16話:幼き戦士
クルス達が連盟本部を訪れてから数日が経った。
帝都に滞在する冒険者の数は日に日に増している。比例してどこの酒場も昼間から賑わってきていた。依頼が無ければ冒険者の多くは無職と変わりないのだ。
それは表通りから離れた閑静な地区にある酒場も例外ではない。
住宅が並ぶ通りの中にポツンと、軒先に連盟提携店を示す小さな看板を吊るしただけの小じんまりとした酒場がある。
控えめなベルの音とともに扉を開ければ、照明の抑えられた店内は冒険者相手としては上品な部類で、ワイン樽のようなシックで落ち着いた色合いと相まって独特な雰囲気を醸し出している。
ギルドハウスからそう遠くないこの酒場をアルカンシェルは行きつけにしていた。
他にもいくつかの酒場を回ったが、彼らの若さを嘲ったり、ソフィアとイリスにちょっかいかけたりする者が後を絶たなかったのだ。
そんな折にソフィアが見つけてきたこの店はそういった煩わしさもなく、新人の彼らを暖かくとまでは言えないが、ほどほどに歓迎してくれた。
酒場の名は『ビフレスト』
いくつかあるギルド連盟に加入している冒険者御用達の酒場の一つだ。
提携店とはギルド連盟からある程度の権限移譲を受けて、低ランクの依頼を受ける出張所となっている店を指す。
三級までの依頼しか受理できないが、連盟本部で並び、依頼が掲示板に張り出され、それから受理されるのを待つより遥かに早い。
同時に、この制度は冒険者を隔離する為でもある。
冒険者の収入は不安定ではあるが、危険を冒す分、一度に得られる報酬は並みの労働者よりも遥かに多い。真実、使う貨幣の種類すら違う。
一般人のサイフに入っているのは主に銅貨で、冒険者は銀貨だ。銀貨は銅貨百枚分に相当する。この一事が端的に両者の差を示している。
ギルド連盟の支援があるとはいえ、簡単にギルドハウスの貸し出しなどができるのはその為だ。冒険者の収入なら一括先払いが可能な為、死亡率が高かかろうとも取りっぱぐれることはないのだ。
冒険者側から見てもこれは都合がいい。彼らの多くは刹那的で金遣いが荒い。当然ではある。明日死ぬかもしれない身で貯蓄しようなどと思える者は少数だ。
精々、ほしいものを買う為に多少出費を抑える位だろう。
さらに、冒険者は契約によって強力な力を持つというのに、一方でその身を律する規律というものに縁が薄い。それなり以上の位階の者が街で暴れ出したら警備隊では手に負えず、国軍や国の擁する英雄級の出動が要請されるなどということもままある。
一般人からは冒険者は便利だが粗野で荒くれ者と見られているし、その見解は概ね正しい。
金銭と能力の差、住み分けは必然であった。
◇
「防衛戦争、かなり大掛かりになるみたいだな」
「貴族の学院も一時的に閉めたらしいわ」
「それって、教官の魔術士が行方不明に……」
「ああ、手配が出てたな。そろそろ警備隊も本腰入れて……」
冒険者たちは仲間同士で席を取り、顔立ちに若かりし頃の鋭さの残る壮年のマスターもカウンターの向こうで黙ってグラスを磨いている。
マスターの人柄からか、ここに集う冒険者は落ち着いた者が多い。尤も、狼藉者の多くは元・冒険者のマスターに叩き出されたという理由もあるのだが。
冒険者を相手にするのはやはり冒険者の経験がある者が都合がいいのだろう。
そんな酒場の隅の席で、カイは周囲の会話をそれとなく聞き流しながら紅茶で舌を湿らせる。
(ウィザードの連続誘拐か。他人事ではないな)
聞こえた中で気になったのは今、戦争準備に忙しい帝都を騒がせている誘拐事件だ。
概略は酒場に来た際に聞き及んでいる。白昼堂々と貴族学院のウィザード教員を、それも複数人拐しておきながら、目撃者は異常に少ないという。
未確認ながら下手人の中にもウィザードがいたという情報もある。
話を聞く限り随分と手慣れた犯行だ。クレリックの格好をしているからといって――
「見過ごすような相手ではない、ですか?」
「おそらく」
対面に座り、こちらの心を読んだソフィアの問いに頷きで答える。
ソフィアの現在の装備は白神のローブ。純白の見た目はクレリックそのものだが、魔力を探られてしまえば内面においてはウィザードの比重が大きいことなど一目瞭然だろう。
相手は白昼堂々犯行を行う集団だ。しばらくは警戒能力の高いイリスが傍に居る方がいいだろう。
そう思考で伝えれば、ソフィアは「ありがとうございます」とたおやかに微笑んだ。
「しかし、クルス達に付いて行かなくて良かったのか? 親族との交流は貴族の義務では?」
この場にいるギルドメンバーはカイとソフィアの二人だけだ。
クルスとイリスは朝から赤国に赴任している親戚に会いに行っている。クルスの親戚と言うことは当然、妹の親戚でもある筈だ。
至極尤もな問いに、しかし、ソフィアは困ったような笑みを返す。
「今回お会いするのは親族というよりも、兄さんが個人的にお世話になった方ですから。……それに、わたしは元からあまり親類縁者に会ったことがありません。何を考えているか知られたくない方も多いですし」
ソフィアは兄が連れ出すまで屋敷で軟禁状態だったのだ。知己の親戚も数えるほどしかいない。
生まれついての異物、しかし“神に愛された”者を捨てる訳にもいかない。結局、多くの者はソフィアとの接し方が分からないまま離れていった。
浮世離れしたソフィアの性格は幼少期の触れ合いがなかったことが少なからず影響しているだろう。
「……貴族という生き物はこれだから」
ソフィアの表情から少女の置かれていた環境に思い至ったカイは心底嫌そうな顔をする。この侍にしては珍しいあからさまな感情表現だ。
「何か、貴族に対してあったのですか?」
「師のひとりが貴族だったが、恐ろしく性格が悪かった。何度殺されたことか……」
「殺された、ですか………」
普通は比喩だろうと考えるが、カイの言動を省みるに、本当に殺されたのだろう。
クレリックには死亡直後の魂が散逸する前ならば蘇生すら可能とする高位再生魔法もある。あながち冗談とも言えないのだ。
「白国の貴族の方ですか?」
「そうだ。殆ど表には出ていないらしいがな」
貴族であっても人間ではないが、と侍はぼやくが、少女には意味は伝わらなかった。
カイと共鳴した際にある程度の記憶も視ているが、全ては覚えきれないので、殆どの内容は忘却されている。
かといって、そう何度も共鳴を行えば自他の境界が曖昧になり精神が崩壊してしまう。
少女はそれが残念だった。
◇
そうしてポツポツと雑談を続けていたが、めぼしい依頼もなく、そろそろ帰ろうかと相談していたその時、突然、酒場の扉が勢いよく開かれた。
「――誰か、誰か助けてください!!」
そこにいたのは腰にショートソードを吊った少年だった。
柔らかそうな栗色の髪と少し黄緑に近い碧眼が印象に残る。
まだまだ幼さの残る顔立ちに見るからに泣きそうな表情を浮かべて店に入って来る。
控えめな照明の下、高級そうなその服は所々千切れ、汗と泥で汚れている。子供の喧嘩、といった風ではない。
マスターは闖入者たる少年をじっと見ると、静かに口を開いた。
「……少年、酒場は初めてか?」
「そ、そうだけど!!」
「話を聞け。依頼なのだろう? ならば落ち着け。依頼主がそう慌てては、誰が依頼内容を説明する?」
「で、でも!!」
「座れ。ここはギルドの斡旋所である前に酒場だ。依頼をするにもまず席に着き、何か頼んでからするのがマナーだ」
マスターに諭されている内に少年もある程度冷静さを取り戻したようだ。おずおずとカウンター席に座る。
少年の突然の闖入に目を向けていた店内の冒険者も興味を無くしたように視線を外していく。
「酒はまだ無理だな?」
少年の前にホットミルクが置かれる。言葉を交わしながら用意していたのだ。
「それを飲んで、深呼吸して、それから依頼の聞き取りに入る。いいな?」
「……うん」
少年はカップを取ると、ゆっくりと中身を口に入れた。
火傷しないように、しかし温く感じないような気遣いの温度。
「……あったかい」
マスターは無言でグラスを磨いている。
さらに二口ほどカップを傾けてから少年は顔を上げた。
涙の跡が残る顔はそれでも溌剌としている。逆境においても失われない陽に属する気質こそ少年の本来の姿なのだろう。
「大丈夫か?」
「うん!! ありがとう、おじさん!!」
「マスターと呼べ」
眉根に皺を寄せながらもマスターはカウンターに紙とペンを置いた。依頼を聞く体勢だ。
相手が誰であろうと客は客、依頼主は依頼主。それが彼のポリシーだ。
「まず、依頼主、つまり少年の名前は?」
「ミハエル・L・ディメテル」
「……イニシャル持ちか。白国から来たのか?」
「うん。おじいちゃんの仕事で」
「ふむ、続けてくれ」
マスターが促すと、途端に少年の目に涙が浮かぶ。
それを零すまいと堪えている姿が痛々しい。
「同じ学院の子が誘拐されたんだ。今日でお休みに入るって、校門でさよならして、それで、その子が馬車に乗ろうとして、いきなりローブ着た人たちがでてきて、魔法でみんなを――」
(相手はウィザードか。それに、馬車の昇降時を狙ったのか?)
つっかえながらも歳の割に明瞭な説明を聞きながらマスターは思考する。
よく見れば、少年の服は所々破れ、切り口はかすかに焦げている。炎熱系の魔法を食らったのだろう。
また、馬車に乗り降りする瞬間はどうしても警備が緩んでしまう。
狙ってやったのだとしたら素人の手管ではない。
「攫われた子の名前は分かるか?」
「フィフィ……フィフィアーナ・ニミュエス。知り……友達だよ」
「それは真か? ニミュエス家の令嬢誘拐なら警備隊が動くぞ」
マスターが眉をひそめる。
ニミュエスと言えば宮廷魔術士を幾人も輩出した名家のひとつだ。
他国と比べて貴族の権威が相対的に低い赤国とはいえ、無視できる家格とは思えない。
だが、ミハエルはマスターの問いに悄然として首を横に振った。
「僕、見たんだ……攫われる所を!! でも、誰も信じてくれないんだ!! じいちゃんは外出してて私兵も一緒に……僕の護衛の人も施療院に……治療してくれたお医者さんがここに来れば子供でも依頼を受けて貰えるかもって……」
「そうか……やれやれ」
誰だか知らないが随分な評価だ、マスターは微かに苦笑した。
ともあれ、依頼は現実味を帯びてきた。
平時なら警備隊も取り合っただろうが、現在は防衛戦争を控えて帝都は緊張状態にある。
警備隊も流入する冒険者の制御で限界に達しているのかもしれない。
そうなれば、子供、しかも他国の者となれば話半分にしか聞いてもらえないのも仕方ないのかもしれない。
「犯人の風貌で覚えているのはあるか?」
「ローブを被っていてよくは……」
「どこへ向かったかは分かるか?」
「城とは逆向きに、汚い方へ行ったと思う」
「……スラム街か。少々厄介だな」
日々、衰退と拡張を繰り返すスラム街は地図も役に立たない。
この帝都、否、赤国全体の影だ。行方をくらませるには絶好の場所だろう。
(スラムに詳しいギルド……実力的に危険か。人質の奪還までとなると二級の依頼になる)
スラムを地元とするギルドは娼婦の取り締まりや倉庫の警備等が主な仕事だ。
戦闘力に優れているという訳ではないし、位階も低い。多くはウィザードとの戦闘経験もないだろう。
そもそも依頼主がこのような子供では受けてくれるかどうか。
ミハエルは歳の割に受け答えはしっかりしているが、だからといって幼さを相殺できている訳ではない。
マスターとしても依頼を斡旋することはあっても、それを押し付ける気はなかった。やる気のない仕事は害悪に等しいからだ。
「マスター、お困りですか?」
そんな時、奥で食事していた二人組がカウンター前にやって来た。
妖精じみた美貌を具えた金髪の少女と、気配を殺し隙のない所作で立つ道衣の男。
見覚えはある。
「新入り、たしかソフィアにカイ、だったか。勘定なら先に済ますが?」
「……依頼内容は奪還ですか?」
「む……」
マスターが顔を顰める。
この少女がある程度心を読めるというのは初めて来た時に説明されたが、この感覚にはまだ慣れない。
「依頼については心を読まない、という約束だった筈だ」
「そちらの子が、あまりに強く攫われた女の子のことを想っているので聞こえてしまったのです」
「な!?」
ばっと振り向いた少年の顔が熟れたトマトのように真っ赤になる。
ソフィアは笑顔のままだが、年頃の少年にとって想い人を明かされるのは恥ずかしいことこの上ないだろう。
少年は椅子の上で両手を振ってあたふたと慌てだした。
「あ、や、違っ!?」
「ふむ、随分焦っていると思ったが、そういう理由だったのか?」
「あ、え、えっと……」
「恥ずかしがるな。胸を張れ、少年、いやミハエル。お前のその想いは尊いものだ」
諭すマスターが一瞬、酒場の奥に設置されたピアノを見る。
今は使われていないそのピアノは、病没した彼の妻が生前に弾き語りをしていた名残りである。ピアノ自体はマスターも弾けるが、肝心の歌い手が見つからず、もう何年も使われないままだ。
遠い目でピアノを見るマスターの姿に何か感じる物があったのか、少年――ミハエルの目に光が宿る。
それは意志の光だ。
マスターも少年の変化を機敏に察し、小さく口元を緩ませた。
「悪くない目だ、ミハエル。他に思い出したことはあるか?」
「……そういえば、奴ら『これで揃った』って言ってた気がする」
「揃った? 何がだ?」
「そこまでは分からないです……」
◇
(ソフィア、本気で受ける気か?)
成り行きを見守っていたカイはソフィアに伝わるよう心中で問うた。
クルスとイリスがいない以上、自分たちの戦力は半減どころではない。
不確定要素の多い依頼を受けるには準備も戦力も足りていない。相手にウィザードがいるとなるとカイ単独で、という訳にもいかないだろう。
(この子には少々“縁”がありますので)
(クルスたちを待つべきだ)
(それでは間に合いません)
話を聞いてから、ソフィアの中で呪術書をめくっている時のような不気味な気配が止まない。
少女の持つ予見が、大気中の元素が感応力を通して何か不吉な事が起こると告げているのだ。猶予は余りないとみるべきだ。
(……承知した)
カイはそれ以上問うことはなかった。
常のソフィアなら危険だと言われれば大人しくクルス達を待っただろう。
功名心に走る性質でもないし、戦力分析を怠りもしない。むしろ危機を前にした時は熱くなりがちなクルスの方が危うい位だ。
そのソフィアがここまで言うのだ。本当に急ぐ状況なのだろう。
ならば自分がすべきは全力を尽くし、仲間に危害が及ぶ前に障害を斬り伏せることだ。
「とはいえ、もう少し情報が欲しい所だ」
「では、ミハエルの心に訊いてみましょう」
「僕の心にって?」
ソフィアは膝をついて屈み、首を傾げるミハエルと真っ直ぐ目を合わせる。
「ミハエル、今から貴方の心を視ます。いいですか?」
「良く分からないけど、それでフィフィを助けられるの?」
「ヒントにはなります」
「ならやって、お姉ちゃん!!」
言葉の意味を真に理解している訳ではないだろうが、一瞬の躊躇もなく頷いて見せるとは子供ながら覚悟の据わった返答だ。
ソフィアは微笑み、小さく息を吸って魔力を集中した。
「心を楽にしてその女の子を強く想ってください。できるだけ、その子のことで覚えていることを全て頭に思い浮かべて下さい」
「事件について思い浮かべるわけではないのだな?」
「はい、マスター。このやり方では本人が明確に思い出せないことを視ることはできません。ですからまずは女の子のことを調べます」
「なるほど、遮って悪かった。続けてくれ」
「はい。 ――アクセス」
ソフィアの目が魔力を帯びて蒼く輝く。
少年の魔力を辿り、その心の中へと自らの意識を染み込ませていく。
脳裏に直接触られるような感覚にミハエルは悲鳴を上げかけたが、ぐっと腹に力を入れて声を抑えた。
口だけではないミハエルの意気にマスターは小さく口の端を曲げた。
時間にして十秒ほどで読心は終わり、目の輝きを消したソフィアに楽にしていいですと告げられると少年はさすがに安堵の息を吐いた。
マスターがホットミルクのお代わりを出している間、宙空を見つめ、脳内で情報を整理していたソフィアが指をぴんと立ててミハエルに向き直った。
「……フィフィ、その女の子ですが、ウィザードなのですか?」
(本当に心が読めたんだ。すごいな……)
「うん。今年なったばかりだって言ってた」
「当たりか?」
「もしや、最近頻発しているウィザードの行方不明事件のことか?」
ウィザードの誘拐、下手人にもウィザードが混じり、手際も鮮やか。関連を疑うのは当然だろう。
カイは一度目を閉じた。
そして、次に開けた時、その眼は戦いを前にした戦士のそれになっていた。
「依頼を受ける」
「ん、急にどうした?」
「禍根は断つ。ソフィアもウィザードだ。可能性がない訳ではない」
揃ったということはこれ以上の被害はないのかもしれない。
だが、次がある可能性もあるし、もしもウィザードの“質”の話になればこの少女は高確率で狙われるだろう。
剣呑な雰囲気が漏れだした侍にマスターはすっと書類を差し出した。
「やる気が出たのはいいことだ。しかし、依頼を受ける前に報酬の確定だ。相手がウィザード誘拐事件の犯人なら相当な大物、指名手配も出ている。偵察依頼として準三級クラス、報酬は銀貨三十枚が最低ライン、それに仲介料の銀貨二枚を足して三十二枚だ」
「今持ってるのが……」
マスターの視線にミハエルはポケットを探ってテーブルの上に置いた。
銀貨が二枚。子供の小遣いとしては十分に多いが、依頼報酬には到底足りない。
カイは隣のソフィアを見遣る。依頼が受理できないならそのまま行くだけだ、と心中で言うと、自分に任せて欲しいと視線で返された。
ソフィアは笑顔のまま一歩前に出た。
「仲介料だけで、残りは後払いで構いません」
「言い方は悪いが子供の依頼だぞ? ミハエルの家が貴族とはい、え……」
「お察しの通りです、マスター」
「どういうこと?」
何が何だかわからないミハエルに対して、ソフィアはローブの端を摘んで一礼し、満面の笑顔を向けた。
「申し遅れました、わたしはソフィア・F・ヴェルジオン。貴方の親戚で、今ごろ前当主……貴方のおじい様とお会いしているクルス・F・ヴェルジオンの妹です」
「ヴェルジオン? ……クルス兄ちゃんの妹!?」
「ああ、やはり御存知でしたか。一時期、兄はディメテル家に師事していたのでもしやと思いましたが……」
どうやらクルスの名はこの少年にもよく通じたようだ。俄然、表情が明るくなる。
その内にカイがマスターに勘定を払い、ついでに警備隊とギルド本部への連絡を頼んだ。
振り向き、ソフィアへと向けた顔つきこそ先程までと変わらないものの、纏う雰囲気は既に戦闘前のそれだ。
「準備はいいか、ソフィア?」
「はい。あ、カイ、自己紹介を」
「カイだ。ミハエルとやら、時間も前衛も足りん。お前も来い。その腰の剣は飾りではないのだろう?」
「いいの?」
「お前に覚悟があるのなら」
幼くとも戦士の顔だ。来るなと言っても付いて来るつもりだろう。
なら、一太刀でもソフィアへの攻撃を防ぐ壁になれば儲けものだ。
「カイ、そういうことはちゃんと本人にも言いましょう」
「承知した」
「え? えっと……」
過程を飛ばした二人の会話にミハエルが首を傾げる。
二人の顔を交互に見上げていたが、ひとまずカイに話を向けることにしたようだ。
「カ、カイ兄ちゃん?」
「呼び捨てでいい。兄は……やめろ」
「え、あ、うん。カイ。僕はどうすればいいの?」
「まず、お前は何ができる? 気配と武器から見てファイターだな?」
「うん。豪力と早駆はできる。加護は赤神の“砕けぬ刃”だよ」
「ふむ……」
顎に指を添えたままカイは改めてミハエルの全身を見る。年齢は十歳、位階は成り立てといったところだろう。身長的に槍や盾はまだ持てない。
体はまだまだ未熟だが、ファイターのクラスはそんな幼子にも容赦なく平等に加護を与えている。
砕けぬ刃は戦闘中に一度だけ致命の一撃に耐える生存系の加護だ。親か師が薦めたのだろう。悪くない選択だ。
ソフィアにも釘を刺されたのだ。ちゃんと役割を告げねばなるまい。
カイは懐から投擲ナイフを取り出した。
「貫通付与は?」
「あんまり得意じゃない」
「なら無理に使わなくてもいい。ミハエル、お前は剣を構えてソフィアの前に立て。相手が打ち込んできたら防げ。距離があるならナイフを投げろ。剣は盾だと思え」
「え? でも、それじゃ――」
「お前の後ろにはソフィアが、ウィザードがいる。魔法の一撃はお前の剣の何十倍の威力がある」
「そんなに違うの!?」
「そうだ。お前の仕事は体を張ってソフィアを護ることだ。即死しなければソフィアが治せる。安心して斬られろ」
「う、うん……」
かなり無茶な物言いだが、少年は侍の目を見てしっかりと頷いた。
カイの目は既に戦意を滲ませているが、ミハエルはしっかりと見返し、目を逸らさない。
その様子を見ていたソフィアがミハエルの手を取って微笑んだ。
「がんばりましょうね、ミハエル」
「あ、うん、頑張る!!」
それでも、至近距離からのソフィアの笑顔に顔を赤らめる辺りはまだまだ子供だろう。
それでいい筈なのだ、本来は。
「依頼は受理されたようだな。――では、良き旅を」
「はい、いってきます」
「行ってきます!!」
「……」
冒険者を送り出す定型句に見送られ、三人は一路スラム街を目指して酒場を出た。