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刃金の翼  作者: 山彦八里
最終章:魔神争乱
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5話:襲撃

 雷鳴が鳴り響き、瘴気の満ち満ちた風の吹く暗黒地帯中心部。

 朽ちた神殿にて、テスラは金布の御座に腰かけ、頬杖をついて瞑目していた。

 退廃的でありながら清浄な気配を保つその姿は酷くちぐはぐで、それでいて人形のように美しい。


「……満ちるまで、あと百万といったところかな」


 呟く声は鈴の音のようで、しかし、温度というものを伴っていない無機質なものであった。

 神域に至った古代種の王にとって他者とは痛みにのたうち回る存在か、魂を輝かせる存在である。そのどちらでもない石ころに少女が感情を励起されることはなかった。


「――主様」


 その時、少女の足元に闇色のドレスを纏った美女が跪く。

 アルベド・ディミスト。今となっては戦乱の導に初期からいる唯一人である女は伏して幼き王に冀った。


「神の封印を討ちます。私にいくらかの手駒と出撃の許可をお与えください」

「おや、待つのはやめたのかい?」


 テスラの表情に色がつく。金の瞳で見下ろす少女の言葉にはどこか揶揄するような響きがあった。


「彼岸を分かつ楔はあとひとつ、先代の封印のみ。ボクらは数が満ちるのを待っているだけでいいんだよ?」

「ですが、それでは敗北の可能性を拭えません。彼女さえいなければ、我々の勝利は揺るぎないものになるでしょう」

「……わかった。許す。“彼”も連れて行くといい」


 アルベドとは別の懸念がテスラにもあった。

 妹弟子(ローザ)なら何か手を用意している。テスラは確信に近い想いを抱いていた。

 同じ師の元で学んでいたからこそわかる。この一手で彼女がどこに賭けたのかを見抜けるかもしれない、と期待していた。


「ありがとうございます」

「ちゃんと帰って来るんだよ?」

「微力を尽くします」


 アルベドは深々と頭を下げ、踵を返して神殿を後にした。



「……これで、あとは実行するだけ」


 結晶を敷き詰めた大地を進みながらアルベドはひとりごちた。

 女は嘘を吐いていない。元より古代種は嘘を吐けない。ただ、真意について黙っていただけだ。

 神の封印は危険だ。事によってはテスラごと魔神を封印することも出来るかもしれない。神に選ばれたとはそういうことだ。

 だが、それはそれだ。封印されたなら解けばいいだけ。

 二百年もあればそれが可能であることは、もうまもなく証明されるのだ。


 アルベドが真に危惧したのは、ニグレドを斬った剣であった。


 人間でない故に人間をよく知るアルベドだからこそわかる。かつて抱いた危惧は間違いではなかったのだ。

 あの剣はテスラに――神域に届き得る。

 故に、ここで勝負を賭けなければならない。


(幸い私の“洗脳”は彼の精神性と相性がいい。英霊の段階にある今ならまだ効くでしょう)


 ほくそ笑みつつ、アルベドは神殿の前で剣を振るうガイウスとすれ違う。

 巌のような頑強な全身、触れる者すべてを破壊せんとする絶望的な気配。

 人間であれば誰もが振り向くような美貌をしたアルベドに視線一つも寄越さない無骨さ。

 この男も少しだけ変わった。女は思う。

 目につく魔物を斬り砕き、“場”を整えているのは契約の通りだが、一閃毎にその剣が研ぎ澄まされていくのが傍から見ていてもわかった。

 この数十年停滞していた武神の中の何かにカイ・イズルハという剣は火を着けたのだ。

 それがどちらの側に利する事象なのかはアルベドにも分からない。

 ただ、計画がズレていく予感が危険の兆候である確信だけがあった。



 ◇



 クルスは赤国山脈部にあるドワーフの里を訪れていた。

 遠くに大山脈が見える山間にひっそりと作られた“真なる火”の守人たちの里、この大陸でおそらくは最も優れた鍛冶の業を継ぐ者たちの村である。

 クルスの鎧は此処で幾度の改修を経て、今、遂に鉄人たちの業の終着点へと至っていた。


「これが赤神の鎧……」


 己が纏った純白の装甲にクルスは驚きを浮かべていた。

 気の遠くなるほど鍛たれ、精錬されたのだろう。一切の不純物の混じらない不壊金剛(アダマン)の鎧は思わず溜め息を吐くほどにシミも歪みもない。

 ほぼ一から再設計された騎士の鎧は全身を覆いながらも平服であるかのようにその重さを感じない。

 曲面の多く配された装甲は堅く、それでいてどこか柔らかく感じる。

 着用者の動きを妨げず、それでいて最大限の防御を発揮されるよう組まれた匠の業であった。


「村のみんなで鍛ったの。どうかな、クルス?」

「想像以上だ、ニッキィ。これなら俺も全力で戦える」

「うん!!」


 ドワーフの少女はクルスの応えに嬉しそうに笑った。

 ニッキィという名のその少女はおよそ一年前、谷間に落ちたクルスを見つけた命の恩人だ。

 ドワーフは外見の変化が少なくわかりにくいというが、前に会った時と比べて、少女の褐色の肌が火に焼け、その下にしなやかな筋肉がついているのがクルスにはわかった。鎚と鏨を持つようになっただろう。


「――この娘はいい鍛冶になる。いつかは汝の鎧を鍛つ日が来るかもしれんな」

「長老、この度は無理をきいていただいてありがとうございます」


 盾の最終調整を終えたこの村の長老は生真面目なクルスの応答に相好を崩し、盾を渡した。

 鎧と同じく盾もまた純白のアダマンで構成されていた。

 ゆるい曲面を磨きあげ、鏡の如く輝く盾は構えればまるで腕の一部であるかのように一切の遅滞なくクルスの動きに追随する。

 鎧においては重さを分散させる為に使われた秘技が、盾においては取り回しの妙に注ぎ込まれたのだろう。

 おそらくクルス・F・ヴェルジオンが扱う盾に於いて、これ以上のものは存在しない。そう思えるほどの大業物であった。


「――クルス」

「シオン、皆への挨拶を終わったのか?」


 里に来るなり子供達に引っ張られていったシオンは何故かドワーフ達の纏う織物に着替えさせられていた。色鮮やかで独特な衣装がその抜けるような白い肌を際立たせている。

 いつでも騎士と共にいる妖精はさらに一回り成長していた。クルスの心の変化を受けて成長したのだ。

 今になってようやくクルスは妖精が共にあることの意味を理解した。


「――白い?」


 そんな妖精はクルスの纏う鎧を見てこてんと首を傾げた。

 当然の疑問であろう。ミスリルは銀、アダマンは金の色を持つが、塗装もされていないのにその鎧は純白の輝きを放っているのだ。


「不壊金剛はその性質上、金と結び付きやすい。常の色はその為であろう。

 だが、極限まで精錬し、金すらも不純物として取り除いていけばこうなる。これが本当の不壊金剛であるよ」


 妖精の疑問に長老は相好を崩して微笑んだ。自信に裏打ちされた笑みだ。

 この鎧と盾の一式を鍛える為に里に備蓄されていたアダマンは使いきった。最高の金属を、最高の業で以て鍛えたその涯。年経たドワーフの鍛冶士は確信していた。

 これこそが歴代で最も赤神のそれに、神より伝えられし神の纏った鎧に近付いた逸品だろうと。


 本来、鎧は柔らかい鋼と硬い鋼を部位に合わせて使い分ける。

 その全てを最高の金属(アダマン)で造ったところで、それだけでは決して優れた鎧にはならない。

 故に、業だ。赤神より伝えられ、今に継いできた業だけが完全なる不壊金剛の鎧を打てるのだ。


「伝えるところによれば、赤神様の纏った鎧はその魔力を受けて燃えるような輝きを放ったという。汝がどのような輝きを放つか、この地から楽しみにしている

 ……そして、盾と鎧が神に御業ならば――こちらは我ら人間の結晶とでも言うべきかのう」


 そう言って、長老は一振りの剣をクルスの前に捧げ持った。

 それは装飾のない無垢な直剣であった。

 一切の継ぎ目がなく、刀身から柄まで艶消しされた銀一色、刀身の中ほどに刻まれた、剣を抱いた白鳥を意匠化した紋章。

 細部こそクルスの記憶と違うがそれは紛うことなき“銀剣”、十二使徒の証たる大陸最古の魔導兵器であった。


「これは……?」

「ジン・イズルハの銀剣を汝の為に鍛ち直したものだ。全てはカイ・イズルハの依頼通りに」

「なッ!?」


 クルスは心臓が跳ねるほど驚愕した。

 たしかにカイはこの里に依頼を出していた。難しい依頼だとも言っていた。

 だが、これは……この銀の剣はカイにとって父の形見であった筈だ。


「武器はふさわしい者の手に与えられるべきだ。彼はそれをよくわかっている。

 汝にこそ、この剣は必要なものだ。この剣でなければならないとも言える」

「カイ……」

「人類を率いるのだろう? 貰っておきなされ」

「――――」


 クルスは震える手で銀剣を受け取った。

 騎士に合わせて打ち直したというのは真であろう。柄を握りしめただけでそれがわかる。

 軽く振り抜けば、密やかな刃音と共に銀の軌跡が宙を走る。


「まったく、一言相談してくれればいいものを……」

「言えば、断ったのではないか?」

「だからこそですよ」


 言葉の足りない奴め、そう苦笑しながらもクルスは誇らしく、清々しい気持ちだった。

 ずっと認められていた。カイはずっと此方を見ていたのだ。


「――調子は良さそうだな、二代目本部長」


 そのとき、感動にうち震えるクルスの背にぞっとするほど冷たい声が投げかけられた。

 慌てて振り向けば、この場には不釣り合いなほどに両頬を吊り上げた笑みを浮かべるベガ・ダイシーが佇んでいた。

 クルスの脳裡に疑問がよぎった。ベガが来た方向には赤神の聖地たる“真なる火”を祀った鍛冶場しかないからだ。この男に聖地に参る程の信仰心があるとはとてもではないが思えなかった。


「良い盾と鎧、それに剣だ。準備は済んだようだな」

「……お陰さまで」


 この男はどこまで予測していたのか。一礼しつつもクルスは訝しみ、しかし、心中でかぶりを振った。

 否、そうではない。それはこの男の評価を貶める見方だ。

 この男は機会を逃さなかったのだ。たった一回、クルス達に出会ったその一回を逃さず己の盤上に引き込み、この舞台に立たせてみせたのだ。

 おそらく、この男こそ人間の持つ可能性に対して最も真摯に向き合っている一人だ。

 そうでなければ、ここまでの用意周到さと立ち回りが説明出来ない。


「支部長は、何故こちらに?」

「オレだって神に祈ることはあるさ」

「……」


 とはいえ、その言葉は流石に信じられなかった。

 大陸全体を戦争に巻き込んだ今、支部長のひとりであるベガに呑気に隠れ里にやって来る時間はないのだ。


「クク、冗談だ。特に隠すことでもない。勝率を上げる為の手立てだ」

「勝率?」

「型に嵌ったら教えてやる。この大陸の神は、どれだけ薄まっても神ということだ」


 クルスの問いをはぐらしつつ、ベガはさっさと歩きだした。

 そのまま数歩進んだところで振り返り、未だ困惑の中に佇むクルスに笑いかけた。

 背筋の寒くなるような捕食者の笑みであった。


「そろそろ学園に戻るぞ。いい加減、戦乱の導が仕掛けてくる頃だ」

「ッ!?」


 その言葉が正しいことは、数分後、慌てて転移してきたソフィアによって証明された。



 ◇



 その日、白薔薇を象ったルベリア学園の正門が崩壊した。


 紫電を纏う巨大な針が創設以来一度として破られたことのない守りを一撃で砕き、貫いた。

 門衛も、天幕を張って休息していた兵士たちも反応すらできなかった。


 それを成したのは転移によって出現した山の如き威容の大蠍であった。

 数キロ離れた学園からでもその全身が視界に入りきらない程の巨体。

 黒鉄の如き甲殻に呪いの影を明滅させる現存する数少ない精霊級の魔物。


 ――砂漠の聖獣“熱砂の四刃”(ゼフィクト・ガズル)


 大砂漠で数千年を沈黙と共に生きていた聖獣の襲撃に学園は大いに混乱した。

 あまりに予想外の事態に誰も大蠍の上に乗ったアルベドには気付かなかった。


 大蠍の胴体上はそこだけ見れば磨かれた床のようであった。

 女は奇襲の成功を確信し、甲殻上で指揮者の如く腕を振るう。

 応じて、大蠍の背後に開いた底も見通せない程の大穴から無数の魔物が飛び出す。

 夥しい数の魔物はアルベドの指示に従い、女の発する黒い霧と共に広大な学園の敷地を包囲していく。


 大穴の底では暗黒地帯と繋がった転移陣が起動している。

 千年をかけて各地に仕込んだ、呪術を利用した転移陣である。

 地下深くに生贄(ウィザード)の血で描き、念入りに偽装を施したそれは存在を知らなければアルベドですら感知することはできないであろう。


「ニグレドの置き土産も役立つものですね」


 アルベドは艶然と笑う。今は亡き同族の神経質すぎる手管は彼女も信頼していた。

 そして、呪術士と同等の能力を持つ己の技量もまた彼女の恃みとするところであった。

 囮の洗脳兵は囮以上の役目を果たせなかったが、“本命”は今日までその存在を隠し通せた。

 つまりは鳥、あるいは鼠。人界のどこにでもいて、どこにいても違和感のない小動物たちもアルベドの“洗脳”の範疇である。

 無論、それらを操ったところでカイ達には何の痛痒も与えられないどころか、洗脳の存在に気付かれる危険しかなかったが、それも今日までのこと。


 今日を凌がれれば、後は決戦しかないのだ。


「さあ、来なさい、カイ・イズルハ。今そこに居る中では貴方しかこの子を倒せませんよ?」


 女は小動物達の視覚聴覚を通じて学園に残っている戦力を把握していた。

 学長ローザが大陸中からかき集めた教官という規格外戦力も今、暗黒地帯の探索に振り分けられている。彼らならば戦乱の導でも見つけられなかった“王墓”を見つけられるかもしれない。

 しかし、それは同時に学園の防備が手薄になる諸刃の剣だ。


 今、大陸各所で学園と同様に転移陣による奇襲を仕掛けている。

 大蠍のような規格外が先行しなければ地下から地上へと穴をあけるまでにいくらか目減りするだろうが、アルベドが手ずから扇動した魔物たちは十二分に暴れるだろう。

 それだけでも戦力を分散させるという目的は果たせる。

 なにせ彼らはあとどれだけ転移陣が残っているかわからないのだ。

 痕跡を解析すれば、それらが一度しか、しかも同時に全てを起動しなければならないことに気付くだろうが、解析が完了する頃には既に大陸は沈んでいる。


「さあ、早く来ないと貴方の御学友は全滅してしまいますよ?」


 千年の時を賭けた奇襲は成功した。あとは仕上げだけ。

 アルベドは戦意を笑みに滲ませつつ、混乱が静まる前に次手を打つ。

 直後、女の頭上を大穴から飛び出した複数の影が翼を羽ばたかせて通り過ぎる。

 それは人間にはできず、魔物にのみ可能な戦術。


 ――すなわち、“空襲”である。



 ◇



 学園の空を無数の魔物が“占拠”する。

 彼らが主力とするのは亜竜、ワイバーンである。

 その顎門から放たれるブレスは何の対策もしていなければ学園の実力者でも焼き殺すだけの威力と高熱を秘めている。

 そのワイバーンが五十体。比較的希少な種である亜竜が群れをなして襲いかかってくるなど人類史上初めての事である。


 初めに襲われたのは城に迫る高さを持つ四つの塔であった。

 正門と並ぶ学園の象徴が容赦なくブレスの直撃を受ける。

 驚くべきことに四つの塔はワイバーンの高熱のブレスに耐えた。大陸最高峰とすら謳われる魔法と錬金の技術の冴えである。


 しかし、塔にかけられた防護魔法がブレスを防ぐとみると、ワイバーン達は蜻蛉を切って自壊も恐れずその全身をぶつけた。

 大人二十人分にも達する大質量を高速でぶつけられれば、さしもの塔も耐えきれない。

 百年の栄華を誇った塔は儚く砕け散り、直後、ゼフィクト・ガズルがその尾から放った二射目の巨針が更に二つの塔を貫いて破壊した。



 塔は壊れるだけでは終わらない。数階分の高さを落ちる瓦礫が呆然と見上げていた地上の学生達へと降り注ぐ。

 咄嗟に彼らを庇って落ちてくる瓦礫を己の大剣で防ぎ、時に砕きながらアンジールは声を張り上げた。


「戦える奴は六人組作れ!! 作った奴から正門前へ集合!! とにかく魔物共を押し留めるぞ!!」

「正門って、あっちにはデカブツがいるんだぞ!?」

「あのクソデカイ蠍野郎はこっちでなんとかする!! どうせ塔まで届く射程があるんだ。どこにいたって変わりゃあしねえぞ!!」

「クソッ!!」


 毒づきたいのはこっちの方だ、と思いつつも正門へと駆けて行く同級生の背中をアンジールは黙って見送った。無駄口を叩いている場合ではないのだ。

 今、青年は自らのギルド『アイゼンブルート』の他に五百人近い学生を指揮していた。それはメリルの補佐があっても己の処理能力の限界を超えている人数だ。


(正門の指揮にユキカゼを割いたのが響いたな……)


 ルベリア学園は冒険者を育成するという性質上、状況戦に強い。予想外の奇襲に対しても個々での反撃は成立しているのがその証だ。

 他方、数十人規模以上での“戦争”の経験は少ない。経験がある者でも昨年の防衛戦争に参加した一度程度だ。兎に角、指揮する人員が足りていない。


「非戦闘員の避難は終わったか、メリル!?」

「終わりました。けど、あの針が飛んできたら……」

「わかってる!!」


 全周囲から襲いかかってくる魔物とそれに対応する学生達に指示を出す為、アンジールはメリルと背中合わせに構える。

 少女はどこから拾ってきたのか、ローブ姿に似合わぬ大盾を振り回して随分と頼もしい姿を見せている。

 とはいえ、ただでさえここ数日は襲撃が連続していたというのに、今回の奇襲で気力は絞り尽くされたと言っていい。お互い、大声を出し続けて喉も嗄れかけている。


『――グゥオオオオオオアアアアアッ!!』

「また来るぞ!! 頭下げろ!!」


 なにより、頭を押さえてくるワイバーンの群れが厄介に過ぎた。

 強烈なブレスによって既に幾人もの負傷者が出ている。

 そのくせ、亜竜たちは地上に降りてこようとせず、常にこちらの魔法や矢弾の射程外を維持しており、一方的に被害が蓄積していた。断続的に放たれるブレスのせいで負傷者を下げることすらできていない。


(魔物に間合いが見切られてる? んな訳ねえだろうけど……)


 ワイバーンはブレスだけでなく飛行にも魔力を消費する魔物であり、自然、遠距離戦を続ければ短時間で魔力が枯渇する。

 通常のワイバーンならそろそろ地上に降りてきてもいい頃だ。


 しかし、アンジールは知らない。

 アルベドによって扇動された魔物は自らの命を削って限界以上の性能を発揮している。

 距離が近ければ、ワイバーンが自らのブレスによって己が牙を溶かしていることに気付いただろう。防御に割く魔力を削って攻撃と飛行に転化しているのだ。


 そして、ワイバーンを支配するアルベドが、人間という『群れ』の急所を突くことに秀でた古代種が、学生達を指揮するアンジールに気付くのは当然であった。

 次の瞬間、突如として全てのワイバーンが地上のアンジールに首を向けた。

 それら全ての口内からは高熱の息吹が漏れ出ている。


「ッ!?」

「リーダー!!」


 刹那、数瞬後の死を直感して僅かに硬直したアンジールをメリルが突き飛ばした。

 獣人(セリアン)の反射神経のなせる技であろう。結果として、アンジールは致死圏から逃れられた。

 しかし、反射による動作を仲間を逃がすことに費やしたメリルは未だブレスの範囲に取り残されている。


「メリ――」


 続く言葉は灼熱の業火に焼き尽くされ――


「――障壁、展開」


 業火は空中に張り巡らされた白銀の障壁によって遮断された。


 皆が唖然として硬直する中、不落の城砦を思わせる重厚な輝きが噴きつけられた炎を掻き消す。

 その中心には白銀の鎧を纏う男がいた。

 呆けたように見上げるメリルを片手に抱きとめ、残る片手で頭上に盾を掲げる姿は勇壮で、その場にいた者たちは一瞬、此処が戦場であることを忘れて見入った。

 それほどに騎士の姿は美しく、いっそ奇跡的ですらあった。


「……クルス、さん?」


 間近で顔を見上げながらもメリルは確信が持てなかった。

 それほどに騎士は違っていた。

 たしかに纏う鎧も、盾も違う。しかし、なによりも違うのはその裡から溢れんばかりの輝きであろう。


 ――“英雄”


 実力としてのそれではなく、在り方としてのそれを少女は青年の中にみた気がした。

 強烈な敬意と憧憬と、遠くへいってしまった想い人へのほんの少しの悲哀がその胸中を占める。


「すまない。遅くなった」


 ただ、その生真面目な言葉は以前と変わらなかった。

 そのことが涙ぐむ程に少女は嬉しかった。


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