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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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7話:対峙

 どれだけの間、静かにこちらを見返す美女と見つめ合っていただろうか。

 我に返ったクルスは自分が裸の女性を凝視しているという状況に思い至った。


「す、すまない!!」


 慌て背を向ける。

 そうして女性の姿を視界から外したが、脳裏には相手の生まれたままの姿がしっかりと焼き付いていた。

 優美なラインを描く肢体、ツンと上を向いた双丘、神が手ずから磨いた彫刻のような美貌。

 ソフィアやイリスを見慣れているクルスでも思わずはっとするような美女だ。


(……やはり、エルフ、なのか?)


 身体的特徴からすればそうだろう。外見年齢は二十代半ばのようにも思われるが、エルフならば外見と実年齢は乖離している。

 そもそも、ここが夢幻の世界だとするならば視覚情報をどこまで信用していいか分からない。

 その時、くい、と袖が引かれ、クルスは振り返った。


「どうかされました――」


 先ほどの女性が湖からあがってクルスの腕を掴んでいた。

 クルスは再び背を向けた。

 女性は裸の上から紗のような薄い羽衣を纏っただけの薄着だった。殆ど何も隠れておらず、服の意味を成していない。


 だが、相手に羞恥はないのか、とてとてと再びクルスの正面に回り込み、無言で地底湖の奥の道を指さした。


「先が……案内していただけるのですか?」


 こくんと頷かれる。

 ようやく精神的にも落ち着いてきたクルスは状況を整理することにした。


(現在日時は不明、体感的には試練の洞に入ってから二刻。場所も不明。おそらくは心象風景か、神樹の魂の中だろう。目的はリンドバウムの実の回収。方法は不明。手掛かりは――この人だけか)

「……その、貴女の恰好はどうにかなりませんか?」

「――?」


 何かおかしいのかと首を傾げる相手に何を言えばいいのか、クルスは眉間を押さえた。

 鎧を装備できるのならマントも呼び出せるだろうかと念じてみるが、何も起きない。多少の理不尽を感じた。


(まあ、他に誰もいないし俺が気を付ければいい、のか?)


 ひとまず、目の前で無表情に――どことなく不安そうに見える――佇む女性に対して騎士は丁寧に一礼した。


「はじめまして、自分はクルス・F・ヴェルジオン。クルスと呼んでください」

「――クルス」

「そうです。良ければ、貴女のお名前を教えていただけませんか?」

「名前」

「はい、名前です」


 女性は一度目を閉じた。訊かれるまで自分に名前があることを知らなかったのだ。

 それでも、多少時間をかけて記憶の底から自分の名前を引きあげた。


「――名前、シオン」

「シオン、ですか。良い名ですね」


 シオンは無言で頷いた。どことなく達成感のある表情だ。

 無口な人だと思いつつ、しかし、言葉が通じるならどうにかなるだろうとクルスは前向きに考えることにした。


「自分はリンドバウムの実を取りに来たのですが、何かご存知ですか?」

「――試練」

「試練を乗り越えろということですか?」

「――案内、試練」

「特定の場所で試練が行われるのですか?」

「――いく、一緒」


 そう言ってシオンはさっさと歩き出してしまった。

 足下は岩ばかりで素足では怪我するのではないかと危惧したが、シオンはまるで宙に浮いているかのように軽やかに進んでいた。



 ◇



 それから休息を挟みつつ、二人は体感で十日間ほど一緒に旅を続けた。


 不思議な旅だった。


 魔物はおらず、伴は無口な女性だけ。

 清らかな川に沿ってひたすら下っている道行なので、喉が渇いた時は潤し、気が向いたら体を洗い、疲れたら共に眠る。


 最初はシオンへの警戒心もあって寝ずの番をしていたクルスも、何日かしてその無意味さを悟った。

 そもそも、警戒対象のシオンがさっさと寝てしまうのだから不毛もいい所だ。

 加えて、ほぼ裸で洞窟の地べたにそのまま寝転がる姿があまりに痛々しいので、三日目くらいから腕枕をしていた。


 クルスとしても簡単に気を許し過ぎたと思わなくもない。

 だが、そうしなければクルスは完全に孤独になっていた。この空間に来てから何の生き物の気配も感じないのだ。

 自分たち以外にはヒトどころか虫の一匹すらいない無の空間。シオンがいなければ耐えられなかっただろう。

 

 逆に得たものもあった。気配のない状態に慣れたことで、逆に僅かな気配を感じられるようになった。

 視野が広がったと言うべきか。心を覆う鎧となっていた警戒心を解くことで、今までよりも多くの物を感じられるようになった。

 人間とは不思議なもので、気を張って注視するよりも、大きな視点で見渡していた方が最終的に見落としが少ないということを悟った。


『段階が違うだけ。気付くか気付かないかの違いだ』


 いつか、■■に稽古をつけて貰った時に言われた言葉を思い出した。

 ほんの半年前のことなのに、もう何年も前のことのように思える。


(これが、お前の言っていたことなのか、■■?)

「――?」

「ああ、すまない。仲間のことを考えていたんだ」

「――仲間?」

「たしか、ギルドを作った所までは話したな。仲間とはそのメンバーのことだ。妹のソフィアと従者のイリス、それにサブリーダーの■■だ。皆、気のいい者らだ。機会があればシオンにも会わせてやりたい」

「――仲間、冒険」

「冒険の話か。そうだな、順を追って話そうか。初依頼はオークの討伐だったのだが――」


 旅の中でいつしかクルスの口調は砕けたものになっていた。シオンがその方が喜ぶことに気付いたからだ。


 シオンは無口な性質だが、だからといって無感動と言うわけではない。

 むしろ、僅かな表情の違いで豊かな感情を表していた。騎士もその顔を見ると言いたいことが何となく分かった。


 会話は基本的にクルスが話し、シオンが頷き、時に驚きや感動を表情にしながら聞くという形で続いた。


 何日も共にいるとはいえ、普通ならクルスはこうも明け透けに自分たちのことを話したりはしない。

 だが、シオンには何故か話してもいいと思えた。それが悪いことではないと感じていた。

 それはシオンのエメラルドの瞳が純粋無垢なものであったからであり、そして、彼女がクルス自身の為に話を聞こうとしているのが伝わったからだ。


 クルスは自分がいつの間にか肩の力を抜いて、自然な表情でシオンと話していることに気付いた。

 肩が触れる距離が心地よく感じられる。


 それに、少しずつ表情が変わるシオンの様子はまるで本を捲っているようで、次にどんな表情になるのか楽しみにもなってきていた。

 シオンは騎士からすれば少し遅めのペースで歩くので、時間と体力には十分余裕があり、歩きながら色々な話をした。

 これほど長い間、誰かと話したのは初めてだった。



 ◇



「――クルス、みんな、好き?」


 日が沈み、籠手を外したクルスの腕を枕にして横になったシオンが、互いの息がかかりそうな距離から問いかけた。

 エメラルドの瞳には無垢な輝きが灯っている。

 クルスは、とも、クルスを、とも取れる問いだが、シオンの表情から前者だろうと騎士は察した。


「……」


 そして、答えに窮した。


 シオンの問いはクルスが目を逸らし続けていたものだ。

 ソフィアが心の内の“盾”と称したその中に隠されていた騎士のエゴだ。


 明かりもない夜の帳の中で、シオンは騎士をじっと見て、静かに返答を待っている。

 暫しの沈黙の後、クルスは正直に答えた。


「……俺は守りたいと思う人々の全てを好いている訳ではない」


 誤魔化すことも出来ただろう。

 だが、ここまでの旅路を偽りなく共にいてくれたシオンに嘘を吐きたくなかった。


 騎士は夜空を見上げながらぽつぽつと学園に入ってからのことを語り始めた。



 それは二年前、ソフィアたちの入学する以前のことだ。

 クルスは講義を手早く片付け、ひたすら依頼を受けていた。他者を助けること、それこそが自分のすべきことだと己に言い聞かせていた。

 普通の冒険者が週に二つ程度の依頼を受ける中、クルスは一日に三つの依頼を受けていた。

 寿命を削りかねないペースだったが、幸か不幸か、騎士にはそれをこなせるだけの能力があった。

 多少足りなかった分は“己の身を削って”埋め合わせた。


 そんな騎士の姿勢に感化されてパーティを組んでいた者もいたが、じきにクルスのペースについていけなくなって離れていった。


 騎士にはそれが理解できなかった。

 困っている人を助ける為にと集まった筈の仲間が、何故、依頼があるのに躊躇するのか。


 騎士は一人になっても止まらなかった。

 何度となく傷つき、鉄鎧も砕け、それでも戦い続けた。

 他者の為、他者を守る為に。


 誰もが彼を“憧れ”というカテゴリーに押し込み、その心の理解を放棄した時、騎士は完全に孤立した。


 そして、その段になってようやく気付いた。

 誰もが、己よりも他人を優先する訳ではないのだと。


 そして、理解した。

 自分はただ、誰かを守れていればいいのだと。対象が誰かなどと関係なかった。ただ守りたかっただけなのだと。

 だが、理解しても止まれなかった。坂道を転がるように依頼は倍々に増えていた。

 そうして、騎士の暴走はソフィア達が入学するまで続いた。



「これは俺の我儘なんだ」


 自嘲するようにクルスは告げる。

 ■■が誰彼構わず斬り捨てられるように、自分はそうと決めたら誰でも守る。

 分け隔てなく、平等に。

 感情ではなく、義務に由来するが故に。


 だから、そこに愛はない。


「――――」


 語り終えたクルスをシオンは変わらず、エメラルドの瞳で見つめていた。

 そして、小さく、ほんの僅かに微笑んだ。


「シオン? 何かおかしかったか?」


 その笑みは慈愛の笑みだ。

 だが、クルスには何故、自分にそのような笑みを向けられるのかわからなかった。


「――クルス、やさしい」

「……それは、無差別ということか?」


 かつて、■■の心技を妹が同じように評した時、クルスはそう危惧した。

 だが、シオンはふるふると首を横に振って、その問いを否定した。


「――クルス、弱い人、守ろうとした」


 シオンは心のままに言い募る。

 表情こそ変わっていないが、言葉がうまく出ないのがもどかしいのか、目尻には微かに涙がにじんでいる。


「――見捨てられた人、救おうとした」


 違う。そんな大層なものじゃない。

 そう言おうとして、しかし、騎士は言葉が出なかった。


「――善意で、善をなす」


 たどたどしく紡がれる言葉に圧倒されていた。

 一言一言に込められた“熱”に心が震えた。


「――わがまま、ちがう、あなたは、やさしい」


 気付けばクルスの目から涙が零れていた。

 高尚な理由などない。ただ、肯定されたことが嬉しかった。そんな子供の理屈で流した涙だ。


 そうして声もなく涙を流すクルスをシオンはそっと胸元に抱き寄せた。

 触れる人肌の暖かさに、クルスはここ数年ずっと強張っていた心が解れていくのを感じた。


「――よしよし」


 自分を包む柔らかさが、頭を撫でる手の優しさが、唯々愛おしかった。



 ◇



 あくる日、のんびりと歩く二人はいつしか青々とした草原を歩んでいた。

 空には雲がかかり、風は少し冷たい。

 クルスは試練の場所が近付いたことを予感した。


「――クルスは、太陽」


 ふとシオンが呟くように告げた。


「――シオンは、心、知った――あたたかい、クルスのおかげ」

「……それはきっとお前が隣にいたからだ」


 それはクルスの偽らざる本音だった。

 シオンの存在は雁字搦めになっていた騎士の心を僅かだが解していた。

 それは、仲間の誰にもできなかったことだ。


 英雄に至る者は皆、孤独になる。


 英雄は他者と歩調を合わせていては登れない、それぞれの頂きを目指している。

 その為にいくつもの荷を捨てていく。


 ソフィアは他者との共存性を、イリスは触れ合いを、■■は人間性を捨てたからこそ――あるいは捨てざるを得なかったからこそ――其処に至った。いつかは英雄級にも届くだろう。


 だが、それはクルスの道ではない。全てを守る。この手の届く限り何も失わせない。それが騎士の選んだ道だ。

 何かを捨てた者には支えることのできない道行きだ。


 故にただ一人、何もない世界で、何も知らないシオンだからこそ、その道を不可能だと断じずに肯定できた。


「――うん」


 共に旅する中ではじめてシオンが満面の笑みを浮かべた。

 そのどこか儚げな笑みにクルスの心は確かに惹かれていた。



 それっきり会話も途切れ、沈黙したまま草原を歩いていると、不意に目の前に大樹が現れた。

 年を経た木のにおい。■■と初めて出会った場所にどことなく似ている。


 大樹を見上げるシオンの表情はどこか寂しげに見える。


「――心、うまれた、シオンが“はじめて”――クルス、すごい――でも、選択、辛い」

「辛い選択があるのか?」


 クルスの問いにシオンはふるふると首を振る。


「――辛い、クルス」

「俺が?」

「――ごめんなさい」


 微かな悲しみを浮かべてシオンは歩を進める。

 追い越され、背中を向けられたクルスにはそれ以上シオンの表情が読めない。


「待て、シオン。それはどういう意味だ?」

「――試練、はじまる」


 問いに答えはなく、シオンが指さした先にソレはいた。



 ◆



『案内人は本人の魂の質によって選ばれる。緑神の領域でオレの所までお鉢が回って来ることは稀だ』

「……」

『特にお前はモンクでもあるっていうのにな。頭の中、マジで剣のことしかないんだろう?』

「……」

『ま、それについてはオレ達は同類としか言いようがないけどな』


 勝手気ままに話す仮面の男の背を追って、無言のままどれだけ歩いただろうか。

 カイの脳裏をふと疑問がよぎった。

 体感で一週間近くは歩き続けた気がするが、もっと長かったような気もする。

 我に返るまで、既に数えるのをやめて黙々と足を進める作業に没頭していた。


 いつからだろうか、気付けば辺りは荒野ではなく、青々とした草原に変わっていた。


『さて、オレはここまでだ。またな、後輩』


 草原を認識した瞬間、仮面の男は捨て台詞を残して、ふっと消えてしまった。


 カイは男の消えた場所を暫く見ていた。

 アレはあの男の生前の姿だったのだろう。聖域では時にそのような奇跡が起こるという。

 だが、次に剣を交わす場があるなら、その時は斬る。手抜きなどさせない。

 秘かな決意を胸に侍は先に進んで行った。



 そのまま暫く草原を進んでいると、どこか懐かしい気配のする大樹が見えた。

 その麓にはゴーレムのような鋼の巨人と羽衣を纏った女が立っていた。


 女はエルフの特徴を具えている。気配は感じられないが、敵意も感じない。

 対して、ソレを護るように立つ巨人は警戒も露わに、全身から戦意を発している。


 視界に捉えたのは、金属を削って拵えたような繋ぎ目のない巨体。

 手には同質の盾と剣が握られ、その全身を構成する黄金の輝きは不壊金剛(アダマン)の輝きを想起させる。

 不壊金剛(アダマン)至高白銀(オリハルコン)と並ぶ最高級の金属だ。

 魔力との親和性はオリハルコンに劣るが、強度に関しては他の追随を許さない、まさに最硬の希少金属といえる。


 この魂の世界で頭の先から爪先まで全てアダマンで出来ているということは、そのまま魂の位階における存在強度の高さを示していると考えられる。

 果たして、ヒトのままの自分が勝てるのか、カイにはわからなかった。故に――


「――怖い、か」


 その身は闘いの予感にぶるりと心が震え、戦意を深くする。

 体内であらん限りの気を練り上げ、静かに刀に手を掛ける。


 生半可な相手ではない。その全身から発せられる太陽の如き輝きからそう判断する。

 ここが夢想の世界なら、魂の強さがそのまま強さとなる。

 アダマンが相手の心の現れならば、こちらも心を強く持たねば一合と持たず叩き伏せられるだろう。



 ◆



「あれは……?」


 クルスは彼方からやってくる何か(・ ・)をじっと見ていた。


 全身から鱗のように刃を生やし、両手の先がそのまま剣となった人型。

 頭部さえも無数の刃に覆われているが、身を切るような鋭い視線が確かにこちらを捉えている。

 さながら刃の魔人といったところか。見たことのない存在だ。


 しかも、歩き方からして既に練達の武人であることが窺える。

 騎士は最大限の警戒を発する。強い。途轍もなく強い相手だと魂で理解した。

 纏う剣気だけで死が連想される。一瞬でも隙を見せれば一太刀で斬り殺されるだろう。


「シオン、奴を倒すのが試練か?」


 シオンは黙って首を横に振った。


「違うのか。さりとて、言葉が届いているようには見えないが……」


 ここまでクルスを連れて来たきり、シオンは沈黙している。

 だが、その雰囲気からここが目的地なのだろうとクルスは察した。

 意を決して問う。


「ここで何をすればいい?」

「――気付く、真実」

「シオンはどうする?」


 何故か、どうなる、とは聞けなかった。


「――クルスの、心のままに」


 淡々と発せられた言葉はただ騎士を肯定していた。

 だが、シオンは涙を堪えている。騎士はそう感じた。


 その涙を流させてはならない。騎士は覚悟を決める。


「――なら、俺はお前を守る。それを試練の答えとしよう」


 他に自分が出来ることはない。

 そんなクルスの誓いに対して、シオンは困ったように、しかしどこか嬉しそうに微笑んだ。

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