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刃金の翼  作者: 山彦八里
最終章:魔神争乱
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3話:陣列皇帝

 どこに連れていかれるのかと戦々恐々としていたクルスは正門前の天幕の立ち並ぶ区域に案内されて密かに安堵の息を吐いた。

 おそらくは暗黒地帯から補給地点たる学園に帰還した直後なのだろう。

 天幕の周りには大量の負傷兵が寝かされて、走り回るクレリックたちによって順に治療を施されていた。


 そのなかでもひと際大きな天幕へとアンジールは足を向けている。

 話は通してあるのだろう。入口前に立っている門衛もアンジールの顔を見ると何も言わず槍を引いた。

 警備が緩い訳ではない。アンジール――ギルド“アイゼンブルート”のリーダーというのはそれだけ知名度があるのだろう。

 赤国国軍に於いてアイゼンブルートの名前は無視できない影響力がある。皇帝の近衛の中にもギルドの卒業者がいる程だ。


「失礼します。クルス・F・ヴェルジオンをお連れしました」


 赤い絨毯が引かれ、広々とした天幕内にアンジールのよく通る声が響く。

 行軍用故か、天幕内に調度品は置かれず、代わりに近衛と思しき幾人もの猛者が控えていた。

 実力は自分と同等かやや劣る程度。連携されては勝ち目がない。警戒心からよぎる思考を胸中に留めつつクルスは中央に居る大男へと視線を向けた。

 視線に気づいたのか、大男が振り向く。


「防衛戦争以来だな、クルス・F・ヴェルジオン。

 ……尤も、こうして直接顔を合わせるのは初めてだがな」


 それは獅子のような偉丈夫であった。

 燃えるような豊かな赤髪、その場に居るだけで重圧さえ感じられる存在感。鍛え上げられた体躯とそれを覆う見事な不壊金剛の鎧。

 行軍直後を思わせる土埃に汚れた鎧でも、男の持つ獰猛な気配は一切損なわれていない。

 むしろ戦いの中でこそ己が性は輝くのだと、そう宣言しているような強い戦いの匂いを漂わせている。

 男の名はレーヴェンリッヒ二世、“陣列皇帝”とあだ名される赤国の最高権力者である。


「慌ただしくてすまん。此方も立て込んでいてな」

「い、いえ……」

「早速だが本題に入ろう」


 気押されるような威圧感に反射的に踏ん張ったせいでクルスは膝をつくタイミングを逸してしまった。

 が、皇帝はクルスの不敬を咎めることなく、言葉を続けて放った。


「緊急事態だ。暗黒地帯には今、膨大な数の魔物が集結している」

「……あの一帯は常に魔物で溢れているのでは?」

「それを勘案しても尋常でない数だ。聞いて驚け、確認した限りでざっと数百万はいる」

「………………は?」


 思わずクルスは素で訊き返していた。今度こそ不敬罪と取られても仕方のない応答であろう。

 だが、騎士の間の抜けた表情に悪戯が成功した子供のように皇帝はにやりと笑った。

 周りの近衛も咎める様子を見せないことからこれが皇帝の日常であることが窺えた。


「虚偽や誤報ではないぞ。この目で確認してきたからな」


 爛々と輝く己の目を指さして皇帝は断言する。

 陣列皇帝の名は伊達ではない。この皇帝は城にいる時よりも前線にいる時の方が生き生きとしている戦乱の寵児なのだ。


「戦乱の導も戦争と言うものをよくわかっている。何を於いても戦争は数だ。

 それも人間より強大な魔物を兵士と出来るのならば言うことはない。まったくもって人類の存亡の危機で――」

「陛下」


 横に侍る副官からの諫言に皇帝は一旦言葉を切って鼻を鳴らした。


「敵に対する正当な評価ではないか。まったく頭の堅い者たちよ。そうは思わぬか、クルス?」

「いえ、その……それで、どうして自分が呼ばれたのですか?」


 皇帝の纏う空気に呑まれているのを自覚し、クルスはひとまず話を本題に戻そうとした。

 魔物の集結というのは非常に重要で、かつ、俄かには信じがたい情報だが、皇帝陛下が直々に教える意味がある事ではない。

 名指しで呼ばれた理由が別にある筈だ。


 クルスの言を受けて皇帝の顔から笑みが消えた。

 途端に、天幕内の場の空気が張り詰めた。


「なに、簡単な話だ」


 その中で、皇帝はひとり滑らかに、纏う威圧感を隠しもせずに口を開いた。


「我らは魔物の軍勢――“魔軍”とでも名付けようか――に対抗する為に国とギルド連盟を挙げて人類連合軍を結成する」



 ――そして、ギルド連盟はその『総指揮官』にお前を指名した



「この話を受けるなら、ギルド連盟はお前にこの二百年空席だった『本部長』の二代目の座を以て迎える用意があるそうだ」


 大抜擢だな、と皇帝は呵々と笑う一方、クルスは絶句していた。

 だが、その一方でどこか納得もしていた。これまでベガかけられてきた不可解なまでの過大な期待はこの為だったのかと。

 おそらく、“盤上の魔王”はいつか二代目本部長が必要になる状況になることを予測して、クルスやアンジールといった見込みのある者に依頼を通じて地盤を作らせていたのだ。


「支部長達は……」

「ベガ達が何を考えているかなど訊いてくれるなよ。我も知らんからな。

 で、対する四大国は総指揮官に我を指名した。各国軍の中では我が一番ふさわしいと判断したのだ」


 つまり、と皇帝は一息。


「我らは同じ座を争うライバルという訳だ」


 言葉と共に、いっそ清々しいほどの戦意が皇帝の全身から放たれる。

 圧せられるようならこの場で喰い殺さんと言わんばかりの威圧感だ。


「……人類の存亡の危機ではないのですか?」

「そうだ。つまり、二度とはないかもしれぬハレの舞台だ。男なら頂点に立ってみたいであろう?」


 歯を剥いて笑う皇帝の言に、しかしクルスは逆に心が落ち着いてきていた。

 状況がはっきりすれば、あとは覚悟するだけだ。騎士にとっては何も分からぬよりも余程楽だった。


「我欲で人類を滅ぼすわけには参りません」

「では、我に総指揮官の座を譲るか?」

「その方が勝てる可能性が高いのなら、否やはありません」


 にわかに周囲の近衛が殺気立つ。背後でアンジールが息を呑む音も聞こえた。

 クルスの言は、己と皇帝を同列にみての言葉だ。彼らの態度も当然だろう。

 だが、騎士としてもここで退く訳にはいかなかった。蒼色の瞳で真っ直ぐに皇帝を見返す。


 心中でこの一年を思い起こす。

 多くの依頼を受けて、大陸各地を旅してきた。

 緑国の森、青国の海、赤国の砂漠、白国の皇都、そして暗黒地帯。

 ベガがこの時の為に大陸各地の依頼を与えてきたのだとしたら、自分は――


「良い目だ。して、お前は総指揮官になって如何する?」


 だが、皇帝の目はより深くを見据えていた。すなわち、クルスの中の迷いを。


「見ればわかる。お前には王の才がある。あとは、率いる者達にどのような道を示すか、それだけだ」


 先達としてひとつ教授する、とばかりに皇帝は両手を左右に広げた。

 途端に、近衛達が居住まいを正し、剣を捧げ持った。

 言葉もなく、ただ皇帝の意を受けて、彼らは一糸乱れぬ応答をしてみせた。

 そこにあるのは“当然”だ。当然のように他者を統率し、当然のように勝つ。

 それこそが皇帝たる己の道なのだと総身で示していた。


「頂点に立つ者は無能でもよい。他者を惹きつけ、率いる“王の才”があり、進む道を明確に指し示す事が出来るだけでよいのだ。そして、それこそが最も困難で、得難い資質である。

 戦略や戦術が大事ならば我とてベガ・ダイシーを総指揮官に推している。

 だが、奴の器を以てしても人類連合軍を抱え込むには足らんのだ」

「器、ですか……」

「この地に神は五柱おわすが、数百万の魔物に対する戦士達を率いることのできる者は三人とおらん。

 お前はどうだ、クルス・F・ヴェルジオン? お前の器はこの大陸の未来を呑み込めるのか?」


 皇帝の問いに、クルスは即答できなかった。頭をよぎる迷いが答えを阻んだ。

 忘れてはならない。総指揮官になって終わりではないのだ。

 どのようにして勝つか。それはそのまま己がどのような道を選ぶかに直結する。


「自分は……」

「今はまだ答えずとも良い。此処で何を囀ろうとお前が戦場に出てこないのなら戯言にしかならぬ。

 それまでに性根をしっかりと据えておけ。迷えば、大陸が墜ちるぞ」

「……」

「ではな、戦場で待っている。この陣列皇帝の前に立つか、膝を屈するか、よく考えておけ。

 ――楽しみにしているぞ、我が好敵手」



 ◇



 天幕を出てからどこをどう歩いたかクルスは覚えていなかった。

 誰もいない場所を探して歩いている内に、気付けば学園のはずれにやって来ていた。

 静かにたたずむ古い大樹がどこか懐かしさを感じさせる香りと共にクルスを迎える。

 其処は初めてカイに会った場所だ。

 懐かしく暖かな気持ちと、腹の底を灼く焦燥が同時に騎士の中に溢れる。


(俺は――)


 肺を絞られるような息苦しさに、クルスは我知らず膝をついていた。

 学園に来てからの三年、がむしゃらに駆け抜けてきた。

 最善を尽くした。皆の期待に応えてきた。胸を張ってそう言える。


 ――もう止まってもいいのではないか。ふと顔を覗かせた弱気が囁く。


 それもいいかもしれない、と渇いた心が呟いた。

 自分はソフィアのように運命に選ばれることはなかった。

 あるいは、カイのように全てを捨てて魔神に挑むことも出来ない。

 この背に負った人々を捨てることはできない。

 誰も取り零さないことこそクルスの道なのだ。

 故に、人間であることをやめられない。人の間でしか生きることができないからだ。

 背に守る者がいなければ、クルスは騎士ですらいられないのだ。


「……ここにいたのね」


 ふとクルスの背に、微かに息を弾ませ駆け寄ってきたイリスが声をかけた。

 クルスは振り向くことも出来ず、ただかつて従者だった少女の案じるような声を聞いた。


「アンジールに聞いたわ。皇帝と総指揮官の座を争うなんて、支部長達の無茶ぶりもここに極まれりね」


 かさりと草擦れの音がする。少女は少し離れた場所に腰かけて空を見上げていた。

 ありがたかった。ここまでリーダーとして決して仲間に苦悩する姿を見せまいとしてきた騎士の意を汲んだのだ。


「クルスはこの戦いが終わったらどうするの?」


 しばしの沈黙の後に告げられた言葉に、クルスは返答に迷った。


「……どうと言われても、学園を卒業してヴェルジオン家の当主になるつもりだが」

「本当にそれでいいの?」

「……」


 それ以外の道を選ぶ自分などまったく考えた事もなかった。

 思わずクルスは顔を上げて、困ったような表情のイリスと目があった。


「そりゃ私も元は筆頭従者(ナハト)だったから当主にならなくてもいいじゃない、とは言えないけど……。イオシフ様だってまだまだ現役だし、あと5年くらいはアンタが好きに生きる余裕もあると思うわ」


 逃げてもいいのだと、言外に告げてイリスは微笑んだ。

 こんな時でも少女はひたすらに優しかった。

 あるいは、その優しすぎる気質がクルスの中に踏み込むことを躊躇させたのか。

 十年を共に過ごしても、二人の間にある距離が埋まることはなかったのだ。

 それが今は少しだけ寂しかった。


「だから、クルスにはやりたいことってないの?」

「……やりたいこと、か」


 だが、恋人ではなく、仲間だからこそ見えるものもあるのだろう。

 イリスの言葉に誘われるようにして、クルスはこれまでの半生を振り返る。

 やりたいことはあった(・ ・ ・)。ソフィアを守る事、妹が世界に怯えることないようにすること。

 だが、それは既に叶えられた望みだ。これ以上は野暮になる、とカイに次いで鈍感なクルスでも理解していた。


「お前はいいのか?」

「私の一番はソフィアだから。あの子のしたいことを助けるのが私の望み。

 ただ、余裕が出来たら子育てとかしたいかなとは思うわ」


 軽口混じりに投げ込まれた爆弾に思わず顔を顰める。

 クルスとてその意味するところがわからない訳ではない。


 人類が勝利した先に戦乱の導はいない。

 あの古代種達と和解することなど有り得ない。同じ天を戴くことはないのだ。

 また、ネロが、あの魔人が人間との間に子供を成すこともないだろう。

 ネロは人間を愛しているが、それは名刀の類を愛でる感情に近い。子を成すつもりはないだろう。

 古代種の血を継ぐのはイリスしかいないのだ。存外に重い意味がそこにはあった。


「……何をしたい、か」


 背負うもの、目指すもの、欲するもの、つまりは今、大事にしたいもの。

 未来とは手の中にない何かを求めることだ。

 小さくまとまったクルスは満ちている。欠けているところはない。

 それでいいのか、とかつて従者であった少女は問うているのだ。


 クルスに返せる言葉はなかった。


 沈黙が続く。数分待って、イリスは大きく息を吐いた。

 呆れの感情ではない。それは少女が気合を入れた証だ。

 次の瞬間、ずい、と二人の距離が縮まった。

 気付けば、クルスはイリスに胸倉を掴まれていた。

 額がぶつかるのような至近距離で、怒るような、慈しむような複雑な色を宿したイリスの赤い瞳がクルスを射抜く。


「クルス、本当の所を当ててあげる。――アンタは迷って(・ ・ ・)なんか(・ ・ ・)いないわ(・ ・ ・ ・)

「……なに?」

「断言する。もしも、総指揮官になれって言われたなら、アンタはその場で引き受けてたわ」

「それは……」


 そうかもしれない。クルスには反論が思い浮かばなかった。

 現に、騎士の中に総指揮官の立場を重荷と感じる気持ちはなかった。

 やれと言われればできる。この大陸の未来を背負えと云うならば背負ってみせよう。その覚悟は元よりクルスの中にあった。

 誰をも守る。何も取り零さない。それがクルス・F・ヴェルジオンの道なのだ。

 あるいは、それこそが皇帝の言う王の才なのかもしれない。


「アンタは今、理想と現実が予想外に合致しちゃって戸惑ってるだけ。

 同じだけのものが元から自分の中にあったことに気付いていないだけよ」

「いや、だが、俺は現に迷っている」

「それはまた別の理由。……それを解決できるのは私じゃない」


 イリスが視線を外し、背後へ振り向く。

 誘われるようにクルスも視線を向ければ、遠くからカイとソフィアがやって来ているのがみえた。

 ソフィアに支えられた侍の手には何故か、クルスの盾が握られていた。

 思えば、腰には剣を帯びているが、盾はどこかに――あるいは、己の魂ごと――置いてきたままだった。


 そうして、カイは膝をついたままのクルスの前に立った。

 感情の窺えない顔はいつも通りだが、その黒瞳は燃えるように輝いていた。

 怒りや憎しみではない。その色を何と言うかクルスは思い出せなかった。


「総指揮官にならんのか? より多くを守れる道、お前の道だ」

「……だが、俺でなくとも、皇帝陛下でも構わない筈だ。違うか?」


 カイの抜きつけの言葉に、クルスは言い訳じみた言葉を返した。

 その言葉の裏側にある感情をカイは察したのだろう。そうか、と小さく頷き、


「――では、お前でなければならない理由を計ってみよう」


 いつもと同じ調子で、クルスに盾を投げ渡した。



 ◇



 アンジールに話を聞いた時から、あるいは、こうなるかもしれないとカイは予想していた。

 言葉だけで語り尽くせるほど互いが互いに抱いているものは安くない。

 元よりこの身は刃金、そして翼。満足な口は持ち合わせていない。


「クルス、今の俺は半年もあればこの大陸の人間を殺しつくせる。

 他の英雄英霊すべてを向こうに回しても――全て、道連れにしてみせる」

「冗談を言うな」


 だが、まずは火の点くのが遅い騎士を焚きつけねば、とカイはらしくもなく挑発を投げかける。

 心中で苦笑する様子を三歩後ろで待っているソフィアが感知して困ったように眉根を寄せているが、今は置く。


「試してみるか? 今の俺を止められるのはガイウスかテスラくらいのものだ」


 草原に吹く風を受けて、カイの薄く蒼みがかった黒瞳が爛々と輝く。


 今のカイは英霊の中でも随一の殺傷能力を持っている。

 それ以外の全てを削ぎ落した抜き身の刃金にして、魂の位階を駆けあがる翼なのだ。

 速度の化身たるその身が殺戮に走れば誰も追いつけない。


 ならば、今、もしもカイが狂ったのなら、止められる者はいないのではないか。


「――俺は」


 盾を握ってクルスは立ち上がる。

 騎士の錆びついていた戦闘本能が目を覚ます。

 身を斬るような殺気を受けて腹の底に火が点いたのだ。


(そうだ。それでこそお前だ。お前でなければならない)


 カイは心中で首肯する。己の本気に、この騎士は応えてくれる。

 他の誰かでは駄目なのだ。今のカイはもう手加減も出来ない。先の一戦でそれは捨てた。


 キリエと一戦交えてきたその身は万全ではない。

 負傷は治療しても体力は戻らない。抉られた肩には違和感があり、折れた足は治したばかり、魔力も尽きかけている。


 だが、それがどうしたというのだ。


 カイは己の魂が燃える音を聞いた。

 抜いたのならば斬る。斬れぬものなどない。

 そう願い、今、カイはその域に辿り着こうとしている。

 斬るのはクルスの迷いか命か、賽を振ってみなければわからない。


「全てはお前次第だ。難しい話ではない、俺にとっても、お前にとっても」


 数多の英雄を斬ればカイの位階は上がる。存在の階梯を駆け登る。それだけ魔神に対する勝率も上がるだろう。

 先に、ローザ学長がキリエを差し向けたように。

 カイがそれをしないのはクルスがいるからだ。剣は先走ることはあっても主の意に逆らうことはない。


「クルス、俺がお前に従うのはお前が貴種であるからでも、人徳が篤いからでもない。

 俺はお前の魂に仕えることを決めたのだ。主たらんとするなら魂を示せ。

 だが、最早、主でないというのなら、何も示せぬなら――」


 その先に言葉はない。ただ、侍は静かに背の銀剣を抜いた。

 周囲の温度がいや下がる。殺気に怯えて鳥や虫達が我先にと逃げ出す。


 ――示せぬなら、ここで斬る


 言葉よりも雄弁にその剣は語っている。

 腐った盾は何も守れない。だが、そうはさせない。侍は一心に誓う。

 仲間(カゾク)を斬る剣。その本領が発揮される。


「戦えばわかる。この大陸の全ての人を斬れる俺を止められるなら、この大陸の全ての人を護ることも不可能ではなかろう」

「俺は――」


 戦闘態勢に入ったカイを見て、その段になって漸くクルスは己の感情に気付いた。


 ――自分はこの男の言葉をこそ待っていたのだ


 火の点いた心の中で、欠けていた何かがぴたりと嵌まった気がした。

 息苦しさはいつの間にかなくなっていた。


 思わず、苦笑する。

 なんという我儘、なんという身勝手、これでは子どもの癇癪と変わらないではないか。

 だが、そんな幼稚な心を認めた先に、己の真意はあったのだ。

 カイが“神殺し”を目指すと決めたあの瞬間から、クルスはこの時を待っていたのだ。


 やっと此方を向いたな、カイ。待ちかねたぞ。


 そう言おうとして、しかし、口をついて出たのはいつも通りの言葉だった。


「……まったく、相変わらずお前は無茶苦茶だな」

「今更だ。俺は何も変わっていない」

「かもしれないな。そこはお互い様だ」


 カイは無表情なまま剣を構える。

 応じて、クルスも盾を構える。

 剣はまだ抜かない。片手をふさいではカイの速度に追いつけないからだ。


「――――は」


 迷いは晴れた。これ以上なく清々しい気持ちだった。


 今こそクルス・F・ヴェルジオンは己を取り戻した。


「やろう、カイ。お前と戦うのはこれが最初で最後だ」



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