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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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17話:スラム

 遠くに見える冬の空は青く澄んでいるが、帝都が都市国家であった名残りである大城壁によって日陰に追いやられたスラム街からは既に陽光が失せている。

 この地区には夏であっても中天に達する僅かな間しか日が差すことはないという。


 だが、この大城壁が無ければ帝都が現代まで生き残ることはなかった。

 この物言わぬ巨壁は幾多の修復を経て、時に魔物を、時に他国の兵を堅牢なるその身にて防いできたのだ。



 影の支配する街の中、無計画な建築によって至る所で途切れ、蛇行した薄汚れた道をカイたちは足早に通り過ぎる。

 三人はスラムに住む者達とは衣服からして違う。表の町では此処の者が異物だが、今この場ではカイ達の方が異物だ。

 しかし、座り込んだ人々の多くは目を向けることすらない、完全な無気力だ。生まれついてスラムに居る者はそれでも逞しく生きているが、ここに流れ着いた者の多くは未来に絶望している。


 ミハエルはそうして表情の抜けおちたまま座り込む彼らを不気味に思っているようで、顔色が悪い。街区全体の衛生状態が良くない為に埃っぽく、異臭がするというのもあるだろう。

 少年の手を引くソフィアも街区全体に渦巻く重苦しい感情が負担になっているようだ。元より、あまり長居したいと思える場所ではない。


 そんな中、先頭を行くカイは意外なほどにスラムに慣れている。

 目を離すと黒ずんだ道衣と括った黒の総髪が影の中にぼやけてしまいそうになるほどだ。

 たまに寄って来る娼婦はするりといなし、懐に差しこまれたスリの指は容赦なく圧し折り、言葉もなく襲いかかって来た物盗りも同じく無言で返した拳でそこらに転がるオブジェへと転職させていく。


 女子供、それも見るからに貴族然とした格好のミハエルと輝くような金髪と妖精の如き美貌を具えるソフィアを連れてスラムを歩くのは否応なく目立つ。

 が、カイが絡んできた者達を片っ端から黙らせていると、暴力に目を曇らせたゴロツキ以外には干渉されなくなった。

 スラムは無法の街。

 契約なく、位階を感じることはできずとも、弱肉強食の街故に弱い者ほど強さには敏感なのだ。



「オラアアアアッ!!」

「――ッ」


 ゴロツキが棍棒を振り下ろさんとした懐にカイが素早く踏み込む。

 同時に、伸びる左手が加速する直前の相手の手首を掴んで攻撃を封じ、右の拳が踏み込んだ勢いのまま相手の正中を打ち抜く。

 相手は吹き飛び、跳ねるように転がってそのまま動かなくなった。


 カイは残心もそこそこに歩みを再開する。

 その後を追うミハエルは目の前の一方的な光景に目を丸くしたままソフィアに手を引かれている。

 三人の背後には既に四組ほど物盗りが叩きのめされている。カイの動きは既に作業の域だ。負傷を受ける様子すらない。


「こんなに違うんだ……」


 侍の背を見つめるミハエルは契約の有無というのをここまで実感したのは初めてだった。同時に、恐ろしさ以上に疑問を感じた。


 神はなぜ人にこのような力を与えたのか。


 ある種、子供らしい無垢な心が一瞬、この世界の真理に触れかけた。


「ミハエル? どうかしましたか?」

「ううん。大丈夫だよ!!」


 だが、子供ゆえに深く思索することなく疑問は記憶の隅に埋もれていった。



 物盗りを殴り飛ばすのも一段落したころ、周囲を見回していたカイがある一点を注視してぴたりと止まった。視線の先にある家屋は酒場か何かなのだろう。周囲には酒瓶と酩酊者が散乱している。

 いぶかしむミハエルを放置し、二人にここで待っておくように言って、当たりをつけた建物内へと踏み込んでいった。


 侍が入って行ってすぐに怒声と何かがぶつかり合う音が響き出し、一分と経たずに止んだ。


 そして、軋む扉を開いてカイが出て来る。

 侍は何も言わないが、無造作に拳を振って血を払う姿が全てを物語っている。

 ソフィアたちの位置からは店内は見えないが、中がどうなっているかは想像に難くない。

 それでも死者は出していない。カイも街の流儀に従って暴力を言語としているだけで、無駄な殺生は避けている。

 刀を抜いていないのもその為だ。抜けば殺すのがこの侍の流儀である。


 逆に、侍の絶妙な手加減が無ければ既にこの街区には死者の山が築かれていただろう。マスタークラスのサムライにとってスラムのゴロツキなど文字通り鎧袖一触に斬り飛ばせる。


「次、行くぞ」

「はい。行きましょう、ミハエル」


 振り返ることなく歩き出したカイを慌てて追う。

 ミハエルの手を引いてその背を追うソフィアの目に魔力が集まり、蒼く輝く。


「カイ、何故スラムの元締めを探して……たしかに彼らにとっても厄介事ですね……戦闘になるなら住民の避難の必要性も……交渉の余地はあるのですか?」

「なければ作るだけだ。場所も遠くない」

「たしかに、街区全体に靄がかかったようで、広域感知ではウィザードを探るのは難しいですし……」

「ある程度位置を絞れればこちらで――」

「えっと……」


 会話についていけないミハエルが二人の顔を交互に見つつ首を傾げている。

 その様子にはたと気付いたソフィアが苦笑した。

 最近はクルスやイリスも二人の発する断片的な情報から推察できるようになったために、改めて他者に説明するという習慣が抜けていたのだ。

 歩きながら、今の間にカイと交わした会話を要約して言語化する。


「すみません、ミハエル。難しい話ではないんです。わたし達はスラム街について詳しくないので、“詳しい方に聞きに行こう”という話になったのです」

「えっと、うん。それはそうだよね」


 道に迷ったら現地の人に訊く。少年自身はほぼ常に従者が付いているのでそうした経験はないが、常識として知っている。


「その理解で問題ありませんよ」

「うん……あれ? カイはさっき何を作るって――」


 ミハエルは先程耳にした不穏な単語についてソフィアに問いかけようとして、しかし、その笑顔と目が合うと二の句が告げられなくなった。

 少年は自分と手を引く少女との隔絶を本能的に察したのだ。

 それは同族(ヒト)を殺した者が持つ血と暴力のにおいだ。


 どれだけ愛らしい顔をしていても少女は一流に指をかけるウィザード。

 その糧となった敵の中に大陸でもっとも数が多い生物が含まれていない筈がないのだ。



 ◇



「此処か」


 四半刻ほど歩いてカイ達は目的地へと到着した。

 目の前には古ぼけた“屋敷”がある。

 小屋やバラックが立ち並ぶスラムの中で、そこだけは建造物として確かな体裁を整えていた。スラムの元締めというのは少なくともこの屋敷を維持できる程度には儲かるようだ。


 閉ざされた門の前には警備兵だろうか、槍を立てた男が二人立っている。

 カイは臆することなく進み出る。

 睨む様な眼でカイ達を見ていた男たちは、しかし無言で門を押し開いた。


 カイが少し意外そうな顔をする。袖の下くらいは要求される心づもりだったのだ。

 その背後でソフィアも警戒度を引き上げている。

 門番二人は国の正規兵と同程度の実力とみえる。その錬度の高さはそのまま此処に居る元締めがそれだけ求心力と統率力を持っていることの表れだ。

 となれば、道中でカイ達がちょっかいを掛けられなくなったのも手回しがされた可能性がある。


「……カイ」

「ああ。此処の元締めは思ったよりも出来るようだ」


 あるいは誘拐犯の行方も掴んでいるかもしれない。

 迂遠な手だと思っていたが、交渉次第では近道が拓けるだろう。


 案内は付かなかったので、そのまま前庭を突っ切ってカイは屋敷の正面の扉を押し開けた。

 中は開けたロビーだであった。

 かつては様々な装飾に飾られていたであろうそこも今は武器を構え、殺意を滾らせたゴロツキによって彩られていた。


「――来たか」


 カイ達と相対するように正面に座っていた男から低く響くような声が発せられた。

 右目を縦に割る傷痕が印象的なその男だけ明らかに気配が違う。彼がここの元締めだろう。


 ソフィアと同程度の位階か、と当たりをつけたカイは背後の二人を制して一人歩み出る。

 応じるようにボスも立ち上がる。身長はカイより頭二つ分ほど高く、その全身が厚い筋肉に覆われているのが皮鎧の上からでも分かる。

 若干動きがぎこちないのは足を負傷しているからだろうか。


「俺に用か、余所者?」

「ああ。ウィザード誘拐犯の行方を教えろ」

「フン、――豪力(ストレングス)!!」


 短い応答に何を見たのか、ボスが筋力を強化しつつ剣を抜く。

 無骨なロングソードが刀身を露わにする。元は装飾が付いていた跡があるが、今はそれも消され、ただの凶器と化している。

 加えて、強化で一回りほど大きくなった全身で油断なく構える姿からは体系だった武術を学んでいたのが窺える。


「来い」


 男の全身から殺気が発せられる。思わず周りの部下が跳び退る程の濃密な殺気だ。

 その段になって相手のゴロツキでは有り得ない実力の高さに気付いたミハエルが慌ててソフィアを見上げるが、少女は大丈夫だと視線で以て応えた。


「……」


 ロビーに満ちる殺気にも構うことなくカイは歩みを止めず、するりと剣の間合いへ侵入した。

 まるで、この程度では構えるにも値しないといった風だ。

 ボスの剣先がピクリと動く。


「――ゼァッ!!」


 瞬間、構えた長剣をカイに向かって猛然と振り下ろした。

 斬られた、と背後で見守っていたミハエルには見えた。


 だが、長剣はカイの残り香に触れたに過ぎなかった。

 カイは歩み足のまま一歩横にズレて軸を外し剣を避けていた。

 あまりに早く滑らかで、そして自然すぎる動きだった。

 傍から見ていても、誰もカイがいつ斜めに動いたのか分からなかった。


 だが、対峙するボスの顔に驚きはなく、示し合わせたかのように振り下ろされた剣は即座に跳ね上がって斬り返される。

 鋭い弧を描く左の脇腹辺りを狙った切り上げが迫る。


「カイッ!!」


 ミハエルの悲痛な叫びがカイの背を叩く。

 しかし、侍の表情は変わらず、軽く握った左拳を長剣に向けて鋭く振り抜いた。


「――シッ!!」

「ッ!?」


 互いの手に返る鈍い衝撃、鉄同士をぶつけたかのような高音が辺りに響く。

 迫る剣線に対して無造作に振るわれた裏拳が長剣の腹を押し上げるようにして軌道を逸らしていた。


「……チィ」


 ボスが呻く。

 拳で鎬を正確に捉えられ、剣線を完全に外された長剣は死に体。一度引かねば振ることはできない。

 しかもカイは今の間に剣の間合いを盗み、残る片腕を引き絞ったまま既に拳の間合いにまで入っている。


 ――詰みだ。



 そのままカイを睨んでいたボスは、暫くして剣を引いた。

 合わせて侍も練っていた気を収める。いざとなれば相手を叩きのめすことも視野に入れていたのだ。


 俄かに周囲がざわめき出す。ゴロツキ共にとって、ボスが負けるというのは滅多にない出来事だ。

 ソフィアは小さく頷き、ミハエルがほっと胸をなでおろす。

 そんな中でも、カイとボスは互いの出方を窺うように目線を逸らさない。


「手荒い歓迎だ」

「ここの流儀だ、余所者」

「で、続けるか?」


 両腕をだらりと下げた侍の姿に、しかし最大限の警戒をしつつ男は静かに剣を納めた。


「……いいだろう。話を聞いてやる。だが、オレが認めるのはお前だけだ。女子供は別室へ連れて行け。他の奴も出ろ」

「で、ですがボス!!」

「二度は言わん」


 狼狽する部下を一言で黙らせ、ボスは元の椅子にどかりと腰掛けた。

 ゴロツキたちは顔を見合わせるが、ひとまず命令に従うことにしたのか、ソフィアとミハエルを連行しようとする。

 ソフィアの腕を掴もうとしたゴロツキを見とがめたカイは静かに口を開く。


「言っておくが、その女は俺より強い。其方の子供ですらお前達を圧倒している。手を出そうなどと思うな」

「イッ!?」

「……オレたちを脅す気か?」


 ボスが怒気を込めて問う。

 応じるカイも周囲を威圧するように殺気を発する。先にボスが発したのを大きく超える高濃度の殺気にゴロツキ達は一瞬呼吸が止まった。

 ミハエルも背筋の震えを感じて思わずカイを見上げる。侍の無表情な貌が今は修羅か何かに見える。


「俺はまだスラムに入ってからまだ一度も抜いていない」


 そんな重苦しい雰囲気の中、カイが腰の刀を軽く叩く。

 無表情なまま、呟くような何気ない口調であるというのに、その動作ひとつに周囲を囲んでいたゴロツキたちは知らず一歩退いていた。

 それは、隔絶した強者へ感じる根源的な畏れ。


「――抜かせてくれるな」


 暴力しか知らない彼らには想像もつかない、武の気配。


 ただひとり正面に座すボスだけは歯を剥いて殺気を押し返す。


「ハッ!! いい度胸だ。オレの顔に誓ってそいつらには指一本触れさせねえ」

「言質は取った。ソフィア、約定に反する奴が出たら殺せ」

「……承知しました」


 すっと頭を下げたソフィアはミハエルを連れて隣の部屋に連れていかれた。

 ゴロツキもこちらを気にしながら三々五々に散っていく。


 そうして、ロビーには佇むカイと椅子に腰かけたボスの二人だけとなった。

 途端に、二人の発していた気配が収まる。先程までの殺気のぶつけ合いが嘘のようだ。

 互いに脅しが効くような相手ではないことを承知しているが故に、無駄なことはしない。

 気当たりでの脅しが効くのは二流まで。そこから先はむしろ、自身の気を探られないことの方が重要だ。


「人のシマをあまり荒らしてくれるなよ、トーシロー」

「これでも自制した方だ」


 しれっと答えるカイをボスは睨むが、それが既に効果をなしていないのは明白だ。視線を外し、溜息をつく。


「これだから冒険者は……まあいい。余所者に困らせられるのはいつものことだ」

「そうか」

「……ウィザード誘拐犯だったな。たしかに居るぜ。根城はもっと奥だが」

「よく掴めたな」

「外から見えねえだけだ。二十人もいれば、ここでは十分目立つ……この辺りだ」


 ボスはそこらの紙の裏に乱暴に地図を書いてカイに投げ渡した。

 侍は黙って受け取り、視線を落とす。書き方の割に丁寧な地図だ。男の性格なのだろう。

 加えて、日々変化を続けるスラムの街を正確に把握していることは確かな支配力を感じさせる。


 カイは黙って脳内でここまでの道程と照らし合わせながら下手人の所在地を確定させる。道は複雑だが、距離的にはそう遠くない。


「警備隊は来なかったのか?」

「来るわけねえだろ。奴らにとっちゃスラムを壊滅させる大義名分ができたと小躍りしている頃だろう」

(ミハエルが取り合われなかったのはその為か)


 随分とおざなりな対応だと思えば、理由があったということか。たしかにスラムを一掃するにはいい機会だろう。防衛戦争に向けての士気高揚にもつながる。

 白国基準で見れば、その為に人質を放って貴族の機嫌を損ねるというのは随分と思い切った手であるように感じるが、皇帝の独裁制の色の強い赤国では違うようだ。


「オレの部下も何人かやられてる。住民に被害も出てるが、複数のウィザードと十人以上の傭兵相手じゃ話になんねえ。アンタが警備隊の恨みを買ってでも奴らを殺ってくれるならこっちとしては願ったり叶ったりだ」

「依頼を違える気はない」

「ハンッ!! お強いことで」


 まるで共通項があるかのごとく、二人の会話はスムーズに進む。

 本来ならそれは意外なことだが、男の使う装飾の消された長剣が白国騎士の制式装備であることを考えれば、あるいは――


「……お前が本腰を入れれば、スラムを変えられるのではないのか?」


 そんな中、侍にしては珍しくふと湧いた好奇心からの問いが発せられた。

 目の前に立つ男には十分なカリスマ性と統率力がある。歳も三十半ばだろう、まだまだ若い。

 今からでもスラムの一つ程度、掌握できないとは思えなかった。


「お強いテメーにはわからんだろうが、剣を振るだけでは守れんものもある」

「……」


 憮然とした男の返答に、カイの顔に一瞬だけ亀裂が走る。

 そんなことは言われずとも分かっている。


 ――目の前で血の海に倒れ伏す、たったひとりの肉親


 狂気の合間、朧げな記憶の中で、その一瞬だけは脳裏に焼き付いている。


「蛇足だった。手間をとらせた」

「まったくだ。さっさとやっちまえ」

「ああ、少し騒ぐ。付近の住民を避難させておけ」

「フン……」


 立ち上がり、別室へと足を向けたボスはふと、侍に背を向けたまま口を開く。


「なあ、アンタ。十年くらい前に白国の騎士団に居なかったか?」

「……」

「戦場で見たんだ。黒髪で、二刀を持った恐ろしく速いサムライだ」


 加えて、二人の間に流れるどこか懐かしい空気。

 騎士団にて同じ調錬を受けた、同じ技術体系を汲む者が感じる互いの武への共感。


 それらを確かに感じつつも、カイの表情は変わらなかった。


「そんな昔の事は覚えていない」

「………ああ、そうだな。聞き流せ。そいつに命を救われた敗残兵の戯言だ」


 二人はそれ以上何も言わずロビーを出た。



 ◇



「いい匂いだな……」

「は、肌も綺麗だ」

「娼婦なんてメじゃねえよな」


 別室でソフィアとミハエルはゴロツキ達に取り囲まれていた。たしかに触れてはいないが、人相の悪い男達に全周囲を囲まれた圧迫感は凄まじい。

 ミハエルは睨むようにして見返し、毅然としているが握った拳は白くなっている。

 ソフィアも周囲から聞こえてくる下衆な会話と低俗な感情に辟易していた。いい加減魔法の一つでも放ってしまおうかと考えるほどだ。


「テメーら何してやがる!!」

「ボ、ボス!?」

「奥の奴らを避難させろ。戦争になるぞ!!」


 それを破ったのは部屋に入って来たボスの一喝だ。

 即座の命令に半ば反射的に部下たちは動き出す。

 その間を抜けてカイがやって来た。周囲を見回し、二人の表情を見て、凡そを察した。


「待たせた……よく我慢したな、ソフィア、ミハエル」

「はい」

「うん!!」


 ソフィアがミハエルを連れてカイの元へと駆け寄る。

 互いの腕が触れあうようないつもの立ち位置。微かに感じるカイの匂いにソフィアの心が落ち着いていく。

 侍が慌ただしく指示を出すボスに向き直る。


「世話になった」

「二度と来んじゃねえ」

「そう願う、此方としてもな」

「ありがとうございました」

「あ、ありがとうございました!!」


 言葉少なくカイ達は屋敷を後にした。



 太陽は既に大城壁に隠れ、日没までの時間は測れない。

 時間はそう経っていない筈だが、常に薄暗いスラム街では時間の間隔があやふやになる。

 カイ達は若干速度を上げながらスラムの更なる奥へと進んでいく。


「賊はまだこの地区に居るらしい。ウィザード複数と傭兵、二十人前後」


 歩きながらカイは地図を見せ、ボスと交わした会話内容を端的に説明する。

 一度で済むようにちゃんと口に出しているあたり、この侍にも気遣いという概念が芽生えつつあるようだ。


「すぐに教えていただけて助かりましたね」

「ああ、余所者が来て困ると言っていた」

(それって僕らへの皮肉じゃ……)


 ミハエルは心中に浮かんだ考えを打ち消し、先程から考えていた言葉を発した。


「僕も戦うよ!!」


 守るだけ、というのはやはり気持ちが耐えられないのだ。

 しかし、返ってくるカイの視線は冷ややかだ。


「ミハエル、役目を忘れたか?」

「そ、そういうわけじゃ……」


「――人を殺したことはないのだろう?」


「ッ!?」


 追い討ちに、躊躇う少年の核心に迫る一言が放たれた。

 腰の刀と同じように、カイの言葉は一刀の下、ミハエルの覚悟を斬り崩す。


「……やっぱり殺すの?」

「殺す。必ず死人が出る。そういう手合いの気配だ」


 カイは偽らない。その手は既に数え切れないほどのヒトを殺している。今さら取り繕う気もなかった。

 ソフィアは心配そうにミハエルを見ている。

 だが、少年の目には炎が宿っている。戦士の顔とカイが評したその面構えには覚悟が据わっている。

 それが、現実を知らない故だとしても、今少年を止める言葉はカイ達の中にはない。


 他者の為にこそ全力を発揮するその精神構造は、どこか自分達のリーダーを思い起こさせる。

 ならば、その頑固さも推して知るべしと言った所だろう。


「……大丈夫ですか、ミハエル?」

「うん、僕、やれる!!」

「眼は閉じるな。すぐに終わる。終わらせる」


 それだけ告げて、カイ達はさらに足を速めた。



 ◇



「……におうな」


 スラム街の奥、大城壁に最も近く、王城から最も遠い地区。

 カイが手で制して歩みを減速させる。

 実際の嗅覚は街区の悪臭でまともに効いていない。におったのは第六感だ。


「――ウィザードを感知しました」


 同時に、ソフィアが感知の網に敵手の存在を捉えた。

 こんなスラムの奥まった場所にウィザードが居ることなどありえない。それだけ希少性の高いクラスなのだ。十中八九、下手人と見ていいだろう。


「奇襲は無理か?」

「はい。気付かれました」


 ソフィアが壁を指差す。周囲一帯の壁に血文字で描かれた魔法陣が浮き出し、所狭しと並んでいる。

 感知式の魔法罠だ。


 すべての魔法陣に魔力が籠り、赤く怪しく輝く。


 ――刹那、連続する爆炎が三人を包み込んだ。


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