂のより深い部分まで理解できる代わりに、自身の魂も相手に晒してしまう。

 今日初めて出会った相手に使うものではないのは確かだ。

 事実、ソフィアはイリスやクルスにすらそれを使ったことはなかった。


「ですが、得難いものに触れることができました」

「ふむ、何が視えたんだ?」


 背後の戦闘音が激しくなっていく中、少女は唇に人差し指を添えて兄に笑いかけた。


「秘密、です」


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