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刃金の翼  作者: 山彦八里
最終章:魔神争乱
133/144

8話:狂える刃金

 不毛の大地をひとりの男が進み行く。

 返り血に染まった赤黒の短髪に、感情の失せた黒瞳と容貌。

 巌のような巨躯に罅割れた鎧を纏い、手には長剣が一振り。

 数多の刃傷に加え、胸にカイにつけられた傷を残す人型の刃金。

 堂々と進みゆくその姿は無尽の野を行くが如く、戦乱の導の制御を離れて襲いかかる無数の魔物も触れることすら許されず、無造作に振るわれた一太刀で消し飛ばされていく。

 古代種の神殿から約三日、何者にも阻まれず、一寸と休まずガイウスは無銘王墓へと突き進んでいた


 そうして、ようやく王墓の地上部分がみえてきた段にあって、門番の如く王墓の前に立ちふさがる二人の老人を前に、男は初めてその足を止めた。

 武神の瞳は既に他者の実像を識別できない。だが、抜き身の刃を前にしたような鋭い殺気には覚えがあった。


「侍……ではないな」


 罅割れた声はそう断じた。師か弟子か。(カイ)の係累であろうとは察しがついた。

 声音に宿っているのは圧倒的な無関心、そして僅かな落胆。

 男の狙いはただ一人だけなのだ。


「そう落胆せずに儂等と殺り合っとくれ、武神よ。馬鹿弟子に独占させるにはお主は惜しい存在ぞ」

「カイはまだ御身と同じ域に至っていない。時間稼ぎに付き合って貰う」


 一刀を握った黒腕を揺らしてゲンハは歯を剥き、拳を握りしめてイアルは構える。

 周囲には他に誰もいない。誰にも言わずに来たのだ。

 無駄に命を散らさぬ為に、あるいはこれ程の相手を独占する為に。


「……そこを退け」


 ガイウスから放たれる威圧感は悪鬼羅刹のそれだ。

 だが、二人は飄々と、あるいは粛々とその威を受け流す。


「退かぬ。弟子の一世一代の晴れ舞台だ。師が気張らずに如何する」

「左様。それに、武神に挑む好機、無駄には出来ぬというものだ」

「――破壊する」


 これ以上の問答は無駄だと判断したガイウスは無造作に踏み込み、無銘を振り抜いた。

 奔る剣閃が絶望的な圧を伴って周囲一帯を薙ぎ払う。

 だが、それは予想の範疇。一歩前に出たイアルが天へと真っ直ぐに伸ばした脚を全力を込めて地面に打ち込む。


 次の瞬間、絶大な圧力をかけられた地盤がめくれ、即席の巨盾となった。


「ッ!!」


 赤茶けた地盤が極大の斬撃を受け止めて砕けるまでの一瞬、ガイウスの視線を阻む。

 その一瞬で背後をとったゲンハが斬撃を放って首を刈り取りにかかり、塵と化した地盤を潜るようにして踏み込んだイアルが全身の捻りを収束させた拳を打ち放つ。

 前後からの同時挟撃。囮はない。どちらも必殺の威力を秘めている。如何な武神とて防ぎきれない――筈であった。


 刹那、ほぼ同時に鳴り響いた撃音と共に二人は弾き飛ばされた。


 ガイウスの剣は一閃にて前後からの攻撃を過たず迎撃していた。

 ゆるやかに円を描く無銘は背後からの攻撃すら正確に防ぎきる。

 無明転じて法性、剣の間合いにおける絶対防御――の更に先を行く攻勢防御。


「……名づけるなら“無明壊刃”と言ったところか。まったくジンの奴も厄介なモンを遺しおって」


 足裏で地面を削りながら制動をかけ、ゲンハはひとりごちた。

 先手をとるカイとも、後手を切り返す自分とも異なる受け太刀の神髄。今は亡き戦友の完成形がそこにはあった。

 強引に受けて折れた腕から逆の手に刀を持ち替えつつ、ゲンハは心中で彼我の戦力差を計る。


(これならば勝機はある。二人がかりになるが……)

「おい、イアル、まだ生きとるな?」

「……」

「イアル?」


 ゲンハの問いに応えず、イアルは構えたまま驚愕を表情に宿してガイウスを見つめていた。

 精霊との合一すら可能とする老人の卓越した感応力が武神の魂を読み取り、ひとつの事実に気付いたのだ。


「御身からは神との繋がりを感じない」


 それはあってはならないことであった。

 人は神との契約によって加護を受け、可能性を肯定され、強さを得る。

 人間を遥かに超える力を持つ魔物が蔓延るこの大地で生きるには、そうしなければならなかった。

 だが、ガイウスにはそれがない。すなわち――


「独力で神域に達したのか。人間由来とは思えんのう」


 驚きを通り越し、半ば諦めの境地でゲンハは苦笑した。

 そこに至るまでに必要な鍛錬は、戦いは、屍は如何ほどか。

 神の加護を得てすら神域に至ることのない身では想像もつかなかった。


「……笑止。神の操り人形である貴様等こそ人間だと言えるのか?」

「成程、それが貴様と我らの差か。このトシになって気付きを得られるとは僥倖よな」


 吐き捨てるようなガイウスの言に、ゲンハは剣の棟で肩を叩き、感嘆とも溜め息ともとれる吐息を吐き出した。

 武は極めるほどに単純化されるとゲンハは考える。

 黒腕という特異性はあるが、ゲンハの剣は突きを含む九の方向に振るう剣でしかない。そこまで技を詰めた。

 イアルの拳も似たようなものだ。あちらは五の方向しかないが、代わりに拳と掌で十の択となっている。

 その点だけをみれば、三方向にまで詰めた弟子(カイ)の方が上であろうと感じる。


 そして、ガイウスの剣には薙ぎ払う、打ち下ろすの二種しかない。それで十分なのだ。

 この武神に防ぐという理外の行動をとらせた弟子の奮闘は察するに余りある。

 そして、それを自分達は超えねばならない。

 理の内にある武神は文字通りの神、無敵に等しい。

 理を崩し、無敵の衣を剥がした先に神への勝機がある。


 その為にはまず、敵を理解しなければならない。

 自分たちとはまったく異なる道筋を辿って神へと至った男を知らなければならない。


「武神よ、貴様にも“魂の名”があったのではないか、神に至る前の名が?」

「御身は何を捨てた?」


 二人の問いは奇しくも同じ場所を穿っていた。

 武として近しい域にまで登った二人は確信している。カイも薄々は気付いていただろう。

 “無明”は守る為の剣、たとえ神に比する腕を持とうとも破壊を本質とする者が身につけられる筈がないのだ。


 ガイウスは答えない。あるいは問答無用で攻撃されるかと思っていた二人は、巌のように固定された男の表情に僅かに罅が入るのを見て眉を顰めた。


「まさか貴様、そうまでして何を守ろうとしたのか忘れたのか?」

「――知った風な口を利くな」


 それは、逆鱗であった。


 二人は気付いた。これは“怒り”だ。

 男の中に押し込められ、封じ込められていた途方もない憤怒だ。

 それが今、火山の噴火の如く表出しようとしている。


「――全て忘れ(ヴァニタス)全て(オムニ)死すべし(モルテム)

「ッ!?」


 ――禁呪“不死不知火”


 唱えられた呪言に二人は反射的に身を固くした。

 戦乱の導に属する者は皆、その心臓に呪いを受けている。それはガイウスとて例外ではないのだろう。

 では、この男が呪いを発動する意味とは何か。

 考えるまでもない。それまで呪いを抑えるのに使っていた気力体力を取り戻し、狂戦士の呪いによって強化、否、狂化する為。


 すなわち、武神の全力を発揮する為だ。


「――――」


 呪いを解放したガイウスの姿は最早、常軌を逸していた。

 皮膚は禍々しく赤熱化し、口からは血の混じった深紅の蒸気を吐き出している。

 喩えるならば、地の底から這い出てきた鬼神。

 今のガイウスをみて、元が人間だったとわかる者はいないだろう。


「――“■■■■”、既に喪われた名だ。何の意味もない」

「神に並ぶ力を得て尚、己の魂を否定するか」


 苦々しい想いと共にゲンハは一刀を頭上に構えた。

 全ての魔力を黒腕に注ぎ込み、心中で気炎をあげる。

 負けられない。こんな虚しい者には負けられない。

 武とは己を高める力だ。昨日の自分を今日の自分で乗り越えるための祈りだ。

 故に、己を否定するモノには負けられない。過去に魂を置いてきた者には負けられない。

 その想いはイアルも同じであるのだろう。

 僅かな間に精霊との合一を果たし、全盛期の肉体を取り戻した拳聖はその全身から声なき咆哮を放っている。


「我ら武に依って生きる者の魂、思い出させてやるぞ、武神」

「意志なき力は武に非ず。ただの暴力に我らは負けぬ」

「……」


 無銘を構えたまま、ガイウスは己の中に湧き立つ感情を知覚した。

 これは苛立ちだ。勝てる筈のない戦いに向かう二人の姿に訳もなく苛立つのだ。

 久しく忘れていた感情に数瞬、戸惑いを得る。が、思考はそれ以上を切り捨て、ただ目の前の障害を薙ぎ払うことに全てを傾ける。


「“独角剣鬼”ゲンハ・ザカート」

「“拳火龍樹”イアル・ワン」


 雄々しい名乗りが狂乱する武神の耳に微かに届く。

 その名に込められた意味を、祈りを、武神は否定する。

 無銘の柄を砕かんばかりに握りしめ、暴力で以て塵ひとつ残さず破壊することを誓う。


「いざ――」

「――参る!!」


 そうして、最後の激突の火蓋が切られた。


「――空を穿て、“テトラレンマ・カルナ”!!」


 初手はイアルがとった。凝縮させた気力を熱量に変換し、取り込み、全身から火を吹いて加速し、一直線に踏み込む。

 制御を超えた熱量に体が徐々に炭化していくが構わず、拳の間合いに入る。

 武神の無明に至った一振りで熱量は掻き消されるが、鍛え抜いた拳は生きている。


「――オオオッ!!」


 相手の股の間まで伸ばした前足が地を踏みしめ、大腿から腰、背骨、肩を伝わって加速する拳の先端が大気の壁をぶち抜く。

 撃ち出すはただの拳撃、しかし、それこそはイアルの生涯全てを込めた究極。

 大気を貫き、認識よりも早く、渾身の拳がガイウスを捉える。


 確信する。人生で最高の一撃だった。

 これ以上はない、これが届かぬならば――


 直後、拳を伝わる硬い衝撃にイアルは失敗を悟った。

 気付けば、拳を放ったまま片腕は限界を超えて塵と化していた。

 代わりに打撃を受け止めたガイウスの腕も砕けていたが、命にまでは届かなかった。


「まだだっ!!」


 それでも拳聖は諦めない。そのまま全身でぶつかるようにしてガイウスに組みつく。

 全身の筋肉を軋ませ、巌のような巨躯を押し込むようにして、ゲンハの間合いに強引に合わせる。


「――八玉四魂よ砕け散れ、“村雨”!!」


 その一瞬に、ゲンハは心技を放つ。

 “天霞・阿頼耶”(ティエン・シア)、黒腕の全ての関節を解放し限界までしならせた竜尾の如き斬撃。

 水を纏う切っ先が、宙を走る変幻自在の剣線を描いてガイウスの全身を打ち据える。

 背中、首、腰裏、ガイウスが剣を振っても防げない位置を含む連続攻撃、ゲンハをして必殺を確信させる渾身の運剣。

 剣鬼の積み上げた数十年を余さず発揮した珠玉の一技。

 片腕を折られ、組みつかれて動けないガイウスは防げない。



 ――神たる神を赦さず。我は始原を砕く狂えし刃金



 防げない、筈であった。


 刹那、絶望の音が天高く響いた。


「……なに、が」


 その刹那に行われたことをゲンハは咄嗟には理解できなかった。

 手の内が軽い。見れば、得物が半ばで叩き折られている。

 そして、気付く。己が心技は初手をしてガイウスに斬られたのだ、と。


 受けるでも、防ぐでも、弾くでもなく、斬撃を以て斬撃を切り裂くという絶技。

 この段に至って尚、武神は成長し続けていた。


「――ォォォオオオオオオオオッ!!」


 そうして、憤怒の咆哮を糧に振りかぶる一閃こそ全てを破壊する神技。

 魂の名すら捨てた“破壊”の一心が、遂に行きつく所に行き着いてしまったことを証明する。


(……我らは此処までか)


 周囲全てを破壊しながら迫る斬撃を前に二人は死を覚悟する。

 だが、それは諦めではない。

 死に果てるその瞬間まで、彼らに諦めの文字はない。


(後は任せるぞ、カイ)


 ゲンハが折れた村雨を手に再度斬りかかり、イアルが残る腕で拳を打ち放つ。

 せめて、あと一撃。一秒でも長く時を稼ぐために、万にひとつ、億にひとつの勝機を掴む為に。


 なによりも、その身が継いできた武の魂を証明する為に――。


 三つの咆哮が曇天を吹き散らし、全てを賭けた力の激突に空間が軋む。


 直後、死の荒野に一陣の嵐が吹き荒れた。



 ◇



「他に方法はないんですか、先生?」


 それはおよそ二百年前の一幕。

 旅支度をする老人の背に、帽子をかぶった少女は必死に言い募った。

 城砦都市アルキノ、大陸北部にあるこの街は一歩外に出れば、そこは既に無数の魔獣級の闊歩する暗黒地帯に接している。

 戦う力を殆ど待たないこの老人――アルバート・リヒトシュタインでは目的を果たすことは出来ないだろう、と少女は理を以て諭した。

 それでも、老人の答えは変わらなかった。皺だらけの頬に柔和な笑みを刻んで軽やかに少女の肩を叩いた。


「私は犠牲ではない。ただ、他の人よりちょっとだけ足が速かっただけだよ」

「そういう問題ではありません!! せめて、ボクもついていけば――」

「大丈夫だよ。道は見えている。きっと私は届く」


 ふと、少女の肩に置かれていた老人の腕に仄かな金色の光が瞬いた。

 優しくも冷たいその光に、少女は本能的な恐怖を抱いた。


「先生、これは――?」

「もう時間がないようだ。……今ならわかる。私はこの時の為に生きていたんだ。

 人は弱い。だからこそ強い。私では辿り着けなかった場所へきっといける。その為の千年を私は稼ぐ」

「ッ!! 先生にはまだやるべきことが――」


「――人間は皆死ぬんだ。わかるかい、“テスラ”?」


 尚も言い募ろうとしていた少女はその一言に凍りついた。

 ずっと隠していた筈だった。気付かれていない筈だった。

 でなければ、古代種である自分を側近にするなど有り得ないことだと思っていた。


「先生は、ボクのこと気付いていたの?」

「すまない。大陸通信網の件は助かった。君がいなければこの危機に間に合わなかった。けど、それにかまけて君の事情に触れてこなかった。

 ……いつかは向き合わねばと思っていたのだけど、先生失格だね」

「そんな、ことは……」


 緊張が喉に張り付いたようにテスラはうまく言葉を紡げなかった。

 何を言えばいいのか。あるいは、力づくでこの老人を止めればいいのか。古代種だとばれているならもう隠す必要はないのだ。

 なのに、全てを覚悟した老人の眼差しを受けると、テスラはまともに言葉ひとつ発することができなかった。


「みんなも、いつかはわかってくれる」

「……いやだ」

「きっと君を理解してくれる人はいる。ローザかもしれないし、他の誰かかもしれない。けど、絶対にいる。だから、早まっちゃ駄目だよ。……それじゃあ、元気でね」


 それきり何も言わず、少女と揃いの帽子をかぶってアルバートは部屋を出た。

 数秒固まったままだったテスラは慌ててその後を追いかけて街角へと飛び出した。

 だが、そこに老人の姿はなかった。どこにもなかった。


「おいていかないでよ、先生!!」


 叫ぶ声に応える声はない。

 涙を堪えてしゃくりあげるテスラの頭からずっと被っていた帽子がずり落ちる。

 あまりの混乱に隠行も解けてしまった。

 途端に、周囲を行き交う者達がテスラに、そして、その額で輝く魔力結晶(サードアイ)に気付いた。


「こ、古代種!?」


 声に混じるのは困惑と恐怖。声を挙げた中には共にアルバートの側近として仕えてきた者たちもいたが、かつての親愛の情はそこにはなかった。



 そこから先は覚えていない。

 気付けば周囲には血の海が広がっていた。


 あたりに散らばる肉片が元は何だったのか、テスラはしばし考えてかぶりを振った。

 最早、名も、どんな姿をしていたかも思い出せなかった。

 古代種としての己を解き放ったテスラには必要のない事柄だからだ。その金の瞳にはもう現実の世界は映っていなかった。


「お迎えにあがりました、主様」


 そして、いつのまにか目の前に黒いドレスを纏った女がいた。

 アルベド・ディミスト。名を訊かずともその存在をテスラは知っていた。

 青い血に刻まれた宿命が、己に仕えるべき者の名を告げていた。


「目覚めの時です。共に参りましょう」


 アルベドは血の海に膝をつき、テスラに向けて優雅に手を差し出した。


 その手を払うことは少女にはできなかった。



 ◇



 そっと肩を揺らす振動にテスラはいつのまにか閉じていた目を開けた。


「数が充ちましたわ、主様」

「……そうかい」


 恭しく頭を垂れるアルベドを横目に、少女は軽く伸びをすると一瞬前の思考に想いを馳せた。


「夢を見ていた気がする。昔の夢だ」

「我々古代種は夢を見ませんわ。過去も未来もその手の中にあるのですから」

「……そうだね」


 即座に言い切られて思わず苦笑する。

 二百年前、まだ人間のフリをしていた頃の自分。この世界の景色を、音を、味を知覚できた頃の自分。

 今ではもう懐かしさよりも、断絶の感が強く印象に残っている。

 あの頃には、もう戻れないのだ。


(ボクのことをわかってくれる人は確かに現れたよ、先生)


 待ち望んでいた理解者は不倶戴天の敵だった。

 だが、それでいいのだろう。

 交わらない道を進んでいることすら今は嬉しく感じられる。

 誰よりも愚直に、誰よりも真っ直ぐに進んでいる彼の道と交わらないということは、自分の進む道もそうであることの証明なのだ。


「ガイウスは?」

「負傷により帰還しました。目的は達せられなかったようです」

「……へえ、相手が誰だったか気になるね。ガイウスも随分堪えたんじゃないかな?」


 目的を達せられなかったということは彼では――カイではない。

 他にガイウスに手傷を負わせられる人間がいたことは驚嘆に値する。

 テスラは口の端を歪めて笑った。


 やはり人間は凄い。その熱はあるいはガイウスをも変えるかもしれない。

 だが、それでも勝つのは自分たちだ。


「じゃあ、こっちも始めようか」


 朽ちた神殿を出て、テスラは雷鳴の響く不毛の荒野へと踏み出した。

 百年ぶりに“本体”の肌で感じる瘴気は不快で、心地よい。相反するその感想こそ、その魂が限りなく魔神に近付いていることを示していた。

 テスラは虚空を見つめたまま、そっと白い繊手を差しのべた。


「――出でよ、“魔神”、ボクは対価にヒトの魂1億6千万を捧げる」


 途端に、一面に敷き詰められた赤い魔力結晶がドス黒く染め変えられていく。


 それこそが『神の封印』を破る古代種の呪術。否、呪いなどという生易しいものではない。

 あらゆる方向に成長し得る“可能性”を持つヒトの魂を集めて、束ねて、呪って、封印へとぶつける荒技だ。

 ガイウスが魔物を狩って触媒となる魔力結晶を集め、ニグレドが術式を構築し、アルベドが結晶に魂を封入すること一億六千回。

 あまりに暴力的で、破天荒で、気の遠くなるような力技だ。“戦乱の導”以外に同じ方法をとることのできる者はいないと断言できる。

 然して、此処にその結果が結実する。


 この地に集った数百万の魔物達が歓喜の咆哮をあげる。

 空を覆う巨大な影こそ彼らの奉じる神の姿。


 ―― 二百年の封印から解き放たれた【魔神】の姿である。


「一手、ボクらが早かったね、カイ・イズルハ」


 薄く笑うテスラの耳に、彼岸の世界、薄皮一枚隔てた向こう側で何かが砕ける音が聞こえた。


「……さようなら、先生」


 もはや顔も思い出せないかつての師を想い、テスラは微かに目を伏せた。



 そして、人類の終わりが始まった。




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