11話:ミハエル
「カイ君、ちょっくら鉱山までお使いを頼まれてくれんか?」
「依頼、か?」
ふらりとアルカンシェルのギルドハウスを訪れたオーヴィルの言葉に、応対したカイは思わず問いを返していた。
一緒にやって来たミハエルも傍らの祖父を見上げて首を傾げている。
オーヴィル・L・ディメテルはこう見えて白国の武器開発担当という、それなりに責任ある地位に就いている。
他国内とはいえ、懇意にしている鉱山の一つ二つあってもおかしくはないだろう。
だが、手紙を渡しにいくだけなら、態々冒険者に依頼する意味がない。適当な部下に頼めばいいだけだ。多少の怪しさを感じる。
カイは疑念の籠った視線を向けるが老兵はどこ吹く風とばかりに気にしていない。
「エルもお主らのギルド所属になったことだし、過保護な話じゃが最初の依頼くらい世話してやろうと思ってのう。どうじゃ?」
「……」
口ひげを撫でながら告げられた言葉に侍はしばし迷った。
自分一人ならどうとでもなるが、ミハエルを連れてとなると単独では守りきれない可能性がある。
言わずもがな、護衛や援護というのは侍の専門外なのだ。
「クルス達は今、学園だ。危険度が高いなら日を改めることを勧める」
「いやいや。世話になっている鉱山の管理人に手紙を届けるだけじゃ。そう危険なことにはならんじゃろう……多分」
「準備しっかりしとくね」
ミハエルが即座に付け足した。
この依頼は祖父が稀によくする無茶振りの類だと直感したのだ。
「賢明だ。俺は付いて行くだけでいいのか?」
「多少の手ほどきは頼みたいが、それ以上はカイ君の裁量に任せるよ。報酬は授業料込みで銀貨二十枚でどうじゃ?」
「……了解した」
二級ギルドの一人を護衛に雇うにしても些か過剰な値段だ。
無論、戦闘が無いこと前提ならば、という前置きが付くが。
それを分かっているのかいないのか、老兵はうむ、と満足そうに頷いた。
「そう言って貰えて助かった。鉱山は半日もあれば着く。一泊二日の旅行のようなものじゃな」
「……」
「もしものときの為に、ミハエルには“マイムⅠ”も貸すぞ。何事も経験じゃな」
「爺ちゃん……」
これで戦闘にならなかったら笑い話にすらならないだろう。カイは小さくため息を吐いた。
そんな侍の心中は露知らず、老兵はどこからともなく細剣を取り出して孫に気軽に手渡している。
細剣を受け取ったままがくりと項垂れるミハエルの肩を呵呵と笑う老兵が叩いた。
「歴とした依頼じゃからエルにも報酬を払うぞ。ニミュエスの嬢ちゃんにプレゼントでもするといい」
◇
行きがけにギルド連盟に確認したが、目的地の鉱山には特に討伐依頼は出ていなかった。
カイとしてはむしろ意外だった。魔獣級くらいはいるものと覚悟していたのだ。
「どうかしたの、師匠?」
歩きながら呆っとしていたカイをミハエルが見上げる。
あれよあれよという間にその場で出発が決まり、二人は帝都から出て三キロほど歩いた平原にいる。
思い立ったが吉日とは言うが、それにしても急過ぎる。
少年が何か――主に祖父についてだが――気に障ったのだろうかと不安に思うのも仕方のないことだろう。
「やっぱり急な話だったよね」
「気にするな。よほど相手がはっきりした依頼でない限り、その場で対処するのは冒険者の常だ」
究極的には、相手が分かっているならそれに見合った軍や騎士団を派遣すればいい。
冒険者に求められるのは即応性と多様性、場合によって専門性だ。
故に、依頼においてはどのような状況でも一定の対処が出来ること、最低でも情報を持ち帰ること、それらが必須事項だ。
「そういうものなの?」
「ああ。それより魔物の出現を警戒しろ。帝都から随分離れた」
「了解、師匠!!」
そう言って笑顔を向けるミハエルを見て、カイは微かな渋面を浮かべた。
「師匠もなしだ。普通に呼べ」
「そうなの? ……何で駄目なのか訊いてもいい?」
ミハエルとしては呼び方にこだわるつもりはない。
ただ、尊敬できる相手を兄や師匠と呼ぶのは当たり前だとも考えていた。
実際、傍から見ても、子供の言うことに何を一々突っ掛かっているのかと思われるだろうし、カイ自身にも自覚はある。
だが、それはカイにとって数少ない譲れない部分であった。
「俺はお前に“兄”と呼ばれるほど自己の裡を見せていないし、“師匠”と呼ばれるほどの指導もしていない」
「それは、そうかもしれないけど……」
突き放すような物言いに、ミハエルは思わず俯いた。
たしかに、会ったのはまだ数度。カイのことを理解しているとは言い難い。
それでも、自分の我儘に付き合ってくれた恩がある。
カイが何と言おうと、この心の中にある感謝は本物なのだ。
そんな少年の心情を察したのか、カイは静かに続きを口にする。
「ミハエル、俺はお前が思うほど上等な人間ではない」
紡がれた言葉にはどこか物悲しい響きがある。
カイにとって、家族とは“喪われた”者であり、師弟とは場合によっては“斬らねばならない”相手だ。
使徒としての役目。武を継ぐ者としての責務。騎士位を剥奪された今でもそれは変わらない。
「お前はお前の道を行け。今から俺に縛られる必要はない」
それはカイなりの激励だ。
ミハエルには未来がある。それが自分と道を同じくするかどうかはまだわからない。
だから、少年が己の行く末を決めるまでは、せめて自由でいさせるべきだろうと、そう思った。
「……うん、わかったよ、カイ」
「それでいい」
カイは頷き、そして、口の端を曲げて微かに苦笑を滲ませた。
「だが、お前が俺と並ぶくらいに強くなったら、兄でも師匠でも好きに呼べばいい」
「あ……うん!! 頑張る!!」
不器用な慰めに、ミハエルは笑顔を返し、歩みを再開した。
その日が来るのは、五年後か十年後か。未来はまだ決まっていない。
◇
そうして、目的地の鉱山まであと少しという所で、二人の足は止まった。
「居るな」
「い、いるね」
予想通りと言うべきか、鉱山への道を塞ぐように一体の魔物が居座っていた。
『ヘルハウンド』と呼ばれる狼のような外見の魔物だ。
全身は黒い体毛に覆われ、牛ほどもある巨体を山道へと続く道の真ん中に堂々と置いている。
こちらを警戒しているのか、黒い瞳は煌々と輝き、口からはチロチロと火が漏れている。
「今の所は一体か」
周囲を探ったカイが端的に告げる。
ヘルハウンドは単独ではそこまで危険ではないが、それでも駆け出しの冒険者が何も知らずに相手するには少々荷が重い。
「カイ?」
「暫し見ていろ、ミハエル」
言葉と共にカイが前に出る。軽く殺気を放って魔物を引き寄せる。
応じて、甲高い咆哮を上げたヘルハウンドが猛然と突進をかけた。
侍はそれをひらりと避け、次いで振り回される前脚を抜き際の刀で受け流し、噛みつきを一歩下がって回避する。
「こいつの攻撃は爪、牙、体当たり、そして――」
ヘルハウンドが大きく息を吸い込んだ次の瞬間、その顎門から大きく火を吹き出した。
目の前の空間を赤々とした炎が扇状に焼いていく。
「火を吐く。以上だ」
だが、その時には既にカイはミハエルの隣に着地していた。
ヘルハウンドを注視していたミハエルは侍を見失っていた為、隣から声を掛けられて若干驚いた。
「見えたな?」
「う、うん」
「戦いでは相手をよく見ろ。魔物には爪牙が、魔術士には杖が、戦士には剣がある。相手を制するには、相手の武器を制しろ」
何でもないことのように侍は言うが、それは今、カウンターを武器とする少年にとって最も必要なものであった。
少年もそれが戦士として足りなかった一ピースであると本能で察した。
「理解したな? では、やれ」
「倒せばいいの?」
無茶振りには耐性のあるミハエルが今度は驚きもせず聞き返す。
カイもまた当然のように頷きを返した。
「そうだ。四足獣系の魔物は生命力が高い。魔力結晶が出るまで攻撃の手を緩めるな」
「わかった。やってみる!!」
ミハエルが腰から細剣を抜き、小さな体に目一杯の勇気を詰め込んで進み出る。
魔物の多くは位階の低い相手を優先的に狙う。
ヘルハウンドも例に漏れず、カイと入れ替わりに前に出た少年に狙いを変えた。
一人と一体の視線の高さはほぼ変わらない。若干、魔物の方が高いくらいだ。
均衡からくる睨み合いが空気を緊張させる。
「――ガアアアッ!!」
(来た!!)
次の瞬間、静寂を破り、ヘルハウンドは全身を躍動させてミハエルに飛びかかった。
少年は咄嗟に左に飛び込むようにして避けた。
が、完全には避けきれず、袖を引っ掛けられて転びかけた。
あと少しでも避けるのが遅れたら体勢を崩され、勝負は決していた。
体勢を立て直しつつ、心中の予感にミハエルは腹の底が冷えていくのを感じた。
(これが、魔物……)
視線は外さず、ごくりと唾を呑みこむ。
後ろで見ているのと実際に受けるのとでは迫力が段違いだ。
黒い壁が迫って来るような威圧感に思わず足が下がりかける。
(駄目だ、ここで退いたら負ける!!)
少年のまだ未熟な戦士としての勘がそう告げる。
こちらは剣を突き立てないといけないが、相手は火を吐くことが出来る。中距離は相手の間合いだ。
故に、この間合いを外せば、躊躇なくこちらを火炙りにしてくるだろう。
(前に、出なきゃ!!)
幸い、ミハエルには加護『砕けぬ刃』がある。
一撃なら貰っても死には――
「死にはしない。そう思うのか?」
瞬間、背後から放たれた身を斬るような殺気にぞくりと肌が粟立ち、その身を竦ませた。
「カ、カイ?」
振り向かず問う声に応えはない。
だが、数秒して少年はおぼろげながら理解した。
伊達に一週間、カイの前に立っていた訳ではない。
侍に無駄はない。これも必要な一手、授業の一環なのだろう。
故に、少年は考える。魔物を前に緊張を途切れさせず、思考だけを加速させる。
背後から放たれた殺気は本物だ。
自分が無策で突っ込めば、次の瞬間に侍は自分ごとヘルハウンドを斬り殺すだろう。
だが、それはカイが冷酷だからではない。
(このままだと僕が負ける。そうなんだね、カイ)
死ぬ。このままだと間違いなく死ぬ。
その事実に思い至った時、逆にミハエルは落ち着いた。
何も分からない状態から、少なくとも負け筋は見えた。それだけでも一歩前進したからだ。
改めてヘルハウンドを観察する。
相手もカイの放った殺気に警戒したのか、喉の奥で唸りながら機を窺っている。
その姿は先程よりも小さく見える。否、これが本来の大きさなのだ。
相手に呑まれていたミハエルが勝手に大きく見ていたのだ。
落ち着いて見れば、相手の姿が、その一挙手一投足が明瞭に読みとれる。
(確かに突進力は厄介だ。けど、前脚の長さは剣よりも短い。体当たりは避けられる。なら――)
ミハエルは静かに一歩を踏み出した。
それを見たヘルハウンドが闘争本能に従って飛び出した。
黒い肉体が少年に向けて猛然と迫る。
だが、ぶつかる直前にミハエルの体が滑るように斜め前に動いた。
「――ハッ!!」
同時に両手で持った細剣を薙ぐようにして横一文字に振り抜く。
狙いは正確。交差する互いの動きを利用した一閃が相手の目を斬り裂いた。
未だ非力な自身の腕力に相手の動きを加算して威力を確保したのだ。
ヘルハウンドが小さく、しかし確かな悲鳴を上げて数歩後退する。
ミハエルは剣を正眼に構えたままジリジリと前に出る。
片目が血に染まり、ヘルハウンドの視線がブレる。あれでは正確な狙いをつけるのは難しいだろう。
目は浅く斬られただけでも視界が奪われる。単純ながら有効な戦術だ。
しかし、それだけでは勝てない。
魔物の生命力ならばそう時間をかけずに回復してしまうからだ。
故に前に出る。
勝負所が近いと本能が告げていた。
対するヘルハウンドは大きく息を吸い込んだ。火を吐く前段階だ。
――此処だ。
ミハエルの全感覚が勝機を読みとった。
「――“早駆”!!」
小足で間合いを詰めていた先程までから一転、敏捷強化を用いた全速力で剣の間合いに踏み込む。
相手は既に息を吸い込んでいる。今からでは行動を変えられない。
代わりに、一瞬でも遅れればこちらは火達磨になる。
だから、間に合わせる。
烈火の意志で以てミハエルは最後の一歩を踏みきった。
剣は刺突の型、切っ先はやや昇り調子。
渾身の一撃は過たずヘルハウンドの下顎に突き刺さった。
「アアアアァッ!!」
少年の足は止まらず、全体重を乗せて切っ先を押し込む。
細剣は下顎の骨を避けて上顎まで貫き、ヘルハウンドの口を強引に閉じた。
だが、一度引火させた火を止めることはできない。
結果、ヘルハウンドの頭部を中心に小規模の爆発が起こった。
視界を灼く炎が魔物の上半身を包みこむ。
狼に似た頭部の上半分が吹き飛び、下半分も焼け爛れた。人間ならば即死している程の重傷だ。
「まだだッ!!」
至近距離で爆発の余波を浴びつつ、しかし、ミハエルは止まらない。
相手はまだ死んでいない。切っ先から相手の鼓動が伝わってくるのだ。
加えて、前脚をこちらに向けて振り始めているのも視界の端で捉えている。
故に――
「――術式、起動“マイムⅠ”!!」
声と共に刀身の刻印術式に魔力を流し込み、魔導兵器を起動させる。
突き立てたままの刀身を覆うように水の刃が伸びる。
じゅ、と音を立てて高温に晒された刀身を水刃が冷ましていく。
「――“豪力”!!」
筋力強化をかけたミハエルが刺さったままの剣線を返し、横に斬り抜く。
焼き爛れた肉と皮を破り、露わになった水剣を肩の上で回すようにして振りかぶり、真っ向から振り下ろす。
教本通りのお手本のような一刀はしかし、それ故に力強い。
刀身の二倍近くまで伸びた水刃は音を立ててヘルハウンドを一刀両断した。
「……」
細剣を振りきったミハエルは倒れる魔物から数歩下がって残心をとる。
手応えはあったが、だからといって安心できるほど少年は剛胆ではなかった。
暫くして、ヘルハウンドの死体が四散し、赤い魔力結晶が零れ出た。
その段になってやっとミハエルは大きく息を吐き、細剣を鞘に納めた。
「他にはいないようだな」
背後からかけられた声にミハエルは「あっ」と声を上げた。
四足獣系の魔物は群れでいる場合が多い。
一体を倒したからといって、周囲の警戒を疎かにしてはいけないのだ。
「ちゃんと気を付ける。ありがとう、カイ」
「依頼だからな」
カイはすっとミハエルの横を抜け、魔力結晶を拾い上げ、改めて少年に手渡した。
「いいの?」
「お前の手柄だ」
「僕の……」
少年の手の中で勝利の証たる魔力結晶が鈍い光を発する。
宝石のような輝きも、剣のような流麗さもなく、決して美しいとは言えない。
だが、それが自分で力で手に入った物だと思うと感慨も一入だ。
「よくやった」
「あ……」
ミハエルの茶色の髪をカイの手がそっと撫でる。
手付きは不器用で、顔は無表情なままだ。
それでも、触れた掌から伝わる熱が心からの称賛を証明している。
「ちょっとくすぐったい」
「む、すまん」
「あ、嫌だったわけじゃないよ。ありがとう、カイ!!」
少年は太陽のような笑顔で告げる。
カイは眩しそうに微かに目を細めた。
ミハエルの笑みは少しソフィアに似ている。侍の秘かな発見だった。
「俺は手を貸していない。お前が殺し、お前が勝利した。それだけだ」
「……うん」
笑顔から一転してミハエルは神妙に頷く。
手にはまだ魔物を斬った生々しい感触が残っている。
「戦うってむずかしいね、カイ」
「それに気付けたのなら大丈夫だ。だが、依頼はまだ途中だ。行くぞ」
カイはそれだけ言って歩き出した。
侍の行く先、鉱山は高々とその威容を誇っている。
少年の体力では登るには根気がいるだろう。
それでもミハエルは黙って侍の背を追いかけた。
鉱山から吹き下ろす風が二人の頬を撫でる。
少しだけ錆のようなにおいの混じった乾いた風を受けながら、ミハエルは両の足で確と踏み込んでいく。
歩幅が違うからか、気を抜くと前を行く侍に置いて行かれそうになる。
だが、今は追いつけずとも、いつかは隣に立ってみせる。
少年は声に出さず、そう心中で己が奉ずる赤神に誓いを立てた。
それは、後に“竜騎士”の称号を授かる英雄の最初の一歩だった。




