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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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15話:過去

 夜闇の中、手に返る骨肉の感触を振り切って力の限りナイフを押し込む。


 背中から床に突き倒された男は末期の声も上げずに即死した。


 震えていた空気が静まり、部屋の中に静寂が戻る。


 そうして、改めて自分のした行為を認識する。

 相手は見知らぬ強盗。後ろから跳びかかり心臓をナイフで一突き。

 即死、だった筈だ。習った通りに体は動いた。


 “初めて”にしてはマシな動きだろう。

 床に沁み込んでいく赤黒い液体を見下ろしながら、自分の中の妙に冷静な部分がそう判断した。


「――ハァ!? グ、ウプ……」


 止めていた呼吸を再開すると一気に吐き気がこみ上げて来た。

 はじめて他者を殺した感触が手に残っている気がする。

 気持ち悪い。自分の手が真っ赤に染まっているような気がしてくる。

 鼻の奥が血錆の匂いでツンと詰まる。


 すべて堪える。相手が一人だったとは考えにくい。

 次に備えなければならない。次も殺さねばならない。

 体格、身体能力共に此方は大きく劣っている。奇襲、暗殺以外で勝機はない。


「なのに……何で」


 こわばった手がナイフから離れない。極度の緊張によって固まった指が柄を掴んで離さない。

 歯を食いしばり、指を一本一本引き剥がすようにしてなんとか引き剥がした。


「ぶき、ぶきを――」


 刺さったままのナイフは駄目だ。

 脂も付着しているし、皮鎧を貫いた時に切っ先が欠けたのが“分かった”。

 他の武器が必要だ。倉庫か父の部屋に行けば何かある。近いのは父の部屋だ。

 この部屋を出なければならないという難点はあるが背に腹は代えられない。


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 だが、息は上がり足は竦んでいる。今まで感じたこともない程の恐怖だ。

 武器を入手するまでに強盗の仲間に会ったら一巻の終わりなのだと理解しているからだ。

 強盗の使っていた短刀もあるが、随分とお粗末な品だ。

 手に持った時に刀身内部に損傷があるのがやはり“分かった”。

 二度三度振ったら折れてしまうだろう。一撃で致命傷を与えるには心許ない。


「……?」


 先程から妙に感覚が冴えている。

 心と体は混乱しているのに、頭は冷静に次の手を考えている。

 それに、手に持つ武器がまるで自分の体のことのように分かる。

 不可思議に過ぎるが、今はその理由を考えている余裕はない。

 とりあえず、無いよりはましかと死体の手から短刀を引き剥がし、構えたままそっと扉を開ける。


 静まった廊下には灯りも人影もない。

 窓から降り注ぐ月光も雲がかかっていて頼りない。

 慎重に廊下へ出る。

 踏み締めた床板が軋む音にびくりと震えるが、周囲に反応はない。

 覚えたての忍び足で歩く。

 心臓の鼓動がうるさい。耳元でがなりたてるな、静かにしてほしい、どこに強盗が――


「――ッ!?」


 その時、背後から高速で近づく気配を感知した。


(速い。振り向いてから対応しても間に合わない!!)


 判断は一瞬。

 膝の力を抜いて腰を落とす。

 同時に踏み締めた右足を軸にして回旋、落下速度で加速させた左脚を背後へ向けて足払いの要領で放つ。

 脚の回転に引っ張られるようにして振り向く。

 視覚に相手を捉えるが、位置的に丁度影になっていて相手の全容が見えない。


 隠す気のない気配をこれ幸いと間合いを合わせる。

 右の踵が床板を踏み締めきりりと鳴る。しならせるようにして左脚を振り切る。

 迫る気配は避けもせず足甲で受けた。左脚に衝撃。激痛と共に互いの骨に罅の入る感触がしたが無視。


「待て!!」


 相手が何か言っているがこれも無視する。こちらに口を開いている余裕はない。

 曲げていた右足を伸ばす勢いで跳び、受けられた左の爪先を相手の脚に絡ませ、さらに膝を曲げることで自分の身を相手へと引き寄せる。

 相手の体勢も崩したかったが、根でも張っているかのように相手の脚はびくともしない。


 だが、最低限の目論見は成功した。

 廊下を滑るようにして相手の股下を“潜り抜ける”と同時、全身の筋力を総動員して跳ねる。


 急速な上下移動に視覚と意識が付いてこない。

 だから、本能だけは即座に相手の背中へと逆手に持った短刀を打ち込む。

 手に持つ短刀を破損なく確実に振れるのは一度だけ。故に、この一度に勝機を賭ける。

 狙いは違うことなく心臓。体幹からやや左に外れた位置。相手の装備は軽鎧。この位置なら回避は――


 次の瞬間、キンと金属同士がぶつかる高音が廊下に響いた。


「あ……」


 呆然として見る。相手は背中にまわした剣の腹で短刀を受けていた。

 強度の差に耐えきれず、手に持つ短刀が砕ける。破片が頬を掠って血を一筋垂らす。


 慌てて脳内で組み上げていた追撃を停止させる。

 急な減速に体がついてこずつんのめるが、振り向いた相手にがっしりと受け止められた。


 攻撃を止めた要因は短刀を受けたその剣だ。

 生まれてから最も目にした剣。実用一辺倒な無骨な造りだが、そのシンプルな造りこそが何よりの装飾となっている、すらりとした長剣。

 見間違えることはない。最近は手入れも任されるようになったのだ。


「まったく。待てと言っているだろう」


 そして、その剣を持っている人物は一人しかいない。


 長剣を手に、コート状の軽鎧を纏った大柄な剣士が束の間、雲間から覗いた月の光を受ける。

 月光に照らされた顔には歴戦を思わせる無数の刀傷。背中で括った黒髪と落ち着いた黒目は少年とよく似ている。


「――父さん」

「相手の確認は怠るなと言った筈だ」

「……ごめんなさい」


 短刀を捨てて頭を下げる。

 気が動転していたとはいえ同士討ちに走るなど失態以外の何物でもない。反省しなければ。


「ふむ……」


 子のしおらしい様子に父はコホンと一度咳払いすると目の前で膝をついた。

 長身の父はそうして成長途中の我が子と目線を合わせる。


「怪我はないな?」

「……はい」

「こちらこそ遅くなってすまなかった。不穏な気配を感じて急いで戻って来たのだが」

「いいえ、大丈夫です。他は?」

問題ない(・ ・ ・ ・)。全て片付けた」

「そうですか……」


 父が他を片付けている間に一人しか倒せないとは不手際もいい所だ。

 やはり自分はまだ足手まといだ。

 見る間に沈んでいく我が子の様子に父は苦笑し、刃の掠った頬の血を指で拭い、その頭をガシガシと不器用に撫でる。

 決して優しいとはいえない感触に、しかし少年はかすかに目を細めた。


「お前は家を守ったのだ――よくやった」

「あ……」


 褒められるのはいつ以来だろうか。旅を始めてからはめったにないことだ。

 親子の会話の多くは父から子への生きる為の知識の伝授だ。元より不器用な父に他者の機微は分からない。

 それでも、今日という日を生き残った我が子へ向ける視線は安堵と誇らしさに満ちていた。


「ここもすぐに引き払う。準備しろ――カイ(・ ・)

「はい」


 それがカイ・イズルハの初めての夜。


 この時、命の危機に瀕した際に無意識の内に契約を行い、クサナギの加護とサムライのクラスを得ていたことが後になって分かった。

 契約時の事を思い出そうとすると靄がかかったように記憶が判然としないが、それでもひとつだけ確かなことがある。


 己の原型は、この夜に生まれたのだ。


 ――五歳の夜だった。



 ◇



「――イ、カイ」

「…………どうした、ソフィア?」


 侍は思考の海から現実へと帰って来た。

 目の前には、心配そうな表情で見上げるソフィアがいた。


「ぼうっとされていたので御加減が悪いのかと」

「問題ない。……少し懐かしい気がしただけだ」


 視線を少女から周りへと向ける。

 周囲には太陽を遮る外壁に沿って無計画に乱立するバラックや板を張り合わせた張りぼての小屋が埋め尽くしている。

 道は狭く、左右に曲がりくねって先が見通せない。そこかしかに置物のようにみすぼらしい格好の人々が座り込んでいる。

 雑然と言う言葉をそのまま形にしたような地区だ。


 日はまだ高いが、五十メートル近い帝都の大城壁に遮られて日は差してこない。風も遮られ、大気は淀んでいる。地盤が脆い為に上下水も整備されておらず、悪臭が鼻を衝く。真っ当な人の出入りも少ない。

 それらがより一層この地区の陰鬱さを際立たせている。


 ――帝都、スラム街。


 カイはソフィアと、さらにその背後に十歳ほどの少年を連れてこの魔窟へとやって来ていた。


 そもそも何故このような場所に来ているのか。

 原因は数刻前へと遡る。

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