2話:邂逅・前編
それは今より半年ほど前、とある妹と従者が学園に入学し、兄と再会した頃の一幕。
季節は春。学園には新入生が溢れ、早速ギルドに勧誘されている者もいる。
だが、学園から離れたこの場にはそんな浮わついた雰囲気は欠片もない。
「……」
草原で一組の男女が無言で向かい合っている。
互いの手には真剣。刃引きもされていないし、寸止めする気もない。
男に合わせて女は魔法を封じているとはいえ、互いに殺されることも覚悟した上での立ち会い、死合である。
殺意と緊張感が場を包み、それに合わせるように二人は静かに構える。
女は刃を寝かせた片手平突きの構えを取り、対峙する男は無造作に諸手上段を取った。どちらも受けや牽制を排した一撃必殺の構えだ。
本来、特攻に等しいそんな構えは防御力の低いサムライでは自殺行為だ。しかし、この二人に限って言えば、これこそが――これだけが最適解である。
相手が動いた時には既に自分の心臓を刺し貫かれている。
相手が動いた時には既に自分の脳天が叩き割られている。
二人の狙いは一致している。すなわち、最速からの一撃必殺。それを直感で、本能で、全身で理解している。
防具すら着けていない。そんなものでは相手の攻撃は防げず、邪魔にしかならない。
牽制など挟もうものなら次の瞬間に命脈は断たれ、闇雲に動き出せば間合いを潰されて終わる。
互いの腕は大陸でも有数の域に達している。読み合いの負けを技術で覆すことはできない。それ程に二人の腕は拮抗していた。
故に静止する。呼吸も僅かな動きも悟らせず、ひたすらに機を窺う。一瞬、相手を追い抜く刹那を求める。
そうして半刻近くが流れた。互いの実力が抜きんでいているが故の均衡。しかしそれも直に終わる。
その時、一陣の風が二人の間を吹き抜けた。
好機。
互いの直感が勝負の瞬間が訪れたことを告げる。
「シィッ!!」
「――ッ!!」
先に動いたのは女だった。
間合いを合わせ、機を読み、踏み込み、全身加速から突き出す一刀はこれ以上ない会心の一撃。
おそらく、この瞬間、この大陸で最も速い一撃は過たず英雄すら貫く――筈だった。
――――風が吹いた、気がした。
次の瞬間、倒れたのも女だった。
一撃で右鎖骨を砕かれ、衝撃が全身を突き抜け、立つこともできない程の激痛がその身を苛む。
全てにおいて勝っていた筈の女はしかし“早さ”というこの勝負で最も重要な要素においてのみ負けた。
倒れたまま仰ぎ見れば、残心を取る男の胸から血が染み出し道衣を汚している。出血量からして致命傷には遠いだろう。
男は負傷した。しかし女はまだ突きを完全には放っていなった。
切っ先が相手に触れればその時には心臓を貫通させている自信が女にはあった。
女が刺した訳ではない以上、その傷は男が自ら刺したが故に他ならない。
男はあろうことか女の刺突を無視し“刺し貫かれながら”踏み込んだ。
そうして自らの最善の間合いを確保し、心臓が貫かれるよりも早く一刀を振り下ろしたのだ。
確かに男は最速を選択し、実行した。
だが、それは既に狂気の域に達した所業だ。他の誰に真似ができようか。
「感謝、する。カイ・イズルハ……」
息も絶え絶えになりながら女は声を絞り出して礼儀を果たす。挑んだのは自分。ならば締めるべきも自分だろう。
女の頬には一筋、涙が流れている。
男は女の涙の訳を理解している故に、何も言わず頷いた。
悔し涙は立ち会いに敗北した為ではない。そんな不様は晒さない。
この涙は自分に敗北したが為のものである。
女は男の一刀が頭上に迫った時、反射的に頭を傾けて振り下ろされる剣の根元を肩で受けた。
斬られぬ為、急所を避ける為の咄嗟の負傷制御。戦場で培った当然の反応だ。
しかし、その一瞬の動作が無ければ相討ちに持ち込めていた。あるいは女の方が早かったかもしれない。
女は敵を討つよりも死なないことを優先した。それは決して間違った選択ではない。その反応によって戦場で生き残ってきたのだから。
でなければとうの昔に死んでいた。
だが、今回はそれ故に負けた。早さではない。女は覚悟において敗北した。
「すまない。苦労を、かけ……」
気力が尽きたのか、女はそのまま気絶してしまった。
遠くで鐘が聞こえる。新入生を歓迎する祝福の音が勝者と敗者へ平等に降り注ぐ。
こうして出来た二人の縁が再び意味を持つのは半年後、夏を過ぎて秋を待つことになる。
◇
白国と赤国の国境近くに冒険者養成機関、ルベリア学園はある。
百年前から続投中の初代学長にして現学長のローザ・B・ルベリアが政治的介入を嫌い、さらに広大な土地を確保する為にこのような辺境での立地となったという。
おかげで学園敷地内には教会、施療院、工房、商業区、図書館、闘技場などの都市に匹敵する設備や、巨大湖、山林、さらには遺跡といった鍛練用の地形まで完備されている。
その上で、辺境ではあるが交通には相応に気を遣っており、両国首都まで街道が整備されているので不便は感じない。専用の馬車で丸一日とばせばどちらへも辿り着ける。
丁寧に舗装された街道はひっきりなしに馬車が往来し、ドワーフの建築家が粋を尽くした白薔薇を象った学園正門を行き来していく。
その奥を見上げれば王城に迫る高さを誇る四つの塔が見える。中腹をアーチ状の連絡橋で繋がれたそれらは各々に武術、魔法、技能、錬金の塔と銘打たれ、殊に実戦的な技術に関しては大陸でも最高峰の修学環境を誇る。
四大国から国軍に匹敵する軍事組織とも見られている学園だが、実際にここを卒業して各国に仕官する者も少なくないと言うこともあって、奇跡的なバランスの上で存在を許されている。
また、各国の軍事学校と比べたら有り得ないほど開放的な気風で、必要分の金銭さえあれば人種、生い立ち、“種族”の区別なく誰でも入学できる。
授業料も破格に安い。ただし、自分の適性に応じて選択する講義とは別に、提携先のギルド連盟からの依頼を受けなければならないが。
先日のクルスたちが受けた依頼もギルド連盟から齎されたものだ。
「……少し、寒くなってきたな」
武術の塔を出たクルスは空を見上げて呟いた。講義が終わり、使用した模擬戦装備を倉庫へ片付けてきたところだ。
大陸のほぼ中央に位置する白国は一年を通して温暖な気候が続くが、それでも冬に近づけばさすがに肌寒くなる。
(北方に行く時は気を付けなければ。特にソフィアはふとした時に体調を崩す)
とりとめのない思考をしながら、その足で寮に戻りソフィアとイリスと合流する為に装備を整える。炎熱魔法に背中を晒すことになった鎧はまだ修理中だ。
今日は戦闘の予定はないので剣を鞘ごとベルトに差し、耐刃ジャケットを羽織っただけで着替えは完了する。
部屋を出て、すれ違う知己の寮生に挨拶を返しながら集合場所へ向かう。
講義は依頼を受ける学生に考慮して融通が利くように設定されているのでパーティで集まるのに不都合はない。
女性寮にて同室の二人は元より一緒に行動することが多いし、何となく三人で集まったり、街に出てちょっとした雑用の依頼を受けることもある。
ただ、今日は別件だ。
「スカウトか……」
今日の集まりの主題である。パーティメンバーの拡充。それがいま彼らを悩ませる問題だ。
先日の一戦でも明らかであったが、既にパーティとして限界が見えていることはクルスも理解していた。
クルスは前衛の騎士。
敵の攻撃を引き付け、後衛を守るクラス。近接戦闘もある程度できるが、真骨頂は足を止めての防衛戦にある。
イリスは中衛の罠回避や生存術の専門家である野伏。
能力は純戦闘職よりも控えめだが、戦闘中は弓による撹乱と高い機動力で前衛後衛を支援するパーティの要たる役目である。
ソフィアは後衛の魔術士兼施術士。
豊富な魔力で治癒魔法と攻撃魔法両方を連発できる。代わりに敏捷と物理攻撃力に欠ける完全な後衛型である。
三人の能力が低い訳ではない。学園内ではむしろ高い方だ。事実、ソフィアとイリスが入学してから自分達だけで大半の依頼をこなしてきた。
しかし、依頼の危険度が上がるにつれて三人という少人数の欠点が浮き彫りになってきたのもまた事実だ。
まず継続的な攻撃力に欠ける。クルスは防御、防衛に力を割くし、イリスは弓という間接武器の性質上どうしても狙う動作が入る。ソフィアも詠唱という手間があり、魔法攻撃と回復を兼任していることで手数も制限されている。
どれだけフォローしあっても攻撃の“隙間”が空いてしまうのだ。
その上、敵の数が増していくにつれ、クルスは防御に、ソフィアは回復に注力しなければならなくなり、攻撃の比重が更に低下してしまう悪循環に陥っている。
(ともあれ、俺達にも問題がある)
危険を呑んで今まで三人でやってきたのにも理由がある。
――クルス・F・ヴェルジオン、青年のフルネームだ。
白国においてミドルネームの“イニシャル”は教皇との血縁関係を示す貴族の証である。
ヴェルジオンは六等家。加えて白国建国から存在する旧家だ。そのしがらみは家から離れる為に入学したこの学園でも付いて回る。
貴族という出生、加えてソフィアの特異性の問題もある。
客観的に見て実力以外の部分で組みにくい要素が多く、向こうからやって来た場合は色々と疑わねばならない。
(ままならんな。どうするべきか)
考えがまとまらない内に足は目的地に着いていた。集合場所である図書館前の芝生を見れば既に二人の姿があった。
じっと中空を――おそらくは大気中の魔力を――みているソフィア。
寄って来た小鳥に笑顔でパンの切れ端を与えているイリス。
二人の美貌と相まってそこだけが絵画の中のような幻想的な光景だった。道行く学生が時折足を止めて注視している。
あそこに飛び込むには少々勇気がいるな、と苦笑する。
ともあれ突っ立っている訳にもいかない。クルスは咳を一つして歩き出した。
「すまない、遅くなった」
「お、来たね。私たちもさっき授業終わったとこだよー」
近づいてきたクルスに驚いたのか飛んでいく小鳥に手を振りながら答えるイリス。
「…………あ、兄さん」
「ソフィア。お前は……」
イリスとの応答から明らかに時間がかかってからやっと目の焦点が合うソフィア。
兄としては魔法の才能と引き換えにやや浮世離れした妹の将来が心配になる所だ。
「いつも言っていることだが、もう少し周囲に気を配ってくれ。見ていて不安になる」
「イリスが隣にいるからだいじょうぶです」
「それは……そうだが」
断言するソフィアと言い淀むクルス。兄妹の関係は概ねいつもこの状態だ。
クルスはどうにもこの純粋すぎる妹に口で勝てる気がしない。
そんないつも通りのやり取りを見ていたイリスがからからと笑う。
「妹可愛がりして過ごすのもいいわねー」
「いいわけあるか。今日はパーティの拡充を相談する為に集まった筈だ」
「……本気で人増やすんだ」
笑顔から一転、イリスは真剣な表情になる。
二人の従者であり、護衛である彼女は当然、この件に関して慎重だ。
「前衛が俺ひとりでは安定しない。俺達だけでいけるのはこの辺りまでだろう」
「まあ、依頼を選ぶにも限度があるからね」
先日も前衛がもう一人いればああも苦戦することはなかっただろう。
ルベリア学園は入学するのは容易だが、卒業まで相応の実力を求められ、それを示さなければならない。その為、学園から実力に応じて割り振られた依頼を拒否し続けると罰則を受ける。
「それに“防衛戦争”も四人以上でないと出られないしな」
「まーたやり辛い時期に来ちゃったけどね」
彼らの予定としては後期入学を待って四人目のメンバーを募集しようと思っていたのだが、思わぬ時期に大規模依頼が発生してしまったのだ。
防衛戦争とは大陸北方の数か所で定期的に起こる魔物による大規模襲撃だ。
彼らは何かに誘われるように数年に一度か二度、数千体規模で南下し、目につくもの全てを破壊していく。
とても一国二国で対応できる規模ではない為、国が学園とギルド連盟に援軍を要請するのだ。
今回襲撃を受けるのは赤国と白国の国境地帯。ヴェルジオン家の所領からもそう遠くはない。
領民へ危険が及ぶ可能性もある。これは人類の生存圏を守る為の戦争なのだ。戦列に加わり、無辜の民の盾となるのは貴族の義務だとクルスは考えている。
「とにかくパーティの拡充は急務だ。防衛戦争だけではない。最近の魔物の活発化の問題もある。これからは討伐依頼も増えてくるだろう。
だが、先日のように他ギルドと組んでもうまくいかないこともある」
「護衛の私の立場からすると、できれば時間をかけて身元もはっきりとした人物を仲間に加えたいんだけどね。募集かけてもロクなの来ないし」
「……今まで結果を聞いたことなかったな。どうだったんだ?」
「クルスかソフィアに近づきたいだの、ヴェルジオンの家狙いだのばっかりよ」
「……」
「前途多難ねー」
「まずは教務部の掲示板を見てみますか?」
脈絡なくソフィアが先を促す。言い合いながらもクルスとイリスの心中でスカウトするのは確定している。それを“視た”のだ。
その言動にクルスが顔を顰める。
「ソフィア、人の多い所で心を読むな。また倒れるぞ」
「……すみません、兄さん」
クルスも一応といった感じで窘めるが、それが無為であることは理解している。
妹は“神に愛されている”
膨大な魔力とそれを繰るに足る精神力に魔力を視覚化できるほどの高い感応力。
それらを以ってすれば、外界とは別世界とまで言われる体内の魔力循環はおろか、その魂すら視通すことができる。
ただ、本人も好きでやっている訳ではなく、感応力が高すぎる為に意識して抑制しないと勝手に視えてしまうのだ。
ソフィアにとって目が見えること、音が聞こえることと魂が視えることの間に大差はないのだ。
だが“読心”の類は犯罪者の尋問などに使われるものであり、忌避感を抱く者も多い。未だに実家でもソフィアに近づきたがらない者もいる。スカウトに消極的な理由の一つだ。
「ま、それはいいとしてさ。スカウトの方針を決めよう」
「方針、ですか?」
「そ。いま欲しいのは前衛でいいよね?」
「そうだ。後衛もひとり欲しい所だが、まずは前衛の薄さをどうにかするべきだ」
「となると……」
主要な前衛クラスは戦士、ナイト、サムライの三種だ。
ファイターは機動力と汎用性、ナイトは各種障壁の展開による防御力、サムライは武器の特殊能力を引き出す“刀気解放”による爆発力がウリだ。
他にも候補はあるが、その多くが本人の特質による発展系で学生にはいないとみていい。
「バランスを考えるなら戦士かサムライ。クルスが敵を引き付けるから攻撃速度重視でいいよね?」
「その辺りに目星を付けておこう。だが防衛戦争がある以上、補充要員はもういないかもしれないな」
「探してみなければ分かりませんよ、兄さん。早速いきましょう」
◇
それから数時間が経ったが、彼らと組もうという人物は見つからなかった。
理由はクルスが考えている以上に深刻だ。
まず彼らは学園生としては卓越して個々の位階が高い。
この大陸において、神との契約者同士は互いの位階をある程度察せられる。
同様に、魔物は本能的に此方の力量差を察し、弱い相手を積極的に狙う。前衛間で一見してわかるほどの差もあれば集中的に狙われる。
そもそも、入学して半年も経てば普通はどこかのギルドに所属しているのが普通だ。
三人だけでギルドにも所属せずにここまで成長できたクルス達が異常なのだ。
加えて、クルスとソフィアが白国貴族の一員であるということも拍車を掛けている。すなわち貴族と繋がりを持ちたいか、あるいは面倒事を避けたいかに二分される。
「ぱっと見た感じで脈があるのはナイトのフォレスと君主のパトリックね……。ただ、フォレスはクルスよりもさらに遅いし役割が被る。これ以上攻撃間隔が空いたら本末転倒ね」
「フォレスはナイトを前面に並べた制圧戦闘を意識しているのだろう。遊撃に近い俺達とは合いにくい」
「そういうこと。で、もう一方のロードは後衛だし。まあ、私が前衛を兼ねればいいんだけど安定はしない。
それにパトリックはソフィア狙いの色ボケみたいだし、命預ける相手じゃない。護衛としてもオススメできないかな」
「狙われていた?」
「気付いてなかったのね……食事誘われたじゃん。断ってたけど。目つきもちょっといやらしかったし。胸とかじろじろ見てたよ」
「誇れるほどの胸では……」
ソフィアが自分の胸元を見下ろす。ない訳ではないが、隣のイリスと比べると明らかに小さい。
共に寝起きし、同じ物を食べているのと言うのに不思議な話である。
「ソフィアはこれからに期待よ」
「ふむ、兄としてもあまり歓迎できないな」
冗談めかしてクルスが言う。
「兄さんは妹が恋愛するのを禁止するのですか?」
「相手によるな」
「へー。ちなみにどんなのだったらいいの?」
「貴族が関係ない相手が望ましいな」
「あ……兄さん……」
それはふと零れた兄の本音だろう。言った本人もしまったという顔している。
ソフィアを家に縛られずに育てる為にクルスが払ったものは少なくない。本来、貴族の娘で十六歳ともなれば許嫁がいてもおかしくはないのだ。
「ごめんなさい。ソフィアは生意気を言いました」
「俺自身がやるべきだと感じたからやっているだけだ。お前が気にする事じゃないさ」
「はい……ありがとうございます、兄さん」
そういって儚げに微笑みを浮かべる姿は神話に聞く白の女神のように美しい。白国の貴族界でも天上の美しさと噂される程の美貌は同性のイリスでさえ溜息を吐く程だ。
その高嶺の花然とした姿が余計に彼らのパーティを取っつき辛くしているのも事実だが。
「と、とにかく普通に勧誘しても埒が明かないなら、教官方の手を借りよう。手すきの人を紹介してくれるかもしれない」
わざとらしく場を切り替えるとクルスは率先して歩き出した。
時間もあまりない。今日はこれが最後の勧誘になるだろう。
◇
教官控え室に着いたクルスたちは程なくして目当ての人物をみつけ、訳を話した。
「お前たちと同程度の前衛をひとり、ねえ」
一通り話を聞いたキリエ・ノーステン武術担当教官は思わずぼやいた。
指導は肉体言語で賛否両論だが、美人で誰に対しても面倒見がいいので若手教官の中でも人気が高い。すなわち学生相手に顔が広い。その上、サムライとしての腕も大陸屈指。
クルスとイリスは講義を受けたこともあって、面識もある。教官に訊くにあたって最初に頼るのも当然と言える実力と見識の持ち主だ。
「お前達と組むとなると並みの相手では難しいな」
「多少の差ならパーティを組んだ後にこちらで何とかします」
「いや、それは無理だ」
キリエはきっぱりと断言した。
「“位階”は実力に直結する。神の眼は誤魔化せん」
位階はその者の能力から導き出される公平無私の基準であり、人間が偽ることは不可能だとされている。
長ずれば英雄級、英霊級、武神級と別領域の位階へと成長する可能性もある。
「同じ期間で、ほぼ同じ環境で差ができたのだ。そうそう縮まることはない。
位階をひとつ上げるのにいくつの闘いを乗り越えなきゃならんのか分からんお前達ではあるまい」
「それは、そうですが……」
位階をあげるには自分達以上の位階にある相手を倒すか、死に瀕する経験をすることが必要となる。
パーティの中ではクルスの位階が最も高い。同じ戦闘経験の中でもそれだけ死にかけたからだ。
逆に、体力も防御力も低い代わりに攻撃を受けにくい後衛は必然的に前衛より位階が上がりにくいが、イリスはおろかソフィアでさえ死にかけたことは十回ではきかない。
詰まる所、どれだけ死線を潜り抜け、自分の限界を超越できるかが肝となる。
冒険者がこぞって遺跡や凶悪な魔物の住む聖域に挑み、“死に行く”のはその為だ。
クルス達は言い返せず沈黙する。
ここに至るまで、文字通り、死の危険を踏み越えて成長してきたのだ。その苦労が生半可なものだったとは口が裂けても言えない。
それはキリエも察している。
「こればかりは、そうだな……努力の才能とでも言おうか。これの違いだ。お前達程度の腕ではどうしようもない」
「……わかりました」
「待て待て。人材の紹介はしてやろう。しかし、そうなると誰を紹介したものか……」
諦めかけたクルスを制して、キリエは学園生の名簿を取り出すと思案しながらページをめくりだした。こういった面倒見の良さが彼女の人気の秘訣だ。
暫く無言でページをめくる音が続いたが、あるページでぴたりとその手が止まった。
「こいつは……いや、アリかもしれんな……」
「教官?」
「うむ。決めたぞ!!」
急に立ち上がったキリエにクルスたちが怪訝な顔をする。
「誰かいましたか?」
「ああ。お前達を防衛に出せないのは学園にとっても損失だろう。
そこでだ、ひとり面白い人物に心当たりがある」
キリエは腰に差した刀を揺らして意味深に笑った。
肩の痛みは既にない。
だが、経緯はどうあれ縁があったのだ。お節介を焼くのもいいだろう。
「面白い、ですか?」
ひとりで怪しげな笑みを深くする教官に若干引きつつクルスは問う。
パーティメンバー候補に面白いとは一体どういうことだろうか。
「ああ。紹介するのは私と同じサムライで、事情があって位階を落としているが腕は確かだ」
「位階を、落とす? ……能力が減退した状態ですね。珍しいです」
交渉を兄に任せて大人しくしていたソフィアがぴくりと反応する。
位階は神による絶対の判断基準だ。
四肢の永久欠損などの重傷を負ったり老齢による身体能力の低下などで位階が下がることはあるが、それならば前衛として勧められることはない筈だ。
「無論、老化などではない。私より若い男で、訳アリだ。そこら辺は本人に訊け。
……いや、ソフィアがいるなら“視ろ”だな。とにかく、お前達の位階を考えれば他に人材は思い浮かばない。気も合いそうだ。なにより――」
キリエの笑みが更に深くなる。楽しげで、しかし隠しきれない戦意が周囲を震わせる。
「――私に剣で勝った人物だ。お前たちもきっと気に入るさ」
◇
「兄さん、わたしは剣について疎いのですが、キリエ教官に勝つというのはそれほど困難なことですか?」
教えられた件の相手がいるという場所へと移動中、ソフィアが隣を歩く兄に問いかけた。
魂の表層を漂う情報を読み取った限り、自分達が入学直後に教官は敗北したというのは分かった。
思い返してみればたしかに入学直後の講義で彼女は右肩を負傷していた。再生魔法でも完治しきれない重度の粉砕骨折だったと聞いた覚えもある。
「困難では済まない」
クルスは即答した。その頬を汗が一滴流れている。
「キリエ教官は実戦から退いて久しいが、魔力を抑えた現状でも英雄の領域に手を掛けている」
英雄級に達した戦闘職というのは正面から王城に踏み込んで国軍を皆殺ししたり、単独で聖域や遺跡の主に挑める程度の腕がある。
恐ろしいことに歴史上、実際にそういった個人戦力による国家規模の転換も記録されている。
学園生、ひいては国軍でも英雄級は多くはいない。彼らの存在する領域に至るということは即ち人間を辞める道のりである。
その域に達するまでの命の賭け様も百や二百では到底足りないだろう。
「しかも、キリエ教官は赤国で武術指南役にもなったことのある剣術家だ。条件にもよるが今の俺では勝率は一割を切る。ましてサムライ同士の勝負で教官が後れを取る相手となると……」
歩きながらクリスは言葉を重ねる。
ちなみにその指南役も水が合わないと半年でほっぽりだしたというのが学園での専らの噂だ。
それでもその実力は本物であることを疑う余地はない。実際にクルスも模擬戦で何度となく叩きのめされた。
「兄さんでも一割ですか……」
「それが前衛における力量差というものだ」
ソフィアが驚きと感嘆を返す。
学園内でも当然に優劣は存在する。それ故にこうして駆けずり回っているのだから。
その中でも前衛としてクルスの実力はそれなりのものだ。学園に入って二年目にして卒業資格を満たしているし、武術の腕でも確実に上位層、盾持ちとしての戦いなら十指に入るだろう。
しかしそれも圧倒的な差の前では誤差に過ぎない。
相性の関係が薄く、実力がものを言う前衛同士でその差を覆すのは不可能に近い。
それこそ同じ領域の者でもない限り――。
「それがホントなら別にどこでだってやっていける程の腕があるってことよね。学園に居る必要ないじゃない。えっと……」
「“カイ・イズルハ”だ、イリス。とはいえ、それほどの腕なら俺達が足手まといになる可能性もあるが」
「とにかくお会いしてみましょう」
ソフィアは俄然興味が湧いたらしい。目に光がある。余波で周囲の魔力を活性化させるほどだ。
「そうだな。っと抑えろ、ソフィア」
「あ、すみません……」
「珍しいね、ソフィアがこんなに興味示すなんて。何か感じるのかなー?」
楚々と恥じらうソフィアとそれをからかうイリス。戸惑いが明るい雰囲気に変わる。
だが、それを見るクルスはやや不安げな面持ちであった。
仲間はもちろん強いに越したことはないが、突出した個の強さがパーティの強さに直結するわけではない。
大事なのはバランスだ。
互いの穴を補い合って個々が全力を発揮できるチームとなること。それがパーティに求められる要素である。
少なくともリーダーとしてクルスはそう考えている。
(果たしてそれ程の“個”がチームを組めるのだろうか?)
今の時点で無所属であるということもその想像に拍車を掛けている。
あるいは身分に不安のある人物なのだろうか。傭兵であったりするならば人物を改める必要も――
「考え過ぎですよ、兄さん」
思考の悪循環に陥っていたクルスをじっと見上げていたソフィアの声が引き戻す。
「悪い感じはしません。とにかく会ってみましょう?」
「……そうだな。会ってからでも遅くはないな」
ソフィアの予感は良く当たる。ひとまずそれを希望にクルス達は歩みを進めた。