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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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27話:出会い

 その日、ルベリア学園は最も大きなアリーナを開放して一年で最大規模のパーティを開催していた。

 表向きには大晦日(ジルベスター)と戦勝祝いを兼ねた祭りだが、内情は少々異なる。

 実のところ、このパーティが防衛戦争の論功行賞の場であった。

 防衛戦争に参加した学生ギルドは少なくないが、契約上は彼らはあくまでギルド連盟の依頼を受けて派遣されたに過ぎない。

 いかな戦功をあげてもそれは雇い主の連盟のものであり、各国から表彰その他を受けることは許されないのだ。

 冒険者は責任がない代わりに報償もないのである。


 ただ、連盟や各国はそれでいいのだが学園はそうもいかない。学園の卒業生が皆、冒険者になってしまうのは正直な所、よろしくないからだ。

 学園を卒業するのは毎年百名程度。その全員が冒険者になってしまうと、あっという間に割のいい依頼が彼らに独占されてしまう。

 また、学園の維持の為にも各国軍、各領の騎士団などへの出向者がいないと困るのだ。


 その点、このパーティはジルベスターと併せて行っているので全学生が参加できるし、それとなく呼んだ貴族、大商人、地方領主等の出資者たちも活躍した学生と顔繋ぎができる。

 さらに、ここぞとばかりに教官たちを含め防衛戦争に参加した者たちの戦績は喧伝されている為、特に活躍した者は客寄せを兼ねて既に引っ張りだこになっている。



 そして、そういう事情の下では、第二師団司令官の盾を務め、その心技で敵軍を押し止めたナイトや、防衛線の要である前進退却を実践した一人であり、魔獣級二体を撃破した功労者の二人が並んでいて放って置かれる筈はないのだが、会場の外でひっそりと人を待つ分にはさすがに気を遣ってもらえるらしい。


「いつもはそうでもないのに、こういう時の女性の着替えは時間がかかるのだな」

「慣れるんだ、カイ」

「……」


 率直に感想を言っただけなのだが、妙に実感の籠った返しをされてカイはどう答えればいいのか返答に困った。


 ソフィア達を待つ二人は既に着替えを済ませ、上下揃いのタキシードを着ている。

 クルスは金髪をオールバックにし、胸ポケットに細い鎖細工を通しただけのシンプルな出で立ちだが、さすがに着慣れているだけあって落ち着いた雰囲気を発している。

 その隣で所在なさげに立っているカイは装飾もなく、黒色の総髪に櫛を通して貰っただけだが、本人の鋭い気配と相まってクルスに見劣りしない姿となっている。

 服装が違うだけで野犬が猟犬に様変わりしたような印象さえ受けるのだ。恰好というのは偉大である。剣の一本も持てなくて不満そうにしているのも愛嬌だろう。


「ダンスパーティで帯剣するのは無理があるだろう。諦めろ。

 それに、折角イリスが仕立ててくれたのだ。身軽になって初めてのパーティを楽しんでも罰は当たるまい」

「……ああ。イリスには礼を言わなければならんな」


 クルスの正装が黒色なのに対し、カイの正装が濃紺なのは注文したイリスがわざわざ道衣の元の色に合わせたからだ。

 たしかに、カイは一番好きな色はと訊かれればこの色だと答える。

 何か意味があるわけではないが、それでもカイは従者の気遣いに感謝した。


「お前の役に立てたのなら本人も喜ぶだろうさ。……そういえば、近衛騎士はこういった催しに参加しないのか? 純戦闘部隊とはいえ教皇の身の安全を守るのも任務だろう?」


 ふとクルスは前から気になったことを訊いてみた。

 六等家とはいえ、白国有数の武の一門であり地方の有力領主の嫡子であるクルスは中央の催し物にも参加した経験がある。

 その記憶が正しければ、教皇の周りには何人か騎士が居た筈である。幼いながらに憧れた覚えがある。

 また、常識的に考えて教皇の護衛を任務とする近衛騎士が部外者を招く催し物の席で警戒を疎かにするとも思えない。

 カイも同様の結論に至っているのだろう。記憶を掘り返しつつ答える。


「たしか……専門の者が担当していた筈だ」

「ふむ、直接の護衛ということか。成程な。ちなみにカイにも専門分野があったのか?」

「暗殺および討伐だ」

「……」


 あまりに直球すぎてクルスは何も言えなかった。その二つの内、暗殺が先に来る辺りでカイの立ち位置は推して知るべしであろう。

 だが、カイの能力を考えれば防衛よりも攻勢に向いているのは明白だ。適材適所だったのだろうと納得することにした。



「……来たか」


 暫く雑談を続けて日も暮れかかった時、カイが待ち人の気配に気付いた。

 少し遅れてクルスも彼女たちの魔力を捉える。


「すみません、お待たせしました」

「ごめんなさい。思ったより時間かかっちゃった」

「いや、そんなに待っていないから気に――」


 妹と従者に向き直ったクルスは思わず言葉に詰まった。

 一瞬、そこにいるのが誰だかわからなかった。


「……その、どうでしょうか?」


 恥ずかしげな表情で問いかけるソフィアは黒神のローブに似た青のドレスを着ている。

 イリスが今日という日の為に用意したドレスは無論、少女を艶やかに彩っている。

 だが、前から後ろへと斜めに伸びるスカートとストッキングの間から見えるすらりとしたふとももや、大胆に開いた胸元から見える細い肩、輝かんばかりの金の髪、初雪のような白い肌は何にも増して侵しがたい美となって少女の妖精じみた美貌を際立たせている。

 蝶の翅を模した小さな髪飾りを着けている以外はこれといった装飾品を着けていないが、従者の選択は正解だったとしか言いようがない。

 いかな宝石であろうと少女自身の神秘性には劣る。その存在自体が既にひとつの芸術品として完成しているのだ。


「あ、ああ。よく似合っている」


 兄はかろうじてそれだけを口にする。己の妹とは言え、貴族たちの間で天上の美しさと噂されるその静かな迫力に圧倒されていた。

 髪を整え、薄く化粧を施し、ドレスを着ただけでこれである。逆に言えば、日頃どれだけソフィアが自分の外見に無頓着であったかの証左でもある。


「ありがとうございます、兄さん。それで、えっと……」


 ソフィアはクルスの隣に侍っているカイへと上目づかいに視線を向ける。ソフィアが着飾って来た理由の半分は兄と従者の為であり、もう半分はカイの為であった。その意気と努力が試される瞬間である。

 侍は少女の視線をじっと見返し、


「綺麗だ」


 ただ、それだけを告げた。

 飾らぬ言葉はしかし百の言葉を並べるよりも確かに少女の胸に届いた。

 緊張が淡雪のように溶ける。少し涙ぐみながらも少女はこれまで見せた中で最高の笑顔を侍に返した。


「よかったね、ソフィア」

「うん。ありがとう、イリス」

「……イリスも見違えるようだ」

「ん、ありがと」


 我がことのように嬉しそうにソフィアの肩を抱くイリスはシンプルな薄緑のドレスを着ている。


「ま、ソフィアと比べたらさすがにねー」


 そう言って苦笑する従者だが、日頃は皮鎧に隠されている女性的な丸みがしっかりと主張されつつ、下品にならないように纏めた姿は十分に美しい。

 白髪という異質さも独特の雰囲気を醸し出す一助となっている。

 ソフィアが誰もが息を呑み、声をかけることすら躊躇わせる人ならざる美なら、イリスは逆に十人中八,九人が振り向くような親しみやすい、それでいて何故か目を離せなくなるような美だ。


「いや、本当によく似合っている」

「そうですよ。むしろ羨ましいくらいです。胸とか……むね……」


 言っている間に悲しくなってきたのか、自分の慎ましやかな胸を押さえてソフィアが項垂れる。

 こうして外部に晒せば二人の戦力差は明らかだ。


「いや、ソフィアまだ16歳なんだし、これから成長するわよ」

「……うむ。あまり他者を羨むのははしたないぞ」


 一瞬、微かに記憶に残る母親の体型を思い出してかける言葉に迷ったクルスであったが、ソフィアに読まれる前にその思考はなかったことにした。世の中には知らないほうが希望が持てることもある。


「……ここで時間を潰しても仕方あるまい」

「そうね。折角のパーティなんだし楽しみましょうよ」


 カイの助け船に乗る形でイリスが場の空気を変える。


「私はクルスのお世話しないといけないから、カイはソフィアの方をお願い。不埒な奴がいたら蹴りだしちゃっていいわよ」

「承知した」

「……程々にな」

「よろしくお願いします、カイ」


 そう言って笑顔で手を取るソフィアに引っ張られるように、一同は会場へと入って行った。



 ◇



 学園でも随一の広さを持つアリーナを丸ごと開放した会場は、多くの学生と来賓を受け入れて尚余裕がある。

 会場内は無数のランプに照らされ、白国御用達の歌い手(バード)で構成された楽団が音楽を奏で、日頃は鎬を削っている学園商業区の店々が一夜限りの協力にて用意した料理の数々がこれでもかとテーブルに載せられている。

 下手な貴族の夜会よりも派手なパーティだろう。今夜ばかりは学生も目一杯に己を飾り立て、立場の違う者たちと混じって会話に花を咲かせている。

 参加者たちの賑やかで華やかな声は音楽と合わさって会場を賑わせる。


 だが、四人がアリーナに入った瞬間、会場全体が大きくざわつき、会話が止まった。実際に参加していた者からは畏怖、戦績を聞いた者からは値踏みの視線が向けられる。

 四人ともが最前線で活躍し、あまつさえ勝利を決定づけた広域殲滅魔法の使い手まで居るのだ。予想された反応の範疇だろう。

 いくつもの視線が突き刺さり、ソフィアが思考の奔流に小さく震え、カイがそれとなく背後に庇う。


 その中をクルスは視線をものともせずに悠然と歩み出た。


 Fのヴェルジオン、学園上位、第二師団司令官付ナイト。

 その身に付き纏うレッテルも今この瞬間にはふさわしくない。威風堂々としたその姿は若輩ながらも立派な一人の戦士のものだ。

 早速声をかけようとしていた者たちもクルスの雰囲気に呑まれて機を逸してしまった。

 そうして、会場全体が微妙な緊張感に包まれるが、


「遅かったじゃねえか、アルカンシェル!!」


 そんな空気を物ともせずにひとりの青年が威勢のいい声を上げて歩み出た。グラスを片手に、背には二人の女性が付いてきている。


「アンジール。それにメリルと……ユキカゼ?」

「お、お久しぶりです、クルスさん!!」

「息災であったか、クルス殿。だが、何故自分は疑問形なのだ?」

「ワッハッハ!! 気にすんな。オレも最初見た時は目を疑ったぜ。思わずメリルに視覚の治癒を頼んじまったよ」


 スーツに着られている感じで少し窮屈そうだが、いつも通りの明るさを保つアンジールがクルスの肩を叩く。


「たしかに。あ、いや、すまない。随分と印象が違ったのでな。どこぞの貴族の令嬢かと思ったぞ。メリルも可愛らしくてよく似合っている」

「も、もう、クルスさんはお上手ですね」

「まったく。これだから男というのは……悪い気はせんがな」


 髪を下ろし、東方風の深いスリットの入った深紅のドレスを着たユキカゼがため息をつき、もじもじと照れるメリルはドレスの裾からでた尻尾を嬉しそうに振っている。

 クルスは心中でほっと一息ついた。会場に入る時よりも緊張した、などとは口が裂けても言えないであろう。


「今日ばかりは無礼講だ!! お前らも何言われても気にすんな!!」


 アンジールが持っていたグラスをクルスに押しつける。似合わないウィンクは気遣いの表れだろう。

 色々な意味で浮いており、空気を張りつめさせていたクルス達だが、彼らが声をかけてくれたことで場が正常に回り始め、尻込みしていた参加者たちもこぞってクルスの周りに集まりだした。



「ふふ、随分な登場じゃないか、カイ」

「こんばんは。腕はもう大丈夫みたいね」

「キリエにライカか」


 クルスに視線が集まっている間にソフィアを連れて壁際に移動していたカイを、二人は目ざとく見つけていた。

 東方風のドレスを纏ったライカを伴い、赤国の軍服を着ているキリエが無造作にグラスを手渡す。

 しかし、カイが礼を言ってグラスを受け取ると「乾杯」と勝手に告げてさっさとグラスを合わせて飲み出した。

 隣でライカが盛大にため息をついているが、そんな些細な行動に頓着するキリエではない。


「しかし、カイ。何でお前は騎士正装で来なかったのだ?」

「正装は騎士位を廃された際に廃棄した」

「勿体ない。近衛騎士の服着てれば大抵の貴族はちょっかい出してこないというのに」

「必要ない」

「お前にはな。だが、その子を世間から守るのに手段を選んでられるのか?」


 視線はいまだ背後に庇っているソフィアを射抜く。

 ギルド連盟による身の保障が検討されているとはいえ、それだけで安全だと言い切れるほど各国の状況はいいとはいえないのだ。


「学園にいる間はあなたたちがドジ踏まない限り身柄は保障するけど、卒業してからも無所属っていうわけにはいかないわよ。あなたたちは強すぎるわ。かつて、貴方が戦場で無茶できたのも背後に白国と“教皇”の威があったからではなくて?」

「……」


 突き放すような物言いだが、ライカの指摘もまた的を射ている。

 この大陸においては力に義務が伴うかは本人次第だが、危険が付き纏うのは確定事項だ。英雄は百人を殺す運命の下にあるからこそ英雄たりえる。


「まあ、来年に向けて考えておけということだ。さて、私は腹ごしらえとするかな。ライカも来るか?」

「……あきれた。ご飯食べてるところを邪魔されたくなかったからソレ着てきたのね」

「その程度で怖気づく奴に用はないさ」

「はいはい」


 言うべきことを言った二人はそそくさと豪勢に料理の盛りつけられたテーブルへと向かって行った。

 いくつの皿が食い尽くされるかは彼女たち次第だが、この場での食事はもう諦めた方がいいだろう。


「嵐のような奴らだな」

「でも、ありがたいことです……そろそろ慣れてきました」

「いけるのか?」

「だいじょうぶです。それに、カイの背中に隠れていたのでは来た意味がありませんから」


 そう言ってソフィアはふわりとカイの隣へと移動する。男はそっと触れられた手を握り返すことで応えつつ、周囲に視線を向ける。

 クルスは既に人だかりの中にいてここからでは見えない。気配から察するにアンジール達と一緒に居るのだろう。

 イリスは人の輪の外でそれとなく控えている。視線が合うとこっちは任せてという風に手を振られてしまった。


「……ふむ」


 あっという間に取り囲まれたクルスとは逆にソフィアの周りにはぽっかりと穴が開いている。誰も彼も遠巻きに見ているばかりだ。

 それがソフィア自身の生来の近付き難さに加えて、猟犬たる自分が傍に居るからだということにカイは気付いていないが、これはこれで気楽でいいかと納得した。

 そして、男が一通りの気配を読んで害意がないことを確認したのを見計らって、ソフィアはくいっと男の袖を引いた。


「ん?」


 つられるように周囲を見れば、中央スペースに男女ペアになって向かって行く流れが見て取れる。

 このパーティの醍醐味であるダンスの時間だ。いつの間にか、音楽もそれ用のものに変わっている。

 改めてソフィアに視線を向けると、何かを期待するような目でこちらを見上げている。


「踊るか?」

「もう、そこは踊りませんか、と誘うところですよ、カイ」


 たしなめるような口調に反して、ソフィアは笑顔だ。それが緊張からか少し無理している風であってもたしかな笑顔だろう。

 カイにはソフィアがなぜ怒っているのに笑顔なのか分からないが、ひとまずはソフィアの手を取ってダンスに向かうことにした。




「んー、まあカイにしては頑張った方なのかなあ」


 そんな二人の様子を遠目に見ていたイリスは思わず苦笑してしまった。子供じゃあるまいしなどと言ったら二人は怒るだろうか。だが、初々しいにも程がある。


「私も少し踊ろうかなー」


 先ほどまではいくらか言付けを受けたりしていたが、クルスの周囲は人が集まりすぎて逆に秩序立ってきた。アンジール達も一緒となると自分がすることはもう殆どない。


「楽しめているかい、イリス・ナハト君?」

「あ、チャーリー教官。まあ、ぼちぼちです。アルキノではお世話になりました」


 手持ち無沙汰になっていたイリスにきちんとスーツに換装しているチャーリーが声をかけた。フルフェイスの兜のような頭部パーツからは表情は読み取れないが、それなりに楽しんでいるのが雰囲気から察せられる。


「これも何かの縁ですし、よろしければ一緒に踊りませんか?」

「ボクはゴーレムだよ?」

「それがどうかしましたか? ウチのギルドにはゴーレムより鈍感な子もいますよ。それに、すみません。私には業務があるので一般の方と踊るのは……」


 主に危機があればダンスの途中でも即座に飛んでいかねばならない。

 事情を了解している者とでしか踊れないだろう。たとえ、クルスに自由にしていいと言われていてもだ。


「なるほど、それならボクが適任だね」

「すみません」

「気にしなくていいよ。ダンスを誘われたのは久しぶりだ。錆びついていたら笑ってくれていいよ」

「その時は一緒に笑われましょう。それがパートナーってものですよ」

「なるほど。ひとつ賢くなったよ、ありがとう」

「いえいえ。よろしくお願いします」



 ◇



(ダンスというのは存外難しいな)


 ソフィアを伴って踊り始めたカイは心中でひとりごちた。

 パーティ前に音楽に合わせて決められたステップを踏むというルールと基本的な動作は教わっているものの、実際にやってみるとこれが中々難しい。

 音楽のテンポと動作がうまく合わないし、周りの人にぶつからないように気も遣わねばならない。さらに男性側は女性側をリードしないといけないのでそれも念頭において動かなければならない。

 周囲の動きを読んで常時修正しながら踊っているが、正直、ペアがこちらの意を汲んでくれるソフィアでなければとうに破綻していただろう。


「カイ、もっと肩の力を抜いて踊ってもいいんですよ?」

「う、うむ……」


 そう言われて力を抜けるなら誰も苦労しない。男は初めて剣を習った頃を思い出した。

 そうこうしている内に一曲目が終わる。


 実のところ、カイはここまでしか習っていなかった。

 イリスたちも驚いたことだが、カイは物覚えが悪い。有り体に言って一般人並であった。

 これは若くして準英雄級になった者としてはかなり珍しい。同じ時間で他者よりも多く学習、成長しなければ平均を大きく超えることなど普通はできないからだ。

 イリス、ソフィア、クルスは程度は違えど物覚えがいい。学習能力、効率性の高さと言い換えてもいい。学園内で差が付くのもある意味当然である。


 だが、カイはそうではなかった。

 その身に才能はなかった。だから、人の四倍五倍の鍛錬を課した。それだけだ。その違いがこの結果だ。


(とはいえ、これで終わりというのもあっけない。知らない曲とはいえ誰でもできる動きの範疇。周りの動きを先読みしつつソフィアの動きに合わせる。やってできないことは――)

「……カイ、少し外の空気を吸いにいきませんか?」

「ソフィア?」


 一瞬気を遣われたのかとも思ったが、それだけではない。

 ソフィアの顔が若干青い。読心の弊害、思考の許容量の限界がきているのだ。


「すまない。気付かなかった」


 周りが二曲目に移る中、二人はそっとダンスの輪を抜けて会場の外へと出て行った。



 ◇



「……カイのせいではありませんよ?」


 人ごみから離れたことで落ち着いたのか、ソフィアがぽつりと口を開いた。

 外は陽の落ちた冬の夜だ。吐く息は白く、少し肌寒い。その為か周りには誰もおらず、背後から微かに会場内の音楽が漏れ聞こえているだけだ。


「一生に一度くらいは、一曲ちゃんと踊りたかったんです。だから、謝るのはわたしの方です。わがままを言ってごめんなさい」

「……」


 今までその強すぎる読心のせいで、人ごみの中では一曲踊りきることすらできなかった少女。それを憐れだと感じるのは傲慢だろうか。

 少女の泣き笑いの表情に男は何も言ってやれなかった。


「神は何故、このような運命を課されたれのでしょうか……」


 ぽつりと漏れた呟きは孤独の表れだ。

 生まれついての魔法の才に反し、人の間で生きていくことを許さぬ読心の弊害。

 才能が要らなかった、等と言うつもりはない。

 この力が無ければ、自分は兄の役に立つことすらできなかった。ルベリア学園に来ることもなく、ただの貴族の娘として一生を終えただろう。

 今までの人生を考えれば、十分対価に見合うだけの物を与えられていると思う。


(それに……)


 何よりカイ・イズルハという存在に出会えたことが胸の内を大きく占めている。

 十六年と少しの人生で初めての自分の全てを受け入れてくれた人。それは肉親や十年以上の付き合いのある従者にすら出来なかったことだ。

 そんなことができる人はいないと、とうに諦めていたのだ。カイに出会うまでは。


「生まれたからには己が決めた道を生きればいい」


 だから、やはり貴方はそう言うのですね。ソフィアは儚げに微笑んだ。

 男の魂は強く鋭い鋼のツバサ。誰よりも高みへと飛んでいける。


「望むままに生きることのできる方は少ないですよ。人は大なり小なり運命に縛られています。貴方も、わたしも、それは変わらない」

「……」


 珍しく言い返す少女を男はじっと見つめる。

 絹のような金の髪、蒼海を映したのような澄んだ瞳、楚々とした花のようなかんばせ。



 ――この剣をやさしいと言ってくれた唯ひとり



 だから、男は少女に微笑みを返した。

 めったに見られない男の飾らない素朴な笑みに、少女の心臓が高鳴った。


「なら俺は、お前と引き会わせてくれた運命を五柱の神に感謝しよう」


 男は自分の為に笑わない。いつだって誰かの為に微笑む。



「――お前に会えてよかった」



 その言葉を聞いた瞬間、少女は男の胸に飛び込んでいた。


「ソフィア?」

「見ないでください。いまきっとみっともない顔をしています」


 しっかりと抱きとめられた腕の中で少女は顔を埋めるようにして隠す。

 自分が制御できない。頬は熱く、心臓は破裂寸前、目は涙で滲んでいるのに口許は嬉しさで緩んでいる。

 男も珍しく察したのか、黙って少女を抱きしめた。


「……」

「……」


 少しして落ち着いたのか、少女が若干赤くなった目を笑みと共に男に見せる。


「もういいのか?」

「……いえ、もう少しだけこのままで」

「わかった」


 抱き合ったまま流れるときに身を任せる。遠くから聞こえる音楽と、互いの鼓動だけがその場を占める。

 少女の方が男よりも少しだけ体温が高い。互いの温度が混ざる感覚は想像以上に心地が良かった。


「あ……カイ、見てください。きれいな星空です」

「ん?」


 恥ずかしさを誤魔化すように少女が夜空を指差す。

 見上げれば満天の星空。天上に散りばめられた宝石がランプに負けぬ輝きで世界を照らしている。

 男も思わず見入ってしまった。


「きれいですね」

「ああ。こうして無心に星を見上げたのは生まれて初めてだ」

「……そうですか」


 それは修羅の道を歩んできた表れだ。

 五歳で初めて人を殺し、十歳を前に近衛騎士団に入り、十五歳でその頂点の一員となり、以後戦い続けてきた。そのような生き方をしていては星を眺める時間などとてもなかっただろう。


「星はいつでも、どんな人にも平等に輝きを降らしてくれます。だから、きれい……」

「……お前の方が綺麗だ」

「あら? ふふ、カイが冗談を言うなんて珍しいですね」

「いや本音だ」


 驚くソフィアの目の前で、男はすっと手を差し出した。

 聞こえる曲はいつの間にか最初の曲に戻っている。二人が初めて踊った曲だ。


「姫君よ、よければ一曲踊っていただけませんか?」

「……はい!」


 一瞬驚きで固まったソフィアは、次の瞬間、輝かんばかりの笑顔と共にその手を取った。

 月光と星空に彩られた夜の庭で、笑いあう二人は舞い踊る。時につっかえ、時に外しながらも、ゆっくりと二人の歩調で踊っていた。






 一章:出会い 完



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