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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
29/144

25話:防衛・後編

 ソフィアの心技が発動し、魔物の第一陣、第二陣が壊滅してから数日が経った。

 ようやく氷が溶けてきた戦場跡に動く者はなく、一人で物思いに耽る第二師団司令官である支部長の思索を邪魔する者もまたいない、筈だった。


「随分と綺麗に平らげたではないか、ベガよ」

「……お早いお帰りだな、レーヴェ」


 誰も話しかけるなと雰囲気で発していた支部長につい先程帰陣した皇帝が気安く声をかけた。

 しかし、応える支部長にも固さはない。赤国において皇帝を略称で呼ぶのはこの男くらいだろう。

 所属も立場もまるで違うが、二人は不思議と馬が合った。あるいは、その戦術的思考を理解できるのがお互いしかいないと察しているからかもしれない。


「何、我らが精鋭が優秀であったというだけよ。今度の暗黒地帯も中々に愉快であったわ!!

 雹と雷が一緒に落ちてきた時はどうしてくれようかと思ったぞ!!」


 ハッハッハと大笑する皇帝に対してベガはいつもの薄い笑みで返した。


 今回、第一師団は二度目の突撃で統率個体の討伐を成功させた。幸運ではあったが、無論、それだけで引き寄せられるような容易い結果ではない。

 人類側は第一師団に戦力を集中させ、装備と人員のどちらも揃えうる最善を用意した。それを当代最高峰の戦上手の一人である陣列皇帝が直に指揮を執ったのだ。

 逆に失敗しようものなら赤国、ギルド連盟共にどれだけの頸が飛んでいたかわからない。


「して、辺り一面凍りついているのは何故だ? 馬の足が取られてかなわんぞ」


 ひとしきり笑った皇帝は表情を引き締め、目前の氷河を手で示した。


「……魔法部隊が少しはしゃぎすぎただけだ。気にするな」

「お前の予測外か。珍しいな」

「クク、まあな」


 レーヴェンリッヒは豪放な人物に見えて意外に鋭い。そうでなければ、この時代に皇帝が務まる筈もない。

 自嘲の笑みを浮かべる朋友に一瞬探るような目を向けた皇帝だが、苦笑して視線を平野に戻した。


「ふむ、おかげで敵の第二陣も壊滅したようだし良しとするか」

「そうしてくれ。明日になれば掃討戦をかける。人手がある内にもうひと働きして貰う」

「よしきた!! と言いたい所だが、第一師団は無理だ。損耗が激しい。特に馬は丸一日休ませんと動かん」

「商人ギルドに代わりの馬を用意させてもいいが、魔物と戦える錬度となると備蓄が無いだろうな」

「仕方あるまい。お互いこんな早くに決着がつくとは思っていなかったからな」

「まあな。だが、あらゆる手を想定するのがオレ達の役目だ」

「うむ、至言であるな。……ではこの局面、お主ならどう読む?」

「そう言うお前はどうなんだ?」


 一瞬の沈黙、互いに目を逸らさず思考時間だけが過ぎていく。


「――作為的(・ ・ ・)だと言うのだな、盤上の?」

「――悪意(・ ・)を感じるのだろう、陣列皇帝」


 片や率直に、片や皮肉気に、二人は互いの思考を見透かしたかのように口を開く。

 同時に繰り出した言葉は同じ意味を内包している。


 二人は魔物を生物として見做していない。ある種の概念、機能の一つとして見ている。

 なぜなら、魔物は自己を守らない、子を産まない。ただひたすらに人類を害するだけの存在だからだ。

 そして、それ故に魔物に殺意はあっても悪意はない。どれだけ知能が高い魔物でもそれは変わらない。ましてや、人間に利することを進んでやるようなことは有り得ない。


 だが、今回の防衛戦はタイミングが良すぎた。

 赤国と青国が小競り合いを始めようとしているこの時期に狙ったように勃発し、且つ、魔物達は白国の領土には目もくれず一心不乱に赤国を目指していた。


 これでは青国を疑ってくれと言っているようなものだ。

 これ以上無いほどにあからさま過ぎるが、それ故に人心が動く。皇帝としても無視はできない。


「掃討戦が終了次第、我は主力を纏めて帝都に戻る。後はギルド連盟の調停次第だ」


 良くも悪くも陣列皇帝の名は広く知られている。

 彼が軍を展開しているというだけで各国にはいらぬ心労をかけることになる。


「青国の議会も阿呆の集まりではない。事態の異常さには気付いている」

「ならば不戦条約を結ぶことも不可能ではないか。緑国はいつも通りの中立姿勢であろうから、あとは白国次第か」

「相手は魔物をある程度自由に動かせる存在だ。かの女教皇の協力が取りつけられないなら……人類が滅ぶだけだ」


 未だ明確な形が見出せていない四大国連合軍計画。

 このパルセルト大陸全体で僅か数人だけが、遠からずそれが必要になることを予感していた。



 ◇



 野戦から数日が経ったその日、第一師団の帰還と入れ替わりで掃討戦への参加命令が第二師団に発令された。

 探索地域は細かく区切られ、連携は密にとるよう通達されている。通常は暗黒地帯の奥にいる魔獣級がアルキノ近辺まで侵攻している可能性があるからだ。


「第二師団はギルド単位に分かれて掃討と殲滅に移る。俺達の担当はここから1キロほど行った所にある廃棄された旧市街だ」

「本隊の露払いか」


 軍議を終えて天幕に戻って来たクルスを横目で捉えつつ、侍は刀に打ち粉を塗していた。

 先日の戦闘ではさすがに血脂を付けずに済ますことはできなかった為、名刀の誉れ高い菊一文字と言えど手入れを必要としているのだ。


「今回の任務は旧市街の解体も兼ねているとのことだ。イリスには爆破術式の設置もして貰う」

「りょーかい。って、私らいいように使い走りにされてるわねー」

「仕方あるまい。俺達は野戦で十分な武勲を立てている。これ以上は他に譲るのが筋だろう」


 穴だらけになったカイの外套をちくちくと補修しているイリスが率直な意見を述べる。

 クルスは苦笑しつつ、ちらりと視線をソフィアに向けた。


 妹はどこか不安そうな表情で宙を見つめている。

 視線に気付き、慌てたようにこちらに向き直った後も表情には微かに影がある。


 心技を使った反動でソフィアは一時的に感応力を失っていた。


 クルスも心技の反動で数日は魔力量が減少している状態にある。

 だが、生まれつき高い適性を有していた少女にとって感応力の喪失は視覚を失ったことに等しい。

 今まで視えていたものが視えなくなるというのは小さくない恐怖だろう。


「兄さん、えっと……」


 そのままでいい、と声をかけて無理に微笑もうとする妹を止める。


「一時的な事とはいえ、能力低下で不安になるのはわかる。だが、任務には付いて来て貰う。いけるか?」

「というか、ひとりでここに置いとく方がまずいからねー」


 先日の心技発動は各国軍にも見られている。


 広域殲滅型凍結系心技“デリュージ・オブ・コキュートス”


 個人が持つには強力すぎる。同じギルドであるクルス達ですらそう思うのだ。

 『多数の死者がでること』という厳しい発動条件があることを知らない者達からすれば、アレを自分の国の首都で使われたら、と考えて行動を起こす可能性は否めない。


「よくて勧誘、悪くて誘拐、最悪で暗殺といったところか」

「残念だがそうなるだろうな。ソフィアの自衛能力も落ちている。今回の報酬でギルド連盟に身の保障を貰うまで単独行動は厳禁だ」

「……はい、わかりました」


 感応力の喪失に伴って読心能力も低下しているのだろう。いつも以上にソフィアの反応が鈍い。

 ひとりで残しておく訳にはいかないが、かといってこの状態のソフィアを戦闘に連れていけば足手纏いにしかならない。

 どうするべきかとクルスが悩んでいると、いつの間にか刀の手入れを終えたカイがつかつかとソフィアに歩み寄り、おもむろにその額に指打を撃ち込んだ。


 ゴツン、と明らかに指打の音とは思えない打音がした。


 そういえばカイはモンクでもあったと思い出したが時既に遅く、ソフィアは額を赤くして仰向けに倒れていた。


「……痛いです」


 少女はたっぷり十秒を数える時間が経ってからようやく上半身を起こした。涙目で額をさすっている辺り本気で痛かったのだろう。

 腰が抜けたのか、立ち上がる様子はない。


「目は覚めたか?」

「あ……」

「ここはまだ戦場だ。機能がひとつふたつ喪失したくらいで気を乱すな」

「……はい。お手数をおかけしました」


 ソフィアが深く頭を下げる。

 目の前の侍は感応力どころか魔力すら失っているのだ。その喪失感は自分の比ではないだろう。

 初めてのことだったとはいえ随分と視野が狭くなっていた。


「お前にはまだできることがある」


 カイはひょいっとソフィアを抱き上げる。ソフィアも慣れたもので、はい、と笑顔で頷き、男の首に腕を回し身を預ける。

 頬を押しつけるようにして触れた男の胸からは一定のリズムを刻む心音が聞こえる。その音を聞いただけで少女の心はゆっくりと平常心を取り戻していった。


「何だかんだでソフィアに一番甘いのはカイじゃない?」

「さてな。それより白神のローブはあるな? 魔法が使えない以上、今のソフィアの装備は無駄になる」

「あるよ。おいで、ソフィア」


 外套の補修を終えたイリスがソフィアを連れて天幕に取って返す。

 そのまま表を閉めるが、その途中で笑顔のイリスが頭だけ出した。


「覗いちゃだめよー」

「私は別にかまいませんが?」

「だめなの!!」


 その後も暫く天幕の中から騒がしい声が聞こえていたが、そう待たずに二人は出てきた。

 着慣れた純白のローブに換えるついでに櫛を通したのか、ソフィアの絹のような金糸にも輝きが戻っている。

 ソフィアの表情からも吹っ切れた様子が見てとれる。これなら大丈夫だろうとクルスは頷いた。


「改めて聞くが、ソフィア、調子はどうだ?」

「だいじょうぶです、兄さん。現状、発現魔法、読心、広域探知は使えませんが、治癒術式と風声、魔法罠の解除はできます」

「感応力の回復にはどのくらいかかりそうだ?」

「この感じだと……三日はかかると思います」

「ふむ、では今日はクレリックに専念して貰うことになるな。立ち回りは忘れていないな?」

「あ……はい!!」


 今の自分でもできることがある。その事実がソフィアを勇気づけた。



 ◇



 準備を終えたクルス達は割り振られた地区の探索を始めた。

 任された範囲は広くはないが、崩れた建物などで見通しは悪く、所々で道が寸断されている。


「んー、今日一日で回るのは無理かもね?」

「こればかりは仕方あるまい。とにかく伏撃に注意して進むぞ」

「了解。もう少し行ったら爆破術式仕掛けるから警戒よろしく」


 クルス、イリス、ソフィアの三人は徒歩で行ける所を中心に探索していた。本陣が近い、つまり開戦前に一度掃除されたこともあって出てくる魔物も少なく、三人で十分に対応できた。


 一方で『魔物を足場に戦場を駆け抜ける』という別次元の機動力を持つカイを遊ばせておく訳にもいかず、連携しつつ普通は探索できない場所に派遣していた。


 当初、(ましら)のように屋根伝いに跳躍移動し、時に飛行種の魔物すら足場にしてしまう様子を三人は感嘆と共に見上げていたが、半刻もするとそういうものだと慣れてしまった。

 もう空中を走り始めても驚かないわ、とはイリスの弁である。


「というか、前よりも動きが良くなってないか?」

「あー、たしかに。私も前よりも気力が充実してる気がするわ」


 数千以上の差がある中で戦ったのだ。位階が上がっていてもおかしくはないだろう。


「距離的にはここらがいいかな」


 そんな中、イリスが懐から爆破術式が書き写されたスクロールを取り出し、魔力を注入して建物の根元に張り付ける。

 スクロール化した術式は威力も燃費も低位魔法に劣るが、それが数百も連鎖して発動すれば廃墟を更地にすることも不可能ではない。

 尤も、それだけの数を用意するにはアルキノに集結したウィザードを馬車馬の如く働かせてもひと月はかかる。

 だが、ベガは魔法部隊の多くを預けられてから即座にウィザードに量産を指示していた。先日消費した分と合わせてもまだ余裕があるほどだ。


「でも、『本隊の進撃後、廃墟ごと魔物を焼き尽くす』なんて無茶苦茶な作戦、誰が考えたのかしら? あの支部長にしては豪快と言うか大味な気がするけど」

(……まさかな)

「兄さん、どうかされましたか?」

「いや、少々自分の発言を思い返していただけだ」


 支部長との会話を思い出してクルスが冷や汗を流し、その様子を見たソフィアが首を傾げているので慌てて誤魔化した。

 イリスは二人のやり取りには気付かず、次々と爆破術式を設置していく。


「よし、出来た。んじゃ、次行くわよー」

「待て、イリス」

「カイ?」


 声と共に文字通り侍が降って来た。

 軽やかに着地すると同時に周囲にカラカラと魔力結晶が落ちてくる。この男は上空で何をしていたか推して知るべしである。


「どうしたの? 大物でも出た?」

「ああ……随分とでかい(・ ・ ・)気配だ。遠くない」

「む、まずいな。ここからだと本陣に累が及ぶぞ」

「ひとまず偵察に――」


 瞬間、隣の区画で轟音と共に家屋が吹き飛んだ。


 家屋の砕片に混じって人間の部品も飛んでいるのがイリスの千里眼で見てとれた。

 そして、家屋が崩れたことでその向こうにいた相手の姿が目視できるようになった。


「……何、アレ?」


 イリスが半ばあきれたような声を上げる。

 まずデカイ。とにかくデカイ。四十メートルはある。

 そして、その巨体に取って付けたように多数の頭部と無数の腕が生えている。


 それは魔獣級の巨人種が一体。名をヘカトンケイルと言う。


「巨人種。ソルピードの掘った穴を拡げてきたのか」

「ちょ、ちょっと!? アイツこっち見てるわよ!!」

「本陣を狙って(・ ・ ・)潜行して来たというのか!?」

「――来ます」


 巨人はひとしきり周りを薙ぎ払うと、こちらに向かって移動を始めた。

 クルスたちの背後には本陣がある。これ以上侵攻させるのは危険だ。

 戸惑いはあっても騎士の判断は素早かった。


「とにかくアレを止めるぞ、カイ、イリス!! ソフィアは本陣に連絡!!」

「了解!! ――散れ!!」


 素早く建物に登って射線を取ったイリスが拡散矢を射る。

 無数に分かれた矢が巨人を襲うが、庇うように掲げられた多数の腕に当たってあっけなく弾かれた。


「なんて硬度よ。……全力で撃って腕一本てとこかしら」

「来るぞ!! ――障壁、展開!!」


 巨人が踏み込みと共に地面を払うように腕を振った。家屋を紙きれのように粉砕しつつ、人間大の拳がクルスに直撃する。

 轟音と共に完全武装の騎士が冗談のように吹き飛んだ。


「ぐっ、……障壁を展開しても質量差で吹き飛ばされるか。厄介な」


 壁に放射状の亀裂をいれながら叩きつけられたクルスがふらつきながら立ち上がる。

 ナイトの技能に足場を固定するものもあるが、習得していないのが悔やまれる。


「――シッ!!」


 刹那、二人が稼いだ時間で加速、跳躍したカイが頭部の一つに狙いを定めて一閃を放つ。

 が、巨人は剣線を塞ぐように多数の腕を掲げる。

 咄嗟に狙いを腕に変え、軌道を変えた斬撃が巨木の様な腕を斬り飛ばした。


「ガアアアアアッ!!」


 断たれた腕が宙を舞い、切断された部位から血を噴いて巨人が咆哮をあげる。あれほどの巨体だと腕の先までまともに神経が通っているか怪しいものだが、痛覚自体はあるらしい。

 だが、暴れ始めた巨人はまだ健在だ。腕も首も数えるのが億劫になるほどある。

 体格差、そして、そこから来る体力差が大きい。まずは削りに徹するべきかと皆が考えたその時、


 ぼこり、と異音がして切断面から新たな腕が生えてきた。


「……うっそ」

「再生能力!? まずいな。こちらに殺し切るだけの能力が……」


 ない、と被我の戦力差を比較したクルスが喉の奥で唸る。

 かなり強力な自己再生だ。ソフィアの魔法が使えても上回れるか怪しい。


「ひとまず時間を稼ぐ」

「カイ!? 一人では危険だ!!」


 カイは応えず、暴れる巨人の間合いに飛び込み、持ち前の機動力で牽制する。

 サムライの防御力では一撃で戦闘不能どころか挽肉か赤い染みになる所まで持っていかれるが、他に方法がない。

 巨人としても纏わりつく羽虫の如き存在が、しかし腕を斬り落とせるだけの力があることを体感したからか、標的をカイに絞っている。


「……チッ」


 一撃一撃が致死に至る乱撃を間一髪で避けつつ、カイが小さく舌打ちを漏らす。


 斬れない訳ではない。ただ、一度の交差で斬れるのは腕の二、三本だけだ。それでは再生能力に追い付けない。

 よくよく見れば、巨人は常に半数の腕を防御に回している。あれをすべて一度に貫き、硬い外皮を破って魔力結晶まで届かせるのは、刀気解放とクサナギの加護を以ってしても困難だろう。

 魔獣級であることを考えれば矢の通らない腕を斬れるだけで通常なら十分だろうが、この相手にはそんな常識は通用しない。


 歯痒い。それはカイと、解決策を見いだせず見ているしかないクルスも感じていた。


「……ソフィア、カイに風声を繋いでくれ」

「はい。――我が声を届かせよ」

『カイ、こいつを斬れる(・ ・ ・)か?』

「……攻撃に専念すれば」

(心技を使う、ということか)


 回避を中心とした機動戦では強力な一撃を与えられない。

 特にカイは今、巨人が他の区画へ行かないように牽制している状態だ。高速域まで加速する間が無い。

 ソフィアは魔法が使えず、クルスも長時間の障壁展開はできない現状では時間を稼ぐことすら難しい。


(心技を対軍ではなく、こちらで使うべきだったか?)


 否、と思考が結論付ける。心技発動はこれ以上ないタイミングだった。

 ならば、今ある力を駆使して死力を尽くすだけだ。


 その決断はリーダーたる己がしなければならない。


「カイ、すまない。命を、賭けてくれ」


 一度距離を取った侍に己の声で告げる。

 死刑宣告に等しい言葉だが、侍は表情一つ変えず、ただ纏う戦意を強くして頷く。


「謝る必要はない。あとは任せろ」

「ッ!! ソフィア、フォローに回れ。イリス、カイの走る道を付けるぞ!!」

「了解!! 見せ場あげるんだからしっかり決めなさいよ、カイ!!」


 言葉を最後にイリスの姿が景色に滲んでいく。レンジャー技能のハイドだ。

 そうして巨人の無数の目を逃れつつ、果敢にもその懐に飛び込んだイリスが跳躍と同時に毒刃のダガーを眼球の一つに叩き込む。


「グ、ガァアアッ!!」


 巨人が再び咆哮を上げ、反射的に振り払われた腕のひとつに当たってイリスが弾き飛ばされる。

 ダガーは刺さったままだが、巨体に麻痺の効きは悪いのか多少動きが鈍っただけだ。


「ついでにこいつも持っていきなさい!!」


 胸当てが砕け、弾かれたダメージに血を吐きつつ従者が吼える。

 飛ばされるまま空中で弓を展開、袖から引き抜いた矢を番え、発射した。

 狙い澄ました一矢が巨人に刺さったままのダガーの柄頭に正確に激突し、柄木を砕きながら更に押し込んだ。


 巨人が再度咆哮をあげる。いくら再生能力があろうと得物が突き刺さったままでは治しようがない。

 代償に、射撃に注力したイリスは受身もとれずに地面に落下した。


「イリス!?」

「私が行きます。兄さんは巨人を」

「……頼む」


 ダガーを引き抜こうと暴れる巨人の足元にクルスが走る。

 腕や首は無数にあるが足は二本しかない。生物として均整が取れているとはとてもいえない。そこに一縷の望みをかける。

 騎士は巨人の片足が僅かに浮いた瞬間にタイミングを合わせて足裏に滑り込んだ。

 踏み潰された。傍から見ればそうとしか見えなかっただろう。


「――ア、ガ、グッ!!」


 騎士は盾を頭上に掲げて途轍もない重さの巨人の足を持ち上げようと踏ん張っていた。

 物理障壁は展開しているが、重量差まではどうしようもできない。

 足元が陥没して沈み込む。不朽銀の鎧が砕け、全身の骨に罅が入る。

 構わず、歯を食いしばり、渾身の力で真上に向けてシールドバッシュを打ち込んだ。


 それは本来ならば巨人にとっては小石に躓いた程度の衝撃だっただろう。

 だが、生来の上下半身のバランスの悪さに加え、体内を巡った麻痺毒が僅かに巨人の平衡感覚を乱していた。


 結果として、巨人は大きくバランスを崩し、近くにあった廃墟を押し潰しながら転倒した。


「今だ、カイ!! ――“決めろ”!!」

「“無間”――」


 クルスの後押しを受けて、カイが防御を捨てた全速力で疾走を開始する。

 二秒で最高速に至り、加速に任せて建物の壁面を駆け登り、ひと際強く蹴りつけて跳び上がる。


 狙いは頭上。無数の腕に守られた正中。

 刀を振りかぶったカイの集中力が極限まで高まる。

 巨人の外皮は非常に強固だ。物理的な硬度は下位竜種の竜鱗に迫るだろう。さらに、振り回される腕はまるで竜巻の如く荒れ狂っている。


 だが、それがどうしたというのか。


 脳内でカチリと歯車が嵌まる感覚。

 魂が冷え切り、意識が白熱しながら澄み渡る。

 音が消え、視界が収束し、体感時間が引き延ばされていく中、巨人の全身がカイの間合いに入る。



 それは意識、反応を超えて神速に迫る一刀。

 古今無双と語られる神剣が一振り、技によって成る心技がひとつ。


 ――八重の垣根、八つの首を諸共に断ち切る神代の概念(キセキ)



(――視えた)


 この一刀に断てぬ物はない。狂気の域にまで達した剣への信仰が限界を超えた力の集中を引き出す。

 魔力すら必要ない。要るのは唯、必殺の意志のみ。

 それ以外のすべてを捨てる。


 高揚、悲嘆、矜持、憤怒、憎悪、恐怖、歓喜――――


 何もかもを捨て去る。そうして己の魂を研ぎ澄ませば、残るのはただ一念。


「――斬刃一刀」


 その狂おしいまでの一念が



 ――心技“アメノハバキリ”――



 この一刀を可能にした。


 刹那、一迅の雷の如く、巨人の全身を鋼色の閃光が走り抜けた。


 遅れて、金属を割ったような短く鋭い高音が戦場に響き渡る。

 その中で、斬撃だけは誰に目にもとまらなかった。速過ぎたのだ。

 ただ、天から地へと駆け下りた一閃は過たず巨人を真っ二つに両断していた。その結果が全てを示していた。


 一閃が走ってから数瞬遅れて、己の死を理解したかのように巨大な死体が左右それぞれ街路に倒れ込む。

 ドン、と腹の底に響く衝撃と土埃が舞い上がる。

 分かたれ、露わになった死体の断面は恐ろしく滑らかで、血の一滴も零れていない。

 暫くして巨人の死体が四散し、後には魔獣級を示す濃紺の魔力結晶が、真っ二つになった状態で残っていた。

 それ以外、何も残らなかった。




 ――“兜割”という技がある。


 強固な兜に衝撃を透し、中身の頭蓋を叩き割る剣技である。

 侍はその技に鋭さを見出した。これこそ己の心技たると決意した。

 故に、鍛えに鍛えた。

 寝食を忘れて剣を振り続け、いつしかその一刀は兜を一刀両断できるようになった。


 だが、足りない(・ ・ ・ ・)。侍は気付いてしまった。

 魔物は頭を割られても死なない。首を落とし、核を破壊しなければ止まらない。


 故に、更なる鍛錬を己に課した。

 師に才能はないと言われた侍はその一技だけに三年を費やした。

 そして、数年前、竜との闘いを経てそれは成った。


 刀を構成する最小単位レベルの精度で振り抜かれる一刀は、物質と物質の隙間を抜けてあらゆるものを断つ。

 いかに強固な物質であってもこの一刀を防ぐことはできない。

 これはただその護りを破る為だけに編みだされたのだ。腕の百や二百で防げるものではない。




「あれがカイの心技。……悲しいほどに純粋ね」


 最低限の回復を終えて、援護の為に弓を構えたままイリスは静かに息を呑んでいた。

 魔力も刀気解放を使わず、ただ技術のみでそれは為された。

 心技の中でも最も習得困難とされる純粋心技。いかなる不条理にも屈しない武の結晶。己の魂となるまで磨き上げられた一刀。

 おそらく直撃させれば竜種すら叩き割って見せるだろう。




「魔物の核まで一刀両断か。……見事だ。そう言う他あるまい」


 クルスはふらつきながらも最後まで見届け、感嘆と共に呟いた。

 魔法でも、才能でもなく、ただ鍛えたことによって心技となった一つの業。戦士として憧れを抱かずにはいられない。

 そして気付く。魔法を貫く雷切、射程を延ばす刀気解放、全体化および敏捷の加護、何一つとして斬撃自体を高める効果はない。


 ――必要ない(・ ・ ・ ・)のだ。


 その身一つで既に人極。

 真実、その剣に断てないものはない。

 その時、騎士は確信した。弱体化しようと、魔力が無かろうと、あの侍は遠からず英雄に立ち返ることになると。



 ◇



「痛ゥ……」


 心技を終え、残心をとっていたカイが痛みに顔をしかめた。

 見れば、右腕があらぬ方向に曲がっている。弱体化したことで技に体がついてこられなかったのだ。多少実力が戻っていなければ反動で千切れていただろう。


「不覚」


 激痛をひとまず頭の片隅に追いやり、開放骨折した部分を掴み強引に嵌め直す。

 ゴキリと異音がしたが折れた部位は接いだ。

 そのままチャクラで治癒を促進しつつ、適当に添え木を探そうしたその時、背後からそっと労るように白い光を纏った細腕が触れた。


「ソフィアか」

「すぐに治します。じっとしていください――癒しを」


 ソフィアの詠唱とともに、触れた部位から暖かな力が流れ込んでくる。

 急速に痛みが消えていく感覚に侍は小さく息を吐いた。


「カイの剣はやさしいですね」


 治療の最中、ソフィアが無垢な瞳で侍を見上げた。

 澄んだ蒼の瞳はカイの魂を捉えているのだろう。


「……やさしい?」


 無惨だとか阿呆だとか言われたことはあったが、優しいと評されたのは初めてだ。

 合流したクルスとイリスも首を傾げている。

 それでも何処がとは聞けなかった。この少女とではみえているものが違い過ぎる。


「カイの剣は純粋です。降り注ぐ陽光のように、頬を撫でる風のように、ただそこに在る。ひとつの現象にまで昇華されています」



「――ただ触れたものを斬る存在。誰も差別しない平等な剣。……だから、やさしい」



 なにか、大事なものに触れるように少女は微笑んだ。


「そうか。お前が言うのなら、そうなのだろう」


 男はそれだけを返し、目を閉じた。




(……だが、それは無差別ということではないのか?)


 傍で聞いていたクルスの心中に一抹の不安が生まれた。

 ソフィアとカイ、二人は純粋すぎる。


 全てを呑み込む広域殲滅魔法。

 全てを絶つ必斬の神剣。

 二人の心技が示すその在り方は非常に危うい。

 確かに二人は魔物の軍勢も魔獣級の怪物も倒せる。同時に、二人なら強固な城も精鋭を集めた師団も打ち破れるだろう。


(何故、そんなものがこの世界にある? それが必要とされる状況とは何だ?)


 何故と疑問ばかりが生まれる。

 二人の心技が必要とされる状況などそう多くは思いつかない。その大半は破滅的だ。


(戦乱の才、か)


 開戦前にカイが告げた言葉が思い出される。

 もしも、この世界に神がいるのなら、もしも、二人が必要とされるからこそ生まれたのなら――――


「……後続が来るかも分からん。一旦、退くぞ」


 疑問を呑みこみクルスが指示を出す。

 反対する者はなく、四人は互いに肩を貸し合って帰陣した。



 一週間後、全ての爆破術式の設置を終え、かつて“黒国”との交易で栄えた街はそこに潜んでいるであろう魔物と諸共に荼毘に付された。


 こうして防衛戦争はいくつかの謎を残したまま、人類側の勝利で幕を閉じた。

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