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刃金の翼  作者: 山彦八里
最終章:魔神争乱
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16話:魔神

 カイはどこともしれぬ暗黒のゆりかごの中、長い夢を見ていた。


 ひどく不思議で、不快な夢だった。

 敢えて言うならば、それは失敗した自分の人生だった。

 挫折と喪失に彩られた人生だった。


 ルベドとの戦いで立ち上がれず、代償にイリスが死んだ。

 ガイウスとの戦いでクルスを信じ切れず片腕を失った。

 ニグレドとの戦いで狂化を止められず、ソフィアをその手で殺した。

 その後もひたすらに喪い続け、遂には四大国すら火の海に消えた。

 そして、シオンを喰って刃金となったクルスと共に特攻同然にテスラに挑み、成す術なく喰われた。

 夢の中のカイ・イズルハは何も残せず、何も果たすことはできなかった。


 その夢の終わり、魔神と一体化したテスラは大陸を沈め、八百年もの間、古代種の時代を築いた。

 八百年後、この星の最後の人間となった本来の『神の封印』に永遠の眠りを齎されるその時まで神として君臨した。


「…………」


 無様な人生だ。カイは己の辿らなかった道をそう断じた。諦めばかりがつき纏う人生だと。

 だが、同時に何か一つ、ほんのひとつでも掛け違えれば有り得たようにも思えた。

 それほどに此処に至るまでの道のりは細く途切れそうなものだったのだ。


 魔神が告げる。


 これが正しい世界だと。

 運命の迷い子よ、お前は死んでいなければならないと。

 今生きているお前は間違いであると。


(……成程、尤もな話だ)


 カイは傲然たる神の宣告にも反論する弁を持たなかった。

 元より二十五歳まで生きられない、そう予言されていた身だ。運命はたしかにそうだったのだろう。


『ならば、運命に逆らうな。己を見返せ』


 闇の中、魔神が告げる。


『お前は善なる者ではない』


 そうだ。この身はクルスのように一心に善を体現することはできなかった。

 善も悪も等しく斬った。こんなものが善である筈がない。



『お前は信なる者ではない』


 そうだ。この身はイリスのように一心に他者を援けることはできなかった。

 魂すら捧げてみせた彼女のようには生きられない。己の有り様に固執する矮小な存在だ。



『お前は真なる者ではない』


 そうだ。この身はソフィアのような本物にはなれない。運命に選ばれてはいない。

 五体に宿る全ては後付け。神と相対したならば消し飛ぶが定めだ。



『ならば、何故生きている?』


 魔神の問いがカイの躯を抉る。内臓をいくつか喰われた。それが感触で分かった。

 それでも飽き足らないのか、さらに無数の見えざる手が無遠慮に中身を掻き回し、魂を穢す激痛に心身が沸騰する。


『――何故、我の前に立ったのがお前なのだ?』



「――言葉を弄するな。俺をみろ、魔神アル=シエル」



 カイは闇の中で眼を見開いた。

 視える。ソフィアに祝福された右目は無明の闇の中でもその存在を捉えた。


 それは闇であった。深淵であった。

 深海に燻る陽炎、夜闇に輝く暗黒、逃れ得ぬ絶望、腐臭を放つ狂気の双眸。

 それは、この世のありとあらゆる負の側面を集めた存在であった。


(――これが魔神、か)


 古来、神とは自然を司る法であった。

 天候、季節、日の巡り、そして、生と死。

 それらを司るのが神であり、それらを巡らせる力が神の法であった。

 何人も神の法に従わねばならず、全ての存在は神の名の許に呼吸を許されていた。


 この闇が司るのは狂気と暴虐、そして絶滅。

 魔物の神、魔物という形を成した暴力で以て生者を食い破る法だ。

 それを必要悪だと割り切ることはカイにはできなかった。


「……」


 それが存在するならば、己の剣に斬れぬものはない。カイはそう信仰し、覚悟している。

 だが、果たして形のない(カミ)を斬ることができるのか。

 闇と対峙する中、カイは真っ直ぐにその存在を睨みつける。

 人間であった頃の自分を寄り代に顕現した黒神の欠片とは違う。


 魔神は未だ形を成していない。カイの右目にはその“影”しかみえない。イデアの奥底にある本体が捉えられない。

 形がない故に完全、存在しないが故に無敵。

 本来、そんな状態のモノが自律的に活動することはできない。現にこの大陸の五柱の神は基本的に加護と契約という受動的な働きしかできない。

 そんな神の『思考』を司るのが融合したテスラの役目なのだろう。


 魔神は神たる存在を保ったまま、神の力を想うがままに振るう存在だ。

 この世界に遍在する生きた法だ。

 完全なるその存在に、カイの剣は届かない――


『お前だけは喰らわぬ。天命に従わぬ者、理を破壊する者。我が裡とて残しておけば何が狂うかわからぬ』

「…………畏れたな、魔神よ」


 ――今はまだ(・ ・)、届かない。


 魔神が呪言を紡ぐ中、カイは一瞬の動揺を見逃さなかった。

 闇を見据える瞳が潰れかけ、口を開く度に魂を抉る痛みが増すが、そんなものに屈する気はない。

 血涙を流す程の激痛も、自分が消えていく恐怖も己が膝を折る理由にはならない。


「俺を畏れたな。神たる己の本分を全うできぬのではないかと、己を見失ったな」

『違う』

「違わない」

『だとしても、貴様一人では何もできない。我には届かない』


 テスラと融合してその記憶を継承し、カイの中身を探った魔神はそう結論した。

 成程、コレこそまさしく“神殺し”。

 届きさえすれば神たるこの身を斬ることも出来よう。

 だが、届かなければそれも無意味である。

 神とは法、神とは概念、それを斬ることは世界を斬るに等しい。


 元より、存在する次元が違うのだ。

 聖地のように神の側が人域に降りてくるなら兎も角、テスラとの融合を経て完全となった魔神に人間の剣が届く道理はない。

 たとえ神の封印の力を借りたとしても、星ひとつ斬ることすらできない矮小な存在では神には届かない。


『一手足りぬよ、運命の迷い子』

「…………そうだな。たしかに、その通りだろう」


 だが、ならば、この存在は何だ。

 何故、恐れぬ。何故、屈しない。

 敗北は必定、打つ手は既に無い。


 あとはただ、消滅を待つだけの矮小な存在の癖に――


「神よ、魔神よ。矮小な人たるこの身より、ひとつ申し奉る」


 遂に動揺を露わにした神に対し、カイは不敵な笑みを浮かべた。

 わかっていたことだ。テスラが先んじたならば、きっとこの身は神に届かない。

 だが――


「――人間を舐め過ぎだ」


 ――同じ神ならばどうか。



 ◇



「――頃合いだ。始めるぞ」


 赤神の聖地“真なる火”。

 火種もなしに神話の時代から絶えることなく燃え続ける聖火を前にベガ・ダイシーは敢然と告げた。

 大陸西部、赤国大山脈からでも暗黒地帯に顕現した魔神の威容は見えている。

 ここだ、この瞬間が勝負の時だと“盤上の魔王”は直感した。


『――“水晶灯台”、準備完了』

『――“神樹の森”、準備完了しました』

『――“聖なる丘”、準備完了した』


 クウラ・ウルハ、クィーニィ・ハーヴェスト、セレナ・D・オルソーニ。

 ベガを含めた四人の支部長が決戦に参加しなかった理由がこれだ。

 大陸通信網を通じて各神の聖地を接続し、一時的に神の権能を――黒神の魔神への封印を極大化させる術式。

 最も神に近い聖地でのみ可能な、支部長四人とあと一人にのみ知らされた秘中の秘。

 テスラですらこれは知らない。アルバートの代にはまだ影も形もなかったからだ。

 今、この瞬間にこれが機能するのは、受け継いだものの意味を過たず理解していたベガの手によって完成させられたからに他ならない。


 そして――


『――“無銘王墓”、準備完了いたしました』


 ベガの予想以上の存在がその先にあった。

 エルザマリア・A・イヴリーズ。白神と黒神に連なる女教皇が静かに完成を告げる。


 千二百年前、黒神が魔神を封印する為に消耗し、消滅の危機に瀕した際に五色の神を束ねて奉じたように、この大陸の五柱は互いを補い合う関係にある。

 その繋がりを強化し、結界と為せば、如何な神とて無事では済まない。


 ベガは祠から北の空に突き立つ巨大な影を見上げる。

 あれで影でしかないというのだから神とはまさしく強力無比。尤も、世界に等しい神たるならばあれでもまだ控えめな見た目であろう。

 おそらく、人間はあの影以上を認識できないのだ。神が実際はどれほどの存在なのか計り知れない。

 恐ろしい。見上げるだけで震えが体を苛む。

 あの威容が戯れに息を吹きつけるだけでベガ程度は消し飛ぶだろう。

 つまり――


「――敵手としてはこれ以上ないということだ。勝負だ、神よ!!」


 全てはこの瞬間の為に、ベガ・ダイシーは真なる火に己の片腕を突っ込んだ。

 燃える。燃える。大陸通信網に接続した体を通じて莫大な力の奔流が真なる火に注ぎ込まれる。

 五柱の神が相互に力を高め合うのがわかる。人の身では決して得ることのできない純粋な力が集う。

 そうして、ひとつに束なる力を北の地に、暗黒地帯に向ける。


 ――その名も『五神結界』


 魔神に抗する最後の一手がここに成った。



 ◇



 ふらつきながらも魔神の大穴へと向かっていたイリスはふと慣れ親しんだ神の気配を感じて空を見上げた。

 遠く、曇天に突き立つ魔神の影が五色の光に縛られ、呑み込まれていくのがみえる。

 そうして薄れていく影の中心に小さな光が瞬くのをイリスは確かに感じた。

 それが誰の光か、イリスはよく知っている。


「――やっちゃいなさい、カイ!!」


 故に、突きあげた拳と共にあげる声はただひとつ。

 彼岸の果てまで届けと少女は一心に声をあげた。



 魔物の軍勢を必死に押し留めるクルスもまた肩に載せたシオンと共に空を見上げ、五色の光に包まれていく魔神の影をみた。

 ベガの言っていた“手立て”が型に嵌まったことを察して口元を吊り上げる。

 ならば、あとは決着をつけるだけ。

 故に、あげるべき声はただひとつ。


「――“勝て”、勝つんだ、カイ・イズルハ!!」



「――了解した」


 声が聞こえる。心臓の鼓動を取り戻す。

 闇の中、カイは自らの足元に確固とした足場が生まれたのを感じた。

 五柱の神を通じて皆の声援が届く。力強い声が、届く。


「聞こえているだろう、テスラ。これが人だ、人の熱だ」


 誓って、カイは支部長達の策を知らなかった。

 故に、魔神がどれだけその身の裡を探っても答えが出てくることはない。

 ただ信頼が、信頼だけがあった。

 彼らがここで手をこまねいて見ている筈がないと、そう信じられるだけの日々があった。


 ここに至るまでの道のりは何ひとつとして無駄ではなかった。


「視えているだろう、アル=シエル。お前に届く為に多くの人が戦っている」


 胸の奥で熱が湧き上がる。意識が覚醒する。魂の燃える音がする。

 彼らの奮戦は、声援はこの瞬間を成就させる為のものなのだ。

 それを担うのが己だ。ならば、ここで気張らずして如何する。

 五感をとり返す。手足の感覚が戻ってくる。

 立ち上がる。激痛はもう気にもならない。


『神、ニンゲン、お前たちはまたしても――』

「あなたを逃がすわけにはいきません」


 憎悪の滲む魔神の声を遮るように、カイの背後にソフィアが転移する。

 皆の声が届くように、魔神の支配と五柱の力が拮抗するこの結界内ならば少女にも出来ることがある。

 神の封印たる少女にだけ許された一手がある。


「ソフィア」

「この大一番に不格好なままではいけませんよ、カイ」


 ソフィアは笑みを浮かべ、自らの髪から外した白紐で解けていたカイの後ろ髪を結った。


「一度だけしかできませんからね」

「……ああ、十分だ」


 身を寄せて告げるソフィアの声に、確と頷きを返す。

 刃に触れたものならば、何であろうと斬ってみせる。

 今でもその信念に偽りはない。たとえ神を前にしても変わることはない。


「なら、あとはお任せします、カイ。――貴方に、勝利を」


 ソフィアはいつかのようにカイの右目にありったけの想いを込めて唇を触れさせた。

 柔らかな感触が数瞬触れて、離れた時には既に少女の全身を覆った刻印が眩いほどの金色の光を放っていた。

 神の封印の完全起動。魔神を止める神の法が露わになる。

 時間はない。封印を起動したソフィアは足元から徐々に凍り付けになっている。

 時を置けば完全な氷像となり現世に帰還することは叶わなくなるだろう。

 だが、今代の封印は千年も時を止める必要はない。

 この一度に、この刹那の停止で事足りる。


『――――ッ!?』


 少女の献身は劇的な効果をあげた。

 魔神が声なき声で絶叫をあげる。

 世界が組み替えられる。その身に宿る完全性が喪われる、不死性が、全能感が引き剥がされていく。

 カイの見ている前で、闇でしかなかった魔神の姿が押し込められ、収束し、形を得ていく。

 五柱の神による結界は昼と夜をみるように、魔神とそれ以外の彼我を分かつ。

 そして、絶対の封印が世界に拡散していた魔神の存在(ジカン)を結界の内に確定させる。


 形を得た魔神は一見して見上げるような巨大な闇色の球体のようであった。

 ゆるやかに回転する闇球は人語では解せぬ怨嗟の声をあげている。

 言葉はわからずとも、その意味はカイにも理解することができた。


『お前さえいなければ。お前は一体何なのだ――!?』


 二年もの間、呪いを通じて延々と聞かされてきたのだ。

 とうの昔に聞き飽きている。


「――これが答えだ。俺は刃金の翼、神殺しの比翼、お前を斬る剣だ」


 カイは敢然と魔神に告げる。

 結界に押し込まれ、封印に止められた今、魔神は確固たる一個の存在となっている。

 強大な存在であることには依然として変わりない。

 対峙しているだけで命の灯火が吹き散らされそうになる。放たれる神威に耐えきれず肉体が血を噴き出す。


 加えて、実体を持ったとはいえ、魔神の本質は法に変わりない。

 いくら器を傷つけようと、その魂は死には至らない。


 しかし、形がある故に不完全、存在するが故に有限。

 その身を守っていた無敵の衣は既に存在しない。

 カイの右目は闇球の深奥に潜むその魂を確と捉えている。


 ならば、あとは覚悟の問題だ。


「お前がおとなしくしているならば此方から手を出すことはなかった。

 だが、夜の太陽よ、太陽は昇ったのなら沈まねばならない。その理からは如何な神とて逃れられない」


 カイは魔神の正面に立ち、万感の思いを込めて最後の銀剣“比翼”を抜いた。

 詠唱もなく、刃殻が外れ、神気と共に真なる刃が姿を現す。

 神を斬る、ただその為に鍛えられた最後の刃が澄んだ輝きを放つ。


「――いくぞ、アル=シエル」

『ギッ――!!』


 カイが駆け出すと同時、魔神は軋む音をたてて迎撃の影槍を放つ。

 大気を断ち割って走る無数の槍は過たずカイの全身を貫くが、侍は止まらない。刃金は止まらない。

 愚直なまでに、ただ真っ直ぐに駆け抜ける。

 水面に焼け焦げた轍を刻み、流れ出る血が翼の如くその背に躍る。


 近づくほどに両者の大きさの対比は露わになる。

 砂漠と針、あるいは大海と木の葉。

 両者の大きさの差はそのまま魂の位階における力の差だ。

 現に、近付けば近付くほどカイの体は手足の先から削れていく。あまりにも大き過ぎる力の差が存在することすら許さないのだ。


 それでも、カイは止まらない。

 止まる訳にはいかない。

 持たざる者として生まれた少年は今や全てを背負って此処にいる。

 この瞬間まで積み上げられた全てが道となり、その背に死者と生者が連なっている。

 故にこそ、その疾走を阻むものはなにもない。

 魔神の呪詛も、影槍も、狂気の波動も、時すら追い越すその疾走を止められはしない。


 そうして、加速に加速を重ねた颶風は遂に互いを隔てる暗黒を踏み越え、神の御前に間合いを刻んだ。

 一振りの剣となった存在が今、未来へと羽ばたく。


「――吹き荒べ、神鳴る息吹」


 残る魔力の全てを振り絞る。

 眩く輝く刃金を真っ直ぐ上段に構え、高らかに詠唱を紡ぐ。

 切っ先は指に、心金は骨に、刃は肉に、そして魂は翼となってその意を果たす。


 この技の条件はただひとつ――『一生に一度しか使わないこと』


 カイ・イズルハという存在が、この一瞬に、この(カミ)に対してただ一度だけ振るうことを誓った必殺。

 この世界でたったひとつの、神を殺す一刀。


「――比翼大祓」


 心技にして神技。神代三剣が最後の一柱。

 その名はあらゆるものを断つ音の原初の具現。

 この剣に断てぬものなしと誓った道の涯。


「――斬神一刀」



 ――神技“フツノミタマ”――



 刹那、一迅の雷の如く、魔神の躯を閃光が駆け抜ける。

 天地を結ぶその切っ先は闇の最奥、物理的な距離を超越した魂の座す場所に確と届く。

 そして、届いたならば結果は明白。


 振り抜いた一刀に後れて、斬と魂を断つ音が原初の海に響き渡った。




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