4話:カイとクルス
才能とは何か。
それはカイが幼い頃から問い続けてきた原初の問いだった。
戦う為の才能とは何か。
それを強烈に欲していた時もあった。己にはないものだったからだ。
カイ・イズルハはサムライである。
しかし、正式な契約によるものではない。五歳の時、拠点に押し入って来た強盗を殺した際に気付けば契約を受けていた。
与えられた加護は“クサナギ”、東方における神剣の加護。
万物に干渉する魔導の神である黒神の理が別大陸で精霊信仰によって拡張されたことで生まれたものだ。
燃える草を薙ぐ剣。実際に信仰されている土地ならばまた別だろうが、この大陸では信仰に左右されない基本的な権能しかない。
それでも、己の長所によく合致した加護であるとカイも思う。
だが、同時にこの加護はカイに冷酷なまでに現実を突きつけていた。
すなわち、カイは、黒神自体からの加護を受けられる器ではなかったという事。
わざわざ海の向こうの加護を引っ張ってこなければ契約を結ぶことさえできない。それを神のお墨付きで証明されたのだ。
その事実に気付いた時は流石のカイも発狂しかけた。記憶が正しければ九歳の頃だ。
努力を登山に喩えるならば、才能とは飛翔だといえる。
加護は決して契約者に新たな力を与えはしない。可能性という翼を広げる後押しに過ぎない。
強い加護を得ることは、それを使いこなせるだけの素養が、生まれついての翼があることの証だ。
才能の差は鍛錬の中で明確に浮き彫りになっていった。
十歳に満たない後輩が一週間でできたことに一月かかる自分。
優れているとはいえない身体能力、雀の涙ほどしかない魔力、いっそ笑えるほどに欠乏している感応力、十を聞いて一しか得られぬ愚鈍な脳味噌。
悲しい程に、カイ・イズルハは凡才であった。
だが、幸いと云うべきか、才能がない故にごく初期の段階でカイの剣の方向性は固まった。
すなわち“相殺”の剣。己の命を捨てて、相手の命に致命の刃を届かせる必斬の剣。
言い換えるなら、“格上殺し”の剣である。
他の十二使徒に並ぶ為には、彼らをいつか斬る為にはカイにはそれ以外の道はなかった。
方向性が固まったならば、技もまたそれに追随する。
確実に先手を取り、得物を抜かせない。よしんば抜かせても、高い敏捷性で己の間合いに強引に持ちこむ。
そのまま相手が前に出れば足を削ぎ、下がれば突き殺し、振りかぶれば腕を断ち、隙があれば頸を落とす。
それでも殺せぬならば、諸共に一刀両断する。あるいは、消滅するまで斬り刻む。
その偏執的なまでの格上殺しの手管こそがカイの追求したものであり、使徒殺しとして求められたモノである。
それは、ある意味で“武”の結晶である。
才能が無ければ修められない武術は厳密には武術ではない。
修練の多寡こそあれ、誰でも修められるからこその武術なのだ。
唯一無二の絶対を持つ天才を、誰でも身に付けられる術理で打倒する。
理解を超えた妙技を、鍛え抜いた絶技で打ち砕く。
言葉にすれば陳腐なそんな理念こそがカイの骨子となった。
あとは、折れない心と肉体を削りながら積み上げた鍛錬が師達との錬度の差を埋めた。
結果、生まれたのが最高速度の相討ちの剣である。
そして、今、格上殺しの剣は神殺しの剣へと位階を上げようとしている。
万の死線が、億の鍛錬が、翼を持たぬひとりの男に刃金の翼を与えたのだ。
鋼鉄の翼は飛翔しない。ただ、ひたすらに駆けるのみ。
しかし、殊、ここに至ってカイもまた武術の螺旋に囚われた。
すなわち、格上殺しの剣に対する対抗存在。
あらゆる攻撃を凌ぎ、防ぎ、全てを守らんとする最善の武。
その名をクルス・F・ヴェルジオンという。
生まれも違う。生き方も違う。才能の有無も、辿って来た人生も違う。
それでも、二人の間には、たったひとつだけ同じものがあった。
◇
初手はいつも通り、カイの踏み込みであった。
おぞましいほど美しい弧を描く銀剣が音に迫る速度でクルスの首を刈り取る――その直前、跳ね上がった盾が轟然と斬撃を受け止めた。
生まれた衝撃が互いの髪をかき乱す。
術も何もない打ち合いだが、余人が見れば絶句する光景だろう。
並の英雄級ではカイの動きを捉えることはできないし、数倍の速度差がありながらこれを受け止めたクルスを理解することもできないだろう。
障壁の反応速度を超える神速の剣を当然のように受け止めるクルスの武は、決して天性の才だけでは築けないものだ。
共に戦い、憧れ、ずっと侍の背を見て歩んできたのだ。その道のりは決して騎士を裏切らない。
だが、カイはその程度は当然とばかりに更に深く踏み込み、一瞬でクルスの背後に回り、足を削ぐように剣を薙いだ。
互いの背が触れる至近距離から全身の回転を加えて地を這う剣撃が奔る。
クルスは咄嗟に障壁杭を地面に付き刺して跳ぶ。銀剣が杭を断ち割る。
直後、落下の勢いを加えて打ち下ろされた盾を、カイは刀身を返し、逆風に振り上げた一刀で迎撃した。
再度の衝撃が二人の間で弾ける。
ぶわりと吹き荒れた風に押されて互いの間合いが離れ、クルスが着地する――より尚早く、カイは三度目の踏み込みを駆けていた。
出し惜しみはない。“刃金の翼”、加速し続ける魂に従い、カイは先手を取り続ける。
「反応が遅いぞ、クルス」
「まだだ!! ――チェック、“バックランク”!!」
騎士は詠唱と共に魔力を放出、前面に頂点を重ねた鈍色の障壁を四枚形成し、四角錐を生み出す。
両の足裏には踏み切り台としての小型障壁杭を形成し、勢いよく空を穿つ。
次の瞬間、巨大な衝角と化したその身が空中からカイに向けて射出された。
踏み込んだ直後を狙った重突撃、回避するには間合いが近過ぎる。
だが、だからといって喰らってやる義理もない。
カイは構えた銀剣で迫る突撃の穂先に柔らかに触れる。次いで、刀身全体を沿えるようにして受け流した。
断続的に火花が散り、劈くように金属音が鳴り響き――直後、クルスが障壁を解除した。
「ッ!!」
目の前で散華するように広がった四枚の障壁に一瞬、騎士の姿を見失う。
だが、既に生体感覚を捨てて戦闘に特化したカイに目晦ましの効果は薄い。
嗅覚が殺気を捉え、聴覚が空気の流れを知覚する。
右。間をおかずに射出された障壁杭を潜るように躱して突っ込む。
迎撃に放たれた抜き打ちの剣線に銀剣の切っ先を触れさせて巻き上げる。
弾かれるようにクルスの手から剣が飛んだ。
「――展開!!」
その一瞬に、檻のように内向きの障壁が複数展開し、カイを閉じ込めた。
さしものカイもこれには足を止めざるを得なかった。
障壁の複数展開と遠隔展開。
己の想像力のままに障壁を操る騎士の秘奥――秘匿技術“心鎧”の妙技だ。
おそらくクルスはこれが心鎧であることを知らない。自らの能力を突き詰めていけばこうなるのだと理解しただけなのだろう。
いつの間に、という気持ちと、やはり、という気持ちがカイの心中に混在する。
戦いの中でクルスは成長している。カイが血反吐を吐きながら身に付けた場所まで飛ぶように近付いている。それは厳然たる才能の差だ。
悔しさはある。だが――だが、カイとてこの程度で負けてやるつもりはない。
実力は未だ此方が大きく水をあけている。まだやれる。
周囲を囲む障壁を叩き斬り、更に速度を上げる。無間絶影による二段階加速が地に焼け焦げた轍を残しながら駆ける。
「――いくぞッ!!」
カイは吼える。負けないと、己はこんなものではないと、魂の底から咆哮する。
己の全身を速度に乗せて、侍は騎士に真っ向からぶつかっていった。
◇
「――グッ!!」
数えるのも忘れるほど吹き飛ばされながら、クルスは必死に障壁の展開を続けていた。
加速への妨害に遠隔展開している障壁は正しく騎士の生命線だ。
障壁が反応するよりも早く斬ることのできるカイであっても、さすがに障壁をすり抜けて動くことはできない――現在の速度では、だが。
“刃金の翼”、相対して初めてその真価をクルスは実感した。
とにかく速い。五歩を加速に使わせれば、途端に音を超える。
そして、その神速が余すところなく斬撃となって襲いかかってくる。
速度はクルスが切り捨てた部分だ。仲間を守る盾として、砦として地に足を付けた騎士にはないものだ。
(だが、これほどに厄介なものだったとは――)
ここまでクルスが持ちこたえているのも、偏にカイの癖を知悉しているからに過ぎない。
カイに少しでも別の才能が、剣以外の攻撃手段があったのなら、クルスは為す術なく負けていただろう。
採り得る戦術の狭さ。それはカイが切り捨てた部分であり、クルスが勝っている部分だ。
(それでも、現状は大幅に不利か)
恐怖と歓喜で叫びだしそうな心を抑えて、クルスは努めて冷静にカイを分析する。
カイの戦術は一貫している。踏み込んで斬る。それだけだ。
だが、極限の単純さ故に隙もまた少ない。加速し続けるという加護と先手を取り続けるという戦術が完璧に噛み合っている。
英霊としての魂の名が、己による己の為だけの加護である以上、その一致は当然だが、それにしてもこれは酷いのではないか、とクルスは思う。
常に最高速度を突破し続けるカイは、おそらくどの瞬間でも“アメノハバキリ”を放てる。
クルスが一度でも障壁の展開をしくじれば、確実にあの必斬の一刀が飛んで来るだろう。
そして、全てを取り戻したカイが反動で腕を折ることもない。手数は無限に等しい。
(――強い。芯の通った強さだ)
荒唐無稽に見えて、その実、忠実すぎるほど基本に忠実で、見事なまでに型に嵌まっている。クルスの目にはカイの剣がそう映った。
才能に依拠した妙技ではない。ただひたすらに練り上げた絶技だ。
呼気のひとつ、剣の振りひとつに凄まじい修練が窺える。
五歳で契約したカイは今年で二十五歳になる筈だ。一方のクルスは二十歳になる。
同じ二十年という時間だが、その中身はまったく異なる。
クルスが悩み、休み、眠っていた時も、カイは一瞬も止まることなく鍛錬を積み重ねていたのだ。
今、クルスが追い込まれているのはその差の故だった。
(勝てるのか、俺は?)
戦闘中にもかかわらず、そんな問いが脳裡をよぎる。
即座に斬って捨てる。ハナから勝てるとは思っていない。
重要なのは負けないこと。これからも対等である為に、己の全てをぶつけることだ。
(――ああ、そうか)
クルスの心にすとんと納得が下りてきた。
対等でありたいのだ、自分は。カイという存在とただ対等でありたいだけなのだ。
カイは大陸中の人を斬れると言った。
それはひとつの愛の形だ。そこに秘められた覚悟は決して生易しいものではない。
カイは、誰であっても、何が相手でも、先陣を切ると。どんな手を使ってでも斬ると。その決意を示したのだ。
その結果、神殺しにすら届かんとしているのだから頑固にも程がある。
だからこそ、心が震える。歓喜が湧いてくる。
それは、その誓いは――自分の目指す場所と同じではないか。
誰であっても、何が相手でも、必ず守る。己の誓いが嘘でないなら――
思わず、クルスの口元から笑みが零れた。今ならわかる。
「俺達は違う道を登り、同じ頂きを目指していたのだな、カイ!!」
「何を今更。だが、目は醒めたようだな」
「ああ!!」
そして、斬りこまれる一刀を遂にクルスの展開した障壁が防ぎきった。
障壁の反応速度を超えるカイの剣を、その刃が障壁に触れるほんの僅か、“清浄”に満たない間を見切って自ら反応させたのだ。
「視えたのか」
「ああ、追いついたぞ、カイ!!」
「そうか……そうだな」
やはり目がいい。カイは思う。それはクルスの天性の素質であり、同時にこれまで一度たりとも目を逸らさず戦い続けた経験の結実だ。
驚くことなど何もない。騎士の目はあの武神――ガイウスの剣さえ捉えていたのだから。
「……はは」
思わず、笑みが零れる。
果たして、この大陸に今の自分の剣を防げる者がどれだけいるのか。あるいは、指二本で足りるかもしれない。
だからこそ、心が躍る。何もかもを捨てて此処まで辿り着いても尚、自分は独りではないのだ。
「……俺も」
だからこそ、見せねばならない。
何もかもを捨てて辿り着いた英霊の力、人間の涯の力を。
「俺も全力でお前に挑もう、クルス・F・ヴェルジオン」
抜いたのなら、斬る。本気ならば止まれない。
英霊であるが故に、この身は刃金の翼であるが故に。
「銀剣の使い方をみせてやる。一度しかできない。よくみておけ」
そして、この相手になら全力で向かっても大丈夫だと信頼しているが故に――。
「――真に輝け、至高なりし、白銀剣」
詠唱に応じて、カイの残り少ない魔力を喰らって銀剣がミスリルの刃殻を外す。
その中から向こう側が透けるほどに高純度の至高白銀の刃が現出し、注ぎ込まれる魔力を受けて形を変える。
強度に於いてはアダマンに遅れを取るオリハルコンが至高の名を冠する理由がこれだ。
使用者の魔力を食らって自己を最適な形に変え、あらゆる魔を祓う破魔の白銀。
その特性を余すことなく殺傷能力に変えた最古の魔導兵器。それが銀剣である。
そうして、生まれるは緩く湾曲した片刃刀。
かつての愛刀に似た、カイが最も得意とするカタチ。侍の魂が望んだカタチ。
悼む様な、誇るようなカイの表情をみて、クルスもまた同じ気持ちを抱いた。
「――吹き荒べ、天ツ風」
「――展開ッ!!」
風が吹く。カイのもうひとつの心技の発動を感じとり、クルスは無数の障壁を展開する。
騎士も話には聞いているが、見るのは初めてだ。
“アメノムラクモ”、剣の重さすら断った神速にして防御不可能の連続剣。
戦術もなしに受けきることはできない。クルスは刹那の間に最高速度で思考を回す。
カイ・イズルハは強い。神域に指をかけた強さをもつ英霊だ。
クルスはまずそれを認めた。そして考える。
だが、それでも、カイの強さは決して覆せない強さではない。
刃金の翼、加速し続ける権能、その加速を足引かんとする全てから解き放たれる絶人の加護。
しかし、それは最高速度を無限に高めてはいても、加速力そのものを高めているものではない。
カイが叩き出す加速力はあくまでその技量と魔力、そして身体能力によるものだ。
それはギリギリのところでクルスでも理解できる人間の範疇である。
刃金の翼の権能についてはこの際置いておく。
物が下に落ちるように“そう在れかし”と定められた法をどうこう言っても無駄だ。
それはそういうものとして受け入れ、勝負すべきところで勝負する。
人間と人間の勝負なら、クルスにもまだ勝機はある。
「――散れッ!!」
騎士は覚悟を決めて、展開した無数の障壁を辺り一面に突き立てた。
その数――百余。突進するカイがクルスに至るまでにどこを通っても四十は斬り捨てねばならないだろう。
限界を超えた並列制御に脳髄が沸騰するが、気合で堪えてクルスはカイを睨む。
さあ、どうする、と視線で問う。無論、答えは聞くまでもなく明らかだ。
「――ッ!!」
直後、斬風を感じた時には既に二十の障壁が斬られた。
予測するとか、見切るなどと云う域の話ではない。クルスには二十の障壁が同時に斬られたようにしか感じられなかった。
新たに障壁を生み出す余力はない。微かに視界に映った黒い影を頼りに障壁の位置を変え、陣容を整える。
次は三十の障壁が斬られた。
これで約半分。互いの距離はあと三歩。
障壁を反応させるのは無意味だ。真の刃を顕現させた銀剣は魔力を祓う。障壁は触れれば斬られるしかない。
次の瞬間に四十が斬られた。
間合いが狭まり障壁が密集した分、銀剣が届く数も増えている。
(あと、二歩――!!)
残る障壁の全てを互いの間にねじ込んだ直後、その全てが斬り飛ばされた。
意識のみが辛うじて追随できる超高速の世界でクルスはそれを認識した。
これで互いの距離はあと一歩。
そして、カイが躊躇なくその一歩を踏み込む――瞬間にクルスは盾を手放した。
刹那に突き立った翼刃が空中の盾を八つ裂きにする。
「ッ!?」
騎士たるクルスが、盾を捨てた。己の恃みとする得物を手放す慮外。
それはカイをして予想外の一手だった。
刹那にも満たぬ驚愕、生まれた隙に騎士は零距離に踏み込む。振り抜かんとする右手には小さな障壁が展開している。
カイが剣を振り抜いた直後、驚愕に思考が凍った一瞬に差しこまれた完璧なカウンター。
侍もまた理解した。迎撃は間に合わない。体は心技の反動から戻りきっていない。
「――ガァアアアアアッ!!」
それがどうした。
やるべきことは変わらない。己は相殺の剣。相討ちは望むところ。
全身の筋肉を断裂させながら、振り抜いた剣を強引に切り返し、横薙ぎに振り抜く。
刹那、衝撃が二人の間を交差した。
銀剣が燐光を曳いて吹き飛び、突き出したクルスの右腕も障壁ごと断たれて鮮血を散らす。
これで互いに得物を失った。引き分けか、と常なら言いだす所だろう。
「――シッ!!」
故に、カイは貫手で以て戦闘続行を示した。
騎士の脇腹を抉る一撃。内臓に届いた感触が手に返る。
応じるように、負傷を無視してクルスが血みどろの右腕で殴り返した。
頬に衝撃。体が流れ、視線が切れる。
次の瞬間、クルスの組んだ両手が背中に打ち下ろされた。
みしりと背筋が軋む。が、衝撃を受け流すように自ら地に沈みつつ、足払いをかける。
倒れこむクルスはしかし、しっかりと膝を落としてきた。いつもなら決してやらないなりふり構わない戦い方だ。
カイは転がって避けつつ、口元をゆがませ、クルスも応じるように歯を剥いた。
「お前は苦しい時、吼えるのだったな、カイ!!」
「そういうお前は歯を食いしばるか、クルス!!」
言葉と同時に放たれた互いの拳が、互いの頬を殴り飛ばした。
殴り、殴り返し、ふらつきながらも視線を合わせ続ける。
あとはもう泥試合だった。
そうして、半刻ほど殴り合っていだろうか。
互いに限界はとうに超えていた。胸ぐらを掴んで支え合わなければ立っていることさえ出来ない。
それでも、攻守もなく、ただひたすらに相手を殴り続けていた。
「いつもお前は言葉が足りんのだ、カイ!! この朴念仁が!!」
「貴様に言われる筋合いはない、石頭!!」
「誰が石頭だッ!!」
言葉通りに硬い頭突きを叩き込まれた。
カイの目の前に火花が散る。だが、負けない。全身を反らせるようにして渾身の頭突きを返す。
額が割れ、血飛沫と共に脳髄に響く快音がぐわんと響いた。
「石頭が気に召さんのなら頑固者だ!! 皆から好き勝手に荷を押し付けられて諸共に潰れる気か!!」
「それが義務だ!! お前こそ魔神を斬るなどと無茶を言って、残される者の気持ちが分かるか!?」
胸倉を掴み、掴まれたまま殴られる。だが、それ以上に言葉が胸に突き刺さる。
カイは後ろを振り返ったことはなかった。残される者を省みたことがなかった。足が鈍るとわかっていたからだ。
それを後悔する気持ちはない。そんなものは斬り捨てた。そうしなければ――
「――そうしなければソフィアが喪われる!!
二十歳にも満たぬ女に、血を分けた妹に全てを背負わせるのが貴様の道か!?」
それでも今、足を鈍らせる訳にはいかないと、拳と共に言葉を叩きつける。
だが、クルスの視線は揺らがなかった。強い光を湛える蒼い瞳で真っ直ぐにカイを見据えていた。
「だからお前も一緒に死地に赴くと? お前を犠牲にしろと!? それでは何も変わらないだろう!!」
「さっきまで腐っていた奴が偉そうに!!」
「それでも!!」
再び殴られる。
この野郎、と半ば怒りのままに殴り返そうとしたカイの腕が、ふと止まった。
「どうして!!」
殴られる。クルスは涙を流しながら拳を叩きつけていた。
「どうして――共に行こうと言ってくれないのだ!!」
殴る――力は互いにもうなく、突き出された拳はコツンと小さな音を立てて胸に触れただけだった。
最後の一撃に押されるように、二人して草原に倒れ込んだ。
呼吸は荒く、もう指一本動かす気になれなかった。
「……クルス、お前が守るべきは俺達だけではない。そこに優先順位はないのだろう? 俺はお前の道の障害にはなりたくない」
「それはお前達を守らない理由にはならない」
間髪入れずに返された言葉に、カイは何も言い返せなかった。
「守らせてくれ、カイ。共に行かせてくれ。喪わないでくれ。俺はお前達がいないと駄目だ」
「情けない言い草だな、リーダー」
「……」
「だが、俺もそうだ。俺とソフィアだけでは魔神の御座まで辿り着けるか怪しい。戦乱の導もどう動くかわからない。不安なことばかりだ」
互いに空を見上げている今なら表情はみられないだろう。
カイは相貌に照れくさそうに苦笑を刻んだ。
「何より、俺は己の命を守らない。お前がいないとすぐ死んでしまいそうだ」
「……馬鹿者。もっと自分を大事にしろ」
「お前はもっと周りを頼れ。此方ほど身軽ではないのだから」
「わかっている。意固地になっていただけだ。もう、大丈夫だ」
息も多少は整い、上半身を起き上がらせる程度の気力は回復した。
そうして、顔を見合わせれば、互いの首の上には原形を留めない奇怪な物体が載っていた。
「ひどい顔だな、カイ」
「そちらもな」
「そうか? 中々のものだろう?」
「……そうだな。自慢の、仲間の顔だ」
笑い合い、そして、二人はどちらともなく拳を掲げた。
「――勝つぞ、カイ。俺達ならきっとやれる」
「――ああ、勝つぞ、クルス、我が主」
合わせた拳が熱を持つ。
全てを絞り尽くした虚脱感と、欠けていたものがようやく揃った達成感に、二人は暫くそうしていた。
決着を見届けたソフィアに泣かれ、イリスに叱られるまでそうしていた。