1話:序章
イラスト/森乃きの子氏
◇
汗と疲労でぼやける視界の中、目の前で大きく開かれた牙の並ぶ顎に構えた剣先を叩き込んだ。
上顎を抜けて頭蓋を突き破った感触が柄を通じて手に返る。
噴き出す血が不朽銀の兜と全身鎧を汚す。右半分の視界が赤く染まる。兜の下でクルスは小さく舌打ちした。
逆の手に持った盾で死体を血飛沫ごと弾き飛ばし、騎士は次に備える。
だが、予想に反して敵は大きく後退していた。
(強引に攻めてはこないか……)
前方を確認。敵はあと五匹。全身が黒く硬い体毛に覆われた狼、を二回りほど大きくした“魔物”
半数ほど削った為か、こちらを窺うように半円を描いて動き続け剣の間合いに入ってこようとしない。
範囲攻撃で一気に削りたい所だが、彼らは陣形を広く取りつつ互いをフォローして隙をみせない。
(厄介な……)
彼らの種族名はグランドウルフという。
その名の通り巨大な狼型の魔物だが、こちらの罠と待ち伏せを察知してみせた知能は通常の狼を遥かに超えているだろう。
『魔物』
主に大陸北の暗黒地帯より流入してくる、この世界の生物系統樹から外れた存在。
魔力が受肉することで生まれると言われるが、その発生原因は定かではない。
記録によれば遥か昔、この白国より北、暗黒地帯への緩衝地であった黒国が滅んだのと同時期にその存在は確認され始めたという。
高位の魔物には人間と意思疎通する者や人間など足元にも及ばない高度な魔法を使いこなす者などもいる。とかく常識では計り知れない存在だ。
「イリス、ソフィア、魔力残量は!?」
隙を見せれば跳びかかってくるであろう敵へ剣先を向けて警戒しつつ、背後の仲間に向けてクルスは叫ぶ。
「まだ大丈夫!!」
答えたのは不朽銀の胸当てと機動性を重視した皮の軽鎧を着込み、油断なく弓を構えた白髪の少女。
「わたしもだいじょうぶです。兄さん、一度下がって回復を」
さらにその背後、白いゆったりとしたローブに身を包み、上部に蓮の造形をあしらった杖を構えた金髪の少女の二人だ。
どちらも美少女と呼んで差し支えない美貌だが、いまその表情は長引く戦闘の緊張に硬くなっている。
「駄目だ、ソフィア。ここで俺が下がれば抜かれる。イリスだけでは抑えきれん!!」
「ですが、兄さんの魔力はもう限界です」
前衛のクルスは攻撃を引き付けて物理防御力の低い後衛を守るのが役目の騎士クラスだ。
しかし、その防御力の要である障壁も長引く戦闘で魔力に限界が近い。もってあと数回分といった所だ。
それを過ぎれば一度休息を取らないと生命力まで消耗し昏倒する危険性もある。前衛であるクルスの戦闘不能はそのままパーティの全滅を意味する。
(しかし……)
目線だけでちらりと後ろを見る。ソフィアのさらに背後には複数の男が倒れている。かろうじて死んではいないが皆一様に足を傷つけられ、あるいは噛み千切られて動くことができない。
クルスたち三人ではグランドウルフを相手取りながら彼らを運ぶことはできない。
ここで下がるということは、彼らを見捨てるということと同義だ。
「ソフィア一人では治療の手が足りない」
彼らはグランドウルフの奇襲を受けたギルドだ。
ソフィアが攻撃の合間に治癒術式をかけて命を繋いでいるが、傷を塞ぐには本格的な治療を必要とする。
これ以上グランドウルフとの戦闘を長引かせれば彼らの命が危うい。
ここで問題となるのは、グランドウルフがそれを考慮に入れて彼らの足ばかりを傷つけ殺さなかった所だ。
死んでいない以上、クルス達は可能な限り彼らを助けねばならない。たとえ、そうすることでグランドウルフの術中に嵌っているとしてもだ。
(どうする……)
徐々に包囲を狭めていくグランドウルフを睨みながらクルスは思考を巡らせる。
数日前、クルス達は彼らと組んでこの辺り一帯を荒らしているグランドウルフの群れを退治する依頼を受けた。
襲撃ルートを割り出し、罠を仕掛けて殲滅するつもりだった。
しかし、クルス達が罠を仕掛けに行っている間に村の防衛に残っていた男達は奇襲を受けて壊滅してしまった。獣型の魔物ながら相手の方が上手だったのだ。
状況は不利だ。敵の数を半減させたとはいえ、それはクルス達だけで相手できるということを意味する訳ではない。
前衛のクルス、中衛のイリス、後衛のソフィアという陣容は突破力に優れるグランドウルフ相手では心許ない。その為の前衛中心のパーティとの共同戦線だったのだが――
(彼らを見捨てるか?)
それはひとつの選択肢であろう。血を流し痛みに呻く背後の彼らを見捨てて逃げれば、グランドウルフはおそらく追って来ない。
襲撃間隔から見て今彼らが腹を空かしているのは確実だ。目の前の“食料”を無視はしないだろう。
あるいは痛めつけてこちらを呼ぶ餌にする位はやりかねないが、最悪でもこちらの逃走時間は稼げるし、一度仕切り直せばクルスの魔力も回復しているだろう。
そもそも、今の状況は若いこちらに雑用を押し付け、村の防衛と言う名目で気を抜いていた彼らのミスが招いたものだ。
見捨てられたとしても自業自得だろう。
(だが、それはできない。する気もない)
そんな暗い考えを捨てる。
実利から考えても、仲間を見捨てたとなれば自分達と組むギルドはなくなるだろう。少人数パーティにとっては死活問題である。
それに、何よりも、貴族であり騎士である自分が端から仲間を見捨てる様な選択肢を取る訳にはいかない。
命には代えられずとも“誇り”は己を立たせる大事な要素なのだ。
(それは最終手段だ。他の手は――)
ない訳ではない。多少賭けになるが分は悪くない。あとはクルスの覚悟と観察力の問題だ。
グランドウルフの完璧な統率には明らかにリーダー格の存在が噛んでいる。おそらくは発する匂いや人間には知覚できない声で指揮しているのだろうが、危機に陥れば尻尾を出す。
“神託”にも似たクルスの確信。危機を前にして騎士の集中力が高まっていく。
既に包囲も限界が近い。ここが勝負どころだ。クルスは覚悟を決めた。
同時に背後の二人の雰囲気も鋭さを増していく。前衛の背中から気配の変化を感じ取ったのだ。
騎士はひとつ頷きを入れて覚悟を言葉に変換する。
「ここで決めるぞ!! イリスは撹乱、ソフィアは火炎魔法、よく“狙え”!!」
「了解です」「りょーかい!!」
声と同時にイリスが腕を振るとその手にはいつの間にか幾本もの矢が握られていた。それらを纏めて上空に向けて構えた弓に番える。
「――いくよ!!」
上空へ放った矢が分裂し、重力に引かれて相手の頭上に驟雨の如く降り注ぐ。
頭を抑えられた魔物達は器用に矢を避けつつ一旦散開しようとするが、
「――大気に満ちる無限の熱素よ」
そこにソフィアが詠唱から中位炎熱魔法を叩き込んだ。
「――昇華せよ、フレアボム」
宙に生まれた火球が急速に熱量を溜めこみ、爆発した。
避けきれなかった一匹が消し炭になりながら吹き飛ぶ。
だが、残りは炎を跳び越えてこちらへ迫ってくる。
同時に襲ってくる四匹。クルス一人では抑えきれず接近されればソフィア達は為す術ないだろう。
「――オオオオォッ!!」
対するクルスは狙いを中心の一匹に絞って剣を振りかぶった。一番初めに魔法に反応した個体、十中八九この群れのリーダーだ。
敵リーダーも恐れずに突っ込んでくる。振り下ろされる剣を横っ跳びで回避し、逆に喉笛に噛みつかんと飛び掛かる。
さらに他の個体もリーダーのフォローの為に素早く方向転換して四方からクルスに迫る。
数瞬後にはクルスの四肢は鎧ごと噛み砕かれているだろうが――
「やはりそう来たか!!」
クルスは気炎をあげながら盾ごと突進する。
シールドバッシュ、盾に被せるように展開した障壁を維持したまま突撃し、押し込む。剣は初めから囮だ。
不朽銀と刻印術式を配した盾に加え、その前面に展開した物理的強度を持つ障壁を全身加速から敵リーダーへ叩き込み、その身を弾き飛ばす。
クルスの背後では一斉に飛び掛かったグランドウルフ達が目標を外した上、リーダーからの指示が来ないことで次行動への移行が僅かに遅れる。
前衛を抜かれた今の状況は非常に危険だが、三匹が密集した状態は好機でもある。
無論、それを逃すクルス達ではない。
「ソフィア!!」「――だん、フレアボム」
その一瞬に詠唱を無視し、通常なら有り得ないタイミングで再び炎熱魔法が放たれる。
魔力を変換した膨大な熱量を収束、爆発させることで発生した衝撃波と熱波が鎧越しにクルスの背中を焼く。
おかげで多少ダメージを受けたが、代わりに単体魔法の一撃で三匹のグランドウルフを仕留めることができたのだ。
賭けはクルスたちの勝ちだ。
盾に弾き飛ばされた勢いのままに敵リーダーが地面をバウンドするようにして距離を取る。
こちらへ向き直った一瞬で不利を悟ったのか、そのまま撤退しようと――
「悪いけど、逃がさないよ」
する直前に放たれたイリスの一矢がその前足を地面に縫い止めた。魔物が吼える。それは、聞き違えようのない悲鳴だった。
「終わりだ!!」
間を置かずクルスはトドメの一撃を振り下ろした。厚手の刃が肉に食い込み一撃で首の骨を叩き折った。
長く伸びた魔物の悲鳴が絶え、代わりに静寂が辺りを満たす。
「……終わったか。索敵は?」
「周囲に敵影なし」
「魔力探知もありません」
「よし!! ソフィアは負傷者の治療、イリスは直ぐに村へ行って医者を連れて来てくれ」
「了解!!」
三人の中で最も足の速いイリスが全速で村へと走り出す。
グランドウルフから回収できる素材もあるが、今は負傷者の手当てが優先だ。
「兄さん、治療を」
「俺は後でいい。痛み止めもある」
クルスは兜を脱ぎ捨てた。
流れる様な金髪とサファイアのような青い瞳。ソフィアとよく似た造形の端整な顔が露わになる。
倒れ伏す味方に駆け寄り、二人で協力して治癒魔法をかけながら医者の到着を持つ。
あと一手が欲しい。クルスは心中でそう断じた。
あと一手、自分が足止めしている内に、イリスの牽制とソフィアの詠唱の間を繋ぐ一手が欲しかった。
それは同時にこの三人パーティの限界だった。
(新たに仲間を募る時期が来たということか……)
治癒の手を休めることなく、騎士は心中で思考を深めていった。
幸いにして死者を出すことなく依頼は終了した。
はじめまして、山彦八里と申します。
こういったサイトへの投稿ははじめてになります。どうぞよろしくお願いします。