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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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13話:ギルドハウス

 前回の依頼から数日ぶりにやってきた帝都は夕焼けの下、王城の威容や金槌の音を響かせる鍛冶屋街などで重厚に彩られていた。

 だが、その中でも明らかに街から浮いた新参者といった風体の冒険者の姿が散見される。

 理由はクルス達と同じ防衛戦争絡みだろう。


 城塞都市アルキノは確かに戦時の要衝だが、各国の物流からは遠い北方の都市、有り大抵に言って田舎だ。

 そんな都市に戦争準備をしながら続々と流入する冒険者を捌く余裕はない。よって、収容人数に余裕のある帝都に纏めて待機させ、順次輸送していくという。


 クルスがここにギルドハウスを求めた理由の一つだ。

 最大の理由はギルド本部とそこに持ち込まれる多種多様な依頼だが、戦時価格などと言ってぼったくってくるか、一部屋にすし詰めにされるかしかない宿屋に仲間を泊める気になれなかったのも確かだ。



 ◇



 馬車を街の入り口で預け、クルスの先導で街区を連れ立って歩く。

 登録手続きをすれば街の中まで馬車で入れるが、今回は荷物も少ないので地形を覚えることも兼ねて歩いている。


「下見ということですが、兄さんの中では決定に近いご様子ですね」

「まあな。今回のが一番手堅いと判断した。ただ、少なくとも一年は借りることになるから、気になるようだったら遠慮なく言ってくれ」

「防衛戦争前にあんまりゼイタクは言えないでしょ。あ、お店みっけ」


 会話に応えながらも従者は目ざとく商店を見つける。外から覗いた感じでは品ぞろえは悪くない。さすがは帝都といったところだろう。


「それでもだ……あそこだ」


 門から四半刻は歩いただろうか。下層区の中でも貴族区寄りの場所まで来ていた。

 クルスが指差す先にあるのは大通りから一つ入った所にある二階建ての一軒家。夕日に照らされる橙色の屋根と広めのベランダが特徴的だ。

 全体的に古さが感じられるが、同時によく手入れされていることも感じられる。


「おー、いい感じじゃない!!」

「はい、落ち着いた感じがします」


 女性陣二人には好感触のようだ。

 ギルド結成から二カ月も経っていない新参者が借りるにしては破格の物件だ。クルスの奮闘が窺える。


「連盟の紹介で借りた所だ。長期間空けていても清掃などは行ってくれる。ただ一応、貴重品は自分で身につけておいてくれ」

「悪くない立地だ。間諜も見つけやすい」


 周囲を探っていたカイがぼそりと呟く。

 家の前にはちょっとした広場があり、周りに背の高い建物はなく、家の裏側を少し行けば細い道が節操無く続く裏路地に入る。

 追うことよりも追われること、守ることに適した地形だ。クルスらしい選択と言える。


「頑張ったんだね、クルス」

「ありがとうございます、兄さん」

「う、うむ。いつまでも眺めていても仕方ない。早く中に入ろう」


 ストレートな称賛に少し照れたクルスが足早に先陣を切り、自分達の新たな住居候補へと向かう。

 木目の浮かぶ厚手の扉の前で懐から鍵を取り出し、鍵穴に差しこむ。

 その様子を見てイリスが優しげに微笑んだ。


「魔力錠じゃないんだね」


 考えずとも、カイの為であろう。


「……クルス」

「リーダーとして仲間に必要な物を揃えただけだ。不満か?」

「いいや。かたじけない」


 口元に小さく笑みを浮かべる騎士と簡潔に礼を言った侍はそれ以上は何も言わず、扉を開け、肩を並べて家の中へと入っていく。


 短い廊下の先はリビングになっていた。

 食事用と察する大机と椅子、それに応接用のソファなどある程度の家具は据え付けてある。

 部屋は一階に二つ、二階に三つ。一階にはキッチンに隣接したリビングの他に風呂もある。さらに地下に低温に保たれた倉庫があり、ある程度は食材“など”の保管もできそうだ。


 四人は手分けして住居の状態を調べていく。


 設計段階からよく練られており、空間をうまく使い、実際の広さに対してあまり手狭に感じないように出来ている。

 また、カイが使うことも考えて屋内の各所に術式ランプの他に燭台なども置いてある。家の雰囲気を壊さないような絶妙な配置だ。

 ここを手入れしている人は気が利く人だろう、とクルスは陳情しておいた家具を確認しながらとりとめなく思った。


「水は大丈夫だったよー」

「魔力探知にも特に反応はありません」

「各部屋問題ない」


 散っていた三人が戻って来た。


「家具も届いているようだ。……カイには悪いがランプとコンロ、温水は術式だ。必要な時は言ってくれ」

「了解」


 術式家具と呼ばれるそれらは魔力錠と同様に極僅かな魔力で運用する家具だ。

 この家ではランプ、コンロ、地下水源からの貯水槽への水引きと風呂の湯沸かしに魔力を必要とする。それらはカイ単独では運用できない。


 ともあれ、どこで家を借りようと宿に泊まろうと、大なり小なり術式家具は設置されている。

 最低でもランプ、場所によっては廊下が自動で人や物を輸送するような設備もある。


「ここ数年で術式家具も増えてきたからねー」

「……魔力結晶が多く手に入るようになった影響でしょう」

「魔物が増えた証左でもあるがな」


 術式家具は魔力結晶を材料、というよりも主機関とする。


 魔力結晶は内部に魔力を溜める性質があり、刻印術式の触媒としては非常にポピュラーなものだ。

 魔物の強さに比例して落とす魔力結晶は純度を増し、魔獣級を超えたあたりから色が変わると共に性能が飛躍的に上昇する。

 レオハート、ドラゴンハートなど、落とす魔物の名前を冠する特殊な結晶は高位の魔法の触媒の作成には欠かせない物だ。

 ウィザードの中には予め内部に魔力を溜めておき、緊急時に備える者も居ると言う。


 逆に低位の魔力結晶は日常生活に供されている。

 元は軍事技術で、戦場でウィザード以外が簡易に火や水を用意する為に開発されたものだが、ある程度性能を落とした廉価版が民間でも使われるようになったのだ。


 低位の魔力結晶を入手するには適当な魔物を狩ればいいのだ。実力さえ足りれば難しいことはない。

 魔物が尽きない限り、魔力結晶も尽きることはない。主として冒険者が手に入れた魔力結晶はギルド連盟や商人ギルドで買い取って職人に卸す。

 あとは職人が一定の内容を伴った術式を刻み、そこに魔力を込めることで効果が発揮される。

 どのような紋様がどのような効果を持つかは膨大な試行錯誤の果てに確立された。数百年に及ぶ長い長い研究の成果だ。


「家具の状態はどうだ? ランプとコンロは新調して貰ったのだが」

「あ、私やるよ」


 従者が魔力を飛ばすと天井のランプに光が灯る。新品らしく劣化もなく、明るい輝きがリビングを満たす。

 続いて台所へ行き、魔力結晶を円状に並べて術式が刻まれているコンロにも魔力を通して火を着ける。

 魔法のように火の元素を呼んでいる訳ではなく、普通の火を着けただけなので、空気の入る量で加減を調節できる。一度火を着けたら暫くは魔力を補充する必要もないので、その間はカイでも使えるだろう。


「問題ないみたいねー。ソフィアは何か視える?」

「……限界値は低いですが、質は悪くありません。だいじょうぶです」


 他にも水道には地下水源からの汲み上げと簡易的な浄化、風呂には熱の術式が刻まれている。ただし水道は家の中からは機械式なのでカイでも問題なく使える。

 水を貯めるのに魔力が必要ではあるが、朝に誰かが魔力を込めれば一日持つ。さすがにトイレの世話まで頼むのはカイでも勇気が要っただろうからこの形式はありがたい。


 カイ以外の三人は意識していなかったが、改めてみれば日常生活の殆どに魔力が密接に関わっている。

 魔物との戦闘が多い、つまり魔力結晶の供給量が多いパルセルト大陸でなければ、ここまで日常に術式が浸透することはないだろう。


「魔力のないカイが山小屋に引籠るのも分かるなー」

「……前にもお聞きしましたが、本当にお辛くないのですか?」


 準備なしに火は着けられず、水は井戸まで汲みに行かねばならず、光源は蝋燭に限られる。そんな中ではかなり生き辛いに違いない。

 それでも侍は無表情に首を横に振る。


「無ければ無いで、どうにでもなる」

「そういうものかなー?」

「あ、お風呂はどうしますか? 誰かと一緒じゃないとお湯は出ませんよ?」


 風呂自体はトイレと同じ機械式だが、火の術式の亜種である熱の術式によって貯水槽の湯を温めている。

 魔力が無くても蛇口から水は出るが、湯を沸かすことはできない。


「別に水風呂で構わない」

「一緒に入りますか?」

「いや、誰かが余分に温めればいいだろう。一番風呂は諦めて貰うことになるがな」

「……世話になる」

「私は本当に構わないのですが……」


 何故か残念そうなソフィアをスルーしてイリスが軽く手を叩いて注目を集める。


「それより部屋割どうする? 希望ある人……っていうか、もうこの家で決定でいいよね?」

「異存ない。俺かイリスは通りに面した部屋に居た方がいいだろう」

「登録手続きは明日済ませておこう。部屋の希望は特にないな」

「……薬草や実験器具の管理があるので日の当たりにくい部屋がいいです」

「んじゃ、ひとまずギルドハウス決定ね。部屋割は……」


 朗らかに笑いながらイリスは脳内にギルドハウスの見取り図を思い浮かべる。


「うーん。ソフィアは二階の北の部屋、その対面が私、ベランダに繋がった部屋は共用。一階北西にカイ、その隣がクルス、でどう?」

「いいんじゃないか?」

「問題ない」

「だいじょうぶです」


 特に異論も出なかったのでそのままそれぞれの部屋に荷物を運びこむ。

 といっても、まともに荷物があるのは実験器具などもあるソフィアと従者としての荷物もあるイリスの二人で、男衆は装備とバッグを置いたらもう終わりだ。


 鎧を脱いで平服に着替えたクルスがリビングに戻った時には既にカイがソファに腰かけていた。

 格好は変わらず黒ずんだ道衣、かき抱く刀もいつも通りだ。

 家族とはいえ女性の荷物に手を出す訳にも行かず、二人はそのまま待機と相成った。


「カイは他に荷物はないのか?」

「ああ。すぐ動ける。そちらは?」

「俺も似たようなものだ。武器の補充はしておきたいが――」

「いやいや。クルスは礼服くらい持ってきなさいよ。

 帝都で活動する間に誰に会うか分からないんだから」

「兄さん……」


 二階からソフィアとイリスが降りてきた。

 ソフィアはゆったりとした上下揃いのワンピース、イリスは八分丈のズボンに薄手のシャツを重ねて着た活動的な格好だ。

 二人の気質にも合致してよく似合っている。飾り気の欠片もない平服のクルスや道衣一張羅のカイとは大違いだ。


「む……そうだな」

「すっかり冒険者が板についちゃってもう……」

「服を買う約束を果たす時は兄さんもご一緒しましょう?」

「いや、それはさすがに野暮だろう」

「野暮? みんなで買物に行くのに野暮とは……」


 首を傾げるソフィアが読心を始める前にクルスは手を振ってそれを制した。藪蛇とはまさにこのことだろう。


「とりあえず今日は共用品、食器と備蓄食材だけでも買うか」

「むむ、もう日も沈んじゃうけど大丈夫かな?」

「最低限の物が買えればいいだろう。俺とカイで家財を、イリスとソフィアは食材の調達を頼む」


 了解、と唱和する声がリビングに満ちる。

 共有財布から少しばかり多めに金を引き出して分配する。


 ギルドハウスを出れば日は既に沈んでおり、街路の左右には整然と術式ランプが灯っている。学園にも同様の術式ランプは設置されているが、こちらは規模が違う。

 王城まで続く数キロの道のり全てを惜しげもなく、規則的に建てられた灯りが煌々と照らしている。点々と続くランプの灯りは上空から見れば模様か何かに見えることだろう。


「いや―流石は帝都ね」

「うむ、驚くべき技術力だ。白国の皇都でもこうはいかないだろう」

「キレイですね……」

「……ああ」


 それぞれ感嘆の溜息をつきながら二手に分かれて街へと繰り出す。

 男二人はその足で適当に商店街を見て回ることにした。

 貴族の嗜みとして多少の目利きもできるクルスは、傍らの侍にあの食器は白国のどこそこのものだとか、あの絨毯は緑国のエルフの特産品だとか他愛のない話を振る。


 さして珍しい内容ではない筈だが、侍にとっては未知の内容らしく、時折、相槌を返しながら話に聞き入っている。

 いつもは指導される側のクルスは多少の新鮮さを覚えながら話を続けた。

 結局、そのまま商店街を横断してしまった。食器を扱っている店は商店街の端、鍛冶屋街の直前にあったのだ。


 他の店は閉まっているようなので此処で決める必要がある。ひとまず扉に付いたベルを鳴らしながら入った。

 店内には所狭しと食器が並んでいる。閉店間際だったのか奥の店番からやる気の抜けた挨拶が投げかけられる。

 銀ナイフを興味深そうに見ているカイを尻目に、クルスは食器類を探す。


「ふむ……陶製が望ましいが、やはり白国で買うよりも割高だな」


 ティーセットや調理器具はイリスが持ち込んでいるので、必要なのは家に置いておく為の食器類だけだ。

 住環境で無理に節約するつもりもないので、そこそこ高級な陶製の食器を来客用と併せて六組ほど見繕う。


「クルス」


 音もなく合流したカイの手には同様に六セットの銀製の金物類(カトラリー)が握られている。

 武器への造詣がナイフやフォークにまで適用されるのかは不明だが、とにかく同じ値段でも質の良い物を厳選したようだ。


 いきなりの大量購入に慌てる店番の前にそれらを並べて箱詰めして貰い、懐から銀貨を五枚出して御釣を受け取る。

 そのまま食器の満載した木箱を軽々と持ち上げる姿を見た店番から「冒険者ですか?」と尋ねられた。


 そうだ、と頷くクルスは内心で苦笑していた。思い返してみると、最近は貴族か訊かれるよりも冒険者か訊かれる割合の方が多い。

 イリスの言った通り、自分は随分と冒険者という生き方に馴染んでいるらしい。


 入店時とは打って変わった元気の良い挨拶に見送られて二人は店を出た。



 ギルドハウスに戻ると既に女性陣は戻っており、イリスは夕飯にかかっていた。

 従者はとにかく手際がいい。急いでいる風でもないのに見る間に料理が出来上がっていく。

 邪魔しないように水場で食器を洗おうとしたらやっとくから座っといてと頼まれてしまう程だ。

 調理に関しては完全にお荷物な三人で椅子に座って待っていると程なくして夕飯が完成した。


 メニューはポタージュスープと固めのブレッドにシーザーサラダと軽く焙った厚切りのハム。

 誰でも作れるような簡単な料理だが、早さと見栄え、


「どうぞ!!」


 そして、味は文句なしに一流だ。


 スープは甘めに仕立てられているが、後味はすっきりとして何杯でもいける。

 サラダはしゃっきりとした歯ごたえと瑞々しい野菜の味をチーズとクルトンが引き立てている。

 岩塩をまぶして焙ったハムはとろりと肉汁を垂らし、口の中で旨みと共にとろける。

 ブレッドも外はカリカリ、中はしっとりとしている。絶妙な焼き加減だ。スープに付けても美味い。


 殆ど会話もなく食事を堪能した。

 イリスが食後の紅茶を準備している中、皆リビングでそのまま寛ぐ体勢に移行している。


「大所帯になったらまた引越しすることも考えないといけないな」

「現状で部屋数ギリギリよね。ギルドの人数増やす可能性もない訳じゃないのよね」


 カップを温める従者の隣でクルスは茶葉を選んでいる。料理は足元にも及ばないが、紅茶に関してはクルスもそれなりの自信がある。青年の数少ない趣味なのだ。


「……ひとつ屋根の下で家族団らんというのもいいですね」


 その様子を笑みで見つめながら、カイの隣でソファに腰かけているソフィアが誰にともなしに呟いた。


「……あ、ああ。そうだな」

「あははー」

「……」


 応えはやや鈍い。四人とも団らんというものを経験したことないのだ。

 知識として、人によっては憧れとしてあるだけだ。だから、何をすれば団らんになるのか分からない。

 誰かを真似ても、心を読んでも答えはない。


 紅茶を準備する音が響く中、若干気まずい沈黙が場を満たす。


「明日は近場の商店にも顔を出しておきたいねー。あとは鍛冶屋街にも行っとかないと」

「……そうだな」


 何とか空気を暖めようとしたイリスの一言で場の雰囲気がいつもの感じに戻る。

 団らんとは“それ”でいいのだと彼らはまだ気付いていない。


「いや、待て待て。先に行く所があるだろ」

「そうでしたね、反省です」

「……」

「そうだっけ?」

「ああ――明日、“ギルド本部”に行くぞ。予定は空けておいてくれ」



 ◇



 その日の夜半、ソフィアはふと目が覚めて部屋を出た。

 紅茶を飲みながら明日の予定を確認した後、順番に風呂に入りそのまま就寝した。今はもう誰も起きていない筈だ。


 だが、少女は暗い廊下を進み、誘われるようにリビングに入る。

 そこにはソファに座って何事か思案している侍がいた。少女の気配に気付いて顔を上げる。


「どうした?」

「いえ。カイこそ何か気になることが?」

「……いや、気にするな。俺も寝る。ソフィアも――」

「そんな嘘、つかないでください」


 夜闇の中、ソフィアの瞳が魔力によって蒼く透き通るように輝く。

 少女の態度の急変に侍は僅かに顔を顰めた。やはり自分は隠し事に向いていない。


「カイ――前にちゃんと寝たのはいつですか?」

「……特に不規則な生活は送っていない」

「なら、訊き方を変えます。貴方は他人が近くにいると眠れないのですか?」


 しんと静まる暗いリビングに少女の声が響く。

 カイは沈黙を返す。

 他者から離れて山小屋で暮らしていたのは術式家具に適応できなかったから、だけではない。


 自分がいつからそうなのかは分からない。

 出生時まで遡れば、他人と一緒に寝た経験が無い訳ではないだろう。ただ記憶にないだけだ。


 だが、強くなる、『位階を上げる』ということは足元に屍を積み上げることに等しい。

 他者の命を奪っているのだ。

 その過程で自分の中からも削られるもの、失われるものがあるのは道理だろう。

 はじめて人を斬った日からそれは覚悟していた話だ。


「……床には就く。ギルドに迷惑はかけない」


 カイからソフィアに言えることは多くない。

 だから、それだけ言って話は終わりだと目を閉じた。

 だんまりを決め込んだ侍を前に、少女は暫く沈黙していたが、意を決して口を開いた。


「カイ、一緒に寝ましょう」

「…………は?」

「わたしが一緒に寝ます。ですから安心して眠りましょう?」

「意味が分からん」


 ソフィアは答えず部屋に取って返し、毛布を引き摺って来てカイの隣にちょこんと腰かけた。

 心を読んでカイが何故他者が傍に居ると眠れないのか分かっているのに、意地でも一緒に寝るつもりらしい。

 少し怒ったような表情とは対照的に、僅かに触れる肩越しにふわりと優しい香りが漂う。


「おやすみなさい、カイ」

「……ああ、おやすみ」


 暫くして隣から規則的な寝息が聞こえてきた。

 部屋に戻る事も考えたが、さすがにそれは不義理かと諦める。


 そして、気付く。侍は実の父親であっても近くに人がいる状態で眠ったことなどなかった。

 だが、何故だろうか、この少女は隣にいても気にならない。

 知らず苦笑する。まるで蝶のようだ。

 こちらのことなどお構いなしにひらひらと胸の裡に飛び込んでくる。


 少女は自分なら大丈夫だと理解していたのだろうか。そこまで打算があったようには見えない。

 となれば証拠は侍の心中にしかない。

 その感情の源泉を辿ろうとして、侍は首を振った。気にしたら負けなのだろう。何に負けるのか知らないが。


 カイは既に寝入っているソフィアを起こさないように小さくため息をつき、自分も意識を落とそうと努力した。


 眠ることは、それでもできなかった。

 けれどもその日は、いつもよりも少しだけ心穏やかに夜を過ごせた。

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