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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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17.5話:白国騎士の回想

 数年前、白国の皇国騎士として最後になった任務に臨んだ。


 小隊を二つ動員しての野盗討伐。

 若い皇国騎士――クラスではなく職業である――とはいえ全員がエリートである八人。

 雑草を刈るが如き簡単な任務だった。

 位階、錬度、装備、どれ一つとっても野盗が太刀打ちできる要素はなかった。


 ――野盗(・ ・)にはなかった。


 任務も終局に差しかかったその時、ソレは現れた。

 腐肉から露出した骨をかき鳴らし、巨大な顎門を構え、声もなく動き続ける竜種のなれの果て。

 スカルドラゴンと呼称される魔物の襲来だった。その身は単体で魔獣級。

 埋めようのない実力差はそのまま絶望に直結した。


 一人目の同僚がその牙に串刺しにされ、二人目が射出された骨の弾丸に全身を穴だらけにされて倒れた時、既に皆、恐慌状態に陥っていた。

 当然の反応だったろう。

 飛行能力のない魔獣級の魔物が白国国内に出現するなど前代未聞だ。少なくともこの五十年の間には無かったことだ。



 スカルドラゴンとは、竜種の証たる竜鱗が無い代わりに骨が硬質化して鎧となっており、並みの攻撃では傷一つ与えられない化物だと教わっていた。

 事実、こちらの攻撃は剣も魔法も骨竜に何の痛痒も与えていないようだった。

 何より、当時のオレ達は自分達よりも強い者と殺し合ったことはなかった。

 皇国騎士の多くは貴族だ。エリートとして生まれ、恵まれた環境で育った。それはさながら純粋培養のように。だから、常に優位に立った戦いしか経験していなかったのだ。

 戦闘はあくまで対人。見栄え良く、民衆にも分かりやすい正義の形を示すための演習でしかなかった。

 七面倒で、民衆の目が届くことのない高位の魔物の相手は冒険者か、あるいは純戦闘部隊である中央の近衛騎士が討伐していたのだ。


 殺したことはあっても、“殺し合った”ことはなかった。


 それが、エリートという虚像が剥がされたオレ達の正体だった。



「立て、逃げるんだよ!!」


 襲撃されてからの記憶は曖昧だ。

 骨の弾丸がかすり右半分の視界が血に染まりながらも仲間の手を引いていた。あるいは引かれていたのかもしれない。


 だが、その腕も骨弾に撃ち抜かれた。

 手が離れ、倒れた仲間に気を取られた一瞬、背後に凶悪な気配を感じた。

 振り向くことすらできなかった。


「あ……ああああ!!」


 右足に灼熱のような痛みが走る。突き刺さった牙がオレの脚を鎧ごとブチブチと食いちぎっていく。

 オレが最後のひとりだった。隊はその時点で壊滅していたようだ。


 魔物に捕食の概念はない。スカルドラゴンも同様だ。その顎門を閉じるときはオレを殺す時だ。

 絶叫も尽きて、残ったのは諦観だけだった。

 腐臭と共に牙が迫る。

 思わず目を閉じた。

 だから、その瞬間は見ていない。



 ――風が、吹いた気がした。



 次いで、僅かな浮遊感、どさりと背中が地面にぶつかった感触。

 疑問が恐怖を上回り、目を開けた。



 それは、さながら、悪夢のような光景だった。



 黒い颶風が骨竜を巻き込むようにしてその巨体を弾き飛ばしていた。

 纏わりつくように吹く風の中で時折火花が散り、皇国騎士を塵屑のように屠っていたスカルドラゴンの全身が切り刻まれている。


 足元を見れば、右脚には牙が刺さったまま根元から断ち切られていた。

 断面は鏡か何かの如く異様に滑らかだったのが今でも記憶に焼きついている。


「――――ッ!!」


 スカルドラゴンが声なき声を上げた。

 同時に全身、全方位に対する骨弾の射出。


 流石に防ぎきれないと見たのか、骨竜を一方的に攻撃していた元凶が距離を取って着地した。



「な……」


 驚いた、のだと思う。

 ソレはたった一人の人間だった。黒ずんだ道衣を着て、腰に一刀、背に一刀を構えるサムライ。

 黒髪を肩口で乱雑に揃えた横顔はまだ幼さが抜けきっていない東洋系の顔立ちで、外見は十五歳前後にみえる。

 実際にはもう少し年上かもしれないが、それでも自分と一回り違うであろう少年だ。


 だが若さとは裏腹に、漂う気配は強者のそれだ。

 声を発することも忘れた。

 たった一人の子供に、スカルドラゴンは圧倒されていたのだ。


 だが、物理攻撃でスカルドラゴンを断つなど不可能な筈だ。

 位階だけみればオレ達とさして変わらない筈なのに、何故、鉄よりも硬い堅骨を斬る事が出来るのか。

 たしかに、少年は騎士の多くが使う甲冑や装甲の上から叩き潰す“剣”とは違い、鋭さによって斬る“刀”を使っているようだ。

 しかし、だから斬れる、などと言う道理はない。

 木で石が斬れないように、鉄では骨竜を斬れない筈なのだ。


 現実はしかし、オレの思考を裏切っている。

 たしかにあの少年はスカルドラゴンを斬ったのだ。



 驚きも冷めやらぬ間に、少年が再び加速した。

 刀を手に、真正面から吶喊する。

 加速にこちらの目が追い付かず、急速に輪郭がぼやけていく。既に残像しか捉えられない。


 黒い風となった少年は骨竜の腕を脚を牙を、その全身を切り刻んでいく。

 速度はいや増し、時に空中を蹴って反転し、さらに斬り込んでいく。


 それを見て気付いた。あれはこの死体を動かす核――魔力結晶を探しているのだと。

 竜の死体に取り憑いた別の魔力結晶、それを斬るつもりなのだと。


 その時、スカルドラゴンが顎門を開き、猛然と噛みついた。

 本能の為せる技か、狙いはかなり正確だった。

 だが、道衣の裾を千切られながら少年は寸前で躱し、お返しとばかりに首元に一撃を叩き込み距離を取った。


 そうして、両者が離れたことで場に静寂が戻って来た。


 知らず、止めていた呼吸を再開する。少年の剣に完全に見入っていた。

 (ましら)の如き身軽さと鷹の如き素早さだが、何より驚くべきはどのような体勢からでも十全の斬撃を放てるその身体感覚だろう。

 手打ちのようにみえる回避動作中の一撃ですら、全身の流れに乗せて物打ちを撃ち込んでいる。

 全てが必殺を期した斬撃。そこには血の滲むような鍛錬を感じさせた。


 オレはあそこまで剣に人生を捧げられるだろうか、脳の片隅で妙に冷静な部分がそう囁いた。

 脚を食い千切られかけた自分と、無傷の少年。厳然たる差が目の前にあった。


 何も言えず、既に部外者となった戦場を見つめる。

 互いを窺うように無言で対峙する巨大な魔獣と剣持つ小兵。

 沈黙の中、殺意と緊張が綯い交ぜになって場を張り詰めさせている。


 少年は無言で刀を納め、静かに気を練っている。

 傍から見ても分かる決死の構え。先程の一撃で相手の魔力結晶の位置に当たりをつけたのだろうか。


 スカルドラゴンも相手の出方を窺うように停止している。自分の骨を斬る相手への警戒が感じられる。

 魔獣級に警戒を呼び起こす存在。見た目の若さなど関係ない。英雄たる剣はそれを成すのだろう。


 静寂は長くは続かなかった。


 骨竜の顎が微かに浮ついたその瞬間、少年は全身を沈めるかのように低く体勢を取り、弾けるように飛び出した。


 一拍遅れてこちらまで地面の震動と空気を切り裂くような風が伝わって来た。

 震脚と早駆けからの全力加速。

 決して目新しいものではない。皇国騎士の中でも出来る者はいる。

 だが、生まれた速度は今まで目にしたことのない程の速さだった。


 己をひとつの刃と化した少年が駆ける。

 待ち構える骨竜は大口を開けて迎え撃つ。



 激突の瞬間、少年の剣は音を追い抜いていた。



 風が微かな刃音を運んできた。

 戦場に響く、笛を鳴らしたような高音だった。


 スカルドラゴンは顎門から頭にかけて真っ二つに切り裂かれ、内部の伽藍堂を晒していた。

 そこにある筈の魔力結晶は既に両断されていた。


 頭の隅で今の状況が再生される。

 殆ど何も見えなかったが、おそらくは心技かそれに類するものだろう。

 いつ刀を振ったのかも分からないほど速かった。



 敵は倒された。その事実によって思考が現実に戻ってくる。

 心臓が思い出したように早鐘を打ち、牙が突き立ったままの右脚の痛みがぶり返してきた。

 だが、視線を逸らせない。


 消えつつある、小山ほどある竜の屍の上に立つ黒髪の侍。

 表情の抜けおちた幽鬼のような顔と、それに反して空気を震わせる清冽な殺意。


 徐々に遠くなる意識の中、オレにはその姿が死神に見えた。


 それが白国の近衛騎士の最精鋭たる『十二使徒』の一人だと知ったのは随分後になってからだった。



 ◇



 食い破られた脚は再生魔法でも完治しなかった。

 傷が塞がれ、肉が元に戻っても、鈍痛のような痛みが残った。


 誰に言われずとも分かっていた。……幻痛だ。

 本来ならば生きている筈のない自分。命を拾った代償がこれだった。


 死が怖いと思ったことはなかった。正確に言えば、怖いと思っても、戦場に出る以上は仕方ないと覚悟していた、筈だった。

 だが、死よりも、何よりも、戦い続ければ人間はああなってしまうというその未来が何よりも怖かった。


 もう、戦場には出られないと悟った。全てを捨てて白国を去った。


 ――それから幾年もの時が過ぎた。


 剣は捨てられなかった。これを振る以外の道を知らなかった。

 放浪者の自分に良くしてくれたスラムの住人の為に剣を振っている内にいつの間にか元締めになっていた。

 だが、これはこれで悪くないと思えた。

 敵を殺す以外に戦いの意味があるということを感じて、脚の痛みが少しだけ和らいだ気がした。



 ◇



 その日、死神に再会した。


 二刀を持つ黒い道衣に黒髪の侍。

 たとえ何年何十年が経とうとも、その姿を見間違えることはないだろう。

 剣をぶつければ確信はいや増した。抜かせることすらできない技量差にむしろ安心した。


 だが歳月はこちらとあちら、両方に変化を齎していた。


 初めに感じたのは違和感。

 死神のように感じ、その在り様に恐怖していた相手から感じる人間臭さ。

 戦場でないのなら、こいつも普通なのだろうか、そう思った。


 誤解だった。


「お強いテメーにはわからんだろうが、剣を振るだけでは守れんものもある」


 その一言を告げた時の、侍の表情。人間風の仮面の下にある虚無。


 かつて感じた恐怖はそのままに、しかし言いようもない憐れみを感じた。


 オレは剣を振って、あるいはそれ以外の方法でもって誰かを守ることが出来た。少なくとも、自分をそうして肯定できた。


 だが、この侍にはそれがない。剣を振る、ということだけに特化した姿。

 そこには意義も、目的も、感情もない。まるで機械のようだ。あるいは――



「――神、か」


「神サマがどうかしたんですか?」


 無意識の呟きは隣に居た部下に聞こえていたようだ。

 椅子に座ったまま、視線だけを横に向ける。何となく問いかけてみた。


「お前は神を信じるか?」

「それらしきものはいるかと思ってます。てか、ボスは契約しているんですから神の存在とか感じるのでは?」

「さあな。オレは自分の目で見た物しか信じない」


 神が本当にいるかなど誰にも証明できない。

 この大陸にあるのは契約と加護という概念だけだ。

 仮に、それだけが神の機能だというのなら、そんな希薄な存在は“いる”とは言えないだろう。


「ボス、奥の地区で爆発がありやした!!」

「始まったか……避難は?」

「どいつも勝手に逃げてますって!」

「だろうな。最低限の監視要員だけ残して他の兵隊は下げろ」

「了解っす!!」


 部下たちが慌ただしく動き出す。

 スラムが戦場になることなど珍しくはないが、今回は特に酷い。

 嵐が過ぎ去るのを待つような気分だ。


「……」


 神がいるかなど誰にも証明できないことだ。


 だが、伝承が伝えている事実がひとつある。


 かつてこの大陸には“三柱”の神しかいなかった。

 今はそれが“五柱”になっている。


 ――神は増える。


 死神(・ ・)のような存在。


 あるいはあの侍は、何か別の存在へと至る前の蛹なのかもしれない。

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