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刃金の翼  作者: 山彦八里
幕間
33/144

幕間:老兵

 帝都の富裕層が集中する貴族街区の一角にディメテル家の別宅はある。

 先日クルスたちを迎えた屋敷だ。他国ということもあって本宅と比べれば多少控えめな造りであるが、それを差し引いても内装は十分に整っている。


 その広間に一人の老人がいた。

 ディメテル家前当主、オーヴィル・L・ディメテル。

 今年で六十になる彼は、成程、白一色に染まった髪や、節の目立ってきた腕にその年齢が表れている。

 だが、ピンと一本線の通った背筋や、服の上からでも分かる鍛えられた体躯は老いてなお、武人としての矜持が失われていないのを示している。

 彼自身、若い頃から主家たるヴェルジオンを支える武の一角として動乱期を戦い抜いた自負があり、今でも鍛錬を欠かしていない。


「……ううむ」


 そんな彼は一つの案件を抱えていた。

 ディメテル家の当主を息子に引き継がせた彼は、赤国と共同して新たな武器の開発をする陣頭指揮をとっている。

 年齢を顧みず現場に出ることに白国の皇都では反発もあったが、前教皇の時代から仕えているオーヴィルの武器開発に関する知識と経験に伍する者はいなかった。

 無論、後進を育てる為に何人か見込みがありそうな者も連れて来ているが、彼らが一人前になるにはまだ時間がかかるだろう。


「これが完成するまでワシは生きているかのう……」


 手に持つ炎の名を冠した瀟洒な細剣。柄に象嵌された紅玉、刀身に刻まれた刻印術式。

 それこそが彼が生涯を賭けて挑んでいる武具だ。


 これが完成すれば戦争は変わる。否、“戻る”と言うべきなのだろうか。


 だが、完成はまだまだ遠い。彼が生きている内には叶わぬかもしれない。

 自身の夢と、あるいは罪となるその果てを見ることができないのは残念だった。


 そうして思索に耽っていると、不意にノックの音がした。

 入室を許可すれば、側仕えの侍女の一人が一礼して入ってきた。


「オーヴィル様、門前に冒険者の方が」

「うん? ああ、ミハエルに力を貸してくれた者か。丁重に迎えてくれ」

「かしこまりました」


 事前に連絡はしていた。

 あの頑固者――クルスが選んだ戦士だというのなら、俄然興味もわく。

 剣をしまった老人は悠然と応接間へと歩き出した。



 ◇



 随分と間が空いてしまったが、カイはミハエルの依頼の報酬を取りにディメテル家を訪れていた。

 防衛戦争もあって正直なところすっかり忘れていて、渡す側の相手から「取りに来い」と催促が来たのだから笑い話にもならない。

 カイとしては面識のあるクルス達も連れて来たかったのだが、防衛戦争のせいで溜まっていた講義を消化する為に学園から身動きが取れなかったため、仕方なく単身での訪問となっていた。


「君がカイ・イズルハ君でよろしいね?」

「肯定です……自分の事をどこで?」


 前当主だという対面の老人に頷きと疑問を返す。

 ミハエルには姓まで名乗っていなかった筈だ。


「いやなに、主家……ヴェルジオンでも多少噂になっているのだよ。あのクルスが仲間を増やしたことはな」

「……成程」

「元は近衛だと言うではないか。その年齢で立派なことじゃ」

「恐縮です」

「うむ……」

「……」


 会話が続かず、沈黙が応接間を支配する。

 報酬の受け渡しも終わり、ミハエルへの助力の礼も受けた。カイにはこれ以上ここに居る理由はない。


 対するオーヴィルはコホンと咳をして沈黙を破った。


「カイ君。ワシは不器用な人間だ。言葉だけでは君を推し量ることもできん。ワシ個人としてもクルスが、一時は稽古をつけていた者が選んだ戦友を見定めてみたいのだが――のう?」

「ッ!?」


 殺意はない。しかし、その老人とは思えない気迫にカイは本能的に戦闘状態になった。

 それを見て、老兵はしてやったりと笑った。

 相手は思った通りの戦士である。ならば――


「やはりここは、尋常に剣の勝負といかんかね?」



 ◇



「それで決闘することになったの?」


 学院から帰って来たミハエルが祖父を見上げて溜息を吐く。

 中庭で決闘の準備をしている二人を見て慌てて飛んできたのだ。


「うむ。エルから話を聞いた時点でな、こうしようと思っておったしの。二十人の戦士と魔術士を前にたった一人、壁を駆け、疾風のように舞い、迅雷のような剣を振るい、彼らを打ち倒す。

 ――その武を、この目で見てみたい、この手で感じたい。これは武人の性よ」


 そう言って呵々大笑と声を上げる祖父の隣でミハエルは肩を落とした。

 説得は既に無駄だろう。短い導火線のさらに短い位置に火が点いている。


「……苦労しているな」

「久しぶり、カイ。それと、ごめんね」


 ミハエルが申し訳なさそうに頭を下げる。

 歳の割にミハエルがしっかりしている理由の一端をカイは理解した。


「気にするな。元より俺も口は達者の方ではない」

「カイ?」

「だから、剣で語るのは望む所だ。結局、俺もこれ以外に語る術を持たない」


 抜かれる一刀は菊一文字。

 サムライの、その上、白国の武器開発を任せられている程の男が、その価値に気付かない筈がない。


「ほほう、こりゃまたけったいな物を出してきたのう」

「え? カイの剣ってそんなに凄いの?」

「応とも。比肩する刀はこの世界に五本とないじゃろう」

「――――」


 ミハエルが口をポカンと開けたまま固まっているが、二人は既に決闘の世界に入っている。


「こちらもそれなりの武具ではあるが、さすがに其方には劣るのう」

「……ご冗談を」


 抜かれた両刃の細剣には芸術的なまでに洗練された刻印術式が刻まれ、柄頭に象嵌された赤い石――おそらくは魔力結晶――からは強い気配を感じる。


「魔導兵器。それも最新式」

「サムライ同士(・ ・)では隠しようもないか。だが、まだ試作段階に過ぎん。近衛騎士団では発掘された古代の魔導兵器を使っておるのだったな? 是非、違いを聞いてみたいものよ」


 魔導兵器とは魔力結晶から魔力を引き出し、それを術式に変換する装置を備えた武具を言う。

 オーヴィルの持つ剣で言うならば、柄に魔力を汲み出す小路が引かれ、刀身にその魔力を変換する刻印術式が刻まれているといった塩梅だ。


 その効果は端的に言って刀気解放の劣化版でしかない。

 だが、その技能を持たない者でも発動できる。改良が進めば一般人でも扱えるようになるだろう。

 量産されれば、サムライは勿論、神との契約によるクラスの獲得自体の存在意義が大きく薄れる革新的な兵器だ。

 剣を見るカイの目が微かに細まる。

 それに気付いていながら、老人――否、老兵は飄々と話を続ける。


「さて、審判はいるかね?」

「そちらが必要とされるなら」

「なら要らんな。ああ、エルよ、そんな所に居ると危ないぞ」

「は、はい!!」


 ミハエルが慌てて距離を取る。


「では――始めようかの」


 口元に笑みを残しつつ、老兵は片腕を背に回して半身になり、肘を畳んで剣先を相手に向けて構える。

 レイピアなどで見られる刺突を主とした構えだ。


 対するカイは遠間で左足をやや引いて正眼に構える。

 この侍にしては珍しいことだ。

 対応力の高い中段はしかし、攻撃速度で上段、奇襲性能で脇構え――下段に下ろした刃を腰裏に隠した納刀状態に近い構えである――に劣る。


 『無間』を流儀とするカイの戦術に待ちはない。待つくらいなら突っ込んで先手を取る。己の能力を最大限に発揮できるのは疾駆した先にある高速度域だからだ。

 戦術的に待ちとは相性が悪い。いくら人極の加速力があるとはいえ、高速度域に入る為にはどうしても助走、加速する為の一瞬の間が要るからだ。


 故に、上段や抜き打ちからの最速の一撃を放ち、『相手に反応すらさせず斬り伏せる』。

 あるいは、納刀状態か脇構えで刃を隠した奇襲で相手を誘い、『機先を制しつつ後の先を取る』、この二択がカイの主な戦法となる。


 そんなカイがこの場で中段を選択したのは、老兵への最大限の警戒の表れだ。

 侍の直感が下手に突っ込めば負けると察したのだ。理由は相手の構えにある。


(刺突か、堅守か。どちらだ?)


 相手の構えからは狙いすら分からない。

 というより、そのどちらにも対応できるのだろう。

 突っ込んでくれるならまだいい。相打ちなら速度でカイが負けることはまずない。


 逆に、堅守狙いであると厄介だ。

 相手の構えは隙がなさすぎる。多少強引にでも崩さなければ勝機はないだろう。


(ふむ――)


 カイが踏み込みと共に加速する。

 繰り返しになるが、カイに待ちはない。

 分からないなら悩んでも分かるまい。故に、斬り込んで確かめるまでだ。


 水切り石のような鮮やかな踏み込み。

 間合いに入ると同時に止まることなく相手の首を刈りにいく。


「――シッ!!」

「チェイッ!!」


 互いの剣がぶつかり弾かれる。

 機先を制した筈の侍の一刀は老兵の構えた細剣に切り払われた。

 相手は目も、体も、今の一撃に追い付けはしなかった。

 だが、予測と経験によって、カイの攻撃を完璧に誘い込んで打ち払ったのだ。


(見事、と言う他ないな)


 それでも払われたカイに動揺はない。一度距離を取って気息を整える。


 初手が防がれるのは予測の内だ。

 そして、こちらの性能をいくらか晒した代わりに相手の狙いが見えた。


 構えからは刺突の体勢にも思えるが、その実、この構えは防御の為だ。相手の攻撃に対して被弾面積を最小にし、前面に構えた剣で敵の攻撃を防ぎ切る。

 あくまでこちらを見極める心算。

 そうして、最後にとびきりの一撃を見舞うのだろう。体力差を考えれば最善策だ。


(……やってくれる)


 剣で語ると言うだけのことはある。その剣から老兵の人となりが伝わってくる。


 基本はよく鍛えられた真っ直ぐな剣筋だ。柔らかい態度も取っているが、その本質は職人気質の頑固さにある。

 しかし、同時にこちらを望む状況に嵌め込む老獪さも備えている。

 相反するような二面性が老人の中では矛盾することなく両立されている。

 端的に言って、厄介な相手だ。


 加えて、剣を合わせて分かったことだが、相手も位階を落としている。とはいえ、老化というまっとうな理由のためだろうが。戦闘経験に大きな差があるのは間違いない。

 こちらは速度とキレは勝っているが、相手の土俵に持ち込まれた現状、技量ではやや劣っているとみるべきだ。


「……」


 勝ち筋は二つ。

 加速をつけてから高速度域での切り抜けの連続。

 背後に回り込んでも相手はその場で向きを変えればいいだけだ。しかし、それも連続すればいつかはこちらの速度が上回る。

 あとはそこまで加速する間に斬られないかが問題だ。


 もう一つは連撃による正面からの打ち崩し。

 こちらは攻撃される危険は低くなるが、凌がれる可能性も高くなる。


 現状ではどちらも五分だと、直感が導き出した。


「……両方試すか」


 なんといっても久方ぶりの準英雄級が相手だ。出し惜しみはない。


 カイが再び正面から踏み込み、間をおかず右袈裟から切り上げる。

 迎え撃つオーヴィルの細剣が刀の側面を打つように払う。

 払われた勢いを利用して切り返したガーベラが再び老兵に襲いかかる。

 それも引き戻された細剣が危なげなく切り払う。

 だが、互いの剣が離れた時には既にカイの身は老兵の背後に回っている。応じて、老兵もその場で半回転して侍を正面に捉える。

 侍は構わず、再び剣戟を連続させつつ、脇を駆け抜ける。


 傍目からは一瞬の交差にしか見えない間で数度の攻防が行われる。

 剣戟は止まることなくひたすらに連続する。


「――シッ!!」

「ヌゥッ!!」


 老兵を中心とするように、黒い竜巻が吹き荒れる。

 その中で、超人的な連続攻撃を、奇跡的な防御が切り払い続ける。


(速すぎる!? こやつ本当に人間か?)

(凌がれるか。それなら――)


 一瞬の隙を衝いてカイが鞘を投擲する。

 当然のように避けるオーヴィル。体勢を崩しもしない。追いかけるように放たれた一刀も危なげなく切り払う。


 ――次の瞬間、老兵は本能的に地面に身を投げ出し転がった。


 体勢が崩れることも厭わない全力回避。

 見れば、カイが自らが投擲した鞘を足場にして(・ ・ ・ ・ ・)空中で方向転換していた。

 その手の一刀は既に一瞬前にオーヴィルがいた位置を切り裂いている。




 素早く立ち上がり距離を離しつつ、老兵は油断なく構える。

 心中で警戒度を引き上げる。


 剣で語る以外の術を持たないとはよく言ったものだ。これほどあの侍を表すものもあるまい。

 圧倒的な加速力、一切の迷いのない斬撃、そして自分の命を顧みない攻撃特化。


 その剣は告げている。守っていては勝てはしないと。貴様も命を捨ててかかって来い、と。

 無意識の内に、老兵の口元が笑みに歪む。


「やれやれ。既に人間の技前ではないのう」

「完全に意表を突いた筈だが?」

「うむ、完璧な奇襲じゃった。戦場以外で地面を転がったのなぞ従騎士以来だぞ」

「……流石はヴェルジオンの武の一角か」

「はてさて、どうじゃったかのう」


 口を吐く言葉は牽制以上の意味を持たない。

 互いに構えを維持したまま、視線だけがぶつかり合う。


(埒があかんか。体力の分、長引けばこちらが不利じゃのう)

(故に、ここらで勝負を賭ける)

(――と思っている顔じゃな)

(そして、その裏をかいてやるという顔だ)


 何度となく合わせた剣は互いの心情を雄弁に語る。

 そこに齟齬はない。

 故に、次の瞬間も同時だった。


「――ッ!!」


 互いが爆発するように踏み込む。


「――術式、起動、“ラハヴⅡ”」

「ッ!!」


 先に仕掛けたのは老兵だ。

 刀身に刻まれた刻印術式が魔力を受けて輝き、剣を起点に生まれた炎が踊る。

 魔導兵器に秘められた能力だ。

 炎を纏いつつ、老兵は戦闘が始まってから初めて全力の踏み込みを駆ける。


 掛かりが速い。そして、それ以上に無駄がない。戦場で鍛えられた剣だ。

 刺突自体に加えて付与(エンチャント)された炎の術式を加味すれば、一撃でカイを打ち倒すには十分な威力だろう。

 こちらも前に出なければ押し切られる。


 覚悟はしていた。カイは迷わなかった。


「――狂い咲け、“菊一文字”」


 故に、カイもその刹那に切り札を切った。


 “雷切”


 極限の集中力が術式の核を見抜き、振り下ろされる風刃の一刀が、細剣に巻き付く炎ごと突き込まれた刀身を断ち切った。



 金属を断つ、決着を告げる高音が辺りに鳴り響いた。



 ◇



「ううむ、強度に不安はなかった筈じゃが」

「強度はともかく、威力はもっと抑えてもいいのでは?」


 一瞬前まで戦っていたとは思えない、穏やかな雰囲気の中、二人は折れた細剣を検分している。


「ほほう、その心は?」

「素人同士で殺し合うには十分すぎる火力です」

「……ふうむ、成程のう。ワシも武人の目線で考えておったわい。良いことを聞いた。改良したら一本進呈するぞ?」

「できれば遠慮したいのですが」

「魔導兵器が好かんか?」

「……端的に言って」


 カイは魔導兵器が好きではない。サムライの立場が無くなるから、などという理由ではない。

 装備が平均化され、同じ武器を与えられることになっても、誰よりもうまく扱ってみせる自信がカイにはある。


 だが、誰よりも武器の扱いに優れるカイだからこそ、この兵器の行く末が分かる。


 まずは射程が伸びる。携行武器なら弓を超える射程が確保できれば十分だろう。

 次に連射速度を上げるだろう。複数人で弾幕を張る為だ。

 これらがある程度両立できるようになったら整備性を高めて量産化が進む。

 そうして、誰でも戦場に立てる時代が来る。戦争は団と団が戦う限定的なものから、国と国が戦う総力戦に変わる。

 今よりもずっと多くの人が死ぬ。

 きっと、その戦場に勝者はいない。


「そうなるじゃろうな。……ワシを殺すか、カイ君? さすれば、魔導兵器の開発は止まるぞ」

「爺ちゃん!?」


 老兵の問いに、傍で見ていたミハエルが緊張を露わにする。

 対するカイは静かに首を振った。


「いいえ。貴方がおらずとも行く末は変わらないでしょう」

「ふむ、まあ、そうかもしれんな。人間は兵器(コレ)を作るのが悪魔的に上手いからのう」

「……」

「だが、ワシは信じておるのじゃよ。武器は人を殺す。だが、人は人を守れる存在だとな」


 そうして好々爺の笑みを浮かべたオーヴィルはすっと手を差し出した。

 カイもその手を取って、堅く握手を交わした。


「有意義な時間じゃった」

「こちらこそ」


 帝都の一角であった、ある日の一幕であった。

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