6話:四刃と一刀
メリルをそっと地面に立たせ、次いで周囲を見回したクルスは最後に未だ呆けたままのアンジールに視線を向けた。
「戦線を立て直す。アンジールはメリルと共に負傷者を纏めて陣を敷いてくれ。戦える者は正門前に集めているな?」
「あ、ああ。けど、ワイバーンに頭を押さえられてて――」
アンジールの言葉に騎士は頭上を見上げ、その整った眉を僅かに顰めた。
「たしかにあれは厄介だな。――ソフィア」
『四人間での“共鳴”は完了しています。いつでもどうぞ、兄さん』
「よし――奴らを“墜とせ”!!」
瞬間、クルスの大喝声が辺りに響いた。
学園中に届いたのではないかと思う程の覇気に傍に居たアンジール達は全身が震えた。
騎士の突然の行動に驚いた彼らはしかし、直後に崩れた塔を駆け登る黒い影を見て、反射的に振り仰いだ。
それからの一瞬を彼らは生涯忘れないだろう。
刹那に空に小さな光が瞬き、そこから放たれた矢がワイバーンの翼を打ち抜く。
次いで、無数の巨大な氷柱が突き立ち、逃げ遅れた亜竜を縫い止める。
そして、空に一陣の刃金が走る。
鋭角的な螺旋を描き、触れるもの全てを斬り飛ばす斬風がワイバーンの首元を通り過ぎていく。
その斬撃は壮絶だった。見る者全てに逃れ得ぬ死を連想させる必斬の気配を纏っていた。
直後、五十を数えていた筈のワイバーン全てが四散し、空中に残った魔力結晶が残光を曳いて地上へと落下していった。
「なんだ、あれ……?」
地上から見上げていた学生たちは、はじめソレが人型であることに気付かなかった。そして、気付いた後に愕然とした。
あるいは、それが魔法による広範囲攻撃であったなら、彼らも諦めが付いただろう。それは初めから奇跡の側に属する力であるからだ。
だが、そうではない。そうではないことに気付いてしまった。
今、空を駆け抜けた剣は唯人が鍛え抜いた涯に辿り着いた武の結晶だと。
誰もが諦めなければ届く筈の力なのだと、驚愕と憧憬の中で理解してしまった。
「ク、クルス、あれカイだよな……?」
「そうだ。あれが今のカイだ」
「もう人間じゃ、ないのか?」
「リーダー!!」
アンジールの声は微かに震えていた。咎めたメリルの声すらも、畏敬とおそらくは僅かな恐怖に震えていた。
その問いに答える言葉をクルスは持っていない。
何を以て人間であると定義するのか騎士は知らない。
肉体であるのならカイは最早、人間の域にはない。
精神であるのならカイは最早、人間の域にはない。
魂魄であるのなら、あるいはカイはずっと昔から、その域にはなかったのかもしれない。
そうして沈黙するクルスに折よくイリスの声が届いた。
ソフィアを中心に四人の間で読心を繋いだ今、どれだけ離れていても互いの状況は手に取るようにわかるのだ。
『クルス、お空は片付いたわ。私達はこのまま正門に回る。あの大蠍をどうにかしないといけないでしょう?』
「ああ、俺はこのまま皆を纏めて戦線を構築する。危険だと思ったらすぐに呼べ」
『りょーかい!!』
手早く指示を伝えて、クルスは向き直った。
直近の危険が去り、学生達も多少は混乱から回復しているようにみえる。
「アンジール、外にはまだ魔物がいる。学園内に陣を構えてくれ」
「わかった。戦えそうな奴は正門に送っとく」
「頼む。では、また後で――」
「クルスさん!!」
そのとき、前線に戻ろうとするクルスをメリルの声が押し留めた。
少女の表情は覚悟を秘めたそれだった。
「わたしも連れて行ってください。正門前はたぶん治療の手が足りていません。こっちは神官の方もいらっしゃいますし」
「メリル……」
「あ、あの!!」
少女は一瞬だけ目を伏せたが、直後、顔を上げて真っ直ぐにクルスをみつめた。
「イズルハさんはその……ちょっと怖いかもですけど。でも、それは一緒に戦わない理由になりませんよね?」
「――ああ!! 行こう、メリル」
元より、ここで問答している時間はない。クルスは強く頷くと正門へと駆け出した。
振り返らずとも、メリルが背を追っているのがわかる。
「……ありがとう」
「お礼を言うのはこちらの方です。さっきは助けていただいてありがとうございました。……その、惚れ直しました」
「メリルがいてくれてよかった――もうすぐ正門だ」
「はい!!」
恥ずかしげに伝えられた言葉にクルスは何と応えればいいのか僅かに迷ったが、結局は心のままに言葉を紡いだ。
一体、自分は何に迷っていたのか。思い返してみれば苦笑しか浮かばない。
“全てを守る”と誓った自分の背を追いかけてくれている人たちがいるのだ。今更降りることなどできない。
寄せられる期待は軽くないが、足を止める類の重さではない。
(もう何も取り零さない)
誓いを新たにクルスは血風吹き荒ぶ戦場へと走る。
真っ直ぐに走る騎士の背に、少しずつ追随する者たちが増えていく。
傷つき、絶望していた者たちが顔を上げる。騎士の背に希望を見る。
率いる力、束ねる力、それこそがクルスの真価。
そうして、形勢は変わる。
たった四人の新たな戦力が、押され続けていた学園側に反撃する力を与える。
彼らこそは人類の最前線に立つ、希望の具現。
ヒトのもつ可能性の姿である。
◇
ワイバーンを斬り落として制空権を奪い返したカイは片手にソフィアを横抱きにしたまま正門跡を跳び越えて戦場の奥、大蠍の間合いの僅かに外側へと飛び込んだ。
その背を追いかけるように放たれた拡散矢が着地地点にいた魔物を一掃し、一拍遅れて隣にイリスも着地する。
既に“熱砂の四刃”が散々に暴れた後なのだろう。
学園から出るのに幾度となく通った場所なのに、周囲の地形は記憶にあるそれとは大きく違っている。
(山が何個かなくなってない?)
率直な疑問と納得がイリスの脳裡を通り過ぎる。
精霊級の魔物。古代種と同等の能力の全てを破壊力に注ぎ込んでいるのならばこの程度は造作もないのだろう。
周囲に人影はない。大蠍を警戒して正門前まで撤退しているのだ。
「というか、あのサソリの後ろにおっきな穴が見えるんだけど、こいつら穴掘ってきたの? 暗黒地帯から?」
「いえ、おそらく地中に転移陣を隠していたのだと思いますが……」
「ソフィアが気付かなかったってことは呪術で隠蔽してたってこと? 一体いつ仕掛けたのよ……」
その勤勉さがあれば魔神に関しても他の方法を思いつくことも出来たのではないかと、イリスは小さく肩を竦めた。
大穴からは今も雲霞の如き大量の魔物が湧き出ている。
まさか無限に湧きだすことはないだろうが、このままでは埒が明かない。
そして、こんな時、隣の侍がどうするのかイリスはよく知っている。
今にも手綱を食い破らんとする猟犬のような表情が全てを物語っている。
「突っ込むのね、カイ?」
「無論だ。後ろも落ち着いてきている。クルスが反撃に打って出るまでそう時間はない。その前に大蠍を斬る」
「じゃあ、これ渡しとく」
言葉と共にイリスは澄んだ蒼色の魔力結晶をカイに投げ渡した。
危なげなく掴んだカイは見たことのない色の結晶に微かに眉を潜めた。
「これは?」
「試作品。口で説明するのは難しいから使い方は読心でね。とりあえず持っといて」
「了解」
「狙撃はこっちで抑える。私達が道を拓くから。一発で決めてきなさい」
任せるわ、と笑みと共にイリスはカイの胸板を拳で軽く叩いた。
今、問題なのはあの大蠍だ。一撃で塔を落とす程の狙撃を何度も撃ち込まれては戦線の立て直しもあったものではない。
後ろはクルスに任せたのだ。ならば、自分たちは自分たちの役目を果たすまでのこと。
同じ気持ちなのだろう。カイの手の中からふわりと降りたったソフィアもその裡に秘めた魔力を解放している。
手袋を外し両腕の精緻な刻印を輝かせ、放出された莫大な魔力は無数の小さな蝶となって戦場へと拡がっていく。
「カイ、準備してください。あなたの鼓動で5回分、それが限界時間です」
「問題ない。いつでもいいぞ」
言葉と共にカイが力みなく一歩を踏み出す。その身が“刃金の翼”の齎す無限の加速に入る。
瞬間、
「――いきます」
――時が凍りついた。
それこそが『神の封印』の権能。黒神が手ずから生み出した封印の法。
いずれ金色の刻印が全身に巡れば、少女は神の時間すらも止められるようになるのだろう――その身と引き換えに。
そうはさせない。大気を切り裂き、光すらも停止した無明の世界を駆ける中、カイは誓う。
求めるは唯一つ。この刃を神に届かせる。ただそれだけを覚悟する。
主観時間にして僅か数秒。しかし、カイが駆け抜ける姿を視ることのできた者は存在しなかった。
◇
押していた筈の戦線は徐々に膠着していた。
敵は態勢を立て直したのだろう。空気に混じる悲鳴や混乱が薄れてきているのをアルベドは肌で感じていた。
(何故、この期に及んで英霊を前に出してこない?)
微かな焦りと共にアルベドが訝る。
女は己の支配と洗脳の権能を、敵が――とりわけルベドの娘が正しく認識していることを察している。あの娘はそういう立ち回りをしていたと記憶している。
ならば、半端な実力者を前に出すことの愚も理解しているだろう。自陣の駒を削られ、奪われることは絶対に避けねばならないことをわかっている筈だ。
しかし、今の学園内の戦力で自分と大蠍という英霊級二体の組み合わせに対するには、危険を呑んでカイ・イズルハをぶつける以外に勝機はない。それもまた厳然たる事実だ。
(なのに、彼が出てこない。そんな余裕は削った筈なのに――)
だが、現に今、人間側には明らかに統制が戻ってきている。
混乱の極みにあった状態からここまで押し戻されるとは、アルベドも予想していなかった。
学園に指揮官がいる、それも優れた。そうでなければこの急激な回復は有り得ない。
(まさかクルス・F・ヴェルジオンが……?)
憎きアルカンシェルのリーダー。人類連合軍を率いる総指揮官に抜擢されたとは聞いていた。
だが、それは貴族であり、同時に連盟所属である彼を旗頭にするのが都合が良かったからではないかとアルベドは予想していた。
二十歳になったばかりの青年に赤国皇帝に匹敵する指揮能力があるとは思ってもいなかった。
(このままではマズイですか)
アルベドの狙いはカイひとりだ。このまま集団戦に持ち込まれては狙いを達成できない。
ゼフィクト・ガズルを前進させて押し込むべきか、あるいは他所の襲撃に回した戦力を回収するか、女はしばし逡巡した。
――それは白化者が戦場でみせた初めての隙であった。
次の瞬間、アルベドの首は宙を舞っていた。
(なに、斬られ、いつ、いえ、これは――)
混乱は一瞬、直後に賦活能力が維持する意識が原因を突き止める。
時間停止。神の領域に手を掛けた秘奥。
だが、それ単体では脅威とはならないことをアルベドは知っている。此方側――物質界に於いては全ての存在の時間は一致しているからだ。
時間停止が真に『封印』として機能するのは彼岸、すなわち原初の海という時間の連続性がなく、停止させる対象を選べる領域に於いてだ。
魔神を復活させようとしているのだ。神の封印と敵対する可能性は想定していた。その能力に対する考察も戦乱の導は十分に積み重ねていた。
だから、それ故に、肉体を持ったまま時間停止の影響を受けないなどという埒外の存在を予測できなかった。
胴体に再接続された頭部が視界の端に黒衣の影を捉える。剣の間合いにまで接近されてはアルベドの能力では追い切れない。故に、
『――やりなさい、“熱砂の四刃”!!』
アルベドは躊躇なく、この場での最大戦力に命令を下した。
大蠍の目に狂おしい程に真紅の光が灯る。頭上を走りまわる存在を鬱陶しげに振り落とそうとしていた動きに明確な殺意が混じる。
直後、数百メートル長の両の鋏が自壊を厭わぬ高速で振り抜かれた。
一撃で周囲一帯を薙ぎ払う純粋な大質量が、山を抜く程の怪力で振り回される。大蠍の周りに居た魔物は残らず消し飛んだ。
「ッ!!」
対するカイはギリギリで直撃を避け、突風のように吹きつける余波を踏んで大蠍の全景が見える間合いまで距離をとった。
鋏を斬ることも出来たが、大蠍の生命力を考えれば相手が四散する前に残骸に激突するのが先だろう。
これほどの相手を斬るには、真にそれだけに注力せねばならない。かつて戦った“大喰い”のときと同じだ。後の回避なぞ考える余裕はない。
だから、そうする。
アルベドの再生完了まであと三秒。それまでに大蠍を斬る。
魔力を込めた右目に蒼い光が灯る。大蠍の核の位置を確と捉え、現在位置から真っ直ぐに斬線を描く。
次の瞬間、カイの体は撃ち放たれた矢のように駆けだした。
ただ真っ直ぐに、足元に焼け焦げた轍を曳いて断続的に加速していくその身は彼我の間合いを零にする。
だが、相手も然る者。ヒトの歴史よりも長く生きる聖獣は狂い果てながらも全速力で接近するカイに尾の狙撃を合わせてみせた。
布を裂く音に似た射出音と共に、紫電を纏う巨柱の如き針が刹那の間を突き破り、恐ろしいほど正確にカイへと迫る。
カイは避けない、止まらない。ただひたすらに加速していく。
なぜなら――
『大丈夫よ、カイ。――ちゃんと視えてる』
戦場には心を繋いだ仲間がいるのだ。
“共鳴”とは読心よりもさらに深く互いの心を繋ぐ技能である。
長ずれば、心情、感情は元より記憶までもやりとりすることが可能である。尤も、その効果はひどく自動的で本人が望むと望まざるとに関わらず全てを詳らかにしてしまうという欠点も併せ持つ。
それ故に、この十年、イリスとクルスはソフィアとの間に完全な共鳴を起こすことができなかった。
己の半分が人間でないことを隠す為に。あるいは、己の心を盾で覆っていた為に。
だが、今や四人の間に蟠りはない。
そして、更なる領域へと共鳴を深めていくことは付随的に新たな事象をも起こしていた。
すなわち、『技能の共有』。
元より、カイとソフィアは視覚や魔力を共有していた経験がある。だが、それは欠けていたカイを補う為の一方向的な共有関係であった。
四人はそこから更に一歩を進め、互いの技能を、経験と共に貸し与えることを可能としていた。
絶対の信頼がそれを可能としていた。
「――疾く貫け、“ヘーズル=ミストルティン”」
カイの経験を、ソフィアの魔力で再現し、イリスは霊弓を構える。
盲目のアースは身長の二倍近くまで弦を伸ばし、あらん限りの魔力で強化した少女でも引くのに難儀する程の張力を秘めて張り詰める。
「――射抜け」
刹那、赤光を纏って撃ち放たれた矢は七つ。
そのどれもが微かな弧を描き、カイに迫る巨針の中心を過つことなく射抜いた。
相殺しきれなかった破壊力がその場で爆散し、尾針の破片が四方に飛び散る。
だが、そこにはもうカイはいない。
音の壁を超えた侍は既に大蠍を間合いに捉えている。
「――斬刃一刀」
足を止めぬまま、カイは手に持つ蒼色の魔力結晶を刀身に添える。
直後、内部に込められたソフィアの魔力を喰って解放された銀剣が巨大な氷刃を纏う。
他者の魔力を結晶内に充填する技術。戦争が加速させる技術革新に僅かに苦笑が浮かぶ。
「――天目一個」
詠唱と共に雑念を捨て、意識を収束させる。
大蠍が両の鋏を防御に構えるが関係ない。
斬ると誓った。歯車は既に嵌まっている。故に、白熱した意識で念じるは唯一つ。
――大神十拳・アメノハバキリ――
そうして、数百メートルまで伸長した一閃は過たずゼフィクト・ガズルを四刃ごと斬り裂いた。
宙を駆けた一刀の下に、山に等しき巨体は内部に隠した核諸共に両断された。
「ッ!? ニンゲン如きが!!」
咄嗟に斬撃の間合いから跳び退っていたアルベドは大蠍に刻んだ呪術を発動しようとする――が、その時には既に大蠍の全身は両断されたまま凍りついていた。
如何な再生能力を持とうとも、生命活動すら許されない絶対零度の中では機能しない。
数秒の沈黙の後に、大蠍の氷像は影に呑み込まれるように消えた。
凍結の余波で凍った片腕を切り捨てつつ、女は悠然と着地したカイを睨みつける。
男の顔は無表情。だが、叩きつけられる殺意が、古代種をして背筋に怖気を走らせる。
それは久しく感じたことのない消滅の予感であった。
「どうした? 俺は前線に出てきたぞ。お前の狙い通りではないのか」
「貴方様は、一体――」
何もしていない筈がない。今は魔力を通して洗脳をかけようとアルベドは感応力の糸を伸ばしている。
だが、精神を犯す霧が、心を縛る鎖が届かない。つけ入る隙がない。
男の魂は強固な盾に守られるように邪悪な干渉を受け付けない。
それが何なのか。考えるまでもなかった。
「馬鹿な――」
刹那、背後から飛来した矢にアルベドは心臓を撃ち抜かれた。
避けきれず直撃した一矢に噴き出す青い血と共に命をひとつ奪われる。
「余所見しすぎよ、アルベド・ディミスト」
「転移とは、小癪な真似を……」
「無駄よ」
憎々しげな声に隠して伸ばしていた蛇鎖は、イリスが短剣から放った雷弾に撃ち落とされた。
鎖を伝わる雷気に、アルベドの腕が僅かに痺れる。
舌打ちしつつアルベドはさらに一歩を後退した。
「アンタは人間をよく理解している。理解し過ぎている。
けどね、人間っていうのはアンタが思っている以上に不合理な存在なのよ」
短剣を腰裏の鞘にしまい、イリスは改めて弓を構える。
真紅の瞳には負の感情はなく、ただ憐憫に似た光が灯っていた。
「他人に心の全てを預けるなんて有り得ないって思ったでしょう?
人間同士で心の底からの信頼が成り立つなんて、絶対にないって思ったんでしょう?」
「……」
それは、超越者であるアルベドの視点では至極、合理的な結論だ。
だが、人間が常にそうであるとは限らない。それを古代種の女は理解できなかった。
愛するが故に疑い、疑うが故に信頼し、その先に共に生きる姿を描く。
未来を信じ、恐れ、望み、考えること。
人間は変われる。それこそが人間に与えられた加護の神髄。
なによりも、目の前の同族の娘が、半分だけ同じ血を継いだ少女がそれを証明している。
「――成程。ニンゲンの可能性、私が見誤っていました」
胸元から矢を引き抜き、ドレスに零れた血を拭ってアルベドは告げた。
理解は出来ない。くだらないとすら思う。可能性とは力ある者にこそ許された特権だと女は信仰する。
その言葉は何千年と進歩せず、無駄に足掻く人間に与えられた免罪符ではないのだと。
だが、それ故に自分が敗北しかけていることもまた事実。
「熱病――」
ならば、己が失策は己の命を以て償うしかない。
その一瞬、アルベドの背後に曰くしがたい影が現れた。
魔人変化、古代種に許された切り札。アルベドはここで命を賭けて敵を滅ぼさんとして、
『苦戦しているみたいだね』
耳元で囁かれた声に加熱していた思考が一瞬で引き戻された。
どこか稚気の残る主の声に己が役目を思い出す。
『ここで死ぬ気かい、アルベド?』
「……いいえ、申し訳ありません。撤退いたします」
アルベドがドレスの裾を持ち上げて一礼する。
艶めかしい白い太腿が見えたのも一瞬、直後、女の纏う黒色のドレスが解けるようにして大量の黒霧に変化し、辺りを覆い尽した。
「――シッ!!」
咄嗟にカイは追撃をかけた。
黒い霧の中に踏み込み、袈裟がけに一閃を放つ。
銀剣の切っ先に手応えが返る。視界の端を斬り飛ばした片腕がくるくると玩具のように飛んでいく。
霧が晴れた後には誰もいなかった。
ただ、点々と残る青い血痕がアルベドの撤退を示している。
「……」
追うべきか。数瞬、カイは迷った。
だが、ここで自分達が追撃すれば、アルベドは大穴から更に魔物を喚び出し、学園に嗾けるだろう。血痕も罠の可能性も否めない。
「カイ、とりあえずはあの大穴をどうにかしましょう」
「……了解」
イリスに応えを返し、カイは銀剣を背の鞘に納め、踵を返した。
遠く学園からは鬨の声が聞こえる。
ひとまず、最大の危機は乗り越えたのだ。
(決着はやはり――)
暗黒地帯。互いに逃げ場のないその因縁の地に、全ては帰結する。
その予感だけは外れる気がしなかった。
一週間後、暗黒地帯に向かったキリエ達、最後の調査隊が黒国の王墓を発見した。
“無銘王墓”、伝説に語られる黒国王が最期の地。
それこそは死と戦いを司る黒神の聖地であった。