1話:加護
年が明けて数日、防衛戦争での活躍により三級に昇格したアルカンシェルはルベリア学園内にある教会の『祈りの間』にて大人ほどもある大きさの鏡――真実の鏡と向き合っていた。
防衛戦争で位階をあげたクルスとイリスが二つ目のクラスと加護を得る為だ。
今回、クルスは引き続きナイトを、イリスはアーチャーを選択した。
別のクラスを取得すれば汎用性が上がるが、パーティの盾であるクルスは基本的に防御力が第一要素であり、他クラスによる瞬間的な防御強化よりも基礎能力の底上げを選択した形だ。
もう一つの候補も現時点では選べないので論外。結果としてナイトの上位加護で長所を伸ばすのが良いだろうと判断した。
イリスは攻撃力と選択肢を増やす意味でアーチャーを取得することにした。引き続きレンジャーを取得しても非戦闘技能が伸びるばかりで攻撃力はあまり上がらないのだ。
パーティの打撃力はカイの物理攻撃とソフィアの魔法攻撃の二本柱であり、サポートである自分がそこまで攻撃力を求める必要はないのだが、先日の巨人相手のようにまったく弓が通じず役立たずに堕してしまうのを避ける為だ。
ソフィアも位階を上げてはいるが、むしろ現状では下手な加護を受けてこれ以上強化されてしまうと己の能力を制御できなくなる可能性さえある。ソフィア自身が急激な強化に付いていけておらず、今しばらくは時間が必要なのだ。
故に、今回は見送ることとした。
四人で一週間話し合い、教官にも相談した上で、現状、最善と思われる決定であった。
「準備はいいか、イリス?」
「オーケーよ。そっちこそ大丈夫? やり直しは効かないのよ?」
銀に近い白髪とそこに結えたリボンを揺らし、赤い瞳に稚気を滲ませてイリスが笑う。
「ああ。大丈夫だ」
対して、従者に応じる金髪の青年、クルスは蒼い眼に他者を惹きつける意志の光を湛えて躊躇せず真実の鏡の前に立った。
「ん。それじゃ、どんな加護が戴けるかひとつ運試しといきましょう!!」
イリスもまた軽やかに進み出てその隣に立つ。
クラスの取得に大仰な手順は必要ない。
真実の鏡に手を当て、どの神のどのクラスを取得するかを念じればいいだけだ。
あとは真実の鏡が高次元へと小路を開き、神との契約を仲介、クラスと適した加護を付与してくれる。
離れた所でカイとソフィアが黙って見守る中、鏡が二度光り、その上部に白文字の『ナイト』そして赤文字の『アーチャー』の文字が描かれた。
「得られた加護は白神の『聖騎士の盾』……障壁強化の加護、か。魔力の消費も上がるが位階も上がって余裕が出来た今なら問題ないだろう」
「私は赤神の『ヨ=ワンの弓』、弓の射程と命中を伸ばす加護みたいね。これからはアーチャーとして敵の急所を狙ったりもするし丁度いいわね」
真実の鏡から光が消える。二人の契約は恙無く終わった。
最後に全員の現状を確認し、四人はその場を後にした。
◇
神官に寄付の名目で祈りの間の使用料を払い、クルス達は教会を出た。
時刻はまだ昼前。今から昼食を用意するなり、どこかに食べに行くなりすると丁度いい時間になるだろう。
教会の厳粛な空気が堅苦しかったのか、扉を跨いで幾ばくもせずにイリスがぐっと両腕を天へと伸ばしている。
「クルス、イリス、二人とも調子はどうだ?」
黒ずんだ道衣、黒の総髪と瞳、腰には黒鞘の一刀と、背の銀の剣を除いて黒一色の出で立ちのカイが尋ねる。
「そうだな……ナイトの重複だからか、初めてクラスを取得した時ほどの実感はないな」
「私はちょっと視力が上がった気がする。あとは、実際に弓持ってみないと分からないかなー」
「……魔力の波長は変化していますね」
純白のローブを翻して振り返ったソフィアが、兄と同じ蒼い眼を魔力で一層輝かせ、二人の僅かな変化を見抜く。
位階の上昇により少女の読心および魔力探知能力は更に成長している。この分だと魔法の威力の成長もかなりのものだろう。
この結果を知れば各国は頭を抱えるだろうが、過度な干渉することは許されない。
なぜなら、少女のローブの胸元に『鐘の紋章』が刻印されているからだ。
それはギルド連盟に登録された大陸に七人しかいない『戦略級契約者』の証である。
この証を持つ者に不法な手出しをする者はたとえ国であろうとも連盟から報復を受ける。不必要な心技の使用が禁止される代わりに連盟によって身柄が保障されるという誓約だ。
代償に防衛戦争などへの参加が義務付けられるが、ソフィアは義務がなくとも引き続き参加するつもりであったし、人間相手に使うことを強制されることはないので現状と変わるところは無い。
また、件の心技の『多数の死者がでること』という条件では、結局のところ大規模な戦場でしか使えないのだから、実質制限なしで身の保障を得られたに等しい。
防衛戦争後にクルスが方々に手を尽くして勝ち取ったのだ。ほぼ最上の結果と言っていいだろう。
「まあ、戦闘はおいおい調整していくとして、とりあえずお昼どうする? 防衛戦争とギルド昇級のおかげでお金には余裕があるのよね」
「昼間から酒という訳にはいかないが、軽く祝うくらいなら問題ないだろう」
「それなら最近出来た南区のレストランに行かない? 評判いいわよ――ってあれ?」
連れ立って歩く四人は道の向こうから深紅の道衣を翻して武術担当教官の一人、ライカ・パウウェルが向かって来ているのを見て取った。
特に面識のあるクルスとイリスは不審がる。
面倒くさがり屋で有名なライカが講義以外で出張っているのがそもそも珍しい。教会に縁のある人物ではないし、何より視線が明らかにこちらを捉えている。
「教会に居たのね。探したわ」
予想通りと言うべきか、ライカはクルス達を探していたようだ。
「何か御用でしたか?」
「ええ。白国から受けた依頼の斡旋をしようと思ってね」
「白国から?」
「あなた達も三級になったことだし、ちょっと国の依頼受けてみなさい。国境跨ぐ依頼なの」
依頼と聞いて一行の顔が引き締まる。
今の時代、国境を渡る事案には下手に自国の兵を使うよりもギルド連盟に依頼した方が安全性が高い。
情勢は小康状態を保っているとはいえ、何が引き金になって国家間紛争が起こるか分からない時代なのだ。
「概要を聞いてもよろしいですか?」
「ええ。半年後にある白国の皇都アルヴィスで開催される教皇生誕祭は知っているかしら?」
「それは勿論。教皇――エルザマリア・A・イヴリーズ猊下の生誕を祝う祭りですね。自分も父に連れられて参加したことがあります。……たしか今年で十五歳になられるのでしたね」
「そうそれよ。で、依頼はその祭りのパレードに招くゲストの歌い手を青国から皇都まで護衛すること。半年前の今から都に入って専用の曲や舞踊を作成して献上するらしいの」
「バード、ですか?」
クルス達は首をかしげる。生誕祭に呼ばれるのは各国各領の代表などが主だ。ただの歌い手をわざわざ呼ぶというのは少々不可解に感じられる。
ライカもそれは察しているのだろう。ひとつ頷き、件のバードの二つ名を告げる。
「――“水晶鈴”って言ったらわかるかしら?」
『歌い手』とは青神契約の非戦闘クラスで、歌、演奏、舞踏など音楽に関係するスキルを得ることが出来るクラスである。青神の眷族である水人には生まれつき得ている者も多い。
鍛冶士、錬金術士などの非戦闘クラスは当該分野の練達で位階を上げるが、中でも大陸有数のバードのひとりが歌姫“カーメル・クリスタルベル”である。
「クリスタルベル……“カーメル・クリスタルベル”のことですか!?」
「そうよ」
「え? 本物のクリスタルベルの護衛なんですか?」
「だからそうだってば」
平然と答えるライカにクルスとイリスは二の句が告げられずにいた。
(誰だ?)
(四大国中で有名な歌姫です。学園でも彼女の歌は蓄音器で販売されています。わたしも聞いたことがありますよ?)
(……知らんな)
二人の後ろでカイはこっそりソフィアに尋ねるが心当たりはなかった。
半世捨て人の侍は知らなかったが、カーメル・クリスタルベルの名はパルセルト大陸で広く知られている。
蓄音器――魔力を込めると内部に記録された音を再生する機械である――が比較的高価なこともあってバードの名が知れ渡るというのは稀だが、彼女は別格だ。
一介の旅の歌い手から身を興し、わずか三年で大陸中にその名を轟かせる歌姫となったのだ。現在、歌姫と言えば彼女のことを指すと言われているほどだ。
知名度でいえば教皇の生誕祭に招かれても不思議ではない人物だろう。
「そんな重要人物を自分たちに任せていいのですか?」
「この程度の依頼に自信が持てないなら三級ギルドの看板下ろしなさい」
「ッ!! ……失礼しました。その依頼検討させていただきます」
「そう。じゃあ詳しい話するから教員室まで来なさい」
言うだけ言ってさっさと歩きだしたライカの背を一行は慌てて追いかけた。
「ところで何でライカ教官が白国からの斡旋なんてしてるんですか?」
「殴る以外の仕事もしなさいって怒られたから」
「……納得しました」
相変わらずこの学園の教官は腕は抜群にいいが性格に問題があった。
◇
二週間後、クルス達は白国の東、国境にほど近い青国の街の一つに来ていた。
今日がこの街でのカーメル・クリスタルベルの舞台の最終日であり、多少の休息を挟みつつ、そのまま皇都まで連れていく予定だ。
「ねえ、この街ってこんな活気あったっけ?」
街に入ったイリスの第一声は端的に一行の心情を表していた。
前に別の依頼で通過した時よりも明らかに街中に人が多い。しかも多くは風体からして明らかに観光客だ。おそらく街の許容できる数を超える人間が集まってきている。
「まさか、これ全部歌を聞きに来た人達なの?」
「……感情を読む限りそのようですね」
「っと、無理するな、ソフィア。今日が千秋楽とは聞いていたが、まさかこれ程とはな」
(ここから皇都までに通過する貴族領は三つ。内二つは問題ないが、後一つはDの四等級……街は避けるしかないか)
貴族の独自権益の強い白国各領では、有名人が支配下の街に泊まると領主から招待を受ける可能性が高い。歌姫が生誕祭に招かれたことを把握しているなら確実にあの手この手で抱き込もうとしてくるだろう。
それを一々受けていたら休むどころではなくなる。Fのヴェルジオンが護衛に付いているならばある程度は突っぱねることが出来るし、ライカもそれを企図してクルス達に依頼したのだろうが、避けられる面倒は避けるに越したことは無い。
(歌い手一人で街一つを大きく発展させられる。領主によっては喉から手が出るほど欲しいだろうな)
「……歌が、きこえます」
「あ、私も聞こえる。何でかな?」
「ん?」
兄の思案を余所に、ソフィアとイリスが耳を澄まして街の中央で行われている演奏を聞いている。
意識を集中すると、クルスも微かな歌声が聞こえてきた。
本来ならば音が届く距離ではないが、“風声”の術式と同じく大気中の魔力を介して音を伝播させているのだろう。
だが、バードにそのような権能があるとは寡聞にして耳にしたことがない。
「ソフィア、これは術式なのか?」
「……いいえ。これはただ音楽に合わせて歌っているだけです。ですが、その完成度の高さが術式と同じ域に達しているのでしょう」
「よく今までどこにも確保されなかったな」
カイが至極真面目な顔で感想を述べる。
ただ歌うだけで術式と同等の精度があるなど、研究の目的で拉致されてもおかしくないほど希少な能力だ。
「まったくだ。とにかく、まずは面通しだ。気を引き締めていこう」
一行はそのままカーメルの宿泊している宿屋へと向かった。
クルス達から見た歌姫カーメル・クリスタルベルの第一印象は“意外”だった。
年の頃は二十歳前後、見た目は淡い水色の髪に整った顔立ち、細い腰の際立つ引き締まった体つきをした美女である。
意外だったのはそこではない。
カーメルは舞台が終わると挨拶もそこそこに宿に戻ってシャワーを浴びて汗を流した後、しばし仮眠を取り、二刻後には平服に着替えて出発の準備を整えていた。
冒険者並みのフットワークの軽さである。
また専用の馬車も華美なものでなく、荷物も頑丈そうな箱と衣装などを詰めたバッグだけである。
お付きも侍女服の女性一人のみ。大陸にその名を轟かせる歌姫としては異様なまでに質素な出で立ちだ。
何か理由があるのかとも思ったが、クルスは特に追求せず、依頼に専念することにした。
「初めましてミズ・クリスタルベル。三級ギルド、アルカンシェルのリーダーのクルスと申します。皇都までよろしくお願いします」
「カーメルでいいわ。よろしく」
カーメルは素っ気なくそれだけを告げて目を逸らしてしまった。握手するつもりもないようだ。
何か気に障る事があっただろうかとクルスは内心冷や汗をかくが、表面上は何事もない風を装って会話を継続する。
「しばらくは野営が続きます。ご了承ください」
「別にいいわ、慣れてるし。話は終わり? なら、さっさと出して」
「承知しました。荷物をお持ちします」
クルスがカーメルが手に持つ箱を受け取ろうとするが、歌姫は一歩下がってそれを拒否した。
「カーメルさん?」
「これはあたしの大事な楽器、体の一部と言ってもいいわ。気安く触らないで」
「……迂闊でした。申し訳ありません」
カーメルの硬い声音にクルスは自らの不明を謝罪した。
他の荷物とは明らかに異なり、女性が持つにしては無骨で頑丈な入れ物という時点で大事なものだと気付くべきだった。
歌姫にとって楽器は冒険者にとっての剣にあたるのだろう。そう考えれば容易く他者に預けることが出来ないのは当然だ。騎士はそう納得した。
歌姫はクルスが頭を下げたのが意外そうだったが、それ以上気にすることなく踵を返した。
「あと、許可なく馬車に入ってこないで。何かあるならそこのトニアに言って」
そうして言いたいことだけ言って、さっさと馬車に引っ込んでしまった。
後にはクルスとトニアと呼ばれた黒髪の侍女が残された。カイ達は既に馬に乗って馬車の護衛に就いている。
少し気まずい。今度こういう時はカイかイリスに居て貰おうとクルスは誓った。
そんな心中を察したのか、侍女はスカートの端を摘まんで丁寧に一礼した。
「急な依頼を受けていただき、誠にありがとうございます。主に代わりお礼を申し上げます。短い間ですが、主ともどもよろしくお願いいたします」
「あ、いえ。こちらこそよろしくお願いします、えっと……」
「トニアと呼びください、クルス様」
「では、トニアさんと。それからすみません。カーメルさんの気分を害してしまったようで」
「ご心配なく。主はあれが素です」
「そ、そうですか……」
返礼しつつ、クルスは気配から侍女がある程度は戦えることに気付いた。
重心の位置から武器を隠し持っているのもわかる。おそらくは短剣。護衛も兼ねる人材とは聞いていたが、夜盗崩れ程度なら単独で追い払えるだろう。
「一応準備はできていますが、もう出発してよろしいのですか?」
「はい。お願いいたします」
「わかりました」
トニアの了承を得てクルスは御者台に付いた。
軽く手綱を引けば、馬は我が意を得たりと軽快に走りだした。よく訓練された馬だ。あるいはどこぞの領主から貰った名のある馬なのかもしれない。
(しかし、たった二人で旅というのも変な話だ。トニアさんはそこそこできる気配がするが、一人では満足に夜間の警戒もできまい)
「何故二人旅などしているのか不思議でございますか、クルス様?」
「トニアさん? カーメルさんをお一人にしていいのですか?」
「お気になさらないでください。公演後はお一人になるのが日課でございます」
思考が顔に出ていたのだろうか。早速、御者台に登ってきた侍女に内心を言い当てられてしまった。
トニアは身の回りの世話に加えて、日程の調整、護衛、さらには手が足りない時は楽器の演奏もするという。イリスに匹敵する万能さである。
だが、それにしても護衛一人は少なすぎる。
「実はこの街までは護衛の殿方が居たのです。ええ、数か月一緒に旅をしていた仲ですが、少々オイタが過ぎまして……」
「……そうですか」
「幸い主に怪我等はありませんでした。ですが、暫く殿方が近付くのはご寛恕願いたいのです」
「承知しました。その、大変でしたね」
「お気遣いありがとうございます。女ばかりだと舐められることもあった故の選択だったのですが、痛し痒しでございます」
そう言って苦笑する姿には主を慮る気配がある。
カーメルと共に短くない旅をして苦楽をともに分かち合ったが故のものだろう。
「トニア……はいいわ。そっちの金髪の娘。ちょっとこっち来て」
そんな折、馬車の窓が開いてカーメルが顔を出した。
視線の先では馬に乗って随伴していたソフィアが首をかしげている。
「わたし、ですか?」
「そ。ちょっと話し相手になって」
「……わかりました」
馬をイリスに預け、クルスの伸ばした手を取ってソフィアが御者台に飛び移った。
「大丈夫か、ソフィア?」
「ソフィア様はどこか体調が悪いのでございますか?」
「いえ、技能の関係で初対面の方と長く接せられないのです」
トニアの質問をそれとなく誤魔化しつつ、兄は妹に視線を向ける。
「だいじょうぶです、兄さん。カーメル様は心根のわるい方ではありません」
まだカーメル達には慣れていないが、ソフィアなりに他者に応えようとしている。
少し前には見られなかった積極性だ。少女もまた変わろうとしているのだろう。
心中で妹の成長を喜びつつ、クルスは黙って頷いた。
「失礼します」
一礼して入った車内ではカーメルが椅子にどっかりと腰かけ、手に羽ペンとノートを持って唸っている。どうやら歌を作っている最中のようだ。
「手詰まり、という訳じゃないんだけど、作曲の題材にしたいから何か話して」
「多少の不礼はお許しいただけるのなら」
「別に気にしないわよ。“F”のあなた達と違ってお貴族様ってわけでもないし」
素っ気ない態度だが、護衛に就くギルドメンバーの名前くらいはちゃんと見ていたようだ。
フットワークの軽さといい、見た目に反して旅人としての経験の長さを感じさせる。
「あ、それとも、こっちが礼儀を気にしないといけないのかしら」
「いえ、わたしも貴族と言えるような育ちはしていないので」
「へー。どういうことか聞いていいの?」
「構いませんよ」
好奇心旺盛なカーメルにソフィアは笑みを返し、暫くの間会話を楽しんだ。
初対面でソフィアが感じた通り、カーメルは態度は素っ気ないが悪い人物ではなかった。
むしろ聞き上手な性質で、話慣れていないソフィアから丁寧に辛抱強く話を引き出していた。
聞けば、作曲の為に各地を旅して色々な人から話を聞いている内に身に付けたものらしい。
ソフィアとしてもここまで長く他人と話したのは初めての経験だった。
少女の仲間は良くも悪くも多くを語らずとも通じ合える仲なのだ。
だが、言葉を交わすことで新たな発見があることをその日、少女は知った。
そうして二人は少しだけ仲良くなった。
一方、旅自体も暫くは順調に進んでいたのだが――
「馬車を止めろ、クルス」
少し先を行っていたカイの押し殺した声がクルスの耳に届いた。
「どうした、カイ?」
「……」
馬車を止めて侍の下に行くと、クルスの視覚と嗅覚もその光景を捉えた。
五十メートル程先に破壊された馬車と死馬を喰らっている野干の集団がいた。
食い散らかされた血と臓物が辺り一面に広がり、雑味のある臭いが鼻の奥まできている。
獣たちはこちらを警戒している。逃げる素振りは無い。隙を見せれば襲ってくるかもしれない。
「やれるか、カイ?」
「問題ない。下がっていろ」
馬に乗ったまま、静かに進み出た侍の全身から身を切るような殺気が噴出する。
馬達が怯えを滲ませて嘶き、背後で見ていたトニアが思わず悲鳴をあげるほどの濃密な気配が辺りを包む。
「――去れ。追いはしない」
カイの言葉に応じるように野干たちは一目散に山野へ消えていった。
野生の獣は殺気に敏感だ。今の一瞬で彼我の実力差を明瞭に感じ取ったのだ。
「遺品がないか確認してくる。その後に火葬する。いいか?」
「ああ。一人で大丈夫か?」
「問題ない」
カイは未だ恐慌状態にある馬を下りて死骸と馬車の部品が散乱する現場に踏み入った。
御者台に戻ったクルスに、まだ少し顔色が悪いトニアが控え目に尋ねた。
「どうして獣を討伐されなかったのですか? 難しくは無かったのではございませんか?」
「血のにおいが馬車に付けば魔物を惹き寄せてしまいます。それに彼らのような動物が居ることで、魔物が住み着くのをある程度抑止することができます」
魔物と獣。どちらがマシかと言われれば後者だろう。少なくとも獣は積極的に人間を害そうとはしない。
「確かにそうでございますが……」
「彼は少々特別です。この光景を誰でも受け入れられるという訳ではないでしょう」
理由を聞けば納得したトニアも、しかし目の前で馬が食われる場面を見せられると、はいそうですかとは言えなかった。
旅の中で野生の獣に襲われたことも一度や二度ではないのだ。今回も護衛が自分だけだったのなら、迷うことなく道を変更していただろう。
クルスとて初めての光景でないにしても慣れるものではない。カイと出会う前なら普通に戦闘に入っていた。
クルスは比較的寛容な方だが、襲ってくる可能性のある相手にまでそうである訳でない。
ならば、目の前で諸々を喰い散らかしている獣さえ顔色一つ変えずに受け入れられるカイの器は如何ほどの物か。
……否、答えは分かっている。
侍の器は決して大きくはなかった筈だ。だが、何かがその器の底に穴を開けたのだ。
そうして、全てを受け入れ、同時に全てを斬り捨てる存在が出来上がったのだ。
「クルス、馬車の中に商人ギルドのカードがあった。他は全て強奪された後のようだ」
「そうか……残念だ」
「損傷具合から見るに襲われてから一日程経過している。どうしようもなかったことだ」
そこまで言って、侍は少し考える素振りを見せてからクルスに己が気付いたことを告げた。
「先ほどの野干に微かに人のにおいが付いていた。ここから先は俺とイリスを斥候に出すべきだ」
「待ち伏せされていると?」
「こちらは普通に護衛しているだけだ。道程を読み切ることは難しくない」
「……わかった。頼む」
その後、周囲を片付け、ソフィアの魔法で馬車と死体を荼毘に付し、一行は旅を再開した。
懸念とは裏腹に、その日彼らが襲撃されることは無かった。




