26話:戦争と平和の間
冬の朝、ようやく太陽が顔を出したルベリア学園の外れ、いつもの大樹のふもとに広がる草原に侍は立っていた。
手には抜き身の一刀。しんと冷えた大気に冴え冴えとした鋼の細月を晒している。
侍は一度ゆっくりと呼吸して気息を整えると、ゆるりと一歩を踏み出した。
頭の天辺から指先、切っ先、足先までをひとつの流れに乗せる。
足運びに従って弧を描く刀身は腕と連動し淀みなく振るわれる。
剣線は止まらず、降る一刀から胴払いへと十字を描き、袈裟の切り返し、逆袈裟の切り返しが連続し、下がる一歩に合わせて逆風に切り上げる。
常の苛烈さはなく、空気の隙間に刀を通すような静かな剣。
それは演武であり、同時に演舞であった。
闇雲に剣を振るっているわけではなく、ましてや踊っているわけでもない。
速度こそ無いが、剣線が外れることはなく、一刀一刀は確かに斬撃となり、進む一歩は踏み込みに、下がる一歩は回避になっている。
斬っては受け、斬っては避ける。唯々それらが連続するだけ。
華やかな美はない。それは型に過ぎない。だが、一切の無駄のない洗練された武が舞を思わせる。
じっと見れば、演ずる仮想の相手が幻視される。鏡合わせの対手に攻撃と受け流しの型を繰り返す様が見てとれる。
それは斬るという意味以外を排した純粋な演武。斬るという概念の具現に他ならない。
侍は止まらない。足捌きは一定の線上を動き続け、刀は一定のリズムで振るわれ続ける。
一ミリのずれも一瞬の遅れも許さない反復運動は既に千回に至っていた。
そして、四半刻もの間、息を吐き続けている。全身の血流、肺の活動、気息、それらを全て刀を振るうことに費やす。
息を吸う一瞬はどうしても隙になる。故になくす。今あるもの、自己の内にあるものだけを尽くす。
型の動きの中で体内は目まぐるしく力を流動させる。
全身から最後の一滴まで絞りだして確保した力を切っ先に集約させる。
力を溜めていく体内とは逆に、演武は静かに、しかし徐々に減速させ――遂に停止した。
刹那、全身を矢にして侍が跳んだ。
型が最後の動きに入る。
刀は速度で斬る武器だ。停止状態から最高速への加速力がそのまま切れ味になる。
踏み締める足先から膝、腰、背中を伝い肩甲骨から腕を通り、刀の先までを斬るという一つの機能に収束させる。
そうして限界まで溜めた力を打ち出すようにして一刀を振り抜く。
閃光が仮想の対手を斬った。
瞬きの間に振るわれたのは八方位の八閃。あまりの速さに斬撃がひとつに連なって見える。
振り抜いた刀にやや遅れて刃音が走る。
生み出した風が吹き抜け草原を駆け抜けた。
「――フゥ」
カイは残心をしつつ肺に残った最後の息を吐いて刀を納めた。
さすがに演武に全てを集中している時は気配を隠すことはできず、常は隠している剣呑な気配が周囲に発せられていた。
だが、それも鞘に納めるかのように徐々に薄れていく。
「待たせた。何か用か?」
「あ、いや。こちらこそ稽古の邪魔をしてすまない」
振り返らずに声を発した先には、距離を取って見ていたクルスがいた。
騎士は腰に長剣を挿しただけのラフな格好だ。全面修理中の不朽銀鎧の代わりに買ったアイアン一式も装備していない。
稽古に来たのだろうとカイは予想した。こんな朝早くだと闘技場も開いていない。
「いつもこんな稽古をしているのか?」
「心技を使った後は自己の点検代わりにすることにしている。…どうかしたのか?」
額に薄く浮かんだ汗を指先で一度弾けば、カイは既にいつも通りに戻っている。
演武はゆっくりとした動きではあったが、あれ程の精度で幾度となく続けるならば並みの体力、集中力では足らない。
しかも、動いている間一度も息を吸っていないのだ。水人のような空気を溜められる種族でもない限り、同様の事が出来る者は限られるだろう。
「クルス?」
「あ、ああ。いや、少々自分の稽古不足を恥じていただけだ」
「あれ位ならお前もできるだろう?」
「そうか? いや、だからこそお前に師事したいのだが」
「ん?」
「稽古をつけてくれないか、カイ?」
「“切り払い”を習得したい?」
クルスの依頼をカイは復唱する。
切り払いは飛び道具や一部の物理攻撃を弾く技能だ。
分類上はファイターの技能だが、前衛クラスは大概覚えられる。中衛でも気で強化した拳で行うモンクもいる程度には敷衍している。
学園でも習得用の講義があるが、クルスの知る限り、下手な教官よりも錬度の高いカイに教えを請うべきだと考えたのだ。
「何故、と聞くまでもないか」
「ああ。今の俺ではまだ足らない。お前に追い付けない」
カイは角獣ソルピードの攻撃を横腹を削られながらも、受け流した。
だが、自分は巨人――ヘカトンケイルという魔獣級の中でも高位の魔物だというのは後で分かった――の攻撃を防ぎ切れなかった。
敵が違う以上、一概に比較できないが、カイは凌げたが、自分は凌げなかった。それは厳然たる事実だ。
「……ひとまずやってみるか。まず、クルスは切り払いをどう見る? どのような技だと定義する?」
無理だとも嫌だとも言わず、侍はひとまずクルスの理解度を試すことにした。
「……相手の攻撃を適切なタイミングで弾くものだと考えている。骨子は盾受けと同じではないかと思う」
侍は小さく頷いた。やはりこの騎士はよく見ている。
その気付きの良さは天性の才だろう。
「凡そは押さえている。切り払いは相手の攻撃と軌道を見切り、そこに得物を“通して”間と間合いを合わせて払う。本来は直感や心眼と併せてで運用する。が、お前の目なら大丈夫だろう」
「これでもナイトだからな」
己よりも膂力のある魔物の攻撃を防ぐには単純に防御力を上げるだけでは対応できない。
剛の中の柔、盾受けの角度で相手の力を受け流したり、力が入り切る前の瞬間を見切ったりとした技術は日々磨いている。
「相手の攻撃を見切る部分は下地ができている、か。盾の防御も出来る以上、あとは間合い合わせか」
侍はひとしきり呟くと刀を引き抜いた。
騎士に教えることは既にない。必要なのはきっかけだけだ。
「“コレ”を弾いてみろ」
言葉と共に酷くゆっくりと刀をクルスへと突き込む。
クルスは若干怪訝な顔をしながらも剣を引き抜き、迫る刀を弾こうとする。が、
(何だ、これは? 弾けない?)
緩く弧を描いて迫るだけに見える一刀だが、どの方向から弾いても体へ命中するのが見えた。
背筋が震える。初めての経験ではない。実戦の中で何度か命の危険を感じた攻撃だ。
(力で弾くしか!?)
時間切れだ。覚悟を決めて剣を振り抜く。
火花が散り、金属がぶつかる音が辺りに響く。
「……ッ」
クルスのこめかみを血が一筋流れる。完全に払いきれなかったのだ。
「い、今のは? さっきの型と同じ……?」
「動きの死角を取った。人体の構造上、最も避けにくい位置への攻撃だ。これが切り払えれば少なくとも実戦で通用する程度になるだろう」
「そ、そうか。よし、もう一度頼む。なんとか今週中に身に付けたい」
「今日中に叩き込む。漫然とやっても身に付きはしない」
「む、そういうものか」
「構えろ。次は更に“加速”する。早く対応できるようにならんと串刺しだ」
「ッ!?」
言い終わると同時にカイの刀が動き出す。
クルスは慌てて剣を構えた。
◇
一刻後。クルスは草原に大の字になって息を荒げていた。
カイの半実戦形式の稽古は想像以上に体力と集中力を消耗した。
大きく息を吐くクルスに全身には無数の切り傷がある。かろうじて直撃は避けたが、何度か危うい場面もあった。
「形にはなった。あとは実戦で使えるようになるだけ。見切れるかどうかはお前次第だ」
「あ、ああ。直感でも覚えられればいいのだがな」
「感知能力は実戦で磨くしか、経験による習得しか道はない」
位階を落とした影響で心眼を失っているが、元は直感と心眼の二重感知を行っていたカイの経験則だ。
直感とは単なる第六感ではない。無意識に流入する五感の情報、過去にあった類似の経験、それらを組み合わせた瞬間の判断だ。
したがって、ナイトでも比較的容易に覚えられる。クラス外とはいえ、前衛で戦闘していれば習得に必要な経験が得られるからだ。
「お前の才能と努力によっては“心眼”まで至るかもしれない。十分可能性はある」
「そう言ってもらえると励みがいがあるな」
ようやく息が落ち着いたクルスが上半身だけ起き上がる。加護による自動回復で体力は余裕があるが、汗はまだ止まっていない。
「しかし……なんというか、意外と簡単に覚えられたな。講義で習得しようとするなら一カ月はかかるのだが」
「神と契約した俺達は普通の人間よりも“成長しやすい”。特に命の危機を感じた際にはそれが顕著だ」
「契約者は生命の危機に瀕することでも能力が上がるからな」
「その特性を利用した。擬似的に死の危険を再現したことで習得速度を早めた」
「そんなことができるのか!? ……いや、なら何故この方法が世に広まっていないのだ?」
こうも容易く技能を習得できるなら、もっと世に――少なくとも学園には――知られていなければおかしい。
神との契約方法が確立されて数百年が経っている。誰も気付かなかった、などということはない筈だ。
クルスの尤もな疑問にカイは頷く。答えは身を以って知っている。
「簡単な話だ。同じ相手に同じ方法を取るなら、次はより死に近づかなければならないからだ」
「……最終的にはどうなる?」
「俺はサムライの技を全て覚えるまでに八回死んだ」
「死っ!?」
「肉体機能が全壊しても魂が散逸する前なら蘇生が可能だ。知っているだろう?」
「高位クレリックの再生魔法か。それも十二使徒のしきたりだったのか?」
「そんなところだ……稽古は終わりだ。ひとまず休め。睡眠が不足している」
「む……」
クルスは防衛戦争の後処理や報酬の決定、ソフィアの身の安全確保等々、ギルドリーダーにしかこなせない用事の為にここ数日忙しく走り回っていた。
一通りの用事は終わったとはいえ、精神的な疲労が大きかったのだろう。先程までの稽古でも動きが遅れていた所が幾つかあったことにカイは気付いていた。
「体力は加護でほぼ回復している。まだやれるが?」
「焦るな。形にはなったと言った。まずは調子を戻せ」
「……わかった。そうさせて貰う」
自覚はしていたのだろう。騎士は再び寝転ぶと体の芯に重さを感じた。加護で体力は回復しても精神的な疲労まで消えるわけではないのだ。
朝露に濡れた草が火照った体の熱を冷ましていく。横になったまま視線を向ければ、侍は一通りの訓練を終えて瞑想を始めていた。
邪魔になるかと立ち上がろうとしたら「気にするな」と心を読まれたようなことを言われてしまった。他にすることもなく、そのまま空を見上げてみる。
薄く伸びた雲が空の半分以上を覆っている。晴れとも曇りとも言えない天気だ。
「はじめて会った時もお前はそうしていたな」
「そうだったか?」
呟くように言った独り言だが、返事が返って来た。
侍は目は閉じたままだが意識はこちらに向いているのが分かる。
「会話して大丈夫なのか?」
「その程度で集中は乱れない」
「そうか。それなら少し付き合ってくれ」
微風が半年で少し伸びた騎士の髪を揺らす。
騎士は過去を思い返すように、雲間から中天へ昇っていく太陽に眼を細めた。
「正直に言えば、そうしているお前は人間に見えない。気配が希薄と言うか、いや逆なのか……気配が大きくて測れない」
「瞑想による森羅との合一。目指す方向はウィザードと同じようなものだ」
“原初の海”と呼ばれるこの世界の生命が巡る循環の始点にして終点。
実在は示唆され、しかし、誰も証明したことのないその場所への探求こそがウィザードの興りである。
「ああ、それで……」
瞑想に入ったカイが何故か妹に似ている気がしたのだ。
生まれつき膨大な魔力と高い感応力を持っていた妹はしばしば森に溶け込むような錯覚を与えて、父や従者たちを気味悪がらせていた。
「……カイ、お前はソフィアをどう思う?」
「どういう意味だ?」
「あ、いや……」
もし、カイとソフィアの間に子が出来たら、どのような存在になるのか。
肉体的形質や魔力等とは違い、感応力は本人自体の才能による先天的なものと言われているが、もっと単純な話、強い親からは強い子が生まれるというのは巷で信じられていることだ。
一瞬とはいえ、そんなことを思いついた自分をクルスは恥じた。たかが一瞬、されど一瞬。その思考を侍は見逃さない。
「後継ぎの問題か?」
「そうではない!! むしろ俺はソフィアの政略結婚には反対だ」
「お前はいいのか?」
「これでも当主候補だからな。だが、あいつは色々と危うい奴だ。俺で済むならあいつは好きにさせてやりたい。だから本当にそういった意味ではない。……俺は時々、お前とあいつが似ているように見える」
「似ている?」
「お前達はどこか“儚い”。いつか、ふらっと消えてしまうんじゃないかと不安になる。繋ぎ留めておきたい。側にいて欲しい。そう願うのは傲慢だろうか?」
「……」
沈黙する二人の間を北風が吹き抜ける。
目を閉じて表情を消したその姿からは内心を窺い知ることはできない。
「お前はいいリーダーだ。今はそれで十分ではないか」
「……分かった。いざとなったらあいつのことを頼んでいいか?」
妹が自由に生きられる世界はこの学園にしか、冒険者として命をやり取りする中にしかなかったのだ。
ここに連れてきたのが正しかったのか、その答えはまだ出ていない。
暫くして、
「出来得る限りでいいのなら」
男は熟慮の上で、自分の限界を示した。
この身には何もない。人の悪意からあの無垢な少女を守るにはあまりに脆い盾だ。
「それでも、ありがとう」
真摯な返事を聞いて安心したのか、クルスは微笑み、静かに眠りに落ちて行った。
◇
「こんにちは……?」
ソフィアはいつもカイがいる大樹の元へやって来たところで、瞑想するカイの傍で眠っている兄の姿を見つけた。
規則的な寝息を立てるその身にはカイの一張羅の外套が掛けられている。
「兄さん、風邪ひいてしまいますよ?」
「少し寝かせてやれ。今日は暖かいから大丈夫だろう」
「……そうですね」
男の中では外套を掛けたことで処置は完了したとみなされているのだろう。
少女もひとまず納得したようで小さく頷き、それ以上何も言わずカイの隣に腰を下ろした。
「疲れがたまっていたのでしょうか」
「だろうな」
「では……」
少女は何か考えていたようだが、暫くしていそいそと足を崩して座り直すと、兄の頭をそっと膝の上に乗せた。
兄に起きる気配はないが、少しだけ表情が和らいだように見える。
「カイも横になりますか? 座禅を組んでいる必要は本来ないのでしょう?」
ソフィアが空いている方の膝を軽く叩いて誘う。
「疲れているように見えるか?」
「はい。少々気が乱れていまように見受けられます」
男が薄く目を開けた。顔に浮かんでいるのは男には珍しく微かな驚きの色だ。
「心臓の呪術はおろか、体内の気まで感知できるようになったのか」
防衛戦争を経てさらに位階が上がったからだろう。特に聖性を持つソフィアは能力の上がり幅が大きい。
とはいえ、これは異常なことだ。
生物の体内はそれ自体がひとつの異界と見做される程に複雑な気の巡りをしている。
気功の専門家であるモンクの習熟者でも直接触れなければ感知できない。いわんやクレリックやウィザードは分野がまったく違う。
「魔力と気力に大きな差はないですよ?」
その常識を無視しながら、本気で首を傾げる少女に侍は何と告げるべきか暫し迷う。
魔力が魂で精練し、外へと発するものなら、気力は生命力を練り上げ、そのまま内部で溜めるものだ。
力という面では同じだが、それを区別なく感知できるかは別の話だ。
例えるなら、言葉と思考ほどの差異がある。だが、ソフィアにとってはその差異が微々たるものにしか感じられないという。
視点の深さが常人とは違い過ぎる。既に人外の域に達していると言っていい。
「気を練ることもできるのか?」
「集中すればできます。あ、戦闘中は無理です。カイこそ魔力生成を封じられても気を練るのに不便はないのですね」
「経験の違いだろう」
「経験?」
「ああ。お前は生まれた時から魔力生成を意識的にできたのだろう?」
「はい、おそらくそうです」
「俺が魔力を自覚したのは大分修練を積んでからだ。その頃には既に魔力に関係なく気を練ることができていた」
体内の魔力量が少ない者でも成長に伴い意識的に魔力を操作できるようになることはある。ただし、感応力に欠けるならばやはりウィザードにはなれない。カイもまたその例から漏れることはなかった。
侍にとって魔力とは消耗品だ。魔力による瞬間的な強化等あって困ることはないが、無くても主要な戦闘技能は発揮できる。この体はそのように出来ている。
「魔力は別にいい。だが、こうも身体能力が下がるとできないことも多い。それを痛感した」
落とした視線の先、心技を放って折れた右腕は完治している。違和感も既にない。
だが、カイという剣士にとっては心技を使うたびに腕が折れるのは死活問題だ。現状では一戦闘で二回、つまり片腕ずつ折っていきながら使うしかない。
“アメノハバキリ”の最大の長所は『必斬』という一種の即死効果に対して、消耗が非常に少ないという点にある。
通常の心技が膨大な出力を持つ魂を技という枠に押しこめるのに対し、この心技は技を魂の一部に昇華したものだ。
端的に言って、カイはこの系統の技を使い慣れているのだ。
そして、侍の最終的な戦闘形態は『全ての斬撃を心技にする』ことにある。それを目指す以上、使用回数が限定されるのは痛い。
「今はまだいい。だが、俺はお前と五,六歳は離れている。年齢の分だけ能力の低下も早く訪れる。俺は間に合わないかもしれない」
「……だいじょうぶです」
「ソフィア?」
男の頬にその細い指でそっと触れ、清々しい程の確信を込めて少女が告げる。
澄み渡る海の様な蒼い瞳が不思議な輝きを放って男を捉える。視るという動作だけで魔力が集まり、意識の波が少女を中心に広がっていく。
魂の奥底まで見透かされそうな瞳に男は逆らわず全てを晒す。その絶望も諦観も、あるいは背中の銀剣を抜かない理由さえも視えたのかもしれない。
「――だいじょうぶ、です」
それでも少女はもう一度告げて微笑んだ。冬に咲いた花は儚く、しかし美しい。
確かな証拠がある訳ではない。だが、この道が間違っているなんてことはない。少女はその一念で以って男の全てを肯定する。
そうか、と小さく頷いて男は目を閉じた。
少女の言葉に、かつて心の奥底に封じた筈の火が微かに燃える音がした。
◇
「あー、やっぱりここにいたのね」
その後、クルスが起きてから更に半刻程してイリスがやって来た。手には何故か大きなバッグを持っている。図らずも全員が集合した形となった。
「まったくいつの間にかいなくなってるんだから。あんた達兄妹がパーティでないと暴動起きるわよ?」
「パーティ?」
「…………えっとカイ? 戦勝パーティだけど知らないの? 掲示板にも載ってたし教官達からも通達があった筈よ?」
聞き返したカイを見て、イリスが絶句する。
出無精なのは知っていたがまさか戦勝パーティにすら出る気が無かったとは思わなかったのだ。
「今日の夜にあるんですよ。カイもご一緒しませんか?」
「……いや、俺は」
「アンタだけ楽させるなんて嫌よ。しっかりソフィアをエスコートして羨望の眼差しを受けなさい」
「強制と言う訳ではない。年越しの祭りも兼ねているとはいえ、無理にとは言わんさ」
できればソフィアに付き合ってやって欲しい、そういう気遣いの気配が従者にはある。読心の弊害のあるソフィアは長く人の集まる所に入られないのだろう。
「お厭でしたら……」
そう言うソフィアは随分としょんぼりしている。人込みは苦手だが、それでもソフィアなりに楽しみにしていたのだ。
此処に来たのもカイを誘うつもりだったからだ。
「いや、出席する。思えばパーティなど初め……」
それを察したからこそカイも応えてやりたいのだが、言い終わる前に自分の現状に気付いてしまった。
珍しく困った様子にクルスが首を傾げて問いかける。
「どうした? 何か問題があったか?」
「服がない」
「む、その道衣以外ないのだったな。しまったな……」
延び延びになっていた約束は、結局、防衛戦争が終わったら買いに行こうという形に落ち着いたのだが、あまりに忙しくて今日まで実現できなかったのだ。
「近衛騎士団の正装はないのか? 直属なら支給された筈では?」
「騎士位を剥奪された時に廃棄した」
「……ああ。なるほど」
未練や執着とは程遠いこの男らしい、クルスはそう感じた。ならばどうしたものかと考えていると、イリスが含みのある笑顔で手に持つバッグを掲げてみせた。
「ふふふ、まあ、そんなことだろうと思って、衣装はこっそり用意しておいたのよ!」
「いつの間に……」
「サイズはどうした?」
「ソフィアに視て貰ったわ!! まったく、服がなくてパーティに行けないなんてどこの童話の主人公よって話ね。今回は勝手に用意したけど、次からはちゃんと言ってね」
「すまん、世話を掛けた」
従者として抜かりはないらしい。
ともあれ、現状では助け船に他ならないだろう。
「趣味みたいなもんだからそんなに畏まらなくてもいいわよ。……あ、ダンスはできる?」
「経験がない」
「むむ……よし!! こっちもパーティまでに仕上げてあげるわ!!」
「お手伝いします、イリス」
「ソフィアは先にドレスと髪!! さあ、バリバリいくわよ!!」
妙にやる気のあるイリスに引っ張られるようにしてカイ達は急いで準備を始めた。




