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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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19話:剣の意味

 怒号と悲鳴の隙間を埋めるように北風が戦場を撫でる。

 距離を離したソフィア達にも微かに血の臭いが感じられた。


(……やはりどこに魔力が流れているかわからない。せめて、誰が呪術士かは見極めておきたいのですが)


 目の前で繰り広げられる人間同士の殺し合いに顔を青くしているミハエルを気遣いながらも、ソフィアの視線と杖は敵手に向いたまま静止している。

 誤射の危険があるので魔法は撃っていないが、隙があればいつでも撃ち込む構えだ。


「ね、ねえ、ソフィアお姉ちゃん。カイってもしかして英雄なの?」

「はい。今は違いますが、その認識で概ね問題ないですよ」

「す、すごいね……」

「怖がらなくてもだいじょうぶです……まだ」

「あ、うん」


 嘘ではない。

 カイは位階を落とす前は英雄級に指をかけていた。

 しかし、それはあくまで総合力においてだ。

 剣に疎いソフィアでも分かる

 殊、近接戦における殺傷力に限れば、カイは人間の極限たる“英霊”の域に迫っている。


 ヒトの持つ“可能性”、生まれついては何の加護も持たない種に与えられたもの。


 カイという存在はその全てを斬るという一点に注いでいる。

 選択肢は他にもあった筈だ。

 戦士として汎用性を持つことも、モンクとして攻撃と支援を両立することも、また、サムライであっても攻防に優れる構成にすることもできただろう。


 だが、そういった可能性の全てを殺し、己を一振りの刃としたのだ。

 有象無象では止めることはできないだろう。


「貴方が“そうあれかし”と望むのでしたら、わたしも――」


 小さく息を吸い、魔力探知を広域に展開する。

 本来の目的、人質の救出の為だ。

 相手の隠蔽――あるいは妨害というべきか――の所為で探知の精度は平常時の半分以下だがやらないよりはマシだ。


 現状、無理に援護してもカイの邪魔をするだけだ。

 だから、いま自分にできることをする。でなければ、敵の全てを引きつけたカイに申し訳が立たない。


「ソフィアお姉ちゃん、敵が……」

「だいじょうぶ、です」


 しかし、それも長くは続けられなかった。

 ミハエルの声に探知を中止し、敵意を向けてきた相手へと視線を合わせる。

 カイを狙っても埒が明かないと見たのか、敵ウィザードの内、二人が攻撃対象をこちらに変えている。


「致仕方ない。虜囚を取る」

「手足の二、三本は勘弁して貰おうか」

「……生け捕りは諦めたようですね」


 これはこれで好都合だとソフィアは脳内で構築する術式を変更した。

 敵手から来るのなら、カイを巻き込まずに全力で魔法を撃てる。


「ミハエル、少々眩しく(・ ・ ・)なりますので、私の後ろに」

「う、うん。頑張って、ソフィアお姉ちゃん!!」

「はい、がんばります」


 対峙する距離は二十メートル。ウィザード同士なら致死圏内だ。


「ゆくぞ――障壁、展開」

「――怒れ、サンダーボルト!!」

「では、こちらも――障壁展開、“並列制御”、アイスニードル」


 互いの口が詠唱を紡ぎ、魔力が世界を組み換え、奇跡を発現させる。

 生まれたのは雷撃、氷柱、そして緩く湾曲した半透明の障壁。


 敵手の攻撃と半透明の障壁に対し、少女もまた内に溜めていた魔力を解放、互いの魔法が炸裂する。

 障壁形成はクラス外の技能だが、魔力を扱うウィザードとは親和性が高い為、比較的習得しやすい部類に入る。

 強度こそナイトに劣るものの低位魔法を防ぐくらいなら問題ないだろう――通常(・ ・)ならば


 敵手の雷撃がこちらの障壁に弾かれたのに対し、ソフィアの氷柱は障壁と相殺して砕け散った。

 障壁を担当していたウィザードが慌てて張り直す。


「並行詠唱でこの威力だと!?」

「魔力はともかく精神力が持つ筈が……」

「申し訳ありませんが、付き合っていただきます」


 障壁で相殺しつつ、低位魔法で牽制する。先に集中力を切らした方が負ける。ウィザード同士の戦闘の基本形だ。

 尤も、敵ウィザード二人は魔法障壁と攻撃魔法に分かれ、ソフィアはそれを一人で兼任するという変則的な形ではあるが。


 勿論、障壁を展開しながら魔法を撃たねばならないソフィアの負担は倍以上に大きい。得意の氷結属性でさえ中位魔法を唱えられないのがその証拠だ。

 だが、涼しい顔で次の魔法の準備をする少女からはそんな内情は感じられない。故に、敵手がそれを知る由もない。


「別々に撃てば」

「それでは押し負ける!! 魔力切れを狙え!!」

「――氷結せよ、アイスニードル」


 再度敵手の魔法障壁を叩き割る。だが、障壁は即座に修復されてしまう。

 千日手だ。どちらも火力を出す為には魔法障壁を解除せねばならない。

 一撃ごとに障壁を破壊できるソフィアが有利だが、相手が役目を交代すれば逆戻りだ。やろうと思えば両方を枯渇させるまで魔法を撃ち続けることも可能だが、そこまで時間をかける気もない。

 なぜなら、ソフィアには連続魔法という切り札がある。

 一度きりの切り札。相手の交代際を狙って確実に仕留めねばならない。


「まだです――氷結せよ、アイスニードル」

「グゥ、まだ魔力が尽きないのか!?」

「こちらの残存魔力量が!? やるしかないぞ!!」

「う、うむ!!」


 先に勝負をかけたのは相手の方であった。

 魔法障壁を解除し、同時に最大威力でこちらの魔法障壁を破る気だ。


 ソフィアも応じて限界まで威力を上げた魔法を――


「……あら?」


 瞬間、ギシリ、と足元で嫌な音がした。何か、致命的なものが崩れる音。

 慌てて地中に意識の糸を伸ばす。


(これは……地盤を崩してしまったようですね)


 カイの方も派手にやっている。これだけ魔法を撃ち合えば余波で周囲に被害が出るのは当然だろう。

 加えてスラムという整備の行き届いていない場所というのが災いした。


「お姉ちゃん?」

「はい。いえ、えっと……」


 相手は気付かず己の魔法に集中している。

 それはマズい。

 周囲の地盤は既に限界だ。このままではお互い生き埋めになる。

 声をかけても無駄だろう。此処は戦場なのだ。


「――暗雲満たす豪放なる雷霆よ――怒れ、ヴォルテックシュート!!」

「――大気に満ちる無限の熱素よ――昇華せよ、フレアボム!!」


 雷音を響かせて上空に集まる雷雲。

 爆発するのを今か今かと待つ熱量の塊。

 雷撃と炎熱、加減する気のない敵手からの全力の魔法行使。障壁で防いだとしても地盤崩落は免れないだろう。


「仕方ありませんね。――大気に溢れる無尽の凍気よ」


 故に、ソフィアもまた魔法障壁を解除し、中位氷結魔法で迎撃する。


 瞬間、眩い閃光が辺りを駆け抜けた。

 ミハエルは思わず目を腕で遮った。


「――氷結せよ、フリーズバイト」


 間一髪、ソフィアの詠唱は間に合った。

 四方から伸びる氷牙がソフィアとミハエルを覆うようにドーム状へ展開する。

 上空から勢いよく落下した極大の雷撃を氷を伝わせて地面へと受け流し、目の前で花咲くように熱量を爆発させようとした炎をそれ以上の冷気で押し包み、相殺する。


 魔法の威力もさることながら、魔法の制御に集中したソフィアの妙技は二つの中位魔法を最小限の影響に抑えてみせた。

 しかし、地盤は既に限界だ。地面のそこかしこに罅が入る。崩落まで幾ばくの間もない。


「――連弾、フリーズバイト」


 そして、崩落までの限界時間に差し込まれるソフィアの連続魔法。

 地中に展開した氷結魔法は地盤の隙間を埋めるように発現。一時的にだが地盤を支えることに成功した。


「……これで、暫くは」


 小さくため息を吐く。

 地盤は時間をかければソフィアでも直すことができるだろう。

 だが、虎の子の連続魔法を切ってしまった。あとは相手の魔力切れを狙うしかない。


(我慢のしどころ、ですね)


 相手は既に交代して魔法障壁を張り直し、次の魔法を詠唱している。

 再び削り合いの勝負が始まる。



 ◇



「……すごい」


 抜剣こそしたものの、ミハエルに剣を振る暇などなかった。

 敵は未だにこちらに近づくことすらできていない。


 彼らは真実、カイとソフィアのふたりに翻弄されていた。

 侍は入り組んだ建物の壁面を跳ね回るようにしてウィザードの魔法を避けつつ傭兵達を分断し、次々とその首を斬り飛ばし、あっという間に殲滅してしまった。

 今は炎の壁に遮られて向こうが窺えないが、カイが負ける姿を想像できない。それほどに侍の姿は少年の心に鮮明に焼き付いた。


 ソフィアもまた二人のウィザードを相手取って魔法を連発している。

 周囲を氷に覆われた時は驚いたが、それが相手の魔法を打ち消す為のものだと分かって更に驚いた。

 学院の教官を含めても、ミハエルの知るウィザードの中にここまで精妙に――ある種、芸術的な程に魔法を操る者はいなかった。


「勝てる、の?」

「勝ちます、必ず」


 ミハエルの無意識の言葉に前を向いたまま応えを返すソフィア。

 その力強い言葉にミハエルの心も若干解された。


 ――だが、それは連続する緊張感の最中に空いた、一瞬の隙だった。


「――■■■ッ!!」


 背後から氷のドームを突き破り、咆哮とともに傭兵のひとりが突っ込んできた。

 その全身は半ばまで氷漬けになっており、何より胸にはぽっかりと穴が空き、中身がごっそりと損じた異様な姿だ。


 カイが殺したウィザードの呪詛は思わぬ形で聞き届けられた。


 如何なる神の言祝ぎか。

 呪術による仮初の命でありながら、死体は豪力を付与し、ソフィアに向けて過たず剣を振りかぶっている。


 詠唱に集中しているソフィアに、その一撃を防ぐ手立てはない。

 自分が戦場に連れて来られた意義を果たす時が来たのを少年は本能で理解した。


「お姉ちゃん!!」


 咄嗟に襲いかかってくる傭兵の剣を掲げた直剣で受ける。

 火花が上がり、ガチリ、と金属同士が噛み合う。

 打ち下ろしの衝撃に少年の腕が悲鳴をあげる。

 豪力すらかけていない矮躯は容易く押し崩され、潰されるように膝をつく。


「アグッ!?」

「――■■■!!」


 意味を為さない咆哮と押し込まれる傭兵の剣がミハエルに迫る。ソフィアが詠唱中の魔法を向けるが間に合わない。


「ミハエル!!」

「ッ!!」


 妙にゆっくりと流れる時間の中、ミハエルの精神と魂が収束していく。

 表情から驚きが消え、澄んだ戦意が体中に満ちる。


(僕は、僕は――)


 迫る剣の重圧に全身が軋む中、少年は心の中に火が灯るのを感じた。


「――僕は戦士だ!!」


 それは、危機が導いた奇跡の業。

 噛み合う剣を自ら外し、敵手の剣がこちらの脳天に落ちるまでの髪一本分の間を作る。

 ミハエルには、その一瞬で十分だった。


 無意識に発動した早駆けに応じて体が魔力を帯び、敏捷性を強化された身体各所が一気に加速する。


 ミハエルは知らない。

 攻撃に意識を集中した相手の空隙を衝き。反撃で以って打ち倒すその術理を。

 だが、見ていたのだ。カイが何度となく行使したその剣を。


 腰だめに構えた剣先で、突っ込んできた敵の腹めがけて体ごとぶつかる。


 体幹からやや左。狙いはこれ以上ないほど正確。


 腐った木に切っ先を突き刺したような感触が手に返る。


 その手応えはあまりに軽くて、故に、十歳の少年には重すぎる感触だった。


「■■、■……」


 二度目の死に傭兵の動きは停止した。

 力の失せた腹からずるりと剣が抜け、からん、と甲高い音を立てて手から滑り落ちた。


「はぁ、はぁ……うぶ」


 緊張が解けた瞬間。ミハエルは人を殺した感触に、四つん這いになって吐いた。

 血は不思議なほどに流れていないのに、視界に入った両の手が血に濡れているような錯覚を受ける。


(これが人を殺す感触――)


 脳髄が過熱する。自分は今まで何の為に剣を学んできたのか。

 こんなことをする為に――


「こんな……こんなっ!!」




 その時、少年の体を風が吹き抜けた。




 思わず、顔を上げた。


 視線の先、両腕が焼け爛れた侍が必死に駆けている。

 表情こそ変わらないものの、発する戦意はまるで雷鳴のように周囲を震わせている。

 戦っているのだ。なによりも手に持つその一刀が雄弁に語っている。


 そのとき、少年の懐から何かが零れ出た。

 涼やかな音を立てて地面に落ちたそれは、カイに手渡された投擲ナイフだ。

 その曇りなき刃の輝きがミハエルの心の炎を再燃させる。


(――そうだ)


 戦うと決めたのだ。こんな所で跪いている訳にはいかない。


 まだ幼い心と体はそれでも前を向いた。


 ナイフを拾い、構える。

 成功する、と確信する。


 肩から指先までが魔力を受けて強化され、貫通を付与されて投げ放つナイフが大気を割って一気に加速する。

 狙い違わずこちらに杖を向けていた片方のウィザードの手に刺さった。

 予期せぬ苦痛にウィザードは苦悶の声を上げて杖を取り落とす。


「ミハエル?」

「お姉ちゃん、今のうちに!!」

「は、はい!!」


 ソフィアは咄嗟に地面に落ちている剣に蓮杖の先を向けた。


「――撃ち抜け、エアロブリット」


 瞬間的に加圧された風の弾丸が剣を巻き込んで一直線に飛翔した。

 予想外の一手に敵手の物理障壁の展開が遅れる。

 猛然と迫る飛剣は無事だった方のウィザードの胸に突き刺さり、諸共に吹き飛ばし、背後の土壁に標本よろしく縫いつけた。

 正確に心臓を撃ち抜かれたウィザードは声を上げることもできずに意識を途絶えさせた。

 おそらくは即死、己を媒介にした呪術も意識と心臓を奪われては発動できない。


「なあ!? いや、まだだ、まだ――」

「いいや。ここまでだ」


 ナイフの刺さった腕を押さえたウィザードが仲間の突然の死に狼狽する。

 死の際であろうとも一手は講ずる余地があると思っていたのだ。

 そして、その気が逸れた刹那、一瞬の隙を衝いたカイが懐に飛び込み、そのまま刀の柄頭を喉仏に叩き込んだ。

 突起を備えた金具が軟骨を砕き、一撃でウィザードの意識を刈り取った。


「――――」


 このまま柄頭をねじ込めば首を折れる、という寸前でカイは手を止めた。

 ひとりは生かしたまま警備隊に引き渡さなければならないからだ。


 そうと決めれば後は早い。

 改めて喉を潰して詠唱を封じ、死体から拝借したベルトで手際良く捕縛していく。

 そうして後始末を終えれば、戦場には静寂が戻って来る。


「俺もまだまだ、か」


 小さく舌打ちする。

 戦いが終わっても、男の顔に安堵はない。

 拡散魔法への対処、味方への救援と相手からの妨害、反省点はいくつもある。


「……ひとまずは依頼を終えるか」


 顔を上げる。血の匂いを洗うように、北風が頬を撫でる。


 屍の打ち捨てられた戦場に突き立つ無数の剣はどこか墓標を思わせた。

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