22話:出陣
「ソフィアったら酷いんだよー。私が風声の構成ちょっと教えたら『こうですか?』ってー」
「……そうか」
合流してすぐにイリスが口を開いた。詰るような物言いだが、そこに暗さはない。
どうやらソフィアの風声の習得があまりに早過ぎたのが寂しいようだ。話を振られたカイはそんな気配を察した。
そこで妬まないあたり、従者はソフィアという存在をよく理解しているし、人間ができているとも思う。
振り返らずに気配を探れば、当のソフィアは一歩下がった所から付いて来ている。少し困った風ではある。
こちらでフォローするべきかと侍は心中でひとつ頷きをいれた。
「問題ない。そのうちお前もできるようになる」
「あ、うん。そりゃ、いつまでもできないって気はしないけど」
「習得の先後に拘る必要はない」
「うぐ……」
カイは慰めを言わない。本当に慰めて欲しいなら従者はクルスに言うだろう。自分から与えることはあっても求めはしないこの従者らしい。
なら自分がすべきなのは背を押すことだろうとカイは判断した。他者の機微に疎い自分でも数カ月一緒にいれば立ち位置くらいは掴めた。
だからと言う訳ではないが、カイは手を伸ばして無造作にイリスの頭を撫でた。
「ん……って、カイ!?」
目を細めて気持ち良さそうにしていたのも一瞬、即座に正気に返ったイリスが帽子を押さえてぱっと距離を離した。
少し顔が赤い。孤児だった従者はこういった経験に疎いのかもしれない。
今の動きは良かったな、などと考えながらカイは言うべき言葉を舌に紡がせた。
「鍛錬は嘘を吐かない。足りなかったのなら、次は倍こなせばいい。それだけだ」
「……うん。そうよね」
街道に吹いた風が従者の小さな飾り羽を揺らす。
予想以上に真面目な返答に面食らったイリスも、暫くしてふっと笑みを浮かべた。
「カイって兄弟いる?」
「いや、いない筈だ。何故?」
「んー、なんか撫で方が兄っぽい。クルスと方向性は違うけどね。クルスがお兄ちゃんって感じで、カイが兄貴って感じ」
まあ、私も兄弟いないからなんとなくとだけど、と続けるイリス。
カイはイリスを撫でた掌を見てみた。
人斬りの手だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「……そうか?」
「いや、そんな真面目に考えられても」
「ふむ。前は弟と妹らしき者がいた。その所為かもしれん」
「……カイの騎士団時代ですか?」
一歩下がって見守っていたソフィアが話に加わってきた。
先を行くクルスも興味津々といった態度で顔を向けている。
「別に大した話でもない。後輩の指導を少し手伝っただけだ。俺よりも出来が良かったから数年で形になったが」
「成程……いや待て。それは何年前の話だ?」
「……七、八年前だったと思う」
「カイってたしか二十三歳だっけ?」
「数えなくなって久しいが、おそらくその前後だ」
「待て待て!! お前が近衛騎士になったのはいつだ?」
「叙勲を受けたのは十を過ぎた時、教皇直属……“十二使徒”になったのが十五の時だ」
「――――」
「カイが教皇直属だったというお話しは聞いていますが、それがどうかしたんですか?」
クルスとイリスが絶句している横でソフィアが首を傾げている。
若干思考が混乱しているイリスは、ひとまず補足説明することにした。
「近衛騎士ってのは白国の純戦闘部隊なの。各領の騎士団や、貴族の次男三男を集めた皇国騎士団とは一線を画す混じりっけなしの戦闘集団よ。
控えめに言って大陸屈指の部隊ね。そこに十歳で入って、あまつさえ十五で特務入りっていうのは冗談にもならないわ」
カイに前歴を聞いたイリスは、十七、八で近衛に入ったが、呪術を受けたために騎士位を辞した若手――といった感じだろうと想像していた。
その為、いつ叙勲を受けたかなどは聞いていなかったのだ。
まさか、二十三の若者が実戦部隊で十年を経たベテランだったなどと誰が予想できようか。
「俺は……父のオマケで入ったようなものだ」
「オマケで入った者が剣を授けられるわけないだろう!! 白国の軍事力は他国と比べて決して優れている訳ではないが、近衛騎士団だけは違う」
本気でそう言っている様子のカイに、クルスが強く言い返す。
ヴェルジオン家や従家からも近衛騎士を輩出したことはある。だが、その中に家名によって叙された者はいない。皆、己の武によってその地位を得ている。
「すまない。侮辱するつもりはなかった」
「いや、いいんだ。お前の気持ちも分からない訳ではない」
今も抜かれることなくカイの背中で沈黙している銀色の剣は、たしかに近衛騎士が叙勲の際に授けられる剣だ。
近衛騎士の、さらに教皇直属にまで登り詰めたのなら、与えられた剣もただの叙勲の剣ではないのかもしれない。
問えば、答えてくれるのだろう。
だが、その剣がカイにとってトラウマであるのは明白だ。今問うのは些か無遠慮にすぎるだろうと、クルスは疑問を飲みこんだ。
「十二使徒というのは何ですか?」
一方、ソフィアはいつの間にかカイの隣に移動し、道衣の裾を楚々と引いて、好奇心に目を輝かせている。
読心ができる彼女はクルスよりも遠慮がない。十二使徒であったことがカイにとって誇りなのが“わかる”からだ。
カイも嫌な顔をすることはなく、いつも通りに応えた。
「端的に言えば、教皇直属の部隊だ」
近衛の中から選ばれる少数精鋭、完全実力主義の特務部隊。政争には決して関わらず、危険な呪物や強大な魔物のみを相手する無私の組織。
その成り立ちを考えると、ある意味で学園の前身に近い。
「んー、なんか聞いたことあるような気がする」
「特定の場合を除き対人戦闘を禁じられた対魔、対災部隊だ。表舞台に出ることはまずない」
「それにしても、いやそれだからこそ若すぎるだろう」
クルスが苦い顔をするが、対するカイは首を横に振る。
あの部隊に常識は通じない。事あるごとに八つ裂きにされた体が覚えている。
「もっと下もいる。最年少の加入は……塗り替えられていないなら九歳だ」
「す、凄い組織ね……色々と問題ある気がするけど」
「それでカイはこの実力なんですね。ちょっと納得です」
「いや、魔力を失う前の俺でも十二使徒だと下位だ。上位は本気で人間ではない」
尊敬の眼差しで見上げるソフィアに、カイは苦笑を返す。
侍は自分の為に笑わない。その困ったような笑みはかつての同僚を誇っているが故だ。
少女は顔も知らない使徒たちが少し羨ましくなった。
「カイで下の方って……なんていうか、ホントに化物集団ね」
「自分達の国のこととは思えないな」
イリスとクルスが溜息と共に呟く。
「もう終わった話だ。任務に失敗して呪いを受けて、今は学園の穀潰しだ」
「……戻りたいとは思わないの? 特務騎士なら終身制でしょう。戻ろうと思えば戻れるんでしょう?」
笑みを消したカイに遠慮がちにイリスが問う。
居場所を追われる辛さは彼女も知っている。白髪を結ったリボンを弄る指がその不安を表している。
「使徒の役目は今も俺の中にある。だが、同時に十二使徒に残したものはない。最後の任務もひとつ間違えば被害は白国全体に及んでいた。そんな下手を打つ奴を置いておく訳にはいかない」
言い切るカイに未練は見られない。
役目を果たせない存在は必要ないと規定しているからだ。そして、他の誰に対してよりも厳しく、その規定を己に課している。
そこに妥協はなく、あるのは覚悟と弛まぬ鍛錬だけだ。
「昔の俺はその程度だったというだけだ。別段隠したかった訳ではないが、落伍者になったと殊更に語るのも無粋だろう」
「それは……」
「いいえ。そんなことありません」
「ソフィア?」
カイ本人としては事実を語っただけのつもりだ。傍から見れば今の自分はそう見えるだろうと。
だが、ソフィアはいつになく必死な顔で絹糸のような金の髪を揺らして首を振る。
「カイはがんばっています。ですから、そんな風に自分を卑下しないでください。たとえカイ自身でもあなたを馬鹿にすることは許せません」
少女にはわかる。全てを明かしている侍の心を少女は決して読み違えない。
侍には未練はない。だが、後悔も、憤怒も、憎悪もあるのだ――自分に対して。
そうして自己を苛むことを否定はしない。その罰は己だけのものだ。他人が口出しすることではない。
それでも、いつかは自分を赦してあげてほしい。ソフィアはそう願う。
「あなたの魂は手折られてはいません。だから、だいじょうぶです」
「ソフィアの言う通りだよ。話振った私が言うのもなんだけど、アンタは落伍者なんかじゃないよ」
「……そうか」
何か言おうとしていたクルスは安堵の息を吐いて前に向き直った。
騎士は己が自罰的であることを理解している。心情的にはカイに近い。
そんな自分が下手な慰めを言うよりも、二人に任せておく方がいい。
遠く見えてきた帝都の大城壁の前には黒山の人だかりができている。あそこが集合場所で間違いないだろう。
「聞き忘れていたが、二人とも調子はどうだ?」
「すみません、わたしはまだ心技が使えませんでした。他は問題ありません」
「私の方は調整だけだったから大丈夫よ」
申し訳なさそうな顔をするソフィアをイリスが明るい調子でフォローする。
ソフィアは後衛の魔法部隊、イリスは左翼の射撃部隊に配属される予定だ。
魔物は基礎能力に優れる代わりに基本的に遠距離攻撃に乏しい事が多い。飛行系の魔物にさえ気を付ければ負傷する危険は低いだろう。
「カイも準備はいいな?」
「無論だ」
クルスは前衛の壁役となる騎士部隊。カイは切り込み隊として魔物の出鼻を挫く最前衛部隊への配属となっている。
仲間達はカイの配置に不安を見せたが、作戦内容を聞いたカイが随分とやる気になったので本人の判断に任せることにした。
聞く限り、それは積極的な自殺にしか見えない作戦なのだが――
「よし。では、いこうか」
喉元までこみ上げていた不安をクルスは呑み込んだ。
クルスより後ろにカイを配置すれば、たしかに死ぬ確率は下がるだろう。
だが、カイが前に出て向こうの戦力を減らせば全体の生存率は飛躍的に上がる。それだけの力がこの侍にはある。
「――勝つんだ」
その為には、誰も己にできることを放棄するわけにはいかない。
たとえ、命を賭けることになろうと、それがより大きな戦いへと続くことになろうとも――
◇
大城壁の前には巨大な魔法陣が築かれていた。
転移魔法に特化した魔法陣、俗に転移陣と呼ばれる術式だ。円形のそれは内部に百人近い人間と物資を載せてもまだ余裕がある。
これ程の大きさを破綻なく構成するには相応の腕を要する。さらに維持、発動するには一流どころのウィザード複数人分の魔力と精神力が必要になるだろう。
そこには赤国の本気が窺える。
魔法や術式においては四大国の中でも劣後している筈の赤国に大規模転移の技術があると分かれば、小競り合いの多い魔術国家の青国は特に警戒を強めるだろう。
そのデメリットを呑んで前線に収容可能人数以上の兵力を集める気なのだ。
この伏せ札を切ったことは、それだけ敵が強大であることの証左でもある。
「これで城塞都市アルキノまで一気に送るのね。天幕暮らしが少なく済むのはいいわねー」
「……すごい、です」
感心するイリスの隣でソフィアが熱心に転移陣を見ている。
二人の仲もどうやら問題はないようだ。
「――アクセス」
ソフィアは目に魔力を込めだした辺りかなり本気だ。少女の能力的に構成を縮小すれば再現できるのだろう。
二級になれば主要ギルド間の転移陣は使えるのだから、この場での解析に拘る必要はない気もするが、そこは魔道の探求者としての興味なのだろう。
流行りの服や化粧よりも、赤国制式の転移陣の方が興味深い対象というのも救われない話ではあるが。
「カイ」
「わかっている。行って来い」
「……頼む」
クルスは感傷を捨て置き、二人をカイに任せて到着の報告へ向かった。
歩きながらそれとなく辺りを見れば、最前線組ということもあって、多くの者が頑強な鎧を纏っている。武器も槍や剣持ちが多いが、中には長大なハルバードなど野戦に特化した装備の者もいる。
二十代半ばを過ぎた円熟の者たちが大半を占めており、皆、ガヤガヤと騒がしい中でも各々リラックスし、同時に一筋の緊張感を維持している。
歴戦の雰囲気とでも言えばいいのだろうか。
学園の中では上位だと嘯いても、彼らと比べれば経験という点で自分達はまだまだ未熟だとクルスは自己を戒めた。
歩いていると、待機中の冒険者相手に行商する商魂逞しい商人や、逆に自分を売り出している娼婦にいちいち足を止められそうになる。
年若く、しかし不朽銀の鎧を纏っている自分は見るからにカモなのだろう。
急いでいると告げて誘いを断り、混雑する間を縫って、遠く青空を背景にはためくギルドの旗を目指して進んでいく。
十分ほど歩き通してどうにか辿り着いた。
ギルドを示す鐘の絵が描かれた旗の下にはギルド連盟の出張所が建っている。受付の前には幾人か並んでおり、その中に見覚えのある赤髪の青年がいた。
こちらが気付くと同時、向こうも気付いたのか、笑顔で手を挙げている。
「よう、クルス!!」
「久しぶりだな、アンジール」
「元気にしてたか? 今日受付ってことは配属は最前線か?」
「ああ。そちらも当然か」
「まあな。だが、まさかお前らも最前線組とはな」
「……色々あってな」
「なに、お前らの実力なら別段不思議じゃねえよ。そう固くなんな。戦争はもうちょい先だぜ」
肩をすくめるクルスの背を鎧越しに叩きながらアンジールはいつかのような笑顔を見せる。
先程まで感じていた緊張感が若干和らぐのをクルスは感じた。
「あ、折角だしメリルにも顔見せといてくれねえか? お前の顔見ればやる気倍増する――」
「クルスさーん!!」
「噂をすれば、だな」
アンジールの声を遮り、今にも抱き付きかねない勢いでメリルが駆けてきた。
白神のローブに隠れて見えないが、尻尾がぶんぶん振られている姿が容易に想像できる。
「お久しぶりです、クルスさん!!」
「あ、ああ。久しぶりだな、メリル。その、元気そうだな」
「ニャッ!? あ、その最近は学園でお見かけすることもなかったので、つい……」
周囲からの視線に気付いたのか、メリル顔を赤らめて猫耳をペタンと伏せた。
そんな部下の様子にアンジールは笑いつつ、軽く小突いて慰める。
「クルスも段々とメリルの弄り方が分かってきたみたいだな」
「リーダー!?」
「そんな猫みたく毛逆立てんなって。ほら、オレらの番だ。折角だからクルスも来い。その方が早く済むだろ」
「かたじけない」
「あ、私は外で待ってます。いってらっしゃいませ」
いつの間にか受付前の列は捌けており、彼らの番が来ていた。
寛いだ様子のままアンジールは受付に入っていき、クルスも続く。
受付の内部は小さいながらも一通りの設備が整っており、奥の机の上には戦場付近の地図が広げられ、いくつか駒が置いてある。
それらを睥睨しつつ、若き赤国支部長が時に駒を動かしている。
「げ、ベガ支部長……」
「げ、とは随分な言い草だな、アンジール。アイゼンブルートの名が泣くぞ」
入って早々、アンジールが顔を顰める。嫌な奴にあったと顔にでかでかと書いてある。
その態度はどうなのかとクルスは思ったが、周りの連盟員も苦笑しているだけなので、兜を脱いで一礼するに留めた。
二人の間には知己の者特有の空気が流れている。支部長と二級ギルドのリーダーともなれば話す機会も少なくないのだろう。
顔を上げたベガも特にアンジールを咎める様子はなく、いつかのように薄く笑みを浮かべている。
「アンタ今回は第二師団の司令官だろ? 何でこんなとこに居るんだよ?」
「レーヴェ……皇帝陛下が第一師団連れて既に現地入りしているので、こちらもおっとり刀で追いかける所だ」
「あー、相変わらず赤国の皇帝陛下は行動派だな」
「腰が重いよりも遥かにマシだ。士気も勝手に上がるし、国軍も勤勉になる。まあ、それはいいとして――」
ベガは直立したまま静止しているクルスに視線を向けた。薄ら寒い、蛇のような視線だ。
クルスはその視線を真っ向から見返す。その真っ直ぐさが眩しいのか、ベガは微かに目を細めて口の端を曲げた。
「よく来たな、クルス」
「ハッ!! 敬礼は必要でしょうか?」
「いらん。第二師団はいくらか各国国軍も混じっているが、主導はギルド連盟の混成軍だ。敬礼やら軍律やらはない。冒険者としてのルールに則るだけだ」
「了解しました」
一通り見て満足したのか、ベガは視線を戦略図に戻し、駒を弄り始めた。
話が終わったのかとも思ったが、よく見れば、男が今動かしている駒は師団中央の騎士部隊、クルスが配属される部隊だ。
「配属等に変更はない。現地に到着次第、各部隊の指揮下に入れ。クク、お前の場合はオレの指揮下だな、クルス」
「おー直属とは大抜擢じゃねえか!! 同じ学園生として鼻が高いぜ」
「勘違いするな。オレの盤面に大抜擢などない。必要な場所に必要な駒を具えただけだ」
「……最善を尽くします」
二人を見もせず、独り言のように呟くベガだが意識はこちらに向いている。
盤上の魔王と称される智者の脳内でどのような策略が練られているのかは傍目には分からない。
だが、クルスは直感で、アンジールは経験からその姿に狂気を感じた。狂戦士のような動的なソレではなく、静的で、しかし破滅的な狂気。
つまり発信元は男の脳内だ。ベガ第二師団司令官が採ろうとしている戦術はそういう類で、自分達はそれに従うことになるのだろう。
「アルキノ方面軍の報告によると、魔物は集結を完了し本格的に南下しているらしい。開戦まであと五日といったところだな」
「ベガ支部長、さっきから嫌な予感がすっげえしてるんだが? アンタ、頭おかしい作戦とか立ててないよな?」
「参考までに聞くが、お前らの考える頭のおかしい作戦とはどういうのだ?」
「兵に爆弾持たせて自爆特攻」
「爆弾を投げればいいだろう。却下」
「廃墟都市に追い込んで解体ついでに下敷きにしてしまう、でしょうか」
「それいいな。案の一つにしとこう」
頭おかしい作戦を言わせといて採用するというのはどういう神経なのだろうか。
こめかみを押さえ出したクルスを尻目にベガは次々と駒を動かしていく。
「……英雄級の数も……前進退却も可能か……」
「いま、何か不吉な単語が聞こえた気がするのですが?」
「気にするな。もう戻っていいぞ。あとの指令は現地で全体に出す」
「……失礼します」
これ以上ここに居ても邪魔になるだろうと判断した二人は必要な書類を受付の連盟員から受け取り、一礼して退室する。
「ああ、そうだ、クルス」
「まだ何かありましたか、支部長?」
踵を返したクルスの背中にベガが声を投げかける。
意図せず騎士の心がゾクリと震える。かけられた声音は冷たいのに、込められた熱は熱病のそれを思わせる。
「――戦場へようこそ。お前の信念、存分に試すといい」
◇
「あ、帰って来た。おーい、こっちこっち!!」
遠くに見えたクルスに気付いたイリスが手を振る。
騎士は受付を済ませに行った筈だが、何故か随分と疲れた表情をしている。
「兄さん?」
「気にするな。ベガ支部長と少し話しただけだ」
「あ―うん。お疲れさま」
状況を察したイリスが苦笑と共に慰める。心中を読んだソフィアも複雑な表情をしている。
カイだけはいつも通りの無表情で周囲に気を放って警戒している。
「転移もすぐ始まる。今の内に休んでおけ」
「そうさせて貰おう。あと、アンジールとメリルに会った。皆によろしくと」
「そっか。メリルとはまたお話したいねー。でもまあ、何にしてもまずはこの戦争を乗り切らないと」
飄々とした中にも一抹の緊張を滲ませてイリスが呟く。
クルスも頷き、心中で決意を新たにする。“護る”。誰に言われずとも、この信念には疵一つない。
「このままそれぞれの部隊に転移される。用意はいいな? 皆、無事で」
「わたしは後衛ですからだいじょうぶです。兄さんこそお気をつけて」
「あまり無茶しないようにね」
「わかっている。どんな敵も抜かせはしない」
転移陣のラインが俄かに輝きだし、大量の魔力を受けて術式が起動する。
周囲の冒険者たちも各々荷物を持って陣の上に立つ。
そんな中、ソフィアは荷物少なく手持ち無沙汰に立っているカイの側に駆け寄り、じっと見上げる。
少女を見返す侍の視線は戦争前とは思えないほど静かで凪いでいる。戦争も侍にとっては常からの覚悟を超える出来事ではないのだろう。
「カイも、どうかご無事で」
「祈りは必要はない。俺は俺の役目を果たす」
「生きて帰って来てください」
それが侍の戦い方と矛盾する願いであることは理解している。
だが、運命が告げるのをソフィアは感じていた。
――この人をここで死なせてはならない、と
ソフィアの気持ちが通じたのか、カイは目を閉じて、彼なりに誠実な答えを探した。
「ああ……全力を尽くす」
「……」
「……」
「……………グス」
「わかった。約束する。だから泣くな」
「はい!!」
一瞬前の涙は消え失せて、少女は一転して花咲くような笑顔になる。
侍は小さく溜息を吐いて、背後で笑いをかみ殺している従者を捉えた。
「ソフィアに余計なことを教えたのはお前か、イリス」
「あははー。天然の演技って凄いよね。私でもドキっとしたもん」
ソフィアに演技している自覚はない。イリスがそういうものだと言ったのを信じているだけだ。
彼女なりの人間のフリなのだろう。
「帰ったら覚えておけ」
「うん。覚えておくから。だから、おしおきしにちゃんと帰って来てね」
冗談の様な台詞とは裏腹に、声音は真摯な心配の色が窺える。
従者なりの気の遣い方なのだろう。ソフィアのように真っ直ぐ伝えるのは恥ずかしいのだが、その気持ちに偽りはない。
それは確かに伝わったのだろう。侍はうむ、と頷きを返し、
「さて、どうしてくれるかな」
「ひどっ!? ソフィア相手と態度ちがう!!」
「自業自得だ。……だが、約束は守る。それでいいのだろう、ソフィア、イリス?」
「はい!!」「……うん!!」
転移術式は光を増し、既に互いの顔も判別できない。
ひと際強く転移陣が光った瞬間、集まっていた百十二名は空間を超えて戦場へと跳ばされた。




