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刃金の翼  作者: 山彦八里
一章:出会い
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11話:祝福の矢

 数度の野営を経て、一行は順調に行程を消化して行った。

 幸いなことに再度の魔物の襲撃もなく、このままいけば明日の朝にはアルキノ入りができそうだという所まで進めることが出来た。


 馬車内ではメリルの奮闘もあって両ギルドの面々はある程度打ち解けてきた。ソフィアもかなり慣れてきたようで、時折ぽつぽつと会話に参加している。

 ギルドを組む前には見られなかった積極性にクルスは密かに喜んでいた。


 既に日も沈んで久しく、そろそろ野営の準備をしようか皆の警戒が薄れた時、御者台から屋根にいるレンジャーと会話していたメリルの猫耳がピクリと動いた。


「あれ? 今何か聞こえ――」


 瞬間、御者台からメリルの姿が掻き消え、遅れて“羽音”が辺りに響いた。


「――て、敵襲ッ!!」


 レンジャーが反射的に叫ぶ。

 即座にクルス達は窓から屋根に飛び乗った。


「敵は? 警戒はどうなっている?」

「そ、空からです!!」

「空?」


 皆が視線を上げて夜空を仰ぎ見る。

 昇りかけの月よりさらに上、星の瞬く空にソレはいた。

 全身の羽衣は黒褐色。額や腰、尾羽は白く、後肢には巨大な鉤爪が備わり、今はその凶器に等しい爪でメリルをがっしりと掴んでいる。


 それはおそらく『鳥』だ。


 おそらく、と付けたのは遠近感が狂ったかと思うほどに大きいからだ。両翼を広げた姿は掴んでいるメリルの身長の三倍近い。

 メリルを掴んだ一羽が合流しようとしている先には怪鳥と呼ぶべきそれらが更に三羽。


「ッ!? いかせるか!!」


 クルスが飛び去ろうとする怪鳥を飛び越すように槍を投擲する。直撃を狙わなかったのはメリルに当たる可能性を避ける為だ。

 しかし、背後から飛んできたにも関わらず、投槍に怪鳥は即座に反応、翼を翻して回避する。

 その一瞬、槍に怪鳥の意識が向いて拘束が緩む。メリルが体をよじるようにして鉤爪の隙間を潜り抜け、


「――メリルッ!!」


 墜ちた。

 クルスは即座に走る馬車から飛び降り、落下地点に薄く展開した障壁をわざと破らせることで落下速度を軽減させる。


「間に合え!!」


 そうして稼いだ時間で駆けながら手を伸ばす。ローブの裾を掴み引き寄せる。強引に軌道を変えて、こちらへと落ちてきた体を両腕でしっかりと受け止める。

 「ニャッ!?」という悲鳴が聞こえたが気遣う余裕はない。膝を曲げて腰を落とし、落下の衝撃を和らげながら地面を滑る。

 確かに受け止めた。

 腕の中、落下の衝撃からか猫耳と尻尾を欹て目を見開いた少女と目を合わせる。


「無事か?」

「……あ、は、はい」

「良かった……立てるか?」

「ハッ!! え、えっと……」


 メリルは状況を理解したのか、顔を赤らめながらこくんと頷く。

 ゆっくりと地面に下ろすとふらつきながらも確かに両の足で立った。


「あ、ありがとうございます……」

「構わない。皆と合流しよう」

「はい……」


 クルスは何故かマントの裾を掴んだままのメリルを引き連れ、前方で固まるように停車した馬車の元へと走って行った。




「おう、二人とも無事――どうした、メリル?」


 隊員に矢継ぎ早に指示を出していたアンジールが振り向いて首を傾げた。

 メリルはその段になって自分がクルスのマントの裾を掴んだままだったことに気付き、慌てて手放した。


「た、隊の指揮に戻ります!!」

「頼むぜ。オレ達はその間に迎撃態勢を取っとく」


 二人は後衛組の元へ走って行くメリルを見送る。


「助かったぜ、クルス」

「気にするな。状況は?」

「今は膠着している。輸送用馬車はグチャグチャだな」


 見れば輸送用馬車は後部の白い幌がズタズタに切り裂かれ、中の荷が露出している。

 怪鳥達は上空を旋回してこちらの様子を窺っているようだ。


「奴らも様子見に入ったみたいだ。お前も自分とこ戻ってくれ」

「了解した」


 アイゼンブルートからは少し離れた位置でアルカンシェルの面々は護衛用馬車を盾にして防備に就いていた。

 イリスとソフィアは時折、降下してこようとする怪鳥に矢や魔法を放っている。


「皆、無事か?」

「問題ない」

「そっちこそいきなり馬車から飛び降りてびっくりしたわ」

「……メリルさんは大丈夫だったようですね」


 詠唱の合間に読心したソフィアがほっと息を吐く。


「それで、あの魔物が何か分かるか、イリス?」


 クルスは寡聞にして見聞きしたことはない。

 レンジャーの知識にはあるかと思って尋ねたが、弓を構えるイリスは渋い顔だ。


「覚えがあるような、ないような。喉元まででかかってるんだけど……」

「ふむ……カイはどうだ?」

「アレは……」


 見上げたカイも珍しく困惑している。

 その思考を読み取ったソフィアが魔力探知を怪鳥に向ける。怪鳥からは殆ど魔力を感じられない。心臓も魔力を巡らせていない。

 そこから導き出される結論はひとつだ。


「魔物では、ない?」

「……あ、ああ!! オオワシじゃない、アレ」

「あんなにでかいのに魔物じゃないのか!? 世界は広いな……」


 クルスは驚きと共に溜息を吐く。

 夜空を支配するかのごとき威容は白国では見たことがない。魔物でないなら学園で学ぶ機会も少ないだろう。

 しかし、それなら何故彼らは襲ってくるのか。動物に無闇に人間を襲う理由はない筈だ。


「――きます」


 思考を引き戻させるソフィアの落ち着いた声。

 同時に素早く詠唱を完成させ、旋回する群れの中から急降下してきた一羽の目前に炎熱魔法を炸裂させる。

 が、オオワシはまるで魔法の発動を見切ったかのようにひらりと舞い上がって爆発を避ける。


「避けた!?」

「むずかしい、です」


 オオワシは下手な魔物よりも魔法への反応が良い。感応力も知能も低いというのに何かしらの方法で魔法の発動を感知している。

 それは隣の侍を彷彿とさせる動きだ。まさに野生の本能が為せる妙技だろう。


「十字に射線を取るね。少し離れるからソフィアは気を付けて」

「わかりました。イリスもご武運を」


 イリスが馬車から離れる。

 空中で三次元軌道を取る相手を落とすにはこちらから“詰める”必要がある。

 アンジールも同様の事を考えたのだろう。

 隊員に散開するように指示を出し、次いで一羽を集中攻撃させる。


 アイゼンブルートの面々が断続的に放つ射撃と魔法に狙われた一羽が追い詰められていく。

 なまじ避けられるだけに、早い段階でダメージ覚悟で上空に逃げるという選択肢を取らなかったのだ。


「――貫通(ピアース)!!」


 刹那、無理な回避行動をとった一羽の腹に回転しながら飛来した斧が突き刺さった。

 ガッツポーズを取ったのは昨夜のファイターの青年だ。

 クルスと目が合うと照れくさそうに親指を上げた。クルスも頷きで返す。


「タイミングを測れ!! 一斉に撃っても避けられる。常に弾幕を切らすな!!」


 本人も手投げ斧(ハチェット)を投げながらアンジールが叫ぶ。

 敵の回避能力は非常に高い。警戒も強まり、同じ攻撃に二度当たってくれるとも思えない。

 故に追い詰める。

 空を狭め、その翼を手折るしかない。


「――怒れ、サンダーボルト」


 旋回する一羽にソフィアが放った雷撃魔法が掠り、その身を震わせた。直撃を諦め、感電効果を狙ったのが功を奏した。

 もがくように敵の高度が落ちていく。


「絶対逃がすな!! そのまま空を塞げ!!」


 動きに精彩を欠いて尚、怪鳥は左右に切り返すように飛んで集中する魔法と矢の連撃を避ける。

 しかし上昇の機会は与えられず、遂にその身が前衛の射程に入る。

 即座にアンジールが馬車上から跳んだ。豪力からの横薙ぎを振るう。

 迫る大剣をオオワシは急制動をかけてかろうじて避けるが、それでいい。


 そこには既にユキカゼが跳んでいる。


「一手仕る。 ――斬り倒せ、“孫六兼元”」


 ユキカゼの声が夜闇に響く。

 刀気解放。

 マグロックは真名に応じて刀身に幾何学的な波紋を描いて輝き、その切断力を強化する。

 輝きを軌跡に曳きながらマグロックが走る。


 交差しながら斬り抜けたユキカゼの一刀は、恐ろしい程の切れ味でオオワシの首を切り飛ばした。


「うむ、やってできないことは、っと!!」


 首を無くし、血を噴き出しながらもオオワシは一矢報いた。暴れるように振るわれた翼に落下中のユキカゼは軽く引っ掛けられ、防具が切り裂かれた。

 体勢を崩しつつも両足で着地したユキカゼの元にクルスが走る。


「ユキカゼ!? いま治癒術式を……え?」


 言葉が途切れる。

 切り裂かれた防具の隙間から見えるあの胸の膨らみは――


「女性、だったのか……?」

「……あまり見ないでくれ」


 平然とした声音だが、夜目に分かるほどにユキカゼの顔は赤い。

 クルスは慌ててマントを外して渡した。

 剣士は礼を言って受け取り、胸元にマフラーのようにマントを巻き付けた。

 気まずい沈黙が周囲を包む。


 ややあって、ユキカゼはこほん、とわざとらしく咳をした。


「しかし、肌を晒したというのにまったく動揺されないのも悲しいな。これでも体型には自信があったのだが」

「あ、いや……」


 クルスは言葉に詰まる。男だと思っていたと言える雰囲気ではない。

 というかあの大きさの胸が包帯を巻いただけで何故隠せるのか不思議でならない。


「まあ、そちらのギルドを見れば、自分程度では食指が動かないのも仕方ないのか」

「い、いや、そういう訳では……」

「後にしろ、ユキカゼ。それよりもオオワシの対処だ。ってか、何でアイツらは襲ってくるんだ?」

「襲って……」


 アンジールの一言でクルスは冷静さを取り戻した。何かが引っ掛かる。


(何故メリルだけ捕まったのか?)


 最初に狙われたのが白神のローブを着たクレリック。次に破り取られたのは白い幌、どちらも大半は白色だ。もし、オオワシがあまり夜目のきかない鳥であったならどうだ。


 そうして目的物と間違えたのだとしたら?


「アンジール、“白色”が狙われているという可能性はないか?」

「おう? ……いや、アリそうだぞ、ソレ」


 白神のローブを装備しているは二人、メリルとソフィアだが、ソフィアは青色の外套を羽織っている。

 加えるなら、ユキカゼに渡したマントやイリスの白髪も可能性はあるだろうか。


「イリス、フードを被れ!!」

「りょーかい!!」

「メリル、何か着ろ!! ユキカゼは下がってろ!!」

「了解した」

「了解!! って、人を裸みたいに言わないでください!!」


 どうやら二人とも元の調子を取り戻しているようだ。クルスは密かに安堵した。


 セリアンの少女の近くにいたカイは外套を外し、渡そうとして、ふとソフィアの方を向いた。

 カイの心を読んだソフィアはひとつ頷いて代わりに自分の外套をメリルに手渡した。


「ありがとうございます。カ、カイさんはどうかされたんですか?」

「気にするな」


 セリアンは人間族よりも五感が鋭い。なら血の臭いのする外套を着せるのはあまり良い気分ではないだろう。


「だが、だからと言ってお前が貸してどうする、ソフィア」


 そういうつもりで視線を向けた訳ではなかったのだが、結果としてソフィアは白色のローブを夜の街道に晒すこととなった。


「……すみません。少し期待していました」

「……」


 カイは黙って自分の外套をソフィアに着せた。

 微かな血の匂いと共に男の大樹のような匂いが少女の全身を包む。


「カイのにおい……安心、します」

「……集中しろ」


 オオワシは目標を見失ったからか、あるいは立て続けに仲間を失ったからか、戸惑うように旋回を続けている。

 ――好機だ。


「離れていろ。少し揺らす」


 刀を納め、短く息を吸い、深く腰を落とし、一歩を強烈に踏み込む。


 震脚、踏み込みと足場崩しという二つの側面を持つ技能を前者の目的で行使する。

 気を巡らせた全身の力を足裏に集中させて一歩、大きく踏み込む。

 辺りに轟音が響き、地を揺らす。


 皆が何事かと視線を向けた先、地面が罅割れ破片が浮き上がり、その反発力と踏み込みで溜めた力に元来の跳躍力を併せ、侍は己を射出した。


 風が虚空へと吹き抜けた。


 侍は矢と魔法が飛び交う夜空を弾丸のように一直線に飛翔し、狙っていた一羽の翼を切り落としながらその上方へ抜ける。

 さらに滞空中に体勢の上下を返し、今度は頭から落下しつつ、片翼を失いながらも何とか飛ぼうとするオオワシの首を切り落とす。


「あとひとつ」


 地上から皆が唖然として見上げる中、侍は死体を蹴って落下速度を緩めつつ、最後の一羽へと視線を向ける。


「ッ!?」


 オオワシと目が合った瞬間、ぞくりと肌が粟立った。先程までは感じられなかった身を切るような殺気が辺りを包む。


 視線の先、最後の一羽となったオオワシの周囲に渦巻く風と共に膨大な羽根が舞っている。明らかに一羽から出た量ではない。既に倒した他のオオワシからも捧げられているのだろう。


 そして、風が止んだ。

 全ての風をオオワシに掠め取られたのだ。

 合わせて宙に静止し、矢の如く付け根をこちらに向ける羽根の集合体。

 オオワシはそれが己の翼であるかのごとく羽ばたかせ、次の瞬間、全ての羽根を“射出した”


「ッ!? 防御ッ!!」


 明らかな広範囲攻撃へ咄嗟にアンジールが叫ぶ。

 声に応じて馬車の影に隠れる者。盾を構え、障壁を展開して仲間を庇う者、庇われる者。

 慌てた中でも皆、最善の行動をとる。


 しかし、落下中のカイに避ける手立てはない。

 視覚と直感が半ば自動的に直撃軌道にある羽根を見切る。

 その数、およそ三十。カイの体力を削り切るには十分な数だ。


 手をこまねいている訳にはいかない。刹那に覚悟を決める。

 迫る羽根の数々に向けて刀を振りかぶる。


 ――飛■剣


 宙を走る高速の切り返し。一筆書きのように繋がった三閃が斬り払いに走る。


「グッ!?」


 同時に発生した激痛をかみ殺す。

 機能低下した体が付いてこれず腕の筋がビキビキと異音を立てる。

 しかも、反動に加え、不完全な一刀では翼の弾丸を払い切れなかった。

 体にいくつも羽根が突き刺さり、その勢いで以って地面に叩きつけられた。


 受け身を取りつつ即座に立ち上がり追撃から逃れる。

 腕に鈍痛が走っているが、戦闘不能を中傷まで引き下げたのだ。マシな取引だっただろう。


(……不覚)


 侍は呪いを受けてから初めて不便を感じた。その相手が人間でも魔物でもなく、ただの動物だというのは随分と皮肉な話である。

 飛行という特性や先程の切り札を鑑みても、あのオオワシ一羽の能力は自分たちには遥かに及ばないだろう。

 だが、そんな存在に土をつけられるほど、今の己は弱いのだ。


「カイ、死んでない?」


 すぐ隣からイリスの声がした。どうやら近くに落ちたようだ。

 横目で見れば、弓を構えた従者の全身はコートを貫通した羽根によって切り裂かれ血を流している。足元に小さく血だまりもできている。中傷から重傷レベルだろう。


「問題ない。そちらは?」

「ちょっと避けきれなかったけど、大丈夫」


 言っている間に小さくはない傷が治っていく。白神の加護に自動再生があるが、レンジャーのイリスが持っている筈もない。


「体質なの……気持ち悪いよね」

「いいや。戦えるなら何も問題はない」


 イリスは知らず俯いていた顔を上げる。

 突き放すような言い方だが、それと対照的に自分を庇うように立つ男の背には信頼がある。

 色々と気にしていた自分が馬鹿らしくなるほどの清々しさだ。


「……アリガト」


 ならば、その信頼に報いねばなるまい。傷は治っても失った血や体力まで回復する訳ではない。

 だが、自分は今立たねばならないのだ。


「クソッ!! 話が違うじゃねえか!! クソ、クソ!!」

「ん? 何してんの、あれ?」


 そんな中、ロンルースが無事な馬を集めて己の馬車を発進させていた。

 勝手に逃げていく商人を追ってオオワシも向こうへ飛んで行っている。


「目の前の俺達ではなく何故商人を?」

「本命がアッチだったのか?」


 大剣を盾代わりにしていたアンジールと、障壁で皆を護っていたクルスが不審を露わにする。

 同時に上空からの殺気が逸れていく。

 ロンルースが離れてくれたおかげでオオワシも『お目当て』が判明したようだ。


「とにかく追いかけねば!!」

「動かせる馬車は一台しかねえ。……いけるか、クルス?」


 隊の立て直しをしつつ、残りの荷と置いていかれた護衛を守るには人数の多いアイゼンブルートが有利だ。

 逆にパーティとして機動性の高いアルカンシェルがオオワシを追う方が適任だろう。

 クルスも頷きを返す。


「無論だ」

「頼む。ダメージの少ないレンジャーを一人付ける」

「了解!! 皆、行くぞ!!」


 四人は馬車に飛び乗る。

 同時に御者台のレンジャーが鞭を振って急発進させる。

 ロンルース、オオワシとは既に大きく離されている。今から追い付けるか怪しい所だ。

 かといって――ロンルースがどう考えているかは知らないが――あのオオワシを連れてアルキノの内部に入る訳にも行かないだろう。


「ここで落とすしかないか。ソフィアはどうだ?」

「……この距離でお互い動いているとなると、加減ができません。広範囲を巻き込むことになります」


 周囲は既に麦畑に入っている。アルキノは近い。

 夜闇には見通せないが、斥候に出ている他のギルドもいるだろう。


「それは最終手段だな……イリス、“頼む”」

「はいよ!! カイ、ちょっと支えて」


 イリスはコートを脱ぎ捨て弓を遠く構える。

 疾走する馬車上からの飛行する相手に向けての狙撃など初めての経験だ。

 距離は既に五百メートルまで離れている。

 全力で射って届かせても仕留められる自信はない。


 ――故に、不可能を可能にする一手、“心技”をここに。


 絞りを回して弦を緩めると共に、弓の上下部分に付いている拘束を外す。

 この弓には背負う際の収納型、中距離戦闘用の通常型に加えて、遠距離狙撃用の長弓型を持つ。

 イリスの身長ほどに巨大化した弓の射程ならばギリギリで届くだろう。

 幸いなことに今は追い風、飛ぶ鳥を落とすのに不都合はない。


 そうして狙いを定めつつ、イリスは己の心を開示する。


「――彼方より、祈りを込めし、上弦の」


 元よりこの心技に射程延長はなく、自前のものしかない。

 故に全身を引き絞る。

 腕の筋が異音を立てて千切れ、すぐに再生し、それ以上の負荷がかかってさらに切れるのを繰り返す。 後先考えない超再生で瞬間的に全身の筋力が増大する。

 千里眼が標的を捉え、高められた集中力が命中への道筋を導き出す。


「――触れざる故の優しさに」

(これで……足りる!!)


 心技を使う条件は揃った。

 魂が奮い立つ。心技とは己の魂の輝き。己の存在理由だ。仲間の為に在る今、それを明らかにすることに躊躇いはない。

 あとは魔力の全てをぶつけるだけだ。

 その時、血を失いすぎたのかイリスの体がぐらついた。ぴたりと定まった弓はぶれないものの、その体が徐々に傾いでいく。


「イリス」


 倒れかけたその体を背後からカイがそっと支える。

 弓を引く従者を邪魔しない絶妙な体勢。

 背中越しに感じる熱と落ち着いた鼓動が頼もしい。他者に触れられる事への恐怖すら今は愛おしく感じる。


「――ただ触れたいと願いし御手は」


 ――中る、と何故か確信できた。


 忘我の域で弓を射る。弦が高音を奏でる。

 放たれた矢は美しい弧を描き、夜空を切り裂いてオオワシへと飛んでいき、咄嗟に切り返そうとした怪鳥の脚部に突き刺さった。


 だが、矢の一発にオオワシは一瞬ふらついたものの、すぐに体勢を取り戻した。

 距離を考えれば当てたことすら奇跡だが致命傷には程遠い。


「駄目か……」

「まだです」


 御者台のレンジャーに向けてソフィアが口元に人差し指を立てたジェスチャーを向ける。

 イリスの心技はまだ終わっていない。

 従者は集中力を保ったまま掌を放った矢へとかざす。

 そして、力の限りに握り込み、魔力の全てを振り絞って叫ぶ。


「――祝福しろ、“カラナック・ライン”!!」


 瞬間、イリスが放った矢を中心にオオワシを取り囲むように複数の魔弾が生成された。


 魔術系心技“カラナック”は“目印”となる矢を放ち、その魔力を辿らせることでその後の矢や魔法を命中させるようにする心技系統だ。

 しかし、イリスの全力はその上をいく。

 矢によって確定した座標を中心に魔弾を展開、全方位から射殺す技へと昇華させたのだ。


 そうして放たれる矢の嵐。

 中心にいたオオワシに避ける術はなく、その全身を散々に貫かれ、ついに地へと墜ちた。

 それを見届け、魔力を使い果たして気を失っていくイリスをカイが静かに抱きとめた。

 夜空に舞う怪鳥は既になく、辺りには静寂が戻って来ていた。



 ◇



 全てのオオワシを撃破し、戦闘は終了した。

 だが、依頼はまだ完了していない。

 敵がいなくなったのを見て止まった馬車からロンルースを引っ張り出した。


「さて、キリキリ吐いて貰おうか」


 隊を纏めて合流したアンジールがその胸倉を掴んで馬車の側面に押し付ける。

 他のメンバーは即座に荷の検分をしていく。


「し、知らねえ!! 俺は何も知らないんだ!!」

「ほう、何を知らないんだ? 教えてくれよ、依頼人さんよ」

「そ、そうだ!! 俺は依頼人だ。護衛も満足にできない癖にこんな扱いしてんじゃねえ!!」

「……で、何を知らないんだ? しらばっくれるなよ。粗方の荷をほっぽり出しても確保しておきたかった物があるんだろ?」


「……アンジール、荷からこんなのが出てきたぞ」


 ユキカゼが差し出したそれは籠に入ったオオワシの雛達だった。

 どれも羽毛はまだ白く、首を傾げるように無邪気な瞳でこちらを見上げている。


「……あー、何だ。アイツラが襲ってきたのはこいつを取り返す為か」

「悪いことしちゃいましたね……」


 メリルの猫耳がぺたんとしおれる。他の面々も気まずい表情だ。


「取り返すつもりの割には本気で攻撃してたな」

「たぶん、人間の臭いが付いちゃったからじゃない?」

「だとすると今から野生に還すのも難しいか」

「……人には慣れているようですね」


 アルカンシェルの予測にアンジールが頭を掻きながらも頷く。


「ならひとまずギルド預かりだな。買い手がいるってことは育てられる奴もいるだろうしな」

「それは俺の商品だ!! 戦争前でサイフの緩んでる相手なら一羽で銀貨百五十枚がつく、程の……」


 虚勢も周囲を囲む戦士達に睨まれて尻すぼみになっていく。

 アンジールがひとつ溜息を吐いて強欲商人と目を合わせる。その目に浮かんでいるのは呆れでも蔑みでもなく、純粋な怒りだ。

 ヒトが命を賭ける戦場に余計な物と余計な危険を持ち込まれた事に対する赫怒だ。


「金に目が眩んで仁義を忘れたアンタに残るものがあると思うなよ」



 ◇



 その後、商人達を拘束したまま一行は城塞都市アルキノへ到着した。北側に聳える城壁を見上げつつ街区へと馬車を進める。


 ロンルースは密猟容疑で商人ギルドへ連行されていった。

 彼がどういった処罰を受けるかは分からないが、少なくとも商人としては終わりだろう。


 保護されたオオワシの雛は人の匂いも付いてしまっていて、野生に還す訳にも行かないので連盟の方で信用のおける鷹狩りを見繕って育てて貰うことになるらしい。


「やっと終わったな」

「ああ、あのオッサンのせいで後処理まで増えちまったが、これで終わりだ」

「二人ともお疲れ様です」


 ギルド連盟アルキの支部で依頼完了の手続きを終えたアンジールとクルスを互いのギルドが出迎えた。


 アイゼンブルートは別の依頼の為にすぐにアルキノを出て他のメンバーと合流するらしい。

 報酬を受け取ったアルカンシェルは一通り街や戦場予定地を確認してから学園に戻る予定だ。


「今回は助かったぜ。アンタらがいなかったら損害はもっと大きかっただろう」

「こちらこそ勉強になった」

「そうかい。ま、今度頼む時はもちっと真っ当な依頼にするぜ」

「ふむ、その時を楽しみにしている」

「……次に会うとすりゃ防衛戦争本番か。気張っていこうぜ」

「ああ!!」


 二人のリーダーは硬く握手を交わした。


「ありがとうございました!! 皆さん、お元気で!!」

「また会おう。それまで自分も腕を磨いておく」


 メリル、ユキカゼともそれぞれ握手を交わす。

 二人ともクルスに何か言いたげな表情だったが、結局、何も言わなかった。戦争の前に余計な物を背負わせる気にならなかったのだ。


 そうして道の交わった両ギルドは再び別々の道へと歩んでいく。

 彼方を暗雲に曇らせながら、そう遠くない未来に戦場となる都市は静かに緊張を高めていた。

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