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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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21話:嵐の前

 パルセルト大陸の地図を俯瞰した時、最も目を引くのは北の広大な無国家地帯だろう。


 すなわち、果てまで続く荒野、完全なる無、魔物の発生地。

 俗に暗黒地帯と呼ばれる領域だ。

 無の荒野は元・黒国の地を浸食しながら少しずつ大陸の南方へと拡大している。

 暗黒地帯に国境を接している赤国、青国は幾度となく調査団を送ったが、芳しい結果を得ることはできなかった。


 理由はいくつかある。

 まず食料の問題だ。暗黒地帯内部には草木の一本もなく、清浄な水の一滴すら得ることができない。

 尤も、水は魔術士がいれば魔法によって多少は確保できるが、食料については魔物が魔力結晶を残して消滅してしまうので現地で得ることはできない。

 必然的に行動可能領域は持ち込む食糧に依存する形で形成される。


 さらに内部では異常現象が頻発する。

 突然の霧、雷と共に降り注ぐ大量の雹、あるいは竜巻、蜃気楼。

 原因もなく突発的に起こるそれらに呪術との関連を疑う者もいるが、真相を解明できた者はいない。


 そして、最大の問題は内部に蔓延る強力な魔物だ。

 暗黒地帯では大陸内でも異常に強い魔物が出現する。というよりも、日頃、大陸各所で相手している魔物はあくまで暗黒地帯から“零れて”きた悪意の一滴に過ぎないのだ。

 人の英雄級、英霊級に伍する魔獣級、精霊級の闊歩する世界。それが暗黒地帯なのだ。


 徐々に拡大する暗黒地帯に対して、四大国は受け身の政策しか採れていない。

 暗黒地帯を押し留める為の城壁都市の建設が精一杯の反抗だ。

 しかし、それを惰弱な姿勢と取るものはいない。魔物の大侵攻を許せば、それだけで大陸は滅びかねないのだ。

 故に、人類は戦う。


 その一端である防衛戦争とは暗黒地帯から溢れだした常とは比較にならない程の大量の魔物、いわば洪水に抗う為の戦争なのである。



 ◇



 アルカンシェルの面々は朝から帝都郊外の草原に来ていた。

 現地入りも秒読みとなった防衛戦争前の最終調整の為だ。

 一日目の軍団として動く時は皆、配属される部隊が別になる。そこで、配属に合わせて装備も通常の乱戦向けから大規模集団戦向けに変えた者もいる。


「ん……」


 氷塊に腰かけ、虚空を見つめながら元素との感応に集中するソフィアの装備は、常の魔法抵抗力を増強する白神のローブから、発現魔法の威力を高める黒神のローブに着替えていた。

 完全な後衛配置なので防御力や耐性よりも攻撃性能を追求した装備にしているのだ。


 漆黒のローブは一歩間違えれば不気味に見えるが、少女の持つ儚げな雰囲気と妖精の如き美貌が暗くなりがちな印象を妖しさと美しさへと昇華している。

 同じローブでも白神のローブほどゆったりした造りではなく、ドレスのようにウエストが締まっており少女の柳腰を際立たせつつ、仄かな色気を漂わせている。


「どう、ソフィア?」

「あ、イリス……」


 そんな少女に話しかけるイリスもいつもの不朽銀(ミスリル)の胸当てと皮の軽鎧とは別にベレー帽を被っている。

 白い風読み羽根の付いたベージュの帽子は従者の白髪によく映える。

 掌大の羽根のアクセントはかなり目立つが、今回の相手は魔物なので目立つからと優先的に狙われる心配は少ない。

 むしろ混成軍(アマルガム)方式の下では誤射の危険性を避ける意味でも射手は目立った方がいいとされている。


「調子は悪くないみたいね」

「はい。ですが、“心技”まであともう少し、でしょうか。パズルのピースがまだ一欠片だけ揃っていない感じです」

「そっか。位階もあがったしそろそろかなって思ったんだけどねー」


 ミハエルの依頼で魔術士を倒したからか、ソフィアは位階をひとつあげていた。

 聖性を持つソフィアは普通の冒険者と比して成長幅が著しく大きい。今度も魔法の威力が大きく上昇しており、試し撃ちしていなかったら実戦で味方を巻き込んでいたかもしれない。

 そして、その高い成長性に精神は追いつくのが精一杯で、ソフィア自身、未だに己の魂の形を自覚することができずにいた。

 心技の習得には往々にしてきっかけが必要となる。少女の今までの経験には該当するものが無かった。


「残念です。今回の防衛に間に合っていれば、きっとお役に立てたのに……」

「無いものはしょうがないわよ。さ、クルスたちの所に戻りましょう?」

「はい……」


 すっと差し出された従者の手を取って、少女は腰かけていた氷塊から跳び下りた。


 ――去っていく二人の背後には、ソフィアの魔力による巨大な氷山が聳え立っていた。



 ◇



「――ハッ!!」


 草原を走り、クルスは盾と槍を振って型を確認しながら、装備の調子を確かめていた。


 盾は高さは身長と同程度、幅は半身を優に隠せる鋼鉄製のタワーシールドだ。見た目通りの重さと堅さで準魔獣級の突撃に凹みもしないが、さすがに片手で振り回すことはできそうにない。

 槍も二メートル近い長柄の馬上槍だ。こちらもかなりの太さがあり、刺突だけでなく打撃具としても使える。その長大さ故に多少荒い狙いでも当たるだろう。

 この数か月で少し伸びた身長に合わせて不朽銀(ミスリル)の全身鎧も調整した。

 戦争の準備は整っている。あとは、覚悟を決めるだけだ。


「初陣とは違うのだが、大規模な戦争に参加するのは初めてだな」


 多少の緊張を滲ませた声音。

 才あるとはいえクルスはまだ十九歳。目前に迫る大規模な戦いに何も感じないというわけにはいかない。


「気負うな。戦争だろうとできることをやるだけだ」


 特に装備を変更していないカイは、少し離れた所で軽く体を動かしながら騎士に応えた。


「わかってはいるのだが……」

「お前のすべきことは何だ? 求められている役割は?」

「……前衛での盾役および敵の引き付け役だ」

「いつもと何が違う?」

「敵の数が膨大だ」

「一人で百や二百相手にする訳ではない。十や二十なら一体ずつ仕留めていけばそのうち終わる」


 相変わらず戦闘に関して、カイの頭の中はちょっとおかしい。その極北の戦闘理論を常識のように語られても少し困る、とクルスは小さく嘆息した。


「そう言われればそうだがな……」

「実際に戦場に立てば心胆など勝手に据わる。俺もお前もそういう人種だ」

「……」

「何より、その程度で砕けるほどお前の盾は脆くはない」

「……そうか」


 慰めでも発破でもなく、淡々と事実を述べるような口調だが、その冷徹さゆえに騎士の心は落ち着いていった。

 戦いに関して侍に偽りはない。

 できるというならできるし、駄目なら駄目だと言う。そこに私情は挿まない。

 この男が戦えると言うなら、確かに戦えるのだろう。なら、何も問題はない。


 クルスの目から戸惑いが消えた。

 もう大丈夫だろうと判断した侍は背を向けると、気を調え、一気に走り出した。

 そして、十分な加速を得た後に、素早く腰の一刀を抜き放つ。


 閃光が草原を走り、大気を鋭く断ち切る。笛のような高音の刃音が辺りに響いた。


「――――」


 侍は一刀を振り切ったまま、静かに残心をとる。

 傍目には普通に刀を振ったようにしか見えない。

 だが、背後で見ていたクルスは常よりも張り詰めた空気を感じ取った。


「どうだ?」

「型に問題はない。戦闘時に手順を踏めば心技も発動する」


 応えるカイはいつもの無表情にみえて、微かに眉を顰めている。

 呪いの反動による能力の低下は全力域に近づけば近づく程、顕著になる。

 一方で、脳は覚えている型をなぞろうとするので、本来は足りていない能力を無理やり引き出し、反動で肉体には小さくない負荷がかかる。

 今も右腕に鈍痛がある。本気で振るえば……


「反動で腕一本いくか。仕方のないことだが……」

「大丈夫なのか、それは?」

「右腕が駄目になったら左腕で振ればいい。使い所は限られるが」

「……いや、まあ、そうだな。ただでさえお前の心技は集団戦では使いどころが難しい」


 予め聞いていたカイの心技にクルスは苦い顔を隠さない。


 “心技”には発動条件がある。あるいは発動状況、と言い換えてもいい。

 それが技である以上、限定的な状況に合わせればそれだけ『型に嵌り易い』が、その分汎用性は落ちる。性能と汎用性の反比例はスキル全体における尽きぬ命題である。


 心技はきっかけがなければ能動的に習得することは難しいが、一般的に性能を求める程に使い所が限られる心技に目覚めると言われている。

 また、その習得はひとつに限定されないが、人によって『己の魂』を自覚する状況が異なる以上、何をすれば習得できるかと言うセオリーがない為、確立された習得方法というものはない。


 一応、ギルドのメンバーではイリスは汎用性、クルスは性能に重点を置いた心技をそれぞれ一つ習得している。


 イリスの心技『カラナック・ライン』は、自身が狙撃体勢かつ敵を視認した状態で、三小節の詠唱を以って完成する。心技としてはかなり使い勝手の良い部類に入る。


 逆にクルスの心技は発動条件が外部的な状況に大きく左右されるが、その分、性能は折り紙つきだ。うまく嵌ればクルス単体で軍団規模を凌ぎ切ることも可能にする。


 カイは技の多くを喪失しているものの、現状でも心技はひとつ使える。

 幸いなことに、その一技は男が最も信頼を寄せる技である。汎用性は高いが消費は少なく、ほぼ確実に任意発動が出来るタイプだ。


 ただし、発動条件は少々特殊だ。

 すなわち、カイの流儀“無間”による最大加速を条件とする。

 無間は捨て身の剣――技能としては、自身の防御力を減らした分だけ敏捷に上乗せする効果になる――であるが、ただでさえ防御性能の高くないサムライから更に防御力を削るなど正気の沙汰ではない。


 できれば使わせたくないとクルスは思う。実際に戦った姿をソフィアから聞いた今でも、その気持ちは変わらない。


 クルスも一端の戦士だ。故に理解できる。

 無間は“相討ち”の剣だ。相手を斬り殺す代わりに自分の命も晒す。そういう理の元に構成されている。

 それは仲間を守るという理で戦うクルスと相反するものだ。理解はできても、許容するには今以上の覚悟がいる。


 そんなリーダーの苦悩を知ってか知らずか、いつもと変わらぬ様子でカイが口を開いた。


「クルス、お前の考えも理解できる。俺の剣は単独で陣列に呼び飛び込む斬首の剣だ。ナイトとの共同は想定されていない」

「だが、そんな戦い方ではいつ死んでもおかしくない」

「それでも、剣は相手を斬れなければ意味がない。剣を振るときに盾をかざす者はいない」

「……」


 それは狂信であり誓約だ。

 剣を抜いたからには斬る。刃に触れたものは悉く斬る。そこを鈍らせてしまうと、おそらくこの男は戦えなくなるだろう。

 己を、刃と定義しているのだ。


「……右手をだしてくれ。治療する」


 クルスの申し出にカイは黙って腕を差し出した。

 痛めた部分に魔力を術式に変換したクルスの掌が添えられる。

 治癒術式は患部に触れなければ効果をなさない。その為、病気や完全に喪失した部分を治すことはできない。

 効果は高いが使い勝手は決して高いとは言えない。戦闘中に治療する、などということは高位クレリックでも難しいだろう。


「癒しを――」


 淡い輝きがカイの腕を覆い、賦活速度を速める。

 モンクでもあるカイの身体性能は高く、砂漠が水を吸い込むように治癒術式に適応し、痛めた右腕を癒していく。


「――いつか」


 そんな中、誰にともなくクルスが口を開く。


「いつか、必ず追いつく。並び立ってみせる」


 誰よりも先を走るお前も守れるようになってみせる。

 “そこ”がどれだけ遠く辛い道のりの果てでも辿り着いてみせる。


 揺るぎない覚悟が騎士にその誓いを紡がせた。


「だから、それまでは決して倒れるな」

「……それは命令か、リーダー?」


 問いかける侍の顔には何の感情も浮かんでいない。

 未来に対する期待など侍にはない。一秒後には死んでいるかもしれないのだ。そういう生き方をしている自覚はある。


「約束だ。お前を縛るつもりはない。それでも、気に留めておいてくれ」

「……」


 侍には予感があった。

 若く、未熟な騎士の目に灯る炎。遍く人々を護らんとする鋼の決意。誰かを守ることでしか成立しない歪な正道。

 己を、盾と定義しているのだ。


 盾は単独では意味をなさない。刃に相手が必要なように、盾は守るべき人を必要とする。

 しかし、『守る』ためには自身を矢面に立たせ、その背へと皆を置いていかねばならない。

 騎士の生き方はそうして誰よりも前へ、孤独へと突き進む道だ。

 それなのに、盾は守るべき誰かを求める。

 自ら離れようとするのに、その一方で他者を必要とする矛盾。


 その矛盾は、いつか騎士の身を焼き尽くす。



 だが、全身が焼け爛れても尚、騎士が立ち上がるなら――――


(そのときは、太陽が昇るかもしれないな)


 侍には剣を交わす相手がわかる。外れたことのない予感が告げる。

 その時、騎士は己の全てを賭けるに値する相手になると。


「了解した。お前が俺の前に立つ(・ ・ ・ ・)日を待っている。俺はそれまで決して倒れない」

「ああ、ありがとう」

「感謝される謂れはない」


 約束を交わし、軽口を言い合い、二人の間を流れる空気は少しだけ緩んだ。


「だが、このギルドを維持するならあまり悠長なことは言ってられないだろう」

「ギルドを? どういうことだ?」

「昔、同僚の……対魔術士戦の師である“魔女”に言われたことだ」



『常在戦場が常に戦場に居るという意識を持つことなら、貴方は戦場常在(・ ・ ・ ・)。己のいる場所を常に戦場にしてしまう戦乱の才。


 ――魂に付き纏う呪いにも似た祝福。あるいはその逆かしら


 運命に取り込まれないように気を付けなさい』



 その言葉をもっと深く考えていたならば、この掌から零れ落ちていった命を助けることもできたのだろうか。

 侍には分からない。

 わかるのは、今再び自分が仲間を得ていることだけだ。

 そして――


「戦乱の才があるのは、俺だけではない」

「……まさか」


 クルスの脳裏に浮かんだのは妹の顔だった。

 神に愛された生まれついてのウィザード。人間という形に押し込まれた溢れんばかりの魔力。

 その性能だけを見れば、戦う為に生まれた存在だと言われても否定できない。


「ソフィアもそうだと?」

「そうだ。あいつは敏い。誰よりも遠くを見通し、誰よりも深く知る。それでいて、ふらりと戦場に迷い込んでしまう危うさがある」

「神は、波乱を望むのか……?」

「さてな。だが、俺は珍しくこの手の予感だけは外れたことがない。覚悟しておくべきだ」


 いつも通りの無表情と、いつも通りの直截な物言いに思わずクルスは苦笑した。


「お前は相変わらず慰めを言わないな」

「必要か?」

「……そうだな。もう、戦うと決めたのだから。あとは征くだけだ」


 吹っ切れた様子の騎士に侍も頷きを返す。

 そんな二人の耳元を微風が撫でた。

 瞬間、風の内に籠っていた魔力に気付いた二人が素早く顔を上げる。


『カイ、兄さん。そろそろ戻りませんか?』


 風には涼やかな声が伴っていた。


「ソフィア? これは声飛ばし――“風声”か。いつできるようになったのだ?」

『ついさっきです。試したらできました』

「そ、そうか……」


 風声はレンジャーの技能のひとつで、特定の相手に対して風に乗せた声を飛ばし合う小路(パス)を作る通信術だ。

 相手を補足さえできればどれだけ離れていても届くし、音を風で包むので周りに漏れることもない。同じ風声の使い手には盗聴される危険性があるが、盗聴されれば感知できる。

 総じて使い勝手のいい技能だが、その分、習得難度は相応に高い。


 イリスもまだ練習中だ。感応力という才能面でムラがある為に苦労していると聞いている。

 だが、ソフィアにかかればまさに朝飯前だったようだ。


(あとでイリスには一言言っておくべきだろうか)


 ソフィアに悪気はない。彼女にとっては出来たというよりも、魔力にはそういう使い方も“あった”程度の難易度だったのだろう。

 例えるなら、剣を能く使える者がいつもと違う剣を振ってみたようなものだ。

 才能とはそういうものだ。割り切るしかない。


『兄さん?』

「あ、ああ。こちらも上がるところだ。合流しよう」

『わかりました。イリスにも伝えておきます。それでは』


 風が止み、ソフィアの声は聞こえなくなった。


「聞こえたか、カイ?」

「問題ない」

「……魔力が無くても大丈夫なのか」

「みたいだな。その辺りもソフィアが調べている。纏まった時間があれば心臓(コレ)についても進展するだろう」

「そうだな。まずは目の前の事を片付けよう」


 そうして、ソフィア達と合流するため、二人は歩き出した。

お気に入り登録数が急に増えていて、PCの前で思わず歓声を上げてしまいました。

登録して下さった方、本当にありがとうございます。

非常に励みになります。


これからも精進いたしますので、よろしくお願いいたします。

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